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あけましておめでとうございます。旧年は大変お世話になりました。今年も宜しくお願い致します。2006年の幕開けをきっかけにブログを再び書いてみようという気になった。私はいままで、バーチャルな世界になにか否定的な感情を抱いていた。生身の泥臭い人間関係ではなく、バーチャルな世界のネットワークで、生産的なつきあいができるはずがないよね、、、なぁんて思っていた。・・・少なくとも、私がブログを始めた頃はその考えも間違っていなかったと思う。でも、時代は変わったんだなぁ。周りの人間がブログを始め、遠くの友達や旧友のネットワークが広がりだしたし、いつのまにか、生身の人間関係をより深くて強いつながりにするツールになっていた。あれれ、時代の変化ってあっという間よね(^_^;)いつのまにか出遅れてしまったみたいだ。今年で大学生活が、終わる。私には、夢がある。でも、こんなにも時がたつのが早いから、全然手をつけられずにいた。嘘。本当は時がたつのは早い・・・ってのは、言い訳かな。これ以上大切な時間を無駄遣いしてはいけないなぁ。と、今年は思った。今年の抱負が決まった。「夢に向かってアレをする!」(夢とアレは内緒です・汗)今年は絶対にする。今まで後回しにしてしまったけど、ちょっと冒険だから怖いけど、眠ったときに見るようなバーチャルな夢じゃないんだ。この夢は、現実だ。自分がやらなければ何も進まない。だから、ことしはやる。誰がなんと言おうとやる。笑われても、無理だと言われても、やる。覚悟を決めたんだ。
2006年01月01日
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勉強は努力、面接は・・・?外見は黒髪、リクルートスーツだよね。日本人だもん。ああ、もっと目立つ名前だったら良かったな・・・。世の中(で想像するのは日本)に認めてもらえる人にならなきゃ・・・国際的に通用するような人にならなきゃ・・・あれ?なんか矛盾しているような。。。私たちは日本独自の文化を守りつつも対外に通用する技術と知識を要求されているんだ。私はもう看護師の資格は取っていて、就職試験ではさらにその上を望まれているんだ。だとするなら法治国家なのだから、自分が立法に関わらないとして、それに従うべき立場に進むとして、まずできることはなんだろうか。結局、よくテレビでもやっている法律の穴だろうか。研究を進めるために、患者を守るために、法律の脆弱な部分を縫って行っている医療だって少なからずある。反対に、法律がある故に救えない疾患もたくさんある。私は何を信じればいいんだろう、自分を信じて非難されている人もいる。終わり泣き夢を追っていつゴールがあるのかも分からない。それでも親友は言ってくれた。「どんなに忙しくても、やることが多くても、6時間の睡眠と栄養さえ削れなくてちゃと取れば乗り越えられるよっ」って。たしかに栄養と休養は大切だ。単純なものだ。
2005年04月06日
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私のホームページのテーマだ。こないだ実家に6日間だけ帰った。たまたまデパートの催事場でやってた動く大恐竜展に行った。周りのほとんどは子供たちだった。恐竜は細部までリアルに作られており、動きも機械のわりにはしなやかで、スリルがあった。すごいなぁ、恐竜ってこんなにおっきいんだー。と素直に感動した。入り口と出口に子供たちが描いた恐竜の絵が貼られていた。ピンクの恐竜、黄色の恐竜。水玉の恐竜。花柄の恐竜。中には、なにこれ!?っていうデザインの恐竜も。っていうか、君たち、この恐竜展で何を見てきたの?と突っ込みたくなるほど似ても似つかぬ恐竜たち。・・・でもまてよ?恐竜の骨は見つかっても皮膚の色までは判明されてないよなぁ。そう言えば、恐竜の皮膚のデザインは空想だって聞いたことがある。水玉の恐竜、、、絶対いないとは言えないな(^_^;)私は今まで見てきたTVの映像や何かの挿絵などで恐竜のイメージが出来上がっていたんだな。見たことないのに。それにしても、恐竜展でリアル恐竜を見た直後によくピンクのクレヨンを握って恐竜を描けるなぁ・・・子供は、現実を見ながら空想の世界で生きているのだろうか。そう言えば、小学校1年生の児童をうさぎ小屋に連れて行き、目の前のうさぎの絵を描きなさいと課題を出したら、約8割の生徒がピンクのクレヨンで書いたという。目の前のうさぎがピンクに見えたとは到底思えない。だけど、なんでピンクで描くのだろうか。子供の目ってどんな風に移ってるんだろう。でもピンクのうさぎってすごくカワイイ。ファンタジーの世界に住んでるね、きっと。私も子供のような素敵な目がほしいな・・・。と現実逃避に走る今日この頃です。
2004年08月26日
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優しくすることは共感することだけではすまされない。むずかしいけれど、その人にとって未来を考えていかに幸福かを考慮してアドバイスをすることだと思う。相手の生活観とか家族背景を考慮する必要もあるが、そんなものよりモラルとは、法律という規制があっても勝る理論だと思う。なぜなら、不文法ではあるものの、それこそが日本人の意見が最も反映されているある種の法律だからだ。では、明文化されている法律は、ちゃんとした法律であるのになぜこんなに理不尽なことが多いのかというと、立法機関のシステムにより国民の意見があまり反映されていない、というのもあると思う(語ると長いよね・・・汗)。しかし、モラルというのははまさに国民の多くの意見が反映され、多くの人が思っている法律である。(確かにそうではないと思っている人もいるが、それは多人数勢力により力を失う。それが問題である場合もある。しかし多人数勢力に対抗することは一時的には難しいだろう。)ようは、アドバイスするときに大切な用件は、何でも受け止めるのではなく、助けたいと思う相手が将来的にいかに幸福であるかだと思う。東海大学病院で行われた安楽死をとりまく裁判でもそうだった。裁判中、けっきょく議論の中心は家族と病院ばかりだった。本当に大切なのは本人の幸福なのではないだろうか。たとえ本人が今、意思表示ができなかったとしても、たとえそのときに何も言えなかったとしても、たとえそのときに混乱していて判断できなかったとしても、その後の当人がどうしたら幸せだったかは、家族を大切にする日本文化やモラル的に考えれば想像つくものじゃなかったのだろうか。家族は疲労して患者の死を望んでいたとしても・・・たとえ家族が忙しいことは分かっていたとしても・・・最後の別れの一言は交わしたかったのではないだろうか・・・。この事件の場合、結局家族の意思を尊重して安楽死を図っている。家族と患者の会話は不可能なまま。当人の気持ちはどうなのだろうか・・・。本人が意識不明だからといって家族の気持ちをそのまま受け止めることが正しいとは私は思えない。死に行く未来のない人に少しでもいいようにと考える優しさがほしいものだ(これは事件をしらないと想像できないかも・・・)つまり、アドバイスをする第三者というのはそれほどに重要他者なのだ。それゆえに日本の文化や哲学を学ぶ必要があるのかもしれない。簡単に受容、共感などするものではない。そんなことを考えながら哲学の本を読んでいる、今日この頃だ。
2004年08月21日
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人生の勝ち組になるにはどうしたらいいのだろうか、日々思案中だ。今のところ、効果があると確信できるのは、いい意味で目立つことだ。有名な本の著者の名前も芸能人のコンビ名も大手メーカーのキャッチフレーズも売れているものはインパクトのあるものが多い。普通の名前やタイトルでは流れては去る多くの情報にまぎれて忘れさられてしまう。いかに人の記憶に残すか・・・私の名前はありきたりだ。だけど性格だけはありきたりじゃないらしい。私は自信もってありきたりじゃない人でいようと思う。みんなの中にインパクトのある私を刻みたい。地球に優しいちゅかこでした。(うーん、いまいち)
2004年08月06日
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森羅万象、有為転変といわれる。現代は情報社会とよばれ、大量の情報が本、雑誌、テレビ、ネットなど様々な媒体から流れては移り変わる。今の私と、1秒先の私はすでに違う私である。人はよく、「社会に乗り遅れるな」と言う。情報は高速で流れ、社会は変化し続けているからだ。「奢れる人も久しからず」人間はどんな人生を送ろうともいつか死がやってくる。人間は、世の中は、そんなに儚いものなのかな。私はそうは思わない。社会は変化しつつも情報は流れているとは思わない。社会の動きが、自分の人生が、動的なものすべてが、文字と言う手段に限っての情報に変換された場合に限って普遍的になるのではないだろうか、と思う。昨日届いた新聞は、今日はすでに古いけど、文字として、ある一転の動的な情報が普遍的に存在するようになる。(私はこれを勝手に普遍的情報社会と名づけてみた・笑)私という存在も、肉体は滅びても名を残すことはできる。生きてきた証拠を本にすれば、人生の一部を普遍的にすることができる。地球が滅びない限り。その為には、後世語り継がれる人物にならなければ。私が朽ち果てても、名前は鮮やかでいつまでも朽ちない人物になりたい。ナイチンゲールのように!
2004年07月30日
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仲のいい友達とお泊りをすると決まって出てくるネタは恋愛話。友達の恋バナを聞くのはとても興味深い。友達が恋愛アプローチをかけて成功する、失敗することはとても客観的に分析できる。恋をするとコミュニケーションスキルがアップするように思える。「こんなこと言ったら誤解されるかな?」「今の失言かな!?」と考えながら話すし、相手をよく観察していて言語以外の情報を一生懸命に読み取ろうとする。そうしているうちにいろいろ学んでいる気がする。友達の恋バナを聞いて無意識に、間接的にコミュニケーションスキルをアップしようとしている。自分だったらこうするよ!とアドバイスしながら「こういうときにはそうしよう!」と学んでいる。自分のアドバイスにより友達が恋人と上手くいったときには喜びもひとしおである。自分も友達もうれしい。自分も友達も成長している。人間関係は、恋愛においても友情においても、お互いに影響しあって切磋琢磨に生きるのがすばらしい。そんなことを考える今日この頃です。
2004年07月26日
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普通っていったいなんだろう。できるだけ普通の人が好かれるのだろうか。さらには、普通を土台にして、さらになにか能力がある人が魅力的なのだろうか。普通の人ってどんな人なのだろうか。じゃあ、普通じゃない人とは?じゃあ、個性とはなんなんだ?性格が普通、顔が普通、体格が普通、稼ぎが普通、職が普通。いろんな普通がある。普通とは、世の中の半数以上がそうであることではないかと思う。つまり、最低でも世の中の50%がそうであるということではないだろうか。100%に近いほうがより『普通』であるのだろう。いまや、髪を染めているほうが普通である。いまや、大学に行くほうが普通である。いまや、携帯を持っているほうが普通である。もっといえば、『普通』が『常識』であるのかもしれない。二重がかわいいのが常識である。将来結婚するのが常識である。さらには、多数決で認識されることが真実かもしれない。私は明るくて前向きである。私は、うたれ強くて立ち直りが早い。私は、自由奔放に生きている。だとしたら、普通も常識も真実もたいしたことはない。なぜなら、それが50%以上という暗黙の了解の上に成り立つのなら、それは1以下1/2以上の確立でしかないのだから、あらゆる面で普通の人と言うのは、つまり、、、1/2×1/2×1/2×・・・それってすごい偶然の産物ではないか?では、普通の人とは世の中に偶然1人いるかいないかではないか?普通の土台でどこかに才能のある人はごくわずかではないか。普通の要所を持ち合わせている人間こそが、最も普通ではないのではないか。私は、自他共に普通でない部分を人間らしさとして感じていきたい。
2004年07月22日
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みんなが日記書いてるから自分も書いてみた。生まれてこのかた、交換日記以外に日記らしきものを書いたことがない。交換日記も今回の日記も、回りに流されて始めてみた。そういえば、交換日記は全部自分が止めてたっけ・・・(汗)ああ、この頭の中の妄想が、自分の精神的成長のヒストリーとして記録に残ってしまうのが恐ろしい。世はすでに、マインドまでも情報公開を望まれる時代となったのだね・・・・
2004年07月21日
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