僕の相方から借りた本。
福島智さんの母玲子さんが「指点字」を見つけるまでのドキュメント。人は誰かのために生きるということが本当に可能なのだと思い知らされた。
相方は智さんが高等部時代に独り暮らしをしたいと手紙を出す部分に多くを読み取ったそうだけど、僕には少年の頃の闘病のあたりが強く印象に残った。次の文章は、右目を摘出し、さらに左目の手術を前にしたときの智少年の言葉を母が書きとめたものだ。
「お母ちゃん
なんで 注射せんならんの
どれくらい 痛いの
なあ
どれくらい痛いか 僕の手つねってみて
ほんとに それくらいだけか
--心配せんでもよろしい 赤ちゃんでもするんよ
赤ちゃんは泣いた?
--赤ちゃんは 小さいから そら泣いたよ
僕は泣いてもよいか?
--泣いてもいいよ
お母ちゃん したことあるんか
--あるよ 小さいとき 一杯したよ
泣いたの?
--お母ちゃんは 女の子やし弱虫やから泣いたよ 僕も 泣きなさい」(52-53ページ)
この言葉を聞いて勇気を出したのか、智さんは「処置室の看護婦さんに向かって自分から突進していった」そうだ。
僕はこういう美しい詩のような文章にとても弱い。
さらっと、なんの衒いもなく出てくる言葉。
「泣いてもいいよ」と言ってあげる母親の心の中は、自分が泣きたいような気持ちで一杯だったかもしれない。智さんが「僕は弱虫じゃない」という態度をしめしたことに、母親はどんなに救われたことか。
このとき母親の存在は子どものためにあり、子供の存在は母親のためにもある。この「も」というところの非対称性が、ケアの本質のひとつをなしている気がする。
智さんが「どん底」の最後に踏みとどまることができたのは、他者のために「も」ある自己存在をベースにしているのではないか。
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