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神話的時間を生きる


はやく、はやくと子どもをせかす時、親も子どもも神話的な時間ではない時間を生きている(『神話的時間』)。

 零歳の子どもに話しかける時、零歳の子どもが話しかけてくる時、人は神話的時間の中にある。

 去年の今頃書いた日記を思い出した。

 ある日の夕方家の近くまで帰ると玄関に子どもの傘が広げて置いてあるのが見えた。鍵を忘れたので家の中に入ることができず、荷物を置いたままどこかに遊びに行ったのか、と思ったのだが、そうではなくて息子は傘の向こうですわったまま眠っていたのである。鍵をあけようとしたところ玄関の戸にかたつむりがいるのに気づいた。

「あ、あのね、これは僕が帰ってきたときには、ここにいたんや」
と地上に近いところを指差した。それが今では鍵穴の近くにいたのだった…

 息子はきっと鶴見がいう神話的時間の中に生きていたのだろう。

 同じ本の中の、谷川俊太郎と工藤直子の対談。工藤の『ともだちは海のにおい』の中の一節を工藤自身が読み上げた後、谷川が、ここには工藤の生きてることの理想の姿がウミガメに出ている気がするという。

「今、我々現代社会に生きていて、ほとんどの人はまあ、会社とか、官庁とか組織に属していて、その中で毎日働いて、ある役割を負っているわけですよね。そういう生き方じゃなくて、社会のなかで、そんな役割もってなくても、ただ存在してるだけでも、なんかいいっていうふうな生き方が好きなんじゃないかあ、って感じしたんだけど」(pp.89-90)

 目的を早く、効率よく達成することではなく、そこに至る過程を楽しめるなら、神話的時間を生きる、ということができるのだろう。



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