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明日(18日)デ-トだべ(ノ∀`*)
手料理が彼方を待ってます** なんちゃって**
渋谷LUSHに初参戦!?
LUSH石鹸のストック2個になってたから
何個か買っちゃお( ノ)'Д`(ヽ) むぷ
以降の文面は故人を想った、 阪神淡路大震災
に関しての日記です。
毎年、表向きに綴るようにしているのですが。そのような文を好まない方は
どうぞ、 逃げ出して
くださいませ。
当時、被災者でしたが。まだ幼かったため。心境も違い。
当時の他の被災者の方の気分を害する文面の恐れもあります。
再度通告致しますが。
感傷的で故人を想う文面に不快感を抱く方は コチラから
から。
1995年から12年か。
ガレキの山と血まみれの人と真っ赤な風景は
今でもこんなに鮮明に思い出せるのに。
なんで、こんなに月日がたっているのかしら。
95年から5年後のこの日。あたしは全校集会の黙祷式で気絶した。
あたしのような子供がでないように
前の4年間はあたしの学校では黙祷式が行われなかった。
11歳のあたしは人のもろさと、その全校集会に立つはずで。立っていない
あたしと同じ歳になるはずの子供を考え頭がパンクした。
保健室に運ばれて、起きたときに傍にいたのは
庭師で算数をまれに担当するおぢちゃんだった
あたしはこのおぢちゃんと仲良しだったわけで
気絶して低血圧になってしんどかったあたしには嬉しい人だった
あたしは心境を無茶苦茶で弱弱しい言葉で彼に伝えた
彼もなにか先生らしい事を2つ3つ言ったがよく覚えてない
ただ、あたしがそれからの7年間(これから先も)目標とした言葉を言った
"君が責任を感じている人の分だけ
何倍も不幸になって、人の何倍も幸せになれ。"
亡くなった人の為といわず。あたし自身の為といったその言葉は
忘れそうになりながらも、あたしの中に根付いて
この言葉を思い出すとあの言葉は
あたしを大胆にさせる事もあり。あたしにあたしを突き落とす事さえさせる。
この日はあたしの大事な幼馴染達が最後を迎えた日であり
あたしが普段の気性を捨てて。堂々と隠さずに不幸と罪悪感と
行き場のない虚しさを噛みしめる日。
追悼の言葉を表したいけど
18のあたしにはそんな力はないので、心の中で悼むだけにします。
人の倍も幸、不幸を噛み締められる気しない
でも、逝ってしまったあの子達を忘れないため
生き残ったあたしは奔放に生きてやる。