ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2021.09.26
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誇りが高く、理想を高く掲げるからこそ、現実の自分の醜さに苦しめられる。それが自分に固執している人間ほど酷くなる。中島敦もそれだったらしい。知り過ぎても嫌になる。それを我慢して遣らないと何も出来ない。高慢と卑屈が同居している。隠された作家の暗部がある。それは、追い込まれた未熟な作家たちを餌にして喰いものにした社会やハイエナのような連中がいるからでもある。


 ・中島敦は、中学始まって以来の秀才といわれた。そして大学では勉強もしないで、放蕩した。病気に為る原因を自ら招いたのでもある。そして33歳で夭折することに為る。どうして誇りが高く、理想が高いと早く死ななければならないのだろうか、その理由はない。自分が醜いのは、自分が招いたことだ。日本の有能な作家ほど、有名大学に入学し、そして自滅している気がしてならない。


 ・へ2・・・愚劣な社会であると思うのは、別に天才でなくても解かることだ。それを糺そうとはしない。寧ろちやほやされて身動きができなくなる。遊郭で女遊びを続けながら文学でもない。卑劣な行いをしてそれが芸術とどんな関係があるのだろうか。ことばと行為とは違い、心と体とは違うというのだろうか。それにしてもあまりにも自分の生命に対する無知が、かかる秀才たちの自滅への原因でもある。




ボケないためにしないといけないことがあるが、それが、よくわかっていない。医者の不養生という。つい溺れてしまうのだ。溺れてからでは遅いとどれだけ教えられただろぅか。それでもひとはだれもそのことをわすれてしまう。一度のミスで死ぬのだ。苦しみもすぐに忘れてしまう。何でもないことで、なぜ苦しんだのだろぅか。祖母と母と父と、伯父や伯母、そして知人たちの死を見てきたが、だれも死について話をしたことはない。したとしてもその時理解できたのだろうか。だんだん外歩きもできなくなるのだろう。それでもテレビで自然や宇宙の事、世界中の世界遺産を見ることができる。テレビしか楽しみがない人が増えている。体が動かせないひとさえいる。日本は30%近い高齢者がいるらしい。姥捨て山が、悪しき日本の伝統でもぁる。何も言わないで死者たちは旅立っていくが、それを見送るかは人間の哲学の問題である。





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最終更新日  2021.09.26 04:33:34
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