まきちゃん@全羅北道.扶安の日記。

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ホーバクの思い出・6


私はもう子供が駄目になったとばかり思っていたから、ほっとするやらびっくりするやら。

その後に病院長は健作さんを呼んだ。
「あまりに出血がひどくてもう子供は駄目だろうと思いソウハしなければと思い、
 どれだけ子宮に残っているか確認のため、エコーで見てみた。
 まだ子供が頑張っているので、ひとまず、最大限子供を生かす方向で頑張って生きたい」
と言うことであった。

そのまま入院となった。
入院手続きをしながら、子牛の世話で無理をしたことなどを告げた。
健作さんは病院の近くのお兄さんの家に行き、お義姉さんを連れてきた。
お義姉さんはとても驚いた様子で私に言った。
「お母さんが恐くて無理しちゃったんでしょ」
私は無言でうなづいた。

2~3日は病院で様子を見ることになった。
昼は病室に一人で過ごしたが、夜は健作さんが泊まってくれた。

その頃、うちの姑は健作さんの兄姉からこっぴどく怒られていたらしい。
「妊婦に無理をさせて、大変な事になるところだった。」と。

もうすぐ退院と言う時に、私は健作さんに退院したくないと訴えた。
「お母さんが恐い。私はまた働かせられる、子供を守ることが出来ないような気がして恐い」
と。
「俺がお母さんに言ってやるから」
と言ってくれて、’一応退院になった。
病院長が言うには一ヶ月は絶対安静とのことだった。

「一ヵ月後の秋夕(韓国のお盆)が終わるまでは安静に。盆の連休明けに病院に来て」
と言われて退院した。

そして家では、前よりも恐くなった姑が待ち構えていた。
退院して初めのうちは優しかった。
だが、あんな目にあって、私が姑にいい顔できるわけが無い。
私もつっけんどんに接していたので姑の怒りを更に買ったのだろう。

一応姑はキムチと豚肉と豆腐のお汁を作って食べさせてくれた。
(これは本筋からそれるけれど、このお汁に一度、蜘蛛が入っていた時があった。
 うちの姑視力悪いからね。)

半月ほどたったときから姑の機嫌が悪くなってきた。
もう動いてもいいのだろうというのである。
健作さんが盾になってくれたが、姑の怒りは収まらない。
私が入院したせいで、健作さんの兄姉たちにとがめられたのが悔しいと言うのだ。
健作さんがいないときに何度も言われた。
「お前のせいで、娘息子に怒られたんだ」と。悪態もいっぱいついてきた。

何とかお盆までは安静にしていた。
お盆のとき、皆がこの家に集まった時、男衆が墓参りでいなかった時
姑は怒りをぶちまけた。
「私だって腰が痛いのに~こんな嫁のために私が苦労するんだ~
 安静だなんて言い訳だ!ただの怠け者だ!今日だって家族が来たのに動こうともしない!」
姑は男衆(健作さんと兄弟たち)がいないところで騒いだ。
いるところで騒いだら、またとがめられるから。

お盆明けに病院に行き、病院長に「大体回復した、普段の生活に戻ってよい」と言われた。

続きは コチラ


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