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先週を盛りに金木犀が匂ってきた金木犀は「咲いてきた」よりも「匂ってきた」なのだ。匂いに気付いて梢を見上げるとオレンジ色の可憐な花が咲いている。沈丁花、クチナシとならぶ我が家の三大芳香花沈丁花は庭に何本か植えているので、その香りで春の到来を実感する。クチナシは鼻を寄せないとわからない。拙宅には銀木犀もあり、これも芳香を漂わせる。一説には金よりも臭いは勝るともいわれるが、同じ場所に植わっているわけではないので何とも言えない。銀木犀は金木犀ほど花が密集していない。このため金木犀の方が華やかだ。金木犀の花が散り、樹下のコンクリートはオレンジ色におおわれる。それもほんの数日。秋たけなわの10月
2025/10/22
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庭の花 No.41 ナナカマド (バラ科ナナカマド属)ちょっと深山の雰囲気を出したくて植えてみた。植林3年目に花が咲いた。実も期待できるか? 高原の紅葉の代表で、必ず「ブナやナナカマドの紅葉が・・・」と紹介される。確かに真っ赤な紅葉は綺麗だ。樹形も整っており、塀越しに真っ赤な葉と実を覗けるのはなかなか良い。しかし、都市部の公園ではあまり良い色になっていないような気がする。 七回かまどに入れないと燃えないからナナカマドだそうだ。その真偽の程は定かではない。確かめようにも紅葉や実の美しい木として流通しているものを、簡単に燃やしてみる事ができない。 だいたい「かまど」自体どこにあるのだろう。 焚き火も難しいご時世で、確かめる術が無い。 それにしてもバラ科の勢力の強大な事! サクラやリンゴがバラ科と言うのは納得しても、こんな雑木のような木までバラ科とは!
2008/05/12
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自分が歩いたところをマーキングするのは楽しい。鉄道路線図や白地図のように塗りつぶしや書き込みができる本?が売れているそうだ。暇つぶしと言うより本気になってしまう。 忘れていない限り塗った日本全国白地図が上写真。住んだ事が無い関西以西は白いところが多く、むらが無いよう塗って行けたら、楽しい老後になりそうだ。 いつの間にか47都道府県で行った事が無いのは島根、鳥取の二県だけになった。仕事は無く、九州や四国に行ったついでに寄れる場所でもなく、山陰は行きづらい。 行く事だけを目的に、寝台特急サンライズ出雲にでも乗ってみなくてはならないのかも知れない。岡山、徳島は列車で通過しただけで足を付けていない。 何度か九州へ行っても、山陽新幹線に乗る機会は無かった。大阪を超えると飛行機が普通になってしまった。旅好きの私でも乗った事が無いのだから、北陸新幹線や北海道新幹線を作って、誰が乗るのかふと考えてしまう。
2010/08/20
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魚を焼くときに包んだアルミホイルを、うちのシバワンコが食べてしまった。ごみ漁りをするワンコからカミさんが取り上げようとしたところ反射的に飲んでしまったらしい。厚さ10μのアルミ箔、どうってことは無いと思っていたが、カミさんも娘も右往左往、夜中なのに救急犬猫病院に連れて行くという。それで気が済むならと車を出した。レントゲンを撮ったところ、それらしい異物は見つからない。ただし、箔であればレントゲンに写らないらしい。吐かせることはできるが、痙攣を誘発する恐れがあるという。「どうしますか」と獣医さん。カミさんはどうしようと私の顔を見るが、私はこのまま様子を見ると即断。考えるまでもない、無理に吐かせたところでペラペラのアルミ箔が出てくるだけだ。大半は胃を通過してしまっているだろうから自然に出てくるのを待つより他ない。腸に詰まったらどっちみち切らねばならない。診察料は12,000円ほど。ちょっとお高いが救急でレントゲン写真も持たせてくれたのだからまあ、こんなもんだろう。獣医さんは「アルミ箔は胃で溶けない」と言ったが、そんなことはないだろうと帰宅後実験してみた。胃液はpH1.5程度の希塩酸、同程度のトイレ掃除用の希塩酸にアルミホイルを浸けてみた。1時間もしないうちにアルミは影も形もなくなった。結局次の日の便にキラキラするものがちょっと混じっていただけで、めでたしめでたし。写真を見ればオスだと知れる。人間ならどうなるか、やったことがないので分からない。
2017/06/05
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このブログとしては非常に珍しく、かなり重い話題です。2015年1月心筋梗塞で倒れ、九死に一生を得て生還しました。5年経過し再発の恐れも今のところほとんど無く、日常生活はあまり不自由なく過ごしています。同じ病で苦しむ人たちの参考になることを願い、闘病記として公表することにしました。1.発症 2015年1月25日(日曜)、尋常ではない苦しさに休日診療をしてくれる病院を電話で探し求めていたちょうどその時、意識を失い倒れた。心肺停止数分、意識不明4日、その後22日間入院して危機を脱し帰還できた。 発症は正に青天の霹靂だった。2014年の暮れより悪心や上腹部痛があり消化器の病と思い込んでいたため、循環器ではなく消化器科の医院へ通い、心臓のトラブル(すくなくとも狭心症は起こしていた)を見過ごされ、致死的病魔の進行に気付くチャンスを逸してしまった。2.前兆 1994年脱サラし歩行距離が減ったのと時を同じくし、血圧は高めになった。降圧剤を処方されていたが眠気が強く、そのためまじめにコントロールしていたとは言えない。2014年秋には平時にも収縮期血圧が180mmHgになることもあり、これはさすがにまずいぞと思ったが、生死の境まで差し迫っているとは考えもしなかった。 後になって思えば心臓病の前兆はあった。2011年、作業時に背中の激痛があった。2012年、走った後に背中が疼くようなこともあった。2014年の5月には東京の神楽坂を上っているとき、6月には蔵王山の駐車場からのわずかな上りで胸痛を起こした。この時も胃の痛みと思い込み、しばらく休んで回復したために放置してしまったが、正に狭心症だった。 心筋梗塞で他界した父は、その8年前に動脈硬化による下肢動脈閉塞をおこし、これは叔父も同じだった。私も同様に下肢から動脈硬化の症状が出るものと思い、いきなり心臓がやられるなんてことは考えもしなかった。3.救命 発病してしまったことは自業自得かも知れないが、その後の経過は神の意思が働いたかと思うほどで、運が良かったと言う一言では片づけられないような気がする。 家内が救急車を呼んでいる間、たまたま5分前に帰宅した娘が心臓マッサージをしてくれた。その前年、職場で救急救命の講習があり娘が課を代表して受けさせられたそうだ。 所轄の消防署から家までどんなに急いでも5分はかかる。ほどなく到着した救急隊員が真っ先にAEDで蘇生を試み一度で成功した。通常の救急車の他に仙台に一台しかないドクターカー(医師の乗っている救急車)もほぼ同時に到着し、どんな治療をしたか知る由もないが車の中で応急処置を受けたらしい。救急車のバックアップに消防車も来てくれたそうで、重篤だとは言え患者一人に車3台も動かしてくれた手厚い救命体制に感謝しかない。国立医療センターにすぐさま収容されたが、一番近い大病院が受け入れ可能だったこともラッキーだった。 四日間は意識不明だった。体温を下げ、心臓の負荷を減らす治療も行われたらしい。最悪脳死、あるいは植物人間になることも覚悟するよう家内は医師から言い渡された。4.闘病・リハビリテーション 倒れて四日目に深い眠りから覚めたように次第に意識が戻り、ICUからナースステーション脇の病室に移された。「眠り過ぎたがまだ眠い」という感じで、状況を全く理解できない。ただ、起きなくて良いのだと言う気がし、夢と現の間を彷徨していた。 海底に居るのかと思った。無数のチンアナゴの群れが、頭を曲げ這い出して来る。点滴液をぶら下げるS字型をした金具だった。ベッドの周りに踊り子がずらりと並び、スカートを持ち上げフレンチカンカンを踊っている。ベッド回りのカーテンの襞だった。死にかけたと自分では思っているが、幽体離脱した記憶は無い。そこまでにはまだ余裕があったのかも知れない。 八日目に一般病棟に移りベッド上で体を起こせるようになった。前後の事を思い出そうとすると、倒れる前半月ほどの記憶がない。ペンを握れば小学一年生のような字しか書けず、自分では正気のつもりでも、言っていることがめちゃくちゃだったと後に家族が言う。 それから約一週間、関係した多くの医師も驚く程の回復で、一月後に調べた脳のダメージは測定不能、「問題無し」の判定だった。この段階で退院、自宅療養となるが、記憶力の衰えははっきり自覚できるレベルで、血圧を測ってそれをメモするほんの数秒、計測値を覚えていられなかった。そんな状態は日に日に改善されたが、平常に復するまで半年はかかったと思う。今も何年か前の記憶力には遠く及ばない。それは単なる加齢による変化なのだろうか。5.転院 その年の秋、重症患者以外は診ない国立医療センターから放り出され、近所の循環器科医院を紹介された。家から近いと言うだけで紹介してもらった医院は、幸いなことに理想のホームドクターと言っても良いような名医だった。気さくで偉ぶらず、診察室からはいつも笑い声が漏れる。しかも抜群に頭が良く、カルテで確認するまでもなく私の体の事を覚えていてくれる。心臓に限らずここで診てもらい治った病は複数になる。甲状腺機能障害(うがいのヨードが原因だった)、原因不明の消化不良、風邪症状等々。 体の理解が進むと自分の体が興味の対象となり、入手可能なデータとにらめっこをしている。十種類近い薬を処方されると効いているのか副作用が出ているのかさえも分からない。自分で薬の量を調整し、体調変化との因果関係を観察してみると、胃酸を抑える薬(PPI)が時に逆に作用し、胃酸が出ずに消化不良を起こしていることを気付いた。携帯心電計(イベントモニター)を購入し、病院では心臓ではなく胃の痙攣だと言っていた現象が、モニターで記録された心電図の波形から期外収縮だとわかった。しかし、大病をした多くの人と同じように、どうしても神経質になり勝ちだ。自分があまり詳しくなるのも神経をすり減らすことになり、何事も程度問題なのだろう。6.社会復帰 倒れたその年は、血圧の乱高下や胸部の違和感などがあり、何度か時間外救急診療のお世話になった。やがて不調は少なくなり、4年目には定期診察だけで乗り切れた。一部の心筋が壊死したため全快と言うわけには行かず、雪かきなどの力仕事は厳禁と言い渡されていたが、4年目には木に登って伐採までできるようになった。しかし飛んだり走ったり急激な負荷をかけるのは無理。未だに時々出現する不整脈で悩まされ、薬の副作用か、倦怠感、睡魔にも見舞われる。しかし、それだけ。ウォーミングアップをして血管を広げなければならないが、極寒でなければ普通に1時間でも歩ける。 起きてしまったことは仕方のない事、不調はいっぱいあってもこの体に慣れるより他無い。死んでも不思議ではない状況から生き返ったのだから、まだ仕事があるよと神様が言っているのかも知れないし、今回は助けてやるが次は知らん、と言っているのかも知れない。 助けられた命で他の人のために役立つ事をすべきか、せっかく助かった命なのだから、残された人生を無理せず楽しく過ごそうか・・・。ようやく悟ったのは、人の役に立つ生き方を選ぶことと、安楽に過ごすのはおそらく対極ではない。無理をしないで生き続けることが二つの思いに適い、神の意思にも沿うものではないかと考えている。7.教訓 非常に幸運な推移で生還できたと言っても、やはり後悔はある。私の経験から次の事を伝えたい(1) 先入観を持ってはいけない心臓が悪いとは思いたくない。ならば他の病気であってほしいとの望みで資料を探す。このような先入観が、「正常性バイアス」となって非常に危険な状況を自ら招いてしまった。胃が痛いと申告したのが間違いの元だった。(2) 病気の進行は教科書通りではない。自分でも体の不調に対してある程度調べてみた。しかし、教科書通りではなく心臓の病と気付き難かった・心筋梗塞の胸の痛みは「我慢できない痛さ」と書いてある本がある。しかし、我慢できた。・典型的な症状とされる下肢のむくみ、冷汗、吐き気、そういうものは全くなかった。・同じ運動をしても症状が同じとは限らない。同じ坂道を同じように上って、胸痛が起こるときと起きないときがあった。ウォーミングアップによって血管が開いていれば痛くならないこともある。そんなことが書いてある資料は全く見当たらない。・体重が減少することもある。心臓が弱り体抹消部の水分を吸い上げられず、体がむくみ体重が増加すると書かれているものが多い。しかし私は体重が減っていた。心臓の不調が胃の不調を誘発したのか、倒れる一ヶ月前辺りから食欲が無くなり、痩せて来ていた。体のむくみは無かった。(3) 信頼できる医師を見つけること不調になって二カ所の病院、医院を訪ねた。自分で胃が痛いと申告してしまってはいたが、心臓ではないかと疑問を呈してくれた医師は一人もいなかった。 より悪い方に考えがちな医師と、患者を励ますつもりか大したことないと言う医師がいる。患者は自分にとって望ましい方の診断を期待するが、悪い方へ考えてくれる医師の方がはるかに良い。その後の経過はこちら「心筋梗塞から5年 回復に向かっているようだ」2020.1.7 追記2020.1.6 NHKで放送されたガッテン、「激痛でも放置!?心筋梗塞の意外な落とし穴」https://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20210106/index.htmlは良い番組だったと思う。正に番組の通りで、私も1.「正常性バイアス」、2.すぐに収まった 3.心臓の病気と思わなかった ことにより、適切な病院に行かなかった。病院には行ったが、見当違いの呼吸器と消化器で、医師に循環器の病と鑑別してもらえなかった。この番組をもっと早く見ていたなら、より軽症で済んだと思う。今考えれば心臓の病気の兆候はいくらでもあったのに、胃のトラブルと思い込んでいたのが一番の失敗だった。ついでに書いておく。当然ながらタバコ厳禁私はヘビースモーカーと言うほどではないが、一日3、4本を燻らせていた。一カ月程度の禁煙(その程度なら何回か経験あり)で、血圧が下がるのはわかっていたが、完全禁煙に踏み切れず、それがある程度の高血圧を容認する理由にもなっていたと思う。また、体調が悪くなってきたとき、タバコに一時の安らぎを求めていた嫌いがある。一日も早く断つべきだった。それから6年、完全禁煙は無論の事、50m先の喫煙でさえ嫌悪している。2021/12/20 追記 心房細動で一泊入院
2020/01/12
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11月に野沢菜漬けを漬け込んでみた。 漬け込んで数日経つと水が上がってくるというが、さっぱり上がって来ないし、味見してみるとはっきり言って不味い。自分の作ったものが不味いというのは相当のこと。 テキスト通りに作ってみたのに、何がおかしいのだろう。大きい樽で大量に作らないと美味しくならないという話も聞いた。少量では美味しくできないのか・・・・ 大量なら美味しくできる・・・スケール効果だろうか。樽の形が相似形だとすれば、容量は大きさの三乗に比例し、面積(例えば底面積)は大きさの二乗に比例する。どうもこれが鍵らしい。 50Lの樽に野沢菜なら約30kg漬け込めるらしい。教科書によれば野菜の重量とほぼ同じ重さの重石を載せろという事なので、30kgの重石を載せる。相似形をした5Lの樽なら、3kgの野菜を漬けられれ、重石の重量は3kgと言う事になる。 押し蓋の形も相似形で、大きな桶の方の直径が50cmなら、小さな方の直径は23cmすると、押し蓋の単位面積当たりの加重は、大15.3g/平方センチ 小 7.2g/平方センチとなって、小さい方の桶で押す力は大きい方に比べ、約半分になってしまう。これでは同じに漬かるはずがない。 重石の効果は、漬物の上から下まで同じくらいの力で及ぶ。下の方の漬物は上の漬物の重量も加わるが、完全に水の中なら浮力が働き上も下もあまり差は無いと思う。従って同じ樽で重石の重量は、野菜の重量比例ではなく一定にすべきではないか。結論:漬物石の重さは、野菜重量や樽の容量ではなく、樽の面積(例えば底面、あるいは押し蓋の面積)を基準にすべきである。常識外れに重い重石を置いてみた。こちらの方がはるかにうまく漬かるようである。現在熟成中とにかく、漬物は水の中に沈めなくてはだめだ
2021/12/27
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10日ほど前からナツツバキが咲き始め、今は盛り、しかも蕾がいっぱいついている一日花ですぐに落ちてしまい、下の地面は白く覆われているほどだ普通のツバキのような照葉樹ではなく、落葉樹のため葉は薄く緑陰が暗くならないで良いそんな風情が清楚にみせ、梅雨空の清涼剤になってくれている
2023/06/30
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年齢とともに頻尿になり勢いも無くなってきた。かといって切羽詰まった症状というわけでもない。蜂に刺され皮膚科に行き、ついでに泌尿器の方も見てもらった。この時は肛門から指を突っ込み、触診で前立腺肥大症と診断された。薬で流量は増したが、エコー検査で残尿が多いという。0にならなければならないのに、100ccもあるらしい。そこでちょっと大きな病院を紹介され、膀胱検査のために膀胱内圧測定を受けることになった。その時に渡された案内文章がこれ、 なんだか怖い検査のようだ。尿道と肛門からカテーテルを入れ、圧力を測定するらしい。よくわからず調べまわったところ、下記のサイトが一番わかりやすいと思う。https://www.kango-roo.com/learning/1916/シニアになっても恥ずかしくないわけがないし、痛いのなら覚悟しなければならない。どのサイトも医療者が書いたもので、心配ないと言うばかり。患者の立場で書かれた体験記が全く見つからない。仕方ない、一肌脱いで私が書くか。検査予約は13:30から。排便を済ませて来いと説明書に書かれている。念のため9:00に浣腸をかけ、空にしておいた。そこまでしなくても当日排便があればそれで良いようだ。検査担当は女性の看護師さん二人、一人は30代の手慣れた感じの方、もう一人は助手か見学か不明。検査室に入ると、ズボンとパンツを脱ぎ、検査用のパンツに履き替える。前と後ろに大きな穴が開き、履かないのとあまり変わりないような気がする。始めにベッド上で仰向けに寝る。この状態で尿道にカテーテルを通す。触られているのはわかる。何をしているか頭をもたげれば見えるのだが、見ないで力を抜いていた方が無難なようだ。尿道を通すとき、時々ウッと声を出したくなるような痛みはあるが、瞬間的に数回あるだけ。想像したほどではなく、膀胱まで通ると異物感はあるものの痛くはない。次に椅子に手をつき、お尻を突き出して肛門からセンサを入れる。たいへんな格好だが、これはどうということはない。尿道が蜂に刺された程度とすれば、蚊に刺された程度の違いがある。二本の管がつながると洋式便器のようなものに座らされる。チューブと電極を繋ぎ、測定開始となる。生理食塩水500cc?のパックからはチューブポンプを介し、食塩水を膀胱へ送り込む、流量は毎分50cc程度ではないかと思う。尿意を感じた時と、そろそろ限界の時に知らせるように言われ、心を無にしポンプと食塩水パックを見つめている。尿意はほどなく感じた。しかし限界というのがよくわからない。頑張ればいくらでも溜められそうな気がするが、いつもの畜尿量から考え250cc程度入ったと思われるところで止めてもらった。その後、排出する圧力と流量を調べていたようだ。「残った尿を出してください」と言われ、チューブが入っているのでどうするのかと聞くと間から流れて行くという。しかし、異物がある状態で、看護師さんが観察しているときに出るわけがない。凝視しているわけではないが、横目でちらちら見ているのは百も承知。時間はかかったが、何とか排出できた。検査はこれで終わり、看護師さんがチューブや電極を外してくれる。尿道カテーテルを抜くときは入れるときに比べ、半分以下の痛さで抜けた。チューブを尿道近くに固定していたテープは自分で外せという。しかしこの粘着力が強力で、体のデリケートな部分に張り付けたため自分で外しても結構痛かった。このテープに血のようなものが付いているし、便器にもほんの僅か桜色がかったおしっこが溜まっている。看護師さんに皆こうなるのか聞くと、「なる人も居ますよ」と軽く答える。大したことではないのかもしれない。着替えて感染予防のため抗生剤を一錠飲んで終わり。案外簡単に終わってしまった。人はどう思うかわからないが、私にとっては胃内視鏡を飲むより簡単だったような気がする。血尿と感染症予防のためいつもよりたくさん水を飲み、おしっこを出せという。また、尿道の違和感は二三日あるかもしれないが、すぐに治ると説明書に書かれている。終了後30分ほどで血尿を心配しつつトイレに行ったが、きれいな尿で安心した。2時間後には違和感も無くなっていた。結果膀胱は十分弾力があるから問題ない。前立腺肥大も大したことはないが、残尿が多いのは肥大した前立腺の形が悪いのではないかと先生の診断。どうしますかと問われ、尿閉だけは避けたいしこれ以上内服薬が増えるのも抵抗がある。数秒考えたが、手術する方向でお願いすることにした。最短6月、心の準備があるので7月ということで調整してもらう。心配するほど痛くない検査だということはわかった。この年になると恥じらいなんてものはほぼ無いから、特別恥ずかしいとも思わないが若い人なら相当抵抗がある検査だと思う。この恥ずかしさを軽減するため、男の患者なら男性の医師か看護師、女性なら女性の看護師が検査をするとうたっている病院もある。しかし、どうなのだろう。男性同士なら一層恥ずかしいような気もする。この先はご自分で判断してほしい。
2024/03/27
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十数年前、小さなピラカンサの苗木をもらった。いま、樹高4mほどに成長している。無数の白い花、圧倒的ボリュームの実は目に楽しい。 増やそうと種をとったり、挿し木に挑戦したこともある。しかし、そんな余計なことはしなくて良いと気付く。野鳥(主にヒヨドリ)が食べにきて、あちこちに種を撒き散らしてゆく。要するに所かまわず糞をして行く。 それが望ましいところなら良いが、たいていはどうでも良いところ、時には邪魔になるところから実生が生えてくる。 ピラカンサの棘は痛い。痛い痛い針の棘。バラの10倍くらい痛い。バラが旧石器の鏃(やじり)ならピラカンサは備前長船兼光。そのくらいの違いがある。植木屋泣かせらしい。 そして成長が早すぎる。どうしても剪定しなければならなくなるから、棘との戦いだ。ほんの少しなら美しい。庭中に生えてくるとうんざりする。
2012/01/10
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庭の花 No.40 アザレア (ツツジ科ツツジ属)多分アザレア、そしておそらくザクセンスターと言う園芸品種(だと思う) 子供が中学卒業記念にもらった物。しばらくすると放り出し、枯れるのが分かっていたから地植えにした。ツツジ科に準じ、鹿沼土を主にしたが、植えてから数年、ほとんど大きくなっていない。 今は何でも揃っている時代なので、卒業記念品の選定は難しいことだろう。邪魔になって捨てられるくらいなら、食べ物のように無くなってしまう物の方が良い。 鉢植えも悪くない選択だと思う。花束の代わりで、その後に成長し続けるのは「おまけ」だと思えば、贈る方も貰った方も気にならない。 しかし、思い入れが深くても枯れてしまう鉢もあるし、忘れられても庭の片隅で成長し続ける物もあるかも知れない。5年後の生存率を調べてみたい気がする。20%位かな?
2008/05/11
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久しぶりに葬式ネタ告別式で弔電披露と言うのがある。司会者は「順不同です」と言うけれど、それは嘘。事前に喪主、あるいは順ずる人が読みあげ順に並べ替える。それでちょっと失敗した。地域の有力者の弔電を議員の弔電と同じ扱いにして、一番最後においておいた。ところがその関係者が告別式に列席していた。これは想定外で「しまった」と思った。この順にしておくのが無難だろう。1. 心のこもったもの2. 地域の有力者と取引先3. 定型文の親戚、知人4. 葬儀に列席するはずが無い取引先、議員
2009/06/02
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35年以上前、毎日池袋、新宿間の山手線に乗っていた。高田馬場駅前にあった有名な噴水、いつ無くなってしまったのでしょうね。 当時、池袋から乗る朝の山手線は本も読めない混雑で、車窓を眺めるのが唯一の退屈しのぎだった。乗換えの都合上、高田馬場ではポルノ噴水の前で止まる車両に乗っていた。 「質スズヤ」と書かれた扇形のネオンサイン、その前に立会いの力士のような格好をした男女の人形があった。男の方は故先代貴ノ花、女の方はマリリンモンロー、質屋社長の贔屓だと友人から聞いた。 その中央から噴水が出て、人形を乗せたまま土俵が回る仕掛けだったと思う。ポルノと言っても黙って下を向く必要はまったく無く、「何、あれ?」と老いも若きも口をあんぐりさせる程度のもので、質屋の宣伝効果は十分だったはず。 高田馬場を通過する機会も少なくなった。目白に泊まり、車窓に目を凝らしていると、たまらなく懐かしくなってきた。いつか、気付かぬうちに無くなっていたその噴水、今でもありありと目に浮かぶ。
2011/06/08
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我家の三大芳香(沈丁花、金木犀、クチナシ)の一つ、沈丁花が花盛りだ。恋をしていた頃の匂い、と言えば笑われるだろうがなんともうれしくなる。鉢植えにして室内に持ち込めば、家中にほのかな甘い匂いが漂う。 沈丁花は寿命の短い木だが、幸いなことに挿し木がとても簡単だ。地面に直接挿しても良いし、植木鉢に挿しても良い。特に気を付けなくても、定着率は80%以上なのではないか? 写真は挿してから3年目。そろそろ定植しても良いかな、と思う。それまでは玄関に置いておこう。
2015/04/05
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