趣味の漢詩と日本文学

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June 5, 2007
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カテゴリ: 漢詩・漢文
和樊使君登潤州城樓 劉長卿
山城迢遞敞高樓、露冕吹鐃居上頭。
春草連天隨北望、夕陽浮水共東流。
江田漠漠全呉地、野樹蒼蒼故蒋州。
王粲尚為南郡客、別來何(一作無)處更銷憂。
【韻字】楼・頭・流・州・憂(平声、尤韻)。
【訓読文】
樊使君の潤州城楼に登るに和す。 劉長卿
山城迢遞として高楼敞(たか)く、露冕鐃を吹きて上頭に居り。

江田漠漠たり全ての呉地、野樹蒼蒼たり故の蒋州。
王粲尚(かつて)南郡の客と為り、別来何れの(一に「無」に作る)処にか更に憂ひを銷さん。
【注】大暦五年(七七〇)潤州に旅したときの作。
○樊使君 樊晃。大暦五年から七年にかけて潤州刺史をつとめた。「使君」は、刺史。
○潤州 江蘇省鎮江市。
○城楼 城門上の物見やぐら。 
○山城 山間のまち。
○迢遞 高く切り立ったさま。
○高楼 高く立派な建物。
○敞 たかくひろいさま。
○冕 礼装用のかんむり。

○上頭 前列。
○漠漠 ひろびろと続くさま。たり全ての呉地、野樹蒼蒼たり故の
○蒋州 唐の江南道の州の名。旧治はいまの江蘇省南京市。
○王粲 後漢末の文人。山陽高平(山東省鄒県の西南)の人。字は仲宣。若いころ、乱を荊州に避け、劉表に仕えたが、多年志を失い、「登楼賦」を作って思いを抒した。のち曹操に仕え、丞相の掾となり、関内侯の爵を賜り、官は侍中に至った。建安二十二年、呉への遠征中に病没。王粲登楼は文人の落魄漂泊の典拠となった。建安七子の一。(一七七……二一七年)。
○尚 「嘗」と通ず。かつて。

○別来 別れて以来。
○何処 どこ。
○銷憂 憂さを晴らす。
【訳】
樊使君の「潤州城楼に登る」詩に唱和した詩。
山間の町けわしくて城門の楼いと高し、かんむり露わにカネたたき陣の前列位置しめる。
天までつづく草の原、夕陽うつして川流る。
呉地の田畑は広々と、もとの蒋州木々深し。
王粲南郡の地にあそび、別かれて以来いずこにて己が憂いを消すやらん。





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Last updated  June 5, 2007 11:40:56 AM
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