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生きていたら、自分の思い道理にならないことに出くわすこともある。だって、色々な価値観の人たちが同じ土俵(地球)で生活しているのだもの。そして、人間は社会の中で生きているのだもの。 思い道理に行かないから難儀だと思えば事はますます難儀になる。 自分の価値観を無理やり押し通そうとすれば、物事は困難になる。 困難になれば、苦難を乗り越えなければいけないと自分の人生を恨んでしまい動けなくなる人もいるかもしれない。だけど、"へえ、そんな価値観もあるんだ"と思うことが出来たら そこから歩み寄ることも出来る。そして、なぜ相手がそんな価値観を持つようになったのか思いをはせることが出来れば、相手を理解することもできるだろう。 相手を理解出来たら、自分の周りの出来事が変わる可能性は大。だいたい物事が思い道理に行かなくても、どう感じるかは自分で決められる。どう解決していくかも自分で決められる。でもね、そんなことより一番大切なのは、 「思い道理にならないことを経験するからこそ思い道理にことが進むとわたしたちは喜びを感じるようになる」ことだと私は思う。難が有るから、わたしたちは学ぶ。 有難い。ありがとう。
2014.11.21
人は忙しすぎると、自分とのコミュニケーションの時間が少なくなります。自分がどんな思考回路を持っているか、その結果どんな感情を得ることが多いのか、そして、どんなパターンにはまっていつも行動しているのか、そういうことに気が付く時間がないのです。特に、最近では人とコミュニケーションを持つ時間も少なくなり自分は誰かということがわからなくなった人も多くいます。戦後、人との関わりを持つ人は確実に減っています。物質を追い求めることによって家庭の団欒は減りITの発達で面と向かって人と会うことも少なくなりました。それによって、病気の数も増えてきたという因果関係を見逃すことも出来ません。コミュニケーションは、生死にも関係しているのです。自分も幸せになって、周りの人も幸せにしたい人のために来てね詳しい説明
2014.10.16
自分のことを自分で大好きだと思えないのに、人には大好きになってもらいたくて、ちょっとでも愛想なくされたら怒ったり、愚痴るのはちょっとおかしいと思わない? それって、自分が猫を嫌いなのに、相手が猫が嫌いだと怒るみたいな感じじゃない?
2014.09.20
人に嘘をついてはいけないと学校で教えられたはずなのに、多くの人は好もうが好まざるが嘘をつく。そして一番嘘をついている相手は実は自分自身。厄介なのは、自分でそれに気が付いていないこと。自分の心に本当の意味で正直であれば、毎日幸せなはず。少しでも苦しみや痛みを感じていたら、自分の心に嘘をついているのでは?と思い直して相手を否定したり自分を正当化しないで自分の反応を観察し、なぜそういう反応をするのか考えてみるのが、痛みを取り除く第一歩。
2014.09.17
「幸せになりたい!」ってみんな言うけれど、自分にとって本当の幸せって何だか考えたことあるのかな?お金があれば幸せって言う人もいるけれど、お金はただのエネルギー、ツールにしかすぎなくて、あれば便利だけれど、本当の幸せにはなれないこともあるよ。学歴があれば幸せっていう人もいるけれど、学歴があっても、自殺してしまう人がいるのはどうして?親が欲しいものを与えてくれたら幸せっていう人もいるけれど、なんでも欲しいものが手に入る子供たちが大人になって、一人ぼっちで寂しい思いをすることがあるのはなぜ?好き勝手出来ることが幸せという人もいるけれど、好き勝手しているうちに、友達がいなくなって自己嫌悪になる人がいるのはどういう理由?多くの人が不幸の理由を述べてくれるけれど、一度、幸せとは何か考えてみるのもいいかもね。ちなみに私にとっての幸せは心の平和。
2014.09.16
先日、友人がビーチに連れていってくれるというので、お弁当を作って、海に行ってきた。ビーチに座って長い間会っていなかった時間を埋めたあと、ふと気が付くと、シャツから外に出ている腕が焼けていた。ものすごく晴れていたわけではないのに、紫外線は結構きつかったのだとやけに納得して帰ってきてからもう3日。その日は何ともなかったのに、体が痒い今夜です。明日からちょっと家から離れます。しばしブログはお休みします。
2014.08.28
思いどおりに行かなくて、泣きたくなちゃう。生きていれば、どうしていいかわからなくなることはあると思う。一生懸命生きているんだもん。そんな気持ちになる時だってあるよね。知識はいっぱいあるけれど、それでも、うまくいかない。保育園の先生が、自分の子供は上手に育てられない、、そんな感じ。物事はたいてい期待どうりには進まない。だから、世の中悩む人が減らない。まあ、どういうことで悩んでいるとしても、答えが欲しければ経験者に聞くのが一番早い。インターネット上に色々な情報はたくさんあるけれど、それでも、経験者に聞くのが一番効率的だよ。なぜ?それは情報には感情がないから。そして、人間は感情の動物だから。経験なき知識はただの情報である。マークトゥィン情報だけでは、知恵にはならないんだよなぁ。
2014.08.27
人生は幸せになるためにある。どうしてみんな悩みをたくさん抱えているのか考えてみたことあるのかなぁ?どうせ悩むなら、どうやったらもっと楽しい時間を持てるかって悩んだほうがいい。どうして、こんなに悩むんだろう?と悩んだら、脳みそは一生懸命悩む理由を探すから出てくる答えは、あまりろくなもんじゃない。
2014.08.25
意識と潜在意識は、よく氷山にたとえられている。上に出ているのが意識で、下の見えないところが潜在意識なんだって。ようするに、潜在意識のほうが意識よりも領域が広くて自分で意識していない潜在意識が私達を動かしているっていう話。聞いたことあるでしょう?で、これってね、ほかの人から見たあなたにも当てはまる。上の部分が、他の人が見ている部分で、水の下に隠れている多くの部分が色々な自分。自分でも気が付いていない部分もあるよね。見る角度によって、氷山って違う形しているしね。だから、”あなたはさ、●●だからね"と決めつけられそれが、たとえネガティブなことだったとしても、落ち込むことなんてないのよ。だって、相手が見ているのはあなたが見せているほんの一部。隠れているところにあなたにはたくさんの夜空に輝く星のようにキラキラ光る心があるんだもの。このブログのトップページにも書いてあるけれど、人は一部を見て、全体を判断しやすいわけよ。 一部で全てを把握している気になり、判断を誤ることもあるわけ。だからね、誰かにひどいことを言われても、思いつめないでね。
2014.08.23
レッテルをお子さんにはるお母さんが時々います。レッテルをつけられた時点で、お母さんの視点はお子さんにつけたレッテルに左右されます。そうなるとどうなるかと言うと、落ち着きのない子と言うレッテルをはられたその子は落ち着きのない子になるし、勉強のできない子というレッテルをはられたその子は本当に勉強の出来ない子になるのです。このレッテルはお母さんが子供に対して言う場合はもちろんですが、それ以上に、お母さんが第三者にお子さんを目の前にして口に出せば効果は倍増します。謙遜して、"いやぁ、この子は本当に駄目な子なのよ。"なんて、口が曲がってもお子さんを目の前にして言わないように。まあ、駄目にしたいなら別ですけれど (笑)
2014.08.20
昨日は睡眠時間3時間半。(昔の生活みたいだわ。)今朝は朝の5時半起き。今十二時過ぎ。ブログを書こうと思ったけれど、眠くて頭が良くまわらない。楽しみにしている人、また明日。
2014.08.19
今日は忙しい一日でした。朝からバタバタで、夕方からはパーティ。新たな出会いもあり、楽しいおしゃべり。そんな中、元看護婦さんに性格と病気は関係しているかもと言うお話を聞かせていただいて、とても興味深く感じました。帰ってきたのがとても遅いので今日は今から寝ます。おやすみなさい。
2014.08.18
アメリカの映画俳優であり、コメディアンだったロビンウイリアムズが月曜日に亡くなった。コメディアンで人を笑わすことを職業にしている彼はうつ病だったらしく首吊り自殺をしたらしい。コメディアンなのに、うつ病。なんだか、とても考えさせられた。アメリカのサイトで、彼の資産がいくらだとかどのくらいの遺産になるかなどと書いてあって、なんとなく、むなしい気持ち。持って帰れるのは思い出だけ。どんな思い出を持って帰ったんだろう。合掌
2014.08.14
細胞が記憶している。そんな話を聞いたり読んだりしたことがある人もいると思う。私に関して言えば、人や自分の車に乗っているとき、自分が危ないと少しでも思うと、毎回なんとなく体が締め付けられるような感じを受ける。心臓がドキッとするのとはまた違う感覚だ。私はオートバイで1回、自転車で2回事故を経験し、そのうち一回は生死をさまよっている。また車で前の車をぶつけたこともある。普段は交通事故のことなど、思い出すこともない。私が思うに、これは細胞がその時のことを覚えていて身震いしているのだ。"きゃああ、危ないよ~!気をつけてよ、まったくもう"なんて叫んでいるのかもしれない。何しろ、大きな事故でも起これば、私だけでなく、細胞にとっても死活問題だもんね。私は生き残るかもしれないけれど、生き残れない細胞だっているかもしれないもの。とにかく、このように自分で忘れていてもどうも細胞がシッカリ覚えていることがあるらしい。誰だか、どこの大学だったか忘れたけれど、そんな研究があったというのを最近どこかで読んだ。辛い経験や、痛みは脳だけではなく、細胞にも書き込まれる。それはなぜかと言うと、辛い経験や痛みは次の世代がDNAレベルで受け継いで、それらを避けて種の生存率を高めるためなんだとか。”おいおい、次に同じような間違いをしないように、シッカリと自分のしたことを覚えておけよ。"なんて細胞が私たちや私たちの子孫が忘れないようにDNAに書き込み痛みという方法で知らせていたとしたら、、、ちょっと、細胞と話し合う機会を持つのも良いかもしれない。
2014.08.13
夜の10時過ぎにお腹が空いて、ちょっと食べたのになぁ。なんだかまだお腹が空いている感じがする今夜。
2014.08.12
どうしていいかわかんない!!!で、自分が問題としているのは何なのかということを認識しなきゃいけないという話だったよね。(わからない人は昨日のブログを読んでね。)だって、それがわからないと問題はいつまでたっても解決しないでしょ?じゃあ、問題ってすぐに自分でわかるんだろうか?例えば、痩せたいのに、痩せられない問題は何だろう?ある人は、問題は食欲と思っているかもしれないし、別の人は、美味しいものが多すぎることなんて思っているかもしれない。そうだ、そうだ、私もそう感じたりするわけよ。だから、食欲と戦ったり食べては吐いたりしたりする人もいるわけ。だけど、だけど、だけど。昨日も書いたように、そこには"わかりたくない"問題が潜んでいたりすることも。例えば、男性には絶対に近寄ってもらいたくないとか、自分はかわいくないんだという自己否定だったり、満たされたいという心の問題だったり、、、だから、問題をはき違えると例えば、ダイエットの場合なら、食欲と戦っても、無駄な努力になることもあるわけなの。だから、わかんない!!!!と叫びたくなったら、問題は何なのかよ~く考えてみてね。わかれば、もうほとんど問題は解決したようなものだからね。
2014.08.11
どうしたらいいのかわかんない!!!!!8月7日のブログに、そういう風に思うのは自分の気持ちがわからないからだと書きました。(う~ん、リンクが上手にできない。ごめんね~。気になる人は二日前のブログを読んでね。)じゃあ、どうしたらいいのでしょう?本当はとても簡単なことなんだけれど、、、私たちはいろいろと考えたり悩んだりできるし、物事を多角的に見ることができなくなっている場合もあるので、問題をこじれさせてしまって、わからなくなってしまうのです。どうしていいのかわかんない!!!!そう言っているときは、問題がどこにあるのかがわかっていなかったり、"わかりたくない"時なのです。"わかりたくない"なんて面白いよね?自分が悩んでいるのに、わかりたくないなんてね。でも、無意識ってこういうことが得意なのよね。だからまず、どうしていいのかわかんない!!!!と言いたくなったり、叫んでいるとしたら、最初にすることは、夜な夜な悩むのではなく、自分が問題としているのは何なのかということを認識するということなんです。自分一人では難しいかもしれないけれどまずは、そこがクリアにならないと、次のステップには進めないからね。
2014.08.09
日本は今夕方の5時ごろかな?こちらは夜中の1時。今日はもう寝ます。明日も忙しいけれど、頑張って書くつもり。でも、今日以上に忙しいので、書けなかったらごめんなさい。
2014.08.09
どうしたらいいのかわかんない!!!!!そんな気持ちになること誰だってあります。人間関係でそうなることもあるだろうし、学校や仕事でそんな気持ちになることもあるでしょう。煙草をやめたいのにやめられないとか、ダイエットしたいのに、食べてしまうとか、そんな時に、こういう気持ちになることもあるでしょうね。それがどんなことであれ、私は原因はコミュニケーションだと思っています。他の人とコミュニケーションが上手に取れていない。自分と上手にコミュニケーションが取れていない。そんな時に、そんな気持ちになるのではないでしょうか?だって、自分の気持ちがわからなければ、どうしたらよいのかわからなくなるのは当たり前だものね。え?自分のことなのに??そうなんです。だから、どうしたらいいかわかんな~い!!!なんて叫んじゃうんですね。続きはまた明日にでも
2014.08.07
さてさて、話してもストレスを感じるというお話を昨日書きましたが、今日は、ストレスを食べて減らす方法について書きますね。ストレス食いをする人はたくさんいますが、ストレス食いをすると食べているときは満たされるんだけれど、やっぱり後になってストレス感じちゃうのよね。それでは、ストレス解消にならないよね。だから、今日はストレスを感じた時に食べるとよいもののお話。まずは、アボカド。これはメキシコ原産の緑色のフルーツです。日本でも最近スーパーでよく見かけるようになったのでは?このフルーツにはビタミンBが豊富なんです。Bはストレスによく効くビタミンなんですよ。お腹もいっぱいになるし、太る心配をする必要もなし。私はアボカドが大好きで、食べるときはお刺身のようにして食べます。ストレスのある時は甘いものを食べたいという人にはチョコレートあるいはラズベリーがいいですよ。チョコレートには*カリウムが豊富で、特に筋肉のけいれんなどに効果があるんですね。筋肉がリラックスすれば、心もリラックスできるってわけね。*(生物にとっての必須元素で神経伝達で重要な役割を持つ)ラズベリーは免疫システムを活性化させるビタミンCが豊富で、ストレスを解消する酸化防止剤の役目を持っています。ヨーグルトにラズベリーを混ぜてチョコレートをかければ心も体も満足ですね。
2014.08.06
昨日、人は誰かに聞いてもらうだけで心が軽くなるんです。ちょっと辛いなと思ったら、黙って聞いてくれる人に話を聞いてもらうといいですよ。と書きました。でも、、、、たいていの人は黙って人の話を聞くことが出来ません。聞き手が真剣に聞いてくれない時、聞き手が自分の意見を言うのに忙しい時、聞き手が自分の価値観を押し付けてくる時、話し手はわかってもらえないと思い話を聞いてもらう前よりストレスを感じます。そうなると、話し手はまた違う人を見つけ話を聞いてもらおうとするでしょう。あなたはそういうパターンに走っていませんか?問題は解決したでしょうか?人に聞いてもらって心を軽くしたい話というのはどういう話でしょう?それは聞き手にとっては重い話が多いのではないですか?もしも、話し手が話をしながら怒りのエネルギーを振りまけば、聞き手はおそらく早くその話を終わらせようとするはずです。それでも、それに気がつかずに、自分のことばかり言っていると時には聞き手までもが怒り出すということは多々あることです。なぜなら感情は伝染するからです。だから、聞いてもらうときはなるべく感情的にならないことが大切だし、感情をコントロールできないなら、感情をコントロールできる人に聞いてもらうことが大切です。
2014.08.05
今日は、一日忙しい日でした。朝から夜の食事の下ごしらえをして、お昼には運命の出会いだと私が勝手に思っている方々とお話させていただき、夜には知り合いの皆さんとお食事会でした。ばたばたの間にも相談の電話もあり、、、でも、その方もお話を聞かせてもらったら心が軽くなったようで、ああよかった。人は誰かに聞いてもらうだけで心が軽くなるんです。ちょっと辛いなと思ったら、黙って聞いてくれる人に話を聞いてもらうといいですよ。
2014.08.05
人の本質というのは、愛である。それを知ることが出来るニュースは多々ある。見知らぬ人が川で溺れているのを見て、助けようとして飛び込み命を失ったり、線路に落ちた人を助けようとして、線路に下りて電車にはねられて命を失う人がいる。人を助けようとして命を落とす人は多い。とっさの時に自分の命のことなど忘れて行動してしまう。それが、人間の本質なのだ。去年の話だけれど、吹雪の中、岡田幹男さんは小学3年の長女夏音さん(当時9歳)を両手で抱きかかえ彼女の命を守り通し凍死された。この世の中に彼のような親が増えれば幸せな子供も増えるけれど、実は、児童虐待は増え続けている。2014年3月6日の読売新聞によると、児童虐待の通知は2万人を超えたそうだ。警察が摘発した虐待事件は467件だそうだ。その65%は心理的虐待(目の前のDV含む)だそうだが、身体的虐待を受けた子供たちは6150人もいるらしい。育児放棄されえた子供も3000人近くいたようだ。親が子供の命を脅す、そんな事件も増えている。以前にも書いたけれど、脅したり罪悪感を植え付けたりしたら多くの人は言うことをきく。だから、虐待には程遠く程度の差はあるだろうけれど、罪悪感を利用したり、”そんな子は云々、、、”と脅すような振りをしながら子育てをしている人は少なくはない。親もまた、そういう手法を自分の親から学んだのだから、本人が被害者であったりもするわけだ。人は学んだことしか伝えていくことはできないのだから、、、怖いのは怒りが爆発した時。その時に児童虐待は起こる。子育ては大変だ。忍耐との戦いでもある。けれど、覚えていてほしいのは、あなたの本質は愛であり、あなたの子供はあなたに喜びを与えようとしてあなたを選んで生まれてきてくれたこと。そして、感情をコントロールするということを学ぶことはいつからでもできるということ忘れないで欲しい。
2014.08.03
アメリカは今夜中です。でも、せっかくブログを再開させたのだから、何か書かなくてはと思って書いています。で夜中だから、睡眠の話でも。人間睡眠時間が足らない日が続くと体だけでなく頭も疲れて精神も弱ってきますよね。じゃあ、いったいどのくらいの睡眠時間が必要なのでしょうか?もちろん、人によっても違うけれど、厚生労働省が示した指針によると以下のとおりです。10代前半:8時間25歳前後:7時間45歳前後:6時間半65歳前後:6時間加齢とともに睡眠時間は短くても大丈夫なんですね。だから、65歳以上の方は、”どうして最近眠れないのでしょう?”と心配する必要はなさそうですよ。私はおばさんなのに、睡眠時間は8時間はあるような気がします。昔は3~4時間半でした。今取り返しているのかしら??
2014.08.03
突然妊婦さんが自分の住んでいる町に結構多くいることに気がついた。こんな経験をしたことがある人はたくさんいると思います。ま、現在妊娠しているか、妊婦さんになったことのある人、妊娠したい人、孫がどうしても欲しい人、あるいは、妊娠させちゃった人に限るかもしれませんけど。今度車を買うなら、ドイツ車にしよう。そう決心したとたん、街でドイツ車をよく見かけるようになるのと同じ原理です。要するに、こういう風に何かに意識を向け続けると、脳は、意識を向けているものに対して、無意識に検索を始めるのです。あなたは忘れていても、他のことをして忙しくしていても脳はあなたのために検索をして、見つけるたびに、あなたに知らせてくれているのです。ありがたいでしょう?いや、もしかするとありがた迷惑かも?なぜこんな話をするのかと言うと、あなたが何に注目するかで人生は左右されるから。幸せになりたい人は悲しみに焦点をあてないようにくれぐれも注意してくださいね。
2014.08.02
もしも、私を覚えてくださっている方がいたら、お久しぶりです。長い間、ほったらかしの”愛されたいあなたへ、心の痛いあなたへ”、また再開しようと思います。今日久しぶりにやってきて、日記管理を見ていたのですが、ほったらかしにしているのに、時々思いがけないほど多くの人が私の日記にアクセスしてくださっているのに驚かされました。それほど、世の中には愛されたい、心が痛いと思っている人が多いのでしょう。逆に言えば、幸せだと感じている人が少ないということでもありますね。これからはこちらに、COCOの日記も書いて行くつもりです。私を知らない人には、私のことを知ってもらえるかもしれないし。私を知っている人に近況報告もできるし。日記を閉じている間に、人の心に幸せの種を蒔くことだけは続けていましたよ。それでは、またよろしくお願いしますね。
2014.08.01
みなさん、こんにちは。長い間更新していなかったのに、77777のアクセスがありましたと楽天さんからメールが来てココに戻ってきました。このブログを読んでくださって、ありがとう。誰かの役にたっているかもしれないと思うだけで嬉しいです。さて、今日は私の昔話をしたいと思います。子育てのヒントになれば幸いです。************今からずいぶん昔。子供がまだ小学生の頃、朝みんなで寝坊したことがあります。目が覚めたら学校が始まる時間。どう考えても、始業までには間に合いません。私はあわてて学校に子供たちが学校に遅れるという電話をかけました。「もしもし、母親が寝坊をして子供を起こすことができませんでしたので、子供は少し遅刻しますけれど、必ず学校に行きます。ごめんなさい。」私の言葉を聞いていた子供たちは私にこう言いました。「お母さん、普通は子供がお腹が痛かったとか頭が痛かったので少し遅れますと学校には言うんだよ。」「どうして?」私「だって、ほかのお母さんたちはみんなそうしているみたいだもん。友達が遅刻した時、そうお母さんが言ったといっていたもん」「でも、それ嘘でしょう?」私「だけど、遅刻は子供の病気にする人が多いみたいだよ。」「じゃあ、嘘をついていいの?」「責任転嫁された子供はそれでいいの?」私「じゃあ、恥をかいてもいいの?」「だって、しょうがないじゃない。恥ずかしいけど本当の事だもの。あなたたちのせいにはできない。子供を起こすのは母親の仕事だし、嘘をつくのはいけないことだから。」私この恥ずかしい寝坊で電話をしたのは2回です。このころの私の睡眠時間は平均4時間ほど。でも学校にはそんな言い訳は通じないですものね。そんな風に子供を育てた私は、今では子供にいろいろ教えてもらっています。
2013.12.10
誰かの役に立つかもしれないと残しておいた2009年7月19日から、書いてないブログ。今でも数十人も毎日このブログを訪ねてくれている様子です。本当にありがたい。本当にありがとう。私の書いたものが少しでも人の役にたっているということでしょうか?ここのブログをお休みしている間に、愛されたいあなたへ、心の痛いあなたへはもう少しで本になるところだったのですが、私が日本語力がないので、少し悩んでお断りしてしまうということもありました。体は今でも本調子ではないですが、。色々な方々の協力によって、HP作ることが出来ました。今日は、そのお知らせです。幸せ種・ComのHPにも遊びに来てくださいね。 行けば私の顔が初めて見れます。ま、見てもたいした顔ではないですけれど、どんな人だろうと思っていた人にはいいかもね?又フェイスブックもしています。よければお友達になってくださいね。FB
2012.11.07
最近は忙しくて、ココの記事が書けていません。でも相談は受け付けています。相談したい事がある人は、ココからメッセージください。必ずお返事書きます。上記のメッセージ以外からのメッセージでは返事は書けませんのでご了承くださいね。
2009.07.19
毎年年末になると言っているけれど、今年も終わり。当たり前のように、言っているけれど、”今年も終わり”って言えるのって奇跡かもなんてふと思う。世の中を見渡せば、ナイフで刺したとか、はさみで刺したとか、殴ったとか、とにかく自分の思いどうりに行かなかったからと暴力を振るう者が増えているようだ。その暴力は弱い乳児や老人にまで及ぶ。戦争のない日本と言う国で命が今日も消えていく。些細なことに腹をたて、カッとなり、人の命を粗末にする人が多くなったように感じる。欲しい物や、やりたい事が今までのように、簡単に手に入らなくなる可能性の多い来年はもっと事件が起こるかもしれない。道を歩いていても、事件に巻き込まれる可能性はあるし、実際、何の罪もない人達が事件に巻き込まれている。”今年も終わり”と言える私は幸いである。今日まで命を繋いで来れたことは幸いである。昨日科学チャンネルを見ていたら、生命の元は宇宙から彗星に乗ってやってきて、海で命になったというようなことを話していた。数え切れないくらいの突然変異と進化をして色々な形の動物になっていくのだろうけれど、バランスよく、出来上がっていった動物を見ればそれは、奇跡としか、いいようがない。そう考えれば、今私達がこの世に生を受けて生きていると言う事自体が、奇跡である。奇跡的にこの世に生を受け、今日まで病気や事故で死ぬ事もなく、命を繋いで来れた事色々な経験をして、少し賢くなれた事”今年も終わり”と言える事に感謝をしよう。そして、そんな私と関わってくれたすべての人々に今年一年本当にありがとう。来年もヨロシクお願いします。PS:最近は体調のせいもあって、記事書けてません。ごめんなさい。これからは、Cocoの日記の方をよければ見てください。今回も、Cocoの日記の方から、コピーして来ました。愛されたいあなたへは、誰かの役にたつかもしれないのでこのまま残しておきます。お気に入りに入れていただいている方で楽天の方は楽天のお友だちの所でリンクさせていただきたいと思います。そうすれば、私も皆の所によることが出来ますので。長い間ありがとうございました。*****PS:日本のみんなへ、体調がよくなったら、春に日本に帰ります。
2008.12.30
みなさん元気ですか?長い間、何も書かずにいてごめんなさい。最近どうも、体調が優れず、頭がすっきりしません。今日は動画を載せますので、是非見てください。生き方のヒントになると思います。スティーヴ・ジョブズのスピーチパートワンパートツー
2008.12.11
突然思い出したとドラマチックに書いてみたけれど、突然思い出したのは、実はこの事が私にとってお金に対する罪悪感を植えつける出来事だと思い出したわけで、こういう出来事があったことはなんとなくうっすらと覚えていた。こう言う出来事は、我家では数回あったことで、特別珍しい事ではなかったし、反芻する人が我家にはいたので、長年に渡り、嫌でも思い出さなければいけなかったからである。ただ、こういう出来事に、お金が関係したのは、今思い出せる範囲では、この時だけだと思う。まあ、そんな関係ない話はどうでもいい。要するに、この出来事が、私に深くお金に対する罪悪感を植えつけた出来事だと突然思い出したわけだ。”ああ、そうだったのか”と納得すれば、物事が解決するのにあまり時間はかからない。私のこの出来事の場合は、どうすればいいかと言うと、自分がお金を受け取ったという行為を許せばいい。私は以前、自分の存在を自分に許可したことがある。許可を与えた所で、長年の癖はすぐには抜けない。それでも、許可を与え続けたことによって、しばらくして、本当に楽になった経験がある。その後の勉強で増えた知識と、日々の訓練のおかげもあり、思考を書き換えるのは、ありがたい事に、それほど苦労しなくてよかった。大体、私が200円を手に入れて大喜びしようが、しなかろうが、この出来事は避けられなかっただろう。小さな子供が大人の感情や行動の責任を取る事はできない。出来事が自分のせいだと感じたことも思い出したが、その出来事は、私がお金をもらった事とは関係のないことなのだ。要するに、お金を手に入れても、入れなくても自分にとって、不都合なことが起こりえることは人生には、多々あるのである。その不都合は不都合として、自分が受け止めているだけで、実はタダの出来事なのである。タダの出来事をどう受け止めようと、人の自由である。だけど、自由になりたければ、ダダの出来事だと受け止めなければ、実は自由にはなれないのである。思考を変えて何が変わったか、それもついでに書いておきたいと思う。私は、貯金する癖が小さい頃からついていたのだが、実は、お金が貯まり始めると、必ず自分以外の事に使わなくてはいけない状態に追い込まれていた。それが、人の借金を返し続けたり、人に貸したのに、戻ってこなかったりという事がなくなった。そして、お金が足らない時は、何故か不思議とまわるようになった。*****思考は現実化すると言う言葉や引き寄せの法則など聞いた事がある人もいると思うけれど、これって本当。必要でない罪悪感は、(お金に対するものに限らず)みんな捨てましょうね♪(この日記は、COCOの日記からのコピーです。)
2008.10.13
お金に対する罪悪感その3です。家庭環境から、自分だけにお金を使う人にはなりたくないと思いこんだのも、欲しい物をねだることは誰かを悲しませる事だと思いこんだのも自分なりに理解出来る。だから、人に対してはそれがたとえ不本意であったとしても、お金を使えるのに、自分に対してはどうしても許せなかったり、罪悪感を感じたりするようになった理由はわかる。だけど、誰かに対して、仕事の報酬をもらう事に対してあるいは、いただいた後に感じる罪悪感に対しては自分でも理解出来なかった。だから、罪悪感を感じないように、自分に色々な言い訳をする嫌な奴になり下がっていた。相場より安いとか、よい物を提供しているとか相当量以上の仕事をしているとか、時間をかけているとかである。報酬を払ってくださる方々に言い訳するのではなく、自分に対して言い訳するのである。要するに、お金を受け取るという事に対して自分なりに納得しなければいけない。お金が沢山あれば、人を楽しませる事ができる。お金が沢山あれば、人を助ける事が出来る。それなのに、何故こうもお金に対して罪悪感があるのだろう?物欲がなくなって、今では自分に対して欲しいと思う物は特に何もないのだけれど、お金はエネルギーだと気がついてから、この罪悪感が何処から来るのかと考えていた。そして、無収入だけれど、自由時間が有り余るある日、突然思い出したのである。私が突然思い出した出来事とその時に感じたであろう感情は、長年、知らない間に、私をコントロールしていたのだと思う。簡単にお金を手に入れば、とんでもなくひどい事が起こる。シメシメなんて思った後に、とてつもなく辛い事が起こる。ウキウキしていたら、大切な物を失くすような事が起こる。そういう風に私の潜在意識に書き込み、40年以上にわたって、封印していた出来事を突如思い出したのである。それは、私がまだ8歳か9歳の頃の事。その出来事の前後は思い出せないのだけれど、テレビを父親と見ていたら、父親に”100円やるから、ママについて行け”と言われ、家から出て行った母親の後を追って母親に追いついた私がいる。”追いかけて行けって言われたの”と言うと、”100円あげるから、家でお留守番していなさい”と言われ、200円を手の中に入れてそれを眺めながら、ニタニタしながら、ウキウキしながら、家に帰って行った私。子供心に”やった!”と思ったことを思い出した。いつもひもじかった私にとって大金である。覚えてはいないが、きっと何を買おうかやっぱり、貯金をしようかなどと考えながら次ぎの日を楽しみにしていたに違いない。ところが、次の日か、その次の日かは覚えていないが、待っていたのは死にかけている母の姿だった。あの時、一緒について行けば、、、お金をもらってデレデレして、夢を膨らませ、事の重大さに気がつかず、気軽に帰ってきた自分を責めた。生まれてこなければ良かったと自分を責め続けていた少女は、未来と自分に対する恐怖に怯えた。突如思い出したこの出来事で私はどう思考を塗り替えたのか次回書きますね。(Cocoの日記より)
2008.09.30
今日は、お金に対する罪悪感その3を書く前にどうしても書きたい事があって、このブログを書いています。私は以前、霊能者と謳っている方のブログを読ませていただいていてその方とお話をしたくて、セッションを申し込んだ事があります。セッションでは、”私ほど人間の出来た人はいない””守護霊は観音様”などと言う嬉しい事を言っていただいたし、個人的に会いたいとのその方からの申し出もあり、その時は気分良く思ったのですが、実際にお会いして、またその後、その方のブログで、その方が自分のブログにコメントしてくださった方に対し、とても攻撃的な態度を取られたことを目にして、とても悲しくなった経験があります。その出来事で、自分を振り返るチャンスをいただいたのですが、ネット上でサイキックと謳っていらしゃる方々に少し疑いの目を持つようになりました。私の心の中に、サイキックなら愛を説かずとも人の見本になるような生活を送っていてほしいという思いがあったのでしょう。それからしばらくして、潜在意識を解読するジュネさんのブログに出会いました。かれこれ、2年以上前の話です。読ませていただいて、凄く勉強になるものの、長い間、セッションを申し込もうとは思いませんでした。月日を追うごとに、ジュネさんの潜在意識解読の予約がなかなか取れない状態になっていきます。すぐに有名になられて、お話が出来ない日が来ると思いながらも、特に悩みもなく、どうしようかと思うまま月日が流れました。その間、私の頭の中でこだまするような、思考の流れのようなものが、自分の思考なのか、妄想なのか、私を守ってくださっている目に見えない存在からのメッセージなのか確信がとれないまま時をすごし、色々な所でチャネリングをすると言う方々のブログを読ませていただきながら、その方々は、どのようにして自分がメッセージを受け取っていると知っているのか何故、そんなに自信を持てるのか、知りたいと考えていました。何故なら、信じていると言う感覚と、知っていると言う感覚は違うからです。自分の事をもっと知りたいと受けてみた、ESPテストで、テレパシー97点、予知能力98点と言う結果が出ても、生活と照らし合わせて、それを信じられても、知っていると言う感覚ではなかったのです。私は、すべてはありがたいものであると言うこと、そしてすべては完全に調和しながら、存在していると言うことは知っています。また、すべての出来事に自分が学ばなければいけないレッスンがあると言うこと。表面的にとても辛いと思えそうな出来事でさえ、本当にありがたいものであるということに関しては、知っているという感覚があります。だけど、頭の中に流れるメッセージが守ってくださっている目に見えない存在からのメッセージだとなんとなく信じられても、知っているという感覚にはまだなっていませんから時々疑問が出てきます。私は神様や高次の存在の期待に沿うような生き方をしているのだろうか?私の魂は成長しているのだろうか?十分に愛を持って人々に接しているだろうか?そう言う質問を自分に投げかけると”大丈夫”と言う答えが頭の中で聞えるもののそれが、自分の妄想であったり、驕りから期待する自分で勝手に作り出した答えかもしれないと考えていました。この答えが欲しい。そう日に日に思うようになって、今から3ヶ月前ジュネさんの予約待ちが一年になる前に申し込もうと決心したのでした。ジュネさんの声を初めて聞いた時、私は愛に包まれている感覚になりました。ジュネさんの声を聞いただけで、セッションを申し込んで良かったと感じました。最初の質問は”特に悩みはないのですが、聞きたいことがあります。私は神様の期待に沿うように、十分な愛を持って人々に接していますか?”です。ジュネさんからの答えは”大丈夫です”でした。私には霊感があること、予知能力に優れている事など教えていただきました。メッセージに関しては、高次の存在(ハイアーセルフ等)からのメッセージで、安堵や安らぎを感じるはずと教えていただきました。確かに、不安なメッセージを受け取ったことは一度もありませんでした。(今までにも、この件では数人の方に”そうだ”と教えていただいていましたが、私の頑固な性格が、自分で確信を持つまで、何度も確認を取る必要があったのだと感じます。ジュネさんの安堵や安らぎを感じると言う指摘で、この件に関しては、解決したような気分です。)又、私と話した人は癒されて元気になると教えていただきこれからも、人の相談にはのっていこうと思いました。事前にこの質問以外用意していなかったので、思いつくまま家族の事などを時間の限りたずねましたが、話があちこちに飛んだにも関わらず、ジュネさんはとても優しく落ち着いて一つ一つの質問に答えてくださいました。ジュネさんがお話してくださったことは、私が思っていた事と一致する事が多くありましたし、ずばり当てられるので驚かされました。私の今世での課題は調和。これもとても納得のいく課題でした。あれもこれもやりたいと気の多い私なので、時々、どれをやるのがベストなのかと見えない存在にお伺いしていましたが、戻ってくる答えはいつも”自分の視野を広げて”と言うメッセージ。すると、ジュネさんからも、色々やって、色々な自分を発見してください。あなたはそれが出来る人ですからと言われ、本当にびっくり。最後に”家庭を大切に”とジュネさんからメッセージをいただいたのですが、これもしっくりときます。何故なら、仕事が忙しくなってくると、私は家族に甘えてしまう癖があるのを自分でわかっているからです。(お掃除をサボったり、テイクアウトを頼んだり、、)この最後のメッセージは、本当に重みがありました。家族と側にいて時間をただ過ごすだけではなく、食事を一緒に食べるだけでなく、今よりももっとディスカッションの時間も取るようにしようと思いました。またジュネさんに相談したくなった時には、次回は質問を事前に用意するつもりです。なぜなら、ジュネさんは、基本的に勝手に人の潜在意識を解読することは失礼になるから質問にしか答えないという方針を持っていらしゃるからです。みなさんもジュネさんの愛に触れたくなったら、質問を用意しておいたほうがいいですよ。セッションが終わってから、家族のことではなく、目に見えない世界のことで色々聞きたい事が出てきたのですが、しばらくの間は自分を守ってくださっている存在に聞いてみようと思います。
2008.09.15
無収入の状態になって、それでも意外とへチャラな自分と書いたけれど、それはわずかながらでも貯蓄があったからで、まったく、貯蓄がなければ、へチャラでいれたはずはなかったかもしれない。人は、命をつなげなくなりそうな状態になれば、心の余裕は少なくなるから。子供の頃、我家にはどの家よりも早く、テレビが来て、父は車に乗っていたけれど、生活は苦しかった。父が、若い頃からびっくりするほど稼いだ事が父の人生も、私達家族の人生も狂わせたのだろう。母はいつも借金返しの為に働いていて冷蔵庫の中はいつも空っぽだった。小学生の遠足の時、数百円までのお菓子を買って持ってきてもいいと言われても、子供心にそんな贅沢はできないと思っていたし、大人がご馳走してくれると言っても、一番食べたいものではなく、一番安い物を頼むという子供だった。本当にそれでいいのか?と何度聞かれても、それが大好きだからと答える子供だった。何かをもらっても、嬉しいと言う気持ちよりも申し訳ないと言う気持ちのほうが大きく、要するに、大人の財布を常に気にするかわいげのない子供だった。それでも、お金さえあれば、幸せになれると考えた頃もあり、中学生1年生の時、どんな大人になりたいかと聞かれ100万円稼げる人になりたいと答え、その時のママ母に現実的に物事を考えられない、狂った子というレッテルを貼られた事もあった。お金が人生を狂わせるという概念を持つようになったのは、もっと大きくなってからだったが、私は、その概念が、私がお金に対する罪悪感を持つようになった理由だとずーと思っていたのだった。だからなのか、それとも幼少の頃、お金に苦労したせいか、自分に使うことに関しては特に罪悪感を持っている。この癖は未だに完全には抜けきっていないようだ。一切の不満を感じず、人に差し出すためにはどうすればいいのか。色々な支払いが来た時に、”ありがたい”という気持ちを持ちながら支払えるようになるためには、どう感じればいいのか、自分の欲しい物を手に入れるためには、どういう許可を自分に与えればいいのか、どうすれば罪悪感を感じることなくお金を手にする事ができるのか。仕事をやめ、無収入になって、アメリカに来たばかりの頃、自由時間が多すぎるくらいあったので、しかも、一人でいる時間が長かったから、そんな事を、よく考えた。そして、心の奥底に仕舞い込んでいたのであろう出来事をある日、思い出したのだった。脳は、時には記憶を潜在意識奥深くしまい込み、意識にのぼってこないようにしたり、記憶を書き換えたりすることがある。セレクティブメモリーといわれるものだ。実際、私にはいくら思い出そうとしても何も思い出せない思い出がいくつかあるけれど、突然思い出したこの事に関しても、おそらく、子供にとっては、強烈な出来事だったので、意識の中から消し去っていたのだろう。(Cocoの日記から)
2008.09.07
私の事は、普段は日記で書いているので、ここには、書かないことが多いのですが、私が自分のトラウマに気がついた時の事が誰かの役にたつかもと思い、私の日記から、コピーして持って来ました。*****私は借金が大嫌いである。でも、我家には大きな借金がある。それは、私達の夢のロングステイハウスを建てるために作った借金。まあ、借金なしで、家を建てられる人は世の中にわずかしかいないだろうから、まあこの借金は仕方がないと思っているし、老後資産を増やすための投資の為の借金だと割り切ることにしている。返さなければいけないお金があれば、返せるようにお金を稼がなければいけない。聞いたり読んだりしたところによると、お金を十分稼いだり、お金持ちになるためにはお金に対する罪悪感があっては、駄目だそうだ。私は昔英会話教室を経営していたけれど、始めた頃、あまりにも安すぎて、多くの人に”安いから、、、””宗教団体か何か、裏があるのかと思った”とか”うさんくさそうだと思った””不良外人がやっているのかと思った”と言われた事がある。働いていただいていたネイティブの先生達には”お金をもらうことは悪いことではないから、授業料を値上げしたらどうか”と言われた事がある。会社を経営している社長さん達には”経営はボランテイァではない”と教えていただいた経験がある。確かに、経費を支払い残るお金は4人家族が生活していける収入ではあったけれど、裕福ではなく、子供達に寂しい思いをさせながらやっていたことや膨大な仕事の量を考えれば、金銭的には、あまりわりにあう仕事ではなかったと言える。しかし、病気に気がつかないほど働いたのだから、それににあう、やりがいはあったのだろうけれど。生まれて初めて起業したのは、23歳前後だったと記憶しているが、こちらは未熟だったせいと、お金に対する罪悪感で見事に失敗した。2度目、必要に迫られて起業した時は、さすがに最初の起業での失敗が役に立ったけれど、それでも、お金に対する罪悪感がなかったわけではないのはこうして振り返って見ればわかる。自分にお金に対する罪悪感があると気がついたのはアメリカに来て、ありあまるほどの自由時間が出来てからだ。まったく、無収入の状態になって、それでも意外とへチャラな自分と向き合っていた時だった。
2008.09.02
長い間書けなくて、ごめんなさい。”恋すると不安になる人に” 最終回です。読んでね♪*****恋愛中に、彼、彼女が浮気をしても、文句を言わない人がたまにいます。普通なら、傷つくような事を彼や彼女に言われたりされても反論することもなく、怒る事もなく、理解ある態度を取り、寛大な様子を見せる人がいます。周りからは素晴らしく心が広い人に見えます。”凄いね~””優しいね~”などと、人から言われるほどにますます、自分に自己犠牲を強いて、寛大に見える態度を取るようになる人もいます。人が心のそこから誰かに対して寛大になれる時、その寛大さが心の底から溢れ出るものであるならば、幸せを感じるはずだから、100%幸せと言えるなら、何の問題もないでしょう。でも、寛大な振りをしている場合は、いつか爆発します。浮気症の男性や女性を自分の彼や彼女にするために、策略を練り、そうしているなら、それはそれで目的があるから、その時は、あまりストレスを感じないかもしれません。しかし、いったんその人が自分のものになった時に、チクチク嫌味を言う人がいるのを見ると、心の中に知らず知らずのうちに、不満を溜め込んでいたのがわかります。自分を正当に扱ってくれない相手に対して、自己犠牲を払いながら、寛大な振りをする人達には心の奥底に不安を抱えている場合があります。自分の思いを口に出せば、愛されないと潜在意識で思っている場合、寛大である事を自分に強いる場合があるのです。寛大でなければ、愛される資格がないと思いこんでいるのです。何故こんな事が起こるのかと言うと、子供の頃、大人にとって良い子であれば、両親に褒められた経験を沢山持っているからです。両親(又は、大人)にとって、困った行動を取った時、私達の多くは悪い子と言うレッテルを貼られ、一番必要とする両親に冷たくあしらわれた経験を少なからず持っています。その時、深く傷つけば傷つくほど、自分のやりたい事や、言いたいことはそっちのけで、両親や大人が喜ぶ行動しか取らないように努力するようになります。そして、そのうち自分の本当の気持ちがわからなくなります。良い子や、良い人を演じていれば、自分で気がつかないうちに不満が心の中に蓄積されます。不満が爆発した時に、事件になるケースはよくあります。”え?あの人が?信じられない”と言ったニュースを目にしたり、聞いたりした事があるでしょう?あなたが、自他共に寛大であると言うレッテルを持ち、寛大な態度を取りながらも、100%幸せだと言えないとしたら、あなたは、心の中に愛されない不安を抱いて、そうしている可能性があります。寛大であるべきと思う時、その寛大さは何処から来ているのか注意して、自分の心の中を見てください。もしかして、寛大でないと愛されない、と思ってはいませんか?
2008.08.18
誰かに恋をして、恋が始まりそうな時、最初のうちは不安と喜びが交差します。恋が始まると、自分について相手に話したり、相手の為に時間を取ったり、相手が何も言わなくてもどうしたいのか気を使うようになります。そして、誰かに自分の恋の話をする時には、私達はと言うように、自分達がカップルであると言う事を前提に話す事が多くなってきます。プレゼントを交換したり、他の人にはわからない二人だけの合図が出来たり、自分の周りにいる人達にカップルだと認められる時期が次にやってきます。お互いに自分のパートナーを信頼する気持ちも大きくなってくるので、一緒に住み始める人もいることでしょう。ところが、この頃と前後して、自分のパートナーのやる事や、話す事に対して、なんとなく不満が出て来る時期がやってきます。この頃になってくると、自分で嫌だと思いながらも文句ばかり言ってしまう人がいるのです。文句を言った後に自己嫌悪に陥る人もいます。相手に対して、文句が出て来るのは、パワー争いの場合もありますが、自分で気がつかない不安を感じている場合もあります。幸せ一杯のはずなのに、この幸せが続くはずがないと潜在意識で思っていて、文句を利用し、恋が破局に向かうように、仕掛けてしまう人もいます。自分では、恋を成熟させたいと思っていてもです。文句を言いながら、嫌われるのではないかと不安で一杯になりながら、それでも文句を言う事を止める事が出来ない。そういう人は、過去に自分が傷ついた経験がないかそして、その経験が現在を左右していないか一度、自分を振り返ってみてください。傷ついたのは、昔の恋かもしれないし、親との関係だったかもしれません。あるいは、子供の頃先生や、親戚、近所の人に言われた言葉かもしれません。過去の自分が傷ついた出来事を思い出す事で、過去を手放すことが出来るようになる可能性は大きいです。過去が現在を左右するのは、あなたが過去を現在に呼び込んだ時だけです。上手に過去を手放してみてください。現在あなたの目の前にいる人は昔あなたを傷つけた人とは別人である事をしっかりと認識する事が出来れば、以外と早く過去を手放す事が出来るはずです。
2008.07.24
恋したいと言いながら、自分にかまわずお洒落もせず、汚い格好で一日過ごしてみたり、髪の毛もとかさず、男っぽい態度をとる女性がいます。恋人ができないと言いながら、やはり、清潔な格好をせず、鏡をみる事もなく、髪の毛や髭も生えっぱなし、身体を動かす事もほとんどなく、筋肉を引き締めようとしない男性がいます。恋人が欲しいのに、自分にかまわない人は、自分にかまわないことによって、恋人ができなくてもしょうがないと納得するためにこうしている場合があります。恋が成熟して、幸せになるのが怖いからそうしている人もいるし、(幸せになるのが怖いなんて、変だと思うかもしれないけれど、実際にそう言う人は沢山いるんですよ。あなたも気がついていないだけかも。)また、自分を磨いてみて、失敗するのが怖いからそうしている人もいます。もちろん、自分に自信があって、そうしていることが心地よいから、そうしている人もいますが、そういう心持の人は、恋人ができないと悩む事は少ないようです。一つ言える事は、自分で自分が魅力的でないと思ったとたん、相手を自分の魅力で引き寄せる事は難しくなります。魅力というのは、見た目だけでなく、知識や、優しさ、力強さ、お金など、色々な要素がありますが、見た目以外の魅力をわかってもらえるには、ある程度、時間がかかりますね。憧れの人に会うチャンスが何度もある人は見た目以外の要素で相手をどんどん引きつけて行く事もできるラッキーな人ですが、そうでない人達にとっては、最初の出会いで一番大切なのは、やはり、第一印象。多くの人が、俳優の性格を知らずして、ハンサムや美人の俳優に憧れ追いかけ続けたり、髪の毛を赤や青に染めていたり、人と違った格好をしているだけで、その人達を怖いと感じる人がいるのもその人達が与える印象のせいでしょう?だから、印象って大切なんですね。男性が本能的に求めるのは、自分の子供を生み育ててくれる女性。女性が本能的に求めるのは、優秀な子供になる精子を提供し、子供を育てるために守ってくれる男性。子供なんて欲しくないと思っている人でも、DNAに刻み込まれた動物の本能なんですね。いやだ~。いやらしい。ロマンがないじゃん!と思う人もいるかもしれませんね。誰かと相手を競っている場合なら、第一印象が大切なら勝ち目ない~と思う人もいるかもしれませんね。でも、ちょっと待って。確かに見た目も大切かもしれませんが、それにも勝るものがあるんです。それは、優しさと豊富な愛情。だから、自分の容姿が自分で好きでない人は自分の憧れの人に優しさや愛情ある人だと、思ってもらえれば良いわけです。でも、優しさや愛情は、持っていなければ表現することができません。その場限りの優しさや愛情では、お付き合いが始まればすぐに化けの皮が剥がれてしまいますからね。ですから、普段から、人に接する時に誰にでも、愛情を持って優しく接している事が大切ですよ。自分の容姿に自信がない人は、洋服や髪型などで、清潔感をだし、魅力的に見せる努力をしてください。そして、優しさと豊富な愛情で相手を魅了してください。きっと、素晴らしい恋を手に入れる事が出来るでしょう。PS:自分の容姿に気に入らない所があっても、自分以外の人にとっては、自分が気にしている部分がチャーミングポイントの場合もあるんですよ。*****メッセージをくださっている皆さん、本当にありがとうございます。時間がある時に、必ずお返事書いています。時々、お返事を書いても、メルアドが間違っていて書いたお返事が戻ってきてしまいます。返事がない場合は、いただいたメルアドが間違っている場合だけですので、ご了承ください。
2008.07.15
自分で気がつかないうちに、嫌われるような態度をとってしまい、後になって後悔する。そして、自己嫌悪に陥る。こんな経験をしたことはないですか?たまになら、誰にだってあるかもしれないけれど、こういうことが度々起こり、なんとかしたいと真剣に思っているとすれば、自分を見つめなおす必要があります。何故嫌われるような態度をとってしまうようになるのかは以前書いたので、すこし理屈はわかったかもしれません。理屈が分った所で、人はすぐに変われませんから、それでも、嫌われるような行動を取ってしまうと言う人もいると思います。甘えたいのに、甘えられずにつっぱってしまったり、強がりを言ったくせに、後になって理解してくれない相手を責めてみたり、自分が愛されているのかどうか不安になって、テキストメッセージを送り続け、返事がないと相手をなじったり、あるいは、テキストメッセージを送ってしまった自分を嫌になりながらも、ますます不安になり、相手の都合が悪いとわかっていても電話をかけて、なかなか電話を切る事が出来ずに最後には”いったいどうしてほしいんだよ?”と言われた経験がある人もいることでしょう。男の人なら、本当は謝らないといけないと思いながらも、謝る事が出来ない人もいるかもしれませんね。じゃあ、どうすればいいのでしょう?人に嫌われる態度をとってしまう人達は自分の事が好きと言えるかどうか考えてみてください。嘘だと思うかもしれないけれど、自分で自分の事が好きでないと、自分が自分を嫌いになる要素を引き寄せてしまいやすくないます。別にスピリチャルな事を話しているのではなく、私は実際にそういう事を何度も目にして来ました。だいたい、自分で自分の事が好きでないのに、相手に自分を好きになって欲しいというのは、ちょっとおかしいと思いませんか?例えが悪いかもしれないけれど、自分がピーマン(何でもいいんですが)が大嫌いなのに、相手にはピーマンを好きになるべきだと言っているようなものです。そう言われても、自分の事が好きでないからしょうがない。そう思っている人もいることでしょう。誰かがこんな私(僕)でも好きになってくれたら、自分の事が好きになれるかもしれないけど、、、、と思っている人もいるかもしれませんね。確かに、誰かに大切にされ続けると自分の事を好きになることが少しずつですが、出来る様にはなります。だけど、大切にされているのにいつまでも気がつかず、あなたを大切にしてくれる相手に対して、嫌な態度をとり続ければ、大抵の相手はあなたが気がつく前に逃げ出してしまいます。経験のある人もいるでしょう??だから、あなたがまず自分を好きになる事がとっても大切なんですね。まずは、自分で自分の好きな所を探してみてください。自分の好きな所など、一つもないと言った人がいましたから、あなたもそう思っているかもしれませんが、よくよく探してみれば自分で気に言っているところが必ず見つかるはずです。それでも、自分でわからない時は仲のいいお友だちに自分の良い所はなんだと思う?と聞いてみてください。きっと、あなたがどれだけ素晴らしいか教えてくれるはずです。
2008.07.10
なるべく1週間に一度を目標に書くようにしているのですが、ちょっぴり忙しく、書けませんでした。楽しみにしてくださっている皆さん、ごめんなさい。では、始めますね。*****無価値感や不信感を感じるようになったおおざっぱな理由はだいたいわかったと思います。前にも書きましたが、異性に興味がないような態度を取る。異性に嫌われるような態度を取る。自分にかまわなくなる。相手に文句ばかり言う。あるいは、その逆で、文句は一つも言わず自分の気持ちを押し殺してしまう等の行動は、自分をこれ以上傷つけないために潜在意識があなたのためにやっている事なのです。潜在意識は過去のデーターを利用します。過去に無価値感や不信感を感じたことのある人はそれらの感情を感じたくなくて傷つかないように、行動したり、あるいは逆に、無価値感や不信感を知らない間に、増強させるような行動を取りやすいのです。例えば、異性に興味が無いような態度を取れば、異性と交際して、傷つくことはありません。そのうち、本当に自分は、異性に興味が無いと思うようになります。興味の対象が他の物に移り、それに没頭しすぎ忙しくすぎて、異性と付き合う時間がなくなったりします。要するに、興味が無いとか、異性は邪魔になるとか、時間がないとか、自分に理由をつけ納得する事が出来るのです。それが悪いとは個人的には思っていませんし、本人がそれで、幸せをいつも感じていられるならそれで良いと思います。だけど、自然の法則でいけば、異性に興味を持つのが自然の姿です。だから、興味が無いと思ったり、忙しすぎるから邪魔だと思っていても、時々ふと寂しくなったり、人恋しくなったりする時があるはずです。自分の人生に何か足らないような感じを受けたりする時があると思うのですが、どうでしょうか?異性に興味が無いと言いながら、買い物依存症だったり、常に食べすぎたり、自分でこなせる以上の仕事をいつも請け負ったり、ゲームやPCに長時間依存したりする場合、意識的に、”ああ、またやちゃった。嫌だなぁ~”と思う時がある人は、一度立ち止まって、自分が望んでいる感情は何なのか、考えてみてください。そこに、あなたが幸せになれるヒントがあります。次回につづきます。
2008.06.25
あなたの親は仲が良かったでしょうか?あなたが親をまだ大好きだった頃、あなたの目の前で大喧嘩して、あなたの心が傷ついた経験はありませんか?どちらかの親がもう一方の親をあなたの前で馬鹿にしたり、殴ったり、あるいは、どちらかが浮気をしていたり、酒乱だったりして、悲しかったり、怖かったりした経験がある人もいることでしょう。あるいは、大声での喧嘩がなくても、お母さんが泣いている姿を何度となく見た経験があり母親を守れない自分に対して腹をたて傷ついた人もいるかもしれません。あなたが幸いにも、両親が喧嘩している姿や、泣いている姿を見たことがなくても、片親から、もう一方の親の悪口を聞かされながら育った場合、やはり小さな心を傷めたことだと思います。個人個人育った家庭環境や、生活環境が違うし、傷ついた後のフォローがあったか、なかったかによっても、個人の受け止め方は変わってくるので、一概に言い切る事は出来ませんが、どんな形であれ、親が仲良くないと、ある程度子供の心に、傷がつくことだけは確かです。そして、子供は親が大好きですから、自分が傷ついている姿を見せれば、親をもっと苦しめると傷ついてない振りをしたり、空想の世界に逃げたりする傾向があるようです。概して、親の仲良くない姿や、問題行動を目にしたり、聞いたりしながら育ち、傷ついた経験があると、異性不信になったり、自己不信になったりします。この時に芽生えた不信感と言うものが潜在意識にしっかりと刻み込まれれば、潜在意識はあなたを守ろうとして結果的にあなたが傷つかない行動を取るようにあなたを応援してしまうのです。恋をすると不安になったり、また、恋が決して成熟しない相手を選んだり、自分の意識と反対の行動をしたりするのは、すべて潜在意識があなたを守ろうとしてやっている事なんですね。でも、意識では素晴らしい恋をしたいわけですから、苦しいし、辛いですよね。沢山例を出せればいいのですが、時間や文字数の問題もあるので、一般的に何が不安を感じる原因となっているかをいくつか書きました。次回は、恋をつかまえたいのに、自分から恋を逃がすような事をしてしまう。恋を実らせたいのに、壊すような事ばかりしてしまう。相手の事を大好きなのに、信じられない。異性なんて、自分には必要ないと思いこんでいる。などなど、何故自分がそんな事をしたり、感じたりするのか何故潜在意識が意識の邪魔をするのか、書きたいと思います。恋すると不安になる人には、まだまだ続きます。
2008.06.09
恋をすると不安になるのは、親との関係で自分を無価値だと思いこんだ場合だけでなく、過去の恋で傷ついた経験がそうさせる場合もあります。誠心誠意自分で尽くしていると思った相手が自分に対して心無い態度を取っていると思う事が続くと自分に対する価値観が崩れやすくなります。そして、多くの人は、自分の自信を取り戻すため相手に好かれようと、ますます自分の心を隠し相手にとって便利な人間になったり、あるいは、相手をなじったりしながら、自分が納得できるまで、ずるずると関係を続ける傾向があります。最終的に精神的にずたずたになって、恋にピリオドをつけた(あるいは相手からピリオドをつけられた)人達の中には、新しい恋が始まろうとしている時にとても不安になる人がいます。意識的には、”この恋を成熟させるぞ””今度こそ、幸せになる”と思っていても、潜在意識で、過去の経験を元に自分が傷つかないように、行動するのです。頭では○○したいと思っていても恐くて出来なかったり、何故か心の中でやらない理由を見つけたりします。傷つかない行動とは、異性に興味がないような態度を取る。異性に嫌われるような態度を取る。自分にかまわなくなる。相手に文句ばかり言う。あるいは、その逆で、文句は一つも言わず自分の気持ちを押し殺してしまう、等です。傷つかない行動と言いましたが、これは潜在意識がやっていることですから、意識的には傷がつきます。傷つかない行動を(潜在意識が)取っているにも関わらず最終的に、(意識的には)傷つく方向に物事は進みます。ややこしいですか?ややこしいですね。そのうち、どうしてそうなるのか解説しますから、気になる方は続けて読んでくださいね。
2008.06.04
私達が赤ちゃんだった頃、私達の両親は愛情を持ってミルクを飲ませ、おしめを変えてくれました。これを読んでいる方の中には、“あら、私の両親は生まれるなり、施設に私を預けたから両親から愛情をもらってないわ!”と反発したくなる人もいるかもしれません。でも、両親でなくても、それが施設の保母さんであれ、祖父母であれ、叔母さん夫婦であれ、あるいは自分のお姉さんかもしれませんが、誰かが世話をしてくれたから、乳児期に命を落とすことなく、生き延びてこれたわけです。中には、悲しい事に乳児の時から虐待を受けながらも、命を落とすことなく、育つ子供達もいますが、ここでは一般的な家庭に育った人の事を書いて行きますからご了承くださいね。自分のお腹が空いたりおしめが濡れたりして不快感を感じた時泣けば不快感を取りのぞいてくれた人がいた乳児期を経ると今度はしつけが始まります。しつけが始まると、自分の思うように物事は進まなくなってきます。こうしないと駄目、あれをしてはダメなどと言われ始めます。この頃、子供心にどうすれば、自分が愛する人が喜んでくれるのか考え行動することを覚えます。例えば、ちゃんとオモチャを片付けるというようなことです。オモチャを片付ければ、最初のうちは褒められるけれど、そのうち子供が一人で片付けるのは、親にとって当たり前になってくるので、褒められることは少なくなって来ます。そのくせ、覚えていかなくてはいけない世の中のルールは沢山ありますから、褒められる事よりも、叱られる事の方が多いと子供心に感じます。褒められる事が少なくなった子供達は、褒められようといっそう努力します。そして、そのうち常に頑張ってやっていないと自分の存在価値は認められないという思考がその子のなかに育って行きます。ところが、頑張る続けるということはご存知のようにとても難しいですし、まして子供の事ですから自分なりに頑張っているにも関わらず、周りの大人の期待に合わせられず、無価値感を味わい、愛されているのかと不安になる事も必然的に多くなって来ます。この無価値感を味わっている時に周りの大人からフォローがあればいいのですが、子供達の多くはフォローなしに、そのまま大きくなることが多いように私個人は感じています。わかってもらえない。子供の頃、そういう風に感じた人は沢山いるのではないでしょうか?この事に関する弊害は沢山ありますが、今回は、恋をすると不安になる人達について書いていますから、その事について書きますね。実は、気がついていようがいなかろうが、恋をすると不安になる人達の中に、この子供の頃の不安感をそのまま引きずっている人達が多くいるんです。相手の期待に応じる事が出来ないと無意識に感じている人は自分の存在感が脅かされないように、無意識に存在感が脅かされないようにして、自分を守ろうとする場合があります。自分を守る方法として、最初から存在感を味わえない相手を恋の相手に選んだり、恋を成熟させるのが、無理な相手を選んだりする場合もあります。また、恋が成熟しないようにバリアを作る人もいます。たとえ、意識では恋人と恋を成熟させたいと願っていてもです!まだまだ次回に続きます。
2008.05.28
実は、我家にも一人いましたが(笑)恋をすると不安になる人がいます。好きな人と会っている時は、楽しいのだけれど、家に戻ってきた時や、一人で過ごしている時にふと不安になり、”何故メールの返事がすぐ来ないんだろう?””相手は自分のことが本当に好きなんだろうか?”とか”遊ばれているのじゃないだろうか?”などと思い始めます。まあ、こうして不安を感じるから、期待するのをやめようと自分に言い聞かせながらも、好きな相手に好かれたい気持ちから、相手に優しく接そう努力したり、自分を磨いたり、また、相手に優しくされると、楽しくなったり、嬉しくなったり、幸せを感じられたりするわけだから、一概に不安が悪いとは言えません。最近では、なんでもかんでもポジティブに考えればすべてうまく行く的な考えがどちらかと言うと横行しているように感じますが、以前も話したようにネガティブな感情も生きていく上では必要でしたね。でも、恋に対する不安症状が酷くなってくると、相手や自分に恋に落ちるチャンスを作らないようにしたり、万が一、ちょっと気になる人が出てきても、自分がその人を好きになるかもしれないと思ったとたん、その気になる相手に自分を好きになってもらわないように無意識に行動する人がいます。要するに、自分で見えない壁を作って、”どうか私を好きにならないでね”というオーラーで自分を包んでしまうわけです。(例え、自分では好かれたいと思っていてもです!)あなたに恋する人の気持ちが強い場合は、それでも、諦めずにアタックしてくるでしょう。そして、恋が始まる場合もあります。ところが恋が始まっても、恋を楽しむ事が出来ず、相手の気持ちが自分にあるのかどうか考え不安になったり、自分が不安になっているのを相手に悟られるのがいやで、冷静に振舞ったり、不安を相手にぶつけまくる人がいます。どちらの場合も、おそらく自己嫌悪に陥るはずです。ああ、私の(僕の)ことだ!と思った人で、私に話しても良いと思われる人はどうかメッセージで、あなたの体験を教えてください。恋をつかまえたいのに、自分から恋を逃がすような事をしてしまう。恋を実らせたいのに、壊すような事ばかりしてしまう。相手の事を大好きなのに、信じられない。そんな人は、次回も続けて読んでくださいね。個人によって、色々な問題が絡んでいるから、一概に”こうです!”とは言えないけれど、一般的に何が問題なのか、参考になる事を例と共に書いてみたいと思います。
2008.05.22
愛されていないと感じた時、ふと不安になって、相手に愛されているかどうか確かめたくなる。そんな気持ちになった事のある人は沢山いるのではないでしょうか?その時、あなたはどうしたでしょう?確かめたいけれど、怖いから黙っていた人もいれば、”私(僕)の事愛してる?”と聞いた人もいると思うし、あるいは、”もう私(僕)のこと好きじゃないんでしょ”と言った人もいるかもしれませんね。あるいは、相手が自分に対してどれだけの事をやってくれているか、(あるいは、やってくれていないか)を話題にし、相手の反応を見た人もいるかもしれません。今、引き寄せの法則がとっても流行しているので、どうやったら、相手の気持ちを引き寄せられるか考えながら、色々と試した人もいるかもしれません。そして、全然効果ないと思った人もいるかもしれませんね。(笑)どんな方法を使っても個人の自由ですが、それで、あなたの不安は完全に解消できましたか?あなたの愛する相手が、あなたの言葉や行動に左右されず、思いやることの出来る人なら、不安を解消するような言葉を最初のうちはかけてもらえたかもしれません。ところが、そんな素晴らしい相手であっても、何度も何度も不安をぶつけられていると、だんだん不安というエネルギーの影響を受けるようになるので、そのうち、二人の間に重苦しい空気が流れるようになるでしょう。そうならないためにも、不安を解消したくなったら、自分が言おうとしている言葉が相手を不愉快にする可能性がないか口に出す前に、一呼吸おいて考えてみてください。感情的になって、そんな事できないという人は、今まで自分が不安を感じた時に発した自分の言葉とそれに対する相手の言葉を思い出してください。冷静に思い出す事ができれば、ある法則に気がつくはずです。思い出す事が出来なければ、次回不安になったら、自分の言葉とそれに対する相手の言葉を観察してみてください。私がこの法則について書かないのは、一度、自分でじっくりと考えてもらいたいからです。やだ~、知りたい!と思う人もいるかもしれませんが自分で気がつけば、人から言われるより納得できるものです。
2008.05.15
今日は、私の日記を読んでいただけたらと思い、ここにコピーしました。勝手な憶測ですが、自分の経験がファンタジーの中で生きている人とファンタジーの中で生きる人に接している人に参考になるかもしれないと思ったからです。ファンタジーには色々な種類の物があり、その中には、人を巻き込み危害を与える種類の物もありますが、私の日記では、日常普通に起こりえるファンタジーについて書いてありますのでご了解くださいね。それから、こちらの日記を読まれる前にこの日記も読んでいただければ、もう少し事情がわかるかもしれません。*******寒い毎日が続いています。そんな中、お庭に植えた花が次々と咲いています。庭に植えた野菜も次々出来てきて、私に喜びを与えてくれます。ラッキーが亡くなって、ちょうど10日目。おかげさまでペットロス症候群にもかからず、元気に過ごしています。愛犬が死んでしまうと、その現実を受け入れられず半年から1年近く立ち直れない事もあると聞いていたので、少し自分の事を心配していたのですが、どうも私は現実をきちんと受け止める事が出来たようです。ラッキーからもらったレッスンをしっかりと学べたと言う感じがして、ラッキーに感謝しています。もちろん、ラッキーの事を思い出さないわけではないのだけれど、だんだんと楽しかった日々を思い出すようになりました。ご心配をかけた皆様、メールをくださった皆様本当にありがとうございました。母には未だ連絡していません。でも、もうすぐ母の日が来るし、いつまでも避けて通れないので、電話をしようかと考えています。でも、私からラッキーの話はしないつもりです。人はとても苦しかったり、悲しかったりすると時に現実を受け入れないで、ファンタジーの中で生きる傾向があるように思います。でも、ファンタジーの中で行き続けるのは不可能です。だからと言って、ファンタジーの中で生き続けたい人に時期を誤って真実を見せつけるのは酷な話です。遠くに離れ一人で住んでいる母は、毎日寂しい思いをしているでしょうから、真実を受け止める余裕が出来ていないうちにラッキーの死を知らせれば、傷つき心を痛め続ける可能性があります。実は、ラッキーが死んでから、私の心の悲しみを母に話したいと感じたことがありました。でも、私はその衝動が起こるたびに、自分が悲しいからと言って、誰かを巻き込むのは相手の事を思いやる気持ちがないからだと自分に言い聞かせて来ました。母の日、母に電話をして、もしも、母からラッキーの話が出れば、そろそろ心の準備が出来たということですから、私はあの日の事を話すでしょう。そしてその時は、母と一緒になって再び涙をこぼすことになるでしょう。もしも話が出なければ、意識して出さないのだと言う事が私には理解できるので、どんなに私が話したいと思っても、自分の心の衝動を押さえるつもりです。そして、私にはそれが必ずできると自分を信じています。
2008.05.08
今日は、男と女のコミュニケーションについてではなくて、ちょっと自分の事を書いてみたいと思います。我家にはもうすぐ11歳になるコーギー犬がいます。名前はラッキーです。コーギー犬の平均寿命は12歳です。我家のコーギーはドッグフードを食べるともどすので、ずーと手作りの食べ物を食べていました。そのせいか、ラッキーは良く子犬に間違えられるほど、元気で若く見える犬でした。でも、やっぱり寿命には勝てなかったのでしょうか、肺癌にかかってしまいました。気がついた時は末期で、ちょうど2週間前にあと2週間の命と言われました。わたしにとっては、末娘のような犬だったので、突然の出来事にとてもショックを受けました。それでも、悲しみに明け暮れるのではなく、少しでも残りの人生を楽しめるように散歩に出かけたり散歩が出来なくなったらドライブに連れて行き色々な景色を見せてあげました。人間なら、あそこが痛いとか、どうして肺癌なんだとか文句を言ったり、嘆き悲しみあるいは怒り狂うのかもしれませんが、ラッキーは文句一つ言いません。外に行く時は、素直に喜び、景色を楽しみ、今を謳歌します。ラッキーを見ていると、”人生は今を楽しむためにあるんだ”と再確認せずにはいられませんでした。それでも、ちょうど2週間がたって、少しでも身体を動かすと辛そうです。それでも、ラッキーは現状を受け止めてじっと横たわって必死に息をしています。犬はオーラが見えるし、飼い主の思いを汲み取るので、彼女の命に執着している家族を残していくのは心配だと頑張って息をしてくれているのだと思います。この2週間、1分でも長く生きていて欲しいと思い続けたけれど、わたしは、彼女の命に執着するのをやめました。愛を与えることしかしらない犬にとって、それはとても、辛い試練だから。私達人間は、毎日しっかりと生きているでしょうか?今を楽しんでいるでしょうか?愛を奪い取る事ばかり考えていないでしょうか?愛を十分に与えているでしょうか?状況を素直に受け入れているでしょうか?これが足らない、あれが思いどうりにいかないと文句ばかり言ってはいないでしょうか?自分だけでなく、自分の周りにいるすべての限りある命を、大切に扱っているでしょうか?わたしにとって、ラッキーは大いなる師でした。本当にありがとう。
2008.04.14
お久し振りです。先日アメリカに戻ってきました。日本では皆さん本当にありがとうございました。今日は時差ぼけで夜中に目がさめ、時間がたっぷりあるので続きを書きますね。さて、この間「自分は素直に自分の気持ちをパートナーに伝えているか2週間だけでもいいですから、観察してみてください」と書きました。するとどうでしょう。アメリカに戻ってきて、すぐに自分の気持ちをしっかりと観察しなければいけない状態になったんですね。ですから、今回は私の事を例に話したいと思います。私は普段、自分の気持ちを観察する癖がついています。同時に相手の気持ちも観察します。相手を観察し、相手の心理状態を理解し、相手の立場にたつことが出来れば、コミュニケーションを上手に取れるからです。ところが、誰でもそうですが、身近な人の場合、自分が落ち着きを失った時にはエゴが出ます。私も、アメリカに帰って来たばかりで、疲れていたのもあって相手が機嫌悪いのを見て、エゴまるだしで、同じように機嫌が悪くなって来たと感じたのです。でも、本当は自分が疲れていて機嫌が悪かったので、自分を正当化するために、相手が機嫌が悪いと感じた可能性もあります。(人はお腹がすいている時、疲れている時、他の何かでストレスを感じている時、目の前にいる人物に対して寛大ではいられなくなる時があるのですよ。はい、言い訳だとわかっています。)怒っている時と言うのは、お互いに素直な気持ちは伝えていないし、相手が感じている事を冷静に理解出来ないから、相手の気持ちを汲み取ることもできなくなります。要するに、自分の怒りをぶつける事だけに、エネルギーを集中させてしまうのです。怒っている時に出て来る言葉の一つに「どうして?~~」と言うのがありますが、我が家でも同じ事。「どうして云々?」が始まりました。多くの人は”どうして?”と相手に怒りをぶつける時、相手が自分の事を”わかってくれていない”と感じているのです。わかってくれなければ、素直に自分の思う事を言えばいいのに、こういう時、私達の多くは自分が正しいと思いたいのでまず、相手を責めます。責められたほうは、自分は悪くないと思いたいので責め返します。そんな事が、10分ほど続いてハッと気がついたわけです。怒っているから、素直に自分の気持ちを伝えてない。相手の気持ちも考えていない。。まったく、人に偉そうに言っているくせにしょうがない私ですね。自分は素直に自分の気持ちをパートナーに伝えているか、観察してみた人は気がついたかもしれませんが、怒っている時に相手に伝えている事は、本当の気持ちではありません。例えば、”何故電話くれないのよ?人の事を考えてない”と怒る時、本当の気持ちは電話がなかったから心配したとか、寂しかった、声が聞きたかった等ではないでしょうか?”うるさいなぁ~、出来ない時だってあるんだよ”と言い返す時本当の気持ちは、忘れていて申し訳なかったとか、友だちの手前、かっこ悪くて電話できなかったとか、気になっていたけれど、出来る状態じゃなかった等ではないでしょうか?お互いよーく考える癖をつけましょうね。
2008.03.21
今年に入ってから、一度も書けなかったので、今日は眠い目をこすりながら、ちょっぴり頑張って書いています。28日、日本に行くので、またまたしばらく書けません、楽しみにしていてくださる方、本当にごめんなさい。*****去年からの続きになります。よろしく。私達の多くは子供の頃から、自分の気持ちを素直に出すと親に"何を言っているの?”"馬鹿な事言うんじゃないの”"ダメダメ”などと言われ続けたり、正直に自分の気持ちを伝えていない両親を見続けたりしているうちにどうやら、素直に自分の気持ちを相手に伝える事はいけないことと勘違いしてしまったようです。素直に自分の気持ちを伝える事が出来ない上に男性と女性の脳ミソは、働きが違うわけですからますます厄介だと思った人は沢山いたことでしょう。悲しいかな大抵の場合、男と女は基本的に違う生き物だと理解するのは、自分の本当の気持ちを伝えなかったために、色々な寂しい思いや、辛かったり、苦しかったりの経験を沢山積んだ後のようです。と言っても、実際には本当に理解している人は少なく、多くの人はただ、諦めているという状態。自分のパートナーに対してどうせわかってもらえないと思い、恋心がなくなってしまっている状態と言った方がしっくり来るかもしれません。パートナーを変える事が出来る人の場合、新しい人と恋に落ちる事が出来れば、しばらくの間はルンルン気分をまた味わえます。ただし、パートナーとの関係はルンルン気分の時期を必ず通り越して、次の段階へと進んでいくので以前の相手との関係で、まったく何も学びがなければ何度相手を変えても、よほど以前の相手が悪い人でない限り同じような経験をする葉目になります。男女関係において、次の段階に進んだ時にある程度感じるストレスに関しては、人間が出来てないとか出来ているとかいう問題とは無関係で、大抵の人が通る道だと覚えていてください。余談ですが、そう言う事なので、特に、スピリチャルが大好きな人は、自分のパートナーとコミュニケーションがうまくとれない場合、自分を責めたり、自己嫌悪に陥る事がないように注意してくださいね。だいたい、コミュニケーションのとり方なんて、自分から勉強しないかぎり、中学校や、高校で教えてくれませんから、成長過程で自分の周りにいる人間を見たり、経験しながら覚えていくわけです。素直になって、正直に自分の気持ちを伝える事が出来ない多くの人達に囲まれ育てば、当然、素直に自分の気持ちを相手に伝える事に躊躇してしまうのも無理もない事。まして、勇気を出して、素直になって自分の思いを伝えた時に、傷ついた経験がある人なら、ますます臆病になるのも無理はないでしょう。でも、男女関係に限らず、相手と良い関係を築くには、素直に自分の気持ちを伝える事は大切なことです。もちろん、良いコミュニケーションは素直に気持ちを伝えるだけで成り立つものではないのですが。あなたがあなたのパートナーと今よりもっと良い関係を築きあげたいと思っているなら、まず最初に、素直に自分の気持ちを伝える練習から始めてみたらどうでしょうか?どんな練習をすればいいのか、って?まずは、自分は素直に自分の気持ちをパートナーに伝えているか2週間だけでもいいですから、観察してみてください。怒っているから、その事を伝えているというのは、本当の素直な気持ちではないのですよ。もしも、よければ、観察してみて、感じたこと、気がついた事のメッセージをくださいね。ヨロシクお願いします。
2008.02.26
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