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天徳寺
1462年(寛正3年)、当時の佐竹家当主佐竹義人(義憲)が夫人を弔うため
常陸国久慈郡太田村(茨城県常陸太田市)に創建した
1602年(慶長7年)、 佐竹氏の秋田へ国替えに伴って秋田に移されました
(wikipediaより)

1624年(寛永元年)12月27日、火災により総門を残して全焼したため
翌年5月に現在地である秋田郡泉村の泉山に移された
この際、焼失を免れた総門も移築されている
その後1676年(延宝4年)12月に再び火災が起こり
総門と山門を残して全焼
9年の月日をかけて再建され、現在に至る
(wikipediaより)

天徳寺総門 国重要文化財
慶長年代に楢山に建てられ、火災を免れたのち移築されたもの
天徳寺で最も古い建造物

天徳寺山門 国重要文化財
寛永5年に建立


天徳寺本堂 国重要文化財

1687年(貞享4年)の建立
入母屋造、茅葺き、間口約30メートルの大建築
内部は左右4室・前後2列の8室に分かれ、前面に板敷きの内縁がある
建物の正面右側に玄関、背面左側に開山堂が付属する


霊屋
1672年(寛文12年)には本堂西の墓所に佐竹家の霊屋(たまや)が建てられ
歴代久保田藩主と夫人の霊が祀られている
1998年(平成15年)東京の総泉寺にあった正室や側室などの墓も移された
(wikipediaより)



