ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2021.01.31
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モニュメントバレーは、十数年の海外ツアーの中でもトップの部類のインパクトのある風景だった。西部劇で見た風景とは違い、大雪の中のモニュメントバレーでもあったからなおさらであろう。それほど寒暖の差があることも知らなかったからだ。日本人は、山や海や田圃や畑や、そしてどこも人間のいない場所はいない空間で生きている。違う世界があることは、子供のころから知ってはいたが触れたことはなかったからだ。



 ・一人っ子で、引っ込み思案になって育ち、学校でも目立たないタイプだった。自分に自信が持てなかったからだ。いつも周囲が大人ばかりでいたからかもしれない。戦後で、しかも敗戦したばかりの大人たちが混乱していたこともある。軍国教育を受けた教師たちが、どれだけ民主主義を生徒たちに教育できただろうか。父が、住井すゑ著「橋のない川」を読めと薦めてくれたことがある。


 ・へ2・・・少なくとも金持ちにだけはなるまいと中学生の時には思っていた。父母は、親の投資を受けることができなかった少年時代を過ごしていた。しかも戦後中国からの引揚者だった。母が、帰りの船で乳飲み子が海葬されるのを何度も見たといっていたが、私は、若い母親のおっぱいを飲み続けたのだろう。





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最終更新日  2021.01.31 01:40:24
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