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山を越え、谷を渡り、凌風は一人、旅を続けていた。
背には祖父から譲り受けた布袋、胸には石碑に刻まれた太極拳経の言葉。
「太極は無極より生じ、動静の母なり」
その意味を、彼はまだ知らなかった。ただ、知りたいと願っていた。
三日目の朝、霧の中に一つの門が現れた。
苔むした石の門柱には、筆太にこう刻まれていた。
「鼎派楊式太極拳 修行之門」
門の奥には、静かな庭と、一本の老梅が立っていた。
その下に、白髪の老人が座していた。
彼こそが、 古雲真人
――
五派を極めた伝人であり、今は世を離れ、ただ「型」を守る者であった。
「お前が来るのを、風が知らせていた」
老人は目を開けずに言った。
「 …
弟子にして下さい」
凌風は、地に膝をつき、深く頭を下げた。
「弟子とは、教えを受ける者ではない。己で問い、己で答えを見つける者だ。お前にそれができるか?」
凌風は答えなかった。ただ、静かに立ち上がり、祖父から教わった「気功架」の型を始めた。
起勢 ――
左堋 ――
欄雀尾 ――
その動きは、まだ未熟だった。だが、風と共にあり、心と体が一つになっていた。
古雲は目を開け、微かに頷いた。
「よい。では、型を学ぶがよい。だが、忘れるな。型は、学ぶものではなく、 学ばされるもの だ」
その日から、凌風の修行が始まった。
修行初日。
彼は、風雷双童と出会った。
風童は陽の気を纏い、雷童は陰の気を纏っていた。二人は双子でありながら、まるで陰陽の化身のようだった。
「君、動きが風っぽいね。でも、雷には届いてない」
風童が笑いながら言った。
「雷?」
「雷は、意。風は、気。太極拳は、気と意の間にあるんだよ」
雷童は黙っていたが、凌風の動きを一瞥し、こう言った。
「君の型、まだ “ 止まって ” いる。太極拳は、止まっているようで、動いている。動いているようで、止まっている」
その言葉が、凌風の胸に深く刺さった。
夜、古雲真人は、凌風に一本の巻物を渡した。
それは、 **
「十訣」 **
と呼ばれる、太極拳の奥義が記されたものだった。
虚霊頂勁、含胸抜背、鬆腰、沈肩墜肘、分虚実、用意不用力、上下相随、内外相合、相連不断、動中求静
「これは、型の中に隠された問いだ。答えは、型の中にある。だが、型の外にもある」
凌風は巻物を胸に抱き、夜空を見上げた。
星は静かに瞬き、風は彼の頬を撫でた。
「型の中に、何があるのか ――
」
その問いが、彼の旅の始まりだった。
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