ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2023.03.22
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 日本ファシズム運動史をそれとして追い叙述する仕事がある。さらには、20世紀初めから1950年代に至る時代構造の基本骨格を見通すという作業は、必須のものだろう。古典教条主義に埋没することなく、それをむしろ否定的媒介とした展開がなければならない。今日のファシズムとは何か、といった端的な議論の実態を知りたいと思う。


 アジア主義とかファシズムといった、全体的イメージとして悪しき・マイナスの遺産の中に必ず、今日的搾取や抑圧に繋がる負(マイナス)・スパイラルが見出されると思うからだ。


 どうして、戦前の日本が金縛りに遭遇し、脳性まひになったのだろうか。それには必ずそれに至るメディカル・ステージがなければならないだろう。個々が集積して一つの勢いをもち、膨大なフローを造っていったのではないだろうか。


 ひとは個として愛されるべき人間であり、人びとでもあるだろう。しかし、いつか群れをなして唾棄すべき行動をもして来たのだ。その善悪の二面性は、ひとに付き纏うものであって、時に評価され、時に非難され、そしてどちらかに区分されてきた。その作業をし続けることになるだろう。それは、まだ私たちがプロセスの途上にいるからでもある。


 時は過ぎて行くが、歴史には、感覚・感情を持込むことはできず、したがって個々の内在している生き生きとした感受性もそこから抜き落ちてしまうだろう。そこにこころを安める場所はないのだ。そこにある生の現実の一次史料を継ぎ合わせることが歴史でもあろう。





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最終更新日  2023.03.22 21:33:28
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