ヘイフリックの限界part2

ヘイフリックの限界part2

2023.04.28
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志賀島周辺。標記のフレーズは、ある人の言葉であるが、中学の時からいつも考えていた。自己否定は簡単ではない。自分が正しいと思いたいからだ。普遍的妥当性があるか、常に考えてもらいたい政治家たちが多い。



自分がとても悧巧とは思えないが、人の真意を汲み取れない人間もいる。皮相的なことをいつも拘り続けている。それは人の人格形成の中で、あるプロセスの中でもあるからだろう。一々取り合ってはおれない。そんな時間はない。自分では、何かをしているつもりでも、それは自分の思考の準拠枠のエリアでしかないのだろう。昨日は朔日ということもあって、今年8回目の宗像神社にお参りしたら、錦の御旗があったので写真を撮った。昨日ブログで載せた。


 ・ことばが足りなければ誤解もされる。そう思われても仕方がないのだろう。ことばは誤解を招き易い。解釈は、その人の見識でもある。鳥渡何かをすれば、それに執着しているようにも思われるのだろう。実はそうではない。悧巧そうに見えるものがそうではないことはいくらもある。いつも遣りながらその反対のことを考えている。


 ・へ2・・・自分の世界は、他人には理解できない。人格完成も目の前にあるのではない。人は生きている間はプロセスの中だ。 どこにいても、なにをしても、それは、結果的に見れば、ほとんどの場合愚かでしかない。





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最終更新日  2023.04.28 02:07:13
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