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山のお茶畑からようやく お茶が完成
2020/06/19
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介護職員大募集グループホーム 介護職員 介護審専門員 社会福祉協議会 介護支援専門員お問合せい0260-22-3151 事務局まで追加阿南町では 介護福祉士取得のための 実務者研修から試験手数料を 助成しています働くための 基本的な支援が充実しています。是非お問合せ下さい
2020/06/19
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燕はいつもの通り やってきた。今年もにぎやかな 燕の声が聞こえてくるとはいうもののだいぶ少ないか?今は求人に対して 連絡来るのが まちどおしい
2020/05/03
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今はコロナウイルスで厳戒態勢を敷いています。けれど、介護施設は てんてこまい現場の仕事は テレワークと言うわけにはいきませんが都会の密に比べれば働きやすい 条件は 整っています。ハローワークからも募集中募集内容-----認知症グループホームの 介護員 夜勤1泊(二日分の日当+6500円) 時給は資格によって資格手当も含まれます 正規職員の確保を望んでいます 町が住宅も提供------介護支援専門員 ケアマネージャーが 私も含めて 高齢になることで 資格更新しませんでしたが 周りの方たちも 資格更新しなかったので ギリギリの人数でこなしています介護福祉士資格取得に行政が資金提供このブログはしばらく 閉鎖状態だったのでどなたも見ていませんか?もし目についたら長野県 下伊那郡 阿南町社会福祉協議会 0260-22-3151就職問い合わせください。
2020/05/02
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中日新聞に阿南町の弁当山の特集が掲載されました。その後、思ってもいない昔のお話を聞くことが出来て、その話しと、弁当山と山姥の話が、本当であった事実にたどり着きました。 ついこの頃、近くのおじさんに頼まれて、弁当山付近の山に木を切りに行ってきました。それはシイタケの山中栽培の手伝いで弁当山近くのゴロハマと言うところまで行った時のことです。
2020/05/01
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昔し・昔し このような写真のアップに暗雲立ち込める気配を書いたことがあった。あれから、挫折を繰り返し行ってきたすべての意欲と事業が大逆転し敗北の中をさまよって今・周りの新たなご協力で 生き延びて 来れました。まあ、でも、今の状況は 厳しいコロナウイルスとの長い戦いに入ってしまった。しかしおかげさまでこのブログと向き合うことができすべてに 感謝職場の緊急対策マスク消毒液防御態勢の確立手洗い三密避ける赤字覚悟のウイルス対策新しい日常が帰った時にこの赤字を取り戻そう職員の網膜剥離手術で 名古屋市杉田眼科にいったので職場を14日間 自宅待機この間の気持ちの維持の難しさ直面している 難問にもう一度一からやり直しの時が来た。
2020/05/01
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2012/06/21
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数年前から業務上 地域の災害時の 救援マップ作成のためお年寄りの皆さんや役員の方々と,その地域の過去の災害の発生場所確認やどこに安全に避難するべきかを地図上に描きながら地域の皆さんとの話し合いを続けてきた。 この中で、グーグルが作成している「グーグル アース」を宇宙視野からだんだんと日本に着陸するような感覚で日本の上を降り立っていくと太平洋側に深く刻まれた北米プレートと太平洋プレートの不気味な溝ユーラシアプレートと相模トラフの突き当たる東京、中国側から逆方向で日本を眺めると日本 北朝鮮 中国 ロシアを結ぶ海底隆起は不気味な感じがする。千島海溝と日本海溝、の深い溝 南海トラフとユーラシアプレートの延長上には静岡 長野を貫通して新潟佐渡と能登半島の中心あたりから奥尻えと続く。能登半島の地震も奥尻の地震も長野の栄村もグーグルアースの上空から眺めると 大きな地球の小さな部分的誘発状況にあってもおかしくないように素人には思えてしまう。 我が町に伝わる竜神伝説は丁度、京畿大地震(1662寛文2年江戸前期)の時に起きた大きな地すべりによってくぼみができ、そこにあった諏訪神社を飲み込み今では 池の奥深くに神社の石段の階段と白骨化した一本の木が 池の中に存在する。この近くからは当時の岩場に押しつぶされた白骨化した江戸時代の人間の骨が出てくることがあった。標高1000メートルの山の桜が標高300メートルの集落に押し流されて、今にその桜の伝説が伝わっている場所もある。 この深い海溝のどこかに力のしわ寄せがかかって地球が体の体裁を整えるために身震いをすれば地球全体のしわが 動きだし、 日本列島にはそのすべてのしわの反動が伝わってくる。 地域の災害マップの話のたびにここ数年前から気象庁の地震発生マップを拾い出してはチェックをするとわが町を結ぶ御嶽山から浅間山 直線 富士山の三角形は日本の背骨だがあちこちのしわが動くたびに背骨も何かを感じているような 地震の発生がありますからお互いに災害時にはどうしたらいいか助け合いましょうなどと話してきた状況から、今回の東北大震災に福島原発の爆発はいったい自分たちは何をするべきかとりあえずは、一番危険な原発と日本のしわ地形そして不気味な海溝活動がやがて地球規模の「計算上の単位直近」では まだまだ 収まらないと思わざるを得ない。 江戸時代の安政の大地震は巨大地震が数年間に及んでいて9年間に及ぶ実に2981回の記録がある。 このような経過をたどる延長上になぜか原発問題には生命の危険を感じざるを得ない。 私につながるというより 私にもつながる人類にもあなたにつながる人類にも もしかしたら この恐怖はつきまとう。子供たちにも 精子にも 卵子にも 細胞にも 細胞を作る DNAにもすべての人間の構成要素に 深くかかわるものが 目に見えずいつの間にか 細胞奥深く むしばんでいく 放射線 いつから三人に一人が癌になって死んでいく世の中になったのかそのどこかに放射能が関係しないのかそのすべての日本の位置は 台湾の位置は ぱっくりと大きな口をあけて日本を飲み込みそうだ。
2011/06/10
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信州の南から白鳥に会いに行きたいと思いますが時間がないねえ
2010/11/27
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2010/03/02
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大きな明るい月が出ました。アンダーに撮影して光を取去ると月の模様が浮き出ました。
2009/10/04
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ゴッドハンドの雲の話があったよねあれも、作られたものだとか色々どこかに書いてあったんですが今日の太陽の直ぐそばに 神の手のような 雲が出てました。これだってずっと見ていて写真とっているともしかしてゴッドハンドみたいなものになる瞬間があったかもしれない
2008/10/11
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雲に聞いてみなって世の中の動きを聞いてみたら雲は怪しげな獣のかたちで今の世の中を示してきた と考える私です
2008/09/25
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ほたるの日記から その2-3 死はいつも身近にあるのに思考の外側においている。「ほたるの日記・命の最終章」は今も読者がいて、インターネット上で生き続けてい る「ほたる」そして 新村先生の功績は著書とともに生き続けている。人の生きた証は周りの人々とともに様々な形で残されていく。AERAに掲載された女優 深浦加奈子さんの記事から 今私の周りで起きている現実と重ね合わせると、死はこの世のすべてかもしれないと感じる。そして目の前の事象は生まれてから死までのつかの間をどういきていこうか に尽きる。「はだし」は遠くにいる友人だが彼の前向きな生き方は彼と周りの患者さんがたに勇気と生きる希望を示し続けている。と感じています。「はだし」の希望で昨年の夏には「あにき」と一緒にクラスの仲間達が富士山に登った。そしてことしは九州の温泉地で一同が会した。ここには「あにき」も来るはずであったが、「ぺこ」の報告どおり「あにき」の生きた証のひとつとして「あにき」が撮り続けていた風景などの写真をまとめられればいいと感じている。今年は「あにき」を偲んでのクラス会になってしまったが、本当は「あにき」もこの場所にいて、いい写真を撮っていたはずだろうと思うと「ペコ」の涙が身に沁みる。「はだし」は 今 自らの癌と闘っている。彼はある病院の相談業務の責任者としてケアプラン作成や地域のために奔走している生真面目な一直線なやつだ。彼はがん患者のサロンをたちあげた。本日のインターネット記事には(鹿児島 南日本新聞に彼の活躍が記されている)以下に転載させていただきます。http://373news.com/modules/pickup/article.php?storyid=12732前向きに生きる、そして自らもそのことで生きる強い力が湧いていると心から思う。「はだし」むりをするな でも 自分との闘い、自分の中にいる「がん」とゆっくり付き合いながら又来年も笑いながら会いましょう。 ここには「がんと闘う人たちの勇気をたたえようと行われた「リレーウオーク」には、患者や家族ら約500人が参加。患者代表の上水流政美さん(57)が「がんになっても希望を持って生きていきます」と宣言した後、横断幕や旗を持ち交代で歩いた。」と新聞に報道されている。
2008/09/15
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その2-2爆発音は5K 離れた私の家からも 聞こえたらしい。外側から惨状をみた父親が すぐに感じたことは これで、終わりだと思ったということで結婚したての嫁を実家に帰すことを思いながら 帰ったらしい。町民の多くの方達は私が死亡と考えていたらしい。それが生き残ったために、当時「駄目職員」として早速首にする必要があると、あちこちから言われていたらしい。 と言うことが後でわかって この時点から 今まで心の中に残った様々な問題が私を悩ませた。「ガスコンロのつまみの位置 載せられたヤカンの状況 から とっさに ガスが漏れていると考えた私の「止めなければ」との思いが 結局 着火させてしまったことになる。当然ながら出ているガスの量や、配管上のチューブの状態や 栓が開けられていた状況を なぜそうなっていたのか、等という大事な点はまったく不問のまま」 この出来事は、終わった。 この時に 死んでいれば 私につながる子供たちはいなかったし、今の私は当然いないし、「ほたる」の「命の最終章」として 「ほたる」とむきあうこともなかったし、逆に「ほたる」が「線香」あげにきてくれていたかもしれない。AERAの記事から頭の中をよぎる壮絶な死を私はもうひとつ留めなければならない。かつて長野県の篠ノ井総合病院院長 新村先生のがんとの闘いのことだ。これももう10年以上たってしまった。院長先生から教えられたことはその後の私と今の社協の経営と言う問題の原点としての患者と医師の関係や、医療と福祉の関係や多々あるものの先生から教えられた様々な状況を考えるといまだに遠く及ばない。長野県の福祉の翼にて同行したドイツでの先生から聞いた話や、夜の酒場での先生の話は翼が終了した後も年に二回ほど先生が逝くまで続いた先生との福祉研究は、参加した研修生の多くに影響を与えたはずだ。 先生はがんの痛みと音楽について自ら最後まで研究していた。もう一度みんなでヨーロッパに行くよといって旅程表を作って送ってもらったコースを まだたどってはいないが、肩身にもらったような気がする小さなグラスの重厚な重さと深い光が時どき当時の元気であった先生がドイツの酒場で笑いながら話してくれた頃を思い出す。
2008/09/12
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アエラから思い出したほたるの日記 命の最終章 からその2 私の死とのむきあいのはじまりは学生時代の原点とも言うべき「あにき」が癌で逝った。席上「あにき」の死について「ペコ」からあった報告に 一周忌には「あにき」の写真展をやりたいので手伝って欲しいと依頼があった。今思えば私が始めて写真機と向き合ったのは 「あにき」から借りたオリンパスペンと言う ハーフフイルム撮影機だった。「あにき」からカメラを借りては写真をとっていた私を思い出した。当時20歳の頃 「二十歳の原点」と言う本があり 私自身も そのような思いが支配していたことを思うし、死を意識した瞬間でもあった。「もし死が自分に近づいたら君達はどうしますか」 と言う 担当教授の問いに、 そのときは様々な意見や話がでたし、その時は、直近の思い出に「高校時代の同年」の兄が自殺したことを鮮明に思い出していた。もし自分が死と直面するときがあったらどうするだろうか。当時皆で話し合ったときに死を宣告されたらその前に何をやるかとか友人宅を全部回る打とか色んな意見が出ていた。 就職して七ヶ月がすぎた冬のクリスマス会のときだった。 私自身は死と直面した時、そのような向こう側にある生を考える余裕がなかった。プロパンガスの大爆発の瞬間の自分が行った行動を1から順に思い出しながら当時警察の調書に書き込んでその内容を思い出すと、その時、調書を病室にとりにきた警察の方の話では、50キロボンベのガスが全部その部屋に漏れ出していたそうだ。そして二股になった片方の栓はボンベなどのつなぎの配管チューブは無く、そこから漏れ出したものが私の入った部屋の調理室の反対側に充満していたことになる。 湯沸かし器のつまみを動かした瞬間大爆発が起きた。 爆心だったのか カウンターがあって、その下に身体がはいっていたためか 火傷だけで済んだ当時の私の中では 死と直面しながら、爆発瞬間には、何も思うことはなかったような気がする。但し、次の行動をおこさなければ火傷の度合いから死への一直線が自分の前にあった。着ていた上着に火がついた瞬間に頭の毛は全部焼けたような気がする。とっさにそこから出て風呂場の水道から水を出してかぶっているところに、同僚の看護師さんが助けに来てくれた。がんで死を宣告されたときから死を迎える瞬間まで前向きに生きた「ほたる」の気持ちと、考える余裕の無い一瞬の死の瞬間の人間の思いとが自分の中では交錯しながら、生きてしまった自分のその後の人生って、今を有意義に生きていく、としかいいようがないけれど、そのときは、何の死への用意もしてなければ、結婚したての妻への感謝の思いも家族への思いもまったく用意できないまま、命が終わる瞬間があった。よく三途の川を戻ったと言う表現があるがとっさの行動をとる瞬間などと言うものはまったく頭が働いていない。何がおきたのかを瞬間思いながらもすでに身体が火達磨に近くなっていてそのおきていることからどうやって火の子を払ったのか浴室の水道の蛇口をひねったのか まったく覚えていないだが当時は救急車などがなかったので役場の古びたバンの後ろに 保健師付き添いで 役場の職員が運転手で私は頭を運転席側にしてバンの後ろに横たわりながら死ななかったんだと思いながら本当は今頃サンシンをステージで弾きながら 寮の人たちに沖縄民謡教えているところだったに違いない とも 思ったんだろうか?がたがたと舗装のない道のゆれに 身体のすみずみまでなんてばかなやつだ 死ななくて良かったんだろうかとも思いながら施術室で 外科の先生と助手の人に顔中を ミイラのような包帯で巻いていただいた。
2008/09/11
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その1-2当時、会社を経営していた彼の工場は 様々な器機を自動で動かすための機械を作っていたらしい。当時の世の中には、コンピューター制御の前段階でしたから、カードに穴をあけてそこを電極が通過したりしなかったり、のカードの時代だったような気がするが、一方でコンピューター制御やMS-DOS時代に入りだしていた?可能性があり?変革の時代だったような気がする。その荒波の中で「ほたる」の夫はその荒波と戦っていたんだと思う。 世の中の浮き沈みは今も過去の思い出の中でも、一瞬を裏返せばどん底になる。妻であった「ほたる」の思いが今子供達に伝わって、新たに人生が刻まれていることを願うばかりだ。 AERAには『48歳の早すぎる死 「名脇役」襲った大腸がん テレビドラマの名脇役ぶりが光った深浦加奈子さんはがんと闘っていた。享年48歳。最後まで弱音を吐かず、女優人生をまっとうした。』と見出しがある。 そして、「ほたる」は30歳半ばだったと思う。「ほたる」の当時住んでいた家に「夫と子供さんたち」を訪ねて、妻が肉じゃがつくって一緒に食事をした思い出がある。
2008/09/09
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アエラ 08.09.08号には名わき役を襲った大腸がん の記事そして年収200万円以下の収入者一千万人を越えるの記事が掲載されている。その1もう25年前になるかと思う「ほたるの日記」命の最終章」と言う本を 名古屋在住の永井さんという作家がまとめた本がある。もちろんその内容は「ほたる」が日々がんと闘う 闘病記である。「ほたる」は一学年後輩であった。一直線に物事を考える純粋な「ほたる」がある日 私のところに手紙を送ってきた。きっかけで「ほたる」の夫、子供達に当地に来てもらった思い出がよみがえってくる。それは私の周りで 今、まさに癌で闘う 友人・知人達が 前向きに生きている状況と重なるからだ。子供さんたちの消息は気になるところだし、「ほたる」のご主人は当時会社の経営をしていて、事業の資金繰りが厳しい中で、「お金の調達にとび回っていたのを思い出す」当方自身がもちろんお金を貸すことが出来るほどの状況になく、更に自分達の家も土地も当時ある会社の借金の抵当に入っていた状況下では、田舎の自営農業では子供達をやしなう暮らしが精一杯のままここまできた中では、資金繰りに困っていた「ほたる」のご主人のことや子供達のことは気になったまま 時が過ぎてしまった。いったい子供さんたちは今どうしているだろうか?故郷の沖縄地方に帰っているだろうか
2008/09/08
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昨年に比べて花の咲き方が早いような気がする。気の性かもしれないが いや、確かに一斉に桜も,桃の花も咲いている。でもなぜか喜べないことがいくつも重なっていて自分の中ではまだ春が来ないのに春は矢継ぎ早に過ぎ去っていきそうだ。 こちらがどんな思いでいても、いなくても、花たちは当然ながら季節を感じて花を咲かせてやがて緑の葉に覆われて、いくつかの実をつけて又来年もこの場所にこの花たちは花を咲かせるんだろうと今は、漠然と思う所だ。だが、人間の場合には明日があるようで、明日は無いと思う瞬間がある。例えばバスの運転手さんにタイヤが直撃とか、農家の大黒柱が脳卒中で倒れたとかこうなると、それまでそこに息づいていた命の競演に、萌えていた草達も、機械も、その家も突然強い自然の力の中に埋もれていく。そして埋もれていきながら人間の作ったものが朽ち果てていく。 何をすべきかとか何を今しなければならないのかとか、世の中の流れの何をつかんでいればいいのかなぜか世の中の「何か」に流されそうになりがちな自分を、今どう持ちこたえることができるのか、できないのか、又は頭の中にあるこの事業の今と明日と将来に何をしようとしているのかとか 大分 迷いが生じている。 一人では当然決断できない世の中の流れの中での、組織のあり方に関して、直近職員又は側近職員又は頼れる職員、又は私とは正反対の考え方の職員とか、様々な人たちとの接点の結果の上で業務を進めるほうがいい場合もあり、この方が楽な場合もある。だが安易に自らの主張をかえると、その後のすべてに結果が変わっていく。ここも受け容れる覚悟で、合議をしなければ、社協の場合には組織は成り立たないこともある。 今は目移りがしてどの花たちも元気に咲き誇っている。だが私は何色に寄り添っていこうか。
2008/04/17
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春の強い風と気流が不思議な雲たちを生み出した。
2008/03/17
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春よこいと言う感じです。アピオスのページ作成中
2008/02/24
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よりそい、ささやいているメジロに出会いました。庭のピラカンの木に毎年今頃やってきます。毎年一瞬ですがよりそうメジロに出会えます。15羽ぐらいのぐグループでやってきます。メジロ ヒヨドリ ツグミ キビタキがやってくるんですがキビタキはホバーリングしながら木の実をつばみます。ヒヨドリとツグミは いきなりギャーギャー言いながらやってきてメジロを追い出しますがメジロは私たち人間がそこにいても平気でやってきて木の実を食べますので、遠くの木からヒヨドリがギャーギャーと「おまえらずるいぜ」と怒っているようですが、そんな時カメラを向けてもメジロは時にこちらを見ながら直ぐ近くにやってきます。よほどカメラ慣れしているメジロたちですからどこかの庭先でも同じような場面に何度も出会っている可能性があります。この頃アピオスのスープで来ました。
2008/02/08
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トンネルを抜けると「館山道」をすぎてトンネルを抜けると南国の並木がありました。当方の雪はまだ降りついでいます。心の中から通り過ぎるものがある。
2008/01/29
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千葉県館山市の知人を訪問しました。長野県から少し遠いような、でももう菜の花咲いてるのはすごいです。雪?降らないって。こちらは氷の中ですよ。こちらでは写真コンテストの結果発表です。
2008/01/28
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雪のVサイン雪の朝枝にはVサインが出来ていた滅入ることばかりの中で少し元気が出た。自然がくれた 応援歌雪のVサインようやく一年間行った写真撮影会とフォトコンテストが終了し入賞者が決まった皆さんありがとうございました。。
2008/01/22
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達磨の目入れ式を行なった。新旧達磨の交代だ。職員達全員で墨入れを行ないました。旧達磨には右目を 新達磨には左目を夫々入れさせていただきました。報酬漸減の法則の働く瞬間だ。誰かが目を「○」以外の場所に墨入れすればたちまち 達磨には ホクロや 涙が流れることになる。そこで皆真剣に筆をとることになる。福祉の仕事もこれと同じことがある。
2008/01/06
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2007/12/31
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2007年12月29日(土) 明日への始まりと感じたい 鹿児島県の友達から「がん患者サロン」の発足の報が届いた。「希望のサロン」となることを心から祈っています。*************************さて昨日NHKの政治評価?討論会が「論説委員」の方たちで行なわれていた。あまり希望の無い2008年となりそうな、そんな討論だった。ただそんな中で「1票」が大切な明日が来ることは間違いないようだ。医療も福祉も今の中では希望が無い と言うものだった。結局無い財源「そこで社会保障費」のために「消費税だと言う」と論説。結局この討論会を聞いて気持ちは落ち込んでしまった。「人ごと」であって使う側が当事者ではないことが結果だろうか???
2007/12/29
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研修があって奈良市に行きましたが時間があればと思いながらも夜少し朝少し奈良公園・猿沢の池・興福寺近辺を歩いてみました。夜の空間にどっしりとそびえるこのような景色は普段見えませんライトアップされた景色に思いをはせながら国立博物館の地下歩道を歩きながらふと見ると仏像の作りかたが展示されていて、いんをながめながら自分にもできるのかとまねてみたが これで心はしずまる 心を持ち合わせていなかった。私です。
2007/12/17
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2007年12月7日(金)雪ふりつもる予感いよいよ阿南町にも雪降り積もる予感このまま降り積もり夕方7時頃からしっかり晴天になると星降る夜中に零度になり道路は完全にアイスバーンとなる。雪が積もるというよりも深い寒さの中で晴れた夜の星たちが凍りついた光のスパイスを南信州に降り積もらせるのでガードレールの無い道路を覗き込むと走ってくる車達を 今か今かと 飲み込むタイミングを待っているかのようなツーンときしみあがる木々たちが 人間の様をあざ笑っているかのような夜が通り過ぎる。やがて凍りついたアスファルトをゴムのタイヤたちが坂を下りてゆく
2007/12/07
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下條村の蕎麦畑にある柿木この柿は小鳥達の分かなあ
2007/11/29
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Uターンしてきた方が寒い!と言って、今住んでいる新野からどこか暖かいところに移りたいなあと言ってますので、阿南の中でいいのかと聞いたら いいですいいです。空き家もう一回探そうか
2007/11/23
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2007/11/22
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アピオス(ホド芋)の収穫祭が無事終了しました。今年で2回目の収穫祭でした。今回は生産者と販売を手がける皆さん、加工を手がける皆様を招待したようです。さてこの先いかがでしょうか坂を上り切るのも 断念するのも ここら辺での 後一歩が必要な時期です。トヨタ自動車の「プリウス」の宣伝で雲をつかむような話とコマーシャルをしていますが雲をつかむような話ではなく、ひたすら考え抜いた「人」がNHKの番組に紹介されていたことがある。問題はそこまで行き着くために次はどうする?ここが正念場です。
2007/11/18
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焼き芋だあ"認知症グループホームでは毎年保育園児たちとの焼き芋大会を行なっています。木の葉がこんなに 遊ばれて うれしそうです。
2007/11/14
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『南信州おまかせ宅急便』南信州大地の恵みを詰め込んだ里山からの贈り物です例えばハザに架けて天日干ししたコシヒカリ5kg、夢の健康野菜ホド芋(アピオス)、当地域に伝わる伝統的な保存食品、季節の新鮮な野菜や果実・・・今回送料込みで4,500円です皆さんもいかがですか
2007/11/12
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秋出逢い
2007/11/11
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地域の生産者との共同作付アピオスが生産者から届けられます皆さんアピオスいかがでしょうかお試しセット作成しました。地域の生産者と一緒に作付してきました。皆さんが真剣です。
2007/11/10
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2007/11/10
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2007年11月7日(水)NO2 最後の一葉今日ここに掲載する写真は「ekkoの --- four seasons --- 北海道」と言うブログのekkoさんからお借りしました。実は先に書いた地域福祉の対象者は誰?もし限界集落で最後まで生涯現役として生き残る方がいてその方と社協が向き合ったとき多分私たちの方が元気をもらうことになると思います。「ヘンリー著作の「さいごの一葉」では窓辺に描かれた木の葉が病床の人を生き返らせた話ですが「誰がその絵を描くか」「誰がその絵をみて生き残る力を湧かせるのか」「最後の一葉となって生涯現役村の最後の方が」元気に生き残ることが私たちの元気の源だとすれば、誰がその方を最後まで元気でいてもらうためのエネルギーを提供できるか、いやいや自らの力で生き残るのか」その先には復活がありえるのかもっとロマンチックな話として考えれば最後の一葉が 人々の心に ともした 限界集落の灯 として 生き生きと 描き切れたら最高です。ekko様の絵からふと考えていたことが地域福祉の対象者は?と言う問いかけにつながりました。
2007/11/08
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実はここに写っています 猫も 生涯現役猫と言えるかもしれません。「阿南町和合鈴ヶ沢の松村さん宅の猫です」 日曜日の地方紙「南信州新聞」に65歳5割超えは88箇所と言う記事が掲載されています。そこには当阿南町の高齢化率39,2%総地区数53 内14箇所が限界集落とあります。この「限界集落」と言う言葉に「表現方法で提案」として下伊那地方事務所では「学術的用語とはいえ、現に懸命に生きている人々の集団に対して『限界』集落と呼ぶことには抵抗を覚える。安易に使える言葉ではない」とする。そこで現実の厳しさを直視した対策の重要性を認めつつも「地域の中にあるポテンシャルを見失ってはならない」『限界集落』から「生涯現役集落』へと発想を転換したコミュニティーづくりを構想すべき時」と提案されています。発想の転換点で 私たち阿南町社会福祉協議会は 「鈴ヶ沢の地ナス 地キュウリ 地唐辛子」を栽培する ここに写っている 猫と暮らしている松村ひさ子さん宅に 何度も足を運んでいます。限界集落でまさに地野菜を守り続けている 松村さんや 地域の人々は 「生涯現役」である皆さんです。問題はでは「生涯現役集落」であるためには 何が必要かという問題と 向き合わなければなりません。と言っても、こちら側が思う問題点と現に暮らしている皆さんでは問題認識が食い違っています。一番人口のいた元気な時を知っている「松村さんは」今日は天気が良くて周りの紅葉がきれいだにと家にいながら紅葉を眺めています。自然をじかに感じて、自然の中で 風や川のせせらぎを聞きながら ゆっくりと 人生を過ごす。「コミュニティーの崩壊がどうだとか」ゆっくりと流れる時間の中では「猫」が動くひとつひとつのしぐささえこんなに たのしいものなんだと 思うと そのような問題意識など どこかに 吹っ飛んでいきます。先日ヘリコブターで ここの地域のおばあさんが 運ばれていきまして、昔はそんなことは考えられなかったことだにここ「鈴ヶ沢」に県立阿南病院では診療日があり、同行したことがありますが、この時も「松村さん」の作ったキュウリの漬物?だったかなあ おいしかったよ そのときは、薬剤師の方が Tさんと言うおじいさんを 背負って家から道路まで連れ出してもらった覚えがありますが、その家の おじいさんは 今年亡くなり おばあさんは 一人で暮らせなくなって 今は社協が運営する「高齢者ハウス」で生活を始めた。元気で最後までそこに暮らすことのできる 方法は 見つからないが 思いがこの地から離れないうちはそこに住み、気力が衰えたら 地域以外のところで支える方法を 私たちはとるしか ないかもしれない。当社協のヘルパーが衛星携帯をもって この地域に 支援に入るのも 本人達の気力との付き合いであり、この点を どう持続させるか 生涯現役であり続けるための 何を 保障するのか を しっかりと 把握することが 手始めかもしれない。社会問題としての「限界集落」に暮らしを立てている皆さんにとって「最後までいきいきと 暮らすことの出来る そのための 支援とは なんだろうか?」 社協が取り組む場合には エンパワメントアプローチと言う方法で 「本人がとか 又は地域が とか その集団が といえる 対象者の皆様と社協が行動をともにしながら再び自らの手で起き上がることが可能な 何かを つかみあげていく」為の方法論としての行動方式には 醒めた頭と熱い心で その問題と前向きに向き合ってはじめて対象となる皆さんとの第一歩がはじまる」この場合には 方法論など存在しない やる気や思いが 対象者の中に 新たな芽を生み出すきっかけとなる 場合を希望をもって つかんでいくしかない。場合によればいらぬお世話だ と吐き捨てられる時もある。わしらは別に 困ってなんかおらんにここに来ると時間が止まったみたいだなあ と私そうかいそうかい 悩みがあったら また ゆっくりここにきて お茶でも飲んで 元気とりもどしなんよと こちらの方が励まされる 「猫」が じっと私をみつめて そんなに いきがると 脳卒中で倒れるんじゃないの って 笑っているぞ。
2007/11/04
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2007/11/03
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地域福祉の推進に関する阿南町社協の立場 社会福祉法第4条 地域福祉の推進地域住民、社会福祉を目的とする事業を経営する者及び社会福祉に関する活動を行なう者は、相互に協力し、福祉サービスを必要とする地域住民が地域社会を構成する一員として日常生活を営み、社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が与えられるように、地域福祉の推進に努めなければならない。先回 地域福祉はコミュニテーの再構築にあると書きましたが、その最も重要なものは地域再編の中心的なところに 上記社会福祉法第4条に示されている問題だと感じています。この条項の中にははっきりと福祉サービスを必要とする地域住民が地域社会を構成する一員として日常生活を営み社会経済文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が与えられるように 地域福祉の推進に努めるのが社会福祉事業を行なうものの重要なテーマとしてはっきりと書かれています。このことを逆に考えてみてください。これらの社会構成要素が不安定になっている社会状況があるからこそ 地域福祉で底上げが必要だと言っているんだろうと推測できます。経済 と高齢者 文化と高齢者 社会と高齢者 様々な対象者と向き合うときこの第4条に示されている 努めなければならないことを どう具体的に社会福祉協議会が 取り組むか このことと真剣に向き合うとき 「何故社協が?」等という答えが出てくる問題って無いと思いませんか。何故社協が行なうのか それは そこに第4条を満たすべき社会条件が無いからこそ向き合わざるを得ない今の現実が横たわっている。と言う認識の上に業務構築を行なっているわけです。コミニティーの単位として地域や正業形態を考えたときには、当然そこに参加する者の自立的生活支援にどう社協がかかわるのか が重要なテーマであり逆にそれは社協の自立とも大きくかかわっている。これらの考えをまとめていけばそこには 農業支援も当然ながら社協の取り組むべき命題として現実の社会に横たわる社会問題としての農業があり、地域再編上重要な問題としての正業確保の問題としての農業が横たわっています。高齢者が育てやすいアピオスと社協が連携した生産者組織を構築し将来的に生産販売を含めた流通経路が完成すれば社会福祉法第4条の具体化が又ひとつ完成していくと言う目標をもって関係者は頑張って欲しいと思います。先に一度阿南町役場の50周年記念で阿南写真倶楽部と阿南町社協がふれあいフォトフェスティバルを行なうにあたって、撮影会からフェスティバルまでの一体的取り組みを行なうことに関して、「何故社協が撮影会を行なうのか?」との質問を受けたんですがこの回答として社協と地域住民の皆さんとの文化の共有と言う意味から社会福祉法第4条からの説明がつくと思います。
2007/11/02
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雨が続いています。稲刈りができませんね蕎麦の花が黒い実になりはじめました。コスモスの花に出会いました雨上がりですのでまだ水滴の中にうなだれているコスモスや一日雨の中で、お腹をすかしたツバメガが 音をたててやってきました。しずかに暮れてゆく 夜のとばりが おりはじめた
2007/10/08
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2007/10/06
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南信州おひとよし倶楽部で栽培している夢の健康野菜≪アピオス≫別名≪元気回復坊主≫です。11月中旬の収穫を前に、写真撮影用に先採りしてみました小粒ながらとっても栄養価の高いイモですさっと茹でて塩を振りかけました。みなさんはどんな味を想像しますか
2007/10/04
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「MOKU」9月号に多摩動物公園飼育係福田愛子さんが「動物たちの幸せってなんだろう」と言う特集がのっていました。文章の出だしに鳥の雛が巣から落ちていたらあなたはどうしますかと問いかけています。この時、私はずっと昔「カケス」の雛のたどった運命について考え続けていたことがあります。拾われてきたカケスの雛は事務所の人気者で会議中にも机の上をトビマワッテいました。があるとき事務所の外の池の中で大きな鯉に引き吊り込まれた?ことで死んでしまいました。この時結局この雛は巣から落ちたときからこのような運命にあったんだろうかと考えて少し落ち込んでいました。ですが今回福田さんの書いている状況から考えると、落ちた雛を拾ってきた段階から間違っていたんだろうかと愚行であったのかなあと思うところです。雛は結局落ちた段階でもしかしたら親鳥がどこかで次の行動を観察していたのかもしれないし、逆に間引かれたとすれば、落ちた又は別の雛に蹴落とされた段階で、ひ弱な種の選別と言う厳しい選択に引っかかった雛だったのかもしれない。すると、ここに人間が加わったことで本来のサイクルが壊れたのか。もうひとつ、人間が加えた環境破壊でできた「落ちた雛」である場合には助けると書いてありましたので、そうか。「どこからどこまでを環境破壊の状況」といい、「どこからどこまでを自然のまま」と言うのかを考えると又ひとつ新たな思いが加わってきます。例えば写真の「捨て猫ミイ」は親猫が施設の隣の空き家を利用して生んだ子だ。これはどうだろう例えば死んだカケスの雛は 道路のアスファルトの上に落ちて この雛は土手側から巣に這いあがれる状況ではなかったので最終的には別の生き物の餌となる運命だったのかもしれない。ところで私たちの生活上の運命はどうだろうか沖縄の皆さんの教科書問題の根底にあるもの ミャンマーでの軍政下での問題日本アメリカ中国それに連なる国と国、企業の往来、事業と地域の共生だとか 生活の、私たちの生活の根底にある悩み は 自らの業務とどうつながっていくのだろうか??
2007/10/03
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秋らしくなってきましたね。今朝は小雨が降ってました。 栗拾いをしているおじいさんがいましたので車を置いて 少し歩いていたら雨が止んだ 道端に 彼岸花が 咲いていました。 アスパラの実が赤く鮮やかでしたねえ。 白い蕎麦畑の中に 赤い縁取りのある そばの花を見つけました。秋が足早にやってきそうです。 マツタケも出だしたようだしね。
2007/10/02
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だいぶ 寒くなってきました。蕎麦のはなが咲き誇っています。下條村にて 雨上がりに
2007/09/30
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長野県下伊那郡 阿南町では阿南写真倶楽部と阿南町社会福祉協議会が共同で撮影会を企画しています。今回は第三回目ですが どなたか この撮影会ににご賛同いただける方はいませんか。撮影会撮影会に合わせて杉本恭子プロの写真講習会が一緒に行なわれます。関心のある方は是非 問い合わせしてみてください。ここに掲載した写真は 杉本プロが 名古屋市の冨士フォトサロンで開催しています写真展の開催に合わせた パーティーでの 挨拶中の先生です。80人の皆さんが応援に来られました。
2007/09/29
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