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兵庫県知事選。N国党の立花孝志は、自殺した渡瀬元局長の「不倫問題」に焦点を当て、この問題の構図は、《既得権益に固執する守旧派 vs 改革派知事》…の対立なのだと主張しました。マスコミは、「有権者はネットのフェイク情報を鵜呑みにした」とのニュアンスで報じたりしてますが、そうかといって、不倫日記をデマと断じるわけでもないのを見ると、たぶん日記の存在自体は事実なのでしょう。なので、立花孝志は嘘を言ってるわけじゃないと思います。とはいえ、彼の主張するストーリーは、かなり恣意的でもある。◇一方のマスコミは、斎藤知事の「パワハラ&おねだり疑惑」に焦点を当て、《内部告発者を弾圧した知事 vs 不信任案を突きつけた議会》という図式で報じてきました。これはこれで恣意的だといえます。つまり、「不倫問題」に焦点を当てるか、「パワハラ・おねだり疑惑」に焦点を当てるかで、描かれるストーリーが天動説と地動説ほど違ってくる、…ってこと。◇しかし、問題の本質からすると、これらはいずれにせよ枝葉末節なのよね(笑)。たしかに斎藤知事が、天下りなどの既得権益に切り込んだ面もあるだろうし、それを覆すべく、守旧派側のクーデタ計画もあったのかもしれませんが、だからといって、立花孝志が主張するように、斎藤知事が「正義の改革派知事だ」という話も、そのまま鵜呑みには出来ません。◇◇もっとも重要な問題は、文春や集英社などが報じていたとおり、1.阪神・オリックスの優勝パレードの補助金の違法支出・公金横領の問題。2.それをやらされた担当課長の《自殺》を斎藤知事が隠蔽した問題。…なのです。しかし、残念なことに、この問題は有権者に十分に理解されてない。テレビのワイドショーが報じたのは、枝葉末節のパワハラやおねだりの話ばかりで、もっとも重要な問題が影に隠れてしまったのです。もちろん、立花孝志も、この2つの問題にはまったく触れようとしません。そこに彼のストーリーの最大の恣意性がある。◇…以下は4月の産経新聞の記事です。プロ野球阪神とオリックスの優勝記念パレードを巡り、大阪府と兵庫県は10日、実施費用が約6億4千万円だったと発表した。協賛金やクラウドファンディングなどで約6億5300万円が集まり、収支は約1300万円の黒字となった。余剰金は1970年大阪万博の収益を基に文化活動などに取り組む公益財団法人「関西・大阪21世紀協会」に寄付する。大阪府の吉村洋文知事は記者会見で「寄付くださった方々に感謝する。おかげで盛大なパレードができた」と述べた。https://www.sankei.com/article/20240410-I23AG7PUG5J4TEH4XTQUXR7N6I/しかし、これは大ウソで、実際は、赤字を不正な形で補填していた。以下は7月の集英社の記事。〈兵庫県庁、2人目の自死を公表〉「弔慰金集めを“牛タン倶楽部”が妨害」なぜ阪神・オリックス優勝パレード担当課長の死は徹底隠蔽されたのか?阪神・オリックスの優勝パレードは県費をかけないという方針の下で実施することとなり、必要経費についてクラウドファンディングや企業から寄附を募ったが、結果は必要額を大きく下回った。そこで、信用金庫への県補助金を増額し、それを募金としてキックバックさせることで補った。具体の司令塔は片山副知事。事実なら県補助金の違法支出や公金横領になる重い内容だが、この資金集めを担当したのがBさんだった。その実施準備の中核となった50代の県課長Bさんが今年4月に自死した。県は7月23日、死去から約3ヶ月経ってようやくその事実を県職員たちに明らかにした。それまでBさんの死は隠蔽を徹底するよう同僚にも圧力がかけられた。当然、労災である「公務災害」の可能性を探る必要が出てくるが、それが行われればBさんがどのような仕事をしていたのかが明らかになる。そこで県当局は、Bさんが亡くなったこと自体を認めない行動に出る。県関係者は「渡瀬元局長が告発した7つの疑惑のうち、パレードに絡む問題は“本丸”。もっともヤバい事案でしょう。中心となって携わったBさんの死亡の背景に関心が向くことをどうしても避けたいという考えが働いたのではないでしょうかね」と話す。https://shueisha.online/articles/-/251154なお、今回の選挙戦で、立花孝志の背後にいたのも片山元副知事らしい。知事候補全員が出演したネット番組の生中継討論会で、立花孝志候補が10月25日に片山氏が証言した百条委員会の秘密会の録音データについて「元副知事からもらった」と発言し、片山氏が立花候補にデータを提供したのではないかとの疑惑が持たれています。https://news.yahoo.co.jp/articles/b7855c5f4e5f0c5ea2fc2692d57bc3c3f0f7fb29?page=3◇ちなみに、内部告発をした渡瀬元局長の自殺には、2つの原因が考えられます。1つめは、本人が《抗議の遺書》を残したとおり、内部告発の弾圧に対して抗議の自殺をしたってこと。2つめは、百条委員会の設置にあたって、不倫日記がバラされる局面に追い詰められたってこと。そのどちらか一方かもしれないし、両方かもしれません。◇そして、かりに不倫日記が自殺の原因だとすれば、それを「バラすぞ」と言って追い詰めたのは、斎藤知事を中心とする牛タン倶楽部の面々と、維新の会なのだろうと思います。けれども、維新は、元局長が自殺した途端に斎藤知事を裏切った。議会の側に回って不信任決議案に賛成しました。おそらく元局長の自殺の責を負うのを恐れたのでしょう。いわば、トカゲのしっぽ切りのように、斎藤知事に責任を押しつけて党の延命を図ったのです。◇もちろん、不倫をするのが悪い…という見方もあるでしょうが、弱みを握ってコントロールするのはヤクザの手法ですよね。これは、内部告発した元局長だけでなく、優勝パレードの担当課長もそうだし、それこそ近畿財務局の赤木氏もそうだけど、はたして抗議の意思だけで自殺する??…って疑問はある。よほど追い詰められなければ、自殺にまでは至らないんじゃないでしょうか。そして、もし被害者が何らかの「弱み」を握られていた場合、マスコミとしては、その「弱み」の内容までは公表しにくい、…という事情もあるはずです。◇立花孝志は、「斎藤知事を応援するためだ」と言って、さかんに不倫問題を取り上げたわけですが、なぜか当の斎藤知事自身は、この問題にまったく言及しようとしません。維新も、この問題には触れようとしない。きっと、斎藤知事にとっても、維新にとっても、この不倫問題はビミョーなのですね。「この問題で元局長を自殺に追い込んだかも」…という負い目があるからだと思います。◇他方で、マスコミがこの不倫問題を取り上げないのは、1.死者を不必要に貶めかねないからであり、2.そもそも政治の本質とは無関係だからであり、3.世論が不倫問題にばかり反応しかねないからでもある。実際、立花孝志がこの問題を取り上げた途端に、ネットの世論はそこだけに反応して、県知事選での投票行動をも変えてしまいました。◇不倫問題を取り上げ、それを政争の具にするという手法は、マスコミもこれまでに散々やってきたことです。先日の国民・玉木代表のケースもそうだし、古くは沖縄密約の西山事件のケースもそうです。不倫の話というのは、政治の本質から見れば枝葉末節であり、いわば目くらましなのですが、どうしても世論はそこに大きく反応してしまう。今回は、いわばブーメランのように、それと同じことを立花孝志にやり返され、マスコミが敗北することになった。そして110万人の兵庫県民も、この不倫問題に踊らされたわけです。◇現在の兵庫県政は、けっして《正義と悪の戦い》じゃありません。どちら側も叩けばボロが出る権力闘争の泥試合です。マスコミを信じすぎるのもどうかと思いますが、立花孝志のようなトリックスターを信じすぎてもいけない。おそらく立花孝志の今回の目的は、斎藤知事を応援することなどではなく、彼自身の今後の活動のために、知名度と支持を得ることだったと思います。◇今回の件から学ぶべき点は何か?選挙期間中のネット情報に対して、マスコミは手足を縛られて無力になるということ。なので、ネット情報にはネット情報で対抗するしかない。ネットの世論は、選挙期間のわずか1週間ほどで形作られるし、それを検証する間もなく投票日を迎えてしまいます。かりに、それがデマや陰謀論だとすれば、民主主義の前提が大きく損なわれることにもなる。現在の状況で、有権者のネットリテラシーに期待するのは無理があります。阪神タイガース優勝!プロ野球SMBC日本シリーズ2023総括BOOK (コスミックムック) 楽天で購入
2024.11.19
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NHK「光る君へ」第45話。道長は、賢子ちゃんが我が娘だと気づいてなかったの??それを知らされたのは、よりによって賢子が宮仕えに入ったタイミング!これを知った道長は、倫子さんへの贖罪の思いに耐えきれなくなったのか、それとも、まひろが去ることを知って人生に見切りをつけたのか、剃髪して出家してしまいました。◇冒頭には、道長の和歌の解釈論議の場面もありました。でも、やっぱり、紫式部への返歌という解釈がいちばん面白い。めずらしき光差し沿ふ 盃はもちながらこそ 千代もめぐらめこの紫式部の句は、太字の部分が、1.盃を受け継ぎながら2.栄える月が望月のままでの掛詞になってるのね。それに比べると、道長の歌は掛詞もなくてストレートすぎる…(^^;◇まひろは太宰府へ到着しました。ここは完全なフィクションですよね。そもそも刀伊の入寇(1019)のころまで、紫式部が生きていたかどうかも定かじゃない。とりあえず、太宰府で宋人(松下洸平)に再会しましたが、双寿丸(伊藤健太郎)の最期を見届けることになりそう。…残るは、あと3話だそうです。ほらーぁ😩言ったでしょ?あと4話が盛りだくさんすぎるのって!来週もほんっっっとに盛りだくさんなのでみんな覚悟してね🥺もうあと3話になっちゃったよ毎週当たり前に見てたオープニングがあと3回しかみれないなんて…パープルちゃん寂しいです #光る君へ— 吉高由里子 (@ystk_yrk) November 24, 2024刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機 (中公新書 2655) [ 関 幸彦 ] 楽天で購入
2024.11.26
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日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」第5話。とても面白かった。今回も基本部分は一話完結です。テーマは労使闘争。狭い島社会が分断して、経営側の家族が孤立してしまう姿はリアル。でも、最後は島内で選挙がおこなわれ、分断は収まっていきそうな感じです。◇しかしながら…抗道の事故でも、台風の直撃でも、誰ひとり死ななかったのに、ついに死者が出てしまった。しかも殺人。進平(斎藤工)が、リナ(池田エライザ)を守るために人を殺す。法的には正当防衛だけど、相手はヤクザです。このエピソードは、さすがに一話では完結せず、最後までもつれそうな悪い予感。◇リナの元カレは、だいぶヤバい人だったらしい。ヤクザの現金とピストルを持ち出したのね。そのピストルと現金を、端島まで持ってきたリナも、かなりヤバいけれど…。「リナが愛した男性は死ぬ」「進平が愛した女性も死ぬ」…これは2人の死亡フラグなのでしょうか?◇そして、いづみ(宮本信子)の正体が判明しました。朝子(杉咲花)だったのね。下の名前じゃなくて、苗字だった…というどんでん返し!旧姓が「出水」でした。苗字の「出水」と名前の「泉」じゃアクセントが違うと思うけど…(笑)。さらに、DNA鑑定の結果、玲央は朝子の孫じゃないことも判明。◇でも、鉄平(神木隆之介)と別の女性の孫って可能性は残ります。その場合、鉄平は朝子以外の女性と結ばれたってこと。もうひとつの可能性として、進平とリナの孫ってこともありうる。その場合、玲央にとって鉄平は「祖父の弟」ってこと。4親等なので、顔が似ることもありえるでしょう。…なお、長崎で被爆した百合子(土屋太鳳)は、自分には子供が産めないと思ってるらしく、結婚を諦めてしまってるみたい。◇いまさらですが、King Gnuの主題歌、ずっと女性ボーカルの曲だと思ってました…(^^;
2024.11.26
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折田楓のmerchu(メルチュ)によるプロパガンダ業務が、どれほど選挙結果を左右したのかは分かりませんが、立花孝志の動画を見ると、斎藤元彦=折田楓=立花孝志をつないだのは、やっぱり維新なのだろうことが伺い知れます。今回の斎藤知事の復活ストーリーを、トータルにデザインしていたのは、やっぱり維新なのだと思う。pic.twitter.com/Ulomk2G8Fy— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 26, 2024 ◇折田楓のメルチュが、選挙の仕事を「会社として手掛け/チームとして取り組み」、社内の設備や機材を使いながら、それでも、業務の大半が「個人のボランティア」だったとすれば、それはもはや企業というより宗教団体に近い。実際のところ、旧安倍派議員などの選挙運動では、統一教会の信者がボランティアとして動員されていた。◇今回の選挙でも、統一教会は斎藤候補を支持してました。世界日報は、斎藤元彦を擁護する記事を書き、渋谷の街頭では、統一教会の有力者が、斎藤候補を擁護する演説をしていた。どうやら鈴木エイトは、兵庫県内の選挙運動でも、関係者を観察してたフシがあります。兵庫県知事選“パワハラ知事”斎藤元彦氏、逆転か「内部告発者、自身の不倫問題がばれることを恐れて自殺」【斎藤氏=悪者、県民局長=被害者】の構図で散々発信してきたメディア。新事実を報道できず、今更自分たちの間違いを認められないのだ。#兵庫県知事選挙2024 https://t.co/Xdle7KAcli— 世界日報 (@TheSekainippo) November 14, 2024 11月4日に渋谷駅前で行われた統一教会の街宣のワンシーンです。なぜかは知りませんが、 #統一教会 は #斎藤元彦 氏を支持しているようです。 #兵庫県知事選挙 pic.twitter.com/sKqfOLmdLm— 藤倉善郎容疑者@ギャラクティック (@SuspendedNyorai) November 9, 2024◇斎藤元彦がおばあさんと握手をする、…というヤラセ動画が出回ってましたが、ああいう動画に出演したキャストや、カメラマンや音声担当者も、案外、統一教会の信者だったのかもしれません。弱者の味方が大衆の熱狂的な支持を得ていく、…という感動的なストーリーの作り方は、北朝鮮の金正日や、中国の習近平のプロパガンダにも似てますが、じつは、統一教会の布教のメソッドから来てるのでは??…と思うほど、宗教的な匂いがしますよね。ちなみに、敵対勢力への嫌がらせや妨害活動を組織的に行うのも、統一教会の従来からの特徴といえる。兵庫県・斎藤前知事を今さら支持する人々の素性 “ヤラセ疑惑”の動画の真相は?https://t.co/Os3GnhKxwm#デイリー新潮— デイリー新潮 (@dailyshincho) November 5, 2024【悲報】斎藤さんの例のあの動画、ノーカット版が流出してしまうwwwww pic.twitter.com/jPH789FVu3— 国賊討伐! 統一教会と竹中平蔵の犬、自民党を日本から叩き出せ!! (@CRNK_HZ) November 22, 2024 ◇わたしが気になってるのは、維新と吉本の大陸系コネクションなのです。松本人志が、韓国人の女性と結婚した経緯は知らないけど、島田紳助の時代まで、吉本興業はヤクザとの結びつきが強かったし、関西のヤクザのなかには、在日韓国人や朝鮮人が多く含まれるから、現在の吉本興業の背後に、大陸系のコネクションがあったとしても、それほど不思議なことではありません。◇韓国人のDJ SODAが、公開型の美人局じゃないか?と噂されたときも、トライハードという大陸系人脈からなるイベント会社と、大阪維新との結びつきが注目されました。維新 & 吉本の万博=カジノ政策が実現すれば、大陸系の経済マフィアが大量に流入するだろうことは、容易に想像できるし、それがめぐりめぐって、統一教会や北朝鮮の資金源になっても不思議じゃない。維新の都構想やカジノ政策を容認するかどうかは、A.大陸系マフィアの流入を拒否するのかB.マフィアのおこぼれで生きていく道を選ぶのかそういう究極の選択になるのだろう…とわたしは思ってます。◇東日本大震災のときも、能登半島の震災のときも、神戸の山口組が被災地に入り、被災者に借りをつくる様子が報じられました。震災を境に、暴力団に借りをつくることで、街の構造は変わっていくのですが、その原点となったのが95年の阪神大震災です。現在の大阪や兵庫の状況と、カジノへ向けた動きは、その延長線上にある。◇したがって、国による防災省の設置は、暴排という観点から考えることも重要なのです。【山口組と能登半島地震】「48時間以内に現地入り」「300人前の豚汁、うどんの炊き出し」テレビ・新聞では報じられない「ヤクザとボランティア」https://t.co/C8FLGxixpa 大手メディアのみならず“専売特許”であるはずの実話誌も取り上げていない。一体なぜか。— NEWSポストセブン (@news_postseven) April 9, 2024
2024.11.26
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冬ざれの砂丘踏む音や置き土産 成績表眺める祖母や冬ぬくし 土産持つ両手塞がる秋の海 甥っ子がまんじゅうくれた雪の球 家苞物笑顔溢れる冬苺 一升瓶マフラー包んでリュックから 初霜の駅土産なしの帰郷 祖母当ての大谷グッズ詰める除夜 11月21日のプレバト俳句。お題は「お土産」。◇三宅香帆。冬ざれの砂丘踏む音ねや 置き土産冬ざれの砂丘 すな踏む音残し(添削後)これが今週の1位でしたが…下五の「置き土産」の意味が分からない。どこに?誰に?何を??砂丘に音を置いてきた…という意味なら、それはいわば "砂丘の擬人化" ですが、読み手には伝わりません。作者の話によれば、《持って帰れないもの》という意味らしいけど、それは「置き土産」の本義とは違います。まあ、兼題に寄せて無理やり使った言葉なのでしょうね。◇MIU。成績表眺める祖母や 冬ぬくし成績表持って祖母んち 冬休み(添削後)1位の作品に比べて、句材の独創性に欠けるかもしれませんが、大きな欠点はないし、個人的には、こちらが1位でも悪くない。凡人ワードの「眺める」は、一人称の句で使うのは避けるべきだけど、これは三人称の句なので許容範囲かなと思う。かたや添削句のほうは、《幼い孫の立場で詠むなら子供らしい語彙で書くべき》という意図なのでしょうが、「おばあちゃんち」ならともかく、「祖母んち」が子供らしいかどうかはビミョーw◇Aぇ!小島健。土産持つ両手塞がる 秋の海土産持つ両手や 秋の海の駅(添削後)作者によれば、下五の「秋の海」は紅葉の比喩らしいけど、読み手には伝わりようもありません。原句には動詞が2つあって、「持つ」が連体形で「塞がる」が終止形です。誤読の惧れはありませんが、ちょっと煩わしい。たとえば、三日目は両手に土産 紅葉山のように書けば、動詞はひとつも要りません。◇みやぞん。甥っ子がまんじゅうくれた 雪の球おまんじゅうあげると雪玉をくすくす(添削後)おまんじゅうあげると雪玉をぶつける(添削後)原句は、形式的に二句一章ですが、かりに中七で場面が変わると考えたら、後段は雪合戦の描写に見えてしまいます。まだしも、甥っ子がくれるまんじゅう雪の玉と書いたほうが、一句一章の内容と理解してもらえるかも。添削句のほうは、18音の字余りなうえに、「雪玉をくすくす」は意味不明だし、「雪玉をぶつける」は改作だし、いまいち納得感の乏しい出来です。17音でも、甥っ子が饅頭だよと雪の玉のように書けるし、甥と限定せずに共感性を広げるなら、「おまんじゅうあげる」と小ちさき雪の玉のように書くことも可能です。◇清水アナ。祖母宛ての大谷グッズ詰める除夜みやぞんの句から「甥」の情報を消したように、この句でも「祖母」の情報を消すほうが共感性が広がる、…というのが先生の考えのようです。のみならず、「母」が凡人ワードなのと同じように、「祖母」も凡人ワードと言えなくはない、ってこともある気はします。ただ、この句の場合、「祖母」と「大谷グッズ」のミスマッチこそが、面白さのキモになってるわけだから、その情報を消してしまったら、野球好きの少年への贈り物と解釈されるのがオチ。かえってつまらなくなりそうです。なお、調べとしては、祖母に宛て大谷グッズ詰める除夜と書くほうが滑らかかもしれません。/📣木曜、夜7⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥とても勉強になる夏井先生のアドバイスです!💪#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/9X9SCiebQk— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) November 18, 2024◇薬丸裕英。家苞物みやげもの 笑顔溢れる 冬苺子ら待つや 冬の苺を家苞いえづとに(添削後)これが今週の最下位。欠点はおもに3つ。・内容は一句一章なのに三段切れ。・お土産を貰って笑わない家族がいたら持って来い!・温室栽培の「冬の苺」と野生の「冬苺」は別物。添削については、家苞の冬の苺を子らが待つと書くほうが個人的にはいいと思います。◇蓮見翔。一升瓶 マフラー包んでリュックからマフラーに包む酒瓶リュックから(添削後)これはひどい…。だから特待生にするのは早すぎだと言ったのです。平場の句と比べても見劣りがする。現状維持じゃなくて降格にすべきでしょ。炎帝戦は本当に実力だったのかしら??語順もひどいけど、いちばんひどいのは助詞の省略。「マフラー包む」は、「マフラーを包む」の省略ではありえても、「マフラーに包む」の省略ではありえない。気鋭の劇作家にそんなことを講釈せずとも、そんなことは百も承知だろうけれど、じゃあ、ちゃんと書けよ!…って話。せめて中八でも、リュックからマフラー包みの一升瓶と書くべきでしょう。…まあ、たしかに句材の面白さはありますけどね。ただ、形式ばらない贈答の場面を描くのに、「リュック」と「マフラー」は重複ともいえるので、どちらか一方を書けば十分だろうし、自分のための買い物でなく、贈答の場面であることを明示するなら、ご祝儀はマフラーぐるみの一升瓶あるいは、襟巻に酒瓶包み心付けのように書けるかと思います。◇フジモン。初霜の駅 土産なしの帰郷初霜の駅や 土産のなき帰郷(添削後)原句と添削句のどちらがいいか、ちょっと判断しがたいです。おそらくフジモンは、まともに書けば添削のようになるのは承知の上で、あえてネガティブな心情を強調するために、字足らずの破調にしたのだろうから。(それと同じことは先週の村上にもいえるかも)▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.11.25
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藤原竜也×広瀬アリス「全領域異常解決室」。最初の10月10日の記事で、登場人物の名前のネタ元を考察しましたが…▶ フジ「全領域異常解決室」猿田彦&お稲荷さんのネタバレ考察。この初回のときの見立ては、いろいろ間違ってる気がしてきたので、こちらに修正版を掲載しておきます。ただし、まだ確定じゃありません!!このページは随時修正します。なお、ドラマ内でも答え合わせはないかもしれないので、最後まで確定しない可能性が高いw追記:第6話でいきなり答え合わせがありました…(笑)。主要キャラの神様設定は、すでに↓公式ページにも掲載されてます。https://www.fujitv.co.jp/zenketsu/chart/index.htmlただ、ほかにもまだ神様がいるかもしれないので、このページは修正せずに、このままにしておきます。とくに、芹田正彦の名前のネタ元について、当初は文字どおり「芹田神社」と解釈しましたが、今回は読みから考えて、「セリタ(マサ)ヒコ → サルタヒコ」と解釈し直しました。そのほうがキャラ的にも整合性が取れそうです。◇二宮のの子の解釈も難しいです。社格が2番目の「二宮神社」なのか、二宮尊徳をまつる「二宮神社」なのかにもよるけど、ふつうに考えれば、《荒波警部がナンバー1で、二宮警部補がナンバー2》…という意味に解釈するのが妥当だと思います。しかし、その一方…鹿児島の「蛭児ひるこ神社」が、かつて大隅国の「二宮」だったので、《二宮はヒルコの別名である》…との解釈もあるようだし、読みから「ニノミヤ → ノノミヤ」と考えて、《斎王が潔斎をおこなった野宮ののみや》《アマテラスの別名である野宮大神》…とする解釈もあるようです。たしかに、二宮のの子の役どころは、成海璃子が演じるには軽すぎる気がしますね。◇もうひとつ気になるのは、Themis Holdings のCEOである寿正ことぶきただしの存在。ホールディングカンパニーなので、多くの子会社をもつ持株会社の最高責任者。ギリシャ神話のテミス(Themis)は、法律と掟の神。正義の神。寿正は「正しきを寿ことほぐ」の意味かもしれません。ビッグデータを管理するAIについて、宇喜之は「神の視点」と言ってますが、これこそ現代に現れた異形の神であり、転生したヒルコのなれの果てといえなくもない。pic.twitter.com/6tSFpExT6q— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 10, 2024◇ちなみに…今後、ヒロインの雨野は、アマテラスを召喚する可能性があると思うので、アマテラスとの関係性も念頭に置いて考察してます。* * *宇喜之民生(小日向文世)ゼンケツの局長。料理が得意。うきのたみお → ウカノミタマ神宇迦之御魂/倉稲魂。稲荷神社の主祭神。スサノオの娘/アマテラスの姪。穀物の女神。いわゆる「お稲荷さん」。興玉雅(藤原竜也)ゼンケツの室長代理。猿田彦コーヒーを飲んでる。おきたまみやび → オキタマ神+ミヤビ神興玉(サルタヒコの別名)+宮比(アメノウズメの別名)。どちらも伊勢神宮正宮のアマテラスの守護神。豊玉妃花(福本莉子)ゼンケツの準構成員。事件現場に姿を現す。戦闘要員。とよたまひめか → トヨタマヒメ命豊玉姫。竜宮に住む海神ワタツミの娘。アマテラスの姪。鮫、もしくは鰐、もしくは竜。浦島太郎でいえば乙姫様。芹田正彦(迫田孝也)ゼンケツの準構成員。どこにでも物を運び、どこにでも人を案内する。興玉に猿田彦コーヒーを届ける。せりたまさひこ → サルタヒコ神猿田彦。ニニギ(アマテラスの孫)の道案内をした導きの神。雨野小夢(広瀬アリス)ゼンケツに出向した警察官。興玉雅のバディ。警視庁音楽隊カラーガード(通称「MECメック」)出身で踊ることが好き。あまのこゆめ → アメノウズメ命天宇受売。猿田彦の妻。天岩戸からアマテラスを引き出した踊りの女神。直毘吉道(柿澤勇人)内閣官房国家安全担当審議官。ゼンケツへ捜査を依頼する官僚。なおびよしみち → ナホビ神直毘。穢れを払い禍まがを直す神。アマテラスの兄もしくは姉。荒波健吾(ユースケサンタマリア)警部で班長。あらなみけんご → アラハバキ荒波々幾。記紀神話には出てこない縄文の神/蝦夷の神。二宮のの子(成海璃子)警部補。にのみやののこ → 二宮神社社格が2番目の神社。あるいは二宮尊徳をまつる神社。北野天馬(小宮璃央)巡査部長。荒波・二宮の部下。きたのてんま → 北野天満宮菅原道真をまつる天満宮・天神社の総本社。
2024.11.08
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藤原竜也×広瀬アリス「全領域異常解決室」第7話。今回はエピソード0ですね。雨野=アメノウズメが、ヒルコに襲われて事戸を渡され、ただの人間になってしまった過去が描かれました。◇最後のシーンでは、警察が押収した盗難品の人魚のミイラを、テミスホールディングスの寿正(野間口徹)が盗み出し、ツクヨミ(石田ひかり)に接触してました。たぶん、古すぎて効力を失った人魚のミイラを、ツクヨミの《時間を戻す能力》で蘇らせようとしてる。彼の目的は「修理固成=神の総入れ替え」だそうです。もしかすると彼は、"現代の役小角えんのおづぬ"として事戸渡しの術を身につけ、こんどは人魚の肉を食って不老不死の能力も得て、神に取って代わろうとしてるのでは?ヒルコが神なのか人間なのかは、まだ分かりませんが、本来のヒルコは、古事記ならツクヨミの兄、日本書紀ならツクヨミの弟にあたるのよね。その意味では、兄弟姉妹の骨肉の争いって可能性も。◇ちなみにゼンケツは、京都・伊勢・出雲とも連携してるようです。そこにも支部があるのかしら?その話から察するに、京都や伊勢の「天津神」と出雲の「国津神」は、とくに敵対してるわけでもなさそう。神隠しにされた5柱にも天津神と国津神が混在してます。🟨速報❗️神隠し5柱を初公開🟨ヒルコ「神隠し」事件の犠牲者5人は重要な神々だったーー神様5柱をここで「初公開」です▪️大物主神 オオモノヌシノカミ▪️伊斯許理度売命 イシコリドメノミコト▪️建御雷神 タケミカヅチノカミ▪️大宜津比売神 オオゲツヒメノカミ▪️布刀玉命 フトダマノミコト pic.twitter.com/4jOSeXyfak— 『全領域異常解決室』フジテレビ水10ドラマ【公式】 (@zenketsu_fujitv) November 17, 2024念のために、神隠しにされた5柱を簡単に紹介しておきます。大物主神オオモノヌシオオクニヌシに国造りの助言をした国津神。三輪氏の祖神。蛇神。建御雷神タケミカヅチオオクニヌシに国譲りをするよう談判した天津神。鹿島神宮の主神。布刀玉命フトダマアマテラスを岩戸から出すために、天児屋命とともに占いをした天津神。 伊斯許理度売命イシコリドメアマテラスを岩戸から出すために、八咫鏡を作った天津神。女神。大宜津比売神オオゲツヒメスサノオに食事を振る舞った食物の女神。神々の全国会議は、やっぱり神在月に出雲で開催するのかしら…?(笑)ゼンケツ本部が東京に置かれたのは、首都機能があるからだけでなく、皇居とともに移転してるからかも。天皇の位置づけは知らんけど。◇それから、ゼンケツの非正規職員のコビー(名村辰)は、医薬神の少名毘古那スクナビコナです。記紀神話によれば、スクナビコナは、オオクニヌシの国造りに協力した天津神でもある。◇そして、第7話の内容で気になったのは次の3点!!・荒波警部とオオゲツヒメは幼馴染みだった。・直毘審議官の前任者は「鹿島さん」だった。・ツクヨミは生まれてすぐに夜の世界へ行った。いずれも意味ありげな情報だと思います。ツクヨミは一般に《夜を統べる神》とされますが、彼女は次週予告で「どうせ黄泉送りだ」と言ってる。夜の世界と黄泉の国は関係あるかしら?🟨第8話→11月27日(水)22時放送🟨「神様が人を殺すなんて…」犯した禁忌 人間の罪×神の暴走「黄泉送り」「小夢の涙」次週予告です✨⛩️FOD→8話先行&全話配信https://t.co/qhfuaHr8Ps⛩️TVer→7話&1〜3話配信中https://t.co/mAfDi5jIkE⛩️Netflix→全話配信🟨 #全領域異常解決室 🟨 pic.twitter.com/4SzH4zw985— 『全領域異常解決室』フジテレビ水10ドラマ【公式】 (@zenketsu_fujitv) November 20, 2024…おそらく、事戸渡しによる神隠しは「黄泉送り」のことだよね!イザナギがイザナミを迎えに行ったように、黄泉送りにされた神々を取り戻すことは可能なのかも。イザナギはイザナミの奪還に失敗しましたが、それは《見るなのタブーを破ったから》です。※ギリシャのオルフェウスの場合は《後ろを振り返ったから》です。▶ 岸辺露伴と同じく「黄泉比良坂よもつひらさか」の話になる可能性?!神の奪還に成功すれば、雨野はふたたびアメノウズメになれるはずです。役小角読本新装版 [ 藤巻一保 ] 楽天で購入
2024.11.21
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カンテレのドラマ「エルピス」。視聴者のなかには、「政治家の息子が犯人」みたいな予想もあるっぽいけど、わたしは、そんなありきたりな話じゃないと思う。◇瑛太が演じる謎の男は、政治家の息子じゃなくて、「本城建託の息子」という設定のようだし、かりに彼が何らかの裏事情を知っているとしても、おそらく真犯人ではない…というのがわたしの見立て。第一、ドラマのモデルとされる足利事件は真犯人が見つかってないし、飯塚事件にいたっては、再捜査はおろか再審請求さえ通っていません。したがって、この物語は、最後まで真犯人にたどり着かない可能性もある。◇一般に、現実の冤罪事件ってのは、たぶん「真犯人隠し」よりも、権力の「不祥事隠し」の側面のほうが強いのだろうと思う。つまり、世間的な関心の高い重大事件において、地元の警察が、人事への配慮や点数稼ぎなどのために、強引な捜査や証拠のでっちあげなどを行った場合、それを起訴した検察、そして有罪判決を下した司法なども、いわば共犯関係になっていくわけだし、さらには、選挙地盤からの要請を受ける形で、政府判断で死刑執行を強行して幕引き…なんてところまで権力の共犯関係が連鎖しかねない。そうやって、地元警察から中央政府にいたるまで、権力側の「不祥事隠し」の共犯関係が連鎖していくと、冤罪報道や真犯人捜査に対しても隠然と圧力がかかるのでしょう。そんな闇のカラクリを暴き出すことこそ、このドラマの最大の主題なのだろう…とわたしは見ています。単純に、「政治家の息子が殺人犯」なんて話は、ちょっとリアリティに欠けると思いますし、そこらのミステリー小説の読みすぎじゃないかしら?◇なお「本城建託」という地元企業が出てきたので、今後は、この企業と麻生太郎モドキとの癒着の構造が、殺人事件とはまた別の闇を浮かび上がらせるのかもしれません。佐野Pも、ここからの話が《後編》になるとツイートしてましたし。たとえば、福岡の麻生グループの、セメント会社や学校法人なんかがモデルの可能性もありますよね。ただでさえ福岡はヤクザが多いから、企業体&ヤクザ&地元警察の、三つどもえの組んずほぐれつとか、色々ありそうだし。◇ってなわけで、第6話まで来ました!!いやー、ヤヴァすぎ…リアルすぎて手に汗握った。てっきり事件追及の主体と思われたBONBONチームは、あっさり解散してしまって、ゴードンは経理部に異動!セクハラプロデューサーは子会社に出向!報道復帰した長澤まさみは、忙しすぎて取材できない!もしかして、今回のマスコミの粛清劇って、佐野PがTBSを追い出された経緯に重なってます?梶原善は、ただのチョイ役で終わりなの?(T〇T)◇…とはいえ、事件は世間の注目を浴びたのだから、ほかのメディアも取材に乗り出すはずだし、トンズラした目撃証言者もメディアに追われるはず。金を振り込んでいたアサベ商事の実態も解明されるに違いない。しかし、今のところ、瑛太の周辺を嗅ぎまわってるのはゴードンだけ。そして、麻生太郎モドキを疑ってるのは長澤まさみだけ。なので、今後は、その情報を池津祥子と共有していくかが焦点になる。セクハラプロデューサーも子会社で底意地を見せてくれるかも。そして、わたしは、鈴木亮平が最終的に味方に転じる可能性についても、まだ希望を捨てていませんっ!!!つーか、ホリプロと東宝、キスしすぎwww◇ところで、脚本の渡辺あやは、ゴードンのことを、「ひとりでハアハア言ってるところが、必死な大型犬みたい」と言ってました。それって、まさに三船敏郎のことなのよ!三船敏郎の魅力って、あの目力もさることながら、まさしく「ひとりでハアハア言ってた」とこなのです。やっぱり目力ゴードンって、三船敏郎なんだわ。…それはそうと、長澤まさみの歌った「贈る言葉」。意外に上手なのでビックリしました。でも、こちらのデュエットを聴くと…(長澤&サチモス) やっぱり二人ともヘタwwドラマよりもゆったりしたバージョンですね。◇同一マネージャーの新旧タレント共演wwなんか笑える。
2022.12.01
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大衆啓蒙の不可能性を痛感した立花孝志が、啓蒙主義的な民主社会の理想を捨て、愚民誘導に転換したことを告げるインタビュー。バカな人たちをどうやって上手く利用するか。それはホリエモンがそういうことを言ってて、オレも最近そうやな、と思うてんねん。だから、まあイヌとかネコと一緒なんよ。そういう人たちにも有権者として一票を託してる制度が、いまの民主主義のやり方。一人一票というやり方は、ぜったい違うと思ってる。けども、これ「違う」と言っても、それ批判しても、この状態で選挙に勝たなきゃいけないので。だから「バカに入れてもらう方法」を考えるのが、本当に賢い人だな、と思って。この国の国民って、政治の問題とか、戦争の問題とかよりも、下ネタのほうが好きなわけよ。それを「そんなのくだらない人間だ」と批判するよりも、そこへ、やっぱり降りていく。そこに首突っ込むしかないのよ。この人たちに票を貰わなきゃいけない。◇東浩紀は今世紀初頭に、「動物化したヲタク」の消費社会を論じ、大脳を経由しない脊髄反射的なヲタクを相手に、あたらしい言論を開始したのだけど、…それと同じように、ホリエモンも、脊髄反射的なネット民に本を売る商売をはじめ、立花孝志も、脊髄反射的なネット民に投票させる政治を開始した。◇いわば、詐欺師が、脊髄反射的な高齢者を釣るように、ホリエモンや立花孝志は、脊髄反射的なネットの若年層を釣ってるわけ。そして、兵庫県では、なんと110万人も釣れてしまった、という衝撃。ほんまにこれですよね😨 pic.twitter.com/qDW8U2ojT1— 仙狐 (@senko1217) November 18, 2024動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書) [ 東 浩紀 ] 楽天で購入
2024.11.22
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新海誠の映画「君の名は。」には、隕石によってできた糸守湖が描かれます。一般に、「糸守湖のモデルは諏訪湖だ」と言われてきたのですが、新海誠自身は、「最初期のイメージは(長野県小海町にある)松原湖や大月湖」だったと述べていました。昨夜NHKで放送された、「ネーミングバラエティー・日本人のおなまえっ!」を見て、ようやくその謎が解けた気がします。なんと「長野に幻の湖が存在した!」というのです…。◇ときは平安時代。西暦887年、五畿七道の地震によって、北八ヶ岳が山体崩壊を起こし、千曲川がせきとめられた結果、現在の小海町や南牧村あたり一帯が、水深130mもの巨大なダム湖になったというのです。その1年後には一部が決壊して、水深は50mほどに減ったそうですが、それでも、そこには100年以上ものあいだ、幻の湖が存在しつづけたそうです。現在の研究者たちは、この湖のことを「古千曲湖Ⅰ/古相木湖」(または南牧湖/小海湖)と呼んでいるようです。まさに、新海誠のいう「松原湖」は、この巨大湖の名残りなのです!そして、松原湖の周囲には、消えた湖の堆積土砂による広大な平野が残され、人々の暮らしと、水運のもたらす経済が育ったのです。◇話はそれだけではありません!長野は内陸県であるにもかかわらず、「本海野」「海瀬」「小海」「海の口」「海尻」など、海にまつわる地名が多いのですが、それらは、ここに幻の巨大湖が存在した痕跡なのであり、のみならず、「海野」「海瀬」「新海」「新津」などの苗字が多いのも、同じ理由からなのだそうです。…新海?!そうです!森岡浩によれば、もともとは「新開(新しい開墾地)」を意味する苗字に、あとから「海」の字を当てたものだそうですが、これもまた、その幻の湖に関係する苗字だったのです!!◇映画「君の名は。」に出てくる糸守湖は、隕石によって生まれたという設定ですが、実際には、地震による山体崩壊が生んだものがモデルだったのです。そして「新海」という苗字のルーツをたどれば、新海誠が、湖や、雨や、竜など、水にまつわる物語を作りつづけるのは何故なのか、その理由もはっきりと見えてくる気がします。おそらく新海家の一族は、地震で突如生まれた巨大湖のそばで生きた人々なのです。◇(追記)新海誠の娘はFoorinの新津ちせちゃんですが、新海誠も、本名は「新津」なのだそうです。新海家ではなく、新津家だったのですね。むろん「津」とは "港" の意味ですから、これもやはり海(=巨大湖)に関係した苗字です。なお、長野県佐久サク市には「新海神社」があるので、新海という芸名はここに由来するのかもしれません。また、長野県と海とのかかわりでいうと、海人族(ワダツミ)に連なる阿曇氏が穂高神社に祀られている…というのも気になるところです。▶映画「天気の子」を民俗学で読み解く◇ついでに余談ですが、松原湖には、畠山重忠にまつわる竜の伝説があります。重忠の母(三浦義明の娘)は、源頼朝に仕えた息子を守るため、松原湖に入水して竜へ身を捧げたとのことです。(もともと彼女自身が竜蛇だったとの説もあり)彼女の墓は、いまは松原湖に水没しており、湖面が下がったときにのみ少し姿を現すそうです。…もともと長野には、諏訪のミシャグジ神 ≒ 建御名方タケミナカタ神を中心に、多くの竜蛇伝承がありますが、一説によれば、口噛み酒(ミサク)もミシャグジ神に関係しているそうです。上述の新海神社が祀っているのも、「興波岐オキハギ」という神様で、これは建御名方の子、もしくは甲賀三郎の子にあたり、いずれにしても蛇神/竜神です。別名を「新開ニイサク」「御佐久地ミサグチ」とも言うらしいので、これまたミシャグジ神に関係しているかもしれません。(追記はここまで)https://t.co/zFI5tXugXo pic.twitter.com/Tn6dlM6ZrT— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 11, 2022 話は変わりますが、番組では、「鬼滅」がらみで、鬼のルーツにも迫っていました。ざっくりいえば、鬼というのは修験者(山伏)なのですね。奈良の都の人々は、紀州沿岸の山地に潜伏する修験者たちを、「鬼」と呼んで恐れたようです。この地域には、「鬼」のつく地名や苗字が多いのです。役小角の弟子だった前鬼・後鬼の子孫も実在します。実際、修験の人々は、日に焼けた異形の赤ら顔で、目は爛々と輝いて野性味にあふれ、超人的な身体能力を持ってましたから、しばしば「鬼」「天狗」などと思われたのでしょうね。しかも、金属や水についての高度な知識をもっていたし、朝廷の権力さえ脅かす対抗勢力だったかもしれません。中央政権に統合しきれない鬼たちは、討伐(鬼退治)の対象になっていったのでしょうし、平安朝の嵯峨天皇は、紀伊の修験者たちを統合するためにこそ、空海の密教を利用したのかもしれませんよね。
2021.02.26
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プレバト俳句。お題は「リュック」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇梅沢富美男。飯盒はんごうを逆さにしばし 揚げ雲雀ひばり飯盒を逆さに蒸らし 揚げ雲雀(添削後)飯盒を逆さにする理由が、若い読者には伝わりにくいだろうってことで、添削では「しばし」を「蒸らし」に置き換えています。実際、わたしも(若くないけど)、飯盒を逆さにして蒸らすことを知りませんでした。…とはいえ、「しばし」を「蒸らし」に置き換えてしまうと、だいぶニュアンスが変わりますし、どちらがいいのか判断しがたいところはあります。原句の「しばし」という言葉は、たんにご飯を蒸らす時間だけでなく、ほのかに心情的な要素を含んでいます。物思いに耽っている時間かもしれないし、心が無になっている時間かもしれないし、ささやかな安らぎを得ている時間かもしれない。添削では、そうした心情的な面を切り捨てて、ひたすら映像描写に徹しているともいえます。その意味ではドライな添削です。「しばし」の一語にこそ情感があるともいえるけれど、逆にいえば、「しばし」の一語に詩情を込めようとする安易さを、俳句としては慎むべきなのかもしれません。そこらへんは、かなり高度な判断を要しますね。◇石塚英彦。旅支度 真の雪解待つばかり旅支度整う 雪解待つばかり(添削後)原句では、「真の雪解」という表現のなかに、コロナ禍収束への願いを込めているのですが、結果として、季語が比喩になってしまっています。添削では、そうした比喩的な側面を切り捨てて、たんに春の一場面を描写した句に直しています。これも、やはりドライな添削ですね。◇鷲見玲奈。旅鞄枕に 寝て見る朧月朧月 旅の鞄を枕とし(添削後)寝ない枕があるんなら持ってこい!見ない朧月があるんなら持ってこい!…ってことで、「寝て見る」を省いた添削です。詩情そのものは悪くないように思ったんだけど、先生の評価は「添削しても辛うじて凡人」という厳しさ(笑)。わたしとしては、余った3音分に何かしらの追加情報を足して、もうすこし風景に具体性を加えれば、さらに詩情が増すんじゃないかと思います。ためしに、地名を加えて、旅鞄枕に 能登の朧月とか、あるいは、破調にして、鞄を枕に 朧月の異国としてみました。◇森口瑤子。花疲れ リュックの底の底に鍵このあいだ「リュックの底にチョコの染み」を詠んだばかりなので、またリュックの底ですかあ?! …というのが正直な感想。「底の底に」という表現に滑稽味があって、まあ、前回よりは出来がいいのかもしれませんけど。◇本上まなみ。ちびリュック中身はおむつ 山笑う彼女は文学的なセンスがありそうだし、予想どおり、うまく実体験を拾い上げてましたね。◇◇そういえば、梅沢の俳句で思い出したのですが、ヴォーン・ウィリアムズの「揚げひばり」という曲名を見て、ひばりの唐揚げのことだと勘違いした、って笑い話があります。たしかに「揚げひばり」って変な言葉ですよね。「昇り竜」のように「昇り雲雀」とでも言えば、そんな誤解もないだろうに。どうして「揚がり」という自動詞じゃなくて、よりによって「揚げ」という他動詞なんでしょうか?誤解が生じるのも無理はない。梅沢の俳句を見て、飯盒でごはんを蒸らしながら、雲雀のフライをかじっていると誤解する人だって、けっこういるんじゃないかと思います(笑)。
2021.04.19
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漫画ヲタクの暴走がいっこうに止まらない。原作至上主義こそ「絶対正義」と思い込み、テレビ局と脚本家が「絶対悪」と思い込み、にもかかわらず、なぜか小学館のことは「漫画家の味方」と信じて疑わない。そのうえ今度は、木南晴夏やめるるや毎熊克哉にまで、そのルサンチマンの矛先を向けている。おそらく3次元世界のすべてが憎いんでしょうねw芦原妃名子が亡くなった直接の原因は、相沢友子のインスタなんぞではなく、ほかならぬ漫画ヲタクどもの暴走にあるのかもしれないのだけど、その可能性からはあくまで目を背けつづけ、あろうことか、ますます個人攻撃をエスカレートさせてます。◇このような漫画ヲタクの暴走は、かえって自分自身の首を絞めてもいる。漫画ヲタクの掲げる原作史上主義は、メディアミックスの選択肢を狭めるあまり、かえって漫画出版社を窮地に追い込み、漫画文化そのものの経済基盤をも揺るがしてるのだけど、その現実からも目を背けてる。べつに「大人になれ」とかいう話じゃなく、子供であろうと、大人であろうと、現実から目を背けることはできないだろって話なのですが、おそらく漫画ヲタクの人たちは、彼らの愛する2次元世界が、現実の3次元世界を凌駕するように望んでるのでしょう。しかし、シンギュラリティでも訪れないかぎり、そんな世界は実現しません。◇もちろん日テレと小学館は、原因究明と事情説明をする必要がありますが、その説明を聞くまでもなく、もはや野木亜紀子や佐藤秀峰の文章を読んだら、おおよその背景と事情は察しがついてしまった、…ってのが正直なところ。そして、原作者と脚本家にすり合わせをさせない手法は、三上絵里子や相沢友子にかぎった話ではなく、テレビ業界全体の悪習だったこともバレてしまった。もちろん再発防止策も改善策も必要なのですが、おそらく改善に向かうというよりは、たんに《漫画原作が忌避される方向》へ流れるだけでしょう。漫画原作はめんどくさい、との認識が共有されて終わる。◇テレビドラマが漫画原作を避けることで、いちばん損をするのは出版社ですが、メディアミックスの可能性が大幅に狭まる事態に対し、どんな方策を講じればいいかについては、昨日の記事に書いたとおりなので割愛します。いずれにしても、漫画ヲタクの暴走から得られるものなど何もなく、漫画を中心とするメディアミックスの経済を縮小させることで、かえって彼ら自身の首を絞めているにすぎません。◇あらためて相沢友子のインスタの文章は次のとおり。〔12月24日〕最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました。〔12月28日〕私が脚本を書いたのは1~8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします。今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています。どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように。この文章をどう読むかは人それぞれでしょう。脚本の書き直しをさせられたり、終盤の脚本がまるまるボツになったことについて、ショックを吐露してるのはたしかです。最初からボツになる可能性を知っていれば、わざわざ苦労して書くわけがないのだから、まともな意思疎通が出来てなかったのは想像に難くないし、原作をねじ曲げられた芦原妃名子がショックだったように、せっかく書いた脚本を反故にされた相沢友子が、同様にショックを受けたのも当然のことでしょう。◇そして最後の、「今後同じことが二度と繰り返されませんように」という一言は、十分な意思疎通を怠った自分への戒めとも取れるし、それを遮ったプロデューサーや出版社への苦言とも取れるし、構造的な問題が改善されることへの願いとも取れるのだから、それをあえて「原作者への嫌味」だと解釈するのは、ひとつのバイアスのかかった見方にすぎません。たしかに相沢友子の支持者のなかには、あからさまに原作者を "悪者" と見なす人もいたのだけど、それはちょうど、現在の芦原妃名子の自称支持者どもが、相沢友子を ”人殺し” 呼ばわりすることの裏返しであって、はたから見たら「どっちもどっち」でしかない。要は、双方の外野どうしが、> 自分たちが絶対正義で、> 相手がたは絶対悪である!と主張して互いに暴走してるだけ。さながら馬鹿なネトウヨが、> 日本人の愛国心は絶対正義だが、> 中国人の愛国心は絶対悪である!と主張してるのと同じで、はたから見たら「同じ穴のムジナ」なのです。◇ちなみに、ヤフコメには、この相沢友子の文章について、脚本家が「原作者のわがままのために酷い思いをしたけど、俳優さんたちやスタッフの皆様は素晴らしかった」という内容のコメントを誰の目にも触れる場所に発信…https://news.yahoo.co.jp/articles/dc2d3ddc1815f33d770df8a190ac0d1dc0f12b05などと、まったく違う文面に書き換えた人物が存在し、このデマ情報が、いまなおいちばん上位に表示されていて、1万人もの閲覧者が「共感」のボタンを押すなど、かなり悪質な拡散ぶりを見せています。◇芦原妃名子が亡くなったのは、相沢友子のインスタの文章のあとではなく、それから1ヶ月後のことです。つまり、芦原妃名子が、小学館に確認のうえでトラブルの経緯説明をし、それがSNSにおける騒動へと発展し、それを受けて当該文章を削除した直後なのだから、そこにこそ直接的なトリガーがあったと考えるのが普通。漫画ヲタクどもは絶対に認めたくないでしょうが、芦原妃名子の自称支持者の連中が、相沢友子への攻撃を激化させたことこそが、直接的な引き金だったのではないか?…と疑ってる人はかなり多いはずです。そうでなければ、「攻撃したかったわけじゃなくて」という最期の言葉にはなりようがない。◇もちろん、遺書の内容が公表されないかぎり、そのトリガーを特定することはできないし、わたし自身も、彼女が亡くなる前日に記事を書いてますから、それが本人の目に触れた可能性というのも、ずっと気になってるのは否めません。当時のアクセス数は300程度だったけれど、自分の記事がトリガーになった可能性が、絶対にないとまでは言い切れない。極論をいえば、この問題についてのネットの言葉のすべてが、何らかのトリガーになった可能性はあるわけで、その意味で、現在の状況というのは、たがいに責任のなすり合いをしてるとも言える。◇けれど、たとえ何がトリガーだったとしても、それが罪だとまではいえません。犯人探しをしたくなる気持ちは理解できますが、自殺の背景において、かならず犯人が存在するわけではない。にもかかわらず犯人を捕まえて断罪しようと暴走すれば、実質的な冤罪まがいのものを生み出すだけです。◇しかし、それでもなお、漫画ヲタクどもの暴走が止まることはないでしょう。わたしは今回の件で、日本で漫画ヲタクと呼ばれる人たちが、ネトウヨやジャニヲタと同じ種類の連中なのだ、…ということを完全に理解しました。
2024.02.04
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結核。隔離。あまりにも残酷な結末。15年前に本放送を見たときは、遠い過去の話だと思っていたけれど、コロナ禍のなかで再放送を見ていると、なにか皮肉な偶然を感じずにはいられない。◇通常のドラマなら、最後に伏線が回収されて、これまでの約束がみごとに果たされて、めでたく夢が叶って終わるところですが、このドラマは、そのすべてを裏切ります。朝ドラ史上、稀に見るようなバッドエンド。桜子の人生は、なにひとつ実現しないまま、報われずに終わる。なにも成し遂げることの出来ない人生。…でも、それが不幸だとは思わない。そういう感想を、本放送のとき以上に強く持ちました。◇夢が叶おうが叶うまいが、想いが報われようが報われまいが、約束が果たされようが果たされまいが、生きていること自体に輝きがある。それが、このドラマのメッセージだと思うし、実際、桜子の人生はとても輝いていたと、わたしは思います。桜子だけではありません。目の不自由な亨ちゃんにも生きる歓びがあったし、生まれてきた赤ちゃんの命もキラキラ輝いている。夢が叶ったり、想いが報われたりするのは、せいぜい小説やドラマのなかの架空の話であって、現実の人生は、そうではありません。さまざまな行き違いや矛盾に満ちていて、けっして現実は「まんどろ」というわけにいかない。これは、冬吾=太宰治に対するメッセージでもあるのだけれど、やはり「命を捨てるべきではない」というのが、作者の最終的な考えなのだろうなと、あらためて思います。◇冬吾との関係も、最後まで片付くことはなかった。本来の冬吾は、誰に対してもズバっと本音を言い、魂をぶつけるような絵を描く人でしたが、結婚後の冬吾は、そうではなくなりました。不本意な絵しか描くことができなくなっていたし、死線を彷徨った夢のなかで桜子に救われたときには、「笛子と加寿子と亨の顔が浮かんできた」などと嘘をついて取り繕ったりしていました。いや、嘘ではなかったのかもしれませんが、夢のなかで桜子の魂と通じ合った記憶は、みずから抑圧したのでしょう。冬吾にとっての真実は、唯一、桜子でした。笛子も、うすうすそのことを察知していて、桜子の姿を描いた冬吾の絵を病室に飾ると、桜子にむかって「あんたが羨ましかった」と言いました。そこにも、それぞれの報われない真実がありました。◇ものすごく矛盾に満ちた内容だったけれど、それゆえに強烈な印象を残しました。わたしは、やはり、このドラマが面白かったです。
2021.01.06
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藤原竜也×広瀬アリス「全領域異常解決室」第1話を見ました。莉子が出てなかったら見てないし、正直、それほど面白いとも感じない。ちょっとコケ脅しの印象が強いです。◇堤幸彦の「TRICK」みたいな路線ですが、アイディアだけが先走って空回りしてる感じ?オカルトや神話のネタを盛り込むのはいいけど、セリフの大半がその説明なのはちょっと白々しい。言葉だけで頭でっかちに作ってるというか、やたらと説明セリフが多すぎるよね。結局、事件そのものも、ふつうに警察が処理すべき内容でしょw…ってのもツッコミどころではある。◇稲荷神社とヒルコがどう繋がるのかとか、そういう部分にはちょっと興味があるし、莉子がどういう役なのかも気にはなるけど、ドラマへの視聴意欲は、正直、さほどそそられません。◇なお、主要な登場人物のネーミングが、すべて日本神話にちなんでるようなので、関係のありそうなものを挙げておきます。神話的にいうと、荒波(=竜神)の娘が豊玉妃花(=乙姫)って感じになる。二宮と北野の関係は、神社の序列と逆転してるっぽい。追記:こちらには初回のときの見立てをそのまま載せてますが、いろいろ間違ってる気がするので、あらたに【修正版】を↓↓↓以下のページに掲載します。合わせてご覧ください。https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202411080000/* * *宇喜之民生うきのたみお(小日向文世)全領域異常解決室ゼンケツの局長。宇迦之御魂ウカノミタマ。稲荷神社の総本社:伏見稲荷大社(京都府京都市)の主祭神。いわゆる「お稲荷さん」。興玉雅おきたまみやび(藤原竜也)ゼンケツの室長代理。猿田彦コーヒーを飲んでる。猿田彦サルタヒコを祀っていた興玉おきたま社と、天の岩屋で宇迦御魂ウカノミタマを祀っていた三宮さんぐう(三狐さんぐ)神社を合祀した二見興玉神社(三重県伊勢市)。猿田彦は導きの神。雨野小夢あまのこゆめ(広瀬アリス)興玉雅のバディ。ゼンケツに出向した警察官。警視庁音楽隊カラーガード(通称「MECメック」)出身で踊ることが好き。天宇受売アメノウズメ。岩戸隠れの伝説に登場する芸能の女神。日本最古の踊り子。猿田彦サルタヒコの妻。荒波健吾あらなみけんご(ユースケサンタマリア)警部で班長。荒波々幾アラハバキを奥宮とする金吾龍きんごりゅう神社(北海道小樽市)。日本最古の龍神を祭る。二宮のの子にのみやののこ(成海璃子)警部補。二宮神社(兵庫県神戸市)。北野天満宮を総本山とする天神神社。北野天馬きたのてんま(小宮璃央)巡査部長。荒波・二宮の部下。北野天満宮(京都府京都市)。菅原道真を祭神とする天満宮・天神社の総本社。直毘吉道なおびよしみち(柿澤勇人)内閣官房国家安全担当審議官。ゼンケツへ捜査を依頼する官僚。直毘ナホビ神。穢れを払い禍まがを直す神。芹田正彦せりたまさひこ(迫田孝也)デリバリースタッフ。ゼンケツの依頼で何でも運ぶ。芹田上神社・中神社・下神社(長野県長野市)。芹田神社(兵庫県丹波市)。あるいは須勢理毘売スセリビメ?豊玉妃花とよたまひめか(福本莉子)事件現場に姿を現す謎の女性。豊玉姫トヨタマヒメ。竜宮に住むとされる海神ワタツミの娘。浦島太郎でいえば乙姫様。神武天皇の父方の祖母、母方の伯母。猿田彦コーヒー。猿田彦珈琲 猿田彦クラシック ドリップバッグ 1箱(5袋) 楽天で購入
2024.10.10
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NHK「カムカムエヴリバディ」の第4週。火曜日に、母と祖母がいきなり死んでしまいました。木曜日には、父も死んでしまって、金曜日には、ついに稔も死んでしまいました。結果的に、ほとんど誰もいなくなった。朝ドラがこれほどの喪失を描いたことはなかったと思う。◇NHKの朝ドラは、事前にあらすじが雑誌に掲載されたりするので、もしかしたら内容を知っていた人もいたかもしれないけど、わたしは、そういうものを見ないし、実際にドラマを見ていても、いわゆる「死亡フラグ」らしきものを察知できなかったので、あまりの容赦ない展開に茫然としています。ただでさえ、16話までは、これといって予想外の出来事が起こることもなく、まるで戦前・戦中のダイジェストストーリーみたいに、とんとんと話が進んでいただけに、とつぜん予期しない喪失へと落とされたショックは大きい。◇いわゆる「死亡フラグ」らしきものがありませんでした。火曜日は、空襲の直前に、体の弱ってきた祖母が、「ひ孫の顔を見て、いっとき元気になった」という話があったので、これはきっと彼女の老死が近いんだな~と思って、すっかり油断していたのもある。従来の朝ドラのパターンから考えて、防空壕で死ぬなんて展開はちょっと予想できなかったし。わりと気楽に見ていたドラマが、そこから怒涛のリアルへ突き落とされました。従来のドラマなら、物語の感情を盛り立てていくために、なんらかの「フラグ」を立てるのが常套手段だと思うけど、今回の朝ドラのように、いっさいの「フラグ」を立てず、悲劇のリアリズムを徹底的に再現するやりかたが、今後は主流になっていくのかもしれません…。東北の津波もそうだったろうけど、それまでの風景が、なんの予告もなく、たった一日で一変してしまうのですよね。昨日まであったはずのものが、翌日にはすべて失くなってしまう。そして、残された者は、ほとんど鬱状態に陥ってしまう。そういうリアルを見せられた。戦前・戦中のダイジェストストーリーみたいな内容も、じつは死亡フラグを立てないための前フリだったのかもしれません。◇木曜日は、雉真の父が「算太の無事」を祈ったので、これはきっと兄の死亡フラグだな~と思ったし、実際、そのあと幻覚らしき兄が姿を現したので、最後のナレーションを聞いてもまだ、算太と金太を混同したまま、てっきり死んだのは兄だとばかり思っていた。そもそも父が死ぬ理由は想定できなかったし、役名を覚えてない視聴者は、そのように誤解したと思う。だいぶ時間が経ってから、あのナレーションは父の死を告げていたと気づいて絶望的な気持ちに…。あえて父と兄を混同させたことは、翌日の確認視聴にも繋がったと思う。◇もともと橘家には、住み込みの職人さんをふくめて9人の団らんがあったわけですが、あっというまに2人しかいなくなる。兄さえ生きているのかどうか分からない。そうやって、訳の分からない混乱のなかで次々に人が亡くなると、もはや最後の稔の死も、やむをえない必然のように思えました。神頼みは役に立たない。…今回の朝ドラを、当初は「純情きらり」や「エール」との比較で見ていましたが、どちらかというと、名作アニメ「この世界の片隅に」に近いような気がしてきます。「この世界の片隅に」は広島の物語。「カムカムエヴリバディ」は岡山の物語。どちらも、原爆被害はまぬかれたけれど、空襲で多くを失った人の話です。黒い雨が降ったり、台風16号(枕崎台風)が来るところも似ている。つまり、これは、すずさんと、すずさんの娘と、すずさんの孫の物語になるのかもしれない。◇ちなみに「純情きらり」の達彦は、桜子を未亡人にしてしまうのを怖れて、はじめは結婚することをためらっていました。しかし、稔と安子のあいだには、そのような躊躇がありませんでした。その結果、安子はあっけなく未亡人になった。とはいえ、安子が戦前に雉真家に嫁いですぐに出産したことは、むしろ救いだったのかもしれません。そうでなければ、ほとんど身寄りがなくなっていたのだし、幼い娘がいなければ、生きる気力さえ失っていたかもしれない。…ところで、「この世界の片隅に」の最後のほうでは、すずさんが、戦争孤児の小さな養女を迎えることになります。「エール」でも、闇市のラーメン屋をしていた姉の夫が、戦争孤児の養子を迎えています。今回のおはぎ泥棒の少年には身寄りがあるでしょうか?でも、さすがに素性の知れない子供を、勝手に雉真の家へ連れ帰るわけにはいきませんよね…。
2021.11.27
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TBS「ヴィヴァント(ヴィヴァン)」を見終わりました。序盤から、この物語は、かつての"馬賊もの"に似てる気がしてましたが、まさにそのような話だったと思います。◇最後は、バルカの腐敗した現地政府を排除して、日本人のノコルがその国家運営を担うという結末。だけど、いくら軍隊を掌握してるといっても、彼に国家の運営などできるわけがないと思う。いずれ周囲の勢力に脅かされ翻弄されることになる。あれだけの豊富な地下資源を有していたら、米中の代理戦争の舞台になりかねないし、日本がそこに影響力を行使するようになったら、旧満州のような傀儡国家の建設へ至るのでは?たとえ当初の目的が、現地における人権状況の改善だったとしても、それは、いつのまにか、資源を目当てにした大陸進出の口実に置き代わるでしょう。◇かつての"馬賊もの"も、当初は欧州の植民地支配からアジアを解放すべく、独立の夢のために駆け抜ける物語だったわけですが、やがて関東軍の暴走にさらされ、本来の理想は、八紘一宇や大東亜共栄などの領土的野心に置き代わり、ついには満州での傀儡国家の建設へと至り、731部隊や東部33部隊の暗躍を許すことになる。そう考えると、今回のドラマの主人公が、日露戦争の英雄と同じ名前の「乃木」であり、この物語を作ったのが、福澤諭吉の玄孫だということが不気味に思えます。しかも、このドラマでは、文民統制の逸脱を危険視した政府高官(橋爪功)が、最大の悪のラスボスのように設定されており、自衛隊別班はまるで正義の組織のように印象づけられてる。◇◇◇そもそもドラマとして面白かったのかというと…「乃木が射殺したはずの別班メンバーが生きていた」というあたりから、わたしの気持ちは引いてました。あのとき、ノコルがとどめを刺したり遺体を処理したりしていれば、彼らは全員死んでいたはずです。そういう悲惨な結果も厭わない別班の残酷さを表現した、…とも言えなくはないけど、櫻井と乃木の作戦はあまりにも無謀に思えます。◇終盤での、どんでん返しに次ぐどんでん返しは、もはやどの機関が何のために動いてるのかも分からなくさせたし、実際のところ、CIAやFBIがどう関係してるかも分からなかった。最後は、ノゴーン・ベキが生きていることを匂わせる演出でしたが、あそこまでこれ見よがしのどんでん返しが続いてしまうと、秋元康の「あな番」のときみたいに、観てるほうは、いいかげん白けてしまって、正直「もうどっちでもいいよ…」という感想しか湧いてこない。◇もし続編があるとしたら、これはやはり日本の傀儡国家建設へ至るのではないかしら?くれぐれも、ネトウヨをはじめとする現代日本人に、妙な領土的野心を焚きつける話にならないよう祈ります。フクシマの放射能汚染は、ほかならぬ自国の政策の結果なのだから、「美しき我が国を汚す者は何人たりとも許さない!」とかいう安倍晋三みたいな言い草は、いまや「どの口が言ってんの?」ってことにしかならないのよね。
2023.10.05
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☆「12鬼月」の由来鬼滅の刃には「十二鬼月」と呼ばれる上位の鬼が登場します。この「鬼月きづき」とは何でしょうか。台湾では、旧暦の7月を「鬼の月」と言うそうです。この場合の「鬼」とは先祖のことですから、台湾の「鬼の月」は、日本でいうところのお盆です。一方、鬼滅に登場する12の「鬼月」というのは、6の「上弦」と6の「下弦」に分かれていて、これは、おそらく月の満ち欠けに関係しています。その場合、6+6=12という数は何を意味するのでしょうか?古代日本の冠位が「12階」だったことに関係するでしょうか?それとも、たんに1年が「12ヵ月」であることに関係するのでしょうか?ちなみに、上弦の月は1年間に12回、下弦の月も1年間に12回、それぞれ夜空に昇るのですから、そこから考えれば、上弦と下弦の合計は24でなければならないはずです。これに対して、上弦6+下弦6=12という鬼月の数には、もっと別の由来と意味合いがあるはずです。月は、太陽とは対極的な意味をもつ天体であり、もともと太陽をはげしく嫌う鬼は、ちょうどドラキュラや狼男と同じように、月にこそ親しい存在なのだと考えられます。しかし、たとえ同じ月であっても、その満ち欠けに比例して太陽の影響を受けています。つまり、望の月(満月)は、太陽光を全面に浴びていますが、朔の月(新月)は、太陽光を完全に遮断しています。そして、上弦の月や下弦の月(半月)は、いわば、半分だけ太陽光を遮断しえている状態です。おそらく、このような太陽との関係が、「鬼月」と呼ばれる鬼の階級にも反映しているのです。◇月の周期は、およそ4週間です。最初の7日間で、朔(新月)から上弦(半月)になり、つぎの7日間で、上弦(半月)から望(満月)になり、つぎの7日間で、望(満月)から下弦(半月)になり、最後の7日間で、下弦(半月)から朔(新月)になります。そして、月初の7日間のうち、1日目は月がまったく隠れている新月ですので、この新月を除いて、上弦より細い月が出ているのは6日間ということになります。同じように、月末の7日間のうち、7日目は月がまったく隠れている新月ですので、この新月を除いて、下弦より細い月が出ているのは6日間ということになります。このように月初と月末の合計12日間に現れる、半月よりも細い6段階の月、すなわち、太陽の光を半分以上遮って闇の割合が上回った月のことを、おそらくは「鬼月」と呼んでいるのです。下位の鬼たちが、いまだに太陽を浴びて膨らんでいる月だとすれば、上位の鬼=鬼月というのは、太陽を拒絶して細くなった鋭い形の月なのであり、上弦と下弦それぞれ6段階の細さの月が、あわせて12の鬼月の階級に対応しているはずなのです。…では、太陽光を完全に遮った「朔=新月」に対応するのは何か?いうまでもなく、それこそが鬼舞辻無惨きぶつじむざんです。◇気象予報士の森田正光は、映画『無限列車編』における魘夢えんむとの戦いのとき、夜空には、下弦から細くなっていく「月齢23」の月が出ていた、と述べたうえで、それを、「1916(大正5)年11月18~19日の夜」と推測しています。これは旧暦でいえば、10月23~24日の夜です。ちなみに月の周期は、厳密にいえば 7×4=28日よりも長く、平均でおよそ29.53日ですから、旧暦において下弦の月が現れるのは、毎月21日ではなく、それより少し後の23日ごろになります。かつては各月の23日に、下弦の月を拝むための「二十三夜講」もおこなわれました。このことから、十二鬼月・下弦の壱である魘夢との戦いは、旧暦でいうところの10月23~24日の夜、下弦よりも細い月のもとで行われた、ということになります。陰暦では、毎月1日(月立ち=ついたち)が新月なので、2日から7日までの6日間に上弦より細い「鬼月」が現れ、15日から16日ごろに満月となり、24日から29日までの6日間に下弦より細い「鬼月」が現れることになります。◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ☆「9柱」の由来鬼の上位にいるのは「12」の鬼月ですが、鬼殺隊の上位にいるのは「9」の柱です。この9という数字は何を意味するのでしょうか?一般に、柱といえば、建物を支える木材であると同時に、神々を数えるときの数詞です。したがって、おそらく鬼殺隊の9柱は、仏教ではなく、日本古来の神道に関連しているはずです。ただし、一口に神道とはいっても、日本の神々はけっして一枚岩ではありません。このうち「9の柱」と言ったときに思い出されるのは、とりわけ出雲の周辺にいた神々です。◇伊勢神宮に代表される神明造は「横長」の建物であり、住吉大社に代表される住吉造は「縦長」の建物なのですが、出雲大社に代表される大社造だけは「正方形」の建物であり、それは3:3:3の「田」の字型に並べられた9本の柱で支えられます。もともと出雲周辺には、これと同じ構造の建築物の遺跡が多く、いわゆる「金輪御造営差図かなわのごぞうえいさしず」に描かれた古代出雲の巨大神殿も、やはり9本の柱で支えられていたと考えられています。かりに9本の柱が出雲の神々であるとするならば、それは大和王権の成立以前から日本列島に存在していたわけです。そして、出雲から大和への「国譲り」の歴史を踏まえれば、それは、鬼を退治した神々というよりも、むしろ大和王権によって退治された神々だったといえます。◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ☆「鬼舞辻」の由来「鬼舞辻きぶつじ」という姓を文字どおりに解釈すれば、それは鬼たちが舞う東西と南北の通りの交わる場所を意味します。その場所がどこなのか明らかではありませんが、とりあえず思い当たるのは、京都の「二条大宮の辻」です。これは、その名のとおり二条大路と大宮大路がまじわる交差点で、ちょうど平安京大内裏の東南角に位置していて、通称「あわわの辻」とも呼ばれています。藤原常行や安倍晴明は、ここで百鬼夜行に遭遇したといわれているのです。
2020.12.09
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Tverの「東京ラブストーリー」。平成版&令和版が終了しました。最初はワクワクしながら見始めたけど、中盤以降は、かなり疲れた…。でも、令和版は、平成版を乗り越えたと思うし、それと同時に、「東京ラブストーリー」そのものが終わった、って気もします。坂元裕二も、そのことに満足してるんじゃないかしら?◇恋愛市場において「勝者」になれるのは誰か?それを競い合うのが、かつての都会の恋愛でした。そんな恋愛観が支配していた時代の東京のストーリー。結論からいうと、勝ったのはカンチとさとみで、リカは負け。三上も、勝ったようには見えない。たんに尚子に勝たせてもらっただけでしょう。◇当初は、リカも、三上も、たえず相手のマウントを取り続けようとする人物でした。つねに相手の期待をかわして裏切りながら、相手側の「誠実さ」だけを一方的に試しつづけ、ささいな不誠実さやタイミングの悪さをなじり、答えようのない禅問答をぶつけては追い詰め、たくみに相手の言動を否定しながら翻弄しつづける。ちょうどバブル期のお笑いと同じで、相手のボケをツッコむことで、自分の優位性を維持しつづける、そういうコミュニケーションのスタイルなのですね。上昇志向の強かったバブル期には、そんな支配的なキャラクターこそが理想とされて、多くの人が「リカや三上のような振る舞い」を模倣しました。とりわけ、男性社会から女性上位時代へ向かう転換期において、周囲を自在に翻弄しつづける奔放なリカの姿は称賛された。◇おりしも…80年代前半までは、「ぶりっ子」だの「あざといポッキー娘」だのと、同性からはげしく嫌われていたアイドル松田聖子が、郷ひろみとの破局や、神田正輝との結婚を経て、90年代になると、手のひらを返したようにその「奔放な生き方」が同性から称賛されはじめる…そういう時代と重なっています。80年代前半の松田聖子は"さとみ"だったけど、90年代以降の松田聖子は"リカ"に反転したのです。ちなみに、小倉千加子の「松田聖子論」が書かれたのは89年。ドラマ平成版の2年前でした。この時代のフェミニストたちも、おそらくリカの生き方を支持し、さとみのような女性像を糾弾していたのだと思う。◇それは、従来の「古典的な女性像」に対する反動の時代でした。だから、さとみは、あざとい「おでん女」だと糾弾された。現実に有森也実を脅迫する視聴者までいたそうです…(笑)当時は、まだネットも普及してなくて、メディアがそういう「世論」を一方的に流布した疑いもあります。さとみへの批判がいまでも有効だと思ってる評論家がいるなら、それは、おおむねバブルの生き残りでしょう。いま見返すと、カンチに「行かないでくれ」と言わせようとしたり、別れ際にいつまでも同情や後ろ髪を引くリカのほうも、相当にあざといのですが…(笑)。でも、そのころは、まだ「女子力」を率直に肯定する価値観がなかったし、まして「あざとカワイイ」なんて概念もなかったから、さとみのような古典的なキャラクターこそが、上昇志向を強めていた当時の女性から見れば、自分の恋の勝利を妨害する「仮想敵」でしかなかった。上昇志向の強かったバブル期の若い男女は、異性にだけでなく、同性のライバルに対しても、いかにして優位に立てるのかをたくらんでいたのです。◇リカと三上は、最終的に恋愛ゲームに負けてしまいます。しかし、平成版のときには、その意味がまったく理解されなかったと思う。むしろ、リカこそが勝つべきであって、さとみのような女は断じて負けるべきだと思われていた。令和版でも、三上はいちおう勝たせてもらえているし、リカも一概に負けたとは見えないように作られている。…でも、ほんとうは負けています。◇この物語には、男女2対の組み合わせが出てくるのだけど、男のほうがマウントを取る「三上&さとみ」の関係と、女のほうがマウントを取る「リカ&カンチ」の関係が、たがいに逆転した形になっています。「三上&さとみ」が男性優位の古典的な関係だとすれば、「リカ&カンチ」は女性上位の新時代の関係を象徴していた。男たちが女を振り回してきたのとは逆に、リカは、カンチを、自在に振り回したのです。これは当時の女性にとって、さぞかし痛快に見えたはず。同時に、それは「マイフェアレディ」を逆転したような関係でもある。つまり、都会の女が、田舎の青年を成長させる話なのです。リカは、カンチを都会の男へと成長させます。ただし、(イライザはヒギンズ教授のもとへ帰ってきたけれど)カンチは、リカのもとへ帰ってきません。リカはカンチに捨てられる。もとはといえば、リカを育てたのは和賀部長だったかもしれませんが、リカも、和賀のもとには帰らなかったのです。和賀はリカに捨てられた。◇そもそも、リカがカンチを選ぶのも、三上がさとみを選ぶのも、相手が「マウントの取れそうな異性」だと思えばこそです。逆に、リカと三上がくっつこうとしないのは、たがいに「マウントの取れなそうな相手」だと見抜いているからです。カンチは優柔不断で頼りない田舎者だけど、そうであればこそ、リカは、カンチを選ぶのです。さとみも弱さゆえにあざとくて野暮ったいけれど、そうであればこそ、三上は、さとみを選ぶのです。どちらにしても、相手に弱さや従順さを期待しています。しかし、それはほとんど支配欲であって、ほんとに「愛」と呼べるものかどうかは疑わしい。◇たしかに、カンチとさとみは、リカや三上のような「主体的な生き方」に憧れたでしょう。なので、一見すると、カンチやさとみのように従属的な人間のほうが、リカや三上みたいな主体的な人間に依存してるのだと思ってしまう。でも、実際は、その逆です。リカと三上が最終的に負けるのは、じつは彼らのほうがその支配関係に依存しているからです。毒親と子供の関係や、パワハラ上司と部下の関係の場合もそうだけれど、じつは支配している側が、支配されている側に依存するのです。毒親やパワハラ上司は、「子供はいつでも自分の言うことを聞くはずだ」「部下はいつでも自分の言うことに従うはずだ」と思い込むからこそ、ある日、突然、彼らが自分の言うことに耳を貸さなくなったとき、それまで自分を成り立たせていた基盤がぐらつくのを知る。しばしば毒親やパワハラ上司は、子供や部下への執着を「愛情」であるかのように偽装するけれど、それこそが依存にほかなりません。支配的人間というのは、要するに「かまってちゃん」の別名なのです。他人に依存してるという点では本質的に何も変わらない。だから、最後には、支配している側が捨てられるのです。リカは、カンチに捨てられる。三上は、さとみに捨てられる。和賀は、リカに捨てられる。本来なら、ヒギンズ教授も、イライザに捨てられるべきですよね。その現実を受け入れられなければ、子供を支配し続ける毒親と同じです。◇恋愛が「勝ち負け」だというのは、否定しようにも否定しがたい、悲しい現実です。そして、それを極限的に突き詰めていくような「都会の恋愛」は、表向きはキラキラとして華やかに見えるけど、じつは、とてつもなく悲しくて、虚しい。いま見ると、このドラマは、恋愛で勝とうとする生き方そのものを否定してるように見える。かりにカンチとさとみが一時的な「勝者」だとしても、その勝利でさえ、けっして永続的なものではありえません。恋愛で勝とうとする生き方自体が、とてつもなく悲しくて、虚しくて、不毛なのだから、カンチとさとみの勝ちを誇るべきでもないし、リカと三上の負けを恨むべきでもない。異性に対してであれ、同性に対してであれ、恋愛で勝とうとするような生き方はやめたほうがいい。この「東京ラブストーリー」は、もっとも上昇志向の強かったバブル時代の遺物にほかならないし、令和版は、この物語を葬り去るためにこそ作られたのだ、とわたしは思います。…それはそうと、永田琴がこんなところで仕事してたとはっ!
2021.12.24
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NHK「VRおじさんの初恋」。全32話のうちの第15話まで来ました。ちょうど半分の折り返しですが…ホナミの中の人の死期が迫ってる感じ。◇今回のドラマには、設定の新しさとインパクトにおいて、5年前の「腐女ゲイ」に匹敵するものを感じます。実際、内容にも「腐女ゲイ」との共通点があって、《本当の自分とは誰で、本当の相手とは誰か》…についての混乱がテーマなのよね。◇よるドラ「腐女子うっかりゲイに告る」は、女子高生の告った男子がゲイだった…という話。そして、そのゲイの男子高生は、ネットで交流するゲイの先輩に相談に乗ってもらってて、その人はエイズで亡くなってしまうのだけど、死後に彼の家を訪ねてみたら、じつは自分より若いローティーンの少年だった…という話。いずれにしても、リアルな正体が見た目とは違ってて、どちらが真実の姿なのか驚き混乱してしまう設定です。◇今回の「VRおじさん」は、いちばん純真で美しく見えるヒロインが、じつは死期の迫ったお爺さんだった…という話。それ以外の登場人物は、みんな心がねじけて一癖あるキャラばかり。なお、死期の迫っているヴァーチャルな美少女は、銀河鉄道の夜のカンパネルラにも重ねられており、宮沢賢治の物語と同じように、タイタニックのモチーフも取り入れられてます。フィルハーモニック・オーケストリオン《タイタニックモデル》#夜ドラ【#VRおじさんの初恋】第14回のご視聴ありがとうございました✨旅を再開したナオキ(#倉沢杏菜)とホナミ(#井桁弘恵)。新世界ホールでのオフショットをどうぞ📸自動演奏楽器の音色もステキでしたね…🎶#VRおじさん#野間口徹#坂東彌十郎本編は配信中📱https://t.co/NVfOJHwz3i pic.twitter.com/xvSQj0o4hG— NHKドラマ (@nhk_dramas) April 23, 2024そして、ヴァーチャルな世界では、少女どうしがハグやキスをする場面もあって、見た目には女性の同性愛に見えるのだけど、じつは双方ともに異性愛を感じてるはず。そして、リアルな姿になったとき、それが男性の同性愛だったことに気づく!しかも、高齢男性どうしの同性愛なのですね。これは、考えうるもっとも極端な例ではあるし、えげつないけれど、ありうる話だろうと思う。かりに性別が違わなくても、アバターの姿とリアルな姿とで、年齢や容姿が違うなんてのは、いくらでも起こりうる。…もっとも、このドラマの場合、死期の迫った高齢男性にとっては、若い命に対する憧憬のほうが上回って、相手が男なのか女なのかは、どっちでもよくなってるのかも。◇これは、ある意味で《入れ替わり》の物語ともいえます。すなわち、心が別の身体に乗り移ってしまう話。ただし、大林宣彦の「転校生」や、新海誠の「君の名は」の場合は、本人の意思で別の身体になるわけじゃないけど、アバターの場合は、あくまで本人の意思で別の身体になるわけなので、むしろアバターでいるときのほうが、その人の本性が現れてるともいえる。したがって、アバターのほうこそが真実の自分で、むしろリアルのほうが偽りの姿というべきかもしれません。◇とはいえ、アバターでいるときの関係が、リアルな関係への橋渡しだとすれば、どうしてもリアルに戻ったときの姿を意識せざるをえない。どちらを真実の自分と考えるか。どちらを真実の相手と考えるか。そのことに混乱してしまいますよね。たとえば、俳優さんなどの場合も、「恋人役の相手に恋愛感情を抱いてしまう」…みたいな話をよく聞きます。演じてるときの関係と、演じてないときの関係の境界が曖昧になって、どちらが真実なのかが分からなくなる。リアルのほうを真実と考えてしまったら、アバターでいるときの関係は宙に浮いてしまう。でも、アバターでいるときの関係が、お互いにとってかけがえのないものなら、たとえリアルな姿とのギャップがあったとしても、その関係を捨てる必要はないんじゃないかな…。◇そう遠くない近未来に、人間がアバターでいる時間のほうが長くなれば、リアルな姿に戻ることを意識しなくなるのかも。たとえ性別や年齢や容姿が、リアルなときとは大きく違ってても、そこへ戻ることを意識する必要がないなら、おたがいにアバターの姿のまま、友情や恋愛を育むことも可能なのかなと思います。◇◇◇ちなみに昨夜の第15話は、なんてことのない内容だったけど、それぞれの登場人物のセリフに、ちょっとずつ毒があったりして、やりとりがとても面白かったので、その一部を以下にメモしておきます。佐々木:クッキーどうぞ加藤 :もらうと返さなきゃいけないので要らないです佐々木:お返しなんて気にしないで、どうぞ加藤 :佐々木さんが気にするかどうかは気にしてません。自分が気になるのが嫌なんです佐々木:そうですか*堀 :お見舞い行くならスケジュール調整しますから、何なりと 飛鳥:要らない。どうしても必要なら葵に行かせる堀 :社長、家族にだけは優しくないっすよね 飛鳥:遺伝じゃない? *佐々木:澤田さんが見て来いって。もしものことがあったら寝覚めが悪いって直樹 :ひどい言い方だな 佐々木:優しさを素直に言えない人、多いですよね直樹 :澤田さんは違うでしょ*直樹:アイスコーヒー「L」ください荒井:今日は寒いですけど直樹:寒い時ほど飲みたくなります荒井:風邪ひかないように*荒井:若いのに現金って珍しいよね加藤:払う実感ないと美味しくないからちょっとしたセリフのやりとりに脚本のセンスを感じる。それとも原作どおりなのかしら?VRおじさんの初恋 ー白色矮星ー【電子書籍】[ 暴力とも子 ] 楽天で購入
2024.04.25
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夜中に何気なくテレビをつけていて、NHKの「おやすみタローマン」を見てしまった。5分程度で終わるのかと思ったら、延々と40分もナンセンスな映像が続きました…(^^;◇タローマンは、怪獣と戦うこともなく、ただ人間の建造物の合間を往ったり来たりして、気まぐれに戯れてるだけ。それが、奇妙な暗黒舞踊のようになって、観てる側の遠近感とか縮尺感とかを狂わせる。◇わたしは万博否定派だけど、このタローマンにはちょっと抗えないかも。基本的には、ふざけたパロディですが、夢とのあわいのような強烈なノスタルジーを刺激する、濃厚で不思議な美しさに満ち満ちてます。NHK 総合 11/01 01:21 TAROMAN おやすみタローマン※一部地域は放送休止 📱NHKプラスで配信予定💻 #nhkgtv #taroman https://t.co/ViMnuMH0Ti— NHK総合 (@NHK_GTV) October 31, 2024 タローマンなんだこれは入門/藤井亮/NHK「TAROMAN」制作班【3000円以上送料無料】 楽天で購入
2024.11.03
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大河「光る君へ」第43話。道長とロバート実資の問答は見応えがあったけど、それ以外はいまひとつ見せ場の少ない回でした。◇そして、前回はいろんなことの辻褄が上手く合ってたのに、今回は逆に、いろいろと唐突すぎました。道長は、先週は死にそうなくらい弱ってたのに、いつのまにか宇治から戻ってピンピンしてる!辞表出して左大臣やめたんじゃなかったの?そういえば以前、ロバート実資も死にそうなくらい弱ってたのに、いつのまにか何事もなかったように復帰してたね。たぶん「史実どおり」ってことなんでしょうけど、もうすこしドラマ的な理由づけが欲しい…(^^;ききょうが急に丸くなったのも、いまいち理由がわからない。どんな心境の変化があったのかしら?もう中関白家の権力闘争に期待するのはやめたの?それとも、たんに歳を取って衰えたのかしら?◇そして、倫子さんは、いちばん大事なことをサラッと言っちゃった!ここも、長年の秘めた思いを吐露する場面なのだから、もうすこしドラマティックにやってほしかった…!一方、為時パパは、もう帰ってこないのかと思ってたけど、(紫式部の死後に帰ってきたとの説があるからです)ちゃんと帰ってきましたねwかたや、双寿丸は死亡フラグ立っちゃったの…?(T_T)◇次回の道長は、いよいよ「望月」の歌を詠むみたいですが、それが彼の絶頂期を意味するのかどうか…。すでに絶頂期は過ぎちゃってるようにも見える。つーか、結局、彼の絶頂期っていつだったの??道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのかーー【電子書籍】[ 山本淳子 ] 楽天で購入
2024.11.15
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アニメ版『鬼滅の刃』には、禰豆子役の「鬼頭明里」とか、美術担当の「鬼頭裕子」とか、なにやら不穏な名前のスタッフが参加しており、さらに作画監督には、「鬼澤佳代」が「遠藤花織」と対峙しています。◇そういえば、主題歌を歌ってるLiSAには八重歯がありますが、わたしには、あれが「禰豆子の牙きば」に見えてきます。歌っていないときに、竹を噛んだまま眠ってても不思議じゃない気がする。そんなLiSAが鬼滅の主題歌「紅蓮華ぐれんげ」を作詞したのは、まだアニメの放送前、原作も連載途中だったのですが、見事なくらい物語の世界観にぴったりハマっています。アニメの主題歌は、通常なら原作者が作詞することが多く、歌手自身が作詞をするのは稀だと思いますが、なぜLiSAは「紅蓮華」を作詞できたのでしょうか?◇LiSAの地元は、岐阜県の関市ですがここは、もともと「刃物の町」として有名なところです。や、刃?きっと、鋼鐵塚はがねづかさんみたいな鍛冶職人が大勢いる町なのですよね。山から売りにきた炭を買い、鍛冶屋が里で炉を燃やす。きっと、そんな町なのだろうと思います。そして、LiSAの実家は山奥にあるらしいのですが、彼女のブログを見たら、それはなんと築130年(!)のポツンと一軒家で、里のコンビニまで歩いて30分もかかるところ。お祖母ちゃんの野菜畑は、ときどき何者かに荒らされるそうです…。もしかして、実家は炭焼き?つか、竈門家かまどけ?鬼が出る?LiSAの口に牙が生えたのは、岐阜の山奥で鬼の血を浴びたからでしょうか?◇実際は、鬼じゃなくて、猿が出て、畑を荒らすのだそうです。ちなみに、LiSAの本名は「織部里沙おりべりさ」なので、竈門家じゃなくて、織部家です。そうそう。岐阜で「織部」といったら、古田織部ふるたおりべが創始した織部焼ですよね!織部焼の発祥地は、岐阜とはいっても、関市じゃなくて土岐市なのですが、そこには窯元がたくさんあるはずなので、やはり周辺の山々には炭焼の職人がいたはずです!まあ、織部家の稼業は、たぶん炭焼きではないのでしょうけれど、もともと古田織部の名が、古来の織染部署である「織部司おりべのつかさ」に由来しますので、そこから考えると、なにか別の由緒がありそうな苗字にも思えてきます。◇岐阜県の関市は、現在はハサミや包丁などの刃物の名産地ですが、かつては「美濃伝みのでん」という刀鍛冶の流派がありました。初代の村正むらまさも、ここで学んだといわれています。彼は、そこから伊勢に移って「千子派せんごは」を生み出し、その弟子たちは数代にわたって「村正」の名刀を作りました。村正の刀は、凄まじい斬れ味だったらしく、とくに徳川などの三河武士に愛用されたそうです。岐阜には関ヶ原もありますが、きっとそこでも使われたでしょう。奈良県の天石立あまのいわたて神社には、柳生宗厳やぎゅうむねよしが天狗との修行中に一刀両断にしたという、その名も「一刀石」と呼ばれる巨岩があって、いまや鬼滅ファンの聖地になっているのですが、この柳生一族も、徳川方として関ヶ原に加わっていましたし、やはり村正の刀を使っていたのかもしれません。栃木県足利市には「弁慶の割石」ってのもありますが、こちらは武蔵坊弁慶が岩の上に仁王立ちになり、錫杖しゃくじょうで突き割ったものだそうです。そして、岐阜県の鬼岩公園や、長野県の坂田山でも、まっぷたつに割れた巨岩が見つかったらしく、それぞれ「蓮華岩」「龍の割岩」と呼ばれていたそうです。これこそ日輪刀で炭治郎が切った岩なのでは? ※岩に浸み入った雨水が凍って膨張したとかじゃなくて。鋼鐵塚さんの作による日輪刀は Amazon でも売っています。これさえあれば、岩でも切れるにちがいありません。お値段は6000円くらいです。
2020.11.24
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NHKの夜ドラ「おとなりに銀河」最終回を見ました。途中参戦で、しかも飛び飛びの視聴でしたが(笑)、NHKの公式サイトに各週のダイジェストがあったので、おおむね内容は把握できました。…前半は、可愛いムズキュンのラブストーリー。漫画家を目指す主人公のSFだったので、ちょっと桑原亮子の「カノブツ」っぽいなと思いました。あちらは浦島太郎的な話でしたが、こちらは竹取物語的な話。そして後半は、島の姫君という特権的な立場を捨てて、普通の女子として生きる道を選ぶという、いわば小室眞子さん的な物語でした。◇お姫さまの自立というのは、「子の親離れ・島離れ」という面もあるけれど、むしろ、それ以上に、「親の子離れ」「島民の姫離れ」という面のほうが強い。親の愛も、島民の愛も、じつはエゴであり、依存であり、呪縛なのですよね。子ども=姫は、その親や故郷の呪縛から逃れるために、傷つけたくもない人まで傷つけながら、膨大な時間とエネルギーを費やさなければならない。自立する以前に、それだけで疲弊しかねないくらい、背中を押してくれる親と、足を引っ張る親とでは、子供の人生にとって雲泥の差があるし、故郷のしがらみも、同じように自立の足枷になる。愛という名の依存。これは非常に厄介なのです。その正体は、エゴの押しつけ。本人にとっては不要なものをあてがわれ、背負わされる。◇今回のドラマを見て、親の依存と、島民の依存は、本質的に同じものだと分かりました。さらに、皇室に対する日本国民の依存も、これと同じものなのだと理解しました。◇主演の八木莉可子は、眉毛が濃くて個性的な顔立ちだけど、それがゆるキャラ的に可愛く見えてくるのが面白い。そこはかとない"平安っぽさ"も漂うので、朝ドラ「舞いあがれ」では短歌女子を演じてましたが、かぐや姫とか清少納言みたいな役が似合いますよね。滋賀県出身とのことだけど、もしかして古代近江宮の貴族の血筋なのでは?(笑)奈良時代の藤原氏の家伝には、「近江国は宇宙に名の有る地なり」とあるそうで、流れ星の落ちた「喚姫よび島」は琵琶湖にあるのかも。
2023.06.02
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上田誠が脚本を書いたとのことで、《ドラえもん誕生日スペシャル》を見てみました。ドラえもんをまともに見たのは何十年かぶり!声優が変わってから初めてです…(笑)◇タイトルは「のび太とギリシャのケーキ伝説」。去年の吉岡里帆の「トキコイ」もそうでしたが、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202310110001/上田誠お得意のタイムトラベルものです。ドラえもん誕生日スペシャル「のび太とギリシャのケーキ伝説」今夜18時56分から放送です。タイムマシン使うよ!行き先は古代ギリシャです。ドラえもんお誕生日おめでとう。(誕生日は9/3、放送はきょう9/7)#ドラえもん誕生日スペシャル pic.twitter.com/wsPpnYoB29— 上田誠(ヨーロッパ企画/脚本家) (@uedamakoto_ek) September 7, 2024現在のバースデーケーキの元になったのは、古代ギリシャで、月の女神アルテミス誕生を祝う際の、蜂蜜入りケーキだそうですが、なんと、「ギリシャ人にケーキを教えたのはしずかちゃんだった!」というテルマエ・ロマエのギリシャ版みたいなお話。◇ケーキだけじゃなく、ギリシャ神話も誕生させてました(笑)。イカロスはのび太くん、ダイダロスはドラえもん、アリアドネはしずかちゃんだった…というオチ。むかしむかし、海の向こうに、迷宮に閉じ込められた牛頭人身の怪物ミノタウロスがいた。生贄たちは船で運ばれ、捧げられて餌食とされた。そこにまぎれて勇者テセウスは迷宮に入り怪物を倒し、王女アリアドネの糸をたどり迷宮をみごと抜け出した。囚われていた職人ダイダロスと息子のイカロスは空へ羽ばたき飛び立ったが、イカロスは飛びすぎて羽根が朽ち海へ落ちた。アリアドネの糸は「世話焼きロープ」。イカロスの羽根は電池切れの「タケコプター」でした。◇ところで、ギリシャといえば…本村凌二の「地中海世界の歴史」全8巻が話題です。東方オリエントから地中海史をとらえる試み。わたしも以前から、マーティン・バナールの「黒いアテナ」に注目してたので、ちょっと興味があります。地中海世界の歴史1 神々のささやく世界 オリエントの文明 (講談社選書メチエ) [ 本村 凌二 ] 楽天で購入
2024.09.08
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日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」第4話。今回のテーマは戦争。あのとき福岡へ行かなければ…あのとき長崎へ行かなければ…鉄平(神木隆之介)の家族も、百合子(土屋太鳳)の家族も、そういう戦争の悲運を背負ってるのですね。◇百合子が朝子(杉咲花)に辛く当たるのは、賢将(清水尋也)との三角関係が原因じゃなかった。…というより、そもそも百合子が賢将と付き合ったのは、朝子の恋愛を邪魔するためだったかもしれません。◇あまりに幼いときの話だし、きっと朝子は覚えてないのでしょう。鞍馬天狗の記憶はおぼろげに覚えてても、百合子たちが長崎へ行った日のことは覚えてない。しかし、百合子のほうは、自分たち家族が長崎へ行った日の記憶が、幼い朝子の姿と強烈に結びついてる。百合子にとっては、まるで朝子に送り出されて長崎へ行ったような、そういう記憶として残ってるわけですね。◇もし家族がカトリックでなければ…もし小倉の空が晴れていれば…もし朝子が母親を呼び止めてなければ…そういう偶然が重なって、運命が大きく変わってしまう。その結果、自分たちは被曝し、姉は死に、母は原爆症で苦しみ、家族全員が不幸を背負うことになった。◇たとえ朝子が母親を呼び止めなくても、結局は、姉や母親が百合子を見つけて、長崎へ連れて行ったかもしれないし、そもそも朝子自身は覚えてないだろうし、20年ものあいだ恨み続けるには、あまりにも些細なことだというべきです。それでも、百合子にしてみれば、何も知らずに朝子が無邪気に笑ってるのを、どうしても許すことができない。だから、事あるごとに辛く当たってしまう。◇しかし、母が亡くなったことで、その屈折した感情から解き放たれ、ようやく朝子を許せる気持ちになったのですね。もともと朝子のことが嫌いなわけじゃないのだから。◇わたしも、灯篭流しと精霊流しの区別を知りませんでしたが、灯篭だけを流すのが広島、精霊船を流すのが長崎ということのようです。さだまさしは、この第4話のためにキャスティングされた、と言ってもいいのかもしれません。◇来週はリナ(池田エライザ)の話になりそうです。なぜ現金とピストルを隠し持ってるのか?そして、なぜ偽名なのか?もしかして本名は「いづみ」なのでしょうか??本土では、フィルムに映ったリナの姿を見つけた人たちがいます。そして端島まで彼女を探しに来る。リナの過去が明らかになるのでしょうね。精霊流し【電子書籍】[ さだまさし ] 楽天で購入
2024.11.18
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今年、もっとも優れたドラマは、「半分、青い。」と「獣になれない私たち」だったと思っています。この二つのドラマは、多くの視聴者を躓かせた、という点でもまったく共通していました。◇一般の視聴者は、テレビドラマに、ある種のルーティンを求めています。つまり、困難が解決されたり、悪者が打倒されたり、男女の愛が成就したり、主人公が成長したりするのを見ることに慣れていて、「そういう様子を眺めるのがテレビドラマだ」というルーティンに浸っています。それこそ「仮面ライダー」から「水戸黄門」にいたるまで、多くのドラマは、そういった幻想を満たしたいという願望に応えている。けれど、「半分、青い。」と「獣になれない私たち」は、そういうドラマ的なルーティンを期待する視聴者を、大いに躓せました。ちなみに「半分、青い。」は、―かつての「純情きらり」と同じように―最後まで何も成し遂げることのできない人生を描いた物語であり、安易な「成功」とか「成長」という幻想を拒否したドラマでした。そよかぜ扇風機の開発には成功したけれど、その事業そのものが成功したかどうかは描かれませんでした。「半分、青い。」は、しばしば主人公自身の未熟さを示しながら、安易な成長や勧善懲悪の図式をも拒否し、恋の成就への期待をも裏切り、成功という夢物語をも最後まで拒んだドラマでした。そして、そのことで一部の視聴者の怒りを買った。多くの視聴者は、主人公が成長して、悪者を打倒して、問題を解決して、恋を成就させて、最後に成功を手に入れる物語に期待しています。◇しかし、一方では、そういう安易な幻想にうんざりしている視聴者も存在します。今回の「獣になれない私たち」の中で、かりに主人公に「成長」した点があったとするならば、それは晶と恒星が最後に「爆弾を投げた」という点でしょう。しかし、それは成功をもたらすものではなく、むしろ敗北をもたらすものだったし、一般的にいって、それは「成長」とは真逆のものです。なぜなら、むしろ一般の社会では、社会に同化して現実を受け入れることをこそ「成長」と呼ぶのですから。◇晶と恒星は、なぜ最後に爆弾を投げたのでしょう?それはきっと、謝罪会見で世間にむかって爆弾を投げた呉羽と、そのような呉羽の姿をこそ待ち望んだ橘カイジの姿を見て、勇気を得たからだろうと思います。しかし、それは一般的な意味での「成功」でもないし「成長」でもない。そして、その結果がどうなるのかは、もはやドラマの外側の話です。たとえば、橘カイジの「new world」の構想の内容が最後まで描かれず、それぞれの登場人物のささやかな「new world」に託されて終わったように、「ナインテイルドキャッツ」という実在しないビールの味は、はたして苦かったのか甘かったのか、美味かったのか不味かったのか、それは最後まで語られることがありませんでした。恒星「ものすごく不味かったらどうする?」晶 「それでも飲む」同じように、「教会の鐘」は、一瞬揺れるのが見えたけれど、それがどんな音だったのかは、視聴者には聴こえませんでした。晶 「鳴らなくても聞こえなくても、一緒にいることってできるのかな?」恒星「それはわからないけど、…俺たち次第じゃない?」それはドラマの外側に託されて終わったのだといえます。テレビゲームのような夢物語のなかで安易な結論を出さないように、テレビドラマという夢物語のなかでも安易な結末は描かれませんでした。◇「半分、青い。」と「獣になれない私たち」は、テレビドラマの新たな方向性を示しています。坂元裕二の近年の作品群も、そうだったと思います。かつての映画と同じように、もはやドラマは「テレビをつけたら映っている」ものではなく、視聴者が選択するコンテンツになっています。そのことが、かつてのように万人受けするような作品ではなく、ある種の視聴者を拒むほどの作品を生み出しているのだろうと思います。
2018.12.14
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宮崎吾朗/ジブリ/NHK「アーヤと魔女」を見ました。あまりにも唐突な終わり方だったので、なんだか放り投げられた感じです…世間の子どもたちは、あの終わり方をどう思ったのか分からないけど、大人としては、あまりにも未回収なことが多すぎて、思わず謎解きをせずにはいられません!◇冒頭のシーンで、バイクにまたがったアーヤの母親は、黄色い車(シトロエン2CV)に追われており、後ろにミミズをぶちまけて逃げおおせました。あの黄色い車は、かつて彼女がマンドレークやベラ・ヤーガとともに、「Earwig」(ハサミムシ)というロックバンドで活動していたころに、3人で乗りまわしていたのと同じ車です。車のナンバーは「MYA-13W」。(Mandrake/Yaga/A●●●-13Witchの意味かもしれません)現在、その車は、マンドレークの屋敷のガレージに置かれています。アーヤは、その車のなかから、Earwigの「Don't disturb me」というレコードを、もち出したのです。ラストシーンでは、アーヤがベラ・ヤーガに、「黄色い車でピクニックに連れてって」と頼んでいます。ちなみに原作での主人公の名前は「Earwig」ですから、彼女の母親は、バンドの名前をそのまま娘につけたのです。◇アーヤの母は、孤児院に次のような置手紙を残しました。仲間の12人の魔女に追われています。逃げ切ったら、この子を返してもらいに来ます。彼女は、黄色い車に追われていたわけですが、あれを運転していたのは、おそらくベラ・ヤーガです。マンドレークは男性ですから、アーヤの母をふくめて13人の「魔女」がいるわけですね。かりにマンドレークが、カリスマ的なロックスターだったのだとすれば、(どう見てもジョン・レノンにそっくり!)13人の魔女仲間とは、取り巻きのグルーピーだったのかもしれません。そのうちの一人(アーヤの母)が抜け駆けをして、マンドレークの子供を身ごもってしまい、ほかの魔女仲間から追われる身になったのではないかしら?だとすると、マンドレークは、アーヤの父親である可能性が高いし、マンドレークとベラ・ヤーガは、「アーヤが誰の娘なのか」を承知のうえで引き取った可能性がある。ベラ・ヤーガがアーヤに厳しいのは、かつてミミズをぶちまけてきた宿敵の娘だからであり、マンドレークがアーヤに甘いのは、ほかならぬ自分の娘だからなのかもしれません。ラストシーンで、アーヤの母が娘を引き取りに来たのは、彼女が「12人の魔女仲間」から逃げ切ったからだと思うけれど、しかし、そこには宿敵ベラ・ヤーガがいるのです…。屋敷の周囲には、クリスマスツリーがあり、屋上には「Don't disturb me」のイルミネーションが飾られています。◇ちなみに、Earwigの「Don't disturb me(邪魔するな)」の歌詞はこうです。あぁ悪魔は冷えた竃の中で灰をかぶりアカギレ裸足の娘が泣いているいつまで待てば夢の王子様が白馬で迎えに来るのさ…これは「シンデレラ」のことでしょうか?お城の塔では玩具に囲まれて青ざめた顔で王子は引きこもり百個の鍵を部屋の扉にかけて女はママしか知らないあぁ愚かな王子、あぁ醜い娘よあぁ扉は開けるためについてるのさ…これは「ラプンツェル」のことでしょうか?◇宮崎吾朗の「山賊の娘ローニャ」もそうだったのですが、「シンデレラ」も、「ラプンツェル」も主人公の少女が、悪い大人(親)の呪縛を乗り越える物語になっています。山賊の娘ローニャは「わたしは山賊にはならない!」と宣言します。少女たちは、親世代の「悪」をけっして引き継がないのです。シンデレラやラプンツェルに登場する大人たちは、少女にとっての「模範」ではなく、むしろ悪しき「反面教師」です。それらは少女の成長物語なのですが、少女が大人になる、ということは、けっして「親世代と同じ」になることではない。むしろ、親世代とは違う道を選ぶことなのです。そこには、悪い大人(親)と同じような生き方をしない、という強いメッセージがあります。たとえばラプンツェルにとって、塔の内側は、けっして安息の空間ではなく、生きる屍にされてしまうような恐ろしい場所です。塔の上には、鐘ではなく、死人の生首が吊るされているのかもしれません。だから、外に出るためには、みずから扉を開けなければならないのです。アーヤはそれを、軽々とやってのけます。
2020.12.31
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たとえ事務所から逃げることが恥だとしても、彼女が生き抜くうえで役に立つ選択であるならば、そこに異論や反論は必要ないのですが、新垣結衣ほどの人気タレントでも、所属事務所からの独立後の安定をはかるために、駆け込み的な「結婚」以外の選択肢がなかったとすれば、これを手放しで祝福していいのか分からないし、社会的な観点からいって考えるべき問題は残っている。◇小泉今日子が所属していたのは、ヤクザとして知られる周防郁夫のバーニングプロでしたが、新垣結衣の所属するレプロはそのバーニングの系列です。それから、国分佐智子が所属していたのは、沖縄ヤクザとして知られる平哲夫のライジングプロです。国分佐智子が、林家一平と結婚したときにも、やはり事務所との不和がささやかれました。もちろん彼女は、いまでも結婚生活を送っているわけだし、かりに事務所問題や独立問題が背景にあるからと言って、それをただちに偽装結婚と考えるべきではない。そもそも、すべての結婚が恋愛にもとづくわけではないのだし、一般の女性でさえ、ほとんど恋愛を経ずして、もっぱら社会的安定のために結婚するというのも、十分にありうる選択だし、その意味でなら、契約結婚みたいなものは実在する。◇しかし、一時はなかば休業状態だったというか、ほとんど無気力のようにも見えた新垣結衣が、とつぜん昨年のSPドラマの出演をきっかけにして、間髪も入れずに「結婚を前提とした交際」を開始し、実際には交際らしい交際もないままに、半年足らずで結婚発表にまで駆け込むというのは、何かしら逼迫した事情というか、それを急がねばならない理由があったかなあ、とは思う。同じレプロから独立した能年玲奈(→のん)や、バーニングから独立した小泉今日子の場合は、けっしてスムーズに事が運んだとは言えないし、これら芸能事務所からの独立問題が、いかに厄介なのかを、またしても考えずにはいられない。政治的にも、社会的にも、 この界隈の内情については注視する必要があるし、場合によってはメスを入れていくべきだろうと思います。
2021.05.20
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吾子眠る秋のドラマをミュートで観る 秋寒し家路につく朝千鳥足 秋のあさゲームしすぎて目が開かない 暗がりで骨の秋刀魚が睨んでる おはようの電話待つロンドンの夜長 夜食喰うもうない王朝を覚え 夜半の秋即席めんを鍋のまま11月2日のプレバト俳句。お題は「夜更かし」。◇和牛水田。暗がりで骨の秋刀魚が睨んでる夜のシンク 骨の秋刀魚の目が白い(添削後)夜の皿や 骨の秋刀魚の目が白い(添削後)先生は、「才能アリor才能ナシの両極的な評価になる」と言いましたが…わたしも一読して面白い句材だと感じたし、直すべきは助詞の「で」くらいだと思います。添削では、擬人化を排して客観写生にしましたが、個人的には擬人化もそのまま容認したい。たとえば文語で、暗がりに骨の秋刀魚の睨みけりとしても十分に面白い句です。いくらなんでも才能ナシの20点は低すぎ。欠点があるとしても60点台が妥当でしょ。◇丸山桂里奈。吾子眠る 秋のドラマをミュートで観る夜泣き果てミュートでドラマ観る秋夜(添削後)むしろ、これを「才能アリ」にした理由が分からない…(笑)通常回なら凡人以下のレベルでしょ。実際、原形をとどめないほど添削されてるわけだし。全体的なレベルが低すぎたので、番組の都合上、無理やり「才能アリ」にしたのでは?…一般に「秋ドラマ」ってのは、テレビ局の編成上の分類であって、そこに季語としての実質があるとは言いがたい。「秋ドラマ」が秋に制作されるとは限らないし、「秋ドラマ」が秋の物語を描くとも限らないからです。上五の「吾子眠る」も、連体形で繋がるのか、終止形の切れなのかを読み迷う。いずれの点でも、添削が妥当だと思います。◇清水アナ。冷すさまじや 二次会終わりの靴擦れ慣れない靴を履いて出掛けたところから察するに、同窓会とか結婚式とかの場面ですよね。先生は凡人との評価でしたが、わたしは才能アリでもいいと思う。まあ、中七については、「二次会終わり」より「二次会帰り」のほうが、描写として正確な気はしますが。追記:そもそも「○○終わり」というのは、近年の口語的な言い回しじゃないかと思います。たとえば「仕事終わり」とも言ったりするのでしょうが、本来なら「仕事上がり」「仕事帰り」「仕事のあと」が正しい。かたや「仕事おさめ」といえば年末の仕事を指すわけで、その対義語の「仕事はじめ」は、仕事のやりはじめの意味ではなく、年始の仕事のことです。そういう日本語の使い分けが崩れてきてるんでしょうね。かりに議論すべき点があるとすれば、後段が8・4の破調になっていることの是非と、季語の「冷まじ」が靴擦れの「凄まじ」にも掛かる、…と読めてしまうことの是非ですね。どちらの点でも、わたしは悪くないと思います。/11月2日、夜7時からはプレバト!!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥凡人〜!😭#清水アナの俳句挑戦#プレバト #MBS #TBS pic.twitter.com/Slr08yTFHw— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) October 30, 2023 ◇鈴木砂羽。秋寒し 家路につく朝千鳥足秋寒き朝よ 家路へ千鳥足(添削後)季語を映像化するためには、添削のように「秋寒き朝」にするとか、村上が言ったように「朝寒の家路」のようにするとか、そういう選択肢を考えねばなりません。なお、添削の「家路へ」というのは助詞の選択ミス。「家路へ行く」と書いてしまったら、まだ帰路にもついてないことになるわけで、「家へ行く」もしくは「家路を行く」が正解です。したがって後段は、「家路を千鳥足」or「千鳥足の家路」とすべき。◇高橋恭平。秋のあさ ゲームしすぎて目が開かない秋の朝眠し ゲームをしすぎた眼(添削後)よくいえば素直だけど、あまりに散文的でした。初心者にはありがちですが、描くべき対象をいったん自分の外側に置かないと、こういう主観的な独白の句になってしまうよね。◇岩永徹也。おはようの電話待つロンドンの夜長朝を待つ電話よ ロンドンは夜長(添削後)句材は面白いと思いますが、破調のリズムがなんとなく間延びした印象で、いまひとつパッとしない。かといって、先生の添削がいいとも思えない。原句のほうは「時差」を題材にしてるのが分かるけど、添削句は、それがかえって伝わりにくくなっている。◇フルポン村上。夜食喰う もうない王朝を覚えかりに「消えた王朝」と書けば、歴史に関心のある大人の句と読めますが、原句の「もうない」という口語的な書き方は、《いまさらこんな勉強して何になるの??》と、なかば疑問を抱く中高生の姿を想像させます。そこらへんの言葉選びは正しい。議論すべき点があるとすれば2つ。第1に、動詞「喰う」の要不要について。第2に、倒置法と破調の是非について。動詞「喰う」については、先生と梅沢で意見が割れましたが、わたしは梅沢と同じで不要との立場。…というより、こういう季語を上五に使うのは適切でない。丸山桂里奈の句もそうですが、上五を動詞で切ると、終止形なのか連体形なのかを読み迷うからです。したがって「夜食喰う」のような季語は、上五なら連体形で、下五なら終止形で使うのが常道だろうと思う。かりに上五の動詞と倒置法を避けるなら、(別の形の破調になりますが)もうない王朝を覚えつつ夜食のようにも出来ます。◇梅沢富美男。夜半の秋 即席めんを鍋のまま長き夜や 鍋のまま喰う即席麺(添削後)内容が陳腐なので、どう直しても凡句にしかなりませんが、まあ、中七・下五を倒置法にするよりは、添削のように名詞止めにする語順のほうがいい。とはいえ、動詞「喰う」はやはり不要だと思えるし、むしろ「鍋から掬う」とするほうが映像的かな。
2023.11.06
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TBS「アンチヒーロー」第4話。前回までは、《長谷川博己の不正義に、北村匠海が疑念を抱く…》みたいな展開だったので、堀田真由の立ち位置が謎でしたが、ここにきて、《堀田真由の父=藤木直人は、長谷川博己の宿敵?》みたいな構図が見えてきました。事務所内が敵味方で入り乱れてますwでも、藤木直人は真の悪者じゃなさそう。やっぱり野村萬斎が最大の悪者なのでは?ちなみに、藤木直人は刑事部長で、野村萬斎は検事正という関係です。野村萬斎は、「検察と警察は仲間」なんて言ってるけど、藤木直人は野村萬斎を警戒しまくってる。かたや長谷川博己は、ヤメ検の弁護士なので、野村萬斎は昔の上司なのかもしれません。そんな野村萬斎は、長谷川博己の狙いが藤木直人だと察知してる。長谷川博己の狙いは、刑事部長の「倉田」&捜査一課長の「大西」。そして、長谷川博己も、野村萬斎も、堀田真由が藤木直人の娘だということを知ってる。◇12年前に、第一審で控訴もせずに死刑が確定した糸井一家殺人事件。死刑囚として収監されてるのは緒形直人。これがどうやら冤罪っぽい。このとき藤木直人が何かを隠蔽して、まだ検事だったころの長谷川博己は、その隠蔽を暴こうとしていたようです。北村匠海も、細田善彦の冤罪を晴らそうとしてますが、長谷川博己も、緒形直人の冤罪を晴らそうとしてるのね。◇今回のの連続レイプ事件でも、早見あかりの件は嘘くさいのだけど、やっぱり藤木直人が早見あかりに接触してます。その冤罪の背後には、捜査一課長の「大西」(松角洋平)と、人権派弁護士の「宇野」(和田聰宏)もからんでる。早見あかりと接触する藤木直人。ことごとく有罪にしてる無能な人権弁護士w◇もうひとつの謎は、近藤華が演じる「紗耶」と、吹石一恵が演じる「REIKO MOMOSE」ですね。紗耶は、保護犬施設で働いてる若い女性。長谷川博己とはタメ口で話す親しい間柄。たぶん緒形直人の娘なのでしょう。REIKO MOMOSEは、6年前(2018年)に40才で亡くなった女性。第2話では長谷川博己が彼女の墓参りをしてました。堀田真由が保護犬施設を訪ねると、かつて「REIKO MOMOSE」はそこで働いていた。幼いころの「紗耶」と一緒に映った写真も残ってる。しかし、紗耶の母親ではないっぽい。緒形直人と「REIKO MOMOSE」の関係は謎です。ちなみに堀田真由が、父を問い詰める長谷川博己を目撃したのも6年前。REIKO MOMOSEも、そのころに亡くなったのだと思います。明墨(長谷川博己)赤峰(北村匠海)紫ノ宮(堀田真由)白木(大島優子)青山(林泰文)志水(緒形直人)桃瀬(吹石一恵)紗耶(近藤華)伊達原(野村萬斎)倉田(藤木直人)宇野(和田聰宏)大西(松角洋平)絵里(早見あかり)松永(細田善彦)松田優作ばりの丸グラサン!黒ずくめの峰不二子ばりにバイクをのりこなす!
2024.05.06
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プレバト俳句。お題は「カレーライス」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇キスマイ横尾の句。とてもよかったです。遠雷の夜汽車 カカオの奴隷史社会性を感じさせる題材ではあるけど、ちゃんと季語が主役になってるのがいいと思う。遠い世界の歴史に思いを馳せている心境と、はるか彼方から夜汽車にまで轟いてくる「遠雷」のイメージが、うまく響き合っています。わたしの好きなタイプの、静かな印象の句です。カレーからカカオへの連想は、やや強引ですが、わたし的には、香辛料貿易→カカオ貿易の連想なら十分ありえます。◇一方、梅沢富美男はボツでした(笑)。ライスカレー 匙のすっくと氷水この句は、キスマイ横尾とは反対に、季語が主役になってないような気がする。どちらかというと「匙」が主役になっていて、季語の「氷水」は脇役になってしまってる感じ。わたしが思うに、匙が氷水で冷やされてることを強調すれば、もっと季語が引き立ったかな、と思います。それに加えて、「すっくと」という言葉も意味不明でしたね~(笑)。てっきりスプーンが御飯に突き刺さってると思った。これって世代の問題とかじゃなくて、たぶん表現そのものの問題ですよね。「すっくと」という擬態語は、ふつうは立ちあがるときの上向きの言葉だから、コップに下向きに差し入れてる様子とは、そもそもベクトルが逆じゃないかという気もします。わたしなら、冷水に匙の挿されり ライスカレーとやったかも。でも「挿されり」って変でしょうか?しかも「冷水」は季語じゃないようです…後日追伸。ためしに、ライスカレー 氷水には匙が銀とやり直してみました。「には」という助詞を使えば、コップの中にスプーンがあることも言えるのでは?と考えました。なおかつ、「カレーの黄色とスプーンの銀色」「ホットな辛さとクールな冷たさ」を対比した感じ。(昔のライスカレーって、さほど辛くないですけど)
2020.08.22
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TBS「最愛」が終了。加瀬はまったくノーマークでした…(^^;真田家の陰謀でもなければ、警察がらみの事件でもなければ、たんなる加瀬の突発的な犯行。あるいは、ほとんど事故だったってこと。視聴者のなかに膨らんだ妄想は宙に浮いて、やや肩透かしを喰らった形です…(^^;◇中盤あたりでは、「真田家が最大の黒幕!最後には梨央が母を殺すのでは?!」とまで考えたのだけど、そんなひどい話じゃなかった(笑)。まあ、脚本や演出は、中だるみも尻すぼみもなく、一貫してスピード感と緊張感を持続していたし、映像も美しかったし、プロデューサーも含めて、ほとんど女性ばかりのチームでしたけれど、今後への期待を高めさせる作品になりました。ただ、同じ考察系の「天国と地獄」もそうだったけど、最終回は、劇的なカタルシスよりも、視聴者のなかに肥大しつづけた考察と妄想が、宙に浮いてしまうような呆気なさがある…(^^;欲をいえば、もっとカタルシスが欲しい…実際、視聴者の妄想を肥大させた色々な伏線は、ほとんどミスリードだったので、矛盾してるとまでは言わないけど、未回収のまま放置されたものが多いです。◇以下、未回収ポイントを整理します。1.なぜ旧札の1万円だったのか。記録に残ってるのは8年前からの不正だけど、実際には、17年以上前から裏金を溜め込んでいたと考えるほかありません。2.なぜ梨央は芝池公園へ行ったのか。梨央と渡辺昭を芝池公園に引き合わせたのは後藤だろうけど、梨央が誰からの連絡を受けて、なぜ公園に行ったのかは謎です。3.優のスパイ活動。姉を守るために後藤を監視していたとは言うけど、梓とも加瀬とも連絡が途絶えた中で、どうやって社内のパソコンをハッキングしたのかも、どうやって後藤の攻撃を阻止するつもりだったかも謎。結果的には、まったく無意味な活動だったように思えます。4.橘しおりの両親の離婚。事件とは無関係?たまたま時期が重なっただけ?5.橘しおりの真田家への怨恨。自分の人生を狂わせた合宿寮の娘が、自分とは真逆の栄光を掴んでいることへの逆恨み?6.青木菜奈の「被害者じゃない」発言。渡辺康介に襲われたあとも薬物仲間であり続け、渡辺康介との堕落した関係を抜け出せず、その後は渡辺康介が失踪したショックに苦しみ、小瓶を保管しながら15年のあいだ告訴できずにいたってこと?7.優が記憶をなくした日。事件とは無関係?◇8.梓の関与。そして、いちばん大きな謎は、やはり「梓が何をどこまで知ってたのか」ってこと。後藤の不正を知ってたのは間違いないけれど、加瀬の犯行を知ってかどうかは謎。赤いペンにかんしては、たまたま梓が部屋に落としたペンを、加瀬が拾って、そのまま公園で落としたように見えます。だとすると、梓は、加瀬の犯行を知らないはずです。ただし、あとで気づいた可能性はあります。…刑務所に収監された梓は、後藤や加瀬の罪まで負わされかねない状況ですが、あくまで「自分の罪を自分で負う」とうったえる後藤に対して、加瀬は、梓を捨て置いて、いまも逃走を続けています。もともと梓は、優を山梨の学生寮に隔離したときから、優と達雄の犯行についても、加瀬の共犯についても、知っていたかもしれません。そして、それ以降、加瀬と梓のあいだには秘密の共有があったかもしれません。梓が出頭して以降の加瀬の行動についても、二人のあいだに何らかの合意があるのかもしれません。優のスパイ活動についても、加瀬と梓が裏で操っていたと考えるほうが自然だと思う。◇9.加瀬の逃亡。加瀬は、池尻の防犯カメラには映っていましたが、なぜか芝池公園の防犯カメラには映っていませんでした。運転手から連絡を受けて駆けつけ、渡辺昭を殺して、びしょ濡れになりましたが、足跡痕は残っていたものの、行きも帰りも防犯カメラに映っていないし、目撃者にも見つかっていません。最後の渋谷ウィングプラザでも、大勢の刑事たちの追跡をすり抜けて逃げおおせました。犯行を決定づける証拠を何ひとつ残さず、いまもなお世界のどこかに身を隠しつづける加瀬は、ルパン三世、もしくは透明人間並みの逃亡の達人!!渋谷ウィングプラザの入り口付近で、桑子が別人を確保するシーンがありましたが、あれこそルパン三世並みに変装した加瀬だったのでは…?今日の夕飯何食べようかな…
2021.12.19
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アニメ「烏は主を選ばない」18話を見ましたが…世界観が謎すぎる…!前々から、> 八咫烏が「人の姿」をしてるってことは、> どこかに「本物の人間」もいるのかしら?とは思ってたけど…結界の外に人間が住んでて、しかも現代人?自動車が走ってて、ヘリコプターが飛んでる??…どんな世界観??◇現代の地球のどこかに、結界に守られた八咫烏の世界があって、江戸時代の日本人みたいな生活をしてると。そして、結界の周辺には巨大な人食い猿が住んでる。水売りの男は、若い娘たちを生贄にして、猿から人間の骨を手に入れ、それを「仙人蓋」という生薬にして、水に混ぜて売ってたらしい。それは一種のアヘンであり、その水を飲んだ八咫烏は中毒になって、烏になったまま人に戻れなくなる。◇いずれ、本物の人間も登場するのかしら?しかも現代人ってww追記:人の頭蓋骨を「仙人蓋」と称して生薬に利用する文化は実在したようです。https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒトに由来する生薬頭蓋骨「天霊蓋」:初出は『開寶本草』であり、『本草綱目』には「脳蓋骨」や「仙人蓋」の名も載せられている。日本では、平安時代の『和名抄』に「比止加之良保禰」の名で収載されているほか、林羅山の『多識編』では「志也礼加宇倍之保禰」として記載されている。烏は主を選ばない(5) (イブニングKC) [ 阿部 智里 ] 楽天で購入
2024.09.08
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月9「嘘解きレトリック」第3話。冒頭から三毛猫いなりちゃんが登場!できれば事件解決のためにも活躍してほしい!三毛猫ホームズみたいに!ネットのニュース記事を見て、北乃きいはどんな役なのかしら?と思ってたら、彼女の登場は来週だったのね…(^^;◇今回は、友人のために、あえてウソを吐く話。そのコンセプトは悪くないし、鹿乃子を試す意味合いもあったみたいだけど、そんな回りくどいことをしなくても、はじめから、「あの女は金を盗もうとしてたぞ」「質屋から盗んだのも、あの女かもしれない」と言えば済む話だよね…(^^;そのほうが事件も早く解決してたはずだし。町中で腰の曲がった老人に変装する意味もないし。ま、しょせん漫画だからね... ◇来週は北乃きいだけじゃなく、虎つばの美佐江=片岡凜も出るとのことで、どんな役なのかが、ちょっと楽しみ。北乃きい、『嘘解きレトリック』で11年ぶりの月9出演 片岡凜は“人形のような娘”役にhttps://t.co/287KCqetUa#嘘解きレトリック #鈴鹿央士 #松本穂香 #北乃きい #片岡凜 #佐戸井けん太 #加藤諒 #正名僕蔵 https://t.co/287KCqetUa— リアルサウンド映画部 (@realsound_m) October 20, 2024 #鈴鹿央士 W主演10/21(月) 21:00〜CX「#嘘解きレトリック 」第3話撮影の合間、イナリと遊ぼうとするも…そっぽを向かれちゃいました🤭第3話は素敵な友情?!!が見れます!ぜひお楽しみに〜🐈 pic.twitter.com/DqWXk1kswg— フォスター/フォスター・プラス (@foster_fplus) October 21, 2024すすきでお茶が出せるとは知りませんでした![新品]◆特典あり◆嘘解きレトリック (1-10巻 全巻)[アクリルコースター付き] 全巻セット 楽天で購入
2024.10.21
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TBS「海に眠るダイヤモンド」第3話。今回も一話完結のエピソード。第1話は坑道の置き去り事故。第2話は台風&水不足。第3話は偽の映画撮影騒動。個人的には、今回がいちばん面白かったです。やはり3人のなかで、杉咲花がいちばん魅力的というのが大きい。恋愛模様は、いわば6角関係になってて、土屋太鳳→清水尋也→杉咲花→神木隆之介→池田エライザ→斎藤工…と、どこも両想いにならず、ひとつずつ片思いがズレてる感じ。◇縦軸の現代編のほうは、宮本信子の相続の問題、孫のホスト通いの問題、そして会社経営の問題へと発展してます。ここにも片岡凜が登場。◇なお、このドラマは、軍艦島がいちばん過酷だった戦前や戦中じゃなくて、あえて戦後のいちばん繁栄した時期を舞台にしてる。そこには制作者の明確な意図があると思うけど、どこかで戦前・戦中の問題も出てくるはず。◇百合子(土屋太鳳)は、長崎のカトリック/キリシタンの家系ですが、姉を原爆で亡くして、母も精神を病んでる。第3話を見ると、鉄平(神木隆之介)の家にも、複数の子供の遺影があるのが分かります。◇いまのところ、中国人や朝鮮人の問題は出てきてませんが、2015年の世界遺産登録のときの最大の問題は、朝鮮人の強制労働の件だったわけだから、その話を避けてドラマを作るのは難しいですよね。産業報国期(1914-1945)の端島における死亡者は日本人1162人、朝鮮人122人、中国人15人であり、朝鮮人や中国人だけでなく日本人も相当な人数が死んでいる。事故による死因は主に爆焼死・圧死・窒息死などだが、日本人の場合は家族で住んでいる者も多かったため、高齢者や衛生状態の悪かった当時の日本のことで幼少者の病死もそれなりにあったのではないかと考えられる。死者が出た他にも、徴兵あるいはケガで働けなくなった等の理由による離島で、補充や入れ替わりがあった可能性も考えれば、どれほど参考となる数字かは疑問だが、1940年の端島の推定人口が3,333人なので単純計算ならばその40%近い死者が出た計算となる。https://ja.wikipedia.org/wiki/端島_(長崎県)
2024.11.17
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網棚に置きし卒論冬の朝 網棚に置きし卒論冬の朝 帯留に選ぶ翡翠や返り花 ズレているマークシートや虎落笛 ごみ捨て場両手見つめる冬の朝 裸木や露天にマスクつけ浸かる おでんは玉子逞しき口内炎 雑巾にガラス破片と今朝の冬 初雪やニュースのカフを上げ忘れ11月14日のプレバト俳句。お題は「うっかりミス」。この兼題は難しい…。時間経過や因果関係の説明なしに、ミスをした事実って伝わりにくいから。季語と取り合わせた客観写生だけでは、それがミスなのかどうかが分かりにくい。かといって、季語をなおざりにして、ミスしたことばかりを強調すると、たんなる川柳になりかねません…(^^;◇清水アナ。初雪や ニュースのカフを上げ忘れ初雪のスタジオ 下がったままのカフ(添削後)去年の9月以来の「カフ」の句です。屋内と屋外なので、季語の「初雪」が遠すぎるかな…。実景というよりも、ただのお天気情報に見えてしまう。かたや先生の添削は、客観写生のセオリーには則ってるものの、うっかりミスの場面には見えないのよね。たとえば、初雪で番組が中止になって、放送が出来なくなった場面にも見えます。停電や交通情報のニュースが入ってしまい、なかなか番組が始められないのかな? …とか。やはり、うっかりミスであることを明示するには、(説明的になるのは承知の上で)やはり「忘れ」の一語は省くことができない。描写に徹すれば、うっかりミスかどうかが明示できないし、うっかりミスであることを明示すれば、どうしても説明的になってしまう。ややもすれば川柳じみた滑稽句になりかねない。その意味で、今回のお題は非常に厄介です。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥カッコいい俳句が詠みたい!🤩#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/7oXMJqcWqc— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) November 11, 2024◇矢柴俊博。網棚に置きし卒論 冬の朝これも字面だけでは、うっかりミスの場面かどうか分からない。卒論を書き終えて、それを電車の網棚に置いて、あとは提出するだけ…という安堵感を詠んだようにも見える。まさか、このあと置き忘れて電車を降りるとは思わない。あえて忘れたことを明示すれば、網棚に卒論忘れ冬の雨のような書き方になるかと思います。◇水田信二。ごみ捨て場 両手見つめる冬の朝ゴミ袋手になく冬のゴミ置き場(添削後)これも、原句はうっかりミスの場面に見えません。朝のゴミ出しのときに、手がかじかんで冬を感じてるとも読めるし、あかぎれになってるとも想像できます。あえて忘れたことを明示するなら、ごみ袋忘れて戻る冬の朝のような書き方になるかと思います。◇大友花恋。裸木や 露天にマスクつけ浸かる冬温し マスクのままで露天風呂(添削後a)失恋や マスクのままで露天風呂(添削後b)年の瀬や マスクのままで露天風呂(添削後c)これまた、原句はうっかりミスには見えません。それこそ、「コロナだからマスクをつけてるのかしら?」…と思ってしまう。同じく(添削後a)も、「顔も温まりたくてマスクをつけてるのかしら?」…と思ってしまうし、さらに(添削後b)も、「泣き顔を隠したくてマスクをつけてるのかしら?」…と思ってしまう。かろうじて(添削後c)だけが、「忙しさのあまり取り忘れたのかな?」と思えます。◇IKKO。帯留に選ぶ翡翠や 返り花これもうっかりミスの場面には見えません。返り花が咲くような暖かさだから、あえて夏らしい帯留を選んだように見えます。そういう句としてなら成立してますが。◇川島如恵留。ズレているマークシートや 虎落笛もがりぶえマークシートずれてる 虎落笛の窓(添削後)原句も、添削句も、客観的に「ズレている」と描写してるので、本人のミスというより、印刷のミスに見えてしまう。さらに、添削句の動詞の位置は、終止形か連体形か読み迷います。上8の字余りですが、一行違いのマークシートや 虎落笛とすれば誤読されずに済むと思う。◇森口瑤子。おでんは玉子 逞しき口内炎1ランク昇格でしたが…助詞「は」を使った意図が分かりません。玉子よりも、口内炎のほうを強調すべき内容ですよね。助詞「の」を使って、おでんの玉子 逞しき口内炎とするほうが、《玉子を口に入れた瞬間に口内炎の存在を思い出す》…という感じが強く出ると思います。◇フルポン村上。雑巾にガラス破片と今朝の冬雑巾にガラスの破片 冬来る(添削後)今回、いちばん出来がいいと思ったのは、この先生の添削句です。寒さで手が凍えて、ガラスの器を落としてしまったのかな?…と想像できます。かたや原句のほうは、助詞「と」で並列にした結果、先生は季語が弱まると言ってましたが、むしろ「うっかり感」が弱まるのよね。並べて「ガラス破片」と「今朝の冬」を描写して、その両方に情緒を見出してるので、ガラスの破片の透明な美しさばかりが強調されて、うっかりミスの要素が感じられないのです。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.11.18
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星の入東風今夜の恋をくれた人 助手席でポテト抱える息白し 冬の朝我慢しきれずはしご芋 初雪日湯気たつ郷まで道中宴 冬の星信号待ちのポテト2本 時雨るるやジュニアシートで待つポテト 小さき手のピクルスつまみ出す小春プレバト俳句。お題は「ドライブスルー」。◇梅沢富美男。小さき手のピクルスつまみ出す小春ピクルスはパパに小春のハンバーガー(添削後)フジモンも横尾も「これは行く!」と言ってたし、わたしも掲載決定かな、と思いましたが、結果はボツでした。まあ、好みの問題なのでしょうか。原句のほうは、幼い子供の好き嫌いを愛おしく眺めてる感じですが、添削句のほうは、子供なりの善意で父親に食べ物を分けているように見えます。結果、まったく別の句になってしまっている。◇レイザーラモンRG。星の入東風いりごち 今夜の恋をくれた人星の入東風よ 今夜の恋ひとつ(添削後)難しい季語ですね。旧暦10月ごろの明け方に、昴(プレアデス星団)が西へ沈むときの風だそうです。原句のほうは、後段がクサい。細川たかしの「北酒場」の引用だそうですが、そもそも歌謡曲は七五調で書かれていることが多いのだし、この手法を認めたら、いくらでも安易な俳句が出来てしまいますね。◇7MEN侍 矢花黎。助手席でポテト抱える息白し助手席へ渡すポテトや 息白し(添削後)わたしは、助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいいと思ってますが、かといって(後述するように)、この句の場合は、他の助詞に置き代えるのが難しい。添削句のほうは、動作の主体を運転手に置き代えることで、結果的に助詞の「で」を回避しており、運転席と助手席の2人ともが「息白し」になっています。◇勝俣州和。冬の朝 我慢しきれずはしご芋ドライブスルー 冬のポテトをはしごして(添削後)下五の「芋」は秋の季語なので、季重なりです。なお、俳句における「芋」とは「里芋」のことだそうです。つまり、サツマイモやジャガイモが日本で普及したのは、わりと最近のことなのでしょうね。それはそうと、なぜポテトを「はしご」するのかが分かりません。一度にたくさん買えば済む話なのだから、たんにバカな二度手間をしているとしか思えない。そんなことに詩情を感じろ、といわれても無理です。◇松嶋尚美。初雪日はつゆきひ 湯気たつ郷ごうまで道中宴うたげ初雪の道中楽し 温泉へ(添削後)見かけによらず、松嶋尚美って字が綺麗なのね…。耳慣れない語彙とか、5・8・7の形もなかなかふてぶてしくて、なにやら貫禄さえ感じてしまいましたが…「ドーチューって2音じゃないの?」との本人の発言を聞いてズコった(笑)。感性が英語的なのでは?いわば「Do you love me」で4音みたいな発想ですよね…。なお、「湯気立て=加湿器」は冬の季語ですが、「湯気」「温泉」などは季語になってないようです。添削句のほうは、やや投げやり。感情語を用いた《楽しいな俳句》みたいになっている。わたしは、初雪や 温泉までの車中の宴えぐらいでもいいと思いましたが。◇キスマイ横尾。冬の星 信号待ちのポテト2本ポテト2本 信号待ちの冬の星(添削後)季語を活かすためにも、調べをよくするためにも、語順を入れ替えたほうがよい。ただ、わたしは、添削のように「ポテト2本」で切れを作るよりも、7・7・5で、信号待ちのポテト2本や 冬の星のほうがいいかなと思う。◇フジモン。時雨るるや ジュニアシートで待つポテト時雨また ジュニアシートに待つポテト(添削後)上五の「や」が大袈裟だとの添削でしたが、その先生の真意はよく分からなかった。もともと「時雨るる」という動詞は、「時雨が降る」という意味で使われることもありますが、本来は「降ったりやんだりする」「雨がちな天候になる」という意味で、時間の幅があって、どちらかといえば映像をもたない時候の季語に近い。しかしながら、時候の季語を「や」で詠嘆するのが間違いというわけでもなく、この「時雨るるや」の用例も、芭蕉や蕪村や山頭火などに見られるようです。なぜ先生が「大袈裟」と言ったのか分かりませんが、中七下五の軽さに比べて上五が重いという意味かもしれませんし、たとえば「夕時雨」「時雨雲」「時雨傘」などの選択もありえたか、とは思います。一方、下五にかんしては、わたしなら「ポテト待つ」と直したかもしれません。さて…このフジモンの添削の際に、先生が助詞の「に」と「で」の使い分けに言及しました。いわく、「に」は静的、「で」は動的な動詞に用いる、…とのことです。わたしは夏井信者ではありませんので、この説明をにわかに鵜呑みにすることは出来ませんし、すこしばかり検討を加えてみようと思います。◇上にも書いたとおり、わたしは、助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいいと思ってます。現代語の助詞の「で」は、おそらく古語の「にて」から発生しており、理由や手段や場所を説明するための助詞ですね。・風邪で休む(理由)・ナイフで切る(手段)・事務所で会う(場所)現代語の「~によって」とか「~において」と同じ意味です。そのため、この助詞を使うと、どうしても《描写》ではなく《説明》に見えてしまう。俳句の客観写生はあくまでも《描写》なので、理由の《説明》や手段の《説明》をすべきではありません。問題になるのは、場所を示すときですね。そのときに「に」を使うか「で」を使うか、ってこと。じつは口語や散文でも、「に」と「で」の使い分けは非常に厄介で、▼とりわけ外国人に日本語を教える際には困難を極めるようです。https://core.ac.uk/download/pdf/230235716.pdf上記の論文によれば、「に」は存在場所を表し、「で」は動作場所を表すとのことなので、おおむね「に」は静的、「で」は動的だといえます。しかしながら、「ベッドで寝る」「家で休む」「バス停で待つ」「庭で考える」「部屋で話す」などの場合は、あきらかに静的な動詞に「で」を用いますし、さらには「ベッドに寝る」と「ベッドで寝る」のように、どちらの助詞の使用も可能なケースがあります。わたしは、なんとなく、「で」を用いる場合には、場所ではなく手段の説明になっている気もしますし、夏井先生が言うように、とりわけ俳句においては、これらをすべて「に」に置き代えるべきかもしれません。◇これとは逆に、文語や韻文では、動的な動詞に「に」を用いる場合もあります。もっとも代表的なのは「遊ぶ」です。たとえば、「華胥の国に遊ぶ」の慣用句もありますし、「野に遊ぶ」とか「山に遊ぶ」などの用例は俳句にも無数にあります。そう考えると、助詞の「に」と「で」の線引きはそれほど容易ではありません。◇ただ、見方を変えれば、今回、先生が使い分けに言及したということは、部分的になら助詞の「で」の使用を認めるということでしょう。わたし自身、助詞の「で」はほぼほぼ使わないほうがいい…と考えてはいるものの、「ほぼほぼ」は「絶対に」という意味ではなく、やはり「で」を使わざるを得ないケースはあると思う。直近でいうなら、稽古場で台詞繰る(山西惇)助手席でポテト抱える(矢花黎)などは、他の助詞に置き代えることが難しい。いずれにしても、どのような場合に「で」の使用が容認できるのかは、今後もよく吟味していこうと思います。
2022.11.15
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1ヶ月ちょっと前になりますが、東大の研究者が都道府県別の「縄文度」を発表…というニュースがありました。以下、NHKの解説から抜粋です。従来の研究で現代日本人の多くは遺伝子的に1~2割が縄文人由来、8~9割が渡来人由来とされています。今回東大グループは民間の遺伝子検査を受けた全国1万人のデータの分析などから、住んでいる県別の言わば“縄文度”=縄文人由来の遺伝的変異をどれぐらい多く持っているかを初めて明らかにしました。東北地方や鹿児島など濃い青色の県は縄文度が高く、近畿や四国などオレンジ色は縄文度が低い、逆に言えば渡来系の血が濃い人が多いエリアということになります。この地図には沖縄と北海道が入っていませんが、沖縄は他の県より飛び抜けて縄文度が高く、この色分けに収まらなかったとされます。また北海道はアイヌの人たちはとても縄文度が高いと考えられますが、人口の上では明治以降に各地から移り住んだ人が多くを占めるため特徴がはっきり出ないと言います。また、中国地方で島根だけ濃い青、つまり縄文度が高いと言う結果で、はっきりした理由はわかりませんが、出雲の国はオオクニヌシの国作りの神話などがある地域でもあり、もしかすると古くから縄文系の人たちが多く住む国が実際にあったのかも?など古代史への想像も色々と広がる結果でした。https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/480441.htmlこちらが都道府県別の「縄文度」を示した地図。https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2023/8252/◇四国や近畿の「縄文度」の低さは、ヤマト王権が弥生系であることを示していますし、いわゆる神武東征や、四道将軍の動きや、桃太郎伝承の解明にもつながるかもしれません。もちろん、これは邪馬台国論争にも影響する話だと思います。大陸から渡ってきた弥生系の人々は、九州に上陸するよりもまず、まっずぐ瀬戸内海へと入り込んだように見える。◇一方、縄文人を列島の周縁に追い詰めたのは、大伴旅人や坂上田村麻呂だと思いますが、鎌倉幕府の奥州征伐の影響もあるかもしれません。そう考えると、鹿児島や青森の「縄文度」が高いのは想像がつきますし、そこから海を渡って、沖縄や北海道にまで逃げのびた縄文人もいるのでしょう。あるいは、沖縄や北海道には、はじめから縄文人が先住していたんでしょうか?◇しかし、わたしが、今回の分布図でいちばん興味深いと思ったのは、・東日本では太平洋側のほうが「縄文度」が高い・島根と秋田の「縄文度」が有意に高いってことです。坂上田村麻呂の蝦夷討伐にしろ、源頼朝の奥州征伐にしろ、征夷大将軍が東国へ進出した際に、日本海側の人々の抵抗が弱かったのに対して、太平洋側では、アテルイとか、奥州藤原氏みたいに、頑強な抵抗勢力が多かったんだという気がする。奥州藤原氏は弥生系かもしれませんが、その統治下の人々の多くは縄文系だったのでは?◇かたや、島根と秋田にかんしては、日本海側にありながら有意に「縄文度」が高い。これは第1に、出雲王権が強力な縄文系であった可能性と、第2に、東湖八坂神社の統人行事や、松本清張の「砂の器」や、高橋克彦の「東北=出雲説」が暗示しているとおり、出雲の人々が、国譲りの際に、秋田のほうまで逃げのびた可能性を感じさせます。◇◇◇なお、今回の研究では、縄文人のほうが、遺伝的に身長が低めで太りやすい体質であり、血糖値や中性脂肪が上がりやすいと分かったそうです。弥生人のほうは、ぜんそくなどアレルギーになりやすいそうです。なんとなく、わたしは弥生人っぽい?(笑)とくに母方のほうは。海外では、ホモサピエンスに交わったネアンデルタール人のことも、同様の手法で研究されているそうです。
2023.04.05
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国連の「ビジネスと人権」作業部会は、≫ 日本のメディア企業は、数十年にもわたり、≫ ジャニーズ喜多川の性的搾取や虐待のもみ消しに加担した…と述べました。この「もみ消し」という表現に対して、不快感や疑問を抱いたメディア関係者もあったらしい。◇しかし、報道メディアには、重大なテーマを社会に伝える公共的な責務があります。その責務を怠れば、それは事実上の「もみ消し」にあたる。言い換えるなら、メディアには「報道しない自由」は存在しない、ってことです。かりに、アリバイ作りのように、形だけの報道をおこなったフリをしても、適切な時間帯や紙面に、必要な分量を費やして報道しなければ、ほんとうの意味で社会に伝えたことにはならない。それもまた「もみ消し」に相当する。◇近年の日本メディアが、権力に癒着し、不都合な報道を回避し、なかば世論誘導に近いことをやっているのは、すでに国際社会からも見透かされて問題視されており、その卑怯な姿勢は、先進国のなかでも最低ランクの評価を受けています。この期に及んで、メディアに「報道しない自由」があるという低次元な発想は、先進国では、もう通用しないということでしょう。
2023.08.14
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NHK「メロディーは時をこえて〜歌いつぐ筒美京平の世界〜」を見ました。今年の3月にBSで放送された番組だったようです。この中で、武部聡志が、「卒業」は「木綿のハンカチーフ」の前日譚(=エピソード0)として作られた。…という趣旨のことを言ってました。とはいえ、もともと武部の発言には記憶ちがいも多いので、あまり額面どおりには受け取れないって気もするし、この「木綿」と「卒業」の関係については、すでに音楽惑星さんのサイトで私見を話したのですが、その考えはいまでも変わりません。◇まあ、こればっかりは松本隆に聞いてみなきゃ分かりませんが、かりに「木綿」の前日譚を作るのが当初のコンセプトだったとしても、70年代の歌謡曲の前日譚が、同じ主人公のまま80年代に作られるなんてことは、ありえないと思う。なぜなら、時代が違うからです。とりわけ70年代の女性像と80年代の女性像とでは、大きな変化がありました。その違いを反映させないまま歌詞を作るなんてあり得ない。◇70年代の太田裕美、すなわち「木綿のハンカチーフ」の主人公は、純朴で、慎ましくて、 男性にも、そして自分自身に強いられた運命にも、なかなか逆らうことができないような弱い女性です。失恋しても、せいぜいハンカチを送ってもらって、人知れず健気に泣くしかない。おそらく彼女にとっては、地元の誰かとお見合いして結婚するのが残された道だったと思う。◇しかし、80年代の斉藤由貴、すなわち「卒業」の主人公は、もっと我が強くて、物事をクールに悟っています。実際、80年代ともなれば、たとえ地方に残った女子であっても、短大に進んでから就職することも出来たし、みずからの人生を選択して切り開く可能性はずっと増えていた。たしかに男性は男性で、東京の都会で楽しく暮らしたかもしれないけど、女性だって負けず劣らず、よくもわるくも都会化してしまった地方の町で、それなりの享楽的な生活を楽しむことも出来たのです。ただハンカチをもらって泣いているだけではないし、涙こらえて着てももらえぬセーターを編んでるだけではない。それが80年代という世相であり、その時代を生きようとする女性のあり方だったと思います。◇ちなみに、今回の番組に参加したのは、武部聡志、松尾潔、亀田誠治、本間昭光のアレンジャー4人。まあ、関ジャムに出てくるような面子なので、「筒美先生は仕事が早かった」「仕事量も多かった」「イントロが素晴らしかった」「歌手に合わせた曲作りをしていた」…といった職人的な視点からの議論が中心になっていて、それほどの目新しい話はありませんでした。唯一、亀田誠治だけが、筒美の「プロデューサー」としての側面に言及しようとしましたが、そのテーマをこの4人で深めるには、ちょっと限界がありました。◇今後、筒美京平を語る場合には、たんに作・編曲家としての面だけではなく、タレントを育成した「プロデューサー」の面から捉えなければならないし、もっといえば、南沙織と郷ひろみ以降の、すなわち70年代以降の「アイドル文化」そのものを仕掛けた、酒井政利、ジャニー喜多川にならぶ黒幕としての側面から、つまりは広く文化史的な側面から捉えていかなければなりません。奇しくも、現在のような昭和歌謡リバイバルのさなか、ジャニー喜多川は2019年に、筒美京平は2020年に、酒井政利は2021年に、相次いで亡くなっています。彼らはたんに音楽を変えただけでなく、日本のメディア文化と大衆文化それ自体を大きく変えたのであり、日本社会に生きる男性像や女性像までをも確信犯的に変えたのです。日本人の生き方を変えてしまったとさえ言える。◇また、筒美京平を作・編曲家として語る場合にも、たんにロックやソウルとの関係を語るだけでなく、まずはジャズとの関係から掘り起こさなければなりません。その意味では、服部良一や、中村八大や、宮川泰の後継に位置しているはずです。そのうえで、リズムやメロディやサウンドを筒美がどう刷新したのか、ようやく冷静に議論できるようになるはずですが、残念ながら、それについて語れる人材は、いまの音楽業界にはほとんどいないと言っていい。なぜなら、ジャズの素養が本質的に欠けているからです。しかし、そのことを冷静に捉えないと、またしても無根拠な「神話」ばかりが量産されてしまいます。昭和歌謡は、けっして筒美からはじまったわけではありません。司会:柘植恵水アナウンサー出演:武部聡志/松尾潔/亀田誠治/本間昭光亀田:この京平先生と松本隆先生のコンビが生み出す名曲の数々って、何かね、どこかでこうお互い曲と曲がバトンを渡し合ってるような感じがあって、これ「卒業」とかも繋がってませんか?武部:「卒業」は「木綿のハンカチーフ」の続編というか、「木綿のハンカチーフ」の主人公たちが卒業するシーンを描いてるんです。柘植:えっ?そうなんですか?武部:その学生時代どうだったかっていう。松尾:だから「エピソードゼロ」みたいな。武部:そう。…が「卒業」なんです。柘植:つながって…武部:それを作ろうって隆さんが思って作った曲なんで。柘植:へえ~。ちょっと「卒業」も強気な女の子じゃないですけども、「卒業式で泣かないわ」みたいなこう。「さみしい」を前面に出す感じではない。武部:その後「木綿のハンカチーフ」のストーリーになるんですね。
2021.08.22
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第7話。橘しおりが死んでしまいました。遺体のそばには、取材音声を録ったボイスレコーダー。もし後藤が殺したのならば、このボイスレコーダーを回収するはずですよね。(それとも音声だけ消去したとか?)そもそもペーパーカンパニーの不正に関する情報は、すでに東央出版の編集長に握られていますから、今さら橘しおりを殺したところで意味がありません。むしろ、まっさきに後藤が疑われるだけです。…ってことは、自殺でしょうか?◇最後に梨央と話したときの、目に涙を浮かべながら微笑んだ橘しおりの表情は、いったい何を意味していたのでしょうか?橘しおりが梨央に語った、「罪を犯した人間は報いを受けるべき」という言葉は、はたして渡辺康介に向けられたものでしょうか?それとも渡辺昭に向けられたものでしょうか?あるいは自分自身に向けられたものでしょうか?橘しおりは、いつ渡辺康介を告訴したのでしょうか?ほんとうに女子高生だった梨央を憎んでいたのでしょうか?それとも、逆に梨央を守ろうとしていたのでしょうか?ほんとうに渡辺昭を殺したのでしょうか?泣き笑いといえば「Wの悲劇」の薬師丸ひろ子。橘しおりにとって、渡辺康介による暴行被害と、真田グループの不正の追及は、いったいどう繋がっていたのでしょうか?渡辺康介と真田グループを繋ぐのは「薬」かもしれませんが、当時の真田グループは、まだ創薬事業を始めていなかったはずです。◇さて、その一方、弁護士の加瀬は、電話口のむこうにいる後藤にむかって、「こんなことして、どうするつもりですか?!」と怒っています。その近くには、梨央の秘書も座っている。いったい後藤は、何をやらかしたのでしょうか?やはり梨央に対する妨害行為でしょうか?優が情報屋を装ってまで阻止しようとした敵対行為に、いよいよ着手したってことでしょうか?それとも、ペーパーカンパニーの不正がバレてしまった今、自分ひとりがすべての罪を背負って、会社を去るための手続きでも取ったのでしょうか?手前にいるのが社長秘書。奥にいるのが加瀬。◇予告では、捜査一課の山尾(津田健次郎)が、「芝池と池尻は繋がっている…」と述べています。つまり、渡辺昭の死と、橘しおりの死は関連している、ということ。これって、たんなるミスリード?点と点が、なかなか結び付きません…。うーん、わからない… 脳が限界…◇ちなみに公式サイトには「連続殺人」とありますが、今後もまだ死者が出るのでしょうか?一般的に、サスペンスドラマの場合、秘密を隠している人間ほど、自殺したり殺されたりする可能性が高い。その意味では、後藤や藤井や青木菜奈が危ないと思うのですが、わたしは、優が死ぬ可能性も排除できないだろうと思っています…。
2021.11.28
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CBCとNetflixによる「アンという名の少女」は、シーズン3で中断したまま、制作が止まっています。一部では《先住民問題》を扱ったことが、打ち切りの原因ではないか、とも噂されています。◇しかし、先住民問題を扱うのは、当初からの既定方針だったはずです。たとえば、すでにシーズン1の第5話では、学校を無断でサボっていたアンが、ひそかに「イギリスとカナダの歴史」という本を読み、偶然ページを開いたサスカチュワン州の歴史を学んでいます。これは、あきらかに、その後の伏線です。また、シーズン2の第2話では、下宿人のダンロップが、ダイアナのピアノ伴奏で、アリス・ホーソーンの「The Friends We Love」という曲を歌うのですが、わたしが気になっていたのは、アリス・ホーソーン(=セプティマス・ウィナー)が、じつは「10人のインディアン」の作者でもあったということです。この曲のもともとの歌詞は、インディアンの子供がひとりずつ消えていく恐ろしい内容です。◇今年の5~6月にかけて、カナダの先住民寄宿学校の跡地において、子どもの遺骨や墓が大量に発見されたそうです。先住民寄宿学校というのは、事実上の強制収容所だったのですが、まさに「10人のインディアン」で歌われているような、恐ろしい歴史が存在したことが裏付けられつつあります。ブリティッシュコロンビア州では182の墓と251人の遺骨が、サスカチュワン州では751もの墓が見つかったそうです。彼らの死因については報じられていません。https://www.tokyo-np.co.jp/article/115351近年のカナダ政府は、こうした歴史の調査に積極的に取り組んでおり、それを一般に公表したうえで、公式な反省や謝罪も行ってきました。カナダ政府も、CBC公共放送も、けっして歴史を隠蔽しようとしているわけではありません。したがって、「アンという名の少女」の制作打ち切りの背景に、負の歴史を隠蔽しようとするカナダ側の意図があるとは考えにくい。むしろ、下記の年表を見れば分かるように、制作中止が発表された2019年の時点でいえば、米側(トランプ政権)のほうが後ろ向きの姿勢を示していました。まさに、この時期、米政府とカナダ政府の方針にズレが生じていたことが分かります。20082009201520172018201920202021スティーブン・ハーパー首相が過去の先住民への扱いを謝罪。真実和解委員会(TRC)が発足。米オバマ大統領が先住民族への過去の暴力や虐待を認めて謝罪する法案に署名。ジャスティン・トルドーが首相に就任。TRCが最終報告書を発表し、当時の政策を「文化的なジェノサイド」だったと認める。ドナルド・トランプが米大統領に就任。CBCで「アンという名の少女/シーズン1」が放送、Netflixで世界配信。CBCで「シーズン2」が放送、Netflixで世界配信。米トランプ大統領が先住民族への差別発言で抗議を受ける。CBCの社長が、Netflixとの共同製作をやめると発言。CBCで「シーズン3」が放送。Netflixで「シーズン3」が世界配信。NHKで「シーズン1」が放送。ジョー・バイデンが米大統領に就任。先住民寄宿学校の跡地で大量の子どもの遺骨や墓が発見される。NHKで「シーズン2」が放送。NHKエンタープライズで「シーズン3」までディスク化。トランプ政権からバイデン政権に変わったことは、CBCとNetflixの関係にも変化をもたらすかもしれません。かりにドラマの制作が再開されることになれば、より一層、過去の負の歴史に向き合う必要が強まるでしょう。ちなみに、モンゴメリの「赤毛のアン」は、村岡花子が1952年に邦訳して以来、とりわけ日本において高い人気を誇ってきました。朝ドラの「花子とアン」も、その関連作品だといえます。したがって、「アンという名の少女」がNHKで放送され、それが日本で反響を呼ぶことは、大きな意味をもちます。原作の評価と同様に、ドラマの評価も多くを日本に負っています。◇話を戻しますが、先住民に対する残虐な同化政策を推進したのは、カナダ初代首相のジョン・A・マクドナルド(保守党)でした。プリンスエドワード島のシャーロットタウンにも、彼の銅像があったそうですが、抗議を受けて先ごろ撤去されたとのこと。なぜシャーロットタウンに彼の銅像があったのか分かりませんが、(1864年のシャーロットタウン会議を記念したものかもしれません)モンゴメリの「赤毛のアン」原作には、アヴォンリー村の住民のほとんどが保守党支持者だったとあります。おそらく当時は彼の政策が広く支持されたのでしょう。なお、シーズン1の第6話では、マリラたちが首相演説を聞きにシャーロットタウンに出かけていますが、ドラマの時代設定に重なる1896年ごろには政権が交代していて、自由党のウィルフリッド・ローリエが首相に就任しています。◇北米で先住民寄宿学校を運営していたのは、キリスト教会でした。ただし、それはアヴォンリーの人々が信仰していた長老派教会ではなく、ケベック州のフランス系住民などが信仰していたカトリック教会です。北米においては少数派のキリスト教徒たちですね。その本部は、いうまでもなくバチカンです。カトリック教徒は、イギリス系よりもフランス系・スペイン系の白人に多いので、北米大陸においては北部よりも南部のほうに多く、さらに北米大陸よりも南米大陸のほうに多いわけですが、彼らはしばしば黒人や先住民に対して残虐な政策をとっています。もちろん、長老派のようなプロテスタントの人々も、黒人や先住民に対して差別的だったとは思いますが、どちらかと言うと、保守的なプロテスタントは、異人種・異民族に対して距離をとって生活する傾向が強く、そのぶんだけ黒人や先住民に対しても暴力的になりにくく、また奴隷制への依存も小さかったために、プロテスタントの多い北部地域は、カトリックの多い南部地域よりも、早い時期に奴隷制を終わらせることができました。これに対し、カトリックの人々は、なまじ黒人や先住民との生活圏域が近いだけに、しばしば残虐にもなりやすいし、また混血もしやすいのです。北米よりも南米のほうが混血割合が多いのはそのためです。古代からの歴史を考えてみても、ヨーロッパ北部に住むゲルマン人やアングロサクソンに比べて、地中海沿岸にすむラテン人のほうが、はるかにアフリカ人やアラブ人との生活圏域が近かったし、そのぶんだけ奴隷への依存度も高かったのです。
2021.12.25
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最終回。まあ、結論は分かりました。ゆりあがハッキリと台詞で語ったから。つまり、運命の赤い糸ってのは、夫婦の絆だけじゃないわけですね。運命の人って、男女間だけのこととか、たったひとりの人って考えるのはどうかな…って。そうじゃなくて、人生のターニングポイントになった人っていうのかな。たとえば私にとっては、まにもみのんもみちるママも運命の人だと思うから。赤い糸は1本じゃないし、繋がったり切れたりする。ゆりあは、稟久の幸せも願い、みちる&娘たちの幸せも願い、優弥や、その妻や息子の幸せも願った。それと同じことはゴロさんにもいえる。つまり、妻も「大きな人」だったけど、夫も「大きな人」だったのよね。夫の愛人の幸せを願ったり、不倫相手の家族の幸せまで願うのは、ふつうに考えたら非常識ですが、結局のところ、他人にしたことは、めぐりめぐって自分自身に帰ってくる。夫の体が不自由になり、妻が乳癌になったとき、その夫婦を助けてくれたのは、実の家族じゃなく、若い愛人たちだった…という話。このドラマのテーマは、性愛でも、恋愛でも、夫婦愛でも、家族愛でもなく、いわば「博愛」と「友愛」だったということです。夫婦や家族の枠組みで考えたら、パートナーや家族以外の人を愛するのは裏切りになるけど、主人公夫婦の考え方はその枠組みを超えてる。まあ、子供がいなかったせいもあり、この夫婦にとっては、若い愛人たちが子供みたいに思えたのかな。◇◇◇でも、この結末って、かなり斬新です(笑)。ゴロさんが目を覚ましたあと、本妻と愛人の入り乱れる修羅場になるかと思いきや、いったんは大きな共同体になってしまった。ところが、それでメデタシメデタシかと思ったら、まだその先があって、稟久が実家に戻って旅館を継ぐことになり、ゴロさんも稟久のところへ行ってしまった!え?もしかして行ったっきり?!もう帰ってこないの?稟久のパートナーが、父親ほども年上のゲイだと知ったら、稟久のママは卒倒するのでは?!しかも、ゴロさんって、もしかして稟久ママより年上なのでは?◇かたや、ゆりあは、優弥との結婚を選択しませんでした。自宅をカフェに改装するときも、優弥には仕事を依頼しなかった。それは、すなわち、自分の恋愛や結婚よりも、愛人たちとの共同体を選んだってこと。ところが!別の便利屋さんに依頼したはずが、やってきたのは、やっぱり優弥で…(笑)優弥との恋愛が再開するところで終わった。これって、どゆこと?ただの視聴者サービスですか?◇かりに、ゆりあと優弥が結ばれ、ゴロさんと稟久が結ばれるとしたら、おたがいの不倫が成就して、夫婦関係と家族が崩壊するってこと。なかなかにスゴイ結末です。しかも、ゴロさんもゆりあも家を出るとしたら、家に残るのは、もはや姑とみちるの母娘だけ。いったい誰がカフェを運営するの?◇はたまた、その逆に、ゆりあが優弥を家へ迎え入れ、ゴロさんも家に戻って、稟久との遠距離恋愛をするのなら、離婚した夫婦と、双方の愛人やパートナーが、ひとつの共同体を形成しながら、一緒にカフェを運営するということです。それもまた斬新すぎる(笑)。◇◇◇たしかに、恋人や夫婦や家族の枠組みにとらわれず、ひたすら「博愛」と「友愛」の精神をもって、あらゆる人の幸せのために尽力していれば、いずれ自分が苦境に立たされたときに助けてもらえる。人間関係って、そういうものかもしれません。でも、これって、やっぱりスゴイ結末。わたし自身は、主人公の考え方について、とくに肯定も否定もしないし、こういう物語があってもいいと思いますが、多くの視聴者がこの結末を受け入れるとしたら、そのこと自体が、かなり斬新だと思う(笑)。ちなみに「泥濘の食卓」のほうも、愛人の立場で、男の妻や息子まで愛そうとする話なので、ある意味「博愛」の物語だといえます。◇◇◇それはそうと…第7話までは話がゆったり進んでたのに、終盤の展開が急にせわしなくなったのは、ちょっと残念でした。ゴロさんが目を覚ましたと思ったら、次の週にはもう仕事の話まで進んでるし、稟久とバレエの先生が出会ったと思ったら、次の週にはもう付き合ってるし、あまりに展開が早すぎて、いまいち感情の流れがよく分からなかった。…テレ朝の木曜ドラマは、前作も前々作も全9話だったから、べつに1話分減らされたのじゃなかろうけど、とくに第8話は、まるで無理やり二話分を詰め込んだような、なにやらダイジェスト的な慌ただしさでした。せめて、全10話にして、もうちょっとゆったり見せてほしかったです。(乃愛ちゃんのバレエ発表会も見たかった!)
2023.12.15
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由貴ちゃんが、ライブで椎名林檎の曲を歌ったらしい。従来のイメージからすれば、かなり意外です。正直、椎名林檎の曲を、歌詞の面で評価できると思ったことはないけど、(全般的にはサウンド重視でコケオドシの無意味な歌詞だと思ってる)こういうところの由貴ちゃんの眼識はさすが。この曲は、坂元裕二「カルテット」のテーマ曲だったので、このたび由貴ちゃんが出演した、生方美久「すき花」との関連もなくはないけど、それ以上に、これはやっぱり、由貴ちゃんの現在の心情を託した選曲というほかない。まあ、考えてみれば、ジブリの「さよならの夏」もそうだったのです。先日の武部聡志のジブリ作品集では、「ジブリをうたう」のタイトルに反して、あの曲を誰に歌わせることもなく、最後にピアノインストで収録されてたけど、本来なら、あれを歌うべきは斉藤由貴だったってことでしょ。手放してみたい 両手塞いだこの知識言葉の鎧も呪いも一切合財脱いで剥いで好きとか嫌いとか欲しいとか滅びの呪文だけれど口走ったら如何なるでしょう切実に生きればこそああ白黒付けるのは恐ろしいおとなは秘密を守る怖すぎるのよ…由貴ちゃん(笑)。カッコいいけどね。馬鹿な週刊誌記者なら、きっと低次元な邪推をするだろうけど、そんなものははなから超越してるというほかない。このメドレーもけっこう怖い。ワンコーラスだけ並べてもメドレーにならないし、アルバムからエッセンスを抽出して1曲に纏めるのに苦労しました。由貴さんはストーリーにも拘るので曲順や歌詞も丁寧に選びました。『いつか』から『Yours』でアガって、『このまま』のAメロをチェロに弾かせて『LETTER』をすっと歌い出す所が↓— 立川智也 (@TachikawaTomoya) December 20, 2023
2023.12.22
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TBS「笑うマトリョーシカ」最終話を見ました。いずみ吉紘の脚本を、いままで面白いと思ったためしがないので、あまりちゃんと見てなかったのよね…(^^;後半ぐらいから、「意外に面白そうだな…」と見はじめた感じ。前半はTverのダイジェストで済ませました(笑)。凜が出ると知ってたら、最初からちゃんと見たのだけど。機会があれば、U-NEXTあたりで見直そうかな。◇終盤は、どんでん返しの連続が、ちょっとあざとい感じもあったし、整形ネタがややリアリティに欠けたかも。でも、田辺桃子はなかなかの悪女っぷりでした。最終回は、(原作の結末をなぞったのかもしれませんが)ちょっと駆け足すぎて、やや説明くさかった。もうすこし見せ方に創意工夫が欲しい。◇マトリョーシカを、開けて…開けて…開けていくと、最後に残るのは本人であり、しかも、その中身は空っぽ…というオチ。でも、清家一郎のキャラは、それほど特異なものとも思いませんね。実際、政治家って、あんな人間が多いと思う。そして、どちらが良いとも言いきれないのよね。中身がないから上手くいく政治家もいるし、中身がありすぎてダメな政治家もいます。◇小泉進次郎も、政治家の「振舞い」を身につけてるだけで、中身が空っぽなのは誰でも知ってます。その場合は、政治家個人を見つめるだけでなく、構造的に考えなければ実態が見えてこない。…櫻井翔は、けっして演技が巧いとは言えないけど、今回は、何を考えてるか分からないキャラと、官僚の息子である彼自身の出自が、例外的にハマり役だったかなと思います。◇余談ですが…加藤雅也は俳優デビュー当時、映画「君は僕をスキになる」(1989)で、由貴ちゃんと共演してるので、じつに35年の時を経て、母娘と共演した形です。凜は見てないかもしれませんが…(^^;香港パラダイス的な中華街の水嶋凜。ほぼほぼ、あさりそばの吉兆だと思う(笑)。笑うマトリョーシカ (文春文庫) [ 早見 和真 ] 楽天で購入
2024.09.07
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フジ「わたしの宝物」第6話。◇だいたいがあざとい脚本なので、そうだと割り切って見るしかないんだけど、本来なら、夫とは離婚して、娘を連れて家を出て、冬月くんのところへ行く展開になるはずよね。でも、この主人公は、「これは夫婦の問題!あなたに出来ることは何もない!」と言って冬月くんを切り捨てたあと、こんどは逆に、夫から切り捨てられて行き場を失くすw◇本気で夫と復縁したいなら、実の父親が誰なのかも、妊娠した経緯もぜんぶ打ち明けるべきだけど、なんせ主人公は、> 冬月くんは何も知らない。> 私が宏樹に嘘ついたの。> ひとりで決めてやったの。と真琴にも言ってたとおり、すべてを一人で背負おうとしてるので、夫にも冬月くんにも真実を話そうとしない。…夫の経済力に依存して、托卵させてたくらいなんだから、はなから一人で背負えるはずがないんだけどね!まあ、ここらへんが、今後の "あざと展開" のための準備なのでしょう。◇一方、妻だけを追い出して、血の繋がらない娘を引き取った夫の心理も、ちょっと「?」と感じてしまうところ。でも、逆にいえば、> 血の繋がらない娘なのに> もう手放せないほど愛してしまった…ってところが、すでに結末への伏線に見えなくもありません。◇なお、夫婦がヨリを戻す結末になるとすれば、冬月くんは莉紗と結ばれて…真琴は北村一輝と結ばれる…ってのが本命予想のはずだけど、どうも、冬月くんは、莉紗を異性として好きになれなそう!…(^^;なので、冬月くんは真琴と結ばれて…莉紗は北村一輝と結ばれる…みたいな大穴展開もありえるかしら?◇ちなみに、真琴をあからさまなヒール役にしたのは、北村一輝のセリフを正当化する伏線だったわけね。> よその夫婦の話に首突っ込むのもどうかと思うよ。> あんたが動けば動くだけ、みんな不幸になってんじゃないの?> 正義ふりかざすのもほどほどにしないと。> あいつらの正解をあんたが決めんなよ!!【芸能】大沢樹生は親子関係なし…喜多嶋舞の長男は誰の子なのか? https://t.co/BPN1WuBaXe— 日刊ゲンダイDIGITAL (@nikkan_gendai) November 20, 2015人が人を愛することのどうしようもなさ [ 喜多嶋舞 ] 楽天で購入
2024.11.23
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NHKの深夜のイッキ見配信で、「特撮ドラマ 超速パラヒーロー・ガンディーン」を見ました。かなり優秀なドラマでした。特撮が、はたして最先端なのかアナログなのか分からないけれど、スペクタクルの醍醐味も十分に味わえました。これは、もちろん、開催中のパラリンピックに当てこんだ企画なのでしょうが、身障者というテーマをクソ真面目に扱うだけでなく、さまざまなパロディの手法を駆使して、笑いとツッコミどころを散りばめながら、健常者にも楽しめる内容にする発想はNHKならでは。もちろん身障者との向き合い方など、社会的な側面もよく練り込まれている。モノローグの代わりに、小芝風花がカメラ目線で語りかけるEテレっぽいスタイルも、意外なくらい効果的でした。◇身障者の活躍をSF世界と結びつけていますが、これはかならずしも突飛な発想ではなく、事実、これまでにも先進国の技術力が身障者の可能性を広げてきたのだし、今後の新しいテクノロジーが地球の重力を超えることで、健常者と身障者をともに解放していく未来は現実味を帯びています。その意味で、SF的な発想は、むしろ身障者にこそ必要な夢なのですよね。◇身障者をテーマにしてパロディドラマを作るという企画が、結果としてユニークな物語を生んだのだろうけど、それがたんなる企画モノやイロモノで終わることなく、ひとつの新しいジャンルを成立させているようにも見える。そもそも、こういう作品を、たんに期間限定の企画で終わらせるのもおかしな話だし、せっかく人気があるのなら、これを機に、平時でのシリーズ化を積極的に進めるべきではないでしょうか?◇まなべゆきこの脚本は、あきらかに小芝風花の「トクサツガガガ」を踏まえています。しかし、もとをただせば、女子向けドラマに特撮ヒーローを取り入れる発想は、18年前の「ニコニコ日記」のガイセイバーZに始まっている。これは、おそらく大森美香の発明だったと思います。その背景には、当時の平成ライダーやイケメンの主人公に、子供のみならず、お母さん世代が熱狂したり、戦隊ヒーローや怪獣を「カワイイ」と思ったりする価値観があった。それが、ガイセイバーZからジュウショウワンを経て、今回のガンディーンにまで結びついたのだと思います。ついでにいえば、5年前の朝ドラで小芝風花を発見したのも大森美香でした。
2021.08.29
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良夜なりフロアを包むアルペジオ 万人の歌声ひとつ名残の月 秋風や歓び舞台へ運びゆく ゆれすすきいつかはフェスと夢見る日 ペンライト振れども散らぬ照紅葉 星月夜六万人の大合唱 靴音にライブの余韻月の坂 行く秋や全国大会入賞11月7日のプレバト俳句。お題は「大観衆」。◇フルポン村上。靴音にライブの余韻 月の坂靴音に余韻 ライブの果てて月(添削後)原句のままで十分に素晴らしい出来です。音楽と熱狂に包まれたあとの興奮の余韻。それと同時に…ライブが終わってしまった静けさと寂しさ。そして、秋の夜の肌寒さ。耳には坂道の自分の靴音だけが聞こえてる。ひさびさの村上のヒット作かと思いましたが…なぜか先生は「散文的」との理由でボツ。しかし、これを「散文的」と言ってしまったら、ムダに技巧的な句しか詠めなくなりそうです。添削は二句一章になってますが、前段の「余韻」と後段の「ライブの果てて」に、因果関係があると考えるべきか、それとも、そこに因果関係はなく、靴音そのものが反響して余韻を生んでるのか、読み手は解釈に迷うはずです。◇キスマイ横尾。星月夜 六万人の大合唱横尾にしては珍しい定型句。掲載決定でしたが…村上が「シンプルすぎる」と言ったように、ちょっと素直すぎるんじゃないかしら?季語の取り合わせとして、「6万の大合唱」と「満天の星空」は、印象が近すぎるといえなくもない。まして先生がいうように、「6万のペンライト」と「星月夜」の取り合わせ?…なのだとすれば、それは二物衝撃でなく、二物相似というべきです。平場ならギリギリ「才能アリ」でもいいけれど、永世名人の句としては不足がありすぎる。◇清春。良夜なり フロアを包むアルペジオ奇しくも、先週の相席スタート山﨑と同じく、上五を「良夜なり」で切ってますね。これこそがシンプルイズベスト。先生が言ったように、アルペジオの旋律が月光のイメージにも重なります。強いて難癖をつけるとすれば、「包む」「響く」などの動詞は不要かもしれない。たとえば、大都市の良夜 フロアのアルペジオのようにも出来ます。◇MINMI。万人の歌声ひとつ 名残の月万人の歌は一つに 月のぼる(添削後)原句は、歌と心がひとつになったときに、「この幸福な時間が終わってほしくない」と名残惜しんでるように見えます。添削句のほうは、むしろその高揚感を詠んだ形ですね。◇山口智充。ゆれすすき いつかはフェスと夢見る日いつか我が歌を大観衆へ 秋(添削後)自分の心情を季語に託してますが大きな夢を抱いてるわりに、季語が寒々と枯れてしまってるw添削のほうは、心情句だと割り切ったのか、完全に描写性を喪失してますが…たとえば、麦の秋 フェスを夢見て弾き語りぐらいの描写性は込められるはずです。◇清水アナ。行く秋や 全国大会入賞具体性がなさすぎますね。何の大会だったんでしょうか?もしも金賞を逃したと明記するなら、季語をことさら悲しげにはせず、金賞を逃した涙 稲の波ぐらいの対比にすべきでしょうね。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥とてつもなく普通!🤣#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/gnhX7ZoXFa— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) November 5, 2024◇ゴスペラーズ黒沢。秋風や 歓び舞台へ運びゆく歓びを舞台へ 金風の歌よ(添削後)原句は、秋風が(観客の)歓びを舞台へ運んでいく…という内容であり、上五が主語で下五が述語の一句一章ですが、主語を「や」の詠嘆で切ってます。こういう句は時折見かけるのですが、あまり適切な詠み方とは思いません。形式が二句一章になってしまうからです。一方、添削句は観客視点の句になってますが…原句のままの客観的な視点で、金風が歓喜をはこぶ大舞台のようにシンプルに書けると思います。◇水森かおり。ペンライト 振れども散らぬ照紅葉てりもみじペンライトのごと 夜よを照らさるる紅葉(添削後)原句は、> 夜に揺れる無数のペンライトは> 昼の太陽を浴びた照紅葉のようである。> 昼の紅葉は振れば散ってしまうけど> 夜のペンライトは振っても散ることがない。…というような内容です。季語が比喩になってるので、添削ではその関係を逆転させ、《照紅葉のようなペンライト》ではなく、《ペンライトのような夜紅葉》の内容にし、18音の破調の形に直してます。しかし、この添削句は一読して分かりにくい。第一の理由は、「ペンライトのごと」という比喩が、どの語に掛かるのか分かりにくいから。第二の理由は、(とくに「ペンライトのごと照らさるる」と誤読した場合)照らすものと照らされるものの関係が入り混じって、読み手を混乱させる比喩になるからです。さらに付け加えると、目的語に動詞の受動態をつけて、「紅葉が夜を照らされる」とするような構文は、通常の散文にはありえないので、それもまた混乱の要因になりえる。もっとシンプルに書くならば、灯に揺れる紅葉ペンライトの如しのように出来ます。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2024.11.11
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近年は「年上女の恋」を描いたドラマが多い。古くは、大森美香の初期作「きみはペット」とか?!あのときは、小雪が28才で、松潤が20才という設定でした。最近では、さらに女子の高齢化と男子の若年化が進んでいて、「逃げ恥」の石田ゆり子や、「恋する母たち」の吉田羊や、「あな番」の原田知世などは、アラサーもアラフォーも超えて…、もはやアラフィフ!日本もだいぶフランス化してきましたね。一方、「はじこい」の深キョンや「中学聖日記」の有村架純は、ピチピチの男子高校生をお相手にしています!それからフジテレビの「推しの王子様」は、比嘉愛未が36才で、渡邊圭祐が23才という設定です。そういえば、テレ東の「ラブコメの掟」も年上女と年下男子の恋でしたね。これはタイトルのとおり、ラブコメのお約束設定をパロディにして、ウブな年上女がイケメンの年下君に翻弄されるお話。栗山千明の "膝乗せハグ" がちょっとツボだった。おそらく制作サイドは、女子目線の視聴者層をターゲットにしてるだろうけど、なかには綺麗な年上女に憧れて、男子目線で見てる視聴者だっていることでしょう。◇今回の「プロミス・シンデレラ」は、二階堂ふみが27才、眞栄田郷敦が17才という設定。同じくTBSの「中学聖日記」のときは、岡田健史がまだデビューしたばかりだったし、実際に10代の俳優だったので、しかも、役柄上も真面目でウブな高校生だったので、やたらと「禁断の恋」みたいな背徳感が際立ちました。それにくらべて、今回の眞栄田郷敦は、実年齢がすでに21才だし、役柄上も、やんちゃなマセガキでありながら、なんだかんだ「花男」的な良家のおぼっちゃんなので、さほどの背徳感もなく、気楽に見ることができた。◇とはいえ、最終回は、かなり攻めた内容になっていました。アラサー女子と高校生の恋にとどまらず、最後には"結婚"まで匂わせたりして、これは従来のドラマの良識を破ってる気もする。ちなみに、わたしは原作をまったく読んでいませんが、今回のドラマは、いろいろ腑に落ちないところもあります。たとえば、早梅(二階堂ふみ)と壱成(眞栄田郷敦)が結ばれ、菊乃(松井玲奈)と正弘(井之脇海)も結ばれ、まひろ(松村沙友理)と洸也(金子ノブアキ)も、いずれは結ばれるっぽい感じなのですが、他方で、成吾(岩田剛典)や、アルバイトのさくら(畑芽育)は報われないのです。このあたりの納得感が乏しい…。そもそも早梅は、なぜ成吾でも正弘でもなく、高校生の壱成を選ぶのですか?まあ、「人を好きになるのに理由なんてない」のですけど、どうも物語としての納得感に欠けるのですね。◇貧しい虐待家庭に育った早梅と、容姿が醜かった明(=のちの菊乃)は、それぞれに恵まれない境遇を背負っていました。前者が「家なき子」の安達祐実だとすれば、後者は「野ブタ。」の堀北真希って感じ。ある意味では、どちらも似たもの同志なのです。そんな2人が敵対した原因は、成吾との潜在的な三角関係でした。菊乃が早梅に向けた憎悪は、いわば「隣の芝生」みたいな逆恨み。菊乃は、整形して美人になったんだし、成吾とも愛人になれたんだからいいじゃん!と思うけど、どうやら「愛人」という自らの立場を恨んだらしく、成吾の想い人である早梅を、いちど成吾と結びつけてから無理やり破綻させ、早梅にも自分と同じ「愛人」の哀しみを味わわせてやろうと、なかなか面倒くさい攻撃を仕掛けていたのでした。成吾と早梅をくっつけようという意味でなら、それは大女将(三田佳子)の企みにも近いのだけど、そもそも早梅は、成吾に恋愛感情を抱いていませんでした。◇成吾も、正弘も、父に虐げられていた貧しい早梅のことを救い、さらに醜かった明(のちの菊乃)のことも救った男性です。どちらも煮え切らない優柔不断な男ではあるし、菊乃と愛人関係になったのもマズかったけれど、基本的には優しい男性のように思える。正弘のほうは、いちどは早梅と結婚できたわけだし、最後は菊乃と結ばれて終わるようなので、それなりに報われた感じですが、成吾のほうは、いっとき菊乃と愛人関係になったのみで、早梅とはいちども触れ合うことすらなく、最後はひとり取り残されて終わります。◇菊乃は、せっかくなら最愛の成吾と結ばれりゃいいのに、なぜ最後に正弘のほうへなびくように終わるのでしょうか?そして、なぜ早梅だけが、成吾も捨てて、正弘も捨てて、拾いものみたいな金持ち高校生と結ばれて終わるのでしょうか?結果的に見ると、2人の女子がそれぞれに別の男性と結ばれ、なぜだか成吾だけが一人取り残されるという不思議な結末。タイトルの「プロミス」って、なんの約束だったの?兄の約束を、弟が代わりに果たすってこと?兄をないがしろにして?◇たしかに早梅は、真っ直ぐで正義感の強い女性ですけど、彼女だけが独り勝ちするようなオチにはなかなか共感しにくい。なんらの「プロミス」も果たされた実感はない。たまたま金持ち高校生を拾ってラッキー!ってだけ…。見方を変えれば、幼少期に母親に捨てられた淋しい壱成くんを、年上の早梅が優しく受け止めた感じでもあるのだけど、それって、成吾や正弘が、早梅や菊乃を受け止めた慈悲心にも近いし、そもそも貧しい家庭に育って、ろくに家事も出来ないし教養もないバツイチ女が、2人の男性を捨てたり、老舗旅館の御曹司を選んだりできる分際なのか?ってのもある。◇原作はまだ完結していないらしいけど、わたしが思うに、原作のアウトラインだけを脚本家が借用した結果、いろんなところで整合性が崩れてしまったか、もしくは、細部の説明不足のために、かなり納得感の乏しい展開になった気がしてなりません。原作者としては、「とりあえずドラマ化してもらっただけでありがたい」ってな弱い立場かもしれませんが、本心のところでは、このような脚色に納得しきれていないのでは?◇…それはそうと、眞栄田郷敦は、最近の若手には珍しいインパクトの強い顔立ちでした。このタイミングで亡くなった千葉真一どころか、かつての三船敏郎みたいな目力の強さ。渡辺謙とか、阿部寛とか、そのあたりに連なる"大型俳優"の雰囲気があります。いっぽうの二階堂ふみは、ほぼ実年齢と変わらない役どころだったけど、こんな可愛くてキレイな既婚女なら、きっと男子高校生でも恋しちゃうでしょうね。…今回のドラマは、和モダンな旅館を舞台に、蛇女みたいな松井玲奈が人間関係を掻き回すという、いわばサスペンスタッチのラブコメだったので、日テレの「わたどう」とか「高嶺の花」にも通じるところがあった。上記2作よりは、まだしもマシな脚本だったかもしれませんが、なかなか大満足とまではいかないのが正直なところです。
2021.09.18
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CHEAT/チート 〜詐欺師の皆さん、ご注意ください〜2019年の日テレの隠れた名作。本放送のときは終盤しか見れなかったけど、Tverでようやく全話視聴できました。相当よく出来てるし、相当おもしろい。本来なら続編が作られるべき名作!◇詐欺師との騙しあいという内容なので、基本的なコンセプトとしては、フジの「コンフィデンスマン」に似てますが、たぶん、こちらのほうが通好み。コンフィデンスマンの場合は、もともと「スティング」を模範にしてて、享楽的な詐欺師側のお話を、おおむねハリウッドスタイルで描いてます。一方、こちらのチートは、全体が怪しげなアジアンテイストになっていて、詐欺の内容にもリアリティがあるし、脚本もかなり出来がよくて、映像もカッコいい。この点で、上杉柊平と福原遥がいい味だしてます。本田翼が演じる主人公は、詐欺師の娘で「サキ」という名前ですが、ちょっとスケバン刑事っぽい因果を感じさせる(笑)。風間俊介は、さしずめ「暗闇指令」ってところでしょうか。ちなみに、主題歌をももクロが歌ってるだけでなく、主人公自身が地下アイドルという謎設定なのですが、そのあたりのオタネタも楽しいし、…なんといっても!金子大地が演じる「カモっち」が最高に可愛い続編があったらいいのにねぇ。
2022.01.03
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