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キヨタカ1104

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2015年11月08日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日の20:04。祖母が亡くなりました。
82歳でした。

明後日が祖母の誕生日でした。

亡くなる前に会ったのが一週間前でした。

祖母は弱っているところを見られたくないとお見舞いにみんなが来るのを嫌がっていました。

僕にも、「こんなとこ見せてごめんね」と言っていました。

今日もお見舞いに行く予定でした。

17時過ぎに呼吸が弱くなってきたから個室にうつすと電話があったそうです。

それから一時間もしないうちに息をひきとりました。



母は用事が済んでから祖母のとこへ向かう予定でした。

息をひきとる瞬間、家族だれも見守ることが出来ませんでした。


今日の朝5時くらい、僕の部屋のドアをトントンと二回叩く音が聞こえておきました。
でも、誰もいませんでした。
気のせいだったのかもしれないけどすごく胸騒ぎはしていました。


祖母が入院する前、「この家を帰ってくるまで守っててね」って言われていました。

どうせなら亡くなる前に家に帰ってきて欲しかった。
ずっと大部屋の病室で居させたくなかった。

祖母はいつもお見舞いに行くと小声で話していました。
他の人に迷惑がかかるから。


ちょっと前に、僕が一人でお見舞いに行った時、「私が死んだら正月に撮った写真を使って、とか、白い高級なハンカチをたくさん用意してみんなに渡して」

そしてこのことは他の人には誰にも言わないでと言われました。

その次の日、母がお見舞いに行くと祖母が僕に謝っておいて欲しいと言っていたそうです。

こんなことをお願いして悪かったと。


祖母は2020年のオリンピックまで生きるぞって言っていました。

去年の10月に膵臓癌の手術をうけ、頑張って生きていました。



お見舞いに行くときはいつも笑顔でした。

他の人に迷惑かけないように我慢もたくさんしてたと思います。


僕が今日寝ているときに突然母に起こされ、下へ降りると母は泣いていました。
母が泣く姿はあまり見たことがなかったです。

母は祖母が元気だったときはいつも喧嘩をしていました。
入院してからはずっと仕事が終わってからお見舞いに行って面倒をみていました。


祖母は祖父が20年以上前に亡くなってずっと一人でした。
12年ほど前に祖母の家の隣に家を建て祖母以外みんな新しい家に住んでいました。
祖母はずっと一人暮らしでした。

今思うとすごく怖かっただろうし、大変だったろうし、寂しかったことと思います。

去年の夏に突然膵臓癌の宣告を受けてから僕は祖母の家の方に住むことにしました。
夜仕事から帰り、玄関を開けるといつも「おかえり、お疲れ様」という声が聞こえてきました。

僕はそっけない返事をするばかりでした。


失ってから気づくことたくさんあります。

祖母は幸せだったのか。
心配性の祖母は安心して天国にいけたのか。

またまだやりたいことはたくさんありました。

病院の大部屋と個室、値段が高くなるからという理由で大部屋でいいと言っていました。
テレビももったいないからつけなくていいと言っていました。
つけても悪いニュースばっかり流れるからとも言っていました。


せめて僕が出してもいいから個室に移してあげたかった。
話すのが好き祖母に大きな声で話しをたくさんさせてあげたかった。

まだお通夜や葬式がありますが、とりあえず今思っていること、感じたことをここに残しておきます。
内容もまとめずに思いついた順番で書いたからバラバラかな。


おばあちゃん。今までありがとう。





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最終更新日  2015年11月08日 23時18分23秒
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