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あの時の声を知らなければ



 大学生の時、授業でリルケの『マルテの手記』を読んだ。字面を追うことはかろうじてできたが、内容が理解できたとはとても思えない。

 辻邦生がこんなことを語っている(『薔薇の沈黙』筑摩書房)。友人の森有正が時折話すリルケは東京で考えていた詩人とは違ってた、と。森は後に若くしてパリで客死する哲学者である。

「リルケのことをimmer-frauen-Seeleと言いますが、それは上品で弱々しい女の心というのではありませんよ。リルケはちゃんと性行為のときにあげる女の声を知らなければ、本当の詩は書けないと言っています」と、〔森は〕いらいらしたような、憤然としたような調子で言った。

 これを読んで、なるほどそれなら僕はあの頃、そんなことをこれっぽっちも知らずにいたし、セックスは想像の域を超えることはなかったから、リルケの言葉を理解できなかったのは当然だった、と思い当たった。

 辻は、上の森がいっていることは、『マルテの手記』の次のような記述を指しているのだろう、という。

「一夜一夜が、すこしも前の夜に似ぬ夜ごとの閨のいとなみ(Liebesnaechte)。産婦の叫び。白衣のなかにぐったりと眠りにおちて、ひたすら肉体の恢復を待つ産後の女。詩人はそれを思い出に持たなければならぬ」

 後に、若い人と話していると、ずいぶん人生の修羅場をかいくぐってこられたのですね、などと感心されるようになり、初めてリルケの詩を読んだ頃とは違って人生のいろいろなことが見えてくるようにはなったが、しかしそれにしても、そのために経験した出会いの喜びと別れの辛さの多いことよ。



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