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年頭恒例となった澤山輝彦展、今回の80+ 4
馬力展は緑づくしであった。澤山とは、月のしずくでおなじみの茶屋町一郎(ペンネーム)さんのことである。今回の緑づくしは友人たちとの雑談で日本画に緑を多用した作品は比較的少ないなとの雑談から決まったというが、私はこの緑づくし、茶屋町一郎の時代意識が無意識裡に表面化したものと受け止めた。能登半島地震で始まった2024年の80+4馬力展は、画伯(私は氏のことを親しみをこめてこう呼んでいる)にとっても私にとってもグリーン回帰元年と思っている。昨13日の台湾総統選の民進党のシンボルカラーがグリーンだったことにもつながっており、その日会場で出会った彼の幼な馴染みの友人で菓子会社の会長が持参した伏見稲荷限定ニューアイテムの三笠の餡も抹茶色でそれぞれの無意識がシンクロした結果なのである。
2023年のウクライナ侵攻に続きガザのイスラエルによる大虐殺、大規模森林火災の数々が必然的に思い描いたものがエバーグリーンであったのはむしろ当然である。


この作品は異質の紙を貼り付けて制作したものと想像できるが、この作品の皴からも樹木の影が彷彿される。氏とは、北摂から近畿一円の聖地の自然の移り変わりを30年以上も一緒に見続けてきたので、なにかにつけてその思いが投影されるのは当然なのだ。

一方、この作品にみられるような抽象画としては比較的分かり易い幾何学的な形象が数点散見されるのはうれしいが、ここで氏の作品から作家自身の言葉がなくなり、鑑賞者との間に対話が成り立つ手立てが失われてきたことにはたと気が付いた。

この作品や上の作品も同様だが、
私にとって親しみやすいということは、
鑑賞者にとって
新しい意味での揺さぶりがない点で、
作者その人にとっては
インパクトという点でいささか弱い。これは抽象画を手掛けるアーティストすべてに言えることだろう。

この作品や次の作品は同じ澤山画伯の体臭を盛んに発している作品ではあっても分かり易いといった以上のものがある。それは要するに澤山節ともいえる作家の健在ぶりを伝える安堵感を伴うものであるからだ。
しかし、本来抽象画家は私たちを新しい意味の場に連れ出し揺さぶり続けることでしか作品とその作家の生きる証しは得られないものなのだ。その揺さぶりに作者の意図を跡付ける唯一の手立ては言葉なのである。

この画伯の画期となった80+4馬力展を契機に、これから生まれる作品にはタイトルをぜひ復活してほしいものだ。それが100馬力展までの画伯の心象風景をより鑑賞者に的確に伝える手立てになると信じる。作品は独り歩きするものであるが、それであるからこそ作者の作品に対するオリジナルの意図がどこにあったかはもっとも重要になる。そんな意味でも80+4馬力展以後の作品は、タイトル、または時には短詩でもよいので言葉を添えることを復活していただきたい。
これから10年私の貴重な旅の伴侶として、
画伯には寸言ではあっても
言語をともなう抽象画家として是非ともそれをお願いしたい。「無題」であっても「無題」とすることには十分に意味はあるのだから。
私が「月のしずく」49号で例に挙げたきのこポエムの意味はそこにこそある。この80+4馬力展のことは「月のしずく」50号でも私達、月のしずく同人の
グリーンエポック元年の画期として
触れたいと思っている。
残された9年のその始まりの年に、私にとって、そしておそらく画伯にとっても実に希望に満ちた個展となったものだと今しみじみと思い返している。願わくば共に後10年歩き続けたいものである。
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