今日は気がつけば20時でした。
どうも最近学校で仕事をしていると、
知らぬ間にめっちゃ時間が過ぎています。
時を忘れて仕事ができるというのも、ひとつの幸せでしょうか。
いろいろ変化があり、それに振り回されている気もしますが、楽しんでいきたいと思います。
ずっと紹介してきた本の読書メモ、今日が最終回です。
いい本に出会わせてくれたことに感謝します。
『障害があるからこそ普通学級がいい
「障害」児を普通学級で受け入れてきた一教師の記録』
(片桐健司、千書房、2009、1600円)
今日は、最終話「いろいろな子たちとの出会いから」を参照していきます。
(第1回は こちら 。)
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『障害があるからこそ普通学級がいい』
6
(p207~。 緑文字
は僕のコメントです。)
「教室に入れなくなった子」について
・教室に戻ってこられるかどうかはともかく、
子どもたちが必要としているのは、
その子の気持ちになって
いっしょにそばにいてくれる人
なのではないだろうか。
・それがいけないことではなく、
それがその子が自分を表現した絶好の機会であるととらえて、
その子とのかかわりをそこから問い直していくこと。
僕も教室に入れなくなった子に関わることがずいぶん多くなったのですが、
1つ目の「その子の気持ちになる」が重要だと感じています。
担任の先生やクラスの友達が、そういうふうになってくれたら
ずいぶんクラスにも戻りやすいのでは、とも感じています。
実際、その子の気持ちを考えようよ、という時間を学級でとっていただいたりして
子どもたちがそれからことあるごとに誘いに来たりと、
うれしい変化も感じています。
たとえ本人がクラスに戻れなかったとしても、気にしてもらえる、
誘ってもらえるということは、うれしいことなのではないでしょうか。
2つ目のことは僕にはちょっと難しいです。
まだまだ「いけないこと」と考えてしまう自分がいます。
「自分勝手にみえたFくん」について
・ こちらが真剣に伝えようと思って言ったことは、
そのときはけんかになっても、
彼は心のどこかでその言葉を受け止めている。
そのときは結局けんかになってやらなかったことを、
何日かして「先生、ほら」などとやって持って来ることがよくある。
僕は個人的に「音楽」が大好きなこともあり、
「音楽」の時間にリコーダーを吹かずウロウロしている子について
まず自分が音楽の主指導に回って活動に誘ってみたものの撃沈して(^^;)
授業の終わりに隣の部屋で1対1でかなり真剣に思いを伝えたことがあります。
わりと最近。(^^;)
普段はほとんど厳しいことを言わないのですが、
「ここは」というポイントだけ絞って、ビシッと言うべきことを言うのは
必要だと思っています。でも、子どもとの関係が崩れないかとか、
いろいろ心配の方が大きくなって、後になると「やりすぎたかな」と反省します。
実際やりすぎたり、言い過ぎて失敗したこともたくさんありました。
でも、音楽のリコーダーについてかなり激しくやりあったときは
その後4~5時間後に会ったときに笑顔で「通級に行っていいか」と聞いてきたので
「あ、関係が崩れてなかった」と思い、うれしかったです。
あのときのこちらの気持ちは、通じていたと思うのですが・・・。
・彼にとって、新しく出てきたものを受け入れることは、
大変なことであるようだ。
・彼の心の準備ができるまでに、ある程度時間がかかることは確かである。
だからそこはゆっくり待つ。
・ (エピソードを綴った学級だよりより)
もう少しで、今度は私とFくんでものすごいけんかが始まりそうだった。
私も、だんだん かっかしてきたからね。
でも、そのとき、Fくんの目の奥に
「ぼくもちょっと悪かった」ってマークが見えたのね。
だから、今日はこれ以上言わないでおこうと思ったの。
この
へんは非常に感覚的なものなのですが、
だんだんつきあいが長くなってくると、わかってくること、
感じられることって、ありますよね。
僕はそのへんかなり鈍感なほうですが、
「あ、これは・・・」と思う兆候が見られると、
そのカンを信じて、指導や支援をがらっと変える、ということがあります。
これは本当に子どものことを見ようとして見ないとわからない、
自分のさせたいことに固執したり
子どもと自分の関係で子どもをイヤだなあと思ったりしていると
わからないことだと思います。
だからこそ、「あ、今 あやまろうという気持ちになったんじゃないか」とか、
そういう気持ちの表れが感じられたときは、
嵐の中に一筋の光を発見したような気がして、うれしくなります。
「あとがき」より
・もし「障害」をかかえたお子さんをお持ちの方がいたら、
そういう子でも普通学級でやれるんだ、ということを
知ってほしい。
・「障害児が普通学級にいていいんだ」ということが
当たり前になったらいいなあと思う。
こういう思いがあるからこそ、こんなに素敵な本ができたんだと思います。
本当に、それが当たり前になるといいなあ。
「障害児を普通学校へ・全国連絡会」について
・すべての子どもに差別のない生活と教育を保障する
・就学先の決定に際しては、
すくなくとも本人と親・保護者の希望を最優先させる
上の2つは特に心に残ったところです。
この会には、少し前に入会させていただいたところです。
会費を振り込む前に、会報の見本をいただいたのですが、
非常に勉強になることが多く書いてありました。
特に今は「インクルーシブ教育」に向けての過渡期ですので
国際法や国内法などの情勢もふまえて最新情報を入手できる
こういった会の会報は、勉強になることばかりです。
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みなさんもよかったら読んでみてくださいね。
それでは、また!
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