ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2021.03.31
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セーヌ川クルーズ。







徳川時代を「幕藩体制」というようになって既に久しい。幕府があり、諸藩があるという

社会体制は、世界でも日本だけらしい。世界史的な視野で見て、徳川時代の性格ははっきりしない

ということは、実は、必然的に明治維新以後の時代もはっきりしないことになってしまう。それは

他国の歴史的事実と、日本がどう違うのかと言う視点が見えないことにもなる。明治維新がブルジョワ革

命といえるのかなど定説が無い有様のようだ。これの根源は、徳川幕府が、絶対王政か?という位

置づけに係わるのであろう。日本の学者は、ドラステックな議論を避ける嫌いがある。というより

論理の積み上げが苦手なのだろうか。自分の立場が保障されないと発言できない風潮があるのだろ

うか。何れにしても、決着のつかない議論は不毛でしかない。次の議論に進めないからだ。文化の

ない空白の時間が流れているのではないだろうか。いつまでも結論のでない議論は、議論ではない。い

島原の乱にしても、研究者は、一揆をしたものの生の記録が殆どないと言っていた。徳川幕府が、

証拠を抹殺したのだという。人間だけではない。それは、その存在をも消滅させようとしたのであ

れば、それは究極の犯罪行為だ。その痕跡をも残らないと言うのは原爆を想起させる。

放射能に晒された細胞は生きることに絶望し、アポトーシスを起こして自らの細胞を破壊するのだ。

人間は過ちを常に犯すものだが、少なくともその証拠を残さねばならない。承継者たちは、何が間

違いであったのかを知る権利がある。検証しなければ、修正すべき手がかりさえあたえられないこ

とになるからだ。歴史は検証するためにあるのだ。






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最終更新日  2021.03.31 15:21:28
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