15 周りのせいにしているうちは心の病は治らない
自己本位の極限がストーカー
自己本位になると、モノごとがうまく行かないのは、人間関係にストレートに現われます。
今、ストーカーが話題になり、社会問題になりつつあります。ご承知の方も多いと思いますが、ストーカーは、自分の想いを寄せる相手をつけ狙い、電話をかけたり、尾行したりして、相手を悩ませます。そして、始末の悪いことに、相思相愛であるという幻想を抱くのです。相手が否定しても、断わっても、自分本位に解釈して、相手に拒否されたことを認めようとせず、周囲にそれを邪魔する人がいると、排除しようと暴力をふるったりします。
たとえば、相手が独身で、両親がかばおうとすると、その親に対していやがらせをしたりついには殺傷したりすることもあるのです。これをドラマの中のフィクションと思ったら大まちがいで、実際にテレビでも何件か実際に起こった事件が報道されています。
テレビニュースになるのは、よほどのことで、水面下には、類似のトラブルに悩まされる人が想像以上に多いものと思われます。また、ストーカーの対象が妻帯者だと、配偶者に対して憎しみを抱き、危害を加えたりすることもあるようです。
専門家によれば、これも、幼少時に受けた心の傷がこのようなストーカーの異常心理、異常行動に結びつくといいます。また、ある人々にいわせれば、社会環境の産物だ、とも考えられます。それらの説は、ある程度認めるとしても、ストーカーこそ、自己中心の悲劇の極限にあるといえるでしょう。
あるがままにものが見えず、自分本位にしか考えることができない状態もここまでくれば何をかいわんやです。自分はもとより、多くの人々を不幸と悲劇に巻き込むこれほど恐ろしい存在はありません。もし、こんな人々が、私たちの周りにあふれたら、社会はパニックに陥ります。
いや、冗談でなく、それに近い状態が私たちの周りに忍び寄っているのです。
社会環境の産物といってしまえば、それまでですが、要するに「わがままの極地」で、見えるはずの目が見えなくなっている心の状態です。
どういう環境で育った人がこういう状態になりやすいか。それは、未だ研究段階の域を出ませんが、おそらく
・何でもわがままが通る環境、それでいて、本当の愛をかけてもらえなかった環境が、ストーカーの温床ではないか、といわれています。
つまり、お金は豊かで、何でも買い与えてもらえるが、本当の心の通った愛はなく、そういう温かい愛に飢えた状態がこういう歪んだ心の持ち主を生み出した、といってさしつかえないと思います。
この定説が妥当であるとしても、当事者は「キミの育った環境が悪かった。キミの潜在意識は愛情に飢えている」といわれても、本人はどうしようもないのです。このへんに、現代精神医学、心理学が冷たく、しかも役に立たないという批判の的になる事情があるように思われます(第一章)。
また、対象となる被害者やその家族など関係者も、どうしようもないのです。
もっと、有効、適切な手がほしいものです。
やはり私は、本人の育った環境が悪かったとしても、それに甘えることなく「自分の行動は自分が責任をもつ」という「自覚」をもつところから、すべては始まる、と確信しています。
ストーカーをはじめ、精神、神経の障害者にいたずらに同情し、「それはキミのせいではない(環境のせいだ、生い立ちのせいだ、社会のせいだ)」と慰めるようなやり方を、カウンセリングだと誤解する向きもありますが、こういう専門家の姿勢は、世の中を混乱させるだけであり、クライアント(患者)の回復を遅らせることになります。
からだの病気の場合を考えていただけば、このような甘やかしの姿勢が、無意味で、有害だということはすぐわかるはずです。
心の病をもつ人には、病であることを告げ、治すように励まし、指針を与えるべきだと私は基本的に考えます。
確かに、心が傷ついた人が、真実に目ざめる時、痛みは伴ないます。しかし、それを「自覚」し、「自分で乗り越えよう」と気づいた時から、癒しへの道が始まるのです。これは、神経症の経験があり、その後カウンセリングのキャリアも積んだ私の体験からはっきり確信をもっていえることです。真のカウンセリングは、クライアントが自分の正しい姿をつかむようサポートすることです。
もとよりクライアントの状態によってTPOを選んで、硬軟両面から専門的なアプローチをすることが必要です。
が、原則的には、
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