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親しいからこそ



 裏を見せ表を見せて散る紅葉

 自分をひらひらと裏も表も見せて散っていく紅葉に例えている。死に行く自分のことでもあり、「裏を見せ表を見せ」というのは四十歳年下の貞心尼に自分の裏も表も何一つ隠さず見せてきたことをいっているのであろう。
 親しいというのはこんなふうに裏を表も見せることができるということである。実際そのとおりなのだが、時にこのことが二人の関係を危うくする一つの要因にもなる。遠慮がない分、それほど親しくない関係であれば我慢できることでも我慢できなくて感情的になってしまうということがあるからである。「疲れているからお願いだから話しかけないで」といわれたらいい気持ちがしないかもしれない。私には身体が不調なので会えないいっていたのに他の人に会っていたとこぼしていた人を知っている。しかし、他の人とはどんなに疲れていてもやむをえず話をしないといけないということもあれば、会わないわけにはいかないこともある。そんなふうに弱いところを私に見せるほど気を許している。うれしい。そんなふうに思えたらいいのだが、必ずしもそんなふうに思えず、けんかになることもよくあることである。そんなことが親しくなることの代償ならば親しくなんかなりたくないとふと思ってしまう。
 親しいが故の節度のようなものはいるだろう。カウンセリングをするとひどく疲れる。前はこんなことを知らなかったので、友人同士で夜皆で談笑している時に、早期回想とか夢を解釈してほしいという話になった時、昼間ずっと解釈していたので今は疲れていているからと断っていたのを横で見ていてそんなものかと思っていたが今はよくわかる。こんなふうに疲れている時にとれる態度は二つある。一つはいわば裏を見せて不機嫌になることである。もう一つは、親しい人のためにもうワンセッションカウンセリングできるだけの余力を残し楽しい時間を過ごすことである。どちらも選ぶことができるが、個人的には後者でありたいといつも思っている。そのほうが疲れも癒されるわけでけんかをするだけのエネルギーは無駄である。相手が疲れている時は不機嫌であっても許したいし、逆に自分が疲れている時は甘えてはいけない。二人がそんなふうに思ったら親しいが故のけんかも減るだろう。


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