マッキー(末期)の 彷徨は何処へ・・・

マッキー(末期)の 彷徨は何処へ・・・

2004年07月31日


 2004年07月31日

 (状況)
 (1)普段の生活で言う「気力」はでないが
     入院生活での「気力」はでてきている
 (2)止血ガーゼを抜いて以降、注意深く行動している
     (なるべく、力を入れない、頭を下にしない)
    おかげで出血は最小限で済んでいる
 (3)昨日MRI実施
     (先日のCTと合わせて本日説明を受ける予定)


 [夜明け前、談話室]

 自分の中で何かが変わっていく。
 まるで3年前に戻っていく様だ。

  病気や、入院生活はストレスと絶望を運んでくる。
  でも、色々なイヤな事が続くその後に、
  平穏な世界が待っている。

 昨日、家族と話し合った。
 (火曜日に帰り、昨日金曜に再びお見舞いにやって来た)
 これからの事・・・
 「秋になったら、お遍路さんに出たい・・・」
 わがままだと一蹴。そして笑い。
 「春になったら、万代池公園の桜を観たい・・・」
 これには、ちょっとしんみりしたかな。

  今を盛りと咲き誇る桜より、
  潔くいっせいに散る桜は美しい。

 来春の桜・・・
 観れるといいな。

 何度かの入院で、死に逝く人を知る。
 談話室で語っていた人が口数少なくなり、
 やがて個室に転室し、
 数日後、あっけなく逝った人。
 痛みに顔を歪め、
 スパゲッティの様にチューブにつながれ、
 苦しみの中で逝った友。
 人の死は不思議なもの・・・
 とても元気な人が逝き、
 何度も死を乗り越える人もいる。


 死の宣告は実感がない。
 「あなたはもう死に逝く事が確定しています」
  (こんな表現はさすがにDrも使わない)
 って言われても
 「あと1年です」「あと半年です」
 って言われても、
 なんだかドラマを観ているみたい。

 でも、
 自分のゴールを示される事によって、
 新しい世界が開ける事がある。

 ぼくの生きてきた中で、一番輝いた季節。
 それは、
 高校生活でなくて、仕事で成功した時でなくて、
 自分の余命を生きる時。

  余命宣告から病変消失までの9ヶ月間、
  ぼくは一番輝いた(と思う)。
  病変消失からのぼくは、ただの男に過ぎなかった。

  今日、検査結果の説明日。
  家族も同席を求められている。
  結果は分かっているけれど、はっきり言ってほしい。
  ゴールまでの日々を示してほしい。

 まだ、平穏な世界はひらけていない。
 でも、心に変化が起きている。
 扉の前に立っている感じだ。

 あの時の様に昇華出来るといいな。

 夜が明けた。


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