文化を紡ぐ 無形文化財 0
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西洋:石の家 日本:木と紙と草の家 0
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…昨日、久方ぶりにブログ復活したものの、、、筆が進まない、、、昨日、復活していきなり休みってのもなぁ(^^;今日は、えーと、2月14日、、、2月14日、、、本日、2月14日と言えば、、、そうやんか! バレンタインデーやんかぁ。バレンタインデーといえば、我々男子にとっては、居ても立ってもいられない日。私も御年38歳を迎えますが、並々ならぬ期待感を持ってこの日を迎えるわけです。…思えば、物心ついたころから数えても二十ウン年、この日の成績は3勝25敗といったところでしょうか。クスン。。。さて、ここからが本題。バレンタインデーという催し物、日本では「チョコレート」という俗世間の商品に姿を変えて贈り贈られあう習わしなのですが、ヨーロッパでは「愛」を確かめ合う日とされているんですって。バレンタインデーに限らず、人に好かれたいという気持ちは古くから普遍の心理として人々の心の中に息づいているもので、いかに振舞えば人から好かれるかというのは、人類の永遠のテーマでもあるのでしょう。なおさら、サービス業、接客業というものは「お客さんに好かれてナンボ」の商売ですので、お客さまに好意を持たれるスタッフ、お店であるコトが非常に望ましいのです。では、他人に好かれるようになるにはどーすればいいのか?となるのですが、これは人間も、さらには根本的に動物でも同じで、「力」のあるヤツが好意を持たれやすいということです。「力」と言っても、複雑な人間社会、それは様々です。精神力、行動力、技術力、知識力、長州力、などなど。料理にうるさいお客様にも好かれるために、技術力を磨き、お酒に詳しいお客様に好かれるために知識力を蓄える。それが、次には人に喜びを与えられる「力」となるのではないでしょうか。いろんな「~力」をひっくるめて「魅力」というひとつの言葉で表せます。お客様から好かれる人が、やっぱり「魅力あるサーヴィスマン」なんですよね。…というわけで、今日も私は「文章力」を磨くことに励もうと思っています。 乱筆乱文お許し下さいませ m(_ _)m
Feb 14, 2008
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さて、先日の「海の幸のコースフェア」の際の事。 当日はコースのメニューとして特別料理が設定されていました。 あらかじめ料理の内容が決定していますので、料理と相性の良いワインをソムリエ一同でチョイスします。料理とともにワインとの「マリアージュ」を体験していただこうと言うのが狙いです。 ワインはテーマが「海の幸」ということもあって、白ワイン3本とプラス1本の計4本です。このワインそれぞれはボトル単位での販売はもちろんですが、普段は提供していないグラスでの販売もします。 さて、3本「プラス1本」と紹介しましたが、実は4本目の「プラス1本」はおすすめワインリストには記載しませんでした。口頭での販売のみです。 料理を始められるお客様に、本日のおすすめワインをご紹介しました。 ワインは3種類、それぞれグラス販売なら一杯、1400円、1800円、2000円とあります。 お客様がチョイスしていただき易いように、現物をテーブルまでお持ちして、ワインそのものをご覧いただきながら、味わいなどを説明して行きます。 が、テーブルにお持ちするのは4本のワイン。最後の1本が「プラス1本」のワインでした。「…で、実はこのワイン、お手元のワインリストには記載しておりませんが、こちらも今日の料理には非常に相性の良いものとしてご用意いたしました。ただし、『幻のワイン』と呼んでもよさそうなもので、なかなかグラスでお試しいただける機会は少ないと思うのですが、、、」 確かに「幻のワイン」かも知れません。名前を聞いたことのある人は多いと思うのですが、ソムリエ資格者でもなかなか口にする機会は少ないように思います。 ワインの味わいのテクスチャーそのものよりも、生産者の方が随分有名かも知れません。 昨今、「自然派ワイン」「ビオ・ワイン」として、有機栽培や無農薬に取り組む栽培者が人気ですが、その第一人者でもあり、また「バイオ・ダイナミクス」への取り組みにもカリスマ的な存在の方です。 この「バイオ・ダイナミクス(ビオディナミ)」において、この栽培者は少々極端で、月や惑星の動きを計りながら栽培や収穫を行い、また、畑にはそのパワーを吸収する目的から砕いた水晶を撒きます。また、プレパラートと呼ばれる特殊な有機物、例えば牛の角などを畑に埋めて、葡萄が潜在的に持つエネルギーを最大限に引き出そうとします。、、、さて、ここまでお話して、私はこのワインのセパージュ(ぶどう品種)もAOC(生産地域名)も、その年がいかなる気候条件の年であったのか、いわゆるヴィンテージについては一切説明してはいませんでした。 お客様が、人が、「美味しそうだ」と思ったり、興味のある「衝動」を呼び起こす要素は、必ずしもそのワインの「成分」やその年の「気候条件」などでは無いからです。最後に、私は、「…しかし、ちょっとお値段が張るんですよ。一杯3500円で販売させていただいてるんですが、、、」(ちなみに、金額の提示は税金・サービス料込みの価格です。)…さて、この1杯3,500円のワイン。お召し上がりいただけたのかどうか、、、その点は読者の皆様のご想像にお任せします。心理学風にいえば、人間の思考はあらかじめ提示された情報に、知らず知らず縛られることが多々あります。たとえばワインサービスにおいても、一口目をホストテイスティングしていただく場合、「このワインは×××といった良さがあります。」とコメントしながら注ぐと、明らかにその美点に注意を払っていただけます。 もちろんいざ提供する前に自身がテイスティングを行ってそのワインなりの美点を把握しておくことが大事なのですが、「あっさりしたワインです。」とか、「柑橘系の香りが感じられますね~。」と言った会話による情報に人は「思い込んで」しまう心理があるのです。 更に言えば、そのワインに対して十分な満足をしていただくにあたっては、お勧めするソムリエなりが、お客様に対しての好意を持たれているかどうかが大変重要なファクターと成り得ます。 サービスマンとして、好感を持たれるような第一印象とは、、、(続く、、、)
Aug 10, 2006
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心理学における用語で「熟知性の原則」と言うものがあるようです。 例えば、よくある社内恋愛がいい例で、頻繁に顔を合わせている相手とは恋に落ちやすいと言います。これは繰り返し会う人とは無意識のうちに好感度が高まっていくという感情から来るものです。 さて、レストラン・サーヴィスにおいてもこの「熟知性の原則」は大いに活用できそうです。例えばソムリエがワインをお勧めしたい、と考えるならまずお客様が席に着かれた際にアペリティフ(食前酒)を伺いにいく。よしんばアペリティフが出なかったとしても、長い時間をかけて「交渉」を行うことよりも、同じスタッフが回数を重ねて接客にあたる方が、この原則を用いるならば、後々にお客様の信頼を得る率は高くなるといえます。 また、心理学という学問からの見地から、・一度誰かからの頼みごとを断ると、次にお願いをされた時は気が引けて受け入れてしまう。・小さなお願いごとを一度受け入れると、次に頼まれた時にもその依頼を受け入れてしまう。という心理が働くそうです。 この2点、前者を「ローボール・テクニック」と言い、後者を「フット・イン・ザ・ドア テクニック」と名付けられているそうで、多くの企業の営業テクニックには知らず知らずに用いられています。が、ちょっとお客様には大きな声では言えませんので、また詳しくはあらためてお話したいと思います。 さて、ソムリエの方々、またソムリエで無くてもレストランサーヴィスの方々がワインやおすすめの料理を販売してアップセールを図る時にも「心理学」的な要素は様々に応用できます。 例えば、自分が売りたいワイン(もちろん料理との兼ね合いもよく、自らもお値打ちと感じる商品であることが大前提なのですが。)があるとします。 仮に「どのワインがおすすめですか?」とお客様に質問されて、すぐさま「こちらなどいかがでしょう、、、」と1種類だけの商品を答えたとします。すると、お客様にとってはその商品、ワインに対する判断は「いい」か「悪い」かの判断をするかだけになってしまいます。 しかし、候補が複数存在するならば、どれが良いか選択するという判断が生じることになります。いくつかを比較しているうちに自らがお薦めしたい本命のワインに対してのメリット、デメリットが浮き彫りにされて自ずとそちらに傾くということもあります。 選択肢は多すぎても、お客様にとってはストレスとなりがちです。よく失敗しがちなのが、「どれが美味しいの?」と尋ねられて。「ウチのお店はどれもおすすめです。」というような受け答えをしてしまうケース。 この場合には例えいづれの商品も良いものであっても、お客様のサポートにはなっていないからです。 再びワインを例にとって挙げるなら、A)非常に高価だが、味も抜群に美味しいもの B)予算も味わいも標準的なもの C)Bよりはややリーズナブルでも味わいはちょっとハズしたもの。 この場合、本命はBですが、AとCについても考慮せねばならないのは、「捨て駒」でありながら、もし仮にA、Cが選ばれても適当な着地点であることと、Bを引き立てるための要素を持ち合わせていなければならないことです。 様々な可能性を予見するには、サーヴィスマンとしての経験と、深く考慮する姿勢が必要です。しかし、この「具体的に選択できる。」ということがお客様にとってサーヴィスと成り得ます。 以上のような観点から、レストラン・サーヴィスにおいて、1)アペリティフに始まり、お客様にこまめに接することは続いての眼に見えない信頼関係に繋がること。2)例えば、ワインリストに回転率の悪いワインがあったとしても、お薦めしたい商品の有効な「捨て駒」に成りうること。などが考察できるのではないでしょうか?…みなさんのお店ではいかがですか?
May 19, 2006
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レストランに勤めていると、お客様から料理を誉めて頂くことももちろんあります。また、おすすめしたワインなどが口に合って喜ばれる時もあります。「あっさりしてて、美味しかったわ~」「さっぱりしてて、美味しいわね」 はて!? ご提供した料理は必ずしも「あっさり・さっぱり」したものではありませんでした。それに合わせたワインも決して薄味のワインじゃ無くて、結構コクのあるもの、、、 そもそもフランス料理においては、だしの取り方に始まって、様々な調理法も「抽出と濃縮」に重きをおいている面があります。良い食材と言われるものは、得てして他の同じ食材と比較して濃いものですし、昨今のワインも「美味しい」と評価されるものは主張のはっきりした濃度を備えています。 ひとつの味に慣れて来ると、さらなる刺激を求めようとしますので、「美味しい」と言われれば言われるものほど、その味は濃くなっていくケースが多いのです。 しかし、よくよく考えてみると気付くのですが、日本語でいう「あっさり・さっぱり」は後に続く「おいしい」を強調するための修飾的な意味合いで使われていることが多いのです。 美味しい→しっかり食べられる→食べられることができるのは、あっさりしてるからだ。という3段論法に辿り着くのではないでしょうか? これが、フランス語だったりすると、やはり食文化の違いでしっかりと味の乗った料理を指して、「上あごが大喜びするほど美味しかった!」と言うような言い回しがあるそうです。 では、そもそも「美味しい」とはどういうことか?私はとにかく「味のバランスが良い」ということだと考えています。 美味しい塩もあります。美味しい野菜もあります。美味しいと言われる水さえあります。 でも、肉や魚に調味をせずに食すことはありません。どんなに美味しくても、塩だけを料理とは言いません。 料理として人の手が加わった時にそれぞれがバランスを取り合いながら、「美しい形」を形成する所に、料理としての「美味しさ」が生まれて来るのです。 脂のうま味に対しては、良質の塩味を加えることによってバランスがとれます。塩味に対しては乳脂肪分の甘味がまろやかさを生み出します。 それがチャーミングであれ、ダイナミックであれ、いづれにしてもバランスが悪いと美味しくはなり得ないと言えます。 しばしばシェフやキッチンの料理人から「お客様が今日の料理についての感想を聞いて欲しい。」と、言われることがあります。 お客様はプロではありませんし、ソムリエや料理評論家のようなコメントが述べられるものではありませんし、そんな事を求めようとすれば本来の「レストランの楽しさ」から逸脱してしまいます。 サービスマンとして、例えお客様から「あっさりしてて…」と言われたとしても、適切なニュアンスを噛み砕いてシェフなりキュイジニエに伝える技量が必要なのです。 お客様の言われる、「あっさり・さっぱり」は非常に「バランス」がよくて美味しかったと同義語であると私は考えています。
Apr 26, 2006
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流行らないお店はやはり何かと悩みを抱えているものなのですが、流行っているお店もそれなりに悩みを抱えています。いづれにしても、そもそもレストランに限らず、商売というものは常態的に「問題」と「解決」の繰り返しであるのかも知れません。 さて、流行っているお店でも、困ってしまう懸案のいくつかに次のようなものもあります。・営業時間のオーダーストップギリギリでのご来店。・食事が終わってからも長時間退席しない。・スタッフを捕まえて長々と話が途切れない。・毎日来店されるので、メニュー構成が大変だ。・しょっちゅう満席で忙しい。などなど、、、 いづれの例も、お客様の来店を首を長くして待っているようなお店から見れば、到底うらやましい話なのですが、こういった欲求が働くのも人間の心理とも言えます。心理学の見地から「MMK理論」というものを引用してみようと思います。「MMK理論」のMMKとは、「モテて・モテて・こまる」の意で、頭文字を組み合わせたものです。 人間というものは、モテたい、つまり人から好意を寄せられたいと望みながら、また、モテすぎてしまう事を疎むといった性質を持ち合わせているのです。 考えてみて下さい。どなたか特定の異性を好きになった時に、その特定の人から好意を寄せられたいと思うのは当然の心理です。そのための努力もしますし、自分に磨きを掛けようともするものです。ある時は、たくましく振るまい、ある時は知性的に見せようとする。 ところが、自らが魅力的になった場合において、必ずしも「特定の人」だけが好意を寄せてくれるとは限りません。ちょうど一点で灯る光が強ければ強いほど、多の場所を照らすように、魅力的であればあるほど尚更、不特定多数の方々にも好かれてしまうものなのです。 テレビ番組に登場するアイドルたち。売り込みの仕方として、ターゲットはある程度絞るのでしょうが、それでもファンの方々はそれぞれ千差万別です。美人だけに好かれたい、お金持ちだけに好かれたい、というのはどだい無理な話で、好意を寄せている側から見れば、「好きなんだからしょうがないじゃん」という至極あたりまえの理屈があります。 嫌われるべく、常に青バナを垂らしながら仕事に当たったり、また、今は無きツッパリのようなソリコミを額に入れたりすれば、不特定多数は好意どころか嫌悪さえもよおすかもしれませんが、同じくして好意を持って欲しい「特定の人」にも嫌われるリスクが多分にあるのです。 「モテてモテて困る」 と 「誰からもモテなくて困る」の、二者択一を迫られた時、多くの人々は前者を選びます。これが、私が勝手に考えた、「MMK理論」なのです。
Mar 1, 2006
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サービスの業務に関する「練習問題」です。問題; お食事を済まされたお客様。いざ、お帰りになろうとしたお客様が誤って、卓上のグラスを倒し、破損させてしまいました。お客様は大変恐縮され破損したグラスの代金を支払うとおっしゃられています。さて、このような場合、お客様からグラスのお代金は頂くものでしょうか?頂くとすればそれはいくらくらいに設定すれば良いのでしょう?皆さんならどう答えられますか? さて、上記の設問は、実は私があるところでサービスの講習を行った際に参加者の方から提起された質問でした。実際にはかなり具体的な内容でしたので、質問をされた本人の方が実際に経験されたことでは無かったのでしょうか。 その時は…私は失礼ながら満足な答えを出来ませんでした。帰り際?お食事代は支払われるし?グラスの代金?べらぼうに高価なものでもありません。「やはりお客様ですから、お代金は頂けませんよね、、、モゴモゴ、、、」というような調子でその場の解答はどうにかやり過ごしたのですが、どうも後味が悪い。 後々に渡っていろいろな方から意見を伺いました。先輩のひとり、仮に名前をムッシュ・アナナとしておきますが、この方の解答はなるほどなぁ、と思わせるものでした。 「まず、お客様が割れたグラスで怪我をされたりしていないか確認する。またお召し物に汚れが着いていないかも確認する。そしてできるだけ何事も無かったかのようにお勘定を済ませて頂き、またのご来店を心から望みながらお見送りしましょう。」 と、いうこと、、、、???答えになっていないように思います。 質問は「お客様からグラスの代金を頂くのかどうか」ということではなかったのでしょうか。 ところが、、、接客業とはお客さまが100人いれば100通りの方法があるともいわれます。「問題」そのものが常に正しいとは限りません。「人生いろいろ。会社もいろいろ。お客さんもいろいろ。by小泉純一郎」 質問された方も含めて、我々サーヴィスマンが本当に導き出したい答えは「それでもいかにお客様に満足頂いて、このお客様がリピーターとなるか」です。レストランも商売ですから、お客様が満足していた上で、お店にも利益が戻るようにする事、が目的です。あくまでも「お客様の満足」が条件としては先に来るのですが。 「レストランは味であれ、サービスであれ気分がよくなる場所を提供するために存在します。グラスが割れたのはお客様の過失であったとしても、一刻も早く忘れていただいて、それまでの充分満足した気分に浸って頂きましょう。 グラスそのものの代金というのは、本来、消耗や破損も踏まえて料理やワインの値段に含まれています。料理・ドリンクの値段がいくらいくらあるうちの何パーセントかは将来的に破損するであろうグラス、食器の分も含まれているのです。そのため、たまたま誤って倒したのがそのお客さまであるだけで、一個人のお客様にお代金を請求するということはするべきでは無いと考えられます。 それよりも先にお客様の安全を気遣う必要があります。「怪我をされていませんか?」「お召しものは汚れていませんか?」お客様に少々オーバーアクションととらえられるくらいの方が、割れたグラスの事から気を逸らされます。もし、怪我をされていたり、衣服に汚れが着いたようなときは逆にこちらから怪我の治療費やクリーニング代を負担させていただく事を申し出てもよいかもしれません。ひとつの「セールストーク」としての心づもりでも構いません。お客様が万が一受け取られたとしてもそれは将来への「投資」ととらえるべきです。 また、こういったケースの場合、お客様にもともと悪意がない限りは、ほとんどのお客様は受け取られることはありません。ここに「サービスをセールスする」瞬間があるということです。 さて、お客様が謝られたりしたとしても、いつまでも謝りの言葉を発して頂くのもいけません。 謝られたり謝ったりした人間関係は後々まで心に引っかかるものです、この気持ちを持ったまま退店して頂いては、次回のご来店の際に「申し分けないことをしたから顔を出さねば。」あるいは「悪いことしたから、利用しにくいなぁ」とネガティブな来店動機になってしまいます。 極力、その場では早く忘れていただいて、グラスが倒れる前の満足感を思いだしていただく。そうすることによって次回の来店の動機が「美味しかったから」「サービスがよかったから」という方向へ転換できるのです。」 ネガティブな部分をポジティブに転化させる。で、本来の目的を達する。これはいわゆるレトリック(詭弁)です。 しかし、レトリックを上手に使うこともサーヴィスのテクニックなのです。
Nov 4, 2005
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←号外です!阪神優勝です!私も関西人として阪神の優勝は外せませんっ! 阪神のセ・リーグ優勝も決まったところで、今日は「メニュー」についてお話したいと思いました。 さて、お客様が着席されると我々は、メニュー、あるいはワインリストを手渡します。 メニューを開いて、、、さて、お客様の視線はどのように動くのでしょうか? 見開きのページがあったとします。視線は順に、右上→右下→左上→左下→中心から全体へ、というふうに90度回転させたZ形の動きをするそうです。 ですから、そのお店の第一印象を決定してしまうのが、右ページ上部に配置されたメニューあるいは金額そのものと言えるでしょう。 つまり最初にメニューを開いた時に目に入る右上部に「リーズナブルなお店」を印象付けたいのであればお手軽なコースと金額を、強気で「高級店」の印象を与えたいのであれば最も高い金額のコースを配置するのが効果的です。 また、値段はさておき料理をそれぞれじっくり比較してコースを選んで頂くつもりならば、縦に並列にコースメニューを配置して、一番下段に金額をもってくるのが適当と思われます。 さらに、右側のページは感覚的に捕らえ、左ページは論理的に捕らえる傾向があります。これは右脳、左脳の働きといった研究も進んでいるのですが、こういった「脳」の役割分担のいわれに関連していることが考えられます。 このため、金額と組み合わせの感覚が問われるコースメニューは右ページに。じっくりと考慮する必要のある、カルトメニュー、プリフィクスメニューは左ページに配置されるのが望ましいのです。 様々なお店のスタイルがありますので、メニューも様々なのは当たり前なのですが、視覚的に捕らえて印象に残る「メニュー」というのはみなさんも記憶にあるのではないでしょうか。
Sep 29, 2005
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新約聖書の中に「クロノス」と「カイロス」という言葉が出てきます。 解釈に多少の意訳はあるかも知れませんが、時計で測れる物理的な時間を「クロノス」、一瞬の出来事が非常に長く感じられたり、楽しい時があっという間に過ぎてしまったりといった、心理的時間を「カイロス」と呼びます。 レストランを考える時、事業計画や店鋪の回転率を考える場合は、この「クロノス」で考えますが、実際に現場のレストランでは「カイロス」の方が重要になってきます。 フランス料理などはもともと時間のかかるものかも知れませんが、1時間で食事を終えても「ずいぶん、長いこと時間が掛かったなぁ」と、不快な感覚を受けることもあるでしょう。しかし、4時間、5時間をレストランで過ごしても、「あら、もうこんな時間!すっかり時間を忘れちゃってた。」というような経験を得ることもあります。 多くのレストランで、特に関西人はせっかちな傾向が強いですから、料理と料理の提供する間隔が開くのを不快に感じるお客様もいらっしゃいます。。しかし、それは何分かかったかではなくて、配慮が足りないために「随分待った」と感じさせてしまったことに原因があるとも言えるのです。「少々お待ち下さい。」の「少々」あるいは、「しばらく…」などは個々の人のとらえかたによって異なってきます。そのため、ファストフードなどは、提供に時間がかかるような場合、「~分程かかりますが、宜しいでしょうか?」とお客様に具体的な時間を示して判断をゆだねます。また、私達が料理を提供する時に、「お待たせしました」と判で押したように言いがちですが、お客様は本当に待っていたのでしょうか? 時間とは時計で測れるものばかりでは無いといえます。そのため、様々に存在する時間の感覚に対処できるようにサーヴィスマンはたくさんの引き出しを持つ必要があります。
Sep 20, 2005
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昨日は携帯電話をうるさく感じる訳をお話したのですが、この他にもレストランで不快に感じてしまう物音に「お皿をナイフで引っ掻いてしまう音」ってありますよね。みなさんわざとそうしている訳では無いのですが、レストランで使用される磁気は非常に固いものですから、ナイフでソースを集めようとしたりすると、キィキィと高い音が響きます。 この「高い音」よくにた音に黒板を爪で引っ掻くという音も、例に挙げられます。 このそれぞれの音がなぜ不快に感じるを研究した学者ががいました。その結果、この音は実に人間の9割以上が非常に「嫌な」音として感じる事が統計を取ると現れるそうです。 この音の響きを研究した結果、非常に興味深い事が推測できました。 驚くべきことに、この音はある猿の一種が危険を察知した時に、危険を仲間に伝達するために発する声と音階などがほぼ一致するそうです。という事は、人間がまだ人間で無かったころの記憶が本能の中に潜んでいて、この音に対して不快感を持って反応するという事が研究チームの推測でした。 少年の頃によく教室の黒板を爪で引っ掻いてイタズラをしました。お皿をナイフで引っ掻いてしまい、他人に不快な音を聞かせてしまうのも、ある意味マナーに反する事かも知れません。そのためもあってか、ナイフは皿上ではお料理を切る時だけ縦方向のみに使用することが勧められています。
Sep 3, 2005
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最近ではレストランのホールでは携帯電話を遠慮して頂くことはマナーのひとつとなりました。お客様の側も電話が鳴ると慌てて席を立ち、戸外でお話されている事も良く見かける光景です。 電車に乗ると必ず、「心臓ペースメーカー装着のお客様のために携帯電話をお切り下さい。」とのアナウンスが流れます。実を言うとこれは詭弁ともとれます。本来の理由は他の所にあるのですが、携帯電話で会話する事を辞めて頂くための理由が理解しにくいことと、長ったらしくなるので言わないだけなのです。 携帯電話が爆発的に普及した当時、電車の車内や、我々の身近な所ではホテルのロビーなどでトラブルが絶えませんでした。携帯電話で話す声がうるさいのです。と、いうより何かとうるさく感じてしまうのです。 でも、車内でもロビーでも話し声は溢れていますし、電車の車内は轍の音も結構な音量のはずです。 なぜ携帯だけがうるさく感じるのでしょう? それは、会話が一方通行であるからです。会話は受け手と発し手が取り交わすものですが、一方的に発せられた言葉は自分に向けられているような気がして無意識に注意します。「エッ?なになに…ふーん…それで…」 こういった話し声が自分とは無関係である事が、だんだんストレスとして感じられ不快になるのです。レストランのサーヴィス・スタッフもお客様と会話をします。しかし、サーヴィス・スタッフの側が一方的にしゃべったり、また、お客様の会話に適切な相槌を打てなかったりと、言葉のキャッチボールでない会話は他のお客様にとって迷惑になる可能性があります。注意を払わねばならない行いかも知れません。
Sep 2, 2005
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夏の京都で鴨川の橋の上に立ち、夕刻川べりを眺めていると、何組ものアベックがきれいに等間隔に並んで座っているのを目にすることが出来ます。また、空いている電車のなかでベンチシートに座る時、自然に人は間隔を空けようとします。近年では7人がけの椅子に6人しか座れなくなってしまうことを各鉄道会社も嫌い、丁寧に中央には1人分の座席に色違いのスペースを設け対策を講じているようです。 野性の動物、例えばサバンナのライオンとか、距離を保って遠目に観察しているうちはそんなにこちらを意識しないものです。無視できる空間の距離です。少し近づいてみるとどうでしょう、ほとんどの動物は逃げるという行為で、気にならない空間まで移動しようとします。さらにもっと近づいてみると、自分の身を守る為に攻撃してこようとします。では、さらに距離を縮めてみるとどうでしょう、安心できることが分かると初めて親愛の姿勢を見せるそうです。 実は人間も動物の一種ですから、おなじような「パーソナルスペース」確保しようとするのです。お客様へのアプローチに関しても同様の順序で距離感は縮まっていくと言っても間違いではありません。 もちろん、眼の向いている前方と後ろ方向では違いがでるのですが、このパーソナルスペースを物理的な距離で測ると、大体気にならない、無視できる距離と言うのは身長の約3倍近く。意識して避けようとしだすのがほぼ身長と同じくらいの距離、攻撃的な姿勢になるのが片手を伸ばした長さ、そして親密な者にはそれ以下の距離でも心を許すといいます。なんとなく心当たりがありませんか?電車の長椅子、鴨川の川べり、レストランの客席も意識して配置しないと他のお客様が気になって仕方なくなりますよね。「無視」の距離、「逃避」の距離、「攻撃」距離と、「親愛」距離。多分、心理学用語ではもっとちゃんとした言葉が有るのでしょうが、分かりやすくするため私が勝手に決めました。 物理的な距離感だけで無く、心理的にもこの距離感は存在します。心理的な距離感を知る事はレストランサーヴィスにおいても有効です。 まず、「無視」の距離感。例えば食後のおしゃべりに華が咲いている時。あるいは恋人どうしで来店されてムードが盛り上がっている時。お会計など何かあったらいけませんからホールに誰か存在する必要はありますが、気にならない距離を保たねばなりません。 「逃避」距離。お客様が高級店、フランス料理店と名の付く所に足を運ぶ時、何となく敷居が高く感じられる気がすることがままあります。心理的な距離感が「逃避」の位置にあるからです。また、サーヴィスマンの雰囲気、店内のしつらえなども「逃避」の距離感を持つ要素になる事もあります。 「攻撃」の距離。心根の優しいサーヴィスマンなのに何となくお客様のウケが悪い。と、いう場合。よくありがちな話です。人間というより動物の心理の中にそういった距離・空間がある事を認識してもう一歩踏み込んだサーヴィスができれば、お客様に与える印象が変わるはずです。 「親愛」の距離間。評判のよいサーヴィスマン、接客とはこのお客様の懐への入り方が上手なのだとも言えます。親愛のゾーンの手前には、攻撃のゾーンがありますのでいかにこの距離を上手くくぐり抜けるかが技術と言えます。それぞれの距離間における具体的な対応についてはまたいづれ紹介しようとも思いますが、私はこの理論を、「だるまさんがころんだ理論」と名付けようと思います。「お前ぇ!関西人やから『坊さんが屁をこいた』とちゃうんかい!」と指摘される向きもあるでしょうが、またまた私が勝手に決めたからいいのです。 誰もが幼少の頃に一度は遊んだ事があると思います。鬼になってしまった方のドキドキ感。我々は俊足と駆け引きを駆使して近付いてきます。上手に近付いて、その背にタッチできれば我々の勝ちなのです。 我々サーヴィスマンは、もっと「サーヴィス」を楽しまねばなりません。我々が楽しく無いのに、お客様は楽しませられないのです。
Aug 5, 2005
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はっきり言いますが、メートル・ド・テルに限らず、ソムリエなどフランス料理店のサーヴィスマンは結構モテます。もちろん接客業として他人に好感をもたれるように振る舞う事こそ、サーヴィスマンとはその値うちがあるというものではありますが、実はその他にも心理的な要因が働くこともあるのです。 そもそもフランス料理店というのは緊張を伴う場所でもあります。 飲食業の他の業態に比較してみても緊張感の度合いが高いことも、あえて豪華ななしつらえが施され敷居が高く感じられるように作られているような場所もあります。しょっちゅう足を運ぶようなことも無い未知の空間に対しての不安感でもあるでしょうし、フランス料理店の雰囲気に慣れないという要素もあります。 高級フランス料理店に足を運び、緊張した心理の時にメートル・ド・テル、ソムリエなどのサーヴィスマンに迎えられ、彼等のいでたちも黒のタキシードに蝶ネクタイといった非日常的なものだったりします。もちろん、本来ハレの場とはそこそこ緊張感を伴うものですから、それを楽しみにドレスアップして来店されるお客様もいらっしゃるのも確かだといえます。 で、人間、どういう形であれ緊張を覚えると心拍数が上がりドキドキします。この体の反応というのは怒り、驚き、あるいは恋愛の過程においても同様に見られます。ということは感情の要因は様々であっても、身体が示す反応は非常に良く似ていて、このとき状況を脳で判断して、なぜ興奮しているのかを理由付けするのだそうです。そのため人間は心理学的に見るとドキドキする緊張感を感じた時、傍にいる人に好意を覚えてしまう、というようなすりかえを行うことがままあるそうです。 映画「タイタニック」で見られるヒロインのように、豪華客船での船旅で、全く違った世界に住む男性と出会い、ましてやその船が沈んでしまうといった緊張感溢れるアクシデントが無かったのなら、あれほど激しい恋に落ちることは無かったと言えるかもしれません。 つまり他の理由であれ、気持ちの高ぶった状態の方に接するとそれは自らが好意があるからだと、脳が錯覚しようとするのです。こういった様子を心理学では「情動二要因理論」と言うのだそうで、これがサーヴィスマンがモテると言い切った秘密であると言えます。 もともとレストラン、特に高級フランス料理店と呼ばれる場所は気持ちが高ぶるようにシチュエーションが設定されていますので、好意を持った時の心の針の振れ方は大きいのです。だから、恋人同士はレストランを利用しますし、我々サーヴィスマンが注意せねばならないのは、逆に不快な印象を与えるとそのマイナス面も大きいのです。
Jul 21, 2005
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本日発売の朝日新聞社刊の週刊誌「アエラ」に「赤いユニフォームだと勝つ」という記事が載っていた。何でも英国の大学のリポートによると、ボクシング、テコンドー、レスリング・グレコローマンとフリースタイルの4競技において、赤と青の競技服を身に付けて競技に望むと、4競技共に赤の勝つ傾向が強いことが統計によって明らかになったという。 日本の研究者が言うには、赤い色というのはそれを見ているだけで心拍数が上がり闘争心に繋がる。その闘争心が相手に伝わって相手がひるんだ結果、「赤いユニフォームだと勝つ」という伝説が生まれたのではないかと。 そういえばスペインの闘牛も、闘牛士のもつケープは赤い。牛やその他の動物のほとんどはは色を見分けるの感覚が無いので牛を興奮させるというよりも、観客があおられて興奮する度合いが高くなるというものだ。 対して日本代表サッカーのユニフォームは青。青色でも比較的深く濃い色合いで、西洋でいうロイヤルブルーに近い、「藍色」である。この色にも理由があって、「藍色」というのは日本人にとっては戦いに赴く時の色らしい。そういえば、剣道着は多くは藍染めである。心頭滅却を旨とする武士道の戦い方においては、闘争心より冷静さを重んじたということか。 人間は赤い色に対して興奮する。ハレの場としてのレストランでは、壁の色や床の絨毯の色などに赤を用いる事は多々ある。東京・銀座の高級フランス料理店の「マキシム・ド・パリ」においては、照明も白熱灯とキャンドルの灯りを用い、レストランのホールの全体的なトーンが赤色を基調として染まっている。 ひとつには女性が美しく見えるという効果があるらしい。メイクのときにチークに紅色をさすのも同じ効果があるのだが、人は感情が昂ぶると顔が紅潮する。レストランの席に着き、同伴した連れの女性の頬が健康的に赤く染まっていれば、彼女の心の昂ぶりを表していると受け取られるのかもしれない。 照明や、店内の色合いによってメイクをするのと同様の効果が得られるというのだ。 余談になるが、このマキシム・ド・パリ、B1のウェイティングスペースからからB2のメインダイニングへと店内に螺旋階段がもうけられているのだが、それに添って壁面は銅張りの鏡になっている。ただ、この鏡微妙にくすんでいるのだ。ピカピカに磨かないのかというと、実はこれはわざわざそうしてあるとの事で、女性ははっきり自分の姿が見えてしまうと、そこここが気になってしまう。そのため、やや曇らせておいてドレスアップした装いとジュエリーの雰囲気だけが映えるように計算されているからなのだ、と。 もうひとつ、レストランにとって全体が赤いトーンにまとまるのは別の効果が認められるところがある。それが、人間は赤い照明の下にいると時間を長く感じるという点だ。 レストランではお客様にゆったりした時間を過ごしていただけるよう、我々サーヴィスマンは心を砕く。一回の食事に3時間から4時間の時間を費やすこととなる。そこでゆっくりしたなぁ、という感覚を得ていただくには赤っぽい照明は効果的なのである。 「心理戦で絶対に負けない本」を参考にすると、人間は青い光より赤い光を見ているときのほうが時間を長く感じられるそうだ。例を挙げると街角の信号機の赤色の点灯は青色のそれよりも長く感じるということだ。 このことをレストランに応用するとなると、銀座マキシム・ド・パリに見られるような、赤いトーンの店内はそれだけで時間の流れを長く感じ、2時間いただけでも3時間いたように感じ、4時間過ごせば半日いたような気分になるはずだ。 照明と店内の色のトーンで心地よい空間を演出出来ることもある。 結果、お客様にゆっくりしたなぁ、随分長い時間をすごしたなぁ、との印象をあたえる効果が期待できる。 贅沢とはむやみにお金を使う事ばかりでは無くて、時間をたっぷり使えること、これもまた昨今では充分な贅沢ではないだろうか? 流れゆく時間を楽しむ空間を演出するのも我々サーヴィスマンの仕事でもある。そのためにこのような心理的な要素を少しかじっておこうと思う。
Jul 11, 2005
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