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くにしよしひこbill@ae.auone-net.jp
2020.11.28
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全世界に感染者が蔓延、死者も多数、東京オリンピックも延期、孤独から鬱、自殺者も多数。これを防ぐには「孤独にならないこと」私たちの展開しているオンライン会合。みんなで励ましあって、元気になりましょう。参加希望者は当方へ国司義彦(くにしししひこ)
2020.11.28
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歯医者さんおおむね淳著だが、虫歯が一本、だから、来週も
2020.06.19
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川上さん、手塚さん 今日からしばらくDay Serviceしばらくお休みします。体が悪いわけではありませんので心配しないでください。コロナついに県北(大田原)まで来たようです。くれぐれも気を付けてください。あなた方は若いから気を付けるのは私たちかもしれません。今のところ妻も元気です。では、ウェインダイヤーの本を読んでますます元気で幸運と奇跡を!会場の棚にあるわたしの本も読んでくださいね。国司義彦
2020.04.28
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来週24日贈呈の予定。
2020.03.18
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夜のTV健康番組で「アスパラは血管年齢を若返らせる効果がある」「佐賀県のアスパラ農家は血管年齢がすごく若いそうですよ」頑張ってね!
2020.02.27
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川上さん 本が明日私の手元へ届きますので、来週持参します。それと、本棚にある「生きる勇気が湧いてくる本」(黄色い表紙)も有益な?本でしょう。
2020.02.26
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コロナ性は家㎜流行は、人類が浮かれ過ぎていることに対する「天」の警告すえーでんの少女グレタのいうように世界の政治家、権力者が地球環境の悪化を無視して自己中心の勝手放題…経済中心の政策をやめようとしないことに対する「天」からの警告だ。
2020.02.24
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今日も出来ない。
2020.02.18
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2週間ぶりで川上さんや手塚さんさわやか母親組のサポーターの笑顔を見ることができた。向かいの席のM氏が盛んに咳をするので、マスクをした。次回からは席を変わろう。今日は風呂が熱くて気持ちよかった。そのせいか、午後帰宅して熟睡。でも30分の昼寝。これは健康維持に最適という。
2020.02.18
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今日は歌謡教室が休みなので、一人カラオケのつもりだったが、早朝から大木な声を出すのもはばかられてクラシックのCDヲ聞いているとふと目の前の花が開花しかけているのが目に留まり名曲を聴きながら目の前の花を描く。不思議に絵が品のあるものになっていく。これが建設的な生き方だと思った。
2020.02.12
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やる気を取り戻すには、体を動かすこと
2020.02.03
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人間はいかに丸くても、どこかに角がなければならぬもので、丸すぎると帰って転びやすくなる。8渋沢栄一「論語と算盤」より
2020.02.02
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1どんな立場、環境でも心身健康で快適でいられること2自信をもって収入を得ることができる仕事上の知識、技能を持っていること3状況を見極める目4感性5 自分の個性を知って、好きなことや得意な技を磨くこと6人を知り生かすこと7人を見る目
2020.02.01
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ホワイトカラーや官僚は理屈だけで判断をするが、末端現場を知らずに判断を誤る恐れがある。例えば、「外国で売れている商品が売れるはずだ」と思って市場に出すが、だっぱり売れない。日本人の嗜好を知らないからである。あるいは、消費税が実施できるはずと思うが実施できない。「個人番号カード」がさっぱり定着しない。なぜだ?と考える。庶民の感覚がわからないからである。
2020.01.31
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東芝、シャープなど大手の会社に就職して一生安泰のつもりでも、最近は世界的な為替や景気の動向で、いつ経営の危機が来るかわからない。だから、社長のつもりで考えること。とはいえ、これはなかなか難しいんので株価の変動や、業界の動向などに関心を持っておくこと。そして、いかなる時にも、自分一人くらいはしばらくリストラにあっても生活できるくらいの貯金はいておくこと。
2020.01.30
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新しい職場へ配転されることになった。その職場の先輩は「怖くて厳しく意地悪」とのうわさがあり、私が配転になると聞くとみんな「かわいそうに」と同情的だった。戦々恐々覚悟を決めて新しい職場で仕事を始めると噂とは大違い、その人は原則に忠実な仕事をする人だった。それにこのYさんには弱みがあった。それは「文章」。文章が得意だった私はYさんに代わって社長や幹部のための挨拶を担当、Yさんには大いに感謝された。 人間にはどんな人にも強い点弱い点がある。自分の強い点、得意な点を生かし弱い点を持つ人を補ってあげれば、お互いに助かるし、楽しく仕事ができることをこの時の経験は物語っている。
2020.01.29
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いじめに対抗するには強い信念を持つことだ。こちらが深淵を持てば、いじめるほうはよわ腰になる。そもそもいじめる側は「弱い」からいじめるのである。毅然とした態度でいれば、相手は逃げ腰になる。
2020.01.28
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状況判断の適切な人はいうことや行動に自信が持てるし判断のできない人は自信がない。自信がないからあっちへ頼ろうか、こっちへ頼ろうかと信念もない。だから、いじめの対象にもなる。
2020.01.27
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1 なぜ、強く主張できない? 気が弱くて損をしている人は意外に多いものである。日ごろ言いたいことも言えず「誤解され」悔しい思いをしたり、希望を聞いてもらえなかったり、いつも気の強い人の言うなりに成ったり…もっとひどい場合は理由もないのに「いじめ」の対象になることもあるだろう。「強くなりたい」と思うのだが生まれつきの性分で強くなれない。 しかし考えてみると「気が優しすぎる」というのは生まれつきなのだろうか。まえがきでも述べたように、人間、体の丈夫な人もいれば、生まれつき弱い人もいる。 「心」にも生まれつき“強い”人と“弱い人”があるのだろうか。 そうだとすれば、この競争社会に生き残ることは困難だ。不公平だ、と思う。がそう、思ってもどうしようもない。 結論的に言うと、生まれつきもあり、育った環境の影響もあり「何が原因で心の弱い人間になったか」は、一言で決めつけるわけにはいかない。 が、さらに開き直って考えてみよう。かりに原因がはっきりわかったとしても、気が弱いのは、それだけでは治らない、それよりも大切なことは第1章 あなたは「優しい性格」?「強い性格」? ・どうしたら、「強くなれるか」を知ることだ。 それさえわかれば、過去がどうであれ、生まれつきがどうであれ、問題ではない。「強くなればよい」だけの話だからである。ここまでかなりしつこく話をしてきたのは、わけがある。 人間の性格は「遺伝」か「環境」か心理学の長い間の論争のテーマであり、偉い学者の間でも、未だに明快な結論は出ていない。 そんなことを論じるのは学者に任せておけばよいことで、ここで大切なことは、現に生きている人間が悩んでいる問題を解決できるかできないか、が我々には大切なことである。 今「弱い性格」で損をしている人がどうしたらよいか、という問題を解決するには、少なくとも「原因」を究明しても解決できない、ことだけは確かである。そういう遺伝子を親や先祖から受け継いだにせよ、環境が悪いせいで弱くなったにせよ、「過去」を知っても「現在」の問題は解決しない、これは、明らかなのである。ではどうするか。そこで、この話を一時お預けにして話を先に進めよう。」
2020.01.26
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プロローグ 「品格ある賢者」入門 私は拙著「ちょっと先が見えて来る本」(1989年産能大学刊)の中で、「精神貴族」とうコンセプトを紹介し、ストレス社会を乗り切るには、 ・精神的に「自由」であること、つまり、何ものにも、そして誰からも拘束されない生き方として「精神貴族のすすめ」を説き、精神貴族になる7つの条件を解説した。 その後、いろいろの文献を参考に、精神貴族とは、結局「心=魂を磨いて, 「品格ある賢者)」であるーという結論に達した。その骨子を紹介し参考に供す。 *「品格ある賢者」の条件 本書では、一般読者にはわかりにくい「精神貴族」をよりわかりやすい「品位ある賢者」と言い換えて説明する。 第1条:品位ある賢者は「貧乏」ではない。そのために彼(彼女)らは、安定した収入源をもっていることが必要である。それは、経営の安定した企業や役所勤務の給与である場合もある。しかし、彼(彼女)らは、その勤めを「食べるために仕方なく続けている」わけではない。 第2条:彼(彼女)らは、自分の信念を曲げたり、誇りを失ってまで勤めを続けようとはしない。勤めを辞めても、生活を支える収入源がほかにあるか、または組織に依存しないでも収入をあげる技能、技術、ノウハウを身につけているから、仮に現在の職場を辞めても、直ちに生活に困るようなことはない。彼(彼女)らが、今の仕事を続けようとするのは、その方が便利であり、楽しいし、効率的でスケールの大きな仕事もできるからであって、決して辞めると生活に困るからではない。 第3条:品位ある賢者は、価値のあるテーマ、目標をもっている。 ここが、現代社会では、最も大切なこと。今、生きる価値を見失った若者が薬物依存やいじめに傾倒する傾向がある。 これに追い打ちをかけるように、政府までカジノ法案を強行採決により合法化して、若者、中高年を問わず、「生きる価値、人生の意味を見失った人たちを危険な方向へ誘導しようとしている」。カジノは、一時的には地域経済を活性化するが、間もなく民衆は、カジノに飽きて、かえって、衰退、地域に不況、失業をもたらすという前例を識者は指摘している。目先のギャンブルによる経済活性化に目を奪われる政治家、そしてそれに踊らされる民衆は愚かである、 価値のあるテーマ=当事者にとってもちろん価値があるのだが、それだけでなく社会性のあるテーマのことを指す。人の悩みを解決したり、人の役に立ったり、人を喜ばせたり、励ましたりするような何らかのテーマである。 第4条:品位ある賢者は、価値あるテーマを達成するために努力することによって、人と喜びを分かち合い、自分自身も、それを生きがい、心の支えとしている。 第5条:品位ある賢者は、自分自身のことをよく知っている。従って、自分自身の力を最大限に引き出し、生かす術を心得ている。他の人々が苦痛に感じることをやすやすとやってのけたり、人が感じるほど苦痛だと感じない。むしろ「楽しんでいる」ようなところさえある。だからこそ、収入の面でも、普通の人よりは恵まれているのである。 第6条:彼(彼女)らは、一般に質素である。しかし、それは彼(彼女)らがケチなのではなくあまり意味のない贅沢にお金をかけたがらないだけの話である。「心の安らぎ」のためには、思い切った支出も拒まないし、たとえばブランド品や高級品や高貴な雰囲気、珍味などのよさも一通りは理解している。 ここで第1条と第2条について「勝ち組」「負け組」と関連付けて考えてほしい。第1条:品位ある賢者は「貧乏」ではない。第2条:彼(彼女)らは、自分の信念を曲げたり、誇りを失ってまで勤めを続けようとはしない。 「持てる者」、つまりいわゆる「勝ち組」大金持ちや権力者たちは、この条件の1条は既に満たしていることが分かる。では「持たざる者」つまり一般市民はどうか。安定した収入源を持っていればいいわけだから、これもクリアできる人が多いであろう。 問題は、第2条の条件である。「勝ち組=持てる者」は、金や権力を使って、何ごとも思うがままにできそうに見えるが、意外にそうでないことが多い。いや、十人のうち九人までが組織のしがらみ、派閥、資金源(スポンサー)などの関係で、身動きとれない状態だ。これでは品位ある賢者にはなれないのである。大物といわれるほど「不自由」なのだ。 一方、一般市民はどうだ。これも、大ていの人が1条をクリアできるのに対して、2条は、なかなかクリアできないはずである。権威に屈したり、組織の力関係や行きがかり上、自分の信念に反することや不本意なことも我慢してやらなければならない。「すまじきものは宮仕え」とは清少納言の昔から、勤め人の辛い心情である。 「今、上司や周りと気まずくなって、もし会社を辞めたりしたら、ローンも返済できないし、子どもの学資も出なくなる。だから、不本意だが……」と、現実と妥協してしまう。これでは、精神貴族とはいえない。 そこで、2条の後半の部分が生きてくる。すなわち「……勤めを辞めても、生活を支える収入源がほかにあるか、または、組織に依存しないでも収入を上げる技能、技術、ノウハウを身につけているから、仮に現在の職場を辞めても、直ちに生活に困るようなことはない」。 ◎常にウデを磨いておけ 「勤めを辞めても、ほかに収入源がある」というのは、既に持たざる者ではなく、持てる者である証拠だ。だから、一般のサラリーマンは、普通はこの条件を満たすことは難しい。親譲りの財産があるか、若いうちから財テクでもやって個人資産を増やしておくか、奥さんがキャリア・ウーマンで高収入があるか..ということになるが、いずれも特殊なケースであり、一般的なケースとはいえない。だが「組織に依存しないでも、収入を上げる技能……」は、実現可能である。 さらに品位ある賢者の第7条。これが非常に大切だ。 第7条 品位ある賢者は、いかなる権威、財力にも屈しない。彼(彼女)らは、何よりも「自由」を尊ぶからである。 だからこそ、「勝ち組」「負け組」の考えはしばらく忘れようと言いながら、それは必ずしも、「貧乏の勧め」ではなく、ある程度は「お金」も必要といったのである。 この品位ある賢者の第1~7条をさらに絞り込むと、 ・経済的、精神的に「自立する」。 ・価値ある目標をもつ。 ・自分を知り、他人と喜びを分かち合う。この3条件に集約される。 とはいえ、この世の中には、個人の力では抗しがたい、時代環境、流れは確かにある。 しかし、その中で、「品位ある賢者の生き方」を全うせよ、 ということが小生80年の生涯で身に染みた体験であり、フランクル博士や マズロー博士、ダイヤー博士、父国司浩助、渋沢栄一、佐伯邦男博士、各氏から学んだことで、次世代の人々にも伝えておきたい。 これらの条件を前提に、これから、品位ある賢者になる条件,前提、具体的方法などについて、順次考えていくことにしよう。
2020.01.25
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英国のEU離脱、香港、台湾~中國、中南米、中近東 アメリカ~イランそして地球温暖化=オーストラリアの森林火災、日本の相次ぐ自然災害台風、洪水古代のノアの箱舟を連想させる。この危機から脱出するヒント拙著「品位ある賢者の知恵」https://store.shopping.yahoo.co.jp/bookfan/bk-443423045x.html?sc_i=shp_pc_search_itemlist_shsrg_title
2020.01.23
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それは、5年後新札の肖像になる渋沢栄一そして彼を尊敬していた水産会の先駆者我が父国司浩助そして東宝、宝塚歌劇の創始者小林一三の人生観、事業に対する使命感だ。これらの人々は金儲けのための事業でなく・公共の福祉、民衆の喜び、社会の発展が念頭にあった現代ではこのような事業家は極めて少ない。
2020.01.21
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2020年1月5日tbsTVのテーマ「幸せになれない時代」よりその原因は、産業革命以後人類は「経済の成長」を求めて発展’といえるかどうか?)してきたが成長には限界があることを認識し始めた。あるいは、成長しても幸せになれないことを認識するようになった。戦争、格差、そして自然災害ー特に地球温暖化による気候変動は「生存」さえ脅かす事態となった。 そもそも人類の「紛争」の根源には何があるか。 上位26人の冨がその他の38億人の人々の富の合計に匹敵する都いう『格差』 そして、米中の2大国家の覇権争い。そこにはかつて人間の欲求に段階があるというAHマズロー博士の仮設では低次元欲求とされた食、性、権勢欲があり、この覇権争いに勝っても決して幸福感は味わえない、ということ。それを象徴的に表しているのはカルロス・ゴーンの私利私欲の追及の結末=醜い逃亡劇である。
2020.01.20
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このブログ日記はしばらく休止します。
2019.10.31
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第2章 16 自立=自発=独創=生きがい あなたは自立できていますか? 本書でいう自立は、経済的自立のほか精神的自立を意味します。 そのためには、仕事をもち、収入の道をもつことはもちろん必要ですが、それだけでは十分とはいえません。 大企業や官公庁に就職したり、かりに自分の店や事業を経営して、一応は経済的に自立してるように見えても、「この組織がなくては生きて行けない」「上司(特定のボス)ににらまれたら終わりだ」というような気持で仕事をしていたら、自立していることにはならないのです。 また、上司やだれか有力者の指示がないと何もできない、判断できない、というようでも自立しているとはいえません。 このように考えると、この社会には、自立できていない人がいかに多いかがわかります。 それでも、すべてが順調に行っている間はよいのですが、何か変化が起きたり、トラブルが発生すると、自立できていない人は戸惑い、うろたえるのです。 たとえば、組織のボスが失脚したとか、有力取引先が倒産、不振に陥った、という場合もそれに当たります。前に事例で紹介したK社(12項)も、親会社が海外へ生産拠点を移設してから途端に窮地に立たされるようになったのですが、このケースも一時的には羽振りがよさそうに見えても、自立していないと個人も会社も、非常に不安な状態にあるといったことを示しています。 「自立していないと本当に幸せとはいえない」というのは、こういう意味なのです。 つまり、これをもう一歩突っ込んで具体的にいうと、 ・企業は、CIコーポレイト・アイデンティティ、個人はPIパーソナル・アイデンティティをもちなさい ということになります。 さらに、日常いえることは、「何ごとも、自発的にやること」が非常に大切です。 公務員や大企業に勤めると、何ごとも上からの指示や前例や規則に従って、仕事をするクセがついてしまいます。組織人としては、ある程度やむを得ないことですが、こういうクセがつくと、自分で考える、工夫する、ということができなくなります。先ほど述べたように「日本の若者は考えることができない」という現象には、以上のような背景があるものと思われます。 「自分は何をすべきか」がわからない人々 今、どこの行政機関、民間企業でも、行き詰まりが見られ、突破口を見い出すことに必死です。こういう時には、「自発的にものを見、考え、行動できる人材」が貴重な存在になってきました。しかし、これまでの、無難主義、事なかれ主義、もたれ合い、なれ合いの中で育ってきた指示待族には手も足も出ないのです。 数年前、ある地方行政機関の幹部研修で、「自分で、自分と職場の問題を発見し、解決策を考えなさい」という課題を与えたところ、 「どうしたらいいかわからない」「こんな研修ははじめてだ」「講師は何も教えてくれない」等々の反応が返ってきました。 私が「今の環境は、自分で自分の問題を早く見つけ、先手を打って行くことが必要」と説きますと、 「これまでの研修では、講師から、テーマが与えられた」という答が返ってきたのです。 これに対して私は、 「皆さんの立場は、それぞれちがうし、それぞれの立場によって、かかえている問題もちがうはずです。私から与えたテーマに一般論で答えてもらっても、あまり役に立たないでしょう」と説明し、ようやくわかっていただけたようでした。 それ以来、この県の幹部研修ではこのやり方が定番になり、むしろ、こういう能力でなければ、現代、未来には通用しない、ということが定着することになりました。 あらゆる職場、組織、環境で、このような認識が必要だと思います。 それに、研修に限らず、ごくふつうに考えていただいても何ごとも人から押し付けられたり、人から指示されてやることには、熱が入らないし、それほどおもしろくない。これはだれにでもすぐわかるはずです。それなのに、一般のサラリーマンは、なぜ、自発的にものごとに取り組もうとしなくなったのか、これは、組織で、人の評価が減点主義だったことも大いに関係しています。「何か、新しいことを意欲的にやっても、失敗すると減点になる。それなら、何も手を出さず、黙っていた方が、減点が少なく、早く出世できる」という風潮が、あらゆる組織に蔓延したのだと思います。 しかし、そういう生き方からは生きがいは生まれてきません。 自立するためには、自発的にものを考え、行動することが必要です。自発的に行動すれば、独創性、アイデアも生まれ、そこからは生きがい、やりがいも生まれてくるでしょう。職場内外の問題を解決するためだけでなく、おもしろく、生きがいのある人生を過ごすためにも、自立、自発は、不可欠なのです。
2019.10.23
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二人とも無事で今日を迎えられた。3年前に私が一度死にかけたが…
2019.10.22
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○ 「何が問題か」気づくのが先決 責任感、真剣味が足りない? 人の指示で動くことに慣らされた人が、自分で考え、行動するクセをつけるには、・感性を磨くことが必要です。 長年、組織の中やでき上がったシステム、仕組みの中で半自動的に動いてきた人は、知らず知らずのうちに、感性(感度)が鈍っているものです。 たとえば、親会社や決まった得意先から、半自動的に注文が入るような子会社の人々、予算の枠内で動けば、毎月決まった給与が入ってきて収入の心配はほとんどない大企業の社員、公務員、教職員などは、「自分で、得意先を探し、受注し、代金を回収すること」などどうしていいかわからないものです。 ある種の人々には、どこに、ユーザーがいるのか、自分では探せないでしょう。もっとも一部民間企業ではどういう商品やサービスをユーザーは望んでいるのか、毎日のように、ミーティングや調査をして検討しています。しかし、公務員、教職員などには、そういう習慣はありません。 民間企業と政府関係機関で、同じような仕事をしているケースでは、政府関係機関の方が、財政基盤がしっかりしているだけ有利なはずなのに、民間に遅れをとってしまうこともよくあります。 共同住宅、マンションなど都市の住宅供給で、住宅都市整備公団が民間企業に負け、高い、狭い、遠い、住宅しかできずに、大赤字をかかえ、ついに業務縮小、一部撤退などに追い込まれたのは経営のまずさに原因があります。これも元をただせば、鈍い感性によるものと考えられます。 つまり、これら役人(それに近い政府関係機関の職員)には、マネジメントの感覚が著しく不足しているだけでなく、住民(ユーザー)が「どんな生活をし、何を考えているか」ということへの「関心」が欠如しているのです。 そのほか――大蔵、厚生、科学技術庁をはじめ、中央、地方の各行政機関に関連した不祥事も、自分たちが国民の血税をあずかり、市民生活が、自分たちに委ねられているという自覚、認識、責任感がまるでないことに基因していると考えられます。まず、・どこに、問題があるのかに「気づくこと」が先決ですが、先に述べたように、公務員の研修でも「問題は何ですか」ときかれても、ピンとこないようでは、住民不在の行政になることは、むしろ当然といってよいでしょう。 何ごとにも、真剣に取り組んでいるか この研修の受講者に限らず「何が問題か」に「気づくこと」が、すべての出発点となるのです。 感性が鈍り、大きな問題があるのに、気づかないようでは、いろいろな面で悪影響が出ます。 たとえば、産業廃棄物の処理場の許認可権は県に委ねられています。ところが、担当者は、地域の状況も知らず、ほとんど書類の上だけで許可を出してしまうこともあるといいます。住民や市町村が、よほどチェックしないと、許可になっていない毒性のあるものが廃棄され、河川や地域の環境を汚染するおそれも多分にあることを指摘する人もいます。 ある町では、広大な地域なのに、チェックする行政担当者はわずか二名、とうていチェックできない状態です。このままで行くと、気がついた時には、広大な地域に毒物が広がって、収拾がつかないことになりかねません。 鹿児島、神奈川、香川、北海道、埼玉、栃木などいろいろな地域で、産廃と環境汚染のトラブルが起きています。 しかし、都道府県レベルの行政官で、この問題の重要性に「気づいて」仕事をしている人がどれだけいるか、というとお寒い限りです。しかも、現行法では、裁判に持ち込んでも、業者の方に利があり、法改正の必要性を強調する識者もいます。 ここでは、産業廃棄物処理場問題をとりあげましたが、私たちの生活、環境をとり巻く問題は、ますます複雑、困難、深刻になりつつあります。 こう考えただけでも、公務員の皆さんは、襟を正して仕事をしていただかなければならないと思うのですが、役所へ行って公務員の仕事ぶりを見ていると、とうていそのような真剣な姿勢が伝わってくることは少ないのです。 民間企業は、これにくらべて、業績を上げることが義務づけられていますので、真剣味はあるのがふつうです。しかし、これも、大企業、大組織になると責任感がうすれがちです。 自立する前提は、やはり・自分の責任を自覚すること・真剣に仕事をすることです。そういう中から、問題に気づく感性も育ち、磨かれるのです
2019.10.21
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22 どうすれば、創造性が育つか 楽しみながら、問題意識をもつ それでは、創造性を育てるには、どうすればよいのでしょうか。 再三いっているように、素直な気持で周りと自分をありのままに見ることが、ものごとに気づき、それを建設的、創造的に解決するコツです。 いい換えれば、偏ったものの見方、考え方を捨てることです。その第一歩は、自己中心のワナから自分を解放することです。これについては前にも述べたとおりです(14項)。 自己中心の考え方だと、モノが売れないばかりでなく、発想が偏って、貧弱な企画しかできません。 ここから脱皮するには、いろいろなことに「関心」をもち、・あれは何だろう。なぜ、うまく行く(行かない)のだろう。・どうして、忙しいのか、迷惑をかけていることはないか。それを何とか改善できないかと、いつも問題意識をもって行動することです。それも、強制されてやっているという追い詰められた意識でなく、「楽しみながら、モノを見たり、考えたり、行動すること」が大切です。 発明、発見をモノにした人は、そういう意識で行動していることが多いのです。また、はじめに目ざしていた目的はモノにならなかったのに、もっと大きな発明ができたというケース、ついでに出てきたものが、実は、大発明に結びついたことが多いのです。 ペニシリン、ナイロンなどは、副産物のたまものといわれていますし、グラハム・ベルの電話も、ろう唖者の指導というテーマから声を電気信号にかえるという発想が生まれ、そこから生まれたといわれています。アメリカ大陸の発見も黄金の国日本、そしてインドをめざして、偶然にたどり着いた結果と伝えられています。 そんな大発見、大発明でなく、私たちの人生や日常生活においても、素直な気持で、問題意識をもつこと。そして、・仮説を立て、アクションを起こしてみることが、何より大切です。 次に、私が脱サラしていた頃の「気づき」についてお話ししましょう。 脱サラしたものの、仕事がなくて、私は戸惑っていました。幸い、営業力抜群のOさんとふとしたキッカケで知り合い、Oさんがいろいろ顧客開拓のコツを教え、実際にいくつか仕事の口も見つけてくれました。 第四法則発見への道 しかし、何しろ、Oさんも本業が忙しく、いつまでもOさんに頼るわけには行かず、私も自立することが必要でした。Oさんは、飛び込みセールスの天才で、私もOさんに習って自分のユーザー開拓にドア・ツー・ドア・セールスに歩きました。 少しずつは、受注に結びつきそうになるのですが、どうも、キメ手に欠けます。 そうしているうちに、私は、次のように考え始めました。・Oさんのやり方では、どうしてもOさんにかなわない。では、私は、Oさん以上にはなれないのか。確かに、Oさんの真似をしているだけではOさんを凌ぐことができないのは明らかである。 少し、意気消沈していたころ、素直な気持になって瞑想してみました。 すると、私は、ふと、・あることに「気づいた」のでした。それは―― 私は、Oさんのやり方ではOさんにはかなわない。だが、彼も人なり、我も人なり。私にはできるが、Oさんには、できないこともあるはずだ。それは何か―― それが、私のライフ・ワークの発見・モノを書いて、人々に読んでもらうこと・講演を通じて、いろいろな人に話しかけて行くことだったのです。このことに気づいてからは、私の道は、順調に開け始めました。 私は、自分のPIを発見、確立することに成功しましたが、同時に、それは私にないOさんはじめ周りの関係者のPI、個性に対する敬意を再認識することになりました。 今なお、Oさんとは、ことあるごとにパートナーシップを発揮し助け合い、励まし合っています。 それは、一方が他方に頼るという関係でなく、それぞれが独立を確保したうえで、お互いの個性、能力を尊重し、補い合うという関係です。 その前提になったのは、・自分自身をよく知り、他人をよりよく理解することでした。「自分を見失わないで」幸せになれる五大法則の第四法則は、「自分を知り、大切にすること」です。これを次章でとりあげます。〔第三章のまとめ〕・この章では「自分を見失わないで」幸せになれる第二法則「自立」についてとりあげた。・要領よく、責任逃れをして生きた方が出世、成功、幸福への近道と考える人もいるだろうが、マズローによれば、・「社会的に責任ある行動は、自然で健康で、報いられる。責任ある行動をとらないと、基本的な心理的欲求を満足させることはできない。無責任な行動は、長期的には害を及ぼす」と述べています。・最近の相次ぐ官民の癒着や不祥事で、このマズローの主張が立証されている。明るみに出ないで、追及を免れた人々は、得をしたように見える。しかし、人は、基本的に「良心」をもっている。良心の苛責に苦しめば、追及を免れても、精神的葛藤がある。少なくとも、責任ある行動をとり、堂々と生きている人の満たされた気持にくらべたらお寒い限りである。・犯罪者がつかまらず、良心の苛責に悩まされ自首をしたという話は、マズローや私たちの考えを裏付けるものである。・フロイト派、行動主義者によれば、人間は本能、動物的衝動で動かされているのだから、無責任な行動をとっても苦しむことはない。が、問題は、あなたがそういう種類の人間かどうか。無責任な行動をとった場合、心理的葛藤はどうかということである。もし、少しでも葛藤があるなら、無責任な行動はとるべきではない。・大ていの社会人は、経済的に自立しているが、表面的には自立しているように見えて、なれ合い、依存の体質の中では精神的自立はできにくい。・日本の社会では、精神的自立をしようとすると疎外され、村八分になることを覚悟しなければならないこともあった。・協調性は必要だが、これも、時と場合によりけりであり、程度問題でもある。・何でも「おまかせ」ではいけない。・日本の若者は、考える力がないという指摘もある。・偏差値、結果だけを求める社会の風潮があり、新しい問題にチャレンジし、工夫する能力のある人材を育てる姿勢が日本の社会にはなかった。これからは、・クリエイティブで、工夫のできる人材を育てる心構えが必要。・日本の社会で、「結果」だけを求めるようになったのは、行動主義の影響が色濃い。彼らの考え方は、人間をモルモット視し、人間の意思や尊厳、責任能力は軽視する傾向があるからだ。・血が流れていても、ロボットのような人間が多くなり、そういう人が世の中を動かす社会――これは恐ろしいことだ。・今こそ、一人ひとりが自分の考えをもち「考える力」をもつことが必要。・自立していない企業、個人は意外に多い。・会社はCI、個人はPIをもつべきだ。・今、どこの行政機関も企業も行き詰まりが見られ、「自発的にモノを考え、行動できる創造的人材」が必要とされるようになった。・自分で自分の問題が何かわからないという人は、自発性、創造性のない人である。・受け身の生き方から生きがいは生まれない。・何が問題か「気づく」のが先決。・問題とは、理想、望ましい姿と、現実とのギャップをさす。・理想と現実とのギャップが大きくても、あきらめてはいけない。・できない理由より、できるようにするにはどうするかに知恵をしぼれ。・何ごとも、真剣に取り組むところから、問題への「気づき」も得られ、解決策の突破口も見つかる可能性が出てくる。・マイナス思考からプラス思考への転換が、創造性を生み出す。・先入観を捨て、素直な気持でモノを見れば、創造性の芽は育ち、感性は鋭くなる。・問題の解決を暴力や金ではかろうとするやり方は、破壊、不毛を意味する。・プラス思考とは、ものごとを建設的に考え、対立する考え方の調和をはかり、接点を求めようとする態度である。・「問題はない」ように見えるところにも、かくれた問題が潜在的に進んでいて、気がついた時には手遅れということもある。水面下のかくれた問題にも目を向け、発見する「洞察力」が必要である。・貧しさが犯罪や暴力の元凶とはいえない。経済的に豊かでも、文化的、精神的に貧しい環境から、非行や犯罪が生まれることが多い。・家庭、地域、職場で温かい心のふれ合いを育てて行くこと。・楽しみながら問題意識をもつところから創造性が育つ。ことを意欲的にやっても、失敗すると減点になる。それなら、何も手を出さず、黙っていた方が、減点が少なく、早く出世できる」という風潮が、あらゆる組織に蔓延したのだと思います。 しかし、そういう生き方からは生きがいは生まれてきません。 自立するためには、自発的にものを考え、行動することが必要です。自発的に行動すれば、独創性、アイデアも生まれ、そこからは生きがい、やりがいも生まれてくるでしょう。職場内外の問題を解決するためだけでなく、おもしろく、生きがいのある人生を過ごすためにも、自立、自発は、不可欠なのです。
2019.10.20
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不毛21 「破壊は愚かで不毛」と教えよう 表面だけでなく「水面下」にも目を向ける 問題解決、すなわち不都合なことを望ましい形に変えるだけでなく、現状をさらによりよい方向に向ける、新しい付加価値を生み出す――そこで、アイデア、独創性が必要になってきます。 そのためには、現状がかなりうまく行っているように見えても「これでいいのだ」とそれにドップリ浸っているようではだめなのであって、常によりよい方向、形を模索する姿勢が必要です。 今は、うまく行っているように見えても、こちらが、ジッとしている間に、環境が変わって、いつの間にかすっかりおくれをとっていた、ということもあるからです。それは、現状に不満をもつということではなく、現状にはある程度満足しつつ、よりよい方向を探る――これがプラス思考です。 現状に不満をもってブツブツ文句をいい、周りを批判、攻撃するのは、マイナス思考です。 ある営業所で、A所長が「現状はうまく行っている」と満足していました。確かに、売上も利益も上がっているし、人間関係もうまく行っていたので、「何もしないでいい」と、タカをくくっていました。ところが、それから一年もしないうちに、競合他社の大攻勢が表面化し、アッという間に業績は落ち込んでしまいました。それに、業績が落ち込むと、お互いに責任のなすり合いが始まり、人間関係まで悪くなり、相次いで辞職者が出始めたのです。A所長は、慌ててあれこれ手を打ちましたが、いっこうに効果はなく、本社から新所長が着任し、Aさんは次長に格下げされてしまいました。 Aさんが、「これでいい」と思っていた頃、ライバルは、ひそかにユーザーの開拓を進めていたのに、Aさんはそれを知らなかったのです。また、職場での人間関係も、スポーツや趣味のサークルが活発だったので、うまく行っているように見えたのですが、実は、一皮むけば、代金回収のトラブルや売上の着服など目を覆うほどの惨状でした。つまり、気がつかないで「これでいい」と思っていたのは、A所長だけだったのです。 こういうことは、あちこちの職場でありがちなので、管理者の方は十分注意が必要です。 ものごとは表面だけ見ていたのではなかなかわからないものです。水面下にあるものを読みとる「洞察力」が必要です。 心の温かさが感じられる環境を育てよう ところで、このような問題を未然に発見したり、現状をよりよくする・問題発見・解決の能力は「創造性」と一体です。 そして「創造」のアンチテーゼは、「破壊」です。 ものごとを解決する方法としてもっとも愚かで、悲劇的なやり方は、暴力による破壊で、それが私利私欲に結びつくと犯罪、ゲリラとなり、国家権力と結びつくと侵略、戦争ということになります。 こういうやり方が、平和、幸せを生むはずがないことは自明です。 破壊ではないにしても、権力や金による解決法も、「創造」とは相入れないものです。日本では戦後、あの愚かな戦争への反省から、さすがに暴力による解決は少なくなりましたが、何か国際紛争や問題が起きると、金で解決しようとする姿勢は諸外国の批判の的となりました。 暴力でも金でもなく、創造的にものごとを解決するということは、なかなか困難に思われます。 たとえば、どろぼうに入られてから縄をなう、いわゆる「泥縄」というようなやり方ではなかなかうまく行きません。へたをすると、生命まで危うくなります。 やはり賢明なのは、転ばぬ先の杖、どろぼうに入られないようにすることです。 かつては、貧富の差が大きいこと、そして貧困こそが犯罪の原因と考えられました。しかし、経済的には豊かになったはずのアメリカや日本で、ますます凶悪、陰湿な犯罪がふえているということは、貧困だけが犯罪の原因とはいえない証拠です。非行少年や犯罪者の中には、かなり裕福な中流以上の、場合によっては富豪や政治家の一族であるという事実は何を物語っているのでしょうか。「素質」に原因があるのか、「環境」が悪かったのか。おそらく、その両方が複合的にからんでいるものと思われます。 人間性心理学(マズロー)の見解では、育った家庭の「文化的環境」が低かったと考えます。お金はあっても心の冷たい家庭、精神的孤独の中から犯罪者は生まれやすいのです。 私たちは、家庭や地球や職場の中から、温かい心のふれ合いを育てて行くことが大切です。そして、・破壊は愚かで、不毛であることを教え、創造性を育てる努力をすべきなのです。。
2019.10.19
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20 あきらめないこと 理想を見失うな 精神的に自立する一つの現われとして、問題を自主的に発見・解決することをおすすめしました。 ここで、問題とは何か、について整理しておきましょう。問題とは、・あるべき姿と現実とのギャップで、問題解決は、現実を望ましい形に改めることをいいます。 現実は、理想と遠くかけ離れ、理想を実現することは、不可能にさえ見えるものです。そこで、大ていの人は現実と妥協し、あるいはあきらめ、理想などはどこかへ置き忘れてしまいます。 また、あまり理想を追いかけ過ぎると、現実とのギャップに悩まされ、不適応になることもあるので、理想にはとらわれない方がよいと考える人もいます。 しかし、現実と適当に妥協することは、何かに依存することを意味し、自分を見失い、幸せからも遠ざかって行きます。現実と妥協すれば、矛盾や不都合があっても目をつぶり、長いものに巻かれろとなり、不都合を容認することになります。 現実を押さえているもの、長いもの、強いものに屈服することは、大げさにいえばその「共犯者」になり、少なくとも片棒をかついでいることになるのです。これでは、自立も幸せの実現もおぼつかないでしょう。 問題はまず、「気づくこと」が必要です。問題に気づくには、あるべき姿、望ましい姿は何なのかをしっかり認識し、現実とどうちがうかに目を向けることが肝要です。 そうすれば、今、問題になっている官公庁や大企業の諸問題も、事前に手を打つことができたはずですし、いわゆる「組織ぐるみの犯行」は傷の浅いうち、あるいは未然に防ぐことができたはずです。 第二に、問題に気づいたとしても、それだけでは解決できません。 現に、世情を騒がせている諸問題から、日常的な問題、すなわち売上利益の減少、不良品対策に至るまで、気づいている人、危機意識、問題意識をもっている人は少なくなかったはずです。 それにもかかわらず、現状がちっともよくならないのは、・いかにして問題を解決するか、そのアイデア、具体策が見つからないからだと思われます。 問題の解決にも「気づき」 ですから、問題解決の第二の関門は、・解決の具体策に「気づくこと」です。 ここでも、「気づき」=感性が大切な役割を演じます。 具体策に気づき、解決に導くポイントは、・はじめから「できっこない」とあきらめないことです。 行財政改革も、関係者がはじめから、できない、と心のどこかで考えているからいっこうに前進しないのです。行財政改革だけでなく、職場の身近な問題、売上、利益などにしても根っこは同じです。 解決に結びつけるには、できない理由、いいわけを考えるよりも、・できるようにするには、どうしたらよいかと考えること、つまり・マイナス思考からプラス思考に切り換えることです。これだけで、数歩前進です。 次に、大切なポイントは、・素直な気持になることつまり、第二章のテーマ、「ありのままに見ること」です。 問題を自分本位の見方で偏った立場から見ていると、なかなか解決の糸口は見つかりません。先入観にとらわれず、素直な気持で、現実を見ていると、・何がネックか、何が突破口かが、スーッと見えてくることがあります。 いろいろな利害、しがらみにとらわれていると、見えているはずのものが見えてこないのです。 そういう思惑を取り払って、ありのままに見ることによって、「ハッと気づく」のです。 また、何か不都合や問題がある時、自他の違いに着眼することによって、突破口が見えることもあります。・成績の上がっている会社、上がっていない会社・業績の上がっているセールスマンと上がっていないセールスマンなど、「どこがちがうか」を見て行くと、解決の有力な手がかりが得られます。
2019.10.18
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第2章 16 自立=自発=独創=生きがい あなたは自立できていますか? 本書でいう自立は、経済的自立のほか精神的自立を意味します。 そのためには、仕事をもち、収入の道をもつことはもちろん必要ですが、それだけでは十分とはいえません。 大企業や官公庁に就職したり、かりに自分の店や事業を経営して、一応は経済的に自立してるように見えても、「この組織がなくては生きて行けない」「上司(特定のボス)ににらまれたら終わりだ」というような気持で仕事をしていたら、自立していることにはならないのです。 また、上司やだれか有力者の指示がないと何もできない、判断できない、というようでも自立しているとはいえません。 このように考えると、この社会には、自立できていない人がいかに多いかがわかります。 それでも、すべてが順調に行っている間はよいのですが、何か変化が起きたり、トラブルが発生すると、自立できていない人は戸惑い、うろたえるのです。 たとえば、組織のボスが失脚したとか、有力取引先が倒産、不振に陥った、という場合もそれに当たります。前に事例で紹介したK社(12項)も、親会社が海外へ生産拠点を移設してから途端に窮地に立たされるようになったのですが、このケースも一時的には羽振りがよさそうに見えても、自立していないと個人も会社も、非常に不安な状態にあるといったことを示しています。「自立していないと本当に幸せとはいえない」というのは、こういう意味なのです。 つまり、これをもう一歩突っ込んで具体的にいうと、・企業は、CIコーポレイト・アイデンティティ、個人はPIパーソナル・アイデンティティをもちなさいということになります。 さらに、日常いえることは、「何ごとも、自発的にやること」が非常に大切です。 公務員や大企業に勤めると、何ごとも上からの指示や前例や規則に従って、仕事をするクセがついてしまいます。組織人としては、ある程度やむを得ないことですが、こういうクセがつくと、自分で考える、工夫する、ということができなくなります。先ほど述べたように「日本の若者は考えることができない」という現象には、以上のような背景があるものと思われます。「自分は何をすべきか」がわからない人々 今、どこの行政機関、民間企業でも、行き詰まりが見られ、突破口を見い出すことに必死です。こういう時には、「自発的にものを見、考え、行動できる人材」が貴重な存在になってきました。しかし、これまでの、無難主義、事なかれ主義、もたれ合い、なれ合いの中で育ってきた指示待族には手も足も出ないのです。 数年前、ある地方行政機関の幹部研修で、「自分で、自分と職場の問題を発見し、解決策を考えなさい」という課題を与えたところ、「どうしたらいいかわからない」「こんな研修ははじめてだ」「講師は何も教えてくれない」等々の反応が返ってきました。 私が「今の環境は、自分で自分の問題を早く見つけ、先手を打って行くことが必要」と説きますと、「これまでの研修では、講師から、テーマが与えられた」という答が返ってきたのです。 これに対して私は、「皆さんの立場は、それぞれちがうし、それぞれの立場によって、かかえている問題もちがうはずです。私から与えたテーマに一般論で答えてもらっても、あまり役に立たないでしょう」と説明し、ようやくわかっていただけたようでした。 それ以来、この県の幹部研修ではこのやり方が定番になり、むしろ、こういう能力でなければ、現代、未来には通用しない、ということが定着することになりました。 あらゆる職場、組織、環境で、このような認識が必要だと思います。 それに、研修に限らず、ごくふつうに考えていただいても何ごとも人から押し付けられたり、人から指示されてやることには、熱が入らないし、それほどおもしろくない。これはだれにでもすぐわかるはずです。それなのに、一般のサラリーマンは、なぜ、自発的にものごとに取り組もうとしなくなったのか、これは、組織で、人の評価が減点主義だったことも大いに関係しています。「何か、新しいことを意欲的にやっても、失敗すると減点になる。それなら、何も手を出さず、黙っていた方が、減点が少なく、早く出世できる」という風潮が、あらゆる組織に蔓延したのだと思います。 しかし、そういう生き方からは生きがいは生まれてきません。 自立するためには、自発的にものを考え、行動することが必要です。自発的に行動すれば、独創性、アイデアも生まれ、そこからは生きがい、やりがいも生まれてくるでしょう。職場内外の問題を解決するためだけでなく、おもしろく、生きがいのある人生を過ごすためにも、自立、自発は、不可欠なのです。19 「何が問題か」気づくのが先決 責任感、真剣味が足りない? 人の指示で動くことに慣らされた人が、自分で考え、行動するクセをつけるには、・感性を磨くことが必要です。 長年、組織の中やでき上がったシステム、仕組みの中で半自動的に動いてきた人は、知らず知らずのうちに、感性(感度)が鈍っているものです。 たとえば、親会社や決まった得意先から、半自動的に注文が入るような子会社の人々、予算の枠内で動けば、毎月決まった給与が入ってきて収入の心配はほとんどない大企業の社員、公務員、教職員などは、「自分で、得意先を探し、受注し、代金を回収すること」などどうしていいかわからないものです。 ある種の人々には、どこに、ユーザーがいるのか、自分では探せないでしょう。もっとも一部民間企業ではどういう商品やサービスをユーザーは望んでいるのか、毎日のように、ミーティングや調査をして検討しています。しかし、公務員、教職員などには、そういう習慣はありません。 民間企業と政府関係機関で、同じような仕事をしているケースでは、政府関係機関の方が、財政基盤がしっかりしているだけ有利なはずなのに、民間に遅れをとってしまうこともよくあります。 共同住宅、マンションなど都市の住宅供給で、住宅都市整備公団が民間企業に負け、高い、狭い、遠い、住宅しかできずに、大赤字をかかえ、ついに業務縮小、一部撤退などに追い込まれたのは経営のまずさに原因があります。これも元をただせば、鈍い感性によるものと考えられます。 つまり、これら役人(それに近い政府関係機関の職員)には、マネジメントの感覚が著しく不足しているだけでなく、住民(ユーザー)が「どんな生活をし、何を考えているか」ということへの「関心」が欠如しているのです。 そのほか――大蔵、厚生、科学技術庁をはじめ、中央、地方の各行政機関に関連した不祥事も、自分たちが国民の血税をあずかり、市民生活が、自分たちに委ねられているという自覚、認識、責任感がまるでないことに基因していると考えられます。まず、・どこに、問題があるのかに「気づくこと」が先決ですが、先に述べたように、公務員の研修でも「問題は何ですか」ときかれても、ピンとこないようでは、住民不在の行政になることは、むしろ当然といってよいでしょう。 何ごとにも、真剣に取り組んでいるか この研修の受講者に限らず「何が問題か」に「気づくこと」が、すべての出発点となるのです。 感性が鈍り、大きな問題があるのに、気づかないようでは、いろいろな面で悪影響が出ます。 たとえば、産業廃棄物の処理場の許認可権は県に委ねられています。ところが、担当者は、地域の状況も知らず、ほとんど書類の上だけで許可を出してしまうこともあるといいます。住民や市町村が、よほどチェックしないと、許可になっていない毒性のあるものが廃棄され、河川や地域の環境を汚染するおそれも多分にあることを指摘する人もいます。 ある町では、広大な地域なのに、チェックする行政担当者はわずか二名、とうていチェックできない状態です。このままで行くと、気がついた時には、広大な地域に毒物が広がって、収拾がつかないことになりかねません。 鹿児島、神奈川、香川、北海道、埼玉、栃木などいろいろな地域で、産廃と環境汚染のトラブルが起きています。 しかし、都道府県レベルの行政官で、この問題の重要性に「気づいて」仕事をしている人がどれだけいるか、というとお寒い限りです。しかも、現行法では、裁判に持ち込んでも、業者の方に利があり、法改正の必要性を強調する識者もいます。 ここでは、産業廃棄物処理場問題をとりあげましたが、私たちの生活、環境をとり巻く問題は、ますます複雑、困難、深刻になりつつあります。 こう考えただけでも、公務員の皆さんは、襟を正して仕事をしていただかなければならないと思うのですが、役所へ行って公務員の仕事ぶりを見ていると、とうていそのような真剣な姿勢が伝わってくることは少ないのです。 民間企業は、これにくらべて、業績を上げることが義務づけられていますので、真剣味はあるのがふつうです。しかし、これも、大企業、大組織になると責任感がうすれがちです。 自立する前提は、やはり・自分の責任を自覚すること・真剣に仕事をすることです。そういう中から、問題に気づく感性も育ち、磨かれるのです。
2019.10.17
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17 今こそ人間性回復の時「おまかせ体質」は大問題!! 一般に日本の社会では、協調性が重視されます。組織、グループで仕事をするには確かに協調性は大切なのですが、これも、時と場合によりけりであり、また程度問題でもあります。 たとえば、連れ立って食事に出かけ、「何にする?」と聞かれた時、「あなた(みんな)と同じでいい」と答える人が少なくありません。一人がカレーライスを注文すると、みんなが同じカレーライスを注文するのです。 レストラン、厨房としては、楽かも知れませんが、せっかく「ごちそうしてあげよう。あなたの好きなものを注文して」といっているのに、「何でもいい、あなたと同じでいい」と答えるのはかえって失礼なことです。こんなところにも私たちの主体性のなさが現われています。 食事の注文ぐらいなら問題はないのですが、たとえば、会社や国の重要な方針を決めるのに「おまかせします」では、自分の責任を放棄していることになります。 選挙などでも、同じ候補者が、無競争に近い形で当選することがよくあります。その候補は、汚職で灰色であっても、無批判に投票する人々、あるいは棄権が多いことも、間接的に支持していることになります。はなはだしい場合は、有罪判決を受けていても楽に当選する場合があるのです。 みんな、「おまかせ」体質――自分で、考えようとしない人々の無責任ぶりが、あらゆるところに現われています。 ある国際企業のオーナーHさんから、こんな話を聞いたことがあります。 Hさんは、英、米、豪、日本にそれぞれ会社をもっているのですが、それぞれの国の若い社員たちに、業績向上について議論してもらったそうです。すると、英、米、豪の若者たちは、ケンケンガクガク、活発に討議しアイデアを出すのです。ところが日本の若者からだけは、アイデアが出てこない。議論もあまり燃え上がらないのです。あげくの果てに、「特に、アイデアも意見も出なかった。指示があれば、その通り動きます」ということだったそうです。 Hさんは、はじめ彼らが、知識が乏しく、頭が悪いのかと思いました。しかし、そうではなく、むしろ他の三国の若者とくらべても、記憶力、計算力などいわゆる知能の面では優秀な若者だということがわかりました。 ただ、彼らは「自分で考えろ」「知恵を出せ」といわれると戸惑う。そういう訓練を受けていないために、自分の考え、意見、アイデアが出てこないことがわかったといいます。 日本人はいつの間にか工夫しない人間になった Hさんのこのコメントに、私は、ガツンと一撃食らわされた思いでした。 少し前までは、日本の職場では、一社員、担当者までが、自分で考え、工夫する、それが日本の経済・社会発展の原動力だといわれていたように思われます。 それがいつの間にか、マニュアルで育てられ、偏差値で競う教育の中で、何も自分で考えようとしない人間になってしまった。これは、日本の教育、いや社会そのものの歪みに外ならないと思われるのです。 そういえば、ある米誌に、「日本人は考えない」という特集が組まれていたことを思い出しました。Hさんに指摘されていた点が、国際社会でも、大きな問題としてとりあげられていたのです。 これからは、こういう社会、教育の歪みを正し、自分で考える力をもった人材を育てることが必要です。 教育というと、学校教育だけを連想しますが、家庭においても、社会においても、結果だけを求める要領のいい人間を歓迎するのでなく、新しい問題、課題に挑戦し、自分で考え、工夫する能力のある人を育てる環境づくりをして行かなければなりません。 日本の社会、教育がこのように結果ばかりを求めるようになった「元」はどこにあるかといいますと、そこには、第一章でとりあげた行動主義の影響が色濃く感じられます。 彼らの主張は、データ、数字、結果だけを求め、人間をモルモット視する傾向があります。そういうコンセプトの人から学んだ人々が、社会の中核に坐り、人を育てるシステムをつくったのですから、そこから、モルモットやロボットが育つのは無理もありません。 肉体的には人間の血が流れていても、精神的に血の通わない人間が多くなり、そういう人々が世の中を動かす社会――それは何と恐ろしい社会ではありませんか。 そういう社会に、今、日本はまさになりかけているのです。 こういう動きにストップをかけ、脱・指示待族を育てることが、今こそ必要なのです。それには、一人ひとりが自分の考えをもち、主体的にモノを考え、行動するよう心がけることが人間性回復の第一歩となります。
2019.10.16
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「自立する」――自分を見失わないで生きる第二法則 ○ 自立とは何か 無責任な行為は結局報われない この章では、「自分を見失わない」で幸せになれる第二法則=「自立する」についてとりあげることにします。 経済的にも精神的にも自立することは、自分を見失うことなく幸せになるために不可欠です。 これは「自分の言動に、責任をもつ」ということでもあります。しかし、自分を見失わないで生きるためには当世流に要領よく(省エネで)生きた方が近道だと考える人がいるかも知れません。これまで、組織に乗り、大樹のかげで、要領よく生きること、なるべく責任を回避し、泳いで生きることが出世、成功、幸せへの近道と考えられてきたような気もします。 しかし、マズローはいっています。 「責任ある行動は報われる」と。これはどういうことか。『マズローの心理学』の著者F・ゴーブルは別の著書で次のように説明しています。 「マズローの中心テーマは、社会的に責任ある行動は自然で健康的で、報いられるものだということであった。人々は責任ある行動をとらないと、基本的な心理的欲求を満足させることはできない。無責任な行動は、少なくとも長期的には個人に害を及ぼす。あるいは、マズローの言葉によれば“時間がすべてのかかとを傷つける”(無責任な行動は一時的には得をするように見えても、結局時間が経つと、本人の心が後で傷つく意)」(『苦悩と混迷を超えて』) 最近、相次いで官民の癒着や不祥事があばかれるのを見るにつけ、マズローの言葉が裏付けられるように思われてなりません。彼らは、一時的には、波に乗ったように見えましたが、真相が明るみに出て、結局は「かかとを傷つけること」になったのです。 適当に責任を回避して、逃げ回ることができたように見えても、その間の精神的な葛藤は想像を絶するものがあったでしょうし、あげくの果てに、失脚することになったら、彼らの一生は一体何だったのか、ということになります。 もちろん、事態が明るみに出されたのは氷山の一角で、水面下には、その何倍もの同質・同類の連中が「うまい汁」を吸って、生きながらえていることは十分推測されます。網の目にかからなかった連中は、楽をして、得をした、つまり責任を免れたことになるのでしょうか。 もたれ合い、なれ合いも自立していない証拠 法律的責任、刑事責任は免れたとしても、「いつばれるか」とビクビクするのは、あまりいい気分ではないでしょう。本人たちでなければ、どんな気持かはわかりませんが、おそらくマズローのいうように心理的欲求を満足させることはできないにちがいありません。 少なくとも、責任ある行動をとっている人々の満たされた気持にくらべたら、お寒い限りです。 よく、犯罪者がつかまらずに、良心の苛責に悩まされ自首したという話があります。マズローのいうように、人間には、一般に人を裏切ることができない良心、罪をおかすとつかまらなくても、やましい気持から逃れられない宿命があるのではないでしょうか。「無責任な行動では心理的欲求の満足が得られない」というのは、そういうことをいっているのだと思います。 フロイト派や行動主義者のいうように、人間が動物的本能で動かされているのなら「責任ある行動は報われる」というマズローや私たちの主張は成り立ちません。あなたはどうお考えですか。いや、大切なことは、他のだれがどうであれ、 ・あなた自身が、無責任な行動をとった場合の心理的葛藤はどうかという点です。 もし、少しでも、葛藤があるなら、無責任な行動はとるべきではないことになります。 責任ある言動、責任能力をもつには、経済的、精神的に自立していることが必要となります。 だれかに依存していたのでは、責任能力があるとはいえません。経済的自立は必要条件です。 たいていの社会人は、経済的に自立していると考えてよいのですが、系列、護送船団方式といわれた日本の社会構造の中では、表面的には自立しているように見えても、自立していなかった人々も、かなり多く見受けられたように思われます。いや、日本の社会の「もたれ合い」「なれ合い」「談合」体質の中では、だれにとっても「自立」は難しかったといっても過言ではありません。「精神的自立」に至っては、さらに困難でした。 精神的自立をはかろうとすれば、日本社会からつまはじきされ、疎外感を味わう覚悟が必要でした。いわゆる「村八分」です。しかし、そういう日本社会自体が全体として、国際社会から見れば孤立しがちで、たえず問題をはらんでいた、というのも皮肉な話です。
2019.10.15
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「自分を見失わないで生きる」幸せの五大要素の第一要素は、「ありのままに見る」である。 ・この心構えができていれば、人にだまされることもなく、挫折することもないはずだ。 ・「自分さえよければいい」と考えることはよくない。そういう考え方だと、いつの間にか自分を取り巻く状況が悪くなっても気づかない、気づいた時には手遅れ――ということになりかねない。現に地球環境はどんどん悪くなり、大ぜいの人が危機を訴えている。 ・自分と周囲のいろいろな問題に気づいているが「自分一人がどうやっても仕方がない」と考えている人たちが大ぜいいる。 ・問題に気づき、何かしなければと思うが、気持が空回りしている人たちもいる。 ・最も望ましいのは、自分や周囲や世間のことがよく見え、気づいており、自分は何をすべきかも見失わない人である。 ・ありのままに見る、という心境は、松下幸之助翁がいった「素直な気持」に通じるものがある。 ・幸運に恵まれ一時的に成功を収めても、有頂天になり、自分の実力がわからなくなると、ありのままにものを見ることができなくなる。バブル期のエリート・サラリーマン、自営業者にこういうタイプがかなり多く見られたが、その多くはバブル崩壊と共に、失脚、挫折した。 ・人は恵まれない時、「なぜ、自分だけがこんなに不運か」と嘆くものだが、これも、ありのままに見ることができない結果である。不遇でも、ありのままに見ることができた時、不運から脱出することができる。 ・外見で人を判断してはいけない。リュウとした外見でも、人をだます人はいるし、みすぼらしい身なりの人でも、中身は立派な人もいる。 ・政治家や指導者の中には、大ウソをついて人をだまし、悪い方向へ人を引っ張りながら、責任をとろうとしない者も少なくない。 ・ジャーナリストといわれる人の中には、人の批判はするが、事前に警告を発したり、軌道修正を促す働きができる人は少ない。 ・問題が表面化してから批判することは、だれにでもできることであり、大切なのは、表面化する前に、いち早く警告を発し、軌道修正を促すのが、先駆者、識者のつとめである。 ・仕事も人間関係も、「ありのままに見ること」から活路が開ける。 ・ビジネスマンは、自分の業界や仕事について何もかも知ったつもりになってかえって盲点が生じ、仕事がうまく行かないことが多い。ありのままに見ていないからだ。 ・ありのままに見ると、「ユーザーは何を望んでいるか」「自分たちは何をすべきか」が見え始め、活路が開ける。 ・よかった昔にこだわっても、何も生まれてこない。 ・これまで、規制、保護、既得権に守られて「いい思い」をしてきた人ほど、ありのままに見ることが難しい。 ・「ありのままに見る」とは、いい換えれば、過去を捨て、「ゼロから出発すること」を意味する。 ・その意味では、年功序列、終身雇用の幻の中で生きてきたホワイトカラーのサラリーマンも、リストラの対象となった場合、「自分は、これだけの地位、収入があった」ということにこだわり、その延長線上に現在、未来を展望しようとすると、見方は歪められ、うまく行かない。 ・自分は、大企業の管理職だったという誇りをもつことは悪くはないが、新しい職場、仕事にとっては、ほとんど無意味である。 ・過去を引きずり、新しい職場で、大企業のやり方を押しつければ、反発を招き、うまくは行かない。 ・新しい職場で「何もわかりません」と、まるで借りてきた猫のようにおとなしくするのがベストともいえない。これも、現実をありのままに見ていないことになるからだ。 ・新しい職場の幹部や社員たちは、大企業からの転職者に、何らかの期待を寄せている。「それに応えられる何か」をもち、提供することが肝要である。 ・ありのままに見ることができれば、転職に限らず、脱サラにも成功できる。 ・セールスマンの場合も、知識がいくら豊富でも、お客の心をつかまなければ、モノは売れない。お客の話を聴き、ニーズをつかむ――これもありのままに見る心構えから生まれる。 ・セールスに限らず、すべてのビジネス、人間関係は「自己中心」のワナから解放されることである。 ・ありのままになるには、自己中心のワナから自らを解放することである。ストーカーなど、心の病も、自分に責任能力のあることを「自覚」するところから、すべては快方に向かう。人のせいにしている間中、問題は解決しない。 ・クライアントを慰めるような甘やかしは、クライアントのためにならず、むしろ、有害であり、これは、カウンセリングとは、似て非なるものである。 ・真のカウンセリングとは、本人が正しく自分が見つめられるように、指導することである。 ・人は、だれかに頼ったり、依存したり、周りに責任を転嫁しているうちは、本当の幸せをつかむことはできない。ありのままにすべてが見えていないからである。
2019.10.14
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15 周りのせいにしているうちは心の病は治らない 自己本位の極限がストーカー 自己本位になると、モノごとがうまく行かないのは、人間関係にストレートに現われます。 今、ストーカーが話題になり、社会問題になりつつあります。ご承知の方も多いと思いますが、ストーカーは、自分の想いを寄せる相手をつけ狙い、電話をかけたり、尾行したりして、相手を悩ませます。そして、始末の悪いことに、相思相愛であるという幻想を抱くのです。相手が否定しても、断わっても、自分本位に解釈して、相手に拒否されたことを認めようとせず、周囲にそれを邪魔する人がいると、排除しようと暴力をふるったりします。 たとえば、相手が独身で、両親がかばおうとすると、その親に対していやがらせをしたりついには殺傷したりすることもあるのです。これをドラマの中のフィクションと思ったら大まちがいで、実際にテレビでも何件か実際に起こった事件が報道されています。 テレビニュースになるのは、よほどのことで、水面下には、類似のトラブルに悩まされる人が想像以上に多いものと思われます。また、ストーカーの対象が妻帯者だと、配偶者に対して憎しみを抱き、危害を加えたりすることもあるようです。 専門家によれば、これも、幼少時に受けた心の傷がこのようなストーカーの異常心理、異常行動に結びつくといいます。また、ある人々にいわせれば、社会環境の産物だ、とも考えられます。それらの説は、ある程度認めるとしても、ストーカーこそ、自己中心の悲劇の極限にあるといえるでしょう。 あるがままにものが見えず、自分本位にしか考えることができない状態もここまでくれば何をかいわんやです。自分はもとより、多くの人々を不幸と悲劇に巻き込むこれほど恐ろしい存在はありません。もし、こんな人々が、私たちの周りにあふれたら、社会はパニックに陥ります。 いや、冗談でなく、それに近い状態が私たちの周りに忍び寄っているのです。 社会環境の産物といってしまえば、それまでですが、要するに「わがままの極地」で、見えるはずの目が見えなくなっている心の状態です。 どういう環境で育った人がこういう状態になりやすいか。それは、未だ研究段階の域を出ませんが、おそらく・何でもわがままが通る環境、それでいて、本当の愛をかけてもらえなかった環境が、ストーカーの温床ではないか、といわれています。 つまり、お金は豊かで、何でも買い与えてもらえるが、本当の心の通った愛はなく、そういう温かい愛に飢えた状態がこういう歪んだ心の持ち主を生み出した、といってさしつかえないと思います。 この定説が妥当であるとしても、当事者は「キミの育った環境が悪かった。キミの潜在意識は愛情に飢えている」といわれても、本人はどうしようもないのです。このへんに、現代精神医学、心理学が冷たく、しかも役に立たないという批判の的になる事情があるように思われます(第一章)。 また、対象となる被害者やその家族など関係者も、どうしようもないのです。 もっと、有効、適切な手がほしいものです。 やはり私は、本人の育った環境が悪かったとしても、それに甘えることなく「自分の行動は自分が責任をもつ」という「自覚」をもつところから、すべては始まる、と確信しています。 ストーカーをはじめ、精神、神経の障害者にいたずらに同情し、「それはキミのせいではない(環境のせいだ、生い立ちのせいだ、社会のせいだ)」と慰めるようなやり方を、カウンセリングだと誤解する向きもありますが、こういう専門家の姿勢は、世の中を混乱させるだけであり、クライアント(患者)の回復を遅らせることになります。 からだの病気の場合を考えていただけば、このような甘やかしの姿勢が、無意味で、有害だということはすぐわかるはずです。 心の病をもつ人には、病であることを告げ、治すように励まし、指針を与えるべきだと私は基本的に考えます。 確かに、心が傷ついた人が、真実に目ざめる時、痛みは伴ないます。しかし、それを「自覚」し、「自分で乗り越えよう」と気づいた時から、癒しへの道が始まるのです。これは、神経症の経験があり、その後カウンセリングのキャリアも積んだ私の体験からはっきり確信をもっていえることです。真のカウンセリングは、クライアントが自分の正しい姿をつかむようサポートすることです。 もとよりクライアントの状態によってTPOを選んで、硬軟両面から専門的なアプローチをすることが必要です。 が、原則的には、・人は、だれか(人や組織)に頼っているうちは、本当の幸せをつかむことはできないのです。
2019.10.13
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成功も幸せも、脱・「自己中心」から そのうちに半年が過ぎ、新人が入ってきました。ところが、しぼらく経つうちに、新人が実績を上げ始めたのです。どうみても、Sさんよりは知識も劣るし、積極的とも思えない後輩の方がモノがよく売れる。これが冷酷な現実でした。 Sさんは、はじめて挫折を経験しました。配置転換希望を申し出ようか、と思いましたが、ちょうどその頃、二冊の本と出会ったのです。 それが、拙著『はじめての営業』(産能大学出版部)『強い営業力が身に付く本』(三笠書房)でした。 その本を読んで、「あること」に気づいてから、Sさんにも、少しずつ、受注がとれるようになりました。そして、いったん、コツがわかると、加速度がつき、一カ月でトップセールスマンの仲間入りをすることができたのです。 Sさんの気づいた「あること」とは、・お客の話をよく聴きなさいという、拙著のコメントだったのです。 それまでのSさんは得意の弁舌で、お客に、商品知識をPRするためまくし立てました。お客が質問をさしはさんでも、巧みに説得したつもりだったのです。ところが、お客は納得していなかった。いってもムダだと口を閉ざしただけだったのです。 自分のプレゼンテーションにのめり込んでいたSさんには、お客の質問や疑問を聴く心のゆとりはありませんでした。つまり、ありのままに自分の心と相手の心を見ることができない状態になっていたわけです。「今、考えると、あれでは、モノが売れなくて当たり前だったと思います」と、Sさんは述懐します。 しかし、当時は、それが、本人にわからなかったのです。 こういうことは、私たちの周りに数多くあります。 セールスに限らず、人間関係においても自分本位の考え方だと、相手の心が見えず、ただ自分の考えを口走るだけで、同意を得ることはできないのです。こんなふうに、スレちがっている人間関係が、私たちの周りにはいかに多いことでしょうか。 ビジネスにおいても人間関係においても、ありのままに見る第一歩は、ここで紹介したように、・自己中心のワナから解き放たれることであり、それができたところから、成功と幸せは向こうから自然にこちらへきてくれることになるでしょう。
2019.10.12
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知識、意欲だけではモノは売れない ありのままに自分と周囲を見る、ということは、多くの人にとって、わかったようでわからないことです。 それをピンとくるようにする具体的な一つの手がかりは、 ・自己中心、自分本位のものの見方、考え方にとらわれないようにすることです。 たとえば、「モノが売れない、商売がうまく行かない」という問題の場合は、自分としては「モノを売りたい」「儲けたい」「商売を繁栄させたい」という気持が強いことが背景にあります。 それは、ビジネスマン、商売人としては当然のことなのですが、よく考えてみると、ビジネス、商売というのは自分だけで成り立っているわけではない。お客がいて、こちらの商品を買ってくれて、はじめて商売が成り立ちます。そんなことは当たり前で、だれもが知っているつもりになっています。 ところが「売りたい」「成功させたい」という気持が強過ぎると、いつの間にか、お客の好み、都合はそっちのけになり、押し付け、押し売り、あるいは泣き落としになってしまうわけです。そばで見ていると、そのことがよくわかるのに、自分は自己中心のわなにはまり込んでわからなくなっているのです。 A社のSさんは、管理部門から営業部門に配置転換になり、張り切って仕事を始めました。 営業は未経験でしたが、学業成績も常にトップクラスで、会社でも将来を嘱望されるエリートと自他共に認めていました。そのうえに、積極的な性格で人に負けたことがありませんでしたから、きっと営業でも優秀な成績を上げるだろうと期待され、自分でもそう思っていました。 商品知識も改めて十分に叩き込み、市場へ出ることになりました。ところが、お客と会い、いいところまでは行くのですが、どうしても業績に結びつきません。しばらく低迷が続き、Sさんはすっかり自信をなくしてしまいました。上司にも相談し、チェックしてもらいましたが、「どこも悪いところはない。慣れないせいだろう。少し、ゆっくりした気持で、ジックリ攻めたら」というアドバイスをもらいました。 気を取り直して、市場へ出かけますが、やはりうまく行きません。
2019.10.11
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リストラの対象者も「ありのまま」が肝要 過去の自分を引きずり、大企業流の仕事のやり方を新しい職場に押しつければ、当然反発を招いてうまく行かないでしょう。大企業から中小企業の出向、転職者のかなりの人々が、このパターンで挫折し、新しい職場を去って行きます。 ありのままに現実を見ることができないからです。 他方、「私には、何もわかりません」と、まるで、借りてきた猫のように、おとなしい一方の人々がうまく行くかというと、これまたうまくは行かないのです。これも、現実をありのままに見ていないためと思われます。 新しい職場の在籍者や関係者たちは、大企業からの転職者に、ある種の期待を抱いているものです。ですから、ありのままに見ることができる人は「それに、応じられる」はずです。新人とはいっても、社会経験は豊富で、それなりのキャリアを積んできた人なのですから、新しい職場にとってプラスになるような助言や協力をすればよいのです。 これは、過去を引きずって「私のいた会社ではこうだった」「私は、こういうステイタスをもっていた」と過去にこだわり、押し付けるやり方とは、「似て非なるもの」です。 実際に、出向、転職した会社にうまく適応し、喜んでもらっている人々は、こういうやり方で成功しています。 ありのまま、自然体で臨んでいるからできたことです。 そして、この心構えがあれば、出向、転職に限らず、独立開業する場合でも、きっとうまく行くにちがいありません。 ところが、大企業からの脱サラ組は、独立開業もなかなかうまく行かないケースが多いようです。私自身は、三一歳で大企業を離れて、独立の道を歩き始めたのですが、なかなかうまく行きませんでした。 それは、やはり、自分と周囲、それに社会をありのままに見ることができなかったからだと思います。完全に独立できたのは、四〇歳になってからですが、つまり、私は、ありのままに見るようになるために、九年の歳月を要したことになります。それほど、ありのままに見ることは難しいといってよいでしょう。
2019.10.10
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楽をした人は、ありのままに見ることが難しい 過去にこだわると、うまく行かない K社のように過去において、規制や保護や既得権に守られて、業績を確保し、繁栄を享受していた企業や人は、そのような規制がなくなると当然苦境に立たされます。 その意味では、日本のホワイトカラーのサラリーマンも、環境の変化によって、これまでの既得権がなくなって、戸惑い、新しい道を模索している段階といってよいでしょう。「ありのままに見る」というのは、いい換えれば「ゼロからの出発」を意味します。 K社の場合も「過去の栄光を捨てる」ところから、再生の道が開かれました。それまで親会社から半自動的にきていた受注を当てにせず、消費者のニーズが期待できる分野の市場を開拓し、その製品の製造・販売に進出したのです。それからは、かなりの曲折はあったものの、概ね順調に推移しています。 サラリーマン個人としても、「自分は、これまで、これだけの地位、収入があった」という実績にこだわり、その延長線上に、現在と未来を展望しようとすると、どうしても見方は歪められ、なかなかうまく行きません。 今、あちこちの大企業への出向、転職をする人が多くなりました。そのほとんどは、ホワイトカラーの中間管理職、年齢的には中年以上の人たちです。 が、残念なことに、出向、転職先で、彼らがうまく適応しているか、歓迎されているかというと、必ずしもそうではないのです。なぜうまく行かないか、といいますと、環境変化について行けないのが主な理由と考えられますが、もっと詳しく見ますと、結局は、過去を引きずっているという現象が浮き彫りされます。「自分は、○○社の管理職‘だった’」という誇りをもつこと――それは必ずしも悪いとはいえませんが新しい職場、新しい仕事にとっては、ほとんど無意味なことが多いのです。いや、無意味というよりは、有害です。 ここでも、「ありのままに見る」ことが、非常に大切なのです。 この場合、ありのままに見るとは、新しい職場や仕事の状況を素直に受け入れることでしょう。そうすれば、何をすべきかがわかってきます。
2019.10.09
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よかった昔にこだわるな K社は、ある大手企業系列の中堅企業としてバブル崩壊頃までは順調に発展してきました。しかし、円高で輸出にブレーキがかかり、親会社が海外に拠点を移したのに伴なって受注は激減、親会社に追随する形で、東南アジアに進出したのです。しぼらくは、K社の海外事業も順調でしたが、現地の人件費が上がるにつれ、業績も急に悪化し始めました。 それに、製造業の将来に不安を抱いたK社では、他社に後れをとらぬように、財テクを手がけ始めていたのですが、バブル崩壊後、地価下落、円安のあおりを受けて、多額の含み損、不良債権を抱えることになってしまいました。 つまり、大手の傘下で、ぬくぬくとやってきたK社は、親会社の傘の下から離れては何もできない体質がしみついていたのです。 K社の首脳陣は、いろいろな対策、戦略を考え、実施してきましたが、何一つうまく行きませんでした。それは、企業としてのK社を、自分たちの立場を、・ありのままに見ることができなかったために外なりません。 ありのままに見れば、K社のアイデンティティをはっきりすることもできますし、どういう路線をとるべきかもはっきり見えてきたはずです。 K社に限らず、これまでの路線が忘れられず、業績不振、低迷にあえいでいる会社、商店は、数多く存在するように思われます。 これまでの路線にしがみついている限り、道は開けないでしょう。 ありのままに見ることができれば、K社の場合も、これまで、いかに親会社に依存してきたか。他社に追随してきたか。ここへきて、その手が通用しなくなったのはなぜか。そうだとすれば、どこへ、活路を求めるべきか、が次第に見えてくるはずです。 これまで、規制や既得権の下に、手厚く保護されてきた業界、企業が、軒並み苦渋を味わっていることは何とも皮肉なことです。 米、牛肉、酒類、金融、漁業などがこれに含まれるでしょう。デパートも近年ジリ貧状態ですし、中小の小売店も大型店、コンビニエンス・ストアに押されて存続の基盤を脅かされています。 国家公務員、地方公務員、大手企業のビジネスマンも終身雇用、年功序列に守られて、比較的安泰でした。 これからは、そうは行かないでしょう。 あらゆる業界、あらゆる分野の人たちが、今、ありのままに、自分を見つめることによって、自分の展望が開ける――そういう時代になったといってよいでしょう。それができない会社や人はますます苦境に立たされることになるのです。
2019.10.08
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知り過ぎた人は、ありのままに見ることができない ここで、もう少し身近なところで、「ありのままに見る」ことを考えてみましょう。 たとえば「商売(仕事)がうまく行かない」という問題を抱えている人は、今、非常に多いものと思われます。 自営業、経営者の方は、バブル崩壊後地価が急落して、資産が激減したばかりか、景気が低迷して、売上、利益が低迷している。それどころか、赤字転落という会社やお店も少なくありません。 そういう会社やお店では「どうして、仕事がうまく行かないのか」「どうしたら、業績を回復することができるか」と考えるものです。 しかし、考えれば考えるほど、わからなくなります。従って何か手を打つと、すべてがウラ目に出て、ますます事態は悪くなる、ということになりがちです。こういう会社やお店では、どうしたらよいのでしょうか。 もちろん、それぞれの業界、会社、お店には、それなりの事情があり、専門的なアドバイスは著者にはできません。 ただ、ここでいえることは、それぞれの経営者、店主の方々は、自分の仕事、それを取り巻く環境のことなどは、百も承知、知り尽くしている(と思っている)。ここに、盲点があるように思われます。つまり、業界や会社、商店、消費者などを「ありのままに見ること」ができなくなっているのです。 仕事がうまく行かない会社やお店の人は「あんなに売れたのに、なぜ、今は売れないのか」という気持が、どこかにあるのです。こういう気持がある限り、すべてがうまくは行かないのです。 今、すべての環境が、高度成長やバブル期とはすっかり変わったのに、心のどこかで「過去を引きずっている」と、決して事態は好転しないでしょう。 「ありのままに見る」と、「顧客は何を望んでいるのか」「自分たちは、何をすべきか」が見えてくるはずです。
2019.10.07
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国や指導者のつく大ウソ バブル崩壊後の長期不況の中で、リストラの大合唱の下、希望退職、役職定年、出向、転職の勧告などが行なわれるようになりました。 リストラとは、リストラクチャリング、つまり再構築を意味するコトバだったはずなのにいつの間にか、日本の社会では、首切りの代名詞になってしまったのはなぜでしょうか。 このへんもよく見きわめないと、ズルズルと時代の渦に巻き込まれてしまいます。 日本の社会には、どうも昔から、こういうことが多過ぎるような気がします。太平洋戦争にしても、「欲しがりません勝つまでは」「燃えろ一億火の玉だ」などというアジテーションに、ほとんどの国民がだまされて、戦争の片棒をかつがされ、他国の人々を踏みにじり、自らも尊い生命、財産を奪われたのです。 戦後は戦後で、アメリカ民主主義の美名の下に核家族化、平等主義、使い捨て、工業化が推進され、本来、日本社会のもっていたはずのよさをみんな捨ててしまったのでした。 しかも、内容は、没個性を要求され、大量生産、大量消費の企業戦士にかり立てられ、家庭も顧みない、会社人間、仕事人間が養成されたのです。 国や天皇のために命を捧げろ、といわれた戦前の社会から、企業のために個性や私生活の犠牲を強いられた戦後の社会も、体質は何も変わっていなかったといってさしつかえないでしょう。 ごく最近にしても、バブル崩壊後に、金融機関、大蔵省(財務省)の護送船団方式がヤリ玉にあげられていますが、バブルの最中に、問題を指摘し、警告を発した行政官、学者、評論家、ジャーナリストがどれほどいたでしょうか。ほとんどは、尻馬に乗ってはしゃいでいたのではありませんか。もとより、私は護送船団方式がよかったといっているわけではありません。 しかし、問題が表面化してから、批判することはだれにでもできることであり、表面化する前にいち早く警告を発し、軌道修正や先手が打てるようにするのが、先駆者、識者といわれる人のつとめではないでしょうか。 そういう意味では、日本には、ありのままにものが見えて、正しい指針を示すことができる人が余りにも少ないような気がします。もっとも、日本に限らず、人間とは愚かな者、それができる人は、どこの国にも一握りの人しかいないのかも知れません。 アメリカでは、住宅関連のサブプライムローンに端を発し、さらに 根拠もない(というよりも、苦しまぎれ?)のバブル経済維持のための施策で世界中が金融不安、経済低迷に巻き込まれたリーマン・ショックは記憶に新しいと思います。これはリーマン・ブラザーズという 金融会社が、複合の(わけのわからない内容の金融商品を組み合わせて)商品を売り出し、儲かっているように見せかけ、ほとんどの欧米や日本、アジアの国々の金融機関や国家までもが、だまされて買った結果その商品の正体がばれて、パニック状態に陥ったのです。 国家や経済の中枢にある人たちが、「偉大な力」の存在を忘れて 「うまい儲け話」に乗ってしまうーこれは、実に恐ろしいことですね。
2019.10.06
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○ 外見で人を判断してはいけないーあなたは洋服や建物に敬意を表していないか ありのままに人を見ないとこうなる そういえば、あのトンチの一休さんで知られる一休禅師のエピソードにこんな話があります。「ある時一休さんが、ボロボロの衣をまとって、ある邸《やしき》を訪れたところ、門前払いを食わされた。そこで、最高の法衣をまとって出直すと、今度は、丁重に扱われたうえに、多額のお布施をくれようとした。すると、一休さんはその衣を脱いで、その上にお布施を置き、こういった。『あなた方は、この衣に、お金を払ったのだ』と」 エピソードが実話なのか、後世につくられたフィクションなのかは定かでありませんが、こういうことは、私たちの周りにいくらでもあることです。 ある会社の受付にみすぼらしい風体の老人が訪れ社長に面会を求めました。受付嬢は「怪しい人、紹介のない人は、追い返せ」と、上司からいわれていましたので、その老人を追い返してしまいました。ところが、その老人は、大事な取引先のオーナーだったことがわかり、社長は、平謝まりに謝まったということです。 身なりがみすぼらしい、風采が上がらないからといって、粗末に扱うのは愚かなことです。それは、AマンションのB理事長が、身なりがよく、高級車を乗り回しているから信用する、というのと裏返しの関係で、どちらも、・ありのままに、人間の中身を見ていない から起きることです。 人を学歴、人種、性別などで、差別することも同じです。 外見、大きさなどでものを判断するやり方は、人に対してだけではなく、会社や組織にもいえることでしょう。 私たちの間では、就職の際に、寄らば大樹のかげという神話が信じられていました。「大企業、大銀行、大商社、官公庁ならまちがいはない」と大多数の人が信じていたのです。 しかし、それは、真っ赤なウソ、最近の不祥事は、大企業や官公庁でばかり起きている――といっても過言ではありません。 これも、ものごとを、ありのままに見ていなかったために起きたことです。不祥事に限らず、寄らば大樹の考え方には、終身雇用、年功序列を前提にした、いわゆる日本的経営、日本的雇用慣習がありました。 しかし、それも近年、どうやらウソだったことがはっきりしてきたのです。
2019.10.05
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第二のタイプとして、 世の中のよくない点や自分と周囲のことなど、いろいろなことに「気づいている」のですが、 ・自分一人がどうやっても、仕方がない と考える人たちが大ぜいいます。 これらの人々は、周囲とも協調してやって行くことができますので、悩んだりすることは少ないかも知れません。しかし、文字通り、「長いものに巻かれてしまう」ために「気がついた時には、とんでもないワナにはまっていた」ということにもなりかねません。何が問題かは、気づいているのですから、何も気づかない第一のタイプよりはまだましですが、これも、あまり望ましい状態とはいえません。 気持が空回りしている人々 第三に、自分や周囲、世の中のことなど、よく気づいて、何かをしなければならない、と思いつつ、から回りしているタイプがあります。こういう人は、時には、ノイローゼ気味になり、あるいは、周りとの協調を欠き、社会不適応になることもあります。 この第三のタイプは、もう一歩で、幸せになれるはずなのに、どうしたらよいかが見えていないために、だれよりも不幸を背負っているように見えることもあります。これも周囲がありのままに見えていないために起きることです。 最も望ましいのは、自分や周囲や世間のことが、よく見えている、それでいて、自分は何をすべきかも見失わない。実力不相応の過激なことをせず、そうかといって、長いものに巻かれるわけでもなく、自分らしく、着実に、何かを進めて行くことができることです。 あの松下幸之助翁は「素直になりなはれ」という教えを遺しています。「ありのままに見る」というのは、松下さんの「素直な気持でものを見なさい」という言葉にいい換えてもよいでしょう。 「儲けたい」という気持が強いと、ありのままにモノを見ることができず、肝心なところを見逃して、結局は損をすることが多いものです。 たまたま幸運で成功を収めて、有頂天になると、自分の実力がわからなくなり、ありのままにモノを見ることができなくなります。そこで実力不相応のゴリ押しをして挫折したり、失脚する人も少なくありません。ありのままに見る心構えを忘れたからです。 バブル期のエリートサラリーマン、自営業者にこういうタイプが多数見られました。 逆に、不遇で恵まれない時は、「なぜ、自分だけこんなに不運なのか」と悩むこともあります。しかし、よく考えてみますと、それは不運なのではなく、ありのままに見ることができていない結果であることが多いのです。かりに、不運であっても、ありのままに見ることができた時、不遇から脱出することができるはずです。
2019.10.04
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第1章 「偉大な力」に気づき「ありのままに見る」――自分を見失わないで生きる第一法則 ○ 気づいている人、半分気づいている人、全く見えていない人 三種類の人々 本章では、序章で示した、「世間に惑わされないで生きる」幸せの五大法則の第一法則「偉大な力」に気づき「ありのままに見る」について考えたいと思います。 「偉大な力」とは、特定の信仰を持っている人は「神」とか「仏」という絶対的な存在ですが、ここでは、もちろん特定の宗教をお勧めしたりまして強要するつもりもありません。が、ごく自然に考えても この地球や宇宙はなぜ、存在するのか、は誰にもわかりません。それどころか、「種をまくとなぜ、芽生えるか」「犬の子はなぜ犬に育ち決して猫には育たないのか」など、日常の身の回りの自然や動植物の営みについてはわからないことばかりです。この「自然の営みをコントロールしている力」を認め、「素直な気持ちをもって周囲を見る」 言葉を換えれば「なんでもわかったつもりにならない」謙虚さ、素直さのことを指しています。 「ものごとをありのままに見る」ということは、できそうでなかなかできないことです。特に高学歴で知識を増やし、自分の知識に自信を持っているいわゆるインテリには、物事をありのままに素直にみることができなくなっています。 この素直な心構えができていれば、他人にだまされるということもなく、自分を見失って思わぬところで挫折することもないはずですが、ふつうの人は、それがなかなかできず、悩んだり、失望を味わったりするのです。 本書の読者には、いろいろな人がいると思われます。第一に―― まえがきで、「世の中どうかしてる」「これから日本はどうなる」といわれても、あまりピンとこないで、 ・けっこう幸せだ と考えている人もいるかも知れません。しかし、これは少し考えものです。やはり、私たちの身の周りでは、よくないことが起きていますし、政治、経済、教育、医療などあらゆる面で、問題も多いのです。素直に見れば、いろいろな問題に気づくはずなのに、そんなことには関心がなく、「自分さえよければそれでいい」と考えるのは、よくありません。 これでは、ありのままに見ていることにならないのです。自分さえよければ、で通っていればよいのですが、いつの間にか、自分をとりまく状況が悪くなっていた、ということも十分あるのです。 現に、地球環境はどんどん悪くなり、大ぜいの人が危機を訴えているのです。ですから、これまでそういうことに無関心だった人たちにも、素直な気持で、自分自身と周りを見つめることをおすすめします。すると、自分自身にも至らないことが多く、やるべきこともたくさんあること。また、周りを見れば、不都合なこと、理不尽なこと、腹立たしいことなどいろいろあることに気がつくようになります。また、自分自身が何かできることはないか、と考えるようになればなおよいことでしょう。 世の中には、ボランティア活動などに積極的に参加している人も大ぜいいるし、自分を磨くために一所懸命の人もいるのです。 そういう必要性に「気づくこと」が先決です。 阪神・淡路大震災、そして東日本大震災、地震、津波に続き。原発事故が起きて、停電、放射能汚染、農業、漁業の危機… 「これで目が覚めた」「人生観が変わった」という人も少なくないので、この「第一のタイプ=ノウテンキ」「気づかない人」はかなり少なくなったのかもしれません。が、ここで注意しなければならないのは、単に「絶望した」「希望を見失った」というのでは、「ありのまま」ではないのです。ここが肝心です。これについては、後で考えることにしましょう。
2019.10.03
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まともに生きている人、幸せに暮らしている人の共通要素は何か。少し、おかしい人、悩んでいる人とどこがちがうのか。これこそ、人類永遠のテーマといってもよいでしょう。私自身は、これをライフ・ワークのテーマとして、長年、実践・研究してきました。 それを一言でいうのは難しいのですが、読者の中には、せっかちな人も多いと思われますので、結論を先に示しましょう。 *「自分を見失わない」で幸せになれる五大法則(自己実現者の要素) (1)「偉大な力」に目覚め、ありのままに(自他を)見ること。 (2)自立していること(自分で責任をとること)。 (3)偉大な力を借りて心身の健康を維持、増進させる。 (4)人間関係の達人になるー自分と他人を大切にすること。 (5)労を惜しまず「人の役に立つ」こと。
2019.10.03
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第1章 「偉大な力」に気づき「ありのままに見る」――自分を見失わないで生きる第一法則 ○ 気づいている人、半分気づいている人、全く見えていない人 三種類の人々 本章では、序章で示した、「世間に惑わされないで生きる」幸せの五大法則の第一法則「偉大な力」に気づき「ありのままに見る」について考えたいと思います。 「偉大な力」とは、特定の信仰を持っている人は「神」とか「仏」という絶対的な存在ですが、ここでは、もちろん特定の宗教をお勧めしたりまして強要するつもりもありません。が、ごく自然に考えても この地球や宇宙はなぜ、存在するのか、は誰にもわかりません。それどころか、「種をまくとなぜ、芽生えるか」「犬の子はなぜ犬に育ち決して猫には育たないのか」など、日常の身の回りの自然や動植物の営みについてはわからないことばかりです。この「自然の営みをコントロールしている力」を認め、「素直な気持ちをもって周囲を見る」 言葉を換えれば「なんでもわかったつもりにならない」謙虚さ、素直さのことを指しています。 「ものごとをありのままに見る」ということは、できそうでなかなかできないことです。特に高学歴で知識を増やし、自分の知識に自信を持っているいわゆるインテリには、物事をありのままに素直にみることができなくなっています。 この素直な心構えができていれば、他人にだまされるということもなく、自分を見失って思わぬところで挫折することもないはずですが、ふつうの人は、それがなかなかできず、悩んだり、失望を味わったりするのです。 本書の読者には、いろいろな人がいると思われます。第一に―― まえがきで、「世の中どうかしてる」「これから日本はどうなる」といわれても、あまりピンとこないで、 ・けっこう幸せだ と考えている人もいるかも知れません。しかし、これは少し考えものです。やはり、私たちの身の周りでは、よくないことが起きていますし、政治、経済、教育、医療などあらゆる面で、問題も多いのです。素直に見れば、いろいろな問題に気づくはずなのに、そんなことには関心がなく、「自分さえよければそれでいい」と考えるのは、よくありません。 これでは、ありのままに見ていることにならないのです。自分さえよければ、で通っていればよいのですが、いつの間にか、自分をとりまく状況が悪くなっていた、ということも十分あるのです。 現に、地球環境はどんどん悪くなり、大ぜいの人が危機を訴えているのです。ですから、これまでそういうことに無関心だった人たちにも、素直な気持で、自分自身と周りを見つめることをおすすめします。すると、自分自身にも至らないことが多く、やるべきこともたくさんあること。また、周りを見れば、不都合なこと、理不尽なこと、腹立たしいことなどいろいろあることに気がつくようになります。また、自分自身が何かできることはないか、と考えるようになればなおよいことでしょう。 世の中には、ボランティア活動などに積極的に参加している人も大ぜいいるし、自分を磨くために一所懸命の人もいるのです。 そういう必要性に「気づくこと」が先決です。 阪神・淡路大震災、そして東日本大震災、地震、津波に続き。原発事故が起きて、停電、放射能汚染、農業、漁業の危機… 「これで目が覚めた」「人生観が変わった」という人も少なくないので、この「第一のタイプ=ノウテンキ」「気づかない人」はかなり少なくなったのかもしれません。が、ここで注意しなければならないのは、単に「絶望した」「希望を見失った」というのでは、「ありのまま」ではないのです。ここが肝心です。これについては、後で考えることにしましょう。
2019.10.03
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父が51歳で急逝し、1年五か月の乳飲み子だった私をはじめ兄三人をあの戦争のさなか、無事に成人するまで育ててくれた母。強くて優しい母に感謝の念を新たにする。
2019.10.02
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地球環境の変化、災害の頻発、千葉県を中心に台風の災害、停電、暖水が2週間以上も続いて、「これから、どうなる、どう生きる」という疑問、不安を持つ人もす君くないと思います。天災は仕方がないにしても、あおり運転や家族の殺傷事件、子供の虐待、ニュースを見ていると「人間がおかしくなっている」と思うことも多いですね。 でも、まともに真面目に生きている人のほうが圧倒的に多いと思います。 こんな世の中で、どう生きたらいいか、考えていきたいと思います。
2019.10.02
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