ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2022.01.29
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<作品>  古潭 「山月記」



・文学講座の教室が、以前の図書館のある教室から、広い多目的ホールに変更。
・レジュメ2枚
・原典は、「人虎傳」のみではない。
・カフカ「あな」、穴のような家。
・カフカ「罪・苦痛・希望・および真実の道についての考察」より。
・変身。
むしろ、引用は、種本になるのは、

・司馬遷は「任小卿にかえす手紙」参照。司馬遷は宮刑された。これと「山月記」は関係がある。ふつうの人ではなくなる。

・トーマスマン「トニオ・クレエゲル」

・中島敦は、日本人には珍しく、英語や中国語が堪能で原本を理解できる。鴎外、漱石と同じくらいの語学力があった。東大卒。英文学に進むと思われていた。

・「虎狩り」。との共通点。

・何かに「憑かれた人間」というのも中島という作家のモチーフである。詩に憑かれた人間。
・虎を「文字に憑かれた獣」という中国で伝習がある。

・作中のあのシーン「月に吠える」のは「虎」でなければならない。

・何故虎なのか?かっこ悪くてはいけないのか。太宰も格好悪さを格好良く書こうとする。

・自分が虎になったことを自分自身で理解できない。カフカの変身もある面リアルに描く。詩人の悩みと虎の悩みは同じではない、そこに違和感がある。

・「李徴」は、何故虎になったか、答えの無い苦しみ。

・人間にはどう考えても判らないものがある。人間の限界がある。

・有限と無限。

・哲学的な問い。いくら考えても判らない。

・詩人の悩みと虎になった悩みは、別のテーマである。

・三島や北杜夫は、トーマスマン「トニオ・クレエゲル」を愛読した。

・「北方行」参照。

・生活への愛着を棄てきれないのは、プロではない。

・俗人・・・「生活」。画家のプロ意識もある。

・芸術は何に向かって描くか。人に向かう。

・やましい良心をもった芸術家。

・中原中也 明治以前事象

・妻子への愛情の欠如。・・・反面、妻子のために衣食のためにと書いていると別のところで書いている。

・どう読むか。非人間的ではない。

・虎になったのは非人間的だからではない。安易な答えではない。

・アリ地獄の苦しみを書いている。具体的に描こうとする。中島風のあり地獄。

・「問いそのままの答えである」。何を問うのか、が問題である。

・納得できないこと。答えを求めていない。哲学的。

・生活への愛を棄てきれない。李徴の嘆き。

・志賀直哉「荒絹」。蜘蛛にする。女神から妬まれた孤独な少女。

・人との接触を断つと可笑しくなる。孤高の人。

・世の中から離れていく。コミュニケーションの断絶が異類になっていく。

・自殺する人間の気持ちは誰にもわからない。他人には、解って貰えない。

・人間は「教育だ」と思っているひとがいる。漱石。教育次第である意味。

・「聖書」を読まないでも、キリスト信仰者はいる。

・あらゆる芸術は凡庸を否定できない。

・選ばれた人間である李徴と、トニオ・クレエゲルとの比較。芸術と生活。愚かな人間と天才。その対立。

・司馬遷「史記」。宮刑。

・「李徴の独白」。司馬遷の境遇。男でなくなることと同じ。内面の葛藤。

・手紙と語りと独白など同類。外枠は人虎傳だが、内面は、司馬遷とトニオ・クレエゲル。

・人がトラになる話と一致するかしないか。カフカの作品では解からない。確かめる作業がある。モチーフ。発想。が気になる。調べてみる価値はある。

・中島のカフカのメモがある。

・Man and Books
 漱石、秋成、鴎外。カフカなど。

・定説に捉われないことが大事である。「人虎傳」とは内容が違う。






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最終更新日  2022.01.29 15:47:32
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