まきちゃん@全羅北道.扶安の日記。

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ホーバクの思い出・4


同年の2月から牛を飼い始めた。



今では健作さんが世話をしているが、そのときは私も牛小屋の掃除、餌やり等をしていた。
本当は絶対安静といわれていたから、やらない方が良かったのだが・・。



姑は私にじっとしているから駄目なんだと何度も言ってきた。
「じっとしているから元気が出ないんだ、少しは動きなさい」



つわりも相変わらず続いていた9月、4ヶ月に入った頃である。



何日か前、うしの出産があった。
予定日よりずい分早めに生まれたのと、母牛が子牛に乳をやらないせいで
私が哺乳瓶でミルクを飲ませることになった。



2~3時間おきに子牛にミルクを飲ませたり、
それより3ヶ月前に子牛を産んだ母牛の乳を飲ませるべく奮闘した。



子牛は他の母牛に蹴られたのが原因で、結局生後5日後に死んでしまった。



私は子牛の世話でぐったり疲れてしまった。
おなかの子供のことを考えると少しでも横になって休みたかった。



が、それを許容する姑ではない。
子牛の世話をした私を見て「もう動いても大丈夫なのだ」とでも思ったのか?
必要最低限の家事しかしない私を見て、嫌味を言ってきた。



近所の方が、牛にあげるようにさつま芋のつるを下さった。
それを姑は私に牛小屋まで運べと言ってきた。
さつま芋のつるってひとかたまりなのだ。
それを私に運べと言う。



姑は続けて言った。
「家族って紋は協力しなくちゃいけないんだ。
私だって腰が痛いがこうやって動いているじゃないか。妊娠は病気じゃないんだ。」



姑は私が切迫流産だと言うことを知っているはずなのに・・・。



これまで、何度も怒鳴られ怒られていたので、姑の言うことをきいた。
つるを持ち上げる時、下腹部に鈍い衝撃が走った。



その夜、私は夕飯を食べる気がしなかった。



そして、健作さんが夕飯を食べ終わると同時に車で20分程の日本人のお姉さんの家に向かった。
仲良くしてもらっているお姉さんで私が時々遊びに行っていた。



車の中で私は健作さんに昼の出来事を話した。



「どうしてお母さんの言うことを聞くんだ?」
健作さんが怒り出した。
「だって仕方が無いじゃない、怒るんだよ。お母さん。
 家事を協力しろとか何とか言って。」



「おなかの子供になんかあったらどうするんだ?」



健作さんの言葉を聞きながら、私は下腹部に違和感を覚えた。
何か、尿が漏れているような温かい物が噴き出しているような感じ。
頻尿にはまだ早い時期なんだけど・・・。



お姉さんの家に着いたとき私は先ずトイレを拝借することにした。
下着を下ろし、私は凍りついた。



尿が漏れたのでもなんでもない。
それは鮮血であった。

続きは コチラ


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