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さて、明けて2008年。二つの舞台に立つことが決まっています。どちらも一般の参加者を中心とした舞台ですが、お金を払って観に来て下さるお客様に喜んで頂けるよう一生懸命稽古しています。もし、興味がありましたらご覧になって下さい。 チケットは公演日時、チケットの種類(大人、こどもなど)、枚数を指定の上、私まで御用命下さい。指定場所にお届けもしますし、郵送も出来ます。「オシャレな果実」に関してはコンカリーニョなどでも販売していますし、「ピアニャン」に関しては札幌サウンドアート専門学校他でも取り扱っています。 まずは一つ目。平成19年度文化庁芸術拠点形成事業温故知新音楽劇「オシャレな果実」公演日2008年2月9日土曜日 18:00~ 2月10日日曜日 14:00~開場は開演の30分前10日の公演後に地域座談交流会を開催会場生活支援型文化施設コンカリーニョ札幌市西区八軒1条西1丁目 ザ・タワープレイス1階(JR琴似駅直結徒歩1分)チケット中学生以上 前売り500円 当日800円小学生 前売り100円 当日300円*未就学児は保護者の膝の上なら無料 このお芝居は大正時代の琴似地区を舞台にしたもので、二組の農家をお話しの軸として、新しい文化が急速に入ってきて時代が変わっていく中で、人々のとまどいや驚き、そして変わらない心意気などを描いた物語です。基本的にコメディなので、老若男女誰でも楽しめるものになると思います。演出は斎藤ちずさんです。 私の役柄は無声映画の弁士役で、最初と最後の方に出てきます。当時無声映画の弁士というのは役者以上の大変な人気だったそうですが、トーキー映画の登場と共に無用の長物となり、やがて酪農に挑戦していくと役柄のようです。 さてもう一本はミュージカルです。ミュージカル「ピアニャン」公演日2008年3月2日 日曜日 一回目 開場16:00 開演16:30 二回目 開場18:30 開演19:00会場札幌市教育文化会館 大ホール 札幌市中央区北1条西13丁目チケット おとな券 前売り2,000円 当日2,500円 中高生券 前売り1,500円 当日2,000円 こども券 前売り1,000円 当日1,500円 おやこ券 前売り2,500円 当日3,000円 札幌サウンドアート専門学校のプロジェクトとして一般参加者50名以上を集めたミュージカルで、博多出身の野良猫ピアニャンが札幌へやって来て、様々な挫折を経験しながら強くたくましく生きていく物語。演出は金田一仁志さんです。 私の役はコマーシャル撮影現場の“カントク”で、主人公ピアニャンを食い物にしようとする悪徳芸能ブローカー・サクラの手先で、悪役です。この舞台も出番は少ないですが、エキストラ役でも数回出ます。ミュージカルなので当然ダンスシーンもあります。 「たった一度の人生だもの、楽しく生きなきゃ損じゃん」をテーマに、未就学児から70代までの参加者が頑張っています。尚、主役であるピアニャンと他数組の役はダブルキャストとなっていますので、一回目と二回目は違う役者が演じます。 楽しんで頂けるよう精一杯演じさせて頂きます。お時間があれば是非ご覧になって下さい。
2008/01/05
約1年ぶりに舞台に立つことになった。芝居のノリは松竹新喜劇風。ほんとはちょい役の筈だったのが、なんだか出番が増えて結構目立つ役になってしまった。ちなみに私の役は“元雄”という任侠かぶれの劇団の用心棒で、色恋にはからきし弱い純情なおじさん役である。劇中で芸事のお師匠さんとの恋物語もあるのだ。「蝶よ、花よ~琴似新劇団物語~」日時:2月25日日曜日 午後1時半開演~ 午後6時開演~劇場:コンカリーニョ(札幌市西区八軒1条西1丁目 JR琴似駅直結ザ・タワープレイス1階)チケット:前売り500円(小学生100円) 当日800円(小学生200円) 未就学児は無料☆尚、チケットは直接販売の他に、予約して頂ければ取り置きして当日前売り料金での精算も可能です。脚本:高橋聡演出:斉藤ちず音楽:橋本幸衣裳:佐々木青 琴似新劇団は1929年(昭和4年)に琴似の商店主らで結成され、「琴似館」という劇場で時代劇や創作劇を上演していた実在の劇団である。地元の歴史を参考にしつつ、当時の演劇に打ち込む人達の様子を大胆なフィクションで賑やかな音楽劇に仕立て上げる。 主催は“芸術文化によるコミュニティ再生支援事業実行委員会”で、NPO法人コンカリーニョが主体となって運営する。出演は大半が地元の西区民で、小学生や主婦を中心に24名が参加している。演劇を通して琴似地区に興味を持ち、仲間を増やして貰おうという試みである。
2007/02/11
3年ぶりにYOSAKOIソーラン祭りに踊り子として復帰することになった。チームは「舞DoCoMo」。今年も火消し半纏を着てコミカルに舞い踊る。7日水曜日 西8丁目ステージ 20:22~9日金曜日 西8丁目ステージ・ソーランナイト 17:35~ 四番街 18:48~、19:06~10日土曜日 JR札幌駅 11:06~ 本郷通西 13:06~ 清田 14:36~ 大通り南パレード 16:55~11日日曜日 ファイターズ通り 11:18~ 羊ヶ丘展望台 13:05~ 東札幌 14:36~ 一番街三越前 15:28~ ☆セミファイナル 17:20~18:30 ☆ファイナル 19:00~21:15
2006/06/06
ついに「エア」公演まであと一日となった。5か月を掛けて創り上げてきた舞台がいま目前にある。誰も見たことのないU字型巨大スクリーンが客席まで包む異空間の中で、私達が言葉を超えて何を伝えることが出来るのか? その挑戦がいよいよ始まる。 私が演じる役は謎の光を守り続けてきた一族の長。そして主人公ウレイの父親。その視点から書いた「キクト伝説」を以前にここで一部公開したが、その後全面的に書き直したものを今ここに全文掲載することにした。ただし、この文章を書き上げた直後に脚本は大幅に変更になったので、細部の設定はかなり異なるし、結末も違っている。そしてこれは物語の表面に出てこない裏の物語を中心に書いているので、これと同じ内容を舞台に期待するとガッカリすることになると思う。 ストーリーの骨格はほとんど変わらないので、これから実際の舞台を見てくださる方々は、舞台を見てからこの先を読むことをお勧めする。ネタばれになるし、私はかなり自分で演出して書いているので、たぶんあなたの想像力の方が勝ってしまうだろう。舞台を見に来られない方に私達が創り上げてきた想いを知って頂きたい。何人かのキャストはこの裏ストーリーを心の中に感じつつこの舞台に立ってくれている。 さあ、光の中に進み出る時は来た。 真・キクト伝説 光導きし鏡 その者達は神代の古代より御光を守り、御光に仕える特別な部族だった。ウサイとウレイの父は、この部族の古代よりの長の直系子孫から続く末裔として生まれ、生まれた時から「御光と人々とを繋ぐ社となる」と預言されていた。しかし、その部族そのものはすっかりかつての栄華を失い、その文化も衰退して一般社会の中に紛れて暮らしており、御光や教えについても僅かな伝承があるだけで、彼等がその一族の血脈として社会の表面に出てくることはほとんどなかった。伝説に残る御光はもう長い間出現することはなく、彼等の宗教的な行為も御光が出現しなくなってから迫害を受けるようになり、地下に潜って伝承されている程度だった。 彼の妻となった者も、同じ血筋の系統にある家から選ばれ、この夫婦は世が世なら王と王妃とも言える過去から連綿と続く長の系譜であり、一族の象徴であった。また、彼女には巫女としての優れた資質があった。それゆえ子ども達に呪文を授け、先祖からの教えを伝えていた。しかし、長は与えられた大きな使命とは裏腹に幼い頃からごく普通の子であり、さしたるカリスマ性もなく、預言を完全に信じてもいなかった。長と言っても今の時代に大きな実権はなく、ただその血筋にあることを教えられただけで、ごく普通の暮らしをしていて自分がそのようなさだめにあることを信じ難かった。しかし、一族の象徴として様々な儀式のために彼は長期間家を空けることが多く、生活は妻が小さな印刷工場を切り盛りしてなんとか暮らしていた。 子ども達も大きくなりウサイが小学校6年生、ウレイが小学校2年生の頃、彼は伝説の御光が復活したとの噂を聞くようになり、やがてかつて聞かされた使命を思い出し、それが真実なのかどうかを確かめる為に同じ部族の者達と連れだって旅に出ることにした。そして約3か月の探索の旅の後、ついに、ある山中でその伝説の御光に出会う。その光は触れる者に幸福感を与え、希望を甦らせる力を有しているようだった。御光は自ら意志を持っているようで、彼等を導くように移動し、彼等は山中深い鍾乳洞へ辿り着いた。その奥に入っていくと、ある場所で御光が一閃し、土砂に埋もれた別な洞窟の入口が彼等に示された。彼等が入口を掘り起こし中に入ると、そこには驚愕すべき異文明の痕跡があった。数万年、もっと前だろうか、弥生でも縄文でもなく、巨石に刻まれた文字は見たこともないものだった。だが、明らかに現代に近い器などがあり、恐らくはつい100~200年くらい前までは、儀式の場として使われてきたことが感じられた。そして、洞窟の奥には小さな円柱形の石棺があり、それを開けると美しい玉があった。 長がその玉を手にすると玉は急に光り出し、今まで彼等を導いてきた光の意識そのものが突然長の心の中に入ってきて合一した。そしてその玉が歩んだ過去の歴史と光の意志を一瞬にして感じ取った。彼の先祖の系譜はずっとこの御光とそれへ繋がる鍵のようなものである聖なる玉を守り続けてきたのだった。 一週間ほど彼等はこの洞窟の中に留まり、長は毎日瞑想してこの場所に刻まれた様々な文字の意味を知ることになる。そこには様々な警告があり、また数々の秘密の言葉があった。だがその遭遇以後も彼自身に大きな力が与えられたわけではなく、同じ部族の中で霊能力に於いて大きな力を発揮し、弁も立つ同族のザムザが旅の中で次第に影響力を高めていた。ザムザは人々の心を読み、予言を行い、演説をふるって多くの仲間達に支持された。やがて自分は全ての点で長よりも上であり、自分が全ての力を伝承すべきであると思うようになっていった。 だが、唯一つ大きく違ったのは、ザムザは御光を見ることは出来ても御光の意志に直接接触する力はなく、もちろん光と一体となることもできなかった。長は部族の中でただ1人、御光の“意識”に直接触れることができたのであり、御光の本当の意味・正体を知っているのは長だけだった。 野心を抱いたザムザは仲間を集めて謀反を起こす。御光と通信する為の手段であり、聖なる力を閉じこめた玉を奪い、一族の伝承の中にある御光の大いなる力の一部である、“想いを現実化させる力”を持って全ての頂点に立とうとした。 長はその部族の長い迫害の歴史の中で、一族が自分達の身を守るために伝承されていた武術の達人ではあったが、武器を持ち大人数で不意をついたザムザ達に襲われ、為す術もなく危うく命を落としかけた。しかし、ボロボロになりながらも4ヶ月振りに自宅に逃げ帰った。追ってきたザムザ達は彼の家に迫る。家族に危機が迫ったと知った時、妻は聖なる玉を手にし、意を決して古くからの教えの中にあった伝説の破邪の呪文「アリア」に力を与えた。この呪文によって召還される光は邪悪なものを滅する力があると言われていた。そして自己犠牲を伴うとも伝えられていたが、聖なる玉と共にしか働かない呪文であり、無論今まで誰も使ったこともなく、使ったのを見たことがある者も当然いなかった。邪悪さに支配されていたザムザはこの呪文によって危うく死にかけたが、持って生まれた霊能力の強さからなんとか生きながらえた。そして呪文を使った妻は御光の御許へ帰っていった。 長もまさかこの呪文が術者の命すら奪うとは思っていなかった。長にとって妻は最愛の人であるばかりではなく、何よりも一族の長としての自分の役割・使命についての唯一の理解者であり、力のない自分をいつも支え続けてくれた魂の片割れのようなもの、それを失った痛みはたとえようもなく、彼は全てが終わったかのように感じた。御光と人々とを繋ぐ社となると言われたことは何だったのか? 自分にはそんな力などなかった。しかし、光の意志を彼は直接知っている。そこから離れることはもはやできなかった。 我が子ウサイには「人殺し!」と恨まれ、彼はどうしたらいいかわからなかった。やがて、このまま自分がここにいれば再び子ども達に危害が及ぶ可能性があるので、彼は子ども達を残して再び御光に仕える旅に出ることにした。しかし、それは実は表面的な理由だった。彼は使命に自分の逃げ道を求めたのだ。癒しようもない悲痛、愛する息子からの恨み、自分の無力さ、彼にはそれを超えてそこに留まる事はできなかった。光と共にあることが自らの使命だと逃げるしかなかった。聖なる玉は自宅に隠し、自分が御光と共にあればザムザ達の目は自分に向けられると考え、御光の導くままに再び旅に出た。 精神的にも肉体的にも傷つき果てた彼は、光の導きによって旧知の呪術師の老婆の家を訪ねた。しばらくの間そこに身を隠し、傷を癒す事にしたのだ。その家には老婆の孫である小学生の娘がいた。名をヘリオと言い、まだ幼いが人の心を読み、未来を感じる力を持っていた。長にとっては息子と同じくらいの年代であり、僅かな期間ではあったが、彼女をとても可愛がった。 12年の時が経ち、ウサイとウレイは自分達だけで印刷工場を切り盛りし、御光の噂も途絶えていた。だが、長はその間に御光に導かれ、少しずつかつての部族の末裔や、遠い過去に過去生として光を護る一族を生きた仲間を捜し出し、共に旅を続けていた。ある者は旅の最初の頃に光に導かれて長に出会い、幼い頃から教わってきた一族の教えを新しい仲間達に分かち合い、実務的なことを一手に取り仕切って来た。人の見えないものが見え、人の聞こえないものが聞こえるが故にいじめられ、居場所を失って山中を彷徨っているうちにこの仲間達に出会い、受け入れられて共に旅をするようになった者。教えや儀式に興味があり、それを学びたくて旅に加わった者。人の感じられないことが感じられる特殊な能力から自分の生きる道を探し、やがてここに辿り着いた者。生まれた家に、御光と聖なる玉についての古文書があり、長と同じ正統な一族の教えによって巫女として育てられ、光の導きによってこの旅を続ける仲間達を知り、自ら最後に加わった恐らくは長と同じ血統を引く者。様々な過去を持ち、様々な個性を持つ仲間達であったが、彼等はもともと普通の社会で暮らす一般の人間であり、それぞれに特殊な異能はあるものの、普通の人と同じように感情もあり、悩みもすれば苦しみもする。 彼等は御光を守り、讃える儀式を続けていった。それは旅をする場所や人に霊的な祝福を与えるものである。だが、かつての弾圧や迫害の記憶から、人々に見つけられても特に自分達から交流は持たず、御光の教えを説き回ることもなかった。縁あって導かれてきた者は受け入れてきたが、彼等はただ無限の恵みの源である御光に純粋に感謝を捧げ、人々に幸福と希望が広がるように祈っていた。御光の恩恵を受けた人々は彼等を神の使者として歓迎し、宿や食事を提供してもてなした。 御光は意志を持って彼等を様々な場所に導く。やがて、12年の時を経て、長は自分の郷里に導かれた。だが、子ども達に会いに行く勇気もなく、森の中で密かに御光と共に儀式を行っていた。 一方ザムザも彼等を捜して各地を旅して歩いていた。しかし、人々の前にあからさまに御光が出現することはそれまでにはなく、長達を見つけることはできなかった。だが、ある日とうとう彼等を見つけてしまう。ザムザは玉の力を利用したかったが、再び12年前と同じ事が起こることをひどく恐れてもいた。それゆえ慎重に周りの人間を利用することを考えていた。 長はずっとひとつのことを考えていた。かつて一族の老予言者から聞かされた「悲しみの極みと悟りが出会う時、“最後の言葉”を使え、その時人々は真澄の鏡を超えて御光に直接触れるようになる」という言葉を。そして「その言葉を使う時は、お前自身が御光に帰還する時だ」とも言われていた。妻が亡くなったのは最大の悲しみの極みだったが、そこに如何なる悟りも得られはしなかった。彼は予言者から言い渡された言葉の意味が掴めず、困惑していた。 投稿順序を逆にしてこの下に続きを読めるようにした。一つ前の日記をご覧頂きたい。
2006/02/24
一度に一万文字しか入らないので二つに分けて掲載する。 現代において詩人が勝手に名付けた名で、「キクト」と呼ばれた彼等は特に人から隠れることもなかったが、人に積極的に接触を求めることもなく、彼等の周りに人が集まっても特に何かを自分達から説いたりすることもなかった。迫害と弾圧の歴史の中で、人々を扇動するようなことは結局自分達の活動を脅かすことになることを知っていたからだ。自分達が御光を守り、仕えることで、御光の祝福が人にも場所にも与えられ、希望が甦ることをただ広めていった。 しかし、彼等が長の郷里に入った時は状況が変わってきた。人々は御光の出現と共にそれぞれの内面の課題に直面するようになっていった。御光が再び聖なる玉に近づいたことによって、新たな意志を表し始めていたのだ。ウレイはただ家を守ろうと必死で働いてきただけの人生から恋の喜びを求めていた自分の心に。ウサイはがむしゃらに妹を守ってきたのにその妹も自分からある意味巣立とうとしている事への苛立ちと、そして父とあの現象そのものを恨み続けていた自分の心に。詩人は厭世的な詩ばかり読んでいたのに本当は希望を求めていた自分の心に。ヘリオは力を奪われることによって、全てが自分の思うがままになるかのように慢心していた自分の心に。ミルメは夫との関係の中で我慢していた本当にやりたい事への渇望に。ヌレオはなんでも無理矢理自分の考えを押しつけて妻をコントロールしようとしていた自分の心に。そしてザムザは自らの邪悪さに・・・ これこそが一族の中に伝承されてきた『真澄の鏡』の出現だった。しかし、この時、長自身もこのことには気付いてはいなかった。預言は成就に向けて確実に動き始めていたのだが。 やがてザムザが人々を扇動してキクトのところへ向かう。長を見つけ、自ら復讐を焚き付けたウサイに長を殺させようとする。長は内心動揺はあったが、愛するわが子ウサイに刃を向けられるならそれも仕方がないと感じていた。自分の行為の結果により、自分の妻であり彼等の母を奪ってしまったことに変わりはないのだから。しかし同時にウサイに人を殺すという罪も決して犯させたくはなかった。真っ直ぐにウサイの目を見つめ、彼はただ心を開いた。ウサイはこの時本当に自分の心を見つめ、刃を向けるべきはザムザであることに気付いた。しかし、詩人がそれを止めに入る。 その時、聖なる玉を持ってウレイが駆けつけた。彼女もまた一族の直系の血筋。巫女としての資質があり、天界の母から「誰かを護らなければならない時、命懸けでこれを使いなさい」と夢の中で教わっていた。いつも唱え続けていた「ツカズソワズニネガワジュ」は彼女をアリアの呪文が使えるまでに霊的に成長させていたし、「大切な人を守る為」に彼女はそれを使うことにためらうことはなかった。もう決して自分の愛する人を失いたくなかったから。だが、長にとってそれはさらなる悲劇となる。彼は叫んだ。「ウレイ、やめろ!」 しかし、ウレイにとって大好きな優しい父を、大切な兄を、愛する詩人を救えるのは今自分しかいないんだと感じていた。うろたえるザムザの前でウレイは玉を掲げて言った。 「アリア!」 眩い閃光の中にザムザは消滅した。だが、同時にウレイは命を落とす。長はまたしても目の前で最愛の娘を失った。『また護れなかった・・・』その思いの中で彼は泣き崩れた。そしてこの悲しみの極みの中で、自分が本当に大切にしなくてはならなかったのは、自分の心に真っ直ぐに向かいあい、一番大切な家族を素直に愛することだった事を悟る。それぞれにとって相対から相補へのパラダイムシフトの時が来た。彼は今こそ“最後の言葉”を使う時である時を知った。 自分の迷いから結局ウレイに呪文を使わせてしまったウサイは、父を憎んでいた自分の愚かさを知った。しかし、ウレイはもう帰ってこない。長はウサイの悲しみを見つめたあと、涙を拭い自分の左腕のバングルを外し、愛する娘ウレイの腕に嵌めた。そして、玉を持ち、立ち上がって仲間達の前に歩み寄った。皆の顔を見つめ、最後に旅に加わった女性の前に彼は立った。彼女は長と同じ直系の血筋を引き、幼き頃より御光の教えの中に生きてきた人であり、巫女として傑出した能力を持っていた。後を託せるのは彼女しかいない。長は右腕のバングルを外し、彼女の手を取り腕に嵌めてしっかりと手を握った。哀しみを超えて、無言でじっと瞳を見つめあっていた。彼女はこれから何が起きようとしているのかを感じていた。長が二度と戻らないことも。 それは長にとっても特別に辛い別れだった。その彼女は、長が妻を失って12年目にして初めて再び本気で愛することの出来た女性だったのだ。しかし、長がその想いを彼女に告げることは最後までなかった。妻への感謝の想いもあるが、妻は許してくれるだろうと感じていた。しかし、何よりも子ども達にこれ以上の悲痛を与えることは、どんな事があっても彼自身許すことは出来なかった。 意を決した長はウレイの傍に戻り、玉を置いてその前に座った。そして真っ直ぐに前を見つめた後、最後に視線をウサイの横にいる人物に向けた。それは成長したヘリオだった。かつて一時期ではあっても我が子のように接し、一族の教えも伝えた子。その子が占い師として様々な慢心、挫折、苦悩を経て、今真実に目覚め、自分の力を光の道に使おうと変わり始めていることを長は感じていた。町の人々のことは彼女が導いてくれる。万感の想いを込め彼女に向けてうなずいた。ヘリオもまた今何が起きようとしているのかを強く感じていた。 彼は深く玉に向け額ずいた。そして合掌し祈り始める。 「大いなる御光よ、あなたはその至上の愛にて我らを導き、護り、限りなき恵みを与え続けました。しかし人はあなたとの繋がりを忘れ、闇を纏い、我欲のままに生きて数知れぬ艱難辛苦を生みだしてきました。今、時満ちて我らは真澄の鏡の前に立ち、それぞれの隠された本質に出会っています。願わくば、我ら一人一人が逃げることなく真実の自分に向かい合い、その怖れを超えて再びあなたと繋がり、希望と歓喜の光に浴することを許し給え。」 彼は印を組むと、こう唱えた「エドム・エル・アヒム・サヴァートヅー・アドム」それは光の扉を開く秘密中の秘密の呪文。彼は天を仰ぎ、再び御光の意識と合一すると共に、御光の権威と力を自らの中に召還した。 「大地の精霊、水の精霊、炎の精霊、風の精霊よ。今こそ、光の御名に於いて命ぜん!我を社となし、聖なる光を人々に繋げ、我が残り火をこの子に託せ!」 精霊の力を合わせ、彼は自らの体の中にエネルギーを集約させる。「ハァァァァァーッ!」 自らの体をエネルギー変圧器となし、限界まで耐える中で彼は一瞬、父の顔に戻ってウレイを見つめ、そして呟いた。 「ウレイ・・・ありがとう」 “最後の言葉”を使う時が来たのだ。 「光よ甦れ! ドゥール・イー・ウルラ!!」 凄まじいエネルギーが彼を貫き、閃光と共に彼は全ての力を解き放った。 光が弱まっていく中で、長はその場に崩れ落ちた。彼は駆け寄るウサイを微笑みを以て見つめ、最後に残った力でウレイに手を伸ばし、その額に手を触れた。長が息を引き取ると同時にウレイに命の灯火が再び灯った。 ウレイは一瞬何が起こったのかわからなかった。しかし、傍には救おうと思った父が倒れていた。そして、彼女には何故かその時父の声が聞こえた気がした。「ウレイ、父さんはいつもお前と共にいる」 ウレイは遠くの空が不思議に輝いていることに気付いた。それが今まで自分が見ることの出来なかった御光なのだと気付くと同時に、全ての人の目に映っていることを感じた。そして彼女の心には詩人のあの詩が響いてきた。「心と 心を込めて創るものとの間に創られたものと それを見る人との間に見た人と 感じる心との間にコトバがある」 ヘリオは自分がこれから何をすべきなのかを気付いていた。力は甦った。人々の羅針盤となるために。そして詩人に声を掛けた。「今です」「え?」「これは創作ではありません。力は戻りました」「・・・・・」「大丈夫、あなたの言葉は伝わります」「あれが、エアです」 その時を境に、人々は自分達の心の内との和解を得て、誰もがエアと呼ばれる御光を見て感じることができるようになった。エアは人々の希望の集合意識に神の力が直接顕現したもの。それを見、それに触れる者に希望を与え、幸福を生み出す。信じ、一歩前に踏み出す者に夢を実現させる力を与えるのだ。長は自らが社となり、最終的に御光と人々とを繋ぎ、預言を成就させたのだった。
2006/02/24
2月25日土曜日、26日日曜日に「ちえりあ」で上演される「エア」の宣伝のため、一時的にこのサイトを再利用することにした。既に公演まで2週間を切り、稽古は連日夜11時頃まで続いている。今日はこれから真駒内の青少年会館を借りて、フル衣装での通しリハーサルだ。 昨日、最終幕シーン14の脚本が修正され、やっと物語の完結が見えてきた。まだ細かい修正があるだろうけれど、感動的な結末になるだろうと思う。私も全霊を懸けて挑む気持ちになれる内容だった。 しかし、日々の稽古はだんだんと厳しさを増し、特に演技の方では未経験の子や経験の浅い子を中心として、皆とても苦しんでいる。細かなところは自分で考えて作るように求められるし、上手く出来ていなければ容赦なく「面白くない」と作り直しを命じられる。演出自体はとても優しく、思いやり深く、根気よくやって頂いているのだが、お金を取って舞台に立つ以上甘えは許されない。程度の差はあれみんな苦しいのだ。 中には夜も眠れず、食事も喉を通らなくなり、稽古場に来るのが苦痛になってしまっている子もいる。私に出来るサポートはしているが、代わってやることは出来ない。壁は自分で撃ち破らなくてはならないのだ。体のケアもいくらかはしてやれるが、心が病めば身体も病む。倒れるのではないかと心配な子もいる。 私自身も腰椎椎間板ヘルニアと頸肩腕症候群が悪化しており、昨日の稽古終了時には立つことも歩くこともやっとの状態になってしまった。今も腰を曲げることが出来ず、靴下を履くのも大変な状態である。だが、5か月懸けてみんなで創り上げてきた舞台だ。なんとしても成功させたいし、自分達にも見に来てくださる方々にも想いを響かせ合いたい。産みの苦しみは歓喜を以て終焉する。いままで人生では別な面でもっと大変な状況も乗り切ってきた。まだ出来ることはあるはずだ。 「エア」公演の詳細は以下の通りである。「エア」2月25日(土) 14:00~/18:30~2月26日(日) 14:00~/17:30~会場:札幌市生涯学習センター ちえりあ ホール 札幌市西区宮の沢1条1丁目1-10(地下鉄宮の沢駅直結) 駐車場はすぐ隣の西友の立体駐車場が指定で2時間無料入場料:2,000円(全席自由席)チケット:チケットぴあ Pコード366-739 ローソンチケット Lコード16861 大丸プレイガイド 4プラプレイガイド
2006/02/12
『そこは出来て間もない地球。音と光が散乱している。生命も思いのままにそこにある。しかしヒトはまだいない。地球の温度が上がっていき、生命がいなくなる。地球の温度が下がっていき、雪に覆われる。すべての活動が止まり、ただ雪原の白がそこにある。気の遠くなるような長い時間が流れる。やがて、雪の中からヒトが現れる。ある場所が明るくなる。聞いたことのない音楽が流れる。明るさにヒトがゆっくりと集まってくる。ヒトたちは明るさの中心から玉を掘り出す。その玉に大いなる光が集まり、ヒトたちは幸福感に包まれる。しかし、ヒトが玉を奪い合うと、光は消えてしまう。ヒトは反省し、玉を埋め、祈りを捧げる。場所に明るさが戻る。ヒトたちは玉を見守ることにする。誰かがこのヒトたちを「キクト」と呼び、玉に集まった光を「エア」と呼ぶのは、ずっと後のことである。』 2月に上演される先進的創造活動プロジェクトの舞台「エア」のプロローグ部分である。実際の舞台の物語はずっと後の世界で、昭和40年代くらいのとある雪国でのお話しである。 私は脚本の中に出てこない裏のストーリーを主人公ウレイの“父”の立場から書き上げてみた。もちろんこれは私の勝手な創作であり、このような設定になるかどうかはわからない。しかし、もし私が“父”役をやるとするならば、このような想いを込めて演じることになるだろう。キクト伝説『その者達は神代の古代より御光を守り、御光に仕える特別な部族だった。ウサイとウレイの父はこの部族の長の直系子孫から続く末裔として生まれ、生まれた時から「御光と人々とを繋ぐ社となる」と預言されていた。しかし、その部族そのものはすっかりかつての栄華を失い、その文化も衰退して一般社会の中に紛れて暮らしており、御光や教えについても僅かな伝承があるだけで、彼等がその一族の血脈として社会の表面に出てくることはほとんどなかった。伝説に残る御光はもう長い間出現することはなく、彼等の宗教的な行為も御光が出現しなくなってから迫害を受けるようになり、地下に潜って伝承されている程度だった。 彼の妻となった者も、同じ長の血筋の家から選ばれ、この夫婦は世が世なら王と王妃とも言える一族の象徴であった。彼女には巫女としての優れた資質があった。だから子ども達に呪文を授け、先祖からの教えを伝えていた。しかし、長は与えられた大きな使命とは裏腹に幼い頃からごく普通の子であり、さしたるカリスマ性もなく、預言を完全に信じてもいなかった。長と言っても今の時代に大きな実権はなく、ただその血筋にあることを教えられただけで、ごく普通の暮らしをしていて自分がそのようなさだめにあることを信じ難かった。 子ども達も物心ついたある時、彼は伝説の御光が復活したとの噂を聞くようになり、やがてかつて聞かされた使命を思い出し、それが真実なのかどうかを確かめる為に同じ部族の者達と旅に出ることにした。そして旅の中でついにその御光の場所にたどり着く。地面が光っており、そこを掘り出すと玉が出現した。その時その玉を手にした長はその光の意識そのものと合一する。そしてその玉が歩んだ過去の歴史と光の意志を一瞬にして感じ取った。 だがその遭遇以後も彼自身に大きな力が与えられたわけではなく、同じ部族の中で霊能力に於いて大きな力を発揮し、弁も立つ同族のザムザが旅の中で次第に影響力を高めていく。ザムザは人々の心を読み、予言を行い、演説をふるって多くの仲間達に支持された。やがて自分は全ての点で長よりも上であり、自分が全ての力を伝承すべきであると思うようになっていった。だが、唯一つ大きく違ったのは、ザムザは御光を見ることは出来ても御光の核心に直接接触する力はなく、もちろん光の意志に触れることもできなかった。長は部族の中でただ1人、御光の“意識”に直接触れることができたのであり、御光の本当の意味・正体を知っているのは長だけだった。 野心を抱いたザムザは謀反を起こす。御光と通信する為の手段であり、聖なる力を閉じこめた玉を奪い、伝承の中にある御光の大いなる力の一部である、“想いを現実化させる力”を持って全ての頂点に立とうとした。 長はザムザ達に襲われ、危うく命を落としかけたが、ボロボロになりながらも何ヶ月振りかで自宅に逃げ帰った。しかし、追ってきたザムザ達は彼の家に迫る。家族に危機が迫った時、妻は意を決して伝説の破邪の呪文「アリア」に力を与えた。 中略 長はずっとひとつのことを考えていた。かつて一族の老予言者から聞かされた「悲しみの極みと悟りが出会う時、“最後の言葉”を使え、その時人々は真澄の鏡を超えて御光に直接触れるようになる」という言葉を。そして「その言葉を使う時は、お前自身が御光に帰還する時だ」とも言われていた。』 本当はこれでまだ半分以下でこれから先がドラマチックな展開になっていくのだが、これ以上は物語の核心の謎に関わってくるので公開出来ない。後は2月の舞台を実際に見て頂きたい。 さて、11月10日の日記にも書いたが、諸事情によりここを移転することにした。今度はひっそりとやって行くつもりである。御来訪下さった皆様、ありがとうございました。さようなら!
2005/12/01
やっと来年の年賀状をオーダーしてきた。毎年恒例の自分で撮った自分の写真の年賀状。だが、予算の関係もあり、今年も去年に続いて枚数を減らした。前回は70枚作ったが、今回は50枚。でも、それでも年内に書ける自信がない。それくらいスケジュールはびっしりだ。 もう20年くらいも続けており、毎年楽しみにしてくれている人がいるので、やっぱり続けていきたい。今回の写真は今までと少し趣を変え、一瞬の動きの瞬間を撮っている。表情はいまいちだが、動きとしては最高の瞬間が切り取れた。私もまだこんな美しいフォームができるのである。誰に出すかはこれから選定しよう。
2005/11/30
仕事を終えて一旦帰宅してから琴似へ走る。今日は「エア」の脚本・演出をやって頂いている清水さんの劇団である「清水企画」の解散公演を見に来た。なんで解散なのかと思ったら、ある程度簡単に作りたい作品ができるという居心地のいい環境から抜け出たかったからだそうだ。 ただ単にハムレットの芝居ということなら見には来なかっただろう。清水さんがどういう芝居を作るのかを見ておきたかったという興味の方が強い。「ハムレット」自体は名前は知っているものの、どんな内容のものなのかは知らないで見に行った。原作も読んだことないし、あんまり文学作品に興味がないので学生時代に少しは内容を教わったことがあるかもしれないが、全くストーリーはわからない状態だった。 面白いかどうかで聞かれれば少し唸ってしまう。冒頭の7分間もの雨だれだけのシーンはあまりに長すぎて、これから始まる舞台に期待を抱かせるより、イライラと退屈さだけを募らせた。もしあれが芝居の一部ではなく待機のパフォーマンスなら別の手段を考えた方がいい。 それと亡くなった王と、王の弟が二役で、ほとんど変化のない出演だった為、ストーリーを知らない私は最初かなり話がわからず混乱した。また部分的にワザと崩しているところがあるが、笑いを取ろうとしたと思われるところは悉く滑っており、客席から笑いは生まれなかった。 人間の心のドロドロな部分が描かれた純文学のストーリーに私はあまり面白さというものを感じないので、内容に惹かれないのだが、だからといってこの芝居が面白くないわけではない。とにかく演技の迫力が凄かった。最前列の席で見たせいもあるが、すぐ目の前で繰り広げられる各役者の熱演には胸打たれた。 特にオフィーリア役の女性の演技は引き込まれるものがあり、なかでも狂気を演じるシーンでは一見明るい演技ながら、その奥に秘められた正気を失う過程のあまりに悲しい悲劇がしっかりと込められており、心動かされた。 約1時間45分。体が自由に動かせなくてちょっと辛かったが、十分生の演劇のパワーを体感させて貰った。あんな演技は今の私には全く無理だが、少しでも近づけるよう頑張っていきたい。
2005/11/30
久し振りに高橋先生のダンス稽古。最近は踊りの先生方もよく練習を見に来られる。キャストそれぞれの適性を見極め、誰を踊らせるかを選定する時期でもある。今日も少し早めに練習を終わって踊りの先生3人での会議だとのこと。今日の稽古でもいいとこ見せないとと思うのだが、私は憶えて即座に結果が出せるタイプじゃない。なかなか難しいものがあった。 じっくり時間をかけてストレッチをしたあと、今日はいきなり歩く練習。しかも音楽のリズムに合わせながら「普通に歩く訓練」である。これは脚本のなかに『無機的に行き交う人々』というのが出てくるので、それのテストではないかと思う。特に音楽に合わせてシナをつくったり何かを演じたりもせず、ダンス的な動きもせず、かといってぎこちなくなってはならず、ごく普通に歩くというのは意識するとなかなか難しいものだ。 それを少しづつ変化させて、同じペースで歩きながら周りをごく自然に見回したり、振り返ったりしながらリズムを崩さないで歩く。でもこれは私は比較的スムースにできた。あまり問題は感じなかった。 が、そのあと、スキップをして、そのスキップのリズムを変形させ、さらにステップを組み合わせてリズム形の踊りにしていくともうついていけない。途中でリズムが変化してしまうとどうしても対応するのに時間がかかってしまう。でも若い子達はやはりダンス経験がなくても憶えるのは早い。まだ格好良く魅せる動きにはなっていないものの、動きそのものはこなせるので、上達は早いだろう。う~ん、私はこれでアピールするのはほとんど無理である。リズム感のなさは致命的にさえ感じる。これは育てることができるのだろうか? だが、そのあと武闘形の踊りになり、これは私にとってはそんなに難しくないので力が入りすぎて固くならないように気を付けながら踊った。もう、汗はパンツまでビショビショの状態で、頭を振れば、頭に巻いた布の端から汗が周りに飛び散っていく。周りの人に迷惑が掛かるので、とても気になる。こんなに汗をかいているのは私一人だ。体質が変われるものなら変わりたい。 いつも演技の稽古でない限りはほとんど誰とも会話することもなく帰りの時間になってしまうのだが、今日はやっと思い切って自分の班の子に声を掛けて少しだけ話をすることができた。なかなか関係を深めていく機会がないことが歯がゆい。他にも確実にオーラは響きあっている人もいるのだが、却って意識してしまって話し掛ける勇気もない。もう少し一歩前に出る努力をしなければ。
2005/11/29
昨日仕事で嫌なことがあった。現在オーダーの数は落ちてきていて経済的に大変苦しい状況だが、数を増やす為に利用者を紹介してくれた方との約束を破り、この日は絶対に入れないで下さいと言われていた曜日に、札幌南営業所の所長が黙って予約を入れようとしたのだ。私は隠れて裏切り行為をしてまで仕事をしたくない。それは見つからないと思っても必ずどこかから信用の崩壊を招く。 しかし、私が提携しているその会社に負担をかけてしまっているのも事実で、何度もやって下さいといわれれば受けないわけにも行かない。今回だけとは言っているが、過去のことを見てもまた同じ例が出てくれば同じ事を要請してくるだろう。結局「今回だけ」と言う言葉を逆手にとって、以後同じような状況で祭日の為施術日をずらさなければならないことがあっても、二度と絶対その曜日は受けないし、もし利用者側から「前回はできたのに何故今度はダメなんだ」と言われても対応は全てそちらでやって欲しい、私は如何なる事があっても紹介者との話し合いがない限り絶対に行かないと連絡した。 その後「紹介者とは連絡は取った」とのたった一言の連絡が来て、予定表は変更がないまま送られてきた。正直、本当に連絡を取ったのかどうかもわからない。しかし、これ以上事を荒立てたくないし、何よりとても不愉快でもうこのことには関わりたくない。了承を取ったと言うことであればやろう。もし、それが嘘なら向こうがそれなりの結果を受け取るしかない。 こんなことの次の日、北海道は台風並に発達した低気圧が冬の嵐をもたらしている。強風と横殴りのボタボタの霙。おまけに雷まで鳴り響いている。傘が嫌いな私は滅多なことでは傘は使わないし、車での仕事だから雨が強くても寝れるのは僅かな距離なのだが、今日の状態では外に出た瞬間に全身ベショベショになりそうだ。しょうがない、今日は傘と長靴で回るか。いい日ばかりじゃない、嵐の日はじっと耐えよう。
2005/11/29
いよいよ本番の会場である北3東5-5岩佐ビル1FのBLOCHでリハーサル。明日からはまずAチームが出演するので、今日はAチームを中心に場当たり。でも私達Bチームも演技を途中カットしながら場当たりだけは行った。その後Aチームで通し練習。 私達は客席でずっと見ていたが、正直いい部分もあるものの、全体としてみるとあまり伝わってくるものがない舞台だった。笑顔に突き抜けたものがなく、楽しさが響いてこない。みんな楽しんで演技出来ていないのだ。疲労もあるだろう、だが、失敗しないように考える心が本来の輝きを奪ってしまっている気がする。 特にひどかったのはシニアだった。緊張がありありで、最初の出からもたつき、セリフは死んでいるし、表情も自分がセリフを言うシーンを過ぎると途端に気が抜けてしまう。踊りに関しては見ていて可哀想なほどバラバラで覇気が全くない。完全に雰囲気に飲まれてしまっている。 最後のフィナーレに近くなっても客席にAチームの人がいたので、出番じゃないの?と促したのだが、何故か一旦舞台裏に行ってから、今度は全員で戻ってきた。その時はもう出番直前で、「えっ、なんで?」と思ったが、何か指示があったのかもとこっちも思ってしまった。しかし、どう見ても出番は直前で、再び「フィナーレに出ないの?出番だよ」と促して、やっと腰を上げた時はもう完全に遅かった。しかもそのうちの一人は何と本番を想定しているリハーサルなのに舞台で演じている出演者の後ろを通って舞台の上手に向かった。これには出演者も笑うしかなかった。シニアはその後のシーンでも完全静止するするべきところで普通にダラダラしている人もいたし、楽しさを訴えるべきところで表情が完全に死んでしまっていた。 あまりに意識が低すぎる。シニアだからと許されることでもないと思う。本番は明日なのだ。観客として正直に評価すれば、シニアのところで完全に芝居は壊れていた。大丈夫なんだろうか? だが、ここまで来てしまったら行くしか道はない。Aチームも全く全てがダメなわけではないので、とにかく舞台に上がれることを楽しんで思いきってやって欲しい。 飲まれたら自分達が何ヶ月も掛かってやってきたことが無駄になるだけでなく、お金を払って見に来てくださる観客もガッカリさせてしまう。どうせやるなら自分達が本番を楽しんでやらないと楽しさは伝わるわけがない。私達Bチームも今日は全体の雰囲気はまあまあだったが、ミスが多かった。私達の本番は12月2日金曜日から。とにかく全力で舞台に上がれることを楽しんで演じよう。 私は明日も明後日もAチームの演技を見に行くことはできないが、ちょっとかなり心配ではある。吹っ切れてくれればいいが・・・ 今日も本当は「エア」の稽古があった。ヴォイストレーニングの井上先生だから歌の練習もあったんだろうなあ。だが、Bチームの練習が終わったのは21時半過ぎ、着替えてすぐに向かってももう間に合わない。昨日も絵美先生のワークに出られなかったし、だんだんみんなに後れを取っている感じがして少し焦りがある。「エア」の配役決定は来週の土曜日。来週の月曜日からは4日間連続で清水さんの稽古があり、そこで最終的に配役が選ばれる。でも私は月・火と「誓いの青い鳥」の本番で出ることができない。 どうしても“父”の役がやりたい。7・8日の二日間に想いの全てをぶつけて頑張ろう。でもその前にとにかく「誓いの青い鳥」を見に来てくださる方々の胸に響くものにしなければ。信条としてやるからには手抜きはしない。全力でぶつかろう。
2005/11/28
もう、明後日からはAチームの本番が始まる。スタジオでの練習は今日が最後で、12時からアップを始めて大塚先生が来るのを待ち、1時50分頃からリハーサル開始。最初はただ見てるだけになるが、終わってから細かなチェックポイントが指摘され、そこからまた修正してBチームのリハーサル。 私達の部分では、ツリーの電飾スイッチが問題になり、点けるタイミングと点ける人を新たに決めた。明日は実際に会場に入ってのリハーサルになるが、なにせ狭いところなので、また修正すべき点が多々出てくるだろう。もっと手軽に使える設備の整った、尚かつ交通の便のいい小劇場があればなと思う。 でも小劇場には小劇場の良さがある。役者の吐息までが聞こえ、表情も手に取るようにわかる。ダイレクトにエネルギーが伝わってくるのだ。それゆえ逆に私達にとってはごまかしが利かず、厳しい条件であるとも言える。客席と近いが故の難しさもあるのだ。 2度目のリハーサルが終わって、片付けと明日への準備が始まり、その中で私は大塚先生の許可を得て、ルミちゃんと華奈先生からも腰の痛みの相談を受けたので、スタジオで施術させて貰うことにした。華奈先生はこの後すぐまた練習が入るとのことで先に施術。彼女は強度の側湾があり、それで主役を演じて激しい踊りをこなすのだから、体に掛かる負担は常人の想像を遙かに超えるものがある。常に痛みと戦いながら、絶対無理だと言われた事にチャレンジして夢を追い続けている人である。 出来る限りのことはしたいが、なにせ体は側湾に対応して歪むことでどうにか逆にバランスを取っているわけで、それが20年以上続いているわけだから、簡単に問題が解決出来るわけじゃない。とにかく痛みをやわらげることを最優先に考えて腰部の筋肉と足底を緩め、頸椎を矯正し、操体法で骨盤のバランスを調整する。最後に痛みの出る部分にオイルマッサージをして、エネルギーが弱く感じる部分にヒーリングを行うが、正直側湾が強度すぎて大きな効果は期待出来ない。 本当に彼女はこの体でよくあれほど見事に踊れるものだと感心する。常に痛みがある中で、普段から笑顔を絶やすことなく、私達にも優しく指導してくれている。ハンデは夢を遮るとは限らない。華奈先生の生き方は見習いたいと思う。 一方ルミちゃんは今日は二回ともフル出演し、一人5役をこなしていた。動きを見ていたが、やはり痛みは抜けていないようで、今日は包帯を外し、片方のサポーターだけにしていたが、状態を診たら昨日とたいして変わらず、右足はむしろ昨日より筋肉の張りが強くなっていた。入念にオイルマッサージをしていくが、よく見ると足の長さもかなり異なっていた。若さ故に腰には症状はなかったが、試しに大腿も施術してみたら、こっちも自覚症状がないだけで軽いマッサージでもだいぶ痛がっていた。 当然腰にも歪みがあり、腰椎を矯正することで下肢の筋肉を緩めることができると判断し、痛みが出ないように瞬間的に矯正した後、操体法で微調整する。筋肉にたまってしまった疲れを完全にとる事は休息しなければ無理だが、術後かなり楽になったようなのでとりあえずほっとした。今日一番負担が掛かったのは踊りよりも、暗転中にハイヒールを履いて舞台位置に移動する際、足音が出ないように踵を浮かして歩くよう言われていたので、それがふくらはぎに強い負荷を掛けてしまったのだ。BLOCHの舞台の床がどうだったかよく憶えていないのだが、摺り足で対応出来ないかと話してみた。 彼女はまだ10代で、はっちゃんとともにミュアという名前のペアユニットを組んでいるが、彼女等2人の掛け合いは全く見事で、今回は2人で関西弁の落第天使を演じているが、これはもう演技も踊りも本当に素晴らしい。今回の舞台の一番の見所かもしれない。 花形だけに彼女には絶対に潰れて貰っては困る。でも彼女は他の先生方同様A・Bフル出演なので8日間ぶっ続け出演。しかも土日はそれぞれ3回公演なので、負担が大きい。なんとか最後まで怪我なく一緒に舞台に立っていたい。 さあ、明日はいよいよ最後のフルリハーサルだ。全員が迷いなく臨めるよう祈りたい。
2005/11/27
田舎道を歩いていたら、なんだか近くの山に何か起こりそうな気がして見つめていた。すると轟音と共に裾野の付近が吹っ飛び、直径10メートルくらいの球形の白い雲と、土星の輪のような細い白い輪が垂直から少し右に傾いた形で広がっていった。何の爆発かと思って近くに駆け寄ると、そこは大昔からある隧道か洞窟のようなところと、新しく建設されているバイパス道路の結合点で、最後の部分が発破で吹っ飛ばされて開通したようだった。 今朝、こんな夢を見た。古いものと新しいものの融合があるのかなあ? エアの物語にも通じるものがあるけど・・・ 昨日全力疾走と急激な方向転換を繰り返したせいかまた腰痛が強くなってきた。瞬発力はそう何度も使えないな。どうも何でも全力でやってしまう癖がある。だが、体は確実に変わってきており、最大78キロまであった体重は75キロまで落ちてきた。ベストは70前後だろう。何とか2月には最高の状態で踊れるように調整したい。 さて、午前中にエアの裏ストーリーを完成させようと思っていたが、仕事の方のデスクワークが優先で、掃除や洗濯をして早めの食事を終えたら、もうそろそろ出かける時間だ。忙しいなまったく。
2005/11/27
誓いの青い鳥の練習に先日怪我をしたルミちゃんが来ていた。彼女は天使役兼看護師役で、歌でも踊りでも演技でも重要な役どころ。その彼女が「踵が付けない状態」と聞いていたのでとても心配だったが、今日は包帯とサポーターを下腿に巻いているものの、歩行にはそれほど支障ないようだ。しかし、気に掛かるので、大塚先生に「僕が診てみましょうか?」と申し出た。快諾頂き、時間を調整して貰って治療することになった。 実はエアの稽古で怪我人が出ても対応出来るようにと、いつも鞄の中には治療用オイル類や包帯、キネシオテープ、レスキューレメディーなどを常備して歩いていたのだ。それが、こちらで役立つことになった。 ルミちゃんに聞いてみると、普段から筋肉が攣りやすく、その日は足が硬直したまま動かなくなって、病院に行くと肉離れと診断されたという。患部は左だが右にも同様に負担が掛かっていて、筋肉は強い張りがでている。特に左は少し腫れもあり、筋腹にも場所によって圧痛がある状態だった。 とりあえずうつぶせになって貰ってケイシーオイルを使って入念にマッサージし、足底の筋肉も充分に緩めておく。だいぶ柔らかくはなったが、まだ力を入れると痛みが出る状態で無理はできない。しかし、本人は今日の練習で踊るつもりだという。YOSAKOIの時もそうだったが、本来なら休みなさいと言いたいところだが、本番は目前であり、そうも言ってられない状態。しかし、本番に出られることを最優先に考えて、踊るとしても形だけにしておくようにとは伝えた。後は包帯を少しきつめに巻いて筋肉を抑え、負荷が掛かりにくいようにすることしか出来ない。 彼女の踊りは誰もが目を奪われるほど華がある。その彼女が力一杯輝けるようにサポートしたい。明日も施術させて貰うことにした。 さて、我々の練習はハケの方向が変わったりしてちょっとスムースに行かない部分もあり、加えて先日先生から「テンションが高すぎ、もっと普通にやって」と言われたことを気にしすぎたのか、全く楽しさがなく、沈んだ演技になってしまっていた。恐らく先生は過度なリアクションを戒めたのだろうが、テンション全体を落としてしまっては芝居にならない。シニア故の哀しさだが、あまり融通や機転が効かないのである。もともと演技力はないんだから元気を取ってしまったらこんなつまんない芝居はない。元に戻って欲しい。 終わったのは話し合いもあったので3時。まだエアのワークショップ・マスターコースが間に合うと、急いで稽古場へ。今日は羊屋白玉さんという女性の方が講師で、劇作家で、演出家で、俳優らしい。 私が着いた時はみんなが「直角に歩く」というワークをやっており、いきなり入っても何を狙ってどういうルールでやっているのかわからないのでしばらくは横から見学をすることにした。説明を聞いていると、やっていることもそうだが、ほとんどトランスパーソナル心理学系のワークショップそのものだった。自分を見つめ他人を感じ、その関係性に気付きを求めていくような感じで、その前にやっていたことを見ていないので、狙いがどの辺までの深さにつけられているのかがよくわからなかった。 その後のワークには私も参加。3グループに分け、そのうちの一人が親になって1分間全力で走り回り、そのすぐ傍に子達が寄り添って、魚の群のように同じ動きをしていくと言うもの。途中から子が離れて別の集団を作ったり、またもとに合一したりと言うことをするのだが、最後のグループで私は親になってしまった。 1分間全力で走り回るというのはかなりしんどいことである。100メートル走だって、私達なら14~20秒くらい掛かる。だが、指示されたことは守りたいし全力でやりたい方なので、必死で走り回った。もうたちまち電池切れになり、それでも他の動きで繋ぎながら再び全力で走り、最後はもう立っていられないほどだった。しかし、ただ必死に走り回っていただけで、私個人に関しては気付きもへったくれもなく、“親”としての義務を遂行するだけで精一杯だった。なんかただ走り回りに来ただけで終わってしまった。 そのあと一人街に出て買い物。手帳や前売り券などを買い、カレンダーも買うつもりが毎年買っているJR北海道のカレンダーはまだ入っていなかった。ついでに大通公園のミュンヘンクリスマス市にも寄ってみた。久し振りに歩く街はホワイトイルミネーションが鮮やかに輝きとても美しい。ただ、いつも一人でしか見ることが何とも淋しい。 グリュー(ホット)ワインでも飲もうと思ったが、長蛇の列だったので諦めた。でもやっぱりクリスマスシーズンに夜の街を歩くのは楽しい。美しいものを見るのはそれだけで幸せだ。 三越で惣菜を買って帰宅。やることはいっぱいあるが、今日はのんびりワインを飲ませて貰おう。少し休みたい。美味しい酒と美味しい料理は元気の源である。
2005/11/26
忙しいのはいいことだが、なんだかなかなか事が運ばない。雑事が多く、やりたいことも多々あるのだが、今は舞台が直前であり、とにかく優先順位をはっきりさせてこなしていくしかない。どうして年末というのはこうもいろいろやることが出てくるんだろう。 急がなければならないデスクワークはようやっとさっき終わったが、年賀状の発注、エアの裏ストーリーのまとめ、写真の整理、衣類の整理、至急なメールの返信、青い鳥の台本チェック、お歳暮の選定、書類の整理、ホロトロピックネットワークのアンケートの書き込み返信、自動引き落としの手続き、仕事の方の書類作成・・・まだまだありそうだ。手帳やカレンダーや年末用品も買いに行かなきゃならないし、とにかく12月10日までは完全にスケジュールも埋まっており、火が出るように忙しい。 日々やるべき事も忘れず、体調を崩さず、休息も十分取って乗り切らねば、ああ、でも明日も過密スケジュールだなぁ・・・
2005/11/25
エアでキャストとしてともに稽古に励んでいるはやとが出演する芝居を見に行った。彼が脚本・演出をこなす「RUSH!!」の第5回公演「路次」。この演劇は私達げきだん夢の「誓いの青い鳥」と同じくBLOCHの一ヶ月連続公演「演劇DASH!!」の一環として公演されるもので、誓いの青い鳥がその一ヶ月公演の最後になる。 はやとが出てるんだから面白い芝居なんだろうと漠然と考えながら、どういう芝居なのか全く知らずに見に行ったが、予想以上に面白く、また意外と言っては失礼だが、そのメッセージ性の高さに驚かされた。 路次というのは「あるところへ行く道の途中」という意味だが、最初芝居が始まった時は設定がよくわからず、何をどこで演じようとしているのかと不審に思っていたが、やがてその謎解きが行われてなるほどと合点がいった。 それにしても役者はたった3人だけ。1時間20分くらいの芝居だったが、たった3人の会話でこれだけの時間、お客を飽きさせないと言うのはたいしたものだと思う。演技力もそうだが、脚本が実によく考えられている。随所に笑いがあるけれども、彼等がモットーとしている「ヘヴィでポップ」な内容は結構胸に響くものがある。 あんまりたくさん芝居を見たことがあるわけじゃないが、今日は本当にいい時間を過ごさせて貰った。彼等の全力さがダイレクトに伝わってきてまた彼等の芝居を見たいなと思わせるだけの響きがあった。 う~ん、自分達も彼等に負けないよう頑張らないと。お客さんはお金払って見に来てくださるんだから・・・
2005/11/25
数少ない仕事を終えて、今日はかでる2・7でのリハーサル。5時からとのことだったが普通に仕事がある時なら全く間に合わない。仕事が少ないが故に少し遅れる程度で着くことができた。衣裳の手直しも空いてる時間にやっと終わったし、上手く回っていると言えばそうだが、ずっとこのまま暇でも大変困る。今、手は打ちつつあるが・・・ さて、今日は音響を入れながらのリハーサルで、音を入れるタイミングを音響さんに憶えて貰うのが主体になる為、芝居はほとんど飛ばしてきっかけ部分だけをやり、一通り終わった後通しに入ったが、もう残り時間は50分くらいしかなかった。出入りの確認もしていったが、私達の部分でも芝居の向きが全く逆になる部分があり、細かくやってる時間がないのでぶっつけ本番。やはり、現場で合わせてみないと最終的な確認は無理なようだ。 先生の配慮でシニアのところまでは何とか終わらせ、私達はそこで帰らせて貰ったが、みんなはスタジオ・セイビに戻って残りの部分を続けることに。なにせあと本番まで5日しかないのだ。私はBチームなのでさらに後の12月2日からの出演になるが、それでも1週間しかない。まだ衣裳が出来ていない部分もあるようだし、重要な役の子がひとり大きな怪我をしたようだし、全体としてみると間に合うか不安要素は大きいが、私が全体の心配をしても仕方がない。とにかく体調を維持して全力で舞台に臨めるよう準備しておくしかない。 多々、やるべき事が多すぎる。今日もこれからどうしても仕上げなければならないデスクワークがある。ああ、時間が欲しい。
2005/11/24
慌ただしく仕事を終えて支度をし、午後からワークショップ・マスターコースへ。黒沢美香さんという私よりひとつ年上の方が講師で、80年代から活躍するコンテンポラリー・ダンスのゴッド・マザー的存在なのだそうだ。しかし、実際に踊りを見たことはないのでどんな踊りをする方なのかは皆目わからない。 実際のワークショップは「今日は時間が短いから」といいながら彼女のやりたいことはだいぶはしょって行われたのかもしれないが、受ける私としてもよくわからなかったと言うのが正直なところだ。 最初ストレッチから始めて、体を動かしていくひとつひとつの感触をまず味わいなさいと言われた。そして教えられた動きは必ず「まず理由があって動きは始まる」と言われた、たとえば手が引っ張られたからそちらの方へ体が動き出すといったことだ。 そのあと一連の振り付けのような動きを教わり、「真っ直ぐからちょっと捻る。大きな変化ではなく、微妙な動きが美しい」との指導。これは少し理解出来た。こういう動きは不得意ではない。だが、端に寄って移動しながらの動きになるとリズムが入ってきて、自分のリズム感の悪さに閉口する。全く上手く行かない。同じリズムを正確に繰り返し刻むことがかなり私はかなり苦手なようだ。 そしてこんどはベースになる簡単な動きを教えられたあと、音楽に合わせて自由な表現を加えていく。さらにグループになって、必要があれば2人で組んだり、みんなであわせたりしながら向こうへ何かを運んでいくと言う課題を与えられた。楽しく笑いながら笑顔で踊って向こうへ着いたら。「楽しそうに踊ってるけど、ひとつも楽しくない。『安い舞踏会』みたいなもん」とばっさり。「表現することは常にギリギリの緊張感の中で行われなければならないし、その緊張感の中でこそ楽しまなければならない」とのことだった。それはもちろんわかるが、今日やって今日出来るものでもないだろう。 そしてさらに、「もう一度一人でも団体になってもいいけど、途中で一箇所“点火”する場所を設けてやってみて」と言われ、私はたまたまラテン系の音楽がかかっていたので、途中からパッションを体に解放し、スピリットダンスのように感じるがままに踊った。ただ、また楽しいだけでは意味はないと言われそうで抑え気味だったし、基本の動きはもちろん守った。こうして内面を評価されながら評価に沿うようにと踊るのはなんか嫌な気持ちだ。先生としては言葉や技術で教えられないものを感じさせてやりたいと思ってやっていることなのだろうが、どこか気が乗らない。 そしてその後の彼女の言葉は冷水を浴びせられた気分だった。「何人かそれらしく鮮やかに踊れる人はいるみたいだけど、そんなものダンスだと思ってないし、自分が今までやってきたことと、今教えた基本の動きの組み合わせを見たいわけじゃない」 自分がそのもっともらしく踊った人達に数えられているのかどうかはわからないが、それでもなんだか自分が今までやってきたことを全部否定された気がした。私は彼女の表情にも声にも言葉にも、自分と響き合えるものを感じることはできなかった。愛を感じられなかった。 コンテンポラリー・ダンスがどれほど素晴らしいのかは知らない。私は確かに素人だが、私にも私の踊りに対する考え方があり、私はパッションを、スピリットを動きの中に解き放ちたいし、曲と一体となって見てくださる方々と響き合える踊りを踊っていきたい。形式として表現形の踊りであっても、見る者の胸を打つ踊りはある。ごく限られた人にしかわからないような神の歓喜と離れた芸術を私は手にしたいとも表現したいとも思わない。 なんだかとても嫌な気分で凹んで帰ってきた。いろんなものを学ばせて頂けるのは有り難い。しかし、全てを自分の教師とする必要もない。それがどんなにその世界で一流といわれている人でもだ。
2005/11/23
遠い地に一人嫁に行った“妹”から、ふいに贈り物が届いた。私がワインを好きなことを憶えていて、わざわざ地元のワイナリーでワインを買って送ってくれたのだ。こっちでは手に入らない、松本市の山間部にある山辺ワイナリーのワイン。これはワイン好きには本当に嬉しいプレゼントだ。 なんだか立場が逆なような気もするが、好意は有り難く頂戴し、この貴重な贈り物を楽しませて頂こう。あかり、ありがとう。生まれて間もない我が子との生活、生まれ育ったところから離れた場所では余計大変だろうが、その子にとってはそこが故郷になる。一緒にたくさんの想い出を紡ぎ出していってください。多くの祝福がいつも共にありますように。
2005/11/23
昨日出来なかった分、今日の稽古は最初からいきなりイスと譜面代を並べて本読みだった。私はまたウレイの父役になった。母役は今日はもう一人のたかこさん。彼女はミュージカルもやっていたので踊りも演技もかなり出来る。いい雰囲気の母役だった。また、今日ははやとも来ていたので彼はやはりザムザ。この役に関してはたぶん彼しか適役はいないだろう。自分の劇団の公演が直前なので途中で帰ってしまったが・・・ 今日は1シーンか2シーンごとに止めて、清水さんが役者にいろいろと質問をしていった。「ウレイは詩人のことをどう思っているか?」「詩人は今まで女性と付き合ったことや2人きりになったことはあるか?」「ミルメは何故森で一晩過ごし、何をしていたか?」「ヘリオは占いを休業しているのに何故いつもの場所にいるのか?」「ザムザは何故しゃべらずにいるのか?」等々、台本に出てこない心理や、経歴、状況などを聞いていく。役の候補者が複数いる場合はそれぞれに考えを聞いていく。徹底してそのパーソナリティの言動の裏にあるものを引きだしてゆくのだ。 それぞれがそれぞれの役の立場での考えを述べるが、当然違う考えも出てくる。だが、清水さんは考えさせ、述べさせるだけで、それをまとめようとはしない。3時間びっちりその作業が続けられたが長いとは思わなかった。ただ、発声特有の姿勢を取ったままなので、腰に負担は大きく、体はかなり辛い。 最後に清水さんが言ったのは「正解は用意してないです。とにかくいろいろ考えてきて欲しい。僕の考えていることはあるけれども、それが正解ではなく、みんなのいろんな発想でいろんな物語を考えてきて欲しい。もちろん矛盾があってはいけないけれど、みんなのいろんな考えの中から創っていった方が必ず面白いものが出来る」といったことだった。脚本の裏にある物語を全員で創造していくとは、なんて面白い作業だろう。 私はウレイ・ウサイの父役としてすぐに頭の中にストーリーが出来上がっていった。その隠された過去、数々の謎の答え、そしてそのドラマの衝撃的な意味合いまでダーッと“降りて”きた。私自身がこういう過去生があったかもしれない。 また、今日はキクトのテーマ曲を聴かせて貰ったが、もろ和風で能を彷彿とさせる曲だった。う~ん、自分自身で最後の祈りのシーンも考えていたが、今のアイデアではこの曲とは違和感がある。だが、神道式の祈りも考えるのはそう難しくない。いろいろ試してみたい。 今日は途中で止めながらだったので、役の入れ替えは一部あったものの全くセリフに当たらなかった人も多かった。かなちゃんも途中でオンチの役に入れ替わったが、清水さんは勘違いしていたのだろう、そのシーン以後、オンチはラジオから流れる歌での登場があるもののセリフはなかったのだ。またしても彼女のアピールする場はなかった。もう、後は12月10日の配役決定までに、12月5・6・7・8日の4日連続の稽古しか清水さんの稽古はない。彼女はそこに参加出来るのだろうか? だが、私自身もこの重要な稽古のうち、5・6日は「誓いの青い鳥」の本番の為出席出来ない。残り二日間で持っているものを全て出して頑張るしかない。
2005/11/22
冷たい雨の中稽古場へ。なかなか稽古に出て来れない同じ班のかなちゃんがやっと来てくれた。もう二度と前回のような後悔はすまいと心に決めていたので、すぐに彼女のところに行って新しい台本を貰ったかどうか聞いてみたが、やはり受け取っていなかった。一緒にスタッフのところに行って台本を渡してあげた。 今日も彼女は一人で開始時間を待っていたが、たまたま近くに同じ班の子がいて、その後はそのこと話が出来ていたようなのでほっとした。稽古に参加出来ていなければどうしても気後れするし、最初の頃と違ってみんな、特に女の子達は固まって雑談しているので、彼女は余計入って行きづらいだろう。周りが気遣ってやらねばどんどん辛くなっていくだけだ。私自身こういう経験はよくあるので、気持ちはわかる。誰も脱落させたくはない。それに彼女は演劇の経験のある子らしいが、私の目から見て凄く光るものを持っている。今のままでは役に当たらないかもしれないので、なんとかアピール出来る場があって欲しい。 今日は井上先生のボイストレーニングを30分ほどやってから、清水さんの稽古の予定だったのだが、古田先生が来ていたと言うことで予定を変更して2時間ボイストレーニングと言うことになった。 最初はまた腹式呼吸の復習から、またハミングへ移行して、そのあと「エア」の中で歌う予定の合唱曲の一部分を練習した。3部合唱で、自分の好きなパートを選びなさいと言われたので、私は迷わずメロディラインのソプラノを選んだ。無謀なのかもしれないが、私はどうしても本来の“歌”を歌いたいのだ。 この曲は主人公のウレイという少女(多分はたち前後の設定か?)のテーマ曲で、一部分だけだったがとても美しい曲だった。ソロで歌うような事があるのかどうかは全くわからないのだが、もし、歌える可能性があるならどう言われようともチャレンジしたい。やってみてキーも別に苦しくなかったし、覚えが悪いので何ヵ所も音を外したけれども、もう表現することに遠慮するつもりはないのだ。 みんな初体験だったが、なかなかいい合唱にはなった。最後までしっかり曲で聞いてみたい。 そのあと、イスを並べ、譜面代をその前に並べていい声が出る姿勢での脚本の読み合わせ。私はまたウレイの父役になった。かなちゃんは最初役に当たっていたのだが、まだ新しい台本を読んだことがないと言うことで外されてしまった。彼女は確か明日の練習の後はまたしばらく来れないはず、明日アピール出来る場があって欲しい。 先程のボイストレーニングの成果を生かす為にわざわざ譜面代を用意しての読み合わせだったが、指示された姿勢で1時間近くじっとしているのはかなりきつかった。途中何人か役者を入れ替えながら、結局最後まで行くことが出来ずに時間切れ。 終わってから清水さんは皮肉たっぷりに「今日は皆さんいい声を出すのに一生懸命である意味面白かったです」と言った。確かに内容はひどかった。私が聞いていても多くの人が脚本棒読みで言葉のキャッチボールも出来ていなかったし、情感は全くないし、とても芝居にはほど遠かった。 そして「今まで何回かやって、同じ役に何回か当たっている人はこちらとしてもその方向で考えていると思ってください。何人か変わっている人は候補が何人かいるということです」と言われた。わかっていたことではあるが、配役決定は12月10日。当然もう絞り込んで行かねばならない。やりたいと思っている役があるならアピールすることが必要なのだ。チャンスはそう何度もない。 私は今のところ、ウレイの父役で誰かに変わったことはない。年齢的な事からも私には最もこの役が向いている。だが、キャストは40人もいるので代役はいくらでもいる。もっと集中してこの役を生かせるようにして、絶対この役を得たい。この役にはこの「エア」全体を貫く大きな意味があるのだ。 ウレイ役にはできればゆきちゃんになってほしい。彼女の声の情感の豊かさは他の人ではまねが出来ないものがある。しかし、役者未経験故に線の細さもある。声も現段階では響きづらい声だ。それに今日は彼女は占い師役だった。あと20日ほどの中でそれぞれがどれだけの進歩を遂げられるか? どれだけの積極性を出せるか? 勝負の時なのだ。 ウレイの母役にはじゅんこさんがなってくれればと思ったが、今日はめぐみさんで、前回はたかこさんだった。セリフの感じからすればたかこさんが有力かもしれない。やはり自分と関わりのある役には感覚的に相性のいい人になって欲しいと思う。ウレイの母役もまた、物語の中で重要な転換点を握る役であり、出番は少ないが、見る者の心震わすことが出来るかどうかの大役を担うシーンがある。じゅんこさんはきょうはコダマ役。とてもキュートな声だった。 一回一回の稽古が勝負になってくる。今までは楽しいだけだったが、これからは如何に自分を高めていくかをもっと集中して考えて行かねばならない。 時間が押して慌ただしく終わりになったが、最後にまだもう一つありますと森さんが前に立った。そしてかなちゃんが呼ばれた。そう、今月は彼女の誕生月だったのだ。今日はエレクトーンとフルートの合奏で「アヴェ・マリア」がプレゼントされた。よかった。彼女の輝く笑顔が見られて。 彼女とはエアをどのように感じるかで「見えない」「聞こえない」「触れる」で唯一私と同じだった子。縁があるのだ。できれば身近な役で共に舞台に立ちたい。多くは見てはいないが、確実に彼女の演技には華がある。なかなか稽古に出て来れないのは残念だが、その輝きをともに舞台で響かせたい。
2005/11/21
昨夜は今期初のアイスバーンを体験した。やはり感覚がまだ夏路面なので滑って結構焦ってしまった。これからは車間距離はいつも以上に取らなければならないし、後方の車が近すぎる時は先に行かせたり、早い段階からポンピングブレーキで減速を知らせたりしないと、追突される危険も大きい。毎日車が不可欠の仕事なので、とにかく事故だけは絶対に起こさないようにしたい。自宅周辺は雪も残っていて凍っているのがはっきりしているからまだみんな気を付けるが、恐いのは融けてブラックアイスバーンになっているところだ。自分がどんなに気を付けても、自分の存在を常に知らせる運転を心がけないと自分の身は守れない。 ストーブはもう微少で24時間点けっぱなしだ。まだ腰の痛みは時々強くなるのでお金が掛かっても寒さは我慢出来ない。それにしても灯油の高値は痛い。練習・稽古へのガソリン代・駐車場代もかなり痛く、このままでは冬を乗り切るのは難しいと判断し、大きな出費を覚悟の上で事前投資してある対策を取ることにした。これは多分普通の人に話したら「バカじゃないの?」と言われるだろうが、私はこの手段に勝算を感じている。その力が発揮されるのは12月になってからだが、それまでにいろいろと準備もある。簡単に言うと惑星の力を借りる方法である。多分この時期だからこそより有効に働くだろう。 今日も札幌は晴れているが冷え込みは厳しい。日陰の部分は結氷したままだ。夜の運転も増えてくるので一段と気を付けて行こう。今日も稽古がある。それまでにもやることはたくさんあるな・・・
2005/11/21
12時半から練習。今日はリハーサルをA・B一回ずつ通すという話だったのだが、まず最初に衣裳チェックをして、その後狭い待合室でずっと待機。途中歌の練習をしたものの、スタジオでは次々に各場面のチェックと演出が行われていて、だいぶ時間が経ってから私達が呼ばれた。通して芝居をチェックして、そのあと、曲の違いから未完成だった最後のクリスマス超ショートバージョンの踊りの振り落としがあり、やっと全てが決まったという感じ。簡単な踊りだが、なにせシニアクラス、合わせるのはなかなか難しい。 その後、また待合室に戻って踊りの復習をやり、その後はまた長い待機。5時間も6時間も食事も摂らずに狭い場所に居続けるのはそれだけでかなり消耗する。ところが、途中で「子ども達帰らせて」との指示があった。ということはリハーサルは中止と言うこと。それでも私達は指示がないのでずっと待っていたら、しばらくしてから「なに、シニア帰らせていいんだよ」とのお言葉。結局私達は1時間以上ただ無駄に待っていたらしい。 なんだか疲れ果てて帰途に着き、買い物をしていると友人から治療依頼が入った。前にも一度相談を受けていて、だいぶ状態は悪そうだったがその時は時間も合わずに診てやれなかったし、この後私自身ほとんど時間を作ることが出来なくなるので、家に来て貰うことにした。恋人同士での来訪で両方友人であり、一人はほぼ毎月通ってきていて、つい先日も依頼があったがワークショップと重なって断っていたので結局2人とも施術した。う~ん、一人はあまり状態がよろしくない。生活改善が必須なのだが、どこまでやってくれるか・・・ 今は若いからもっているが、このままなら大病にも繋がりかねないのでもっと自分の体を大事にして欲しい。でも、今の時点でサポート出来てまだ良かった。忙しいのは有り難いこと、自分の能力を使って頂ける時は出来る限り活用したい。
2005/11/20
さて、今日は大変忙しい。まず、1時からミュージカルの練習。着いてみるとクリスマスツリーを運ぶ位置が変わっていたり、赤い長靴に履き替える予定だったのが青い短靴に変わっていたり、細かな変更が結構あった。小さな変更でもシニアのおばさん達にはなかなか大変である。立ち位置等、全部変わってくるので確認しながら復習していく。臨機応変にパッとはできないのである。 2時半に終わったが、青い靴とクリスマスツリーのオーナメントを自分で作らなければならなくなり、材料を持って帰ることになる。家でも他にいろいろやることがあってなかなかのんびりも出来ない。当分温泉はお預けだろうなあ。 その足ですぐホロトロピックネットワークの会合へ。2時半から始まっているはずだったが、主催者側の勘違いで3時開始になり、そのお陰で私は最初から話を聞くことが出来た。今日は『いよいよ具体化した札幌ホロトロピック・センター設立』ということで、二転三転四転していた全く新しい観点からの医療施設がついに実現へ向けて動き出したと言うことで、どうなったのか興味津々だった。 結論から言うと、円山に入院設備のない婦人科のクリニックを新たに建築し、それを賃貸で借りるという形になったらしい。二階には事務局や喫茶・売店、多目的広場などを設け、様々な代替医療を提供出来る場にもしたいとのこと。当初予定されていた終末期医療施設や産院は作れなくなり、かなり後退した内容ではあるが、とにかく現実的な一歩を踏み出すことが大事であり、今度こそ実現して欲しい。きちんと契約を交わして動き出すまでは安心は出来ないが。 その後一旦家に戻り、用事を足してまたすぐに大通り方面へ戻ってきた。6時からいつもの稽古場で「舞台の裏方スタッフの仕事について」という題でスタッフ・ワークショップが行われるのだ。今日の講師は幅広く舞台デザインを手がける道内の照明の第一人者、新村訓平さんである。 この前のバックステージツアーでもステージ上の幕の事などを説明して頂いたが、今日は裏方仕事の全般的なことについてビデオなども交えながら教えて頂いた。キャストは私を含めて3人しか参加していなかったが、私は裏の仕事も出来る限り憶えていきたいと思っている。 いろいろ貴重なエピソードも聞けたし、本当に舞台の仕事ってひとつの社会を形成しており奥深いなと思った。また、太田さんもいらしていたので太田さんの話も聞くことが出来た。休憩時間に少しだけお話しさせて頂く時間があったが、厚生年金の存続問題に関連して、道民劇場構想のことを聞いてみたら、なんとこの北海道舞台塾のプロジェクトは道民劇場の構想のソフト部分が生き残ったものであると言うことだった。 道民劇場とは札幌駅前の一等地に立派な劇場を造ろうと言うものだったが、折からの不況で頓挫し、ほとんど破産状態に近い北海道の経済状態から箱ものは一切作らないという方針になり、もはや夢物語となってしまった。しかし、道の中にはそのプロジェクトはまだ生きており、劇場が出来た時にすぐ面白いものを公開出来るようにと準備されていた、舞台人・裏方育成の場でもある北海道舞台塾が、今こうしてエアを生み出そうとしているわけだ。 今すぐには無理でも道民劇場は何とか実現させて欲しい。太田さんの話では今のシネマ・コンプレックスのように大きさの異なる複数の劇場をもつ構想だったようだ。様々な舞台芸術が札幌の一等地で見れるようになれば、この奥深い舞台芸術の面白さがもっとたくさんの人に愛されるようになるだろう。私がこうして舞台に惹かれて来たのは、自分が表現したいからだけではなく、この文化が参加する者にも、見る者にも、様々な気付きや内面的成長を与えてくれる場であるからだ。トランスパーソナル心理学のワークショップによく芝居的要素が使われるように、舞台は大きな癒しの力も内在させている。同時に歓喜の力もだ。私はそれをもっと多くの人達に有効に触れさせたい。その為にも今はいろんな人達から舞台のいろんな知識経験を学んでいきたい。
2005/11/19
やはり照る日もあれば曇る日もある。今日の稽古は全てに於いて全く上手く行かなくてかなり落ち込んだ。今日のテーマは集団の中で決められていない上下関係を意識すると言うもので、最初グループごとに別れて「宴会」・「みんな初対面」という設定で、全員が立場の低い人を演じた。つまり、我こそはあなたより下の者であり、一番気を使ってみんなが気持ちいいように振る舞いますという感じの演技を全員でやるわけだ。 正直こういう、おおざっぱな設定で集団を演じるというのはとても苦手だ。しかも普段のこういう宴会があったとして私はだいたい中間的立場で、仕切ることもなければ周りを気遣って動き回ることもなく、腰も重くおとなしく一人で飲んでいるほうなので、どうしていいのかよくわからないし、自分の演技のキャパシティのなさにナーバスになってしまう。 続いて今度は逆に全員が偉い人の立場で演じたが、これは非常に不愉快な場になるだけで、会話が進まないし、相手の言葉に従ってもダメなわけで、会話のキャッチボールが出来ずにとても苦しい時間だった。 一通りのグループが終わると、今度は4~6人ずつのグループに分かれ、1から10までの番号の内、適当に選ばれた番号を背中に張られる。それぞれの番号を確認しあった後、また宴会の設定で場を作り、その中で自分の番号がわからない状況から誰が一番偉くて誰が一番下かの序列を見極めていくと言うもの。とりあえず番号が上の方の人を持ち上げて、番号が下の方の人に命令していくようにすると端の方からわかっていくが、真ん中辺がわかりにくく、特に人数が多くなると難しい。 さらに私のいたグループは4人で簡単に上下関係がわかってしまったので、もっと難しくする為に設定を宴会ではなく、高校の同級生グループの会話にしたり、幼稚園のグループにしたり、キクト(「エア」の劇の中に出てくるエアを追いかけている謎の集団)にしたりしてやっていった。 どんな集団にも見えない上下関係が存在する。今回は40人くらいの人間が舞台に上がることになるので、その中でどう上下関係を意識するか、またそれは何故そのような序列になったのか、固定されたものなのか、変化していくものなのか、何故変化するのかを考えていく為のワークだろう。演技の中で上下関係を意識するかしないかでもその演技内容は全く違ってくるし、明らかに相手に対して弱い面や負い目があるのに、こちらが上のような演技をしてしまえば不自然にもなる。だが、正直上下関係というのは出来るだけ避けたいというのが私個人のパーソナリティだし、なかなか上手くはいかなかった。 休憩を挟んで台本を使っての稽古になったが、今回は各グループ6人ずつ演じる人を決めて台本の一部を読み進んでいく。台本の都合上そこには6人しか出演者がいないのだ。私はじゃんけんでオンチという名前の、占い師ヘリオの元に歌手になりたいと相談に行く人になった。 今回は人気占い師のところに相談に行く街の人達も大挙登場させる事になったが、無言でただ列んでいてもおかしいし、なにか話をしていると肝心の一番見せようとしている占い師達の芝居が全く霞んでしまうし、正直なところお客さんに見て頂けるような状況に仕上げるのには厖大な時間がかかるなと感じた。どのグループの演技を見てもそうだった。 まあ、そういう心配は演出の清水さんがすればいいことなのだが、何をどう見せればいいのかと言うことはもちろん我々キャストも常に頭に入れておかなければならない。今日の芝居は客観的に見てどのグループも全く面白くなかったし、自分自身も短いシーンだったが納得のいく演技にはならない。 さらに演技とは離れたところで今日は“集団の中の孤独”も感じていた。みんなだいぶ仲良く話をするようになってきたが、私は年齢が離れていることもあって、大体いつも一人でいる。でも他にも同じように感じている人はたくさんいるはずだ。 今日同じ班のみほちゃんが近くでゆきちゃんと話をしていて、「他の人から話し掛けづらいって思われてるんじゃないかっていつも心配なの。おはようございますって言ってもちゃんと返してくれるだろうかって不安なんだ」と言っていた。するとゆきちゃんも「私も本当は人見知りなの」と言っていた。ゆきちゃんは自分からいろんなひとに話し掛けている。彼女は彼女なりに頑張ってコミュニケーションを広げようとしているのだ。私は努力が足りない。 今日上下関係の話の中で清水さんがみんなの考えを聞いている時、「じゃあ。このエアのキャスト集団の中での上下関係はどうなの?」と問いかけた。この頃はみんな活発に意見を言うようになってきていたので、結構いろんな意見が出た。基本的にはないが、まだみんな仲良くなってないからお互いがわからず、わかってくれば出てくるかもしれないと言う意見があった。その根底にあるのはもっとみんなのことを知りたいし、仲良くなりたいという全体の雰囲気を感じていた。 そう、一人で何の繋がりもなく参加している人も大勢いる。私もキャストの中に直接知っていた人は一人だけだったが、スタッフであるあやこもいるし、太田さんや三木先生とも顔見知りだ。まだ繋がりはある方だ。一人の知り合いもいない中で参加した人はどれだけ不安だったことだろう。みんな絆を求めている。でもそこまでどうやって踏み込んだらいいのかわからないでいる。飲み会とかがあればもっと関係は深まるのだろうが、やはり、稽古場を離れても繋がりがある関係を持たねばなかなか本当の絆は出来ていかない。 でも、女の子が大半のこのメンバーの中で、私がメールアドレスを教えてと言うのもなんだかおかしい。やはり、相手にどう思われるのかと思うと全てに尻込みしてしまう。 今日も何人かは飲みに行くようだ。昨日もだいすけから誘って貰ったが、なにせ私は車、帰りのことを考えると地下鉄で来たとしても稽古が終わってから飲みに行くのは無理がある。 なかなか上手くは行かない。でも少しずつ近づいていくしかない。今日森さんのほうから発表があったが、「エア」公演まであと99日となった。そう、もうカウントダウンは始まっている。年内にはなんとか仲間としての下地を創りたい。
2005/11/18
普段数百円のワインしか飲まない私にとって、今日解禁になったボジョレ・ヌーボーはとても高級品である。今は収入も落ちており、今年は飲めないかなと思っていたが、出来が非常によいと聞くと、やはり飲んでみたい。 入金日の一週間後を待っていたら売り切れになる可能性だってある。事実何年か前、給料日を待って買いに行ったら、どこに行っても一本も売ってなかったということがあった。 でも、予算はないし・・・と考えた末、セブンイレブンのクオカードを使うことにした。実は毎月ガソリン代としてまとめてクオカードを買っておくのだ。それでセルフのスタンドでカードを使って給油するのだが、それはもちろんセブンイレブンで買い物をする事も出来る。今月は苦しいので既にだいぶ買い物にも使っていたが、幸いにも稽古や練習のお陰で遠出を全くしていないので、まだ少し余裕があったのだ。 一番安いワインなら7本も買えるジョルジュ・デュブッフの「ボジョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォー2005キュベ・スペシャル」。う~ん、なかなかいい。やっぱり新酒には新酒だけのよさがあるなあ。華やかな香り。フレッシュなブドウの味わい。あ~幸せ・・・・
2005/11/17
中国でH5N1型高病原性鳥インフルエンザがついに人に感染し、2人の死者が出た。SARSの例を見てもわかるように、全世界に広がるのにさほど時間は掛からないだろう。現在東南アジアを中心に百数十人が感染し、69人がこのインフルエンザによって死亡している。 もう対岸の火事では済まない。「罹らないと信じてれば罹らない」という人もいるだろうが、心の力が体の限界を著しく引き上げるのはそれだけ心の力が強い人だけであり、守るべきところは現実世界の方法で守らなければ、考え方がどうであろうが免疫力の弱い人は確実にやられる。 手洗いやうがいは元より、充分な運動で体を活性化させ、充分な休息で体本来の力を養い、体を酸性に傾けないように気を付け、免疫力を高める食事を摂るようにしたい。今、特効薬とされているタミフルは精神錯乱・異常行動の副作用もあり、日本では服用数時間後に車に飛び込んだり、マンションから転落したりして死亡している例が実際にある。本当にマナテックを初めとしたサプリメントをもっとまともに見つめて活用して欲しい。合成薬よりも遙かに安全で遙かに高い効果があらゆる場所で立証されているのだから。
2005/11/17
やっと清水さんの稽古日が来た。とても待ち遠しかった。彼は韓国での公演に行ってきたばかりで、近々琴似のPATOSでも上演される「ハムレット」を海外公演してきたわけだが、大成功のうちに終わって交流もいろいろ出来たようだ。彼の「清水企画」は今回のハムレットをもって解散するので、私も是非見に行きたいなと思っている。 さて、今日はまず最初にグループごとに分かれて何でもいいからテーマをひとつ決めて話し合って、その情報をみんなで共有してくださいという指示が与えられた。一体何をテーマにしていいものやら全く検討もつかなかったが、私達のグループはメンバーのひょんな発言から「ポテトチップス」に決まった。でも決まったのが遅かったし、ポテトチップスに関する知識ってそんなにあるもんじゃない。なんだか凄く中途半端な内に始めるよと言うことになってしまった。 一体何をやるんだろうと思ったら、中央にイスを2脚向かい合わせに置いて、そこに4つあるグループの内2つのグループから、一番年齢の若い子と言うことで指示されて一人づつが向かい合って座った。清水さんが与えた設定はなんと合コン。何人かで集まる予定がみんな遅れてきて2人だけになり、2人とも初対面でなんとか場を繋ごうと話をするという状況。その際に各グループで決めたテーマをキーワードに話を展開させようというものだ。 向こうのテーマは「恋愛」だったようで、話は向こうの女の子主導で進み、こちら側から出た男の子はポテトチップスの話を上手く広げることが出来なかった。なかなかに難しい。 次は残りの二つのグループから女の子同士が出て、設定は共通の好きな男の子と一緒に3人でカラオケに来たが、その男の子は電話をしに外に出て行ってしまう。残された2人は互いに相手が同じ人を好きなことを気付いていていわばライバル関係。とても気まずい雰囲気である。だが、2人ともなかなか機転の効いたトークでそれぞれのテーマである「ドラえもん」と「スープカレー」はなんとか織り込んでいた。でも共通の男の子を好きだという雰囲気はあまり醸し出せなかった感じである。 さて、だんだんとやることが進化していくらしい。次は私が指名され、相手はなおみちゃん。なんと会社の上司と部下で不倫の関係、2年半ほど付き合っているが、男の方は別れたがっていて、その話を切りだしていくと言う設定。え~~~っと思ったが、前に出た以上やるしかない。今回はそれぞれのグループのテーマは話が詰まった時の逃げ場として使っていいと言うことだけだったので、私は別れ話に集中してやった。まあ、なんとか凄い緊張感の中(但し笑いは絶えないが)それらしい場は作れた。 ところが途中からそれぞれの背後にもう一人別な人が付き、その人はその演じている人の心の中を表現するという役割を与えられる。表面上演じていることと心の中は必ずしも同じではない。そこを感じ取るという訓練なのだろう。さらにまだ、これで終わりではなかった。なんとそこへ私の妻が突然やってくるという事になった。もう正直どうしていいかわからないので、そのままどうしていいかわからなくなった自分を演じた。相手役のなおみちゃんがとっても上手くて、責められている私は本当に恐かった。やっぱり女は恐ろしい・・・ 私はやっと解放されほっとしたが、その次の人達は二股を掛けられている女同士の対決という、これまたほんとに恐ろしい設定で、しかもそこに二股を掛けている男が2人ともいるとは知らずに呼び出されてくるというオカルトより恐いお話しである。いやぁ、この2人ともなかなかの強者で、ほんとにこんな状況あったんじゃないのと思えるほど冷たく恐い演技だった。こんな場面には絶対に遭遇したくないものだ。 休憩を挟んで、この前読み合わせをしたエアの新しい台本が渡され、最初の部分を読み合わせすることになった。といってもウサイとウレイの兄妹だけの会話で、二組が前に出されて先程のように後ろに心の中を演じる人が2人づつ付いて行われた。 2ページのセリフなのですぐ終わってしまうが、そこから2人の年齢・関係や、お互いにどう思っているか、ウサイが行方不明の父や亡くなった母、仏壇の謎の玉についてどう思っているか、同様にウレイはどうなのか、2人はどんな環境下でどんな生活をしているか等を掘り下げてみんなで考えていく。捉え方は様々あるので唯一の答えというものはないが、こうやってバックボーンをしっかりさせていくことで、演技の裏側を構築していくものを見いだしていくのだ。 若い2人の設定故に当然私は出番はあるはずもないと高をくくっていたら、またお呼びが掛かった。たかこさんと2人で比較的年齢の高い2人がそのまま若い(今回はウサイ22歳、ウレイ18歳という設定だった)兄妹を演じることになったしまった。さらにそれぞれの心の内を演じる“スタンド”役は各3人づつ付いて、それぞれに心の各面を割り当てて演じるよう指示された。つまり兄について言えば「妹が可愛くてしょうがない部分」「仕事をしっかりと教えてやらなければと思っている部分」などである。 当然雰囲気はガラッと違ったものになる。私が考えているウサイの雰囲気は前2人が演じたウサイとは結構違っていたので、余計違いは明確だっただろう。私個人としては年の離れた兄妹で、兄は父親としての役割も兼ね、苦労をさせている可愛い妹を何としても守っていくという雰囲気で捉えていたので、元気な兄と言うよりは優しく妹を包んでやるような兄を演じた。どちらが正解と言うのでもないから全く違った面を面を見せられたことはいい波紋を投じられたのではないかと思う。どのみち本番では間違っても私がウサイを演じることはあり得ないのだから。 いろいろと今日も楽しく勉強になる体験をさせて貰った。明日もまた清水さんの稽古。毎日が面白くてたまらない。
2005/11/17
その再会が偶然ではないことはわかっていたその繋がりが真奥の扉を呼び覚ますこともかつてともに光響かせ合い創造の一翼を担った確かな感覚しかし私には記憶の扉を開ける力はない再び歓喜を生み出すには障壁はあまりに高く肩触れ合うほど傍にいても想いを告げることは叶わない何故再び今ここで何故敢えて別の道の中で・・・答えは見えずその課題は隠されたままだが、魂が震える感覚は消えることがない扉の向こうの光が響鳴する時互いがこの感情の意味を知るのだろうかどこに向かい何が生み出されるのかそれぞれの心が純粋なる光を映す時新たな創造の力が甦るのだろうか天意を知るまで鍵は秘匿される幾多の謎と共にそして再びあの歓喜の中で
2005/11/16
間に合うかどうかギリギリだった。仕事をいつもより早めに回り、どうにか5時10分頃南郷13丁目付近を出発。厚生年金会館へ5時45分までに行かなければならないのだが、R12は渋滞していてなかなか前へ進まない。だが、環状通りを超えると流れだし、どうにか時間前に間に合った。 と言ってもコンサートでもミュージカルでもない。今日はエアの裏方スタッフに応募した人達を対象に「バック・ステージ・ツアー」として、普段は絶対に見ることの出来ない大ホールの舞台裏を見せて頂くのだ。 キャストは思ったより来ていなかった。私を含めて5人くらい。その中には稽古皆勤賞だという18歳のはるかちゃんもいた。私もこの前の日曜のワークさえ出ていれば皆勤だったが、多分今月の日曜は全て青い鳥の方で行けなくなるだろうな。はるかちゃんはエアの稽古の全てが楽しくて楽しくて仕方ないようだが、そりゃそうだろう。46歳の私でもこんなに楽しいんだから。 このプロジェクトの凄いところは、普段会うことさえ困難な舞台芸術の様々な分野の一流の人達から、いろんな事を極めてわかりやすく楽しい形で教わることが出来、それを実際の舞台表現へ自分達が結びつけて行けると言うことだ。本当にこんなチャンスは滅多にあるもんじゃない。私はここで学べることは何でも学びたいし、またそれが楽しくて仕方ない。 舞台は本来、表の役者だけで成り立つものでは全くなく、支えて頂いている裏の働きあってこそ成立するものであり、ましてや今回のエアのような、芝居だけでなく、踊りも歌もあって出演者も多く、仕掛けもたくさんあるとなれば、裏方の力によって表現される部分は表方の私達よりもむしろ大きい。裏と表が合わさってこそ最高の輝きの舞台が生まれるのだ。だから、このバックステージツアーも昨日初めて聞いて何としても参加したいと思った。 今日の案内人はこのプロジェクトの総合的なコーディネーターであり、アドバイザーである太田さん。この方は前にも書いたようにこの世界では「舞台の神様」と呼ばれている方である。サッポロ・パフォーミング・アーツのミュージカル「KAGUYA」のときにも全面的にサポートして頂いた舞台の達人である。 彼が何故“神様”と呼ばれるのか? それはこの厚生年金会館が出来た昭和46年に、太田さんがまだ20代の若さで総責任者として東京からやってきた事に始まる。この施設は翌昭和47年の札幌オリンピックのために建てられたものだそうで、もうかなりの年数は経っているが、さすがに国の威信を懸けた行事の為の施設で、舞台の雰囲気はそれほど古さを感じさせない。 それから幾年月、太田さんは北海道で開かれたありとあらゆる大きな舞台イベントの裏方の総監督としてやってこられた方なのだ。今でこそ存続問題で揺れているこの厚生年金会館だが、東北以北最大規模を誇る2300席の大ホールはありとあらゆる一流の舞台芸術を飲み込んできた。 中島みゆきもここから育っていったと言っていた。太田さんは「みゆきなんか最初田舎から出てきたさえない娘だったんだから。存続問題では協力してくれると言ってるけど」とあの大スターを呼び捨てにできる存在なのである。 私も何度かこの客席から舞台を見つめていたが、今日初めて舞台の上に上がらせて頂いた。驚いたのは客席から見ると舞台はとても小さく遠く見えたのに、舞台上から客席を見ると4階席ですらとても近く見える。そして舞台の広さにも驚いた。全ての幕を上に上げるとこんなにも巨大な空間なのか。一番上のスノコと呼ばれる天井付近はビルの9階に相当するそうだ。 そして限られた人しか上がることの出来ないこの舞台のオーケストラピットのセリに乗せて貰って下まで下がったり、その奥の階段状に上がるセリの上で、本当の奈落の底まで降ろして貰ったりした。凄い舞台だなと思う。 そのあと客席の天井裏に入り、様々な配管類がある中を迷路のように走る通路を、身をかがめたり、反らせたり、はしごを登ったり、時に四つんばいになって照明のある部屋まで行かせて貰う。これはとても面白かった。こんなアングルから舞台や客席を見られるなんてエキサイティングである。こんな面白い社会見学は滅多に出来ない。 「オペラ座の怪人」は劇場に謎の怪人が住み着いていたのだが、この複雑で広大な舞台裏を見ると、そういう人物が住み着いていてもおかしくないなと本気で思った。事実、太田さんの話によると、やはり劇場というのはもののけがいるそうで、夜中にいきなりピアノが鳴り始めたりとか、そう言う話には事欠かないそうである。実際、建築中に死んだ人もいるし、様々な事故も起きているし、舞台という場所ゆえに様々な人達の情念が染み込んでいるだろう。生き霊だって多数いると思う。 太田さんは舞台が終わり後片付けが終わった後、一人で客席に向いて座り、ビールを飲むのだそうだ。その時、もう当然観客席には一人の人もいないのだが、まだその歓声や熱狂のエネルギーがはっきりと残っているという。舞台というのはそう言う不思議なところだとおっしゃっていた。いつかのんびりそういう舞台の裏話をいろいろお聞きしてみたい。 この数々の伝説を残した大ホールが今存続の危機にある。もう既に売却の方針は決まっているが、道や札幌市には購入するゆとりは全くない。売却の条件として大ホールの存続は打ち出されてはいるものの、太田さんによれば実際は存続はかなり難しいと言っていた。電気代だけで月に800万円かかるのだそうだ。 今北海道出身のアーティスト達、中島みゆきや松山千春、北島三郎と言った人達が何とか存続させようと動いているが、なにせ巨額のお金が掛かる話し、どうなるかは楽観視出来ない。 このホールがなくなると何故困るのか? それは全国ツアーなどの採算ラインは2000席以上と言われ、ここ以外に北海道にはそんな大きな多目的ホールはないのである。つまり、有名スターやアーティストの公演が大幅に減るのは間違いない。北海道の舞台芸術の火が消えてしまいかねないのだ。東京まで行かなければ何も見ることが出来なくなり、ますます北海道は文化から縁遠くなってしまう。 仮にどこかの会社がこの建物を購入したとしても、1年2年で大ホールの運営が苦しいと言うことで、結局は更地にしてマンションが建つという事態も十分考えられる。 舞台には夢がある。多くの感動を与えてくれるし、生のエネルギーを渡してくれる。なんとか私達も「エア」を通して舞台の楽しさをより多くの人に知って貰い、この文化の裾野を広げることに貢献したい。なんでもお金がないから合理化では人の心もますます荒んでしまう。最高の舞台を創ることで、この喜びを多くの人に渡せるようになりたい。そう感じた貴重な時間だった。
2005/11/15
日曜日は休み、営業時間は11時から午後3時まで。これではなかなか食べる機会があるわけがない。でも今日、たまたま、昼頃チケットを白石区のほうに届けに行って、帰りに国道12号に出ると、すぐ近くにこの「まるとも」があることを思いだした。こりゃ食べていかない手はない。 もともとすぐ近くにあったボロボロの小さなお店で、店主のおばちゃんがガンで店をたたむことになったのだが、常連のカップルがどうしてもこの味を受け継ぎたいと弟子入りし、結局のれんを受け継いだ店である。私はこの新しい店主が修行している頃もこの古い店でここのラーメンを食べていた。 味噌・塩・醤油ともなんとたった500円。700円800円のラーメンが多いサッポロラーメンのなかで、破格の安さと美味さだ。私が食べたのは味噌。ここにしかない独特の味は他のサッポロラーメンとはひと味違う。丼は小さいが量は決して少なくはない。モヤシもたっぷり山盛りでチャーシューもシナチクもちゃんと入っている。でも何より基本の麺が本当に美味い。いろいろ新しい店は次から次にでてくるが、やっぱり伝統を受け継いだ味はそうそう超えられない。 時間的な問題でもう滅多に食べられなくなってしまったが、やっぱりここのラーメンは死ぬまでに食べておきたいもののひとつである。
2005/11/15
やっと日本でも厚生労働省が新型インフルエンザ対策を発表した。社会活動の制限や強制的な入院まで含まれる大がかりな行動計画だ。これで、少しは大変な事が起きる可能性があるということを国民も感じ始めたかもしれない。 しかしだ、これには重大な欠陥がある。事が起きた時の対策は事細かに調べられているが、予防に関する具体的な方策がなにもないのである。事が起きてしまってからでは遅いのだ。抗インフルエンザウイルス剤「タミフル」とて、決して特効薬ではない。それを備蓄したからといって命が助かる人の数が確実に増えるとは言い難い。 何故、それぞれのそれぞれの免疫を高めることこそ、罹患率を下げる最大の要因であり、同時に罹患したとしても救命に至る最も大切な要因であることを国民に啓蒙しないのか? 免疫を高める為に何をしたらよいのかを学校で強制的にでも指導しないのか? 最大で数十万人の死者が出て、社会機能が麻痺する可能性すらあるこの大問題を、なぜ事が起きてからの対策だけに力を注ぐのか? この報道に加え、イギリスからのひとつの報道が話題になっていた。ロンドンの病院で受けた3回の検査でAIDSウイルス陽性と診断されていた25歳の男性が、1年後に陰性となったことを国家医療制度運営のロンドンの医療機関が確認したのである。 この男性は投薬治療などは全く受けておらず、複数の栄養補助食品を摂っていただけだという。自分自身の免疫力でHIVウイルスを撃滅させたということだ。これには世界中がエイズ克服の鍵をこの男性が握っているかもしれないと注目している。 この男性が摂取していた栄養食品がどのようなものかはわからないが、栄養補助食品にはこういった奇跡的な治癒の話は数え切れないほどある。だが実はあまり表面に出てこないのが現実なのである。何故か? 確かにアメリカなどでは医師が栄養補助食品を処方することも多くなったが、日本などでは特に多くの場合医師は栄養補助食品にそんな効力があるなどとは全く思っていない。決まり文句は「そんなもので治るんなら病院はいらない」だ。 ところが患者はよくならなければ何か他にいい方法があるのではないかと探す人も多い。私は病院で多くリハビリに勤めていたが、ここでの勤務は病院の中で患者と最も近しく接する為、医師や看護師に言えないこともよく話してくれることが多いのである。患者は医師には言わずに結構いろんなものを試している。 膝の痛みが急速に良くなって喜んでいる患者がいたが、よくよく聞いてみると自分でコンドロイチンを飲み始めてから凄く良くなったと話す人には何人も遭遇している。整形関連の病気・怪我だけではない。進行ガン専門のクリニックに勤めていた時、そこで最も劇的に良くなった患者は、患者同士の会話の中で「ここの治療だけに頼っていてもだめよ」と言い。人づてに聞いてみるとその人は様々なサプリメントを摂取していた。 サプリメント類の中にはまさに奇蹟と言えるような治癒を起こしている例も少なくはない。だが、医師法・薬事法の関係で、それを高らかに宣伝することは出来ないし、病院との関係で言うなら、患者はこの病院ではダメだと見るや他の病院を当たるからその後に治ったとしても“誤診”で片付けられる例も多い。 真剣に栄養素がどれほど体を劇的に変えるのかを見つめようとするなら、医療の世界は根本的に変わっていく。多くの病気が予防出来ることを知り、肉体の病だけではなく、心の病、ひいては社会的病まで治癒に大きく手助け出来ることを知るだろう。 無論、新型インフルエンザにも大きな予防力となって働く力があることは間違いない。今回のことがきっかけになって、栄養素が根本的な健康の鍵を握っていることに、多くの専門家が気付いて欲しいと心から祈っている。危機は目の前にある。自分の大切な人が奪われてからでは遅いのだ。
2005/11/14
祇園じゃなくて擬音である。今日の絵美先生の稽古ではいつもどおり連続した動きのストレッチと踊り。この動きがなかなか憶えられない。振りは憶えたが、ストレッチの方は毎回ゼロからのやり直しで進歩がない。記憶力は本当に低下している。 そのあと、休憩をはさんで、先生は床に座っている一人一人に擬音を二回続けて言ってみるように指示した。「ふわふわ」とか「ざーざー」とか「のそのそ」とか「がりがり」といった擬音である。端から一人づつ異なる擬音を言っていき、そのあと、今度はその擬音に動きをつけて下さいと指示された。 一人一人の動きを全員で見終わってから、今度は立って2グループに分かれ、円をつくってその擬音と動きを一人一人やって隣へ送っていく。そしてそれはだんだんと複雑になっていった。隣へ送るだけではなく、円の中に誰にでも送って良くなり、それが自分の擬音だけではなく、誰か人の擬音もその後に続けて2つの音と動きを送る。 さらにさらにそれが3つになり、4つになって今度は声は出さずに動きを繋げて踊りにして、円の中を移動しながら誰か別の相手のところまで進んで、その相手に渡す。それを受けた人はまた適当な誰かのところへ4つの動きを組み合わせて踊りながら進んでタッチする。 当然の事ながらそんなに綺麗に行くはずもなく、それぞれの擬音の動きも個性的なのでそれを踊りにまで昇華させるのはなかなかに難しくて、稽古場は笑いの渦だ。最後には誰かが踊った後をまねをしながら付いていってその列をどんどん長くしていき、最終的にはひとつの輪になって何とも奇妙な踊りの行進をするという、どうしようもなくおかしい稽古になっていった。 なるほどこれは現代舞踊の稽古としては非常に効果的なものだと思うし、何よりやってる本人達が楽しくてしょうがない。 最後の30分は井上先生のボイストレーニング。みんなの声の響きがどんどん響鳴してくるのがわかる。少しづつでも私達は確実に進化しているようだ。でもあまり出てきていない人達は、この先大丈夫なのだろうかと気になる。風邪で出て来れない人もいるようだが、徐々に人数は減ってきている。いい個性の子達がいるので、出れる時は少しでも出てきて欲しいものだ。
2005/11/14
家を出る時間ギリギリまで裁縫仕事をしていたら、さすがに腰はよけい痛くなってしまった。上下のパーツの縫い合わせとウエストにゴムを入れる作業を平行して行い、サイドが大きく開いているパンツの重ね合わせ部分に大きめのスナップボタンを二つ取り付ける。さらに後ろにベルトを縫い付け、前のエプロン部分との接続はこれもスナップボタンにした。作り方は全て自分で考えて、ぶっつけ本番で線を引いたりすることもなくそのまま縫っていったので、仕上げは綺麗なわけがない。でもちゃんと踊って演技するのに不自由のない衣裳にはなった。一応家庭科は5だったからやってやれないことはない。しかし、とても疲れた。 2時半からと言うことで行ったが、別の練習をやっていたのでしばらく待機。交替してしばし練習した後、夕方4時頃からスタッフの人に見てもらいながらリハーサルが始まった。シニアはBチームからと言うことになり、衣裳に着替えて舞台の横で見ていた。 全部の部分を見るのはもちろん初めてで、やっと流れがわかってきた。自分の出番は緊張はしなかったが、歌と踊りの音楽が今日出来てきたばかりで、リズムも音階も今までと違う為にあんまり歌はいいものにならなかった。私には低すぎて声が全く飛ばせない。最後の超ショートバージョンでごく短い振り付けをやるはずだったところも、3エイトで終わるはずが40秒もの曲が来てしまい、完成形を披露することは出来なかった。 ストーリーとしては本来の『青い鳥』が訴えていた「幸せは本当は身近なところにある」というメッセージ性が薄いのが残念だが、様々な場面展開のそれぞれが楽しく作られており、日常から離れた夢の世界で心を遊ばせてくれる作品にはなっていると思う。 少し休んだ後、もう一つのチームが演じて結局8時過ぎに全て終わった。現在1時間40分くらいだが、1時間半くらいに編集するとのこと。いろんなキャラクターが出てくるので飽きさせない楽しい時間になるだろう。 うん、今日は疲れた。やはり長時間の針仕事は結構消耗する。
2005/11/13
のんびり起きてだらだらしている内にもうミュージカルの練習に行く時間になってしまった。朝、香醋を飲んだだけで、昼食はなし。最近は休日の食事は、夜の酒のつまみだけと言うことが多い。ま、つまみと言っても私は飲む時はから酒は出来ないのでかなり食べるのだが。こんな生活でも特にお腹が減ってどうしようもないということはないし、痩せもしない。まだまだ脂肪はたくさんあるから、1週間くらい食べなくたって本当はなんの問題もないはずだ。普段の食事の量はだいぶ前からかなり少なくなってるから、食事の回数を減らすしか減量への道はないだろうな。運動は最近は十分してるし。 さて、気分はナーバスなままだ。体調、チケットのこと、それに練習の雰囲気が楽しくないのだからどうしようもない。でも、今日は亮先生がいろいろ考えて練習をやってくれたので、みんなの雰囲気はだいぶ明るくなった。Aグループも褒められて表情が輝いてきた。 しかし、先生方のエネルギーは明らかに今日は低い。それが何によるものかまでは私には感じられないが、エネルギーが小さくなってしまっていることだけは隠せない。単に疲労の蓄積によるものかもしれないが、前に立つもののエネルギーが弱っていれば、場のエネルギーはどうしたって停滞する。 今日はA・B各グループがそれぞれを見て批評するということもやった。その中で私のいるBグループはAの人から演技が過剰で学芸会のように見えるという人がいた。これには反論がある。もともとが私達がやっている部分は学芸会的な脚本なのだ。老人ホームで来るはずもない家族を待ちわびながら、踊りや歌の練習をドタバタ風にやる老人達。どちらのグループもそれぞれの役には強い個性が設定され、それを強調する演出もなされている。もちろんナチュラルに演じる部分もあるが、全てをナチュラルにやってその演技で観客を魅了出来るような実力は私達にはない。 ましてや私の役は途中、「倒錯の世界」に入り込んで演じるようにと指示を受けている部分すらある。普段はみんなを取りまとめるような感じのキャラクターでありながら、豹変するギャップを演じなければならない。見えない自然な演技だけで唸らせるような脚本ではないのだ。 学芸会で結構、もちろん演出の指示には全て従うし、揃えるところはきちんと揃えている。だが、演技の拘束を受けていないところに関しては私は私のやり方でやらせて貰う。シリアスなドラマじゃないんだから、お客さんに喜んで頂いてなんぼだろう。上手くやろうなんて思っちゃいない。自然に自然にと言うが目立たないことが自然でもない。世の中にはいろんな個性がいる。普通じゃない人がいっぱいいるのが社会というものだ。 最後に衣裳を配るということになった。衣裳と言っても普通の服を老人風にコーディネイトして出るのだろうと思っていたら、作られた衣裳があるらしいことを初めて知った。渡されたそれはフェルト生地で出来たカラフルなパンツと前掛け。それぞれ柄が異なっていて、私のにはヘリコプターやパトカーがマンガ風に書かれていた。子供向けの生地だ。クリスマスの衣裳という設定なのだろう。 それはいいのだが、問題は「明日までに縫ってきて」という指示だった。これはオーバーオールのようで、そのパーツが渡されて、仕上げの縫製を自分達でやりなさいということ。明日までにって言ったって、ミシンがあるわけじゃないし、縫ってくれる人がいるわけじゃない。唐突すぎる。いろんな準備に奔走している劇団の役者・スタッフもそれは大変だろうが、私達はこれを仕事でやってるわけじゃないんだからこちらの都合だってあるだろう。衣裳も急に白のハイネックシャツを用意するように言われたが、それだってお金が掛かること、他の人達はどうだか知らないが、全くゆとりのない中で参加してる人間だっているのだ。 仕方がない。こういう業界って全部こうなんだろうか? チケットも前は一人10枚の割り当てと言うことで聞いていたが、いきなり家に送られてきたのは12枚で変更については何の説明もなかったし、当然全て買い取り。郷に入っては郷に従え、無理が通れば道理が引っ込むならば致し方ない。今回だけは乗りかけた船、言われたことはやるしかない。ただこういうやり方で続けていけば結局は人は残らないのではないだろうか。
2005/11/12
やっと一週間の仕事が終わった。今週は腰痛の為に車の乗り降りが結構負担だったので、最後の仕事を終えて帰る時の開放感はひとしおである。でも相変わらず忙しい毎日で、今日も一旦家に戻って着替えてからすぐにスピリットダンスへ。 痛みというより体が重たくて思うように踊れなかったけど、音楽に身をまかせるだけの時間は日常ではそうそう持てないだけに貴重なリフレッシュになる。「誓いの青い鳥」のチケットも一枚買って頂けた。見てもらうのは嬉しいより恥ずかしいという面のほうが強いのだが、わざわざ足を運んで頂けるのは本当にありがたいことだと思う。現実としてチケット代12枚分36,000円は自己負担なので、売れなければ大赤字。全額借金して払ったものの、正直これは生活にもの凄く堪えている。 それがゆえに土日の青い鳥の練習は余計憂鬱さがある。特に日曜は3時から夜9時まで6時間缶詰でリハーサルだということで気が重い。なんとか楽しくやろうと思っても環境がそうでなければなかなか難しい。ま、波があってこその人生だ。苦しさも体験するからこそ歓喜の本当の味がわかる。潰れるほど弱くはないので、なんとか乗り切って前に進もう。
2005/11/11
最近、夜、車を運転しているととても迷惑なものが増えつつある。技術の進歩はいろんなものを生みだしてくれるが、この発明は運転の安全をも脅かす。その最たるものが石山通の潰れた温浴施設「藻岩健康楽園ゆとろぎ」の跡地にある。まだそんなに古くもない建物だったが、市内に次々と出来た安価な温泉施設に太刀打ち出来ずに潰れてしまい、このあとどうするのかなと思っていたら建物を全部取り壊して新たに巨大な建物が出現した。 その迷惑なものとはパチンコ屋の電飾看板である。最近のパチンコ屋の看板は電光掲示板の進化したもので、様々な動画をリアルに再現出来る。それはまあ商売だから目立たなければしょうがないのだろうが、問題はその輝度である。異常なまでに明るいのだ。そこに閃光が瞬くような動画が流されると夜間は眩しくてまともに見られないほどで、ゆとろぎの跡地に出来たプレイランドハッピー(まだOPEN前なのだが)は前方にある信号がかなり見づらいほどなのだ。夜間、雨でも降ってこの電飾看板の前で人が横切ったらまず見えないだろうと思う。 今はテレビだって部屋が暗くなれば自動的に明るさを下げる装置が付いている。ましてや交通量の多い石山通ではあんな強烈な輝度では交通安全上大きな問題だ。看板の明るさを規制する法律ってないんだろうか? 事故が起きてからでは遅いのだが。こんな看板があちこちで今増えつつある。何とかして欲しいものだ。 迷惑と言えば、この楽天でも迷惑千万なことがある。来訪者の中に次々と名前を変えながら何度も何度もやってくる奴がいる。多分なにか特殊なソフトを使った自動巡回なのだろうが、クリックして行ってみるとどの名前も全部同様のサイトに行き着き、他のサイトへ飛ぶ為のURLが貼り付けてあるだけで中身はなんにもない。アフェリエイトに関する目的らしいが、ここ数ヶ月ストーカーのように押し掛け、楽天の方にクレームを出しても「適切な処置を取りました」と返答は来たものの、むしろ訪問はその後増えている。 以前は訪れてくれた方のところには必ず行っていたのだが、そのサイトへ行きたくないが為に、今は足跡からどこかに訪問することは完全に放棄している。次々と発信元を変えてくる迷惑メールと同じようにいたちごっこでどうにもならないのかもしれないが、ほとほとイヤになってきた。 この楽天のブログは使い勝手が良く、機能も豊富で普通のホームページと同じように使えるから気に入っていたのだが、もともとがネット上で物を売るのが主目的の人達に提供している場であり、どこかに訪問しても日記に辿り着くまでスクロールするだけで疲れてしまい、あまり自分からいろんなとこに行ってみることもなかった。いろんな人の日記を読むこと自体は好きなのだが、文章中心にしている人を探すのも結構大変である。 そこで現在移転を検討し始めている。もし移るなら、当然そういう商売目的の人達には付いてきて欲しくないので、URLは公開せず、訪問者は大幅に減ってもいいからひっそりとやっていこうと思う。時々書いているメッセージは縁がある人に役立てばいいので、特に大勢の人に見てもらう必要はない。どこであろうと必要な縁は繋がるものなのだ。 丁度何もかも変わっていく時期らしいし、年内には心機一転したいものだ。
2005/11/10
雪は一日中断続的に降り続けてはいたが、積もるほどではない。下界では草地が白くなっている程度で、道路は降った先から融けていってる。しかし、南沢のバス通りから上の地域は下界の常識が通用しない。家に帰ってきたのは夕方5時半頃だったが・・・ ライトに映し出された我が家の階段には10センチの積雪。しかも猛然と雪は降り続いている。こんな感じだ。 こりゃ間違いなく明日の朝は雪投げだ。まさか、初雪で除雪するとはなあ・・・ 普通、初雪なんてほとんど積もることすらないのに。また今年も雪と共に暮らす日々が始まった。見てるだけなら綺麗なんだけどなぁ・・・
2005/11/09
昨夜から峠では吹雪だと言っていたが、今朝カーテンを開けるとうっすら庭が白くなっていた。「あ、降ったんだな」と思っていたらそれから10分もしない8時くらいから暗い雲が全天を多い、大きな牡丹雪がわさわさ降ってきた。これは昼頃の写真だ。タイヤ替えといて良かったぁ。 昨夜はやはりまた足が痙攣を起こした。でも右足だけでこないだほどの痛みはなかったし、首の痛みもそれほどではなくほっとした。幸か不幸か練習の間隔がしばらく空いていて、13日のワークショップも「誓いの青い鳥」のリハーサルが入ったので出られなくなったし、14日の井上先生と絵美先生の稽古までない。清水さんの稽古に至っては4日にやってから17日まで2週間近く空いてしまう。体は休められるだろう。 でもやはり稽古がないのは淋しい。宿題もいろいろ出されているが、早くまた稽古の日が来て欲しい。
2005/11/09
今日は前回一晩中足が痙攣して激痛で寝られなかった高橋先生のジャズダンスの稽古。腰はどうにか踊れるまでに回復したが、体力的には不安があった。前回は2時間しかやらなかったが、今回は先生も時間通りに来て通常通り3時間稽古である。体はもつのか? また1時間以上掛けてストレッチの後基礎トレをやって、ヒップホップ系の振りの要素を習ってからそれらを組み合わせて一連の振り付けにしていく。カウントにして2エイトちょっとくらいだと思うが、結構速くてなかなか付いていけない。 班ごとに前に出て踊ることになったが、気持ちを戦闘モードにしないと体が付いてこないので、だいぶ厳しい目つきになっていたことと思う。今日はその為にコンプレッションシャツまで着ていったのだ。道着もそうだが、体を締め付けるものを着ると、気分が“戦い”に向いていく。それでもやはり納得のいくものにはならない。ダンサーならば、その場で憶えた振り付けで、すぐ表現力まで出せなければならないのだろうが、YOSAKOIではゆっくりゆっくり習ってきたこともあり、とてもすぐに表情のある踊りにまではならない。 さらに全力でやっていたので、首を回す振りで、古傷を再発させてしまった。腰・首・肩・膝と故障箇所はあちこちにあり、騙し騙しやるしかないのだが、守りながらやっていたのでは見る者に訴える踊りにはなかなかならない。その為に家でも筋力トレーニングを続けて各部位を強化しているのだが、あとは充分なケアをしながらやっていく以外にない。 先は長いがのんびりしてもいられない。みんなは吸収も早いが、私はまず体を眠りから覚まさせてやらねばならない。限界まで追い込まなければ限界点は上がらないから、それを何度も繰り返して錆び付いた体を呼び覚ましていくしかないだろう。ある面綱渡りではあるが・・・ ひとつ反省点がある。自分の事に一杯一杯で、多分人を寄せ付けないオーラを纏っていただろうし、しばらく休んでいて久し振りに出てきた同じ班の子に声を掛けてあげることもできなかった。その子はあまり練習に来てないこともあって話し相手もなくずっと一人だったし、この間だいぶ変化もあったのでいろいろ伝えておいてあげれば良かった。後悔先に立たず。次は同じ過ちを犯すまい。
2005/11/08
気持ち悪いくらい暖かい日が続いている。10月下旬は寒かったのに、11月になってからかなり異常な暖気だ。昨日も20℃を超え、9月並の気温。いつもならとうに木々は丸裸になっていていい頃だが、まだ緑の葉さえ結構残っている。山の上の方は葉も落ちてきたけど初冬の感じはない日々である。 生活するには有り難い。でも、地球温暖化の異常気象は二極化が特徴であり、揺り戻しが懸念される。つまり、急激な強い寒気の襲来や何日も暴風雪に閉ざされるといった事が出てくる可能性が高い。常に備えは怠らず、全体として暖冬となるなら生活の負担は経済的にも、肉体的にも減るのだから、恵みは恵みとして受け取ろう。 今日も暖かな日になりそうだ。腰の調子は昨日よりはいいし、今日はダンスの稽古もある。また一日頑張ろう。
2005/11/08
今日はボイストレーニングのワークショップ。もちろんエアの稽古の一環としてマスターコースとして設定されたもので、特に今日のワークには必ず出るようにとだいぶ前から言われていた。日原美智子先生というこの世界ではとても凄い先生が来る予定だったようだが、急病で急遽札幌のお弟子さん2人が講師となった。だが、井上先生、古田先生ともに代理とは思えないなかなか凄い先生だった。 声の出し方というのは私自身学べるものなら是非学びたいと思っていた。実際井上先生が言っていたが、彼女自身、この技術を学ぶのに数十万円使ったとおっしゃっていた。ただで学ばせて頂ける私達は本当に幸せである。 古田先生はエアの音楽監督であり、先日聞かせて頂いた素晴らしい曲は全てこの方の作曲になる。多分絶対音感のある人なんだろうなと思う。私達全員(30人くらいはいたと思うが)に、先生から見えるように列ばせて一斉に声を出させ、それで全体を一瞥して「うん、もうみんなの声はわかった」と言っていた。もちろん一人一人の声がと言う意味である。 最初は発声と体の変化の関係を感じることから初め、とにかくいい声の時の体の全ての感覚を記憶しなさいといわれた。なかなか難しいことだが、指示されたところに意識を集中すると次第に変化が感じられるようになってくる。 そのあと井上先生に代わって呼吸法の訓練。腹式から側腹式へと変化させ、さらに背中から腰へ息を入れていく。そのあとテーブルの上に座って足が浮いた状態で特殊な姿勢を取り、ハミングをして骨に共鳴させる練習。お二人ともに言われたが、舞台で声が遠くまで届くのは単に声が大きいからでは全くない。むしろただ声の大きさに頼れば全く届かないと言われた。体全体を共鳴体にさせるのだ。 なかなかに難しいが実際に先生に姿勢を直して貰いながらやっていくと共鳴するポイントがあることに気付く。「髪の毛2~3本の違いだよ」と言われたが確かにそうだ。この頃になるとみんなも響きの違いを音として感じられるようになってきた。 最後にじゅんこさんが呼ばれて、フルートを持って現れた。何をするのかなと思ったらまず普通にフルートを吹いた後、姿勢を矯正する特殊な体操をしてから再び吹いて貰う。明らかに音が違う。本当に響いてくる音に変わったし、それを参加者のほとんどがはっきりと感じることができるようになっていた。それにしてもじゅんこさんは何をやっても絵になる。姿勢が美しいというのは本当に全ての基本だなと思う。 とても不思議な体験だったが、2月までには全員に完全に変わって貰うとも言われた。そしてこれが出来ないようなら舞台には上がれないと。確かに難しい、でもだからこそたまらなく面白い。挑戦していく課題は山ほどあるな。
2005/11/07
新聞を見て「えっ!?まさか」と思ったけれど、昨日、本田美奈子が亡くなった。「1986年のマリリン」等で知られた過激な衣裳のロック歌手からミュージカル女優に転身して大活躍していた。今年1月に突然の急性骨随性白血病で入院。その後一時期退院もして回復していたのだが、8月31日に再発が判明、急変して帰天した。最後は天使のように微笑み、周りから感動の声があがる中、眠るように息を引き取ったという。迎えがはっきりと見えたのだろう。 どうしても夏目雅子さんを思い出してしまう。美人薄命と言えば聞こえはいいが、これだけ医学が進歩してもやはり救えないのかと切なくなる。もし彼女がマナテックを知っていたら、あるいは違う展開になっていたかもしれない。まだ38歳で、舞台もレコーディングもまだまだやりたい仕事がたくさんあった中での無念の闘病生活。当初は現実を受け入れられず、ずっと泣き続けていたらしい。私も彼女の最近のCDを聞いて、そのあまりの歌声の美しさに感動し、いつかは彼女の生の舞台を見たいと思っていただけに残念でならない。 でも、これが彼女が定めた寿命だったのだろう。天界には彼女の力を今以上に生かせる舞台が待っている。いつか向こうでお会いしてみたい。
2005/11/07
気分は転換出来ても体というのはなかなかごまかせないもので、昨夜帰ってきてからまた強い腰痛が出始めた。今朝になっても痛みは変わらず、日常生活動作全てが結構辛い。おそらく、アンブロトースAOによる修復過程の痛みであろうとは思うが、今朝の時点ではとても踊れるような状態ではなかった。 しかし、一人休めば芝居のタイミングがわからなくなって他の人達はとまどう。なんとかごまかしてやるしかない。心が折れさえしなければ、肉体の不調は超越出来ることを自分でも他人でも多々見てきている。正直今のシニアの練習には楽しい雰囲気はほとんどなく、みんな自信を失っている部分もあるが、今は数をこなす以外にはないだろう。流れがスムースになれば本番のテンションで一人一人の個性が出てくると思う。本番で楽しめればそれでいい。 待合室でストレッチをやったが、やはり結構しんどい。体が思うようにならなければ気持ちも沈む。だが、演技となれば全力でやる以外にない。幸い全く動けなくなるような激痛は出なかったので、なんとか乗り切ったが、終わって帰る時は立ち上がるのも気合いを入れなければならない状態だった。 でも今日は先生方の練習を見ることが出来た。やはり踊りは素晴らしいし、ほんの一幕分の練習だったが、構成も面白い。全体を通しての物語になれば、かなり楽しい作品になるだろう。 さて、最善のケアをしなければならない。どうしても温泉に行きたくて既に暗くなった中を朝里川に走ったが、どこも駐車場はいっぱいで、混んでいるところにだけは行きたくなかったのでそのまま峠を越えて定山渓に戻ってきた。いつも利用するホテル山水へ。熱いお湯で全身を温めた後、ぬるめの露天に行って半身浴。体が冷えたら全身浸かって、また半身浴を繰り返し、たぶん40分くらい湯に浸かっていた。 あがってからしばらく経っても汗が止めどなく溢れてくる。やはり、腰の痛みはだいぶ和らいだ。あとは自宅でオイルマッサージだ。明日からの仕事に支障が出ないよう祈るしかない。
2005/11/06
眠たいし、疲れて体重いし、腰や転ぶ演技でぶつける膝やすりむいた肘も痛い。でも、やっぱりエアの稽古は嬉しくてたまらない。今日は夕方から山田先生のバレエで、体の固い私には結構きついものがあるが、それでも楽しくてたまらない。稽古は3時間もあるが、常に笑いに溢れているし、雰囲気はいつも明るくたくさんの仲間達と交流しながらたっぷり汗をかける。 班編制してから、同じ班の子達と言葉を交わしやすくなったし、結構違う班の子達とも接点があり、みんなだいぶ親しくなってきた。年代はかなり違うけど、向かっているところが同じだから、話はしやすい。 稽古自体もバレエの動きは難しいが、足の動かし方などは先生に褒めて頂き、名前も覚えて貰うことが出来た。終わってから先生の方から話し掛けてくれて、「なんか踊りやってたの?」と聞かれ、「YOSAKOIだけです」と言うと、「いや、YOSAKOIとは違う」と言われた。少林寺拳法をやっていたことを話すと納得してくれたが、本当に拳法を基礎からキッチリ仕込まれたことは全てに生きている。今更ながら少林寺の世界でも全て非常に技量の高い先生方ばかりに師事することができ、あらゆる面で鍛えられてきたことが本当にありがたいと思う。 バレエの方はまだまだ慣れない動きが多く、頭の方が付いていけなくて私一人だけが出来なかったりすることも多いのだが、一度動きが体に入れば進歩は早いと思う。今日も出来ない動きの方がずっと多かったけど、あやこにも教えて貰えたし、いろんな人達と言葉を交わせたし、ほんとに楽しい時間だった。あれだけ疲れてたのが嘘のように元気になって家に帰ってきた。さて、風呂に入ってゆっくり酒でも飲もう。
2005/11/05
アルバム貼り付けてはみたものの、CMが車からいきなり雪待にんにく卵黄に替わりやがった。いくらなんでもアクセスしたらいきなり「にんにく卵黄100ポイント」はないだろう。トップの面積かなり占める位置なんだからもう少しなんとかならんもんなのかなあ・・・ まだ昔の写真とか取り込んでないから表示するものもあんまりないし、ん~、あんまり趣味悪いCM続くようなら外すしかないかなあ・・・
2005/11/05
朝、布団の中にいる時携帯が鳴った。治療院の方の患者さんからである。布団に入ったのは朝方だったし、今日もダブルで稽古が入っており、疲労も蓄積しているのであんまりやりたくなくて電話に出なかった。しかし、30分後にもう一度掛かってきたので、先々週一度スケジュールが合わなくてお断りしている方であり、何度も通ってきてくれている方だったので、9時15分に電話を受けて10時に来て下さいということで予約を受けた。 やるとなった以上大急ぎで支度して部屋を片付け、治療のセッティング。体調は今ひとつだが、現金収入が入るのは喉から手が出るほどありがたいし、向こうは体の調子を良くしたくて来て下さるわけだから、やる以上はプロとしてしっかりとした施術をする。それほど状態はひどくなかったので、バランスの修正はあまり必要なく、疲れをとって全身を深くリラックスさせることを主眼に調整した。喜んで帰っていって頂いたのでよかった。 さて終わると大急ぎで着替えて、食事もとらずに11時半からげきだん夢の練習。今日は最初から最後まで芝居の練習で、3時間ほとんど休憩もなかった。繰り返し繰り返し同じ事を練習し、今日は私も厳しい注意を受けた。 私は諍い合っているお婆ちゃん達の仲裁に入ってまとめることの多い役なのだが、二手に分かれた双方の言い分をきちんと見て聞いてから間にはいるべきなのに、ただ自分のセリフを投げか掛けることに集中してしまってその前段階がきちんと演技出来てなかった。 演劇というのはセリフが決まっていて次に何が起こるかわかっているわけだが、普段の生活の中では相手が何を言うかどんな行動をするかはわからないわけだし、次の瞬間に突然来訪者が来るとか何か事件が起こるとかは当然わからない。だが、芝居に単調に慣れてきてしまうと、次に何が起こるかをわかってやっているセリフや芝居になってしまうことがある。繰り返せば繰り返すほどそのシーンは体に染みついてしまうので、芝居の半歩先走りしてしまう事が出てくるのだ。だが、その一瞬の間のなさが全部をぶち壊してしまう。 他の芝居の稽古もやって疲れている事や腰痛があることは理由に出来ない。ここはここ、向こうは向こう。自分で選んだ以上どちらにも責任がある。けれど私も人間だ。3時間もの間、同じ芝居を繰り返し繰り返し怒られながらやっていたら、そりゃイヤにもなってくるし、集中力もなくなってくる。今日はメンタルにもフィジカルにも疲れた。 げきだん夢シニアはあくまでも他のヨガクラスとかダンスクラスとかと同じで、一つのカルチャースクールコースのようなもの。どんなに一生懸命やっても、先生は先生、生徒は生徒で、“仲間”にはなれない。そこが私が常に寂しさを感じていた部分でもある。しかし、ここしか私が入れて貰えるところはなかったわけだし、それを選んだのだから仕方がない。 これが私にとって、げきだん夢シニアの中での最後の舞台だろう。求めている方向性の表現とは違うとは言え、ここで多くのことを教わった。せめて最後に一花添えて終わりにしたい。
2005/11/05
本当にこんなことあっていいんだろうか?と驚きと興奮の中にいた。これが最大のエネルギーで実現出来たら、もう今生これで終わりでもいいなとさえ思った。本当に求めていた夢が今現実になりつつある。 今日の稽古は清水さんの演劇の稽古だったが、この前グループごとに分かれて行った2~3幕の部分を立ちで、セリフも憶えた上でやって貰うということを聞いていた。私は前回ト書きを読んだのだが、その際清水さんに「どうせト書きを読むなら効果的にやって」と言われていた。 正直、「効果的」ってどうやればいいのか結構悩んでいた。全部に演技を付けてしまったらある程度笑いを取れるかもしれないが、それは方向性が違うようだ。結局、詩的な表現を加えて、場面を情感豊かに想像出来るようにと語りを少し長くした上で、「ラジオからは音楽が流れている」というナレーションの後に実際に歌を入れようかと考えた。 カラーテレビが8万円というキーワードが出てくるので、ちょっと調べてみたのだが、カラーテレビが発売されたのは昭和35年で、当時各社40万円くらいだった。だからエアの物語は多分昭和40~45年くらいの話になると思う。ただし、厳密にその当時の日本というわけではないようで、架空の世界であるようだ。 そしてその当時のヒット曲を検索してみると、昭和41年に西郷輝彦の「星のフラメンコ」や、布施明の「霧の摩周湖」があった。この2曲ならさわりくらいは歌える。BGMとして流れているものだからサビの部分を歌い上げるより、導入部を押さえ気味に歌った方がいいだろう。でも、どっちにしても笑いの方向性になってしまうことは否めないので迷っていた。 いざ、稽古が始まってなんと私達はトップになってしまった。やはりなんだか緊張して、折角今日一日車の中で繰り返して憶えたト書きのセリフを結構忘れてしまったし、歌も雰囲気がちょっと違うなと感じてやめておいた。どうにか最後までいったものの、なにか盛り上がりに欠け、終わった後清水さんに「一番見せたかったところはどこですかと聞かれて」も、ゆうじが「まんべんなく」と答えて笑いを取るのが精一杯だった。ウレイ役のゆきちゃんも落ち込んでしまっていた。でも彼女はとっても自然な情感の籠もった声を出せる子で、落ち込む必要はないよと声を掛けておいた。 全4グループを見たが、それぞれに個性はあるものの、まだ見て面白いというか、響いてくるお芝居にはなっていない。やはり簡単なもんじゃないなというのが正直な感想だ。 驚きは休憩をとった後の稽古で起きた。いきなり、エアの新しい脚本を渡されて、本読みをすることになったのだ。しかも出演者は20人近くに増え、またお手本のようなものなので、私は呼ばれることはないだろうと思っていたらお声が掛かった。 私の指名された役は物語のヒロイン的な存在であるウレイの父役。「ウレイ父」とあるだけで名前もなく出番も少ない。回想シーンを含めて登場するのはほんの僅かでセリフも少ない。ところが、物語を読み進めていくと、前の脚本とは大幅に変わっているばかりでなく、私の役は最後に物語の鍵を握る非常に重要な役だったのだ。 今までの脚本は雰囲気はスピリチュアルなものの、少々盛り上がりに欠けるかなというのが正直な感想だった。ところが今回のは物語としてめちゃくちゃ面白い。笑って、泣いて、ドキドキして、最後に感動出来る最高にエンターテイメントな脚本だ。物語の雰囲気をたとえれば、そう、「天空の城ラピュタ」に通づるものがある。アニメ的な展開なのだ。 ウレイの父は物語の最後で命を懸けてエアに祈るシーンが出てくる。詳しいことは敢えて伏せておきたいが、全体として非常にメッセージ性も高いし、私が思い描いていた最もやりたい夢の舞台そのものだった。もちろん配役決定は12月10日なので、私がこの役を貰えるかどうかは全くわからない。しかし、どうしてもこの役をやりたいと思った。私が表現したいものを全てこの役に投影することが出来る。そして恐らくこの役は踊りでも中心的な役割の一つを担うことになるだろう。 こんな胸踊る感覚は久し振りだ。まさかこんな展開になるとは思いもよらなかった。そしておまけに曲までほんの一部だったが聞かせて貰ったのだが、これがまた久石譲を彷彿とさせる実にいい曲なのだ。もう、嬉しくてたまらなかった。今日は来ていなかったが、この物語、この曲で特にじゅんこさんと踊れるならこれ以上の喜びはない。彼女の踊りとなら私の踊りは絶対に噛み合う。そして何よりも踊りの中にメッセージを込めることが出来るだろう。 ついにここまで辿り着いた。私は自分の選択で最高の夢と幸せを引き寄せた。2月まで、全てのプロセスを楽しみきろう。
2005/11/04
「誓いの青い鳥」の練習で、ついに脱落者が出てしまった。体調が悪いということで続けて休んでいる人だが、何度も何度も注意されて自信をなくした面も多分にあると思う。一応役から外されてはいないが、踊りがもう間に合わないということで、その人は踊らず後ろで眺めていることになり、相方の人はAチーム、Bチーム両方に出演する予定だったが、Bチームだけに変更になり、変わりに客演の高齢者のおじさんが演技だけで参加することとなった。つまり私のいるBチームは6人で踊るが、Aチームは4人だけの踊りとなった。 踊りも結局は「赤鼻のトナカイ」の途中までだけになり、「もみのき」のほうは振り付けなしとなった。普通に考えればまだ一ヶ月近くあるのだから、2曲に振り付けがあっても大丈夫そうなものだが、なにせシニアクラスは40後半から60後半の女性ばかり、踊りを憶えるのにも時間がかかるし、踊りこなすとなればさらに難しい。今日は踊りの細かいチェックから始めたが、おばさん達は勝手に自分流に作り替えて踊っていたりするので、一つ一つの振り全てに修正が入った。 確かに客観的に見て踊りの下手な老人ホームのお婆ちゃん達が頑張っているという設定だからこそ見られるが、でも舞台で見せる以上は「以外にやるもんだな」くらいは思わせるレベルでなければならない。正直、現状ではただ踊るだけで精一杯で楽しそうにも見えないのだ。 その後先生が演出に入って芝居を行ったが、大幅に修正が入ったのでまず私のいるBチームに憶えて貰って、それを手本にAチームにやって貰うという形になった。いままでうまくいかなかった部分のセリフが削られてしまった人が結構いる。削られれば上手く行くかというと、みんな今までのタイミングで芝居を憶えてしまっているので、慣れるのにも時間がかかる。 私はほとんど直されることはなかったが、何度も何度も反復して仕上げに入っていった。正直、同じ部分を何度もダメ出しされれば誰だって凹んでくる。けれど、お客さんはお金を払って見に来てくださるわけで、ダメだったらもう一度というわけには行かない。全部の公演が一発勝負であり、セリフの交換が自然に出来るのは当たり前のことで、さらにそこから私達にしか出せない味を付けて行かなくてはならないのだ。 客観的に見て面白い芝居だとはまだまだ言えない。私は軸として期待されているだけにプレッシャーも掛かるが、なんとか味付けをしていかないと・・・ 前向きに先生に質問したりしながら取り組んで一生懸命な人もいれば、元気がなくなってしまっている人もいる。でも、これがお金を頂いて舞台に上がるということなのだ。そして、これを超えて演じきることで、僅か10分程度の芝居であっても、ミュージカルの一翼を担えた喜びをみんなで感じることができるだろう。簡単に手に入るものではないからこそ価値がある。こういうチャンスを経験させて頂けることを幸福に思っているし、この先にたくさんの幸せの蕾がいまはっきりと見えてきている。
2005/11/03
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