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2009年7月26日 マヤ暦元旦 天河の五十鈴が 原爆投下64年目を迎える広島平和公園にて おごそかに なり響きました。。 原爆投下された午前8時15分。 原爆供養塔の裏側にて。 また、ライブでは、10時ごろ 原爆資料館の下でも・・ (原爆資料館は、足が長くて 下が吹き抜けの構造になっているのです。 以下 ウィキペディアより 原爆ドーム・慰霊碑・資料館を結ぶ南北軸と、資料館を中心とする3棟の建物による東西軸からなる公園の計画は、当時の若手建築家・丹下健三の設計による。資料館と慰霊碑も丹下の設計。) 大阪の岩塩のおかあさんと その御縁で伊勢や徳島から来ていただいた方たちによる こころからの祈りの音が響きわたりました。 水のエネルギーをいっぱい蓄えた 天の鈴。 そのとき、この地に 雨が降っていることが ごく自然のことのように思えました。 (☆大雨災害の方には こころよりお見舞い申し上げます☆) LOVE&PEACE From Hiroshimaプロジェクト 25.26日と二日間わたるスケジュールを 天のお導きにより 無事 終了しました♪ 御参加のみなさま 水などを送ってくださったみなさま 御心を寄せてくださったみなさま 本当に ありがとうございました♪ 何から書いていいのか いろんな切り口があって そこから発するいろんな思いもあって まだ迷っていますが。。 お礼だけを とりあえず お伝えしたいと思います。 感謝をこめて
2009年07月27日
今朝 出会った 素晴らしい言葉。。今度 巫女舞を教えてくださるニギハヤミさんの日記より。。*****肉体を媒体にして生きる今世、人は皆その体内に宇宙と神を住まわせている。 祈る事はブーメランのように想いを遠くに投げることではなくて、立ち位置を確認すること。自分の立っている場所と足の裏、丹田、肉体のありかと在り方を知ること。 *****本当に。。それをしてきたなあと 明日のイベントの本番を前に思います。立ち位置が決まらなければ 何もできなかった。助けたいとか 癒したいというのは、奢りだと思う。もともと、そんなことができるわけはない。ただ 魂により添ってあげることはできるけどね。それにより 同じような効果が上がることはあるけど。。でも それが目的だなんて 少し変だ。助けたいとか 癒したいと思っているうちは、必ずといって見返りを期待している。ありがとうと言われたいとか、助けることができた自分ということを味わいたい自分に価値をもたせたい。。というエゴが、潜んでいることに 気づかなければいけない。これに気づいていないと自分のシナリオ以外のことが起きたときに受け入れらないのだ。満たされたくて した行為で 逆に枯渇してしまう。なぜならば 見返りを気にしながら する行為は 条件付き愛であって無条件の愛ではない。無条件の愛は、ある意味 自己完結している。そして 尽きない愛の泉・・。たとえとして心地よい朝に すれ違った知らない人々に にっこり笑って「おはようございます」と声をかけていくシーン。。そんなイメージが湧いてくる。にっこりと 「おはようございます~」と返してくれる人もいるだろう。知らない人なのに 変なの~って いぶかしげな顔をしていく人もいるだろう。いろんな人がいて 当然で。。だから 結果は、気にしなくていいのだ。あまりに心地よい朝で 「おはようございます」って声をかけたくなった自分。それを行動に移したことで そのことは完結して すでに満たされているのだから。。その後のストーリーは、神任せ。。ハンドルを手放せばいいだけ・・。しらずしらずに作ったシナリオの道をはみださないように コントロールしたり予想外の反応に どうして そういう反応なんだろうって 悩む必要はない。シナリオ通りに 決まってないからこそ 次に何が起こるか わからないこそこの世は わくわくと面白い♪
2009年07月24日

2009年07月22日
明日は、新月で日食。 世の中では、大イベントのようになっていますが、 わたしは、いにしえから多くの聖者たちが伝えてきた教えにしたがおうと思います。 見るも見ないも 自由だし、 わざわざ日記に書くことでもないと思っていましたが きょう、タタール閣下☆の日記を拝見して ふと 書いてみることに・・ とても わかりやすくて うけとりやすい太陽の女神のメッセージ。 おもわず 深く うなづいてしまいました。 太陽の女神がそっと告げること タタール閣下☆いつも すてきなメッセージを ありがとうございます^^
2009年07月21日

18日 おとといの夜のこと 宮島の厳州ギャラリーさんというところで インド舞踊家 マイミク さださんの瞑想会&舞踊がありました。 さださんは、茶谷祐三子さん。 彼女との出会いは、2007年の宮島すぴこんにて。 あのすぴこんは、主催者のよーこさんの素晴らしさだと思うけど 前日にしっかり 御神事を行ってから催された素晴らしいイベントでした。 そのときの簡単な感想日記↓ http://plaza.rakuten.co.jp/marias/diary/200708080000/あまりに素晴らしきメンバーの すばらしき御神事の中で これは、すぴこんするために 御神事をしてるのではなく、 この御神事するために すぴこんをされたのだと ふと気づいて聞いた私に 「あれ? そうよ~ 今 気づいたん?」って 笑ってらっしゃた よーこさん。 本当に 本当に そのように真剣にそして 喜びと愛を持って関わってほしかったのだと 宮島がとても喜んでいました。。 さださんもその御神事の中で 舞を披露してくださいました。 そのあと、すぴこんとして 大聖院観音堂でも。。 深い祈りが中心にあって 心に響く舞。。 同世代だったし このDEEPな宮島すぴこんの御神事にともに関わったことや 一緒に寝泊りしたせいかなんだか わたしは勝手に「同志」のように思うようになってました。おととい お会いしたのが、実際は二回目なんだけどね。。笑 そして 彼女の舞を拝見していて 感じたのは、 彼女は日本人だけど スピリットはインドの人だと。 それほど 形だけではない 精神的にも 文化的にも しっかり より添って生きてこられているのが伝わってきました。 サラスヴァティの舞・・では 巫女舞だと 感じました。 フラダンスにも ショーダンス以外に カヒコという巫女舞があるけど、 これは、インド舞踊の巫女舞で 祈りだと。。。 すごく確信して あとで 彼女に話してみたら やはりそうで。。 本日の海の日のフライヤーにも すでに そう書いてあったみたい。笑 ↓ ********************************* インド舞踊オディッシー公演 海の女神に捧ぐ~宮島から世界へ 東インド オリッサ州に伝わるこの踊りの起源は神に仕える巫女(マハリ)の奉納舞踊にあります。『動く彫刻 』 ともいわれ、力強く直線的な男性的要素 と、優雅な曲線を描く女的要素 が融合されています。 螺旋を描いて展開する音楽と動きも、大きな特徴です。 このたび、世界遺産の宮島でインド舞踊オディッシーの公演を行うこととなりました。ダンサーは兵庫県在住の茶谷祐三子さんです。 是非この機会をお見逃しなく。 日 時 2009年7月20日(月)海の日 会 場 厳州(げんしゅう)ギャラリー(廿日市市宮島町魚之棚657) http://www.urban.ne.jp/home/puriai/ 時 間 AM11:00開場 AM11:30~インド舞踊公演 AM12:30~昼食会 料 金 3000円(ベジタリアンのインド料理の昼食を含みます) 茶谷祐三子プロフィール 中国を旅し、シルクロード、パキスタンを経てインドに渡る。オディッシーの総師、故ケルチャラン・マハパトラ氏と出会い、オディッシーへの道を確信。インド屈指のオディッシーダンサー故プロティマ・ガウリ女史創設のNRITYAGRAMの2番目の生徒として迎えられ、インド各地に公演に出る。4年間のスイス暮らしを経て日本に戻り、全国各地で奉納舞踊、公演、瞑想会などを行っています。 http://hananomiya.jp/index.html ****************************** (実は、昨日までにアップしてお知らせしたかったのに 間に合わなくてごめんちゃい☆) この瞑想会&舞の会は、プライベートな集まりで インドカレーを作ってくださったKeiさんの知り合いばかり集まったところへ さださんに呼んでいただきました。 サラスヴァティというと 河を神格化した 水の女神 日本の弁財天。。。と ストレートに考えてしまう私ですが、 インドでは、美の女神でもあるそうです。 っていう理由なのかどうなのか、その夜集まったみなさん、とても美しい女性ばかりでしたよん♪ 超御満悦。爆 Keiさんのつくられたカレーもおいしかった~。 わたしは、量が少ししか食べれないので こんな感じ。。笑 みんなは、こんな感じ♪ keiさんは、チベット料理もできるらしいよ♪すご~い♪ 舞のあと、灯りを消して あったかいチャイをいただきながら みんなで さださんに教えてもらった バジャンを歌い。。 宮島の神秘的な夜を過ごしました♪ 嬉しいことに このさださん、今週末にある 25日大聖院 26日平和公園である LOVE&PEACE From Hiroshimaに 出演してくださることになっていま~~す♪ この機会にどうぞ お越しくださいませ♪
2009年07月20日

平和は個人個人の平安な心の集まりだと思います。 平安は自分自身の「想い」の中にあり、つまり平和、平安は感覚、感情です。 外に見える景色や環境に影響されるのではなく、人の心を観るのでもなく、また自分の過去 未来を見るのではなくて「いま」今の一瞬の自分の心を明るい想いに変えていきます。 私達が明るく楽しく平和な心となって、その想いを身近な人々と分かち合い、心平安な人たちが集まって「和」となる。 これが平和の意味で、和平ではありません。 平和、平安は外に求めても、自分の外には無く、自分の心の中、想いの中にあると確信しています。 平和、平安は自分自身の感覚、想い、感情にあるからです。 これは2004年5月、原爆の後遺症甲状腺ガンでで他界された川野正次さんが生前に伝えてくださったものです。 「平和」とは何か。私たちの想いとは何なのか。 多くのことを教わった深くそして重いメッセージの数々です。 御縁の小林幸生さんのHP さすらい通信 より http://www.geocities.jp/kouseikoba/ ******************************** 出雲大社 のうが高原 宮島 ・・という 生前 川野さんが大好きだった場所にいくと ふと 彼のエネルギーそのものを感じることがあります。 ときどき 彼になってしまったかのようなときもあったりして・・。 川野さんとDEEPに親しかった方々に 不思議に御縁があるのだけど わたしは、直接の御縁はなかったというのに。。 今 このメッセージを見つけて 来週末の LOVE&PEACE From Hiroshimaのイベントに際して 心構えとしてたどりついたものと、 まったく同じだったのに びっくりしたと同時に ふっと 安心することができました。 ありがとうございます。。。合掌♪ 写真は、七夕の四国での美しい日本紫陽花。。
2009年07月18日

歌って踊って楽しんで。。 天の岩戸は、むっつりがおでは、開きませぬ。 歌いましょう 踊りましょう♪ 第1回 @広島 巫女舞ワークショップ 日時: 8月22日(土)13時~20時 場所: 吉島公民館 和室 yahoo地図 参加費: 10,000円 定員:10名(定員に達し次第締め切り) 指導:阿彌* ニギハヤミ 瀬織 (From Tokyo) お申し込み&お問い合わせ: マリアスまで 札幌のたまなんは、10年来のお友達。 こんなに遠く離れているけど この十年間のうち 4回くらいは会ってるかな♪ その大好きなたまなんが「巫女舞」ワークショップに参加した日記に ぴぴっときて 早速 連絡差し上げたら ちょうど 来月広島に来られる予定があったんですよ~~。 ってことで とんとんとんと決まりました♪ 宇宙の流れに乗ってると なんと早いことか♪ みなさま 一緒に 喜びとともに 舞舞いたしましょう。。 たまなんの日記↓7月4日今日は、『巫女舞い』ワークショップに初参加しました mixiでコミュを見つけ、札幌でWS開催を知り、好奇心から申し込み しかし…行ってみると、初参加はなんと私だけ ちょっとビビってしまいました 巫女舞いと言っても、神社の巫女さんが舞う儀式的な舞ではなく、 天と地を繋ぐ太古のジャーマン的な、フリーダンスの要素が大きい舞いでした 骨の動きの説明を受け、それを意識して歩いたり チャクラに対応する動きをしたり お経、祝詞、印、摺り足…盛りだくさんでした 大切なのは、自分の身体と対話をすること 丹田を意識すること☆ これらは、ヨガや太極拳のお稽古と同じです。 同じですが、アプローチの方法が違うと、感じ方もまた変わるものですね。 参加者が輪になり、舞の前後に「型」があるのですが 私だけが初参加…他の方達が何気に引っ張ってくださり、助けて頂きました エネルギー音痴の私ですが(笑)この時はさすがにエネルギーを感じましたねぇ 今回参加して感じたのは、いかに自分は自分自身を制限してきたかってこと 日本人は奥ゆかしいのが美徳とされてきたところがあるし、 私自身も自分を目一杯発揮するのは「恥ずかしい」「はしたない」という思いが、心のどこかに有るような気がする。 それと、自分を100%出したらどうなっちゃうのという「恐れ」みたいな得体の知れないキモチ …それって自分で作った幻想なんだろうな…笑 もっともっと自分を楽しむためのチャレンジを続けていこうっと 今日は身体をたくさん動かしたので、心地よい疲労感が残っています ぐっすり眠れそう…オヤスミナサイ…(-_-)zz
2009年07月09日

昔のエッセンスに めぐりめぐって 教えられることの多いこの頃。 今日は、枝垂桜のエッセンスに 教えられました。。 今日のお客様、京都のセラピストの友人からのご紹介で初めて来てくださった方。広島の方なんだけどね。鬱になって 自分を愛すること 自分を赦し、他人を赦すことが大切だってことは わかりました。でも どうやったら そうできるのか わからないといわれてました。解の解放セッションをしたら終わったとたんにくすくすって 笑いだされたんで びっくりしましたが。。夢うつつから目覚めたら 急に「本来の自分」に戻ってて なんだか 可笑しくなったんですって。それから サポートになるエッセンスを選んだら放射能や霊障にもパワフルに対応し、エーテル体のオーラの境界を強化する FESのヤロウ・エンヴァイロメンタル・ソリューション とわたしのオリジナルエッセンス 枝垂桜の二本がでました。この枝垂桜のエッセンスのメッセージを伝えただけで自分を愛することの第一歩が わかったようでした。枝垂桜(しだれざくら) Weeping Cherry2001年4月2日に宮島で生まれたエッセンスkey word : 「受容」チャクラ : 第2・ハート・喉・クラウン自分自身が本当に思っていること、感じていることをそのまま認めなさい。どんなにそれが あなたの理想とかけ離れていても それは間違いなくあなた自身・・・ただ認めなさい。それを口を使って外へ出しなさい・・・それがあなたが自分を愛する第一歩です。自分自身をしっかり見つめるのは本当に恐いこと。でも私(枝垂桜)が 桜色の柔らかいエネルギーで包んでいてあげるから 怖がらないで しっかり自分の感情を見つめてあじわう時間を持ってね。あなたの思うことを誰も裁くことは出来ません。そう、それは あなた自身にも。追伸明日 七夕○満月は、徳島剣山 山頂にて迎えます♪もちろん ライアも一緒♪
2009年07月06日
このドライブの翌日 ライアのおべんきょ会にきてくれてたかわいい女性は、 毎年、大山の山開きに家族でたいまつ持って参加してるんだって。 へ~~ なんか おもしろ~ んでもって 彼女はつい最近 ず~っと行きたかった伊勢参りに旦那ちゃまが連れていってくれてとても素敵な時間を過ごしたのだけど あちこちで 夫婦杉のような樹をみて 「夫婦なかよく」ってメッセージを いっぱい受け取ったとのこと。 へ~~ しんくろ~~ この日の夜、わたしは、ペンダント探してて 結婚指輪を見つけた。 パン屋さんしてたから 指輪なんてつけていられなくて はずしたまま 今に至る。 旦那ちゃまは、指が太くて短いので指輪が似合わないからと 新婚旅行の期間限定でつけてくれた指輪も そこに一緒にあった。 わたしの指輪を 左の薬指にはめてみた。 なんだか 不思議にしっくりきたので しばらくこのままでいようと思う。。 指輪もこころも あるべき場所に 戻ったのかな。 いろんなこともあったけど これから行く長い道も 一緒に歩く人は この人でほんとによかったと思った。 わたしの 声なき声にも 耳を傾けてくれて 大事にしてくれる人で。。 終わり
2009年07月05日

この自然石の石畳の参道は、日本一の長さらしい。 途中で看板があったりした。 その長さ 700メートル。 こりゃあ ほんとに歩きにくい。 お年寄りとか大変だろうなあ。って 最近 よくお年寄りが歩くことを考えてしまう。 それって年のせい?(笑) ここには 日本一が三つあるそうだ。 大神山神社の3つの“日本一” 1つ目は、大神山神社に続く道を自然石を敷きつめた参道の長さが約700mで我が国最長であること。 2つ目は、社殿が国指定の重要文化財かつ国内最大の権現造りであること。 3つ目は、奥の宮幣殿にある白檀の漆塗りが日本一規模が大きくて美しいこと。ほか西日本最大級の神輿もあります。 なるへそ。 鳥居を過ぎて ほんの少し行った場所に「和合の樹」というのがあった。 二本の樹と石がこんなにうまく和合しているさまは、珍しいとのこと。。。 なんとなく、今日のテーマだわ。 「和合」 旦那がさっさと歩いていって 「遅いっ」て顔をして振り向いたりしてた。 きゃ~~。 「カメラを持って歩いてるから 遅いんじゃ。バッグに仕舞え」 と 司令がでる。 「は~~い。」 おとなしく 従うわたし。 だって 神社 連れてきてくれたんだもん♪ と 現金なわたし。 おおかた登ったところに 御神門があった。これも有名なものらしい。 そしてこれは、見覚えがあるご神紋。。 剣花菱亀甲紋(けんはなびしきっこうもん)。 出雲大社と同じだ。 ということは、ここは、大国主の命がいらっしゃるのかな? この紋が三つ重なり 厳島神社のご神紋となる。 剣花菱三ッ亀甲紋。 立派な本殿に到着。 大国主らしき絵があった。 やっぱり。。。と 思う。 誰も来そうにない雨と霧の日なのに お二人の方が社務所にいらした。 旦那と一緒に お参り。 わたしにとって 神社とは、 自分自身のブレを正すことを助けてくれる場所であり、 お礼を言ったあとは、いつも 受信するところだ。 「佳きかな 覚悟せよ。」と女神の声がした。 ん? ここは、大国主の命の神社ではなかったっけ? 不思議だった。 この日の早朝の厳島神社のお参りでの声とメッセージが同じようだったからだ。 「今日より、天と繋がっていることを片時も忘れないように。 頭から紐がでて 天から吊られているというように 常に意識することで 身も心も軽やかになり 姿勢も正しくなる。 良いですか? それでこそ、タマシヒのノリフネが真のハタラキができる。 そして これからは、「自分」という個性を最大限に活かしうることのみを行うように。 それは、 「喜びで満ち溢れている状態」かどうかで 測ることができます。」 言葉の多少の違いはあれど 朝もこんなメッセージだったのだ・・・。 お参りの後、すぐに横のお守りがいっぱいあるところに行ってみた。 七福神のストラップがかわゆくて目についたけど 買っている暇はないかも。 いらっちの旦那が見てるし。。(笑) 「すみません。ここの神社の由緒書きいただけますか?」と 申し出て 大神山神社の由緒書きをいただいた。 すぐに開いてみたら。。。 大神山神社の奥宮の御祭神は、大己貴神 これは、大国主の若き日の名前。 そして 末社(弁財天社)に 多紀理毘売神外二柱神(宗像三女神)・・・ 厳島神社と同じ女神の名前が。。 きゃ~ やっぱり!!!!! 大国主の本妻である 須勢理毘売は、本社(里宮)の末社に祭られ 愛人であり、大国主の最期を看取ったという多紀理姫が 奥の宮に祭られていて 今日はわたしは、あえて そこに呼ばれたみたい。 大山に宗像三女神がいらっしゃるとは、夢にも思わなかった。。 感激~~。 (とはいえ 由緒書きがいつも正しいとは限らないのだけど 笑) わたしのとっても満足そうな顔をみて、旦那も役目を果たしたかのように 満足そうだった。 「連れてきてくれて ありがとう♪」と 心から言った。 こんなふうに わたしの深いところの希望もくみ取って 何度も何度も かなえてきてくれたなあと思った。 特に神社に関して。。笑 表面上 そういうことに興味がない人なのだけど 潜在意識の深いところでわかっているのだろうと思う点はいろいろある。 繊細だが、神経質ではなく いっぱいわかっていても 逆にそっとしておいてくれたりする。 鈍感さだけで 勝手に傷ついたりする馬鹿な私なので こういう人でなければ 一緒に居れなかっただろうな。 帰りの石畳。。よく見ると よこに歩きやすい小道がつくられていたのに気づいて そこを走っておりた。 行きは、石畳しか目に入らなくて ここしかないと思って登ってきたけど 帰りは、こころに余裕も出て 視野も広がったのかいな? ここなら お年寄りでもOK♪ 長い石畳の参道は、雨の中でも 鳥の声がして ゆっくりその響きに浸りながら歩けたらなあと よくばりなことを思った。 ゆっくりお参りできるひと時があるならば、 ただ それだけでもギフト。 感謝に値するのだなあと また ひとつ 小さな幸せに気づいたりした。 また さきほどの 「天から吊られるように。。」「喜びに満ち溢れることをする」 おついたちに 場所を変えて 二度も言われたメッセージは 忘れないようにしたいな。 もちろん これは、私だけへのメッセージではないみたい。 終わり(いったんね) 追記 念のためしらべたら ご神紋の呼び名は「玄松子の記憶」さまのHPでは 「二重亀甲に花角」という紋ででいました。 「剣花菱三ッ亀甲紋」という名前も 厳島神社の神主さんから聞いておぼえたんだけど~ ここでの呼び名はちがうようです。 大神山神社 出雲大社 厳島神社
2009年07月05日

大山(だいせん)は、伯耆(ほうき)富士ともいわれ、高さ1729メートルで 中国地方一の高さを誇る山。 NHKの調べによると 日本の名峰の中の人気は、富士山、槍ヶ岳に続く 第三位・・とは知らんかった。笑 ↓ 日本の名峰 おすすめの山 By NHK ちょっと遠出すれば いける大きな山。 そんな感覚しかなかったけどね。 風の関係か、すぐ麓までくると 少し霧が晴れたけど 大山の全景は、とうとう見れなかった。 ふもとを通り過ぎて 車でどんどん上がると 大山寺と 大神山神社の位置を表す 看板があった。 大山の神社の名前が 大神山神社(おおかみやまじんじゃ)というのを 知ったのは、山コミュの人に教えてもらったから。 その時から めちゃ 興味があったのだけど 看板見て 俄然行きたくなっちゃった。 http://www.daisen.jp/p/2/area/yamagawa/66/ 大山は、その昔、「大神岳」「大神山」とも呼ばれていたけれども 神が省略されて 平安時代には、「大山(だいせん)}になったと言われているとか。 大山寺の下のあたりまで 車で行ったけど まあ、そりゃあ 霧が深く、 これ以上は進めないと思うほどだったのでの「大山おこわ」と看板の上がっているお店に入ることにした。 バスの待合所にもなっているそのお店は、バスを待っている人はいたけど お店は店員さんばかり。 二階にあるはずの食堂は、「今日はもう閉店しました」と 書かれてあった。。 お昼はとうに過ぎてたし。 午前中、嵐のような気候だったので 商売にならないからと 閉店したとのこと。 ありゃま 旦那ちゃま、目的の「大山おこわ」にありつけない。。爆 ~~ってなことが、わたしたちには、よくある話だったりするのだけど。(笑) わたしはといえば、そこの店員さんに 「ここから 大神山神社まで どのくらいかかりますか?」と聞いていた。 もちろん 近ければ行きたいから。 そしたら「往復で四、五十分」という答え。 雨の中で その時間はちときついよね~と思いながら ダメ元で 旦那ちゃまに「大神山神社に行きたい・・」と言ってみた。 旦那は、帰るだけで4時間くらいかかるので 今から神社に行くのは無理だと即答。 そうだよね。 もう 三時半過ぎてるし。 それに、レンタカーで来ていたので 車を返す時間が、8時の予定だった。 その前に ガソリンも満タンにしなくちゃいけないし。 今から出発して ちょうどよいくらいだ。。 * 家には、車が二台あるのだけど、 旦那の車は、会社が6年ごとにくれる社用車。 今までは、それを結構自由に使ってきたのだけど この不景気で 会社も厳しくなって私 用での使用禁止となった。 ま。当たり前っちゅ~たら 当たり前だけどね。 んで わたしの車は、軽なのでとても遠出には、向かない。(聖湖は、これで行ったけど) ってことで レンタカーを借りたので タイムリミットがあったのだ~。 後ろ髪引かれながらも 時間がないから仕方がない 雨も降ってるし。。と 心の中で自らを説得するわたし。 そういうときも あるじゃん と。 ナビの行き先を レンタカー屋さんに設定し直して 霧の中を今来た道を帰っていく。 ああ~ 近くまで来たのになあ。 残念☆ 行く必要なかったのかもしれないし。。って思って 窓の外を眺めてたら。。 何を思ったか、旦那が急に車を止めた。 「走って行って帰ったら 間に合うかもしれん。走る気あるか?」 って聞いてきた。 「え?」 一瞬 何のことかわからなかった。 「神社。。行くか? また来るっていうっても 嘘になったらいけんし。」 「え~~ほんと?行っていいん?? うん 行く♪」 雨の中だし、長い道を歩くような靴できてなかったし 時間はないし。。走らんといけんし。 行くのをためらうような理由が いっぱいあったのだけど それでも 私の心はきまっていた。 行く。 行きたい。 大山の神様にごあいさつをしたい。 七夕に徳島の剣山に行く前に。。?! 神社の名前を入れてもなかなかでなかったので 大山寺の隣に鳥居がって話だったので 「大山寺」とナビに入れて Uターン♪ こういうときに思うけど 旦那は不思議な人だ。 表面ではなくて 本当に深いところを ちゃんと感じたり汲める人。 はたまた 神様や天使に使われているのかもしれない。。って思うことも 時々ある。 わたしは、完全にあきらめていたのに。 もしかして わたしがおとなしく諦めていたからこそ かわいそうに思ったのかもしれないけど。 大山寺に着いた。 隣に あった♪ 鳥居が。 あれ、奥宮って書いてある。 この大神山神社って 奥宮のほうなんだ~。 奥の宮は、山のてっぺんにあるのかと思っていた。 奥からのスタート♪ 旦那は、車の中でスポーツサンダルを 運動靴に履き替えている。 あら 準備万端じゃん。。☆ わたしは、持ってないのに。。 鳥居をくぐると 石畳の道が続く~~。 ひえ~~ こりゃ長いし、苔が濡れてすべるし、とても走れたものではない。。。 大丈夫かいな つづく
2009年07月05日

濃霧注意報発令!? 天気予報こそを確認しなかったけど 発令していたに違いないほどの 濃い霧が立ち込めてて 数メートル先もみえない~~。。 「もし晴れてたら この向こうには、壮大な大山が が~~んとそびえてるはずで~」って 旦那が言うけど よくわかんない。 もちろん 初めての場所ではないのだけど。 以前、ここに家族で来たときの、赤ちゃんだった末っ子を抱っこして 二人の小さな子供と一緒に映った写真があったを覚えている。 今はその末っ子も高1なんで かれこれ15年前くらいになるのだろう。 あの頃は、若さゆえに 今よりもっと 出かけたがりの旦那ちゃまで・・ わたしは、行きたくないっていうのに 強引に連れてこられたのが、(とはいえ、縛られてまでのわけではないけど 笑) この大山(だいせん)だった。 無理やりだったので わたしは、片道3時間以上 往復7時間近いこのドライブ、ず~~と機嫌が悪くて、ず~とつまらなかった。 そのせいか、あまり記憶もないのだ。 旦那ちゃまは、「あの時食べた大山おこわが食べたい」というのが、今回の大山行きのきっかけだったみたいで 「お前もあのとき おいしいって 言ったじゃろ?」っていうけど そんな名前も イメージも 何にも残ってなかった。 写真を撮った場所も 一体どこだったのか? 普通は、覚えているんだけど ここに限って覚えていない。 ただ とっても 不機嫌だったということだけは、今でも体の中に残っていた。 このときのあまりの私の反応に ワンマンな旦那ちゃまも 無理やり私を連れてきても 面白くないことを 悟ったらしい。 御蔭さまで このドライブを限りに、嫌がる私を強引につれてくることは、本当に 無くなった。。 「パス~」とか 軽いやりとりですむようになった。 でも今も 「温泉」「山」へ「わたしと一緒に」行きたいという思いは常にあるらしく 「どこへ・・」って 話を持っていくと とんとん拍子に話が進むことは、珍しくない。。 そんな話をすると 友人に 羨ましいといわれた。 へ~~ そうなんじゃ~と 私の中には、 どこか一緒に行ってあげなくては という 義務感が あったのを感じた。 無意識のうちにね。 もちろん それが100%ではないのだけど。 この大山での複雑な思いも どこかに残っていたような気がする。 その場所へ 今 再び 一緒に行く事で その感情が解放しようとしているのか。。 旦那は、そのときの私の反応について 最後まで 口にすることはなかったけど。。 深い霧の静けさが、わたしを「忘却の淵」へと連れて行って ひとつ 記憶を蘇らせたようだった。 つづく
2009年07月05日
おついたちの朝。 ちょい寝坊しちゃって いつも迎えに来てくれるお友達夫婦&しまこちゃんがもう 家の前に来て車で待ってる~ってメールがあった☆ ありゃまもう リタイアしようかと思ったけど 少々待ってくださるってことで 急いで禊して 着替えて お友達の車に乗っけてもらっての。。 おついたち厳島早朝参りだったのでした。あは どたばた。。笑 そして 帰ってからは 旦那ちゃまと湯原温泉へおでかけする約束になってました。 チョイ前に マイミクまさみちゃまの日記を読んで (みくしーの人限定ですまぬ)http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1193095867&owner_id=611137&comment_count=14 「ぱぱ。わたし、湯原温泉行きたい」といったら 「お~~ 行こう 行こう んで いつ?いつ?いつ?」みたいなノリノリの旦那。おいおい。爆 当分 わたしが忙しかったので 1日にって約束だったのでした。 でも 今日、お参りから帰って 土砂降りの雨になってて。 「湯原温泉って河原だから 水が濁ってるかもよ~~」って言っても 「大丈夫。ダムだし、岩場だから濁らない」っていい張るので 出かけましたヨ。 大雨警報がでている広島から まだ警報が出てない岡山へむかって高速道路を水しぶきをあげて走っていくのでした。。なんか笑える。 んで 着きました。 湯原温泉。。 初~の混浴露天風呂っ 温泉はなかなか♪ 水も濁ってない~~ とはいえ、この雨の中。 そんなもの好きは、あまりいないらしく 私たちが行った頃に 一人の男性があがって 私たちが帰る頃に 二人の男性が来ただけで あとは、二人で貸切状態でした。 わたしは、いちお=バスタオルを巻いてましてたけど 誰も居なくなったら 人魚になって泳いでました。笑 川底から ぶくぶくとお湯が湧いてでているのがわかる。 「砂湯」 という名前の通りに その昔は砂だったのだろうけど 今は、砂利湯になっているかも。 石鹸とか使用禁止なのだけど アルカリ温泉なので 石鹸は不要。 お湯で洗っただけで 髪もさらさらになったよ。 これこそ 本当のエコ♪ そして 無料なんで 帰りにでも時間があればもう一度入りたかったかも。 そして この湯原温泉ってば、 もう鳥取のすぐ近くで 大山(だいせん)のふもとまで来てたので ついでに行っちゃえ~~と また ノリノリで 雨の中 北上して行くのであった。 ほんと ノリだけで生きてる夫婦なんで。笑 途中に蒜山高原があって そこでやめとけばよいものを・・大山に近づくと 次第に 道も山も霧に包まれていき・・ つづく
2009年07月05日

梅雨前線真っ只中のおついたちの朝。 初めての雨の厳島神社おついたち早朝参り。 それもこの季節らしくていいかもと。。 覚悟してたのだけど 不思議に雨があがっていました。 五時半のフェリーを待つ間に 朝陽が昇る瞬間も偶然見れて。 すぐに黒い雲に隠れてしまったのだけど おついたちの日拝もしっかりできて しあわせ。 家に帰るまで 雨はあがっていて まるで 空で傘をさして見守ってくれているかのような ほっこりな今日のおついたち参りでした。 ♪感謝♪
2009年07月01日
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