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【本文】男、女の衣を借り着て、今の妻のがりいきて、さらにみえず。【訳】むかし、ある男が、女の着物を借りて着て、新しい妻のところに行って、それっきりまったく姿を見せなかった。【注】「~のがり」=~のところに。「さらに~ず」=まったく~ない。【本文】この衣をみな着破りて、かへしおこすとて、それに雉・雁・鴨をくはへておこす。【訳】そして、この借りていった着物をすべて破れるまで着て、返して寄越すというので、その際に破れ衣にキジとカリとカモを添えて寄越した。【注】「おこす」=よこす。【本文】人の国にいたづらにみえける物どもなりけり。【訳】地方ではありふれた品々だった【注】「人の国」=京都以外の地。地方。田舎。「いたづらに」=つまらない。【本文】さりける時に、女、かくいひやりける、いなやきじ人にならせるかり衣わが身に触ればうきかもぞつく【訳】そんな時に、元の妻が、こんなふうに歌を作って贈ったその歌、いや、もう着るつもりはない。こんな愛人に着せてよれよれになっている私のところから借りていった着物を。わが身に触れたらいやな愛人の移り香がついたらこまるから。【注】「きじ」=鳥のキジと「着じ」の掛詞。「かり衣」=私から「借り」た着衣と鳥のカリの掛詞。「かも」=「香も」と鳥のカモの掛詞。「~もぞ」=「~したらこまる」と、将来を予想して懸念の意を表す。
August 20, 2016
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【本文】在中将に、后の宮より菊召しければ、奉りけるついでに、植ゑし植ゑば 秋なき時や 咲かざらむ 花こそちらめ 根さへ枯れめやと書いつけて奉りける。【訳】在中将に対して、后の宮から菊をご所望なさったので、在中将が差し上げたそのついでに、きちんと植えるなら秋のない時には花が咲かないこともあるだろうか花が散るだろうけれども根っこまで枯れるだろうか、いや、枯れないだろう。ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそちらめ根さへ枯れめやと書いつけて奉りける。【注】この歌は、『伊勢物語』第五十一段にも見える。「后の宮(きさいのみや)」=「后」の敬称。天皇の夫人。古くは第一の正妻(皇后)を「大后」といって区別した。のちには、皇后および中宮をいう。また、女御や更衣、ときには皇太后や太皇太后を指すこともあった。ここでは二条の后となった藤原高子。「召す」=お取り寄せになる。「取り寄す」の尊敬語。「ついでに」=その折に。「奉る」=「贈る」「与ふ」の謙譲語。差し上げる。献上する。
August 11, 2016
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【本文】又、在中将、内にさぶらふに、宮すん所の御方より、忘れ草をなむ「これは何とかいふ」とてたまへりければ、【訳】これもまた、在五中将在原業平が、宮中に参内していたときに、御息所から、ワスレグサを「これは何という草か」と言って、贈ってくださったところ、【注】「内」=内裏。宮中。「さぶらふ」=出仕する。「みやすんどころ」=皇子・皇女をお生みになった女御・更衣を指すことが多い。「忘れ草」=ふつうは萱草(カンゾウ)の古い呼び名。身につけると、心の憂さを忘れられるという俗信があった。ただし、ここではシノブグサの異名として用いられている。「たまふ」=「与ふ」「授く」の尊敬語。くださる。お与えになる。【本文】中将、わすれぐさおふる野辺とはみるらめどこはしのぶなり後もたのまむとなむありける。【訳】中将が、私がご無沙汰いたしておりますのを「あなたはワスレグサが生える野原のように私のことをすっかり忘れているの」とみなしているのでしょうが、これはシノブグサですよ。あなたが昔付き合っていた私を思いしたってくださるのなら、のちのちまでもそのお気持ちをたよりにいたしましょう。と返事の歌を書き送った。【注】「しのぶ」=「往時をしのぶ」意に「シノブグサ」の意を掛けた。「忍ぶ種」の意の連想から、往時をしのぶものの意に用いる。シダ類の一種、ノキシノブ。『平家物語』灌頂の巻≪大原御幸≫にも「しのぶまじりの忘れ草」という「しのぶ」と「忘れ草」を同時に用いた例がある。【本文】同じ草を忍ぶ草、忘れ草といへば、それよりなむよみたりける。【訳】同じ一つの草をシノブグサ、ワスレグサと呼ぶので、それにもとづいてこの歌を作ったとさ。【注】この話は『伊勢物語』百段に基づいているとされている
August 10, 2016
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【本文】下野の国に男女すみわたりけり。【注】・Aわたる=Aしつづける。【訳】むかし、下野の国に男女がずっと一緒に暮らしていたとさ。【本文】としごろすみけるほどに、男、妻まうけて心かはりはてて、この家にありける物どもを、今の妻のがりかきはらひもて運び行く。【注】・としごろ=長い間。長年。【訳】長年一緒に暮らしているうちに、夫が新しい妻をこしらえて、すっかり心変わりして、この元の妻の家にあった家財道具を、今の妻の元へ一切合切運んで行った。【本文】心憂しとおもへど、なほまかせてみけり。【訳】元の妻は「つらいわ」と思ったが、それでもやはり夫のなすがままにまかせて見ていたとさ。【本文】ちりばかりのものも残さずみな持て往ぬ。【訳】塵ほどの家財も残さず全部持って行ってしまった。【本文】ただのこりたるものは、馬ぶねのみなむありける。【訳】ただ残っているものといえば、飼い葉桶だけであったとさ。【本文】それを、この男の従者、真楫といひける童を使ひけるして、このふねをさへとりにおこせたり。【訳】ところが、この夫の家来が、真楫という少年を使いとして、この飼い葉桶までもとりによこしたとさ。【本文】この童に女のいひける、「きむぢも今はここに見えじかし」などいひければ、「などてかさぶらはざらむ。主おはせずともさぶらひなむ」などいひ、立てり。【訳】この少年に元の妻が向かって「おまえも、もうこの家には顔を見せないのだろうよ」などと言ったところ、真楫が「どうして伺わないということがございましょう。ご主人さまがおいでにならなくても、きっとお伺いいたしましょう」などと言って立っていた。【本文】女、「ぬしに消息きこえむは申てむや。文はよに見給はじ。ただ、言葉にて申せよ」といひければ、「いとよく申てむ」といひければ、かくいひける、「『ふねも往ぬ まかぢもみえじ 今日よりは うき世の中を いかでわたらむ』と申せ」といひければ、男にいひければ、物かきふるひ去にし男なむ、しかながら運びかへして、もとの如くあからめもせで添ひゐにける。【注】・よに……じ=決して……ないだろう。・ふね 「馬ぶね」と「船」の両義をもたせる。・まかぢ 召使いの少年の名に船の「かじ」を言い掛けた。「かぢ」「わたる」は「ふね」の縁語。・あからめもせで 脇目もふらずに。つまり、よその女には目もくれず、この元の妻ひとすじに愛する、ということであろう。【訳】元の妻が真楫に向かって「旦那様に伝言したとしたら、申し上げてくれるか。手紙で書いても決してお読みにはならないだろう。ただ言葉で申し上げよ」と言ったところ、真楫が「しかとよく申し上げましょう」と言ったので、こんなふうに言った、「『船もどこかに行ってしまった、楫も見あたらない(うまぶねもよそへ行ってしまった 真楫も姿を見せないでしょう)今日からはつらいこの世をどうやって過ごしていこうかしら。』と申し上げよ」と言ったので、その伝言を真楫がご主人様に言ったところ、家財道具をなにもかも持って行ってしまった夫が、そっくり元通りに運び返して、かつてのように、仲むつまじく浮気心もおこさずに寄り添って暮らしたとさ。
April 2, 2013
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【本文】信濃の国に更級といふところに、男すみけり。【訳】信濃国の更級というところに、男が暮らしていたとさ。【本文】わかき時に親死にければ、をばなむ親のごとくに、若くよりあひそひてあるに、この妻の心いと心憂きことおほくて、この姑の、老いかがまりてゐたるをつねににくみつつ、男にもこのをばのみ心さがなく悪しきことをいひきかせければ、昔のごとくにもあらず、疎なること多く、このをばのためになりゆきけり。【訳】若い時分に親が死んだので、このおばを親のように思って、若いころから共に寄り添うようにして暮らしていたが、この男の妻の心は非常にいやなところが多くて、この姑が年老いて腰が曲がっているのを、いつも不快に思いながら、男に対しても、このおばの性格が意地悪だということを、言い聞かせたので、おばと男との関係も、昔のように良好ではなく、粗末に扱うことが多く、このおばにとって不運な状況になっていったとさ。【本文】このをば、いとたう老いて、二重にてゐたり。これをなをこの嫁ところせがりて、今まで死なぬこととおもひて、よからぬことをいひつつ、「もていまして、深き山にすてたうびてよ」とのみせめければ、せめられわびて、さしてむとおもひなりぬ。【訳】このおばは、非常に年老いて、からだが二重にみえるほど腰が曲がっていた。このようすを、やはり、この嫁が息がつまりそうに不快に思って、「よくもまああんなに腰が曲がるまで生きのびて、今まで死なないことねえ。」とばかり皮肉を言って、不吉なことを言っては、男に「どこかへつれておゆきになって、深い山に捨てておしまいになってくださいな。」とばかりいって責めたので、妻に責められるのがつらくなって、「いっそ、そうしてしまおう」と思うようになった。【本文】月のいと明き夜、「嫗ども、いざたまへ。寺に尊き業する、見せたてまつらむ」といひければ、かぎりなくよろこびて負はれにけり。【訳】月が非常に明るい晩に、「ばあさんや、さあ、いっしょにいらっしゃい。お寺で有り難い仏事をするということです、御覧にいれましょう。」と男が言ったので、このうえなく喜んで男に背負われたとさ。【本文】高き山の麓に住みければ、その山にはるばるといりて、たかきやまの峯の、下り来べくもあらぬに置きて逃げてきぬ。【訳】男は、高い山のふもとに住んでいたので、その山にはるばる分け入って、高い山の峰で、おばが自力では降りてくることもできそうにないところに置いて、逃げて戻ってきた。【本文】「やや」といへど、いらへもせでにげて、家にきておもひをるに、いひ腹立てけるおりは、腹立ちてかくしつれど、としごろおやのごと、養ひつつあひ添ひにければ、いとかなしくおぼえけり。【訳】「これこれ、わたしをおいてどこへいくのだい。」とおばが言ったが、男は返事もせずに逃げて、家に戻ってきて、考えていると、妻が自分に対しておばの悪口を言って立腹させたときには、腹が立って、こんなことをしてしまったが、長い間ほんとうの親のように、養いながら共に暮らしてきたので、非常にやるせなく悲しく感じられた。【本文】この山の上より、月もいとかぎりなく明くていでたるをながめて、夜一夜ねられず、かなしくおぼえければ、かくよみたりける、わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月をみてとよみて、又いきて迎へもて来にける。【訳】この山のうえから、月も非常にこのうえなく明るく出ているのを眺めて、一晩中寝られず、おばのことが愛しく感じられたので、このように歌をつくったとさ。自分の心をなぐさめようにもできなかったなあ。更級のおばを捨ててきた山に照る明るく美しい月をみても。と歌を作って、再び山上へ行って、おばを迎えてつれて来たとさ。【本文】それより後なむ、姨捨山といひける。慰めがたしとはこれがよしになむありける。【訳】それ以後、この山を姨捨山といったとさ。気持ちをなぐさめることができないという引き合いに「姨捨山」と言うのは、この話が由来だということだ。
August 1, 2012
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【本文】昔、大納言のむすめいとうつくしうてもちたまふたりけるを、帝にたてまつらむとてかしづきたまひけるを、殿にちかうつかうまつりける内舎人にてありける人、いかでかみけむ、このむすめをみてけり。【訳】昔、ある大納言がとてもかわいらしい娘を一人持っていらっしゃったが、帝にさしあげようとおもって、大事に育てていらっしゃったが、寝殿のおそばにお仕え申し上げていた内舎人だった人が、どういう機会に見たのだろうか、この娘を見てしまったとさ。【本文】顏容貌のいとうつくしげなるをみて、よろづのことおぼえず、心にかかりて、夜昼いとわびしく、やまひになりておぼえければ、「せちにきこえさすべき事なむある」といひわたりければ、「あやし。なにごとぞ。」といひていでたりけるを、さる心まうけして、ゆくりもなくかき抱きて馬にのせて、陸奥国へ、よるともいはずひるともいはず逃げて往にけり。【訳】顔立ちの非常にかわいらしいようすを見て、上の空になって、この娘のことだけがいつも気にかかって、娘と付き合えないことが夜も昼もとてもつらく、病気になったと感じられたので、「どうしてもお耳に入れたいことがございます」と言い続けたので、「不思議なことをいいますね。いったいなにごとですか。」と言って部屋から出たところ、前からの計画どおりに、即座に抱き上げて馬に乗せて、陸奥の国へと、夜となく昼となく女を連れて逃げていたとさ。【本文】安積の郡安積山といふ所に庵をつくりてこの女を据へて、里にいでつつ物などは求めてきつつ食はせて、とし月を経てありへけり。【訳】安積郡の安積山という所に粗末な家を構えて、この女を住ませて、男は人里に出かけては食糧などは買い求めてきては女に食わせて、何年も過ごして夫婦となったとさ。【本文】この男往ぬれば、ただ一人物もくはで山中にゐたれば、かぎりなくわびしかりけり。【訳】この男が家を去ると、女はたったひとりで、物も食わずに山の中の家で過ごしていたので、このうえなく心細かったとさ。【本文】かかるほどにはらみにけり。この男、物求めにいでにけるままに、三四日こざりければ、まちわびて、たちいでて山の井にいきて、影をみれば、わがありしかたちにもあらず、あやしきやうになりにけり。【訳】こうして山中で男と暮らすうちに、妊娠してしまったとさ。この男が、食い物などを買い求めに出かけたまま、三・四日もどってこなかったので、女は待ちわびて、家から外へ出て山の井まで行って、水に映った自分の姿をみると、自身のかつてあった姿ともちがい、見苦しい姿になってしまっていたとさ。【本文】鏡もなければ、顏のなりたらむやうもしらでありけるに、俄にみれば、いと恐しげなりけるを、いとはづかしとおもひけり。さてよみたりける、あさかやまかげさへみゆる山の井のあさくは人を思ふものかはとよみて木にかきつけて、庵にきて死にけり。【訳】山中の一軒家では鏡も無いので、自分の顔がどうなったかも知らずにいたが、急に見ると、とても恐ろしそうなようすであるのを、とてもきまりが悪く感じたとさ。そうして作った歌、安積山の自分の醜くなった姿が冴えてくっきりと見える山の井のように、あなたへの愛情が浅いわけではございませんが、こんなにみすぼらしくなってまで生きていとうはございません。と作って木に書き付けて、家にもどって死んだとさ。【本文】男、物などもとめてもてきて、しにてふせりければ、いとあさましと思けり。山の井なりける歌をみてかへりきて、これをおもひ死に傍にふせりて死にけり。世のふるごとになむありける。【訳】男が、食い物などを買い求めてもどってくると、女が死んで横たわっていたので、とても驚きあきれたことだと思った。男は、山の井のところにあった女の歌を見て、家にもどってきて、女を恋したって死んで、女の遺体のそばに横たわって死んだとさ。これは、昔実際にあったという言い伝えだとさ。
July 26, 2012
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【本文】大和の國なりける人のむすめ、いときよらにてありけるを、京よりきたりける男のかいまみて見けるに、いとをかしげなりければ、ぬすみてかき抱きて馬にうちのせて逃げていにけり。【注】・きよらに=上品で美しく。・かいまみて=物のすきまからそっとのぞき見る。・をかしげなり=優美だ。【訳】大和の国にいた人のむすめが、たいそう上品で美しかったのを、京からきていた男が垣根のすきまからのぞき見たところ、とても優美だったので、屋敷から盗み出して抱きかかえて馬に乗せて逃げて去ったとさ。【本文】いとあさましうおそろしう思ひけり。日暮れて立田山にやどりぬ。草のなかにあふりをときしきて、女を抱きて臥せり。女、恐しと思ふことかぎりなし。わびしと思ひて、男の物いへど、いらへもせで泣きければ、男、たがみそぎゆふつけどりか唐衣立田の山におりはえてなく【注】・みそぎ=神事の前や、わが身に罪やけがれのあるときに、水で体を洗って清めること。・ゆふつけどり=世の中に騒乱などがあったとき、ニワトリに木綿(コウゾの皮をはぎ、細かく裂いて糸状にしたもので、これを祭りのときに榊などに付けた)を付けて都の四方の境の関で祭ったというところから、ニワトリの異名。・唐衣=袖が広く裾が長い、中国風の衣服。・立田山=奈良県生駒郡三郷町の西方の山。この山の南の竜田路は難波と大和を結ぶ要路であった。【訳】女はとても驚きあきれて恐ろしく感じたとさ。日が暮れて竜田山に野宿したとさ。草の中に馬具のアオリを解いてそれを敷いて、女を抱きかかえて寝かせたとさ。女は、恐ろしいと思うことこのうえなかった。困ったことになったと思って、男が話しかけるが、返事もせずに泣いたので、男が誰がミソギをして祭った鶏なのかしら、竜田山にいつまでも泣き続けるのは。【本文】女、かへし、立田川いはねをさしてゆく水の行方もしらぬわがごとやなくとよみて死にけり。いとあさましうてなむ、男抱きもちて泣きけり。【注】・立田川=「立田川いはねをさしてゆく水の」は、「行方もしらぬ」の序詞。竜田川は奈良県生駒郡を流れる川で、生駒山から流れ出て大和川に注ぐ。紅葉の名所としても知られる。・いはね=岩の根元。【訳】女が作った返歌、竜田川の岩の根元をめがけて流れこむ水のように、その先がどこへ向かうのかもわからない私のように泣くのだろうかと作って死んでしまったとさ。男は非常に驚きあきれて、女の遺体を抱えて泣いたとさ。
July 25, 2012
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【本文】平城の帝、位におはしましける時、嵯峨の帝は坊におはしましてよみてたてまつれたまうける、みな人のその香にめづる藤袴君のみためと手折りたる今日【注】・平城の帝=平城天皇。在位は八〇六~八〇九年。・嵯峨の帝=嵯峨天皇。平城天皇の弟。漢詩文に長じ、書も善くし、平安三筆の一人。・坊=皇太子の居所である東宮坊の略。転じて皇太子を指す。・藤袴=藤色の花をつけるキク科の草花の名。秋の七草の一。【訳】平城の帝が、天皇の位に即いていらっしゃった時に、嵯峨の帝は坊にいらっしゃって、作って平城天皇に献上した歌、あらゆる人がその香に心ひかれるフジバカマをあなたさまの為にと手ずから折った今日のこの日でございますよ。【本文】帝、御返し、折る人の心にかよふ藤袴むべ色ふかくにほひたりけり【注】・かよふ=似通う。・むべ=なるほど。・にほひたりけり=美しく色づいていることだ。【訳】それに対する帝のご返歌折る人の心に通じるフジバカマはなるほどおっしゃるとおり色が深くみごとでございますねえ。
July 25, 2012
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【本文】同じ帝、狩いとかしこく好みたまひけり。【訳】同じ天皇が、狩りを大変お好きだったとさ。【本文】陸奧国、磐手の郡よりたてまつれる御鷹、よになくかしこかりければ、になうおぼして、御手鷹にしたまひけり。名を磐手となむつけたまへりける。【注】・磐手の郡=岩手県を流れる北上川上流一帯。・よになく=世の中に比べるものがないほど。・になう=二つと無く。たぐいなく。【訳】むつの国の、磐手の郡から献上したタカが、この世にまたとないほど素晴らしかったので、こよなくお思いになって、ご愛用のタカになさったとさ。【本文】それをかの道に心ありて、預り仕り給ひける大納言にあづけたまへりける。夜昼これをあづかりて、とりかひ給ほどに、いかゞしたまひけむ、そらしたまひてけり。【訳】そのタカを、鷹狩りの方面に精通していて、タカのお世話を担当申し上げなさっていた大納言にお預けになったとさ。夜も昼もタカを預かって、飼育なさっているうちに、どうしたのであろうか、あやまって逃がしてしまったとさ。【本文】心肝をまどはしてもとむれども、さらにえ見出ず。山々に人をやりつつもとめさすれど、さらになし。自らもふかき山にいりて、まどひありきたまへどかひもなし。【注】・心肝をまどはして=気持ちを動揺させあわてさせて。・まどひありき=途方に暮れて方々を歩き回り。【訳】天皇の大事なタカを逃がした大納言は、慌てふためいて探しまわったが、一向に見つけ出すことができない。山々に部下たちを行かせては探し求めさせたが、まったくいない。自身も深い山中に入って、あちらこちらと探し歩きなさったが、その甲斐もなかった。【本文】このことを奏せでしばしもあるべけれど、二三日にあげず御覧ぜぬ日なし。いかがせむとて、内裏にまゐりて、御鷹の失せたるよしを奏したまふ時に、帝物も宣はせず。きこしめしつけぬにやあらむとて、又奏したまふに、面をのみまもらせ給うて物も宣はず。【訳】このことを天皇に申し上げないで、しばらくはいたいのだが、天皇はしょっちゅうお気に入りのタカを御覧になる。やむをえないと思って、宮中に参上して、タカがいなくなった旨を申し上げなさったときに、天皇は何もおっしゃらなかった。お聞こえにならなかったのだろうかと、ふたたび申し上げたところ、大納言の顔ばかりをじっと御覧になって、何もおっしゃらない。【本文】たいだいしとおぼしたるなりけりと、われにもあらぬ心ちしてかしこまりていますかりて、「この御鷹の、求むるに侍らぬことを、いかさまにかし侍らむ。などか仰せ言もたまはぬ」と奏したまふに、帝、いはでおもふぞいふにまされると宣ひけり。【注】・「いはでおもふぞいふにまされる」=「いはでおもふ」に「口に出さずに思い慕う」と「磐手のことを思い慕う」の意を掛ける。『古今和歌六帖』五「心には下行く水のわきかへりいはでおもふぞいふにまされる」。【訳】「けしからんことだ」とお思いになっているのだなあと、気が気でない心境で、恐縮していらっしゃって、「このタカが、探しても、どこにもおりませぬことを、いかがいたしましょう。どうしてお言葉をくださらないのですか。」と申し上げたところ、天皇が、「口に出さずに心のなかで思うほうが、口に出していうよりも気持ちがまさっている」とおっしゃったとさ。【本文】かくのみ宣はせて、異事も宣はざりけり。御心にいといふかひなく惜しくおぼさるゝになむありける。これをなむ、世中の人、本をばとかくつけける。もとはかくのみなむありける。【訳】これだけおっしゃって、ほかのことは何もおっしゃらなかったとさ。ご心中ではとても言ってもしかたがないと残念にお思いになっていたとさ。これを世間の人が、短歌の上の句のように五・七・五をあれこれ考えて付けたんだとさ。本来は、「いはでおもふぞいふにまされる」という七・七の十四音だけだったんだとさ。
July 23, 2012
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【本文】さて、とかう女さすらへて、ある人のやむごとなき所に宮たてたり。さて、宮仕へしありく程に、装束きよげにし、むつかしきことなどもなくてありければ、いときよげに顔容貌もなりにけり。【訳】ところで、あちこちと女は転々として、ある人が立派な場所にお屋敷を建てていた。そうして、女はこのお屋敷にずっとお仕えし続けるうちに、衣装もこざっぱりと上品にし、見苦しいことなどもない状態になったので、容姿も非常に上品で美しくなったのだった。【本文】かかれど、かの津の国をかた時も忘れず、いとあはれと思ひやりけり。たより人に文つけてやりければ、「さいふ人も聞こえず」などいとはかなくいひつつ来けり。わが睦まじう知れる人もなかりければ、心ともえやらず、いとおぼつかなく、いかがあらむとのみ思ひやりけり。【訳】女のほうは、このような具合だったが、例の摂津の国を片時も忘れず、とてもしみじみと夫の身の上を思っていた。都合で摂津へ行く人に手紙を託して送ったところ、「そういうかたがいるとはうわさも聞こえませんでした。」などと、非常に空しいことを言いながら戻ってきた。自分が親しく知っている人もいなかったので、自分から、知人を行かせて夫の所在を探させることもできず、非常に気がかりで、どうしているだろうかとばかり、夫の身を思いやっていた。【本文】かかる程に、この宮仕へするところの北の方亡せたまうて、これかれある人を召し使ひたまひなどする中に、この人をおもふたまひけり。おもひつきて妻になりにけり。【訳】こうしているうちに、このお仕えするお屋敷の奥様が亡くなられて、屋敷のご主人様が、この人やらあの人やらいる人を召し使いなさりなどする中に、この女を好きになられたとさ。女もご主人様に心を寄せて妻になってしまったとさ。【本文】思ふこともなくめでたげにてゐたるに、ただ人知れずおもふこと一つなむありける。いかにしてあらむ、悪しうてやあらむ、よくてやあらむ、わが在り所もえ知らざらむ、人を遣りてたづねさせむとすれど、うたて、我おとこききて、うたてあるさまにもこそあれと念じつつありわたるに、なほ、いとあはれにおぼゆれば、男にいひけるやう、「津の国といふ所のいとをかしかなるに、いかで難波に祓しがてらまからむ」といひければ、「いとよきこと、われも諸共に」といひければ、「そこにはな物し給ひそ。をのれ一人まからむ」といひて、いでたちて往にけり。【訳】何不自由なくすばらしい暮らしをしていたが、ただ人知れず心を悩ませることがたった一つあったとさ。(それは前の夫のことで)どうしているだろうか、困難な状況だろうか、良い暮らしをしているだろうか、私がいる場所も知ることができないだろう、人を行かせて探させようと思うが、(その男とどんな関係だろうと思われるのも)不愉快だし、私の今の夫が聞いて、(自分以外にほかに夫がいたのかとバレて夫婦仲が)不愉快な事態になっても困ると(前の夫を探すのを)ぐっとこらえて我慢しつづけていたが、それでもやはり、前夫のことが非常にいとしく思われたので、今の夫に言ったことには、「摂津の国という所の、非常に風情のあるという名所に、なんとかして、神に祈って厄災をはらいきよめる行事をしがてらお参りしよう」と言ったところ、「それはとても良いことだ、わたしも一緒に」と今の夫が言ったので、「あなたは、お出かけなさいますな。わたし一人で参りましょう。」と言って、身支度して、行ってしまったとさ。【本文】難波に祓して、帰りなむとする時に、「このわたりにみるべきことなむある」とて「いますこし、とやれ、かくやれ」といひつつ、この車をやらせつつ家のありしわたりをみるに、屋もなし、人もなし。「何方へいにけむ」とかなしう思ひけり。かかる心ばへにて、ふりはへきたれど、わが睦まじき従者もなし、尋ねさすべき方もなし、いとあはれなれば、車を立ててながむるに、供の人は、「日も暮れぬべし」とて、「御車うながしてむ」といふに、「しばし」といふほどに、蘆になひたる男のかたゐのやうなる姿なる、この車のまへよりいきけり。【訳】難波ではらい清めを行って、いまにも帰ろうとするときに、「この辺で見ておかなければならないことがある」と言って、「もうしばらく、あっちへやれ、こっちへやれ」と言いながら、自分の牛車を行かせながら、昔住んでいた家があったあたりを見るが、家屋も無く、人もいない。「どこへ行ってしまったのだろう」と悲しく思った。このような心持ちで、あてどなくやってきたけれども、私の親しい供の者もいない、探させる手だてもない。とても感慨ぶかかったので、牛車をとめて、眺めていたところ、供の者は「もうじききっと日も暮れてしまうだろう」と言って、「御車を出発させましょう」というので、「しばらく待て」というときに、アシを担いでいる男で、乞食のような姿をしている男が、この牛車の前を通って行った。【本文】これが顏をみるに、その人といふべくもあらず、いみじきさまなれど、わがおとこに似たり。これをみて、よくみまほしさに、「この蘆もちたるをのこ呼ばせよ、かのあし買はむ」といはせける。さりければ、ようなき物買ひたまふとはおもひけれど、主ののたまふことなれば、よびて買はす。「車のもと近くになひよせさせよ。みむ」といひて、この男の顏をよくみるに、それなりけり。【訳】この男の顔を見ると、(探していた)その人だと言うこともできないほど、ひどく変わり果てたようすであるけれども、自分の前の夫に似ている。これを見て、もっとよく見たいので、「このアシを持っている男を(目下の家来に)呼ばせなさい。あのアシを買おう。」と身近にいる者に言わせた。そういう事情だったので、側近の家来は、奥様は役に立たない物をお買いになるなあとは思ったけれども、主人のおっしゃることなので、目下の家来に男を呼ばせて買わせた。「車のそば近くにアシを担いで寄せさせなさい。品物を見よう」と言って、この男の顔をよく見たところ、やぱり前の夫だったなあ。【本文】「いとあはれに、かかる物商ひて世に経る人いかならむ」といひて泣きければ、ともの人は、なほ、おほかたの世をあはれがるとなむおもひける。かくて「このあしの男に物など食はせよ。物いとおほく蘆の値にとらせよ」といひければ、「すずろなるものに、なにか多く賜(た)ばむ」など、ある人々いひければ、しひてもえ言ひにくくて、いかで物をとらせむと思ふあひだに、【訳】「とてもしみじみとしたようすで、女が、このような物を商売して世の中を生きていく人はどんな暮らしなのだろう」と言って泣いたので、供の者は、ただ、身分あるかたは、やはり一般的に世間のさまざまなことをしみじみと感じるものだと思った。こうして、奥様が「このアシ売りの男に食事を与えなさい。品物をとてもたくさんアシの代金として与えなさい。」と言ったところ、「行きずりの者に、どうして多くお与えになるのだろう」などと、その場にいる人々が言ったので、無理にでもとは言いにくくて、なんとかして品物を前の夫に与えようと考えているあいだに、【本文】下簾のはざまのあきたるより、この男まもれば、わが妻に似たり。あやしさに心をとどめてみるに、顏も声もそれなりけりとおもふに、思ひあはせて、わがさまのいといらなくなりにたるをおもひけるに、いとはしたなくて、蘆もうちすてて逃げにけり。【訳】すだれの下のすきまの空いている所から、この男がじっと見たところ、自分の妻に似ていた。不思議さに、気をつけて見たところ顔も声もやっぱり妻だなあと思って、いろいろ考え合わせて、自分のありさまが、非常に没落した状態になってしまっているのを考えたときに、いたたまれなくなって、アシもほったらかして、逃げてしまったとさ。【本文】「しばし」といはせけれど、人の家に逃げいりて、竈のしりへにかがまりてをりける。この車より「なをこの男たづねて率て来」といひければ、供の人手を分ちてもとめさはぎけり。人「そこなる家になむ侍ける」といへば、この男に「かくおほせごとありて召すなり。なにのうちひかせ給べきにもあらず。ものをこそはたまはせむとすれ。幼き物なり」といふ時に、硯を乞ひて文をかく。それに、 君なくて あしかりけりと おもふにも いとど難波の 浦ぞすみうきとかきて封じて、「これを御くるまにたてまつれ」といひければ、あやしとおもひてもてきてたてまつる。あけてみるに、かなしきこと物に似ず、よゝとぞなきける。さて返しはいかゞしたりけむしらず。車に着たりける衣脱ぎて包みて文などかきぐしてやりける。さてなむ歸りける。後にはいかゞなりにけむしらず。 あしからじ とてこそ人の わかれけめ なにか難波の 浦もすみうき【訳】「ちょっと待て」と女が家来に言わせたけれども、前の夫は他人の家に逃げ込んで、かまどのうしろにしゃがみこんでじっとしていた。この車から「それでもやはり、この男を探して連れて来なさい」と言ったので、供の者たちが手分けして探して(あっちにはいない、こっちにもいないと)さわいだとさ。ある人が、「そこにある家にいました」と言うので、この男に「このようにお言いつけがあって呼び寄せるのだ。なにも牛車の前を横切ったバツにお前を無礼だという理由で牛車でおひきになるつもりではない。品物をお与えになろうとしたのだ。愚かなやつだなあ。」と言った時に、男が硯を貸してくれといって手紙を書いた。その手紙に あなたがいなくて、妻がいない生活は不自由で具合がわるいことだ、と思うにつけても、ますます難波の浦が、住みづらくなったことだ。(水辺のアシを刈ってしまったので、難波の海岸は水が澄みにくくなってしまったことだ)と書いて封をして、「これを御くるまの中にいらっしゃるかたに差し上げよ」と言ったので、(乞食のようなみすぼらしい身分の低い男が手紙を書くなんて)フシギだと思って、車のところへ持ってきて手紙を差し上げた。女が開封して見てみたところ、かなしきことといったら似る物もないほどで、オイオイと声を上げて泣いた。ところで、この男の歌への返歌はどうしたのであろうか、わからない。車の中で着ていた衣を脱いで、包んで手紙などを書いて添えて男に送った。そうして京に帰ったとさ。その後はどうなったのであろうか、わからない。生活が悪くなるのを避けよう、と言って人が別れたのであろうに、どうして難波の浦が住みづらいことがあろうか。(アシを刈るのはやめようと言って人が解散して帰っていったのであろうに、どうして難波の浦が澄みづらいことがあろうか。)
August 29, 2011
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【本文】津の国の難波のわたりに家してすむ人ありけり。【訳】摂津の国のなにわの辺りに、家を構えて暮らす人がいたとさ。【本文】あひしりてとしごろありける、女も男も、いと下種(げす)にはあらざりけれど、年頃わたらひなどもいとわろくなりて、家もこぼれ、使ふ人なども得ある所にいきつつ、ただ二人すみわたるほどに、【訳】互いに慣れ親しんで長年過ごしてきた、この女も男も、あまり身分の低い者ではなかったけれども、数年来暮らし向きなども非常に悪くなって、家も破損し、使用人なども、財産のある所に行ってしまい、たった二人きりで住み続けていたが、【本文】さすがに下種にしあらねば、人に雇はれ使はれもせず、いとわびしかりけるままに、おもひわづらひて、二人いひけるやう、【訳】そうはいうものの、やはり、身分の低い者ではばいので、他人に雇われ使われもせず、非常に貧しい生活を送っていたので、思い悩んで、二人が言ったことには、【本文】「なほ、いとかうわびしうてはえあらじ」男は「かくはかなくてのみいますかめるをみすてては、いづちもいづちもいくまじ」女は「男をすててはいづちかいかむ」とのみいひわたりけるを、男、「をのれはとてもかくても経なむ。女のかく若きほどにかくてあるなむ、いといとほしき。京にのぼりて宮仕へをせよ。宜しきやうにもならば、われをもとぶらへ。おのれも人の如もならば、かならずたづねとぶらはむ」など泣く泣くいひちぎりて、たよりの人にいひつきて、女は京に來にけり。【訳】「やはり、とてもこんなふうに貧乏では生きて行けまい。」男は「こんなふうに空しくばかりいらっしゃるように見えるのを見捨てては、どこへも行くまい。」女は「男を捨ててはどこへいこうか。」とばかり言いつづけていたが、男が、「おまへはどのようにしてでも、きっと生きていけるだろう。女がこのように若い状態で、こんなふうに貧乏暮らしでいるのは、非常に気の毒だ。上京して貴人のお屋敷にお仕えしなさい。暮らし向きが良くなったら、私をもたずねてきなさい。自分も人並みの暮らしぶりになったら、必ずおまえの居所を探して訪問しよう。」などと、泣く泣く言って約束をして、縁者に頼んで、あとについて、女は京に来たのだった。【本文】さしはへ、いづこともなくてきたれば、このつきて来し人のもとに居て、いとあはれと思ひやりけり。まへに荻薄いとおほかる所になむありける。風など吹けるに、かの津の国をおもひやりて、「いかであらむ」など、悲しくてよみける、 ひとりして いかにせましと わびつれば そよとも前の 荻ぞこたふるとなむひとりごちける。【訳】目指すあても、どこと決まった場所もなくやってきたので、この自分があとについてきた縁者の元にいて、夫のいる摂津の国をとてもしみじみと思いやった。縁者の家は、前にオギやススキの非常に多い場所であった。風などが吹いたときには、例の摂津の国を思って、「夫はどうしているだろうか」などと、悲しんで作った歌、たった一人で、どうしようかしらと、心細く思ったところ、「それだよ、それをすればいいんだよ」と屋敷の前のオギが風にソヨソヨと音を立てて答えることだ。というふうに、一人ごとを言った。
August 29, 2011
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【本文】さてこの男は、呉竹のよながきをきりて、狩衣・袴・烏帽子・帯とをいれて、弓・胡?(やなぐひ)・太刀などいれてぞ埋みける。いま一人は愚なる親にやありけむ、さもせでぞありける。かの塚の名をば、処女塚とぞいひける。【訳】ところで、この男のほうの親は、呉竹で節が長い竹を切って、狩衣・袴・烏帽子・帯とをいれて、弓・胡?(やなぐひ)・太刀などいれて土に埋めたとさ。もう一人のほうは愚な親だったのであろうか、そんなふうにもしないでいたとさ。その塚の名を、処女塚と言ったとさ。【本文】ある旅人、この塚のもとにやどりたりけるに、人のいさかひする音のしければ、あやしと思ひてみせければ、「さることもなし」といひければ、あやしとおもふおもふねぶりたるに、血にまみれたる男、まへにきてひざまづきて、「われ、かたきにせめられてわびにて侍り。御はかし暫時(しばし)かし給はらむ、ねたき物のむくひし侍らむ」といふに、おそろしとおもへどかしてけり。【訳】ある旅人が、この墓のそばに野宿したところ、人が争う音がしたので、不思議だと思って、連れに見させたところ、「そんなこともない」と言ったので、不思議だ不思議だと思いながら眠り込んでいると、血にまみれている男が、前に来てひざまずいて、「私は恋仇に攻撃されてつらいめに遭ってしまった。お刀をしばらく貸していただこう、それで憎い相手に仕返ししよう」と言うので、恐ろしいことだとは思ったけれども、貸してやった。【本文】さめて夢にやあらむとおもへど、太刀はまことにとらせてやりてけり。とばかり聞けば、いみじうさきのごといさかふなり。しばしありて、はじめの男きていみじうよろこびて、「御とくにとしごろねたき物うち殺し侍りぬ。今よりはながき御まもりとなり侍べき」とてこのことのはじめより語る。【訳】目が覚めて夢であろうかと思ったが、刀はほんとうに与えてやったのだった。しばらく聞いていると、先ほどのように、ひどく争っているらしい。しばらくして、はじめに姿を現した男がやってきて、ひどく喜んで、「あなたさまのおかげで、年来憎んでいた相手を殺しました。今後、長い間あなたの守護霊となりましょう。」と言って、この今までのいきさつを語った。【本文】いとむくつけしと思へど、珍らしきことなれば、問ひ聞くほどに夜も明けにければ人もなし。朝にみれば、塚のもとに血などなむながれたりける。太刀にも血つきてなむありける。いとうとましくおぼゆることなれど人のいひけるままなり。【訳】非常に不気味だと思ったが、珍しい話なので、質問しながら聞くうちに、夜も明けてしまったので、先ほどの亡霊もいなくなった。早朝、見てみると、墓のところに血などが流れていた。太刀に血もついていた。非常にいやに感じられる話だけれども、人の言った通りの事実である。
July 31, 2011
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【本文】かかることどもの昔ありけるを、絵にみなかきて、故后の宮に奉りたりければ、これが上を、みな人々この人に代りてよみける。伊勢の宮すん所、男のこころにて、かげとのみ水の下にてあひみれど魂(たま)なきからはかひなかりけり【注】・故后の宮=温子皇后。藤原基経の娘で、宇多天皇の皇后。・伊勢の宮すん所=温子皇后に仕えた女官。第一段に既出。・「たま」には「魂」と「真珠(しらたま)」などの「たま」を掛ける。「から」には「殻」と亡骸の「骸」、「かひ」は「甲斐」と「貝」の掛詞。「たま」「貝」「殻」は縁語。【訳】こんなことが昔あったのを、絵に全場面を描いて、故后の宮(温子皇后)に献上したところ、この登場人物たちの身の上を、各自が登場人物それぞれに代わって心情を歌に作ったとさ。伊勢の御息所は、男の立場になって心情を次のように歌った、水に沈んだ愛する女の影とだけ水の下に飛び込んで添うことができたが、もはや魂がぬけて死んだあとの遺体では、結婚した甲斐もないことだなあ。【本文】女になりて、女一のみこ、かぎりなく深くしづめるわが魂はうきたる人にみえん物かは又、宮、いづくにか魂を求めんわたつうみのここかしこともおもほえなくに【注】・女一のみこ=均子内親王。【訳】女の気持ちになって、均子内親王が作った歌、このうえなく深く沈んでいる私の魂は、浮気っぽい人などと結婚したりするであろうか、いや、浮ついた人などと結婚するつもりはありません。また、宮が作った歌、いったいどこに魂を探せばよいのだろうか、海のここだともあそこだともありかがわからないのに。【本文】兵衛の命婦、つかのまも諸共にとぞちぎりけるあふとは人にみえぬものから糸所の別当、かちまけもなくてやはてむ君により思ひくらぶの山は越ゆとも【注】・兵衛の命婦=藤原高経のむすめ、忠房の妻。・糸所の別当=春澄善縄のむすめ、洽子(あまねいこ)。裁縫をつかさどる縫殿(ぬいどの)の別所。「別当」は、その長官。【訳】兵衛の命婦(藤原高経のむすめ、忠房の妻)が作った歌、つかのまの短い間でも一緒に暮らそうと約束したのだなあ。あれで結婚したとは人の目にはみえないけれども。糸所の別当(春澄善縄のむすめ、洽子)の作った歌、勝ち負けも無くて終わってしまうのだろうか、たとえあなたのために、思いの深さを比べるという鞍馬山(くらぶの山)は越えることができても。【本文】生きたりし折の女になりて、あふことのかたみにうふるなよ竹のたちわづらふときくぞかなしき又、身をなげてあはむと人に契らねどうき身は水に影をならべつ【注】・「あふこ」に「逢ふ期」と「朸(あふご)」、「かたみ」は、「難み」と「互(かたみ)」の掛詞。「うきみ」に「憂き身」と「浮き身」の掛詞。【訳】生きていたときの女の気持ちになって作った歌、逢うことが困難なので交互に植えたなよ竹のように戸口にすっくと立っていられずにうろうろしながら、つらい思いをしていたと聞くのが悲しいことだ。また、投身自殺をしてあの世で結ばれようと人と約束したわけではないけれども、つらいこの身は遺体が浮かんで水に影を並べてしまったことだ。【本文】又今一人の男になりて、おなじ江に すむはうれしき 中なれど など我とのみ 契らざりけむかへし、女、 うかりける わが身なそこを おほかたは かかる契りの なからましかば【注】・「江に」と「縁(えに)」、「すむ」に「済む」と「住む」を言い掛けた。「江」と「済む」は縁語。・「身」に「水底」の「み」を言い掛けた。「そこ」は、「そこ(あなた)」の意の「そこ」をも含意していよう。【訳】また、もう一人の男の身になって、おなじ江に夫婦の縁をむすんで暮らすのはうれしい仲であるが、どうしてわたしとだけ夫婦の契りを結ばなかったのだろうか。返歌、女二人の間で板挟みになってつらかったわが身は、水底に沈んでしまったが、そもそもこういう二人の男性から言い寄られるという前世からの因縁がなかったならば、あなただけを愛して済んでいたでしょう、こんな目に遭わずにすんだのに。【本文】又一人の男になりて、 我とのみ 契らずながら 同じ江に すむはうれしき みぎはとぞおもふ【訳】もう一人の男の立場になって、 あなたは私とだけ 契りを結んだわけではないけれども この同じ江の美しく水の澄んだ水際に 夫婦として暮らすのは嬉しい身だと思いますよ
July 22, 2011
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【本文】昔、津の国にすむ女ありけり。それをよばふ男二人なむありける。一人はその国にすむ男、姓はむばらになむありける。いま一人は和泉の国の人になむありける。姓はちぬとなむいひける。【訳】昔、摂津の国に住む女がいたとさ。その女に対し言い寄る男が二人いたとさ。一人はその国に住む男で、姓は莵原であった。もうひとりは、和泉の国の人であった。姓は茅渟といった。【本文】かくて、その男ども、年齢・顏・容貌・人のほど、ただ同じばかりなむありける。心ざしのまさらむにこそはあはめとおもふに、心ざしの程だにただおなじやうなり。暮るればもろともに来あひぬ。物をこすれば、ただ同じやうにをこす。いづれまされりといふべくもあらず。【訳】こうして、その男たちは、年ごろも、顔も、姿も、身分も、ちょうど同じぐらいだったとさ。誠意のまさっているほうと結婚しようと思うが、愛情の程度もちょうど同じぐらいである。日が暮れると一緒に来合わせた。贈りものを寄越すと、ちょうど同じように寄越す。どちらがまさっているということもできない。【本文】女、思ひわづらひぬ。この人の心ざしのをろかならば、いづれにもあふまじけれど、これもかれも、月日を経て家の門に立ちて、よろづに心ざしをみえければしわびぬ。これよりもかれよりも、同じやうにをこする物どもとりもいれねど、いろいろにもちて立てり。【訳】女は、思い悩んだ。この人たちの誠意が、もしも、いい加減なら、どちらとも結婚するつもりはないが、この人もあの人も、何ヶ月にもわたって家の門口に立って、さまざまに誠意を見せたので、選ぶのに困った。この人からも、あの人からも、同じように寄越す品物を、受け取りもしないが、色々と持ってきては門口で立っている。【本文】親ありて、「かくみぐるしく歳月を経て、人のなげきをいたづらにおふもいとほし。一人ひとりにあひなば、いま一人が思ひは絶えなむ」といふに、女「ここにも、さ思ふに、人の心ざしの同じやうなるになむ思ひわづらひぬる。さらばいかがすべき」といふに、【訳】女には親がいて、「このように見ているのがつらいような年月を過ごして、人の悲嘆を無駄にこうむるのもいやだ。もし一方のひと一人と結婚したら、もう一人の思いはきっとあきらめがつくだろう。」と言うと、女も「わたしも、そのように思うが、相手の誠意が同じぐらいなので悩んでしまいます。それならどうすべきでしょう」と言うので、【本文】当時(そのかみ)、生田の川のつらに、女平張をうちてゐにけり。かかれば、そのよばひ人どもを呼びにやりて、親のいふやう、「たれもみ心ざしの同じやうなれば、この幼き者なむ思ひわづらひにて侍る。今日いかにまれ、この事をさだめてむ。あるは遠き所よりいまする人あり。あるはここながらそのいたづきかぎりなし。これもかれもいとほしきわざなり」といふ時に、いとかしこくよろこびあへり。「申さむと思ふ給ふるやうは、この川に浮きて侍る水鳥を射たまへ。それをいあてたまらへむ人にたてまつらむ」といふ時に、【訳】その時、生田川の川べりに、女が仮設のテントを張って座っていたとさ。こうして、その求婚者たちを呼びに使者を行かせて、親が言うには、「どなたも誠意が同じぐらいであるので、この幼い娘は思い悩んでおります。今日は、どうがこうでも、結婚相手を決めてしまおう。ある方は遠い和泉の国からおいでになっている人がいる。ある方はこの摂津の国の人でありながら、その苦労は並々ではない。あちらのかたも、こちらのかたも、ご苦労さまでございます。」と言った時に、大いに喜び合った。「今日申し上げようと存じますことは、この川に浮いています水鳥を射てください。それを射当てなさったとしたらそのかたに娘を差し上げましょう」と言ったときに【本文】「いとよきことなり」といひて、射るほどに、一人は頭のかたを射つ。今一人は尾の方を射つ。当時いづれといふべくもあらぬに、女思わづらひて、 すみわびぬ わが身投げてむ 津の国の 生田の川は 名のみなりけりとよみて、この平張はかはにのぞきてしたりければ、づぶりとおちいぬ。親あはてさはぎのゝしるほどに、このよばふ男二人やがておなじ所におちいりぬ。一人は足をとらへ、いま一人は手をとらへて死にけり。當時、親いみじく騒ぎてとりあげて、なきののしりて葬りす。男どもの親来にけり。【訳】「それはとても良いアイデアだ」と言って、射たところ、一人は頭のほうを射た。もう一人は尾のほうを射た。その時、どちら〔が先に射た〕と言うこともできないので、女は思い悩んで、 生きるのがつらくなった もう投身自殺してしまおう 摂津の国の 生田の川は 「生きる」という言葉が名前に入っているのに、名前ばっかり〔で生きづらいこと〕だなあ。と和歌を作って、このテントは、川を見下ろす位置に設置してあったので、そのままザブンと水中へ落ちて入ってしまった。親が、あわてて騒いで、大変だと大声をあげたりしているうちに、この求婚していた男二人が、すぐに川の同じ所に落ち込んでしまった。一人は娘の足をつかみ、もう一人は娘の手をつかんで死んでしまったとさ。その時、親はとても騒いで遺体を川の中から取りあげて、泣きじゃくって葬儀をした。男たちの親も〔連絡を受けて〕やって来たとさ。【本文】この女の塚のかたはらに、又塚どもつくりて、ほりうづむ時に、津の国の男の親いふやう、「おなじくにの男をこそ、おなじ所にはせめ。異国の人の、いかでかこの国の土をばをかすべき」といひてさまたぐる時に、和泉のかたの親、和泉のくにの土を舟にはこびてここにもてきてなむ遂に埋みてける。されば女の墓をなかにて、左右になむ、男の塚ども、いまもあなる。【訳】この女の墓のそばに、また墓をつくって、掘って遺体を埋める時に、摂津の国の男の親が言うには、「同じ国の男を、同じ場所に葬ろう。よその国の人が、どうしてこの摂津の国の土地を侵してよいはずがあろうか、いや、侵してはいけない。」と言って墓を作るのを妨げたときに、和泉の国の男の親が、和泉の国の土を船で運んできて、とうとう埋葬してしまったとさ。そういうわけで、女の墓を真ん中にして、左右に男の墓が、今もあるそうだ。
June 22, 2011
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【本文】亭子の帝、鳥飼の院におはしましにけり。【注】・鳥飼の院=大阪府三島にあった離宮。【訳】宇多天皇が、鳥飼の院におでかけになったとさ。【本文】例のごと御遊びあり。「このわたりのうかれめどもあまた参りて候なかに、声おもしろくよしあるものは侍りや」と問はせ給に、うかれめばらの申すやう、「大江の玉淵(大江音人男)がむすめといふものなむ、めづらしうまゐりて侍る」と申しければ、みさせ給に、樣かたちもきよげなりければ、あはれがりたまうて、上にめしあげ給ふ。【注】・うかれめ=遊女。うたいめ。貴人の屋敷などで歌舞などを演じた芸能人。・大江の玉淵=大江音人(おとんど)の子。従四位下、丹波の守をつとめた。【訳】いつものように詩歌管絃の遊びをなさった。「この付近の歌いめたちが、大勢参上しております中に、声が美しく由緒ある者がいますか」とお問いになったところ、歌いめたちが申しあげるには、「大江の玉淵の娘という者が、珍しく参上しております」と申し上げたので、ごらんになったところ、姿かたちも上品でこざっぱりとして美しかったので、称賛なさって、御前にお召し上げになった。【本文】「そもそもまことか」など問はせ給に、鳥飼といふ題を皆人々によませ給けり。【訳】「そもそも、おまえが大江の玉淵の娘というのは本当か」などとご質問になり、「鳥飼」という題で列席の人々に和歌をお作らせになった。【本文】仰せたまふやう、「玉淵はいとらうありて、歌などよくよみき。この鳥飼といふ題をよくつかうまつりたらむにしたがひて、実の子かとはおもほさむ」とおほせたまひけり。【訳】お言葉を下さることには「玉淵は非常に気が利いて、歌なども上手に作った。この鳥飼という題を上手に詠んだら、そのときは玉淵の実の子とお思いになろう」とお言葉を下さった。【本文】うけたまはりてすなはち、あさみどり かひある春に あひぬれば霞ならねど たちのぼりけりとよむ時に、帝ののしりあはれがり給て、御しほたれ給ふ。【注】・「あさみどりかひある」に「とりかひ」を詠みこんである。・かひ=「甲斐」と「かひ(植物の芽)」の掛詞。・たちのぼり=霞が「たちのぼり」と「立ち上がって御殿にのぼる」の掛詞。【訳】仰せをうけたまわって、さっそく、うす緑の植物の芽がある春に出会うように、甲斐ある良い御代に会ったので、霞ではないが、この身も帝の御前に立ちのぼることができたなあ。と詠んだときに、帝がしきりに感動なさって、感涙におむせびになった。【本文】人々もよくゑひたるほどにて、醉ひ泣きいとになくす。【訳】列席の人々も十分酒に酔っていたこともあって、酔い泣きなさることこのうえなかった。【本文】帝、御袿一襲・袴たまふ。【訳】帝はウチキ一枚と袴を玉淵の娘にお与えになった。【本文】ありとある上達部・みこたち・四位五位、「これに物ぬぎてとらせざらむ物は座より立ちね」との給ければ、かたはしより上下みなかづけたれば、かづきあまりて、二間ばかりつみてぞ置きたりける。【訳】列席のありとあらゆる大貴族・親王・皇女・四位五位の者たちが、「この玉淵の娘に着物を脱いで与えない者はこの座から立ち去ってしまえ。」とおっしゃったので、片っ端から身分の高い者も低い者もみんな、玉淵の娘の肩に着物を掛けたので、掛け余って、二間ほどの高さに積んで置いておいたとさ。【本文】かくて帰り給ふとて、南院の七郎君(是忠親王七男源清平か)といふ人ありけり、それなむ、このうかれめのすむあたりに家つくりてすむ、ときこしめして、それになむの給ひあづけける。【訳】こうして、宴が終わってお帰りになるというので、南院の七郎君という人がいたが、その人が、この玉淵の娘が住む近所に家を構えて住んでいる、とお聞きになって、その南院の七郎君におっしゃって着物を預けたとさ。【本文】「かれが申さむこと院に奏せよ。院よりたまはせん物も、かの七郎君がり遣はさむ。すべてかれにわびしきめなみせそ」と仰せたまうければ、常になむとぶらひかへりみける。【訳】「玉淵の娘が申しあげるようなことを、帝に奏上せよ。帝からお与えになるような物も、例の南院の七郎君のところへつかわそう」とのお言葉を頂いたので、常に玉淵の娘を見舞い世話をしたとさ。
June 5, 2011
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【本文】亭子の帝、川尻におはしましにけり。【注】・川尻=淀川河口の地名という。・おはします=「行く」の尊敬語。【訳】宇多天皇が川尻にお出ましになったとさ。【本文】うかれめにしろといふものありけり。【注】・うかれめ=遊女。あそびめ。宴席で舞いを踊ったり歌をうたったり芸能を見せて人を楽しませ女。【訳】遊女にシロという者がいたとさ。【本文】召しにつかはしたりければ、まゐりてさぶらふ。【訳】彼女を呼びに人をやったところ、参上してひかえていた。【本文】上達部・殿上人・みこたち、あまたさぶらひたまうければ、下に遠くさぶらふ。【訳】三位以上の大貴族や五位以上の貴族・皇子たちが、大勢お仕えしていらっしゃったので、下座のほうに遠くひかえていた。【本文】「かう遥かにさぶらふよし歌仕うまつれ」とおほせられければ、すなはちよみて奉りける、 浜千鳥 飛びゆくかぎり ありければ 雲立つ山を あはとこそみれとよみたりければ、いとかしこくめで給うてかづけものたまふ。【注】・浜千鳥=海辺の千鳥。遊女自身のたとえ。・雲立つ山=雲がわき起こる山。帝の玉座のたとえ。・あはと=「阿波と」と「淡」との掛詞。【訳】「このように遥か遠くで控えていることを歌にお作りいたせ」とお命じになったので、ただちに作って献上した歌、海辺の千鳥は空を飛び行くにも限度があるので、雲が湧く山を遠い阿波の国かと思ってうっすらと見ることだ。【本文】命だに 心にかなふ ものならば 何か別れの 悲しからましといふ歌も、このしろがよみたる歌なりけり。【訳】もしも、せめて寿命だけでも思い通りになるものならば、どうして別れが悲しいだろうか、(いつまででも生きられるならまた会うこともできるだろうから、悲しむこともないだろうに)という歌も、このシロが作った歌だったとさ。
May 22, 2011
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【本文】むかし、在中将のみむすこ在次君(ざいじぎみ)といふが妻(め)なる人なむありける。【訳】昔、在中将と呼ばれた在原業平の御子息で在次君(在原滋春)という人の妻がいたとさ。【本文】女は山蔭の中納言の御姪(みめひ)にて、五条の御(ご)となむいひける。【注】・山蔭の中納言=藤原山蔭。藤原高房の子。(824~888年)【訳】その女は藤原山蔭の中納言の姪御さんで、五条の御といったとさ。【本文】かの在次君の妹の、伊勢の守の妻にていますかりけるがみもとにいきて、守の召人(めしうと)にてありけるを、この妻の兄の在次君はしのびてすむになんありける。【注】・召人=平安時代、主人に仕えて身の周りの世話をし、寝所で妻の代わりもつとめた女房。・すむ=男性が結婚して女性の元へかよう。【訳】その在次君の妹で、伊勢の守の妻でいらっしゃった人の元に行って、伊勢の守の身の回りの世話をする召使いであったが、この伊勢の守の妻の兄にあたる在原滋春は、人目を忍んで夫として通っていたのであったとさ。【本文】我のみとおもふに、この男の同胞(はらから)なむまたあひたるけしきなりける。【注】・同胞=同母兄弟。在原滋春には、師尚・棟梁の二人の兄がいた。・あひ=動詞「あふ」の連用形。夫婦の契りを結ぶ。結婚する。男女の仲になる。【訳】この召使い女のところに夫として通うのは自分だけだと思っていたのに、この男の同母兄弟が、またこの女と夫婦関係を結んだようすであった。【本文】さりければ女のもとに、 わすれなむと おもふ心の 悲しきは 憂きもうからぬ ものにぞありけるとなむよみたりける。いまはみな古歌になりたることなり。【訳】そんな状態だったので、女のところに、いっそあなたを忘れてしまおうと思う気持の悲しさは、あなたがほかの男とも関係を持っていることのつらさも、つらいと感じないくらいのものだなあ。と歌を作って送ったとさ。こんな悲痛な思いの歌も、いまでは、みんな昔の歌になってしまったことだ。
May 21, 2011
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【本文】故宮すんどころの御姉、おほいこにあたり給けるなむ、いとらうらうじく、うたよみたまふことも、おとうとたち宮すむ所よりもまさりてなむいますかりける。【注】・おほいこ=長女。・らうらうじく=才能がすぐれていて。・おとうと=妹。・いますかり=いらっしゃる。「あり」の尊敬語。【訳】故御息所の姉上で、長女にあたっておられたかたは、才能すぐれておられ、和歌をお作りになることも、年下の御息所たちよりもまさっていらっしゃった。【本文】若き時に女親はうせ給にけり。継母の手にかかりていますかりければ、心に物のかなはぬ時もありけり。さてよみたまひける、 ありはてぬ 命まつまの ほどばかり うきことしげく 歎かずもがなとなむよみ給ひける。【注】・心にかなふ=思い通りにいく。・ありはつ=何時までも生き長らえる。・~もがな=「~たいものだ」。願望を表す終助詞。【訳】若いときに、生みの母親はお亡くなりになってしまった。継母の手でそだてられていらっしゃったので、心に何かと思うようにならない時もあった。そうして、お作りになった歌、いつまでも生き長らえない寿命がくるのを待つ間ぐらいは、つらいことが頻繁には無く、嘆かないでいたいものだ。と歌をお作りになったとさ。【本文】梅の花を折りて又、 かかる香の 秋もかはらず にほひせば 春恋してふ ながめせましやとよみたまひける。【注】・AせばBまし=「もしAだったらBだろうに」。反実仮想の表現。・ながめ=ぼんやりと物思いに沈むこと。【訳】梅の花を折って、またこのようなすばらし香りが、もしも、秋も変わらず匂ったならば、春を恋しいという物思いに沈んだりするだろうか(いや、しない)とお作りになったとさ。【本文】いとよしづきて、をかしくいますかりければ、よばふ人もいと多かりけれど、かへりこともせざりけり。【注】・よしづく=奥ゆかしく。・かへりこと=恋文などに対する返事。【訳】非常に奥ゆかしく、すばらしいかたでいらっしゃったので、求婚する人も多かったけれども、返事もしなかったとさ。【本文】「女といふもの、つひにかくて、はて給べきにもあらず。時々は返り事し給へ」と親も継母もいひければ、せめられてかくいひやりける、 おもへども かひなかるべみ 忍ぶれば つれなきともや 人の見るらむとばかりいひやりて、物もいはざりけり。【注】・つひにかくて、はて給べきにもあらず=死ぬまで独身でいてはいけない。【訳】「女性というものは、最後までこんな状態でお亡くなりになってはいけない。時々はお返事なさい。」と父親も、継母も言ったので、うながされて、このように言って送った。愛しても、甲斐がないから、我慢して打ち明けずにいると、薄情だと、あなたは私を思うのだろうかとだけ和歌に書いて送って、その後は口もきかなかったとさ。【本文】かくいひける心ばへは、親など「男あはせむ」といひけれど、「一生に男せでやみなむ」といふことを、よとともにいひける、さいひけるもしるく、男もせで、廿九にてなむ、うせたまひにける。【訳】こんなふうに言った気持は、親などが「男と結婚させよう」と言ったけれども、「一生夫を持たないで終わるつもりだ。」と、年中言った、そのように言ったとおりに、夫をも持たずに、二十九歳で、お亡くなりになってしまったとさ。
May 18, 2011
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【本文】よしいゑといひける宰相のはらから、山との掾といひてありけり。【訳】橘良植といった宰相の同母兄弟に、大和の掾とい方がいたとさ。【本文】それ、もとの妻のもとに、筑紫より女を率てきてすゑたりけり。【訳】その大和の掾が、本妻のいる屋敷に、九州から女性を一緒に連れてきて住ませたとさ。【本文】本の妻もいとよく、今のもにくき心もなく、いとよく語らひてゐたりけり。【訳】本妻も、ひじょうに気さくに、後妻も憎み合う気もなく、非常に仲良く話などしあっていたとさ。【本文】かくて、この男は、ここかしこ人の国がちにのみ歩きければ、二人のみなむゐたりける。【訳】こうして、この夫は、あちこち地方の国ばかりを中心に外出したので、本妻と後妻と二人だけで暮らしていたとさ。【本文】この筑紫のめ忍びて男したりけり。それを人のとかくいひければ、よみたりける、 よはにいでて 月だにみずは あふことを 知らず顏にも いはましものをとなむ。【訳】この九州からきた後妻が、人目を忍んで別の男と関係を持ったとさ。それを他人がとやかくうわさしたので、作った歌、夜中に出てせめて月だけでも見なかったら男と会うことを気づかぬふりでそれとなく告げただろうに。と言ったとさ。【本文】かかるわざをすれど、本の妻いと心よき人なれば、男にもいはでのみなむありわたりけれども、ほかのたより、かく男すなりとききて、この男、おもひたりけれど、心にもいれで、たださる物にて置きたりけり。【訳】こんなふうに浮気していたが、本妻は人柄が良い人なので、夫にも告げずにずっと過ごしていたが、ほかの機会から、こんなふうに後妻がよその男と関係をもっているそうだと聞いて、この夫が、後妻を愛してはいたが、気にもしないで、ただそういうものかとおもって放置しておいたとさ。【本文】さてこの男、女、異人に物いふとききて、「その人と我といづれをか思ふ」ととひければ、女、 はなすすき 君が方にぞ なびくめる おもはぬ山の 風はふけどもとなむいひける。【訳】そうして、この夫が、後妻がよその男に言い寄ったと聞いて、「その人と私とどちらを愛しているのか?」と問いただしたところ、女が、すすきの穂はあなたのほうになびくように見える、意外な方向にある山から風は吹いてくるけれども。(意外にも、よその男から言い寄ってきますが、わたしの心はあなたのほうになびいていますよ)と和歌に託して言ったとさ。【本文】よばふ男もありけり。「世中心うし。なほ男せじ」などいひけるものなむ、この男をやうやう思ひやつきけむ、この男の返りごとなどしてやりて、この本の妻のもとに、文をなむひき結びてをこせたりける。見ればかく書けり。 身をうしと おもふ心の こりねばや 人をあはれと 思そむらむとなむこりずまによみたりける。【訳】求婚する男もいたとさ。「男女の仲はあとがつらい。やはりもう男と関係は持つまい。」などといったものの、この男をしだいに気に入ったのだろうか、この男がよこした恋文の返事などをしてやって、この本妻のところに、手紙を引き結んでよこした歌。見るとこんなふうに書いてあった、わが身をつらいと思う心がこりないから、あの人をしみじみ愛しいと思いはじめたのだろうか。というふうに性懲りもなく思いを歌に作ってあった。【本文】かくて心のへだてもなくあはれなれば、いとあはれとおもふほどに、男は心かはりにければ、ありし如(ごと)もあらねば、かの筑紫に親同胞(はらから)などありければ、いきけるを、男も心かはりにければ、とどめでなむやりける。【訳】こうして、心の隔てもなく、しみじみ親身に思っていたので、また恋に落ちたことを非常に気の毒におもっていると、男は心変わりしてしまったので、かつてのように愛情深くもないので、例の九州に親兄弟などがいたので、行ったが、男も気が変わってしまったので、引き留めもせずに行かせたとさ。【本文】本の妻なむ、もろともにありならひにければ、かくて行くことをかなしとおもひける。【訳】本妻が、一緒に生活して慣れ親しんでいたので、こうして九州へ後妻が帰って行くことを悲しいと思っていたとさ。【本文】山崎に、もろともに行きてなむ、舟にのせなどしける。男もきたりけり。【訳】本妻は山崎に、新妻といっしょに行って、船に乗せてやったりなどした。男もきたとさ。【本文】このうはなりこなみ、一日一夜よろづのことをいひ語らひて、つとめて舟にのりぬ。【訳】この後妻と本妻が、一昼夜さまざまなことを話し合って、翌朝船に乗った。【本文】今は男、本の妻とはかへりなむとて、車にのりぬ。これもかれもいとかなしと思ふほどに、舟にのり給ひぬる人の文をなむもてきたる。かくのみなむありける。二人来し みちともみえぬ 波のうへを おもひかけでも かへすめるかなといへりければ、おとこも本の妻もいといたうあはれがり泣きけり。【訳】いまは夫は、本妻と帰ろうとして、牛車に乗った。夫も妻も、非常に悲しいと思っていたところに、船にお乗りになった人の手紙を使者が持ってきた。それにはこんなふうに書かれていた、九州から二人でやって来た同じ道とも思われない波の上を予定もせずに、私を愛することもなく、帰すように見えるなあ。と和歌に作ってあったので、夫も本妻も非常に気の毒がって泣いたとさ。【本文】漕ぎいでていぬれば、えかへりこともせず。車は舟の行くを見てえ行かず、舟に乗りたる人は、車をみるとて面をさしいでて、遠くなるままに、顏はいと小くなるまでみおこせければ、いとかなしかりけり。【訳】漕ぎ出て行ってしまったので、返事をすることもできない。牛車は船が行くのを見て帰っていくことができず、船に乗っている人(後妻)は、牛車を見るというので顔を差し出して、遠くなるにつれて、顔は非常に小さくなるまで、こちらを見ていたので、非常に悲しかったとさ。
May 15, 2011
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【本文】故兵部卿の宮、昇の大納言(源融男)のむすめにすみ給けるを、例のおまし所にはあらで、廂におまし敷きて、かへりたまうていと久しうおはしまさざりけり。【注】・故兵部卿の宮=醍醐天皇の皇子、元良親王。・昇の大納言=源融の息子。・すみ=動詞「すむ」の連用形。女の所にかよって夫婦生活をする。・おまし所=貴人の席。・おまし=敷物やしとねの尊敬語。【訳】故兵部卿の宮(元良親王)が、昇の大納言の娘の所に夫としてかよってお暮らしになっていたが、いつもお席ではなくて、ひさしの下にお敷物を敷いて、帰宅なさってから長い間お見えにならなかったとさ。【本文】かくてのたまへりける、「かの廂にしかれたりし物はさながらありや。とりたてやしたまひてし」とのたまへりければ、御かへりごとに、 しきかへず ありしながらに 草枕 塵のみぞゐる はらふ人なみとありければ、【注】・のたまふ=「言ふ」の尊敬語。・さながら=そのまま。・草枕=旅寝するのに草を枕とする。ここでは、粗末な枕。【訳】こうして、〔大納言の娘の元へ手紙で送って〕おっしゃったことには「例のひさしに敷かれていた物は、そのままあるか?取り片付けておしまいになったか?」とおっしゃったので、お返事の歌として敷き換えることなく、あったとおりに残っておりますよ、粗末な枕の塵だけが積もることです、塵を払うあなたがいらっしゃらないから。と〔大納言の娘が〕書いてよこしたので、【本文】御かへりに、 草枕 ちりはらひには 唐衣 袂ゆたかに 裁つをまてかしとあれば、【注】・唐衣=袷(あわせ)仕立てで錦・綾などで作る平安以後の女官の正装。上流の女性が着る。上着の上に着用し、「裳」とともに用いる。「袂」「裁つ」は、縁語。【訳】また、〔元良親王が〕御返歌として 草枕の塵を払いには、唐衣の袂を余裕をもたせて裁つように、気持にゆとりを持って私が訪問するのを待っていてくださいよ。と書いておよこしになったところ、【本文】又、 からごろも たつを待つ間の ほどこそは 我しきたえの 塵もつもらめとなむありければ、【注】・しきたえ=敷物にする布、布団の類。【訳】また、〔大納言の娘が〕唐衣を裁つのを待つ間の短い時間、私の敷物の塵が積もるだろうががまんもしましょう(けれども、あなたが来られなくなって長い時間がたっているからこそ、こんなに塵が積もっているのですよ、早くいらしてください)と書いてあったので、【本文】おはしまして又「宇治の狩しになんいく」と宣ひける御かへりに、女、 みかりする 栗駒山の 鹿よりも ひとりぬる身ぞ わびしかりける【注】・栗駒山=宇治にある栗隈山。【訳】兵部の卿の宮が、いらっしゃって、また「今度宇治のほうへ狩りをしに行く」とおっしゃったお返事に、女が作った歌、御狩りをする栗駒山の鹿以上に、独りで寝る私のほうがさびしくてつらいことだなあ。
May 13, 2011
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【本文】先帝の御時に、承香殿(じようきようでん)の宮す所の御曹司に、中納言の君といふ人さぶらひけり。【注】・先帝=醍醐天皇。・承香殿の宮す所=光孝天皇の皇女で、醍醐天皇の女御であった源和子。承香殿は、仁寿殿の北、常寧殿の南にある御殿。・中納言の君=貴人のおそば仕えの女房の名。・御曹司=宮中の女官に割り当てられた個室。【訳】醍醐天皇の御代に、承香殿の御息所様のお部屋に、中納言の君という女房がお仕えしていたとさ。【本文】それを、故兵部卿の宮、若男にて一宮ときこえて、色好みたまひけるころ、承香殿はいと近きほどになむありける。らうありをかしき人々ありとききて、物などのたまひかはしけり。【注】・故兵部卿の宮=元良親王。・一宮=第一皇子。【訳】その女房を、元良親王が、まだ年若く第一皇子と申し上げて、よく恋愛なさっていた頃に、承香殿は非常に近いところにあったとさ。機知に富んで風流な方々がいると聞いて、言葉などやりとりなさったとさ。【本文】さりけるころほひ、この中納言の君に忍びてねたまひそめてけり。【訳】そんなふうにして過ごしていた時分に、この中納言の君に、人目を忍んで共寝なさるようになってしまったとさ。【本文】時々おはしましてのち、この宮をさをさとひたまはざりけるころ、女のもとよりよみてたてまつりたりける、人をとくあくたがはてふ津の国のなにはたがはぬ君にぞありける【注】・をさをさ……ざり=めったに……ない。・あくたがは=「芥川」と「飽く」を言い掛ける。・なには=「難波」(大阪市一帯)と「名には」の掛詞。【訳】時々中納言の君のもとへいらっしゃってのち、この親王が、めったに訪問なさらなかった時分に、女の所から作って差し上げた歌、芥川という摂津の国の難波にある有名な川がありますが、人に対して早く飽きるといううわさにたがわぬ、あなた様ですこと。【本文】かくて物もくはで、泣く泣くやまひになりて恋ひたてまつりける。【訳】こうして、食事もとらずに、泣く泣く病気になってずっとお慕い申し上げていたとさ。【本文】かの承香殿の前の松に雪のふりかかりたりけるを折りて、かくなむきこえたてまつりける。こぬ人をまつの葉にふる白雪のきえこそかへれあはぬおもひにとてなむ、「ゆめこのゆき落とすな」と使ひにいひてなん、たてまつりたりける。【注】・まつ=「待つ」と「松」の掛詞。・ふる=「降る」と「経る」の掛詞。・きえかへる=ひどく思いつめる。また、すっかり消える。「雪」と「消え」は縁語。・おもひ=「ひ」に「火」を言い掛ける。・ゆめ……な=決して……するな。【訳】その承香殿の前の松に、雪が降って枝にかかっていたのを折って、こんなふうに歌を作って親王さまに申し上げたとさ。訪ねてこない人を待ちながら月日を送る、松の葉に降る白雪のように、あなたに逢わない恋しい情熱の火に、雪がすっかり消えそうなほど、それほど私も死ぬほど思いつめておりますよと和歌を作って手紙に書き、「決してこの雪を枝から落とすな」と使者に言って、松の枝とそれに添えた手紙を親王様に差し上げたとさ。
May 8, 2011
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【本文】こやくしくそといひける人、ある人をよばひてをこせたりける、隠れ沼(ぬ)の 底の下草 水隠(みがく)れて しられぬ恋は くるしかりけりかへし、女水隠れに 隠るばかりの 下草は ながからじとも 思ほゆるかなこのこやくしといひける人は、たけなむいと短かりける。【注】・こやくしくそ=未詳。小薬師くそ、か。「くそ」は、名の下に付ける呼称。・隠れ沼の=「下」や「底」にかかる枕詞。『万葉集』の「こもりぬ」と読むべき「隠沼」という表記を「かくれぬ」と誤読した語。・水隠る=水中に隠れる。『古今和歌集』紀友則「川の瀬になびく玉藻の水隠れて人に知られぬ恋もするかな」。・恋=同音の「鯉」と掛詞。【訳】こやくしといった人が、ある人に対して求婚して、作って寄越した歌、草に覆い隠されている沼の、底の下草が水面下に隠れて、人に気づかれない鯉と同様、私のあなたに気づかれない恋は、苦しいものだなあ。それに対する返歌として、女が作った歌水中に隠れる程度の下草は、丈が長くないだろうとも、思われるなあ(それと同じように、あなたの私への思いも、長くは続かないだろうから頼りにできないでしょうよ)。この、こやくしといった人は、背丈が非常に短かかったとさ。
May 7, 2011
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【本文】志賀の山越のみちに、いはえといふ所に、故兵部卿の宮、家をいとをかしうつくりたまうて、時々おはしましけり。【注】・志賀の山越のみち=志賀の山は、滋賀県大津市の西方の山を越えて京都白川へ通ずる道。・いはえ=街道の地名らしいが未詳。・故兵部卿の宮=陽成天皇の皇子、元良親王。(890~943年)。第九十話に既出。・おはす=「行く」の尊敬語。【訳】滋賀の山越えの道中の、岩江という所に、故兵部卿の宮が、家を非常に風流に建造なさって、時々その別荘においでになったとさ。【本文】いとしのびておはしまして、志賀にまうづる女どもを見たまふ時もありけり。おほかたもいとおもしろう、家もいとをかしうなむありける。【注】・しのぶ=人目につかぬようにする。【訳】非常に人目を避けてお出かけになって、滋賀の寺社に参詣する女性たちを御覧になる時もあったとさ。【本文】おほかたもいとおもしろう、家もいとをかしうなむありける。【訳】おおよそお屋敷全体が、非常に風情があり、家の造りも非常に趣味が良かったとさ。【本文】としこ、志賀にまうでけるついでに、この家にきて、めぐりつつ見て、あはれがり、めでなどして、かきつけたりける、かりにのみ くる君まつと ふりいでつつ なくしが山は 秋ぞ悲しきとなむ書きつけて往にける。【注】・としこ=肥前の守、藤原千兼の妻。第三話に既出。・かりに=仮に。また、「狩り」と「鹿」とは縁語。・ふりいづ=声をふりしぼる。・しか=「鹿」と「志賀」の掛詞。・秋=同音の「飽き」を連想させ、時々しかやってこない意をきかせる。そのことによって、たまにしか来訪しない男と、それを待ちながら男の自分に対する飽きを恐れる女の恋の歌を髣髴とさせる意図があるのであろう。【訳】俊子が、滋賀の寺社に参詣したついでに、この家に来て、周囲をめぐりながら見て、感嘆し、ほめたりなどして、塀に書きつけた歌、仮りそめにだけやって来るあなた様を待とうと、声をふりしぼって鳴く鹿の住む滋賀の山は、秋が格別にもの悲しいことだ。と書きつけて、たちさったとさ。
May 7, 2011
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【本文】又男、「日ごろさわがしくてなむ、えまゐらぬ。かく、いそぎまかりありくうちにも、え障り来ぬことをなむ、いかにと、限りなく思ふたまふる」とありければ、女、さわぐなる うちにも物は 思ふなり わがつれづれを なににたとへむとなむありける。【注】・男=前話の藤原兼輔を指すのであろう。・さわがしく=忙しい。しなければならない用事が多い。・えまゐらぬ=参上できない。「え~ぬ(打消助動詞「ず」の連体形)」で、不可能表現。・まかりありく=あちこち移動します。「まかる」は、他の動詞のまえについて、丁寧な改まった言い方にする。・あり=引用の助詞「と」を受けて「言ふ」「書く」「仰す」「のたまふ」「問ふ」「答ふ」その他の語に代えて用いる。・女=前話の藤原実方の娘を指すのであろう。・さわぐ=忙しく立ち働く。・つれづれ=所在ないこと。また、物思いに沈むこと。【訳】また、男が、「つね日頃は、何かと身の回りでしなければならない用事が多く、あなたの元へ参上できない。このように、用事で忙しくあちこち歩きまわっていますあいだにも、あなたのほううでは、差し支えがあって来られないことを、どんなにご不満に感じておられるだろうかと、このうえなく恐縮いたしております」と言ってきたので、女が、あなたが忙しく立ち働く内裏においても私のことを心配はしているそうだ(でも、私のほうも。そのあいだ、あなたが来ないから思い悩んでいるのだ)、わたしの、あなたが訪ねて来ないあいだの所在なく物思いに沈むこの気持を、何にたとえようかしら(いや、何物にもたとえようがありませんわ)。
May 6, 2011
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【本文】三条の右大臣のむすめ、堤の中納言にあひはじめたまひける間は、内蔵(くら)のすけにて内の殿上をなむしたまひける。【注】・三条の右大臣=藤原実方。内大臣藤原高藤の子。和歌・管絃に秀でた。《小倉百人一首》「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしもしらじな燃ゆる思ひを」の歌で知られる。(873~932年)・堤の中納言=藤原兼輔。三十六歌仙の一人。賀茂川の堤のそばに邸宅があったので堤中納言と呼ばれた。。《小倉百人一首》「みかの原わきて流るるいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ」の歌で知られる。(877~933年)・あふ=結婚する。・内蔵のすけ=内蔵寮の次官。内蔵寮は、中務省に属し、宮中の宝物、天皇や皇后の装束、祭式の奉幣、佳節の御膳などを掌る役所。・内の殿上=内裏の殿上の間で、日直や宿直をして警備や雑務、節会などの宮中行事の供奉、時刻の奏上、天皇・皇后の命令の伝達などを行った。【訳】三条の右大臣の娘が、堤の中納言、藤原兼輔様と結婚したてでいらっしゃった頃は、兼輔様がまだ内蔵のすけにて内の殿上をなむしたまひける。【本文】女はあはむの心やなかりけむ、心もゆかずなむいますかりける。【訳】女は逢おうという気がなかったのだろうか、相手に満足せずにいらっしゃった。【本文】男も宮づかへしたまうければ、え常にもいませざりけるころ、女、たきものの くゆる心は ありしかど ひとりはたえて ねられざりけりかへし、上ずなればよかりけめど、えきかねば書かず。【注】・心ゆく=満足する。・ひとり=「一人」と「火取り」(香炉)の掛詞。「たえて」は、「ざり」と呼応する「まったく」の意と、火が消えての意を含む。・くゆる=「燻る」(煙が立つ)意と「悔ゆる」の掛詞。【訳】男も宮仕えなさっていたので、常には女の所に通うこともできなかった、そんな頃に、女が作って贈った歌、たきものの香のように、あなたとの結婚を後悔する、くすぶる気持はあったけれども、一人寝は寂しくて全く寝ることができなかったわ、燃える心の火もあなたが来なかったから絶えてしまったわ。それに対する男の返歌は、歌の達者だから、内容は、さぞ良かったのだろうが、聞くことができなかったので、ここには書かない。
May 5, 2011
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【本文】先帝の御時に、ある御曹司に、きたなげなき童ありけり。・曹司=宮中の官人や女官などに割り当てられた個室。・きたなげなき=こぎれいな。見苦しくない。【訳】前天皇であらせられる醍醐天皇の御代に、宮中のある御部屋に、見苦しくはない元服前の子供がいたとさ。【本文】帝御らむじて、みそかにめしてけり。【注】・御らむず=ごらんになる。・みそかに=ひそかに。人目をさけて。内緒で。こっそり。・めす=お呼び寄せになる。お招きになる。【訳】この子を天皇がごらんになって、ひそかにお呼び寄せになったとさ。【本文】これを人にもしらせ給はで、時々めしけり。【訳】このことを他人にもお知らせにならずに、時々お呼び寄せになったとさ。【本文】さて、のたまはせける、あかでのみ 見ればなるべし あはぬよも あふよも人を あはれとぞ思ふとのたまはせけるを、童の心ちにも、かぎりなくあはれにおぼえければ、しのびあへで、ともだちに、「さなむのたまひし」と語りければ、この主なる宮すん所ききて追ひいでたまひける物か、いみじう。【注】・あかで=名残尽きなく。物足りない状態で。・のたまはす=おっしゃる。仰せられる。【訳】そうして、この子に作って吟じなさった歌、いつも顔を見るのがものたりないからにちがいない、逢わない夜も逢う夜も、あなたをしみじみ愛しくおもうよとおっしゃったのを、子供心にも、このうえなく光栄で嬉しく感じられたので、隠しきれずに、友人に「天皇がそのようにおっしゃった」と語ったところ、この子の主人である御妃様が聞いて、なんとこの子を宮中から追い出しなさってしまったとさ、ひどいことです。
May 5, 2011
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【本文】同じ帝、月のおもしろき夜、みそかに宮すん所たちの御曹司どもを見ありかせ給けり。【注】・宮すん所=御息所。女御・更衣など天皇の妃。・曹司=宮中などの部屋。【訳】同じ醍醐天皇が、月の美しかった夜、そっとお妃さまがたの御部屋を見ておあるきになったとさ。【本文】御供に公忠さぶらひけり。【注】・公忠=三十六歌仙の一人、源公忠。官は右大弁(太政官の三等官)に至り、滋野井の弁と呼ばれた。【訳】おともには、公忠がお仕えした。【本文】それにある御曹司より、濃き袿(うちき)一襲(ひとかさね)きたる女のきよげなるいできて、いみじう泣きけり。【注】・袿=女性の普段着る上着。・一襲=衣服を数える語。一着。一枚。【訳】ところが、あるお部屋から、色の濃いうちきを一枚来ている女で、上品で美しい女が出てきて、ひどく泣いたとさ。【本文】公忠を近く召して、みせたまひければ、髪をふりおほひていみじう泣く。【訳】天皇は公忠を近くにお呼び寄せになって、ようすを見せなさったところ、女は髪の毛を振り乱してひどく泣く。【本文】「などてかく泣くぞ」といへど、いらへもせず。【訳】「どうして、こんなに泣くのか?」と言ったが、返事もしない。【本文】帝も、いみじうあやしがりたまひけり。【訳】天皇も、たいそう不審にお思いになったとさ。【本文】公忠、おもふらむ こころのうちは 知らねども 泣くをみるこそ わびしかりけれ【訳】〔そこで〕公忠〔が作った歌〕なにか考えているのであろうその心の中はわからないけれども、こんなにひどく泣くのを見るのはつらいものだなあ。とよめりければ、いとになくめでたまひけり。
May 2, 2011
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【本文】同じ帝の御時、躬恒(みつね)をめして、月のいとおもしろき夜、御あそびなどありて、「月を弓張といふは何の心ぞ。其のよしつかうまつれ」とおほせたまうければ、御階(みはし)のもとにさぶらひて、つかうまつりける、てる月を 弓張としも いふことは 山べをさして いればなりけり禄に大袿かづきて、又、しらくもの このかたにしも おりゐるは 天つ風こそ 吹きて来つらし【注】・躬恒=三十六歌仙の一人、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)。宇多・醍醐天皇に仕え、官位は低かったが、和歌に優れ、紀貫之らと共に『古今和歌集』の撰者をつとめた。・弓張=弓形をしている月。特に、陰暦七・八日ごろの月を「かみの弓張り」、二十三、四日ごろの月を「しもの弓張り」という。・大袿=平安時代に禄・かづけものとして賜った袿で、裄(ゆき)丈(たけ)を大きめに仕立てたもの。着るときは普通の大きさに仕立て直す。・しらくも=空に浮かぶ白い雲。また、白い大袿のたとえ。【訳】同じ醍醐天皇の御代に、躬恒(みつね)をお呼び寄せになって、月が非常に美しい夜に、管弦の宴などを催されて、「月を弓張というのはどういう意味だ。その理由を述べてみよ」とご命令なさったところ、御殿の階段のところに控えて、お作り申し上げた歌、夜空に照る月を、弓張とも言うことは、山辺を目指して入る(山のあたりをめがけて射る)からなのだなあ。天皇に頂いた褒美の大袿を肩に掛けて、又、次のような歌を作った、白雲がちょうどこちらの方におりてきてとどまっているのは(白雲のように白くてふわりとした大袿が、私の肩に高い御殿からくだってきてのっかっているのは)、空の風がまさに吹いて来たらしい。
May 1, 2011
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【本文】先帝(醍醐天皇)の御時、卯月のついたちの日、鴬のなかぬをよませたまひける、公忠、 春はただ 昨日ばかりを 鴬の かぎれるごとも なかぬ今日かなとなむよみたりける。【訳】先帝の醍醐天皇の御代、陰暦四月のついたちの日にウグイスが鳴かないのを歌に作らせなさった。そのときに源公忠が、 暦の上の春は、ただ残すところ昨日一日だけだったのを、ウグイスが区切ったように、パッタリト鳴かない今日という日だなあ。と歌に作ったとさ。
April 30, 2011
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【本文】これも、筑紫なりける女、秋風の こころやつらき 花薄 吹きくる方を まづそむくらむ【注】・つらし=薄情だ。・秋風=男の見立てであろう。・花薄=女の見立てであろう。【訳】これも、筑紫にいた女が、秋風の心は冷たいのかしら、それでススキの穂が、秋風の吹いてくる方向に対して、真っ先に背をむけるのだろう。
April 30, 2011
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【本文】筑紫なりける女、京に男をやりてよみける、 人を待つ 宿は暗くぞ なりにける 契りし月の うちにみえねばとなむいへりける。【注】・筑紫=筑前と筑後(ともに福岡県)。転じて九州をも指す。・人=愛する人。・「月」に、空の月と、暦の月を言い掛けた。【訳】筑紫にいた女が、京の都に男を行かせて作った歌、 愛するあなたを待つ家は雰囲気が暗くなってしまったなあ、帰って来ると約束した月内にあなたが姿を見せないし、家の中から空の月が見えないから。と詠んだとさ。
April 30, 2011
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【本文】この桧垣(ひがき)の御(ご)、歌なむよむといひて、すきものどもあつまりて、よみがたかるべき末をつけさせむとてかくいひけり。わたつみのなかにぞ立てるさを鹿はとてすゑをつけさするに、秋の山辺(やまべ)やそこに見ゆらむとぞつけたりける。【注】・わたつみ=海。・さを鹿=雄の鹿。・そこ=「其所」と「底」の掛詞。【訳】この桧垣(ひがき)の御(ご)が、和歌を作るといひて、風流な人々が集って、作りにくそうな下の句をつけさせようと思って、こんなふうに言いかけたとさ。海の中に立っているさお鹿はと詠んで下の句をつけさせると、秋の山のあたりが水面に映って見えるのだろうかとつけたとさ。
April 27, 2011
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【本文】筑紫にありける桧垣の御(ご)といひけるは、いとらうあり、おかしくて、世を経ける物になむありける。【注】・桧垣の御=北九州に居た遊女という。・らうあり=心遣いが行き届いている。洗練された情緒の持ち主である。・世を経=年月を経る。【訳】筑紫の国にいたという桧垣の御(ご)といった女性は、非常に気の利いたおかたで、風流に、年月を重ねていた人だったとさ。【本文】歳月かくてありわたりけるを、純友が騒ぎにあひて、家も焼けほろび、物の具もみなとられはてて、いといみじうなりにけり。【注】・純友が騒ぎ=平安中期の貴族、藤原の純友の乱。伊予掾(いよのじょう)となって赴任したが、瀬戸内海の海賊と組んで日振り島を拠点として反乱を起こし、一時は瀬戸内全域と九州の一部を支配したものの、敗れて殺された。(生年不祥~941年)・物の具=道具類。【訳】年月をこんなふうに心行き届いた状態で過ごしつづけていたが、純友の乱に遭遇して、家も焼失し、家財道具もみんな盗まれ尽くして、とてもひどいありさまになってしまった。【本文】かかりともしらで、野大弐好古、討手の使にくだり給て、それが家のありしわたりをたづねて、「桧垣の御といひけむ人に、いかであはむ。いづくにかすむらむ」とのたまへば、「このわたりになんすみ侍りし」など供なる人もいひけり。【訳】こういう事情だということも知らないで、小野好古が、征討軍の使者として京からお下りになって、その人(桧垣の御)の家のあった辺りを訪ねて、「桧垣の御といった人に、どうやって会ったらよかろう。どこに住んでいるだろうか。」とおっしゃったところ、「この辺に住んでいましたよ」などと、おともの人も言ったとさ。【本文】「あはれ、かかるさはぎにいかがなりけむ、たづねてしかな」とのたまひけるほどに、頭白き女の水汲めるなむ、前よりあやしきやうなる家にいりける。【訳】「ああ、こんな戦乱に、どうなってしまったのだろうか、訪ねたいなあ」とおっしゃっていたところ、しらが頭の女性で、水を汲んでいる者が、前を通ってみすぼらしいような家に入ったとさ。【本文】ある人ありて「これなむ桧垣の御」といひけり。いみじうあはれがり給てよばすれど、恥ぢて来でかくなむいへりける。むばたまの わが黒髪は しらかはの みづはくむまで なりにけるかなとよみたりければ、あはれがりて、きたりける袙(あこめ)一襲(ひとかさね)ぬぎてなむやりける【注】・むばたまの=「黒」にかかる枕詞。・しらかは=阿蘇山に源を発し、熊本県中部を流れる川。熊本平野を西流して熊本市で島原湾に注ぐ。・みづはくむ=非常に年老いる。「水は汲む」を言い掛けた。・あこめ=綾地で裏は平絹の衣服。男は束帯や直衣を着用するさいに、単衣のうえ、下がさねの下に着た。・襲=たたんだ衣服を数える接尾語。【訳】ある人がいて、「これが桧垣の御です」と言ったとさ。非常に気の毒がりなさって、部下に呼ばせたが、恥ずかしがってやってこずに、こんなふうに歌を詠んでよこしたとさ。ぬばたまのように黒々としていた私の黒髪は、いまでは白河の名のように高齢になって白くなってしまい、その白河の水を手ずから汲むまで落ちぶれてしまったなあ。と歌を作ったところ、小野好古は感動して、自分が着ていたあこめを一枚脱いで、彼女にやったとさ。
April 23, 2011
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【本文】泉の大将、故左のおほいどのにまうでたまへりけり。【注】・泉の大将=藤原定国。高藤の息子。大納言・右大将をつとめた。(八六七年~九〇六年)・故左のおほいどの=藤原時平。【訳】泉の大将が故左大臣のお屋敷に参上なさったとさ。【本文】ほかにて酒などまゐり、酔ひて、夜いたく更けてゆくりもなく物したまへり。【注】・まゐる=「飲む」の尊敬語。・ゆくりなし=突然。・物す=動詞「来」の代用。【訳】余所で酒などお飲みになり、酔って、夜ひじょうに遅くに突然いらっしゃった。【本文】おとどおどろき給て、「いづくに物したまへる便りにかあらむ」などきこえ給て、御格子あげさはぐに、壬生忠岑御供にあり。【訳】左大臣さまがびっくりなさって、「どこにいらっしゃったついでであろうか?」などと申し上げなさって、家の者たちが出迎えの準備に格子をつりあげて忙しく立ち働いていると、壬生忠岑がお供のなかにいた。【本文】御階のもとに、まつともしながらひざまづきて、御消息申す。「かささぎの渡せるはしの霜の上を夜半にふみわけことさらにこそとなむ宣ふ」と申す。【注】・かささぎの渡せるはしの=大伴家持の「かささぎの渡せる橋に置く霜のしろきを見れば夜ぞ更けにける」(天の河にカササギが架け渡している橋に降りている霜が白いのを見るにつけても、夜が更けてしまったなあ)をふまえる。【訳】階段の下に、松明をともしたままひざまずいて、訪問をお告げ申し上げた。「カササギが渡しているはしの霜のうえを、夜中に踏み分けてわざわざ尋ねて参りましたよ、とおっしゃっておられます」と申し上げた。【本文】あるじの大臣いとあはれにおかしとおぼして、その夜、夜一夜大御酒まゐり、あそび給て、大将も物かづき、忠岑も禄たまはりなどしけり。【注】・夜一夜=夜通し。・大御酒=臣下を相手に飲む酒。・あそぶ=歌舞音曲を楽しむ。【訳】主人である大臣も、非常に風流で味わい深いとお思いになって、その夜、夜通し臣下を相手にお酒を召し上がりなさって、大将も衣類を褒美にいただき、忠岑も褒美の品をいただいたりなどしたとさ。【本文】この忠岑がむすめありとききて、ある人なむ「得む」といひけるを、「いとよきことなり」といひけり。【訳】この忠岑のむすめがいると聞いて、ある人が「妻にしよう」といったのを、「たいへん結構なことだ」といったとさ。【本文】男のもとより「かのたのめたまひしこと、このごろのほどにとなむおもふ」といへりける返り事に、「わがやどの ひとむらすすき うら若み むすび時には まだしかりけり」となむよみたりける。まことに又いと小きむすめになむありける。【注】・たのめたまひしこと=娘を妻しようという申し入れに対して「いとよきことなり」(たいへん結構なことだ)と約束したこと。・ひとむらすすき=一人むすめのたとえ。・うら若み=「うらわかし」(新鮮でみずみずしい)と「うら」(心)が「わかし」(幼い)の掛詞であろう。・まことに又=この「又」は、あるいは元「まだ」とあったものか。【訳】男のところから、「例の当てにさせなさったこと、近いうちにと思います」と言った、その返事に、「我が家にある一群のススキは、若くてみずみずしく、生長していないので、結ぶには十分な長さがないように、また、心が幼いので、夫婦の契りを結ぶにはまだ早いと思います」と歌を作ったとさ。本当にまだ幼いむすめだったとさ。
April 7, 2011
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【本文】本院の北の方の、まだ帥(そち)の大納言の妻にていますかりける、平中がよみてきこえける。はるの野に 緑にはへる さねかづら わが君ざねと たのむいかにぞといへりけり。【注】・本院の北の方=在原棟梁のむすめで、藤原時平の妻。藤原国経との間に生まれた子が少将滋幹。・帥(そち)の大納言=藤原国経。時平の叔父。「帥」は、大宰府の長官。大納言を兼任した。・さねかづら=ビナンカズラ。・きみざね=大切な妻。本妻。「さね」に「共寝する」意の「さ寝(ぬ)」をきかせている。【訳】本院の北の方さまが、まだ帥の大納言さまの妻でいらっしゃったときに、平中が作って彼女に差し上げた歌、春の野に、これから青々と這って延びるさねかずらのつるのように、末永く私の大事な妻にしたいと当てにしておりますが、あなたのお気持ちはいかがでしょうか。と求愛したとさ。【本文】かくいひいひてあひちぎることありけり。そののち左の大臣の北の方にてののしりたまひける時、よみてをこせたりける、ゆくすゑの 宿世もしらず わが昔 ちぎりしことは おもほゆや君となむいへりける。【注】・ゆくすゑ=将来。・宿世もしらず=運命もわからず。相手の女が左大臣の妻にまで出世するとは思いもしなかったということ。・ののしる=勢力盛んになる。【訳】こんなふうに、お互い愛の歌を交わして、夫婦の約束を結ぶことがあったとさ。そののち、左大臣の正妻として勢力盛んでいらっしゃったときに、平中が作ってよこした歌、将来が、どういう運命かもわからずに、私がむかし夫婦の約束をしたことは、思い出されますか、あなたは。と書いてあったとさ。【本文】その返し、それよりまづまづも、うたはいとおほかりけれど、え聞かず。【注】・まづまづ=(岩波日本古典文学大系)に「まへまへ」の誤写であろう、とする。(蓬左文庫本)(群書類従本)に「まへまへ」に作る。【訳】その歌に対する返歌や、それより以前のものも、歌は非常に多くあったが、聞くことができなかった。
April 1, 2011
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【本文】同じぞうき君、人のもとはしらず、かうよめりけり。くさのはに かかれる露の 身なればや 心うごくに 涙落つらむ【注】・ぞうき君=増喜。宇多院の御所にも出入りしていたという法師。「きみ」は、人を表す名詞のあとにつけて敬意を添える。第百二十二話に見える。・「草の葉」に対して「露」「動く」、「かかる」に対して「露」「涙」、「露」に対して「涙」「落つ」は縁語。・露の身=すぐに消えてしまいそうな露のようにはかない命。【訳】同じ、増喜さまが、どなたに宛てたのか、そのお相手のことは、よくわからないが、こんなふうに歌を作ったとさ。草の葉にかかっている露のように、はかない身の上だから、あなたのことに気持が動くにつけて、涙がこぼれ落ちるのだろうか。
April 1, 2011
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【本文】としこが、しが寺にまうでたりけるに、ぞうき君といふ法師ありけり。【注】・としこ=肥前の守藤原千兼の妻。第三話に既出。・しが寺=志賀寺。かつて大津市にあった崇福寺。天智天皇の勅願によって建立された。・ぞうき君=増喜。未詳。【訳】俊子が、志賀寺に参拝したときに、増喜ぎみという僧がいたとさ。【本文】それは比叡に住む、院の殿上もする法師になむありける。【注】・院の殿上もする=宇多院の御所(亭子院)の昇殿を許可されていた。【訳】その法師は、比叡山に住む、宇多院の御所に昇殿もする僧だったとさ。【本文】それ、このとしこのまうでたる日、志賀にまうであひにけり。【訳】その僧が、この俊子が参拝した日に、志賀寺に参拝して出くわしたとさ。【本文】はしどのに局をしてゐて、よろづの事をいひかはしけり。【注】・はしどの=谷や崖などの上に、橋のように架け渡して作った建物。・局=建物の内部を屏風や几帳などで仕切った部屋。【訳】山から谷に橋のように建て渡した建物に、部屋を設けていて、さまざまな事を語り合ったとさ。【本文】としこ帰りなむとしけり。それに、ぞうきのもとより、あひみては 別るることの なかりせば かつがつ物は 思はざらまし【注】・かつがつ=まずまず。ぽつぽつ。まあまあ。・あひみる=対面する。また、男女が情を交わす。【訳】俊子が京に帰ってしまおうとしたとさ。その俊子に、増喜のところから、作ってよこした歌、お逢いしたあとでは、もし別れることが無かったならば、まあまあ、物思いに沈むことは、なかっただろうに。【本文】かへし、としこ、いかなれば かつがつ物を 思ふらむ 名残もなくぞ 我は悲しきとなむありける。ことばもいと多くなむありける。【注】・名残も無く=すっかり。【訳】それに対する返歌として、俊子が、どういうわけで、あなたは、時折物思いに沈む程度なのでしょう、私のほうは、すっかり悲しく思っておりますのに。と作った歌を送ったとさ。手紙にはこの歌以外にも、言葉も多く書き連ねてあったとさ。
March 23, 2011
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【本文】さねたうの小弐といひける人のむすめの男、ふえたけの ひと夜も君と 寝ぬときは 千種の声に 音こそなかるれといへりければ、女、ちぢの音は ことばのふきか 笛竹の こちくの声も 聞え来なくに【注】・さねたうの小弐=未詳。「小弐」は、大宰府の三等官。・男=夫。恋人である男。・ふえたけのひと夜も君と寝ぬときは千種の声に音こそなかるれ=「笛竹」に対して「よ(節)」「声」「音(ね)」は縁語。「夜」と「よ(節)」は掛詞。「ひと夜」に対して「千種」は縁語。・千種=さまざま。いろいろ。・ちぢの音はことばのふきか笛竹のこちくの声も聞え来なくに=「ふき(吹き)」に対して「笛竹」は縁語。「こちく」は、胡竹。笛の素材にする中国渡来の竹。「こちく」(こっちへやってくる)意の掛詞。【訳】さねたうの小弐といった人のむすめの恋人の男が作った歌、笛を作る竹のひとふしのように、ひと夜も貴女と寝ないときは、笛でさまざまな音色を発するように、さまざまな嘆きの声をもらして泣けてくるなあ。といってやったところ、女の返歌、千々の音を発するというのは、ことばのうえだけでホラを吹いているのですか。笛竹のこちくの音がきこえてきてもよさそうなのに、「こちく(胡竹)」「此方来(私のいるこっちへやってくる)」という声も聞こえてこなかったのに。
March 20, 2011
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【本文】同じ女に、陸奧国の守にて死にし藤原のさねきがよみておこせたりける。病いと重くしてをこたりける頃なり。「いかで対面たまはらむ」とて、からくして 惜しみとめたる 命もて あふことをさへ やまむとやするといへりければ、【注】・同じ女=第百十八話の「閑院のおほい君」。源宗于のむすめ。・藤原のさねき=従四位上、陸奥の守をつとめた藤原真興のことかという。・おこたる=病気がよくなる。・からくして=やっとの思いで。ようやく。【訳】同じ女に、陸奧国の守で死んだ藤原真興が、作って送ってよこした歌。ちょうど病気が非常に重かったのが、すこしよくなった頃だ。「なんとか対面していただきたい」というので、やっとのことで、惜しんでこの世にとどめた命のせいで、あなたは対面することをさへ、やめようとなさるのだろうかといってやったところ、【本文】おほい君かへし、もろともに いざとはいはで しでの山 などかはひとり 越えむとはせしといひたりけり。【注】・しでの山=冥土すなわち死後の世界にあるという険しい山。『宇津保物語』《国譲・上》「見し世にぞかくも言はまし嘆きなく死出の山路をいかで越ゆらむ」。【訳】大君の返歌、いっしょに、さあ、まいりましょう、とは言わずに、死出の山路を、どうしてあなたは一人で越えようとなさったのですかといってきたとさ。【本文】さて、きたりける夜も、えあふまじきことやありけむ、えあはざりければ帰りにけり。さて、朝に男のもとよりいひをこせたりける、あか月は なくゆふつけの わび声に おとらぬ音をぞ なきてかへりし【注】・ゆふつけ=にわとり。・音(ね)をなく=声をあげて泣く。【訳】そうして、会いにやってきた夜も、会うわけにいかない事情があったのだろうか、会うことができずに帰ったとさ。そして、翌朝に、男の所からいってよこした歌、泊めていただくことができなかったため、一緒に暁を迎える別れも無かったわけですが、暁に鳴く一番鶏の声に劣らぬような大きい声をあげて、泣いて帰ったことですよ。【本文】おほいきみ、かへし、あか月の ねざめの耳に 聞きしかど とりよりほかの 声はせざりき【訳】大君の返歌暁の、目が覚めていた耳で、たしかに聞きましたが、鶏の声以外は、声はしなかったわよ。
March 17, 2011
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【本文】閑院のおほい君むかしより おもふ心は ありそ海の 浜のまさごは 数もしられず【注】・閑院のおほい君=源宗于のむすめ。第四十六話の「閑院の御」。・ありそ海=岩の多い海辺。『古今和歌集』仮名序「わが恋はよむとも尽きじありそ海の浜の真砂はよみ尽くすとも」。『古今和歌集』巻十五「ありそ海の浜のまさごと頼めしは忘るることの数にぞありける」。【訳】閑院のおほい君が作った歌、むかしから、貴方を思う恋心はありますが、ありそ海の浜の砂粒は数もわからないのとおなじで、私のこの思いも冷たい貴方にはわかりません。
March 8, 2011
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【本文】桂のみこ、七夕のころしのびて人にあひたまへりけり。さてやり給へりける、袖をしも かさざりしかど たなばたの あかぬ別れに ひちにけるかなとありけり。【注】・桂のみこ=宇多天皇の皇女、孚子内親王。(生年不祥……958年没)。第二十話にも見える。・あかぬ別れ=なごり尽きない別れ。『詞花和歌集』「たなばたの待ちつるほどの苦しさと飽かぬ別れといづれまされる」。【訳】桂のみこ、孚子内親王さまが、七夕の頃に、こっそりと人目をしのんで、ある人と契りを結ばれたとさ。そうして、相手にお贈りになった歌、わたくしの袖こそ、織女に貸しませんでしたが、あなたとお逢いした七夕の、名残おしい別れに、涙でびっしょり濡れてしまいましたよ。と書いてあったとさ。
March 1, 2011
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【本文】兵衛の尉はなれてのち、臨時の祭の舞人にさされていきけり。この女ども物見にいでたりけり。さて、かへりてよみてやりける、むかしきて なれしをすれる 衣手を あなめづらしと よそに見しかな【注】・兵衛の尉=兵衛府の三等官。ここでは第百十二話に見える、左兵衛の尉をつとめた藤原庶正(もろただ)。・臨時の祭=例祭以外に行われる祭り。賀茂神社では平安時代初期の宇多天皇のときに始まり、明治三年まで、陰暦十一月の第三の酉の日に行われた。【訳】兵衛の尉が役職を離れてのちに、賀茂の臨時の祭りの舞楽を奉納する舞人に指名されて行ったとさ。この別れた女たちが祭り見物に出かけたとさ。そうして、帰宅して作って贈った歌、昔あなたが訪ねてきて馴れ親しんだ時の、昔着てこなれた衣を摺り模様に仕立て直した衣の袖を、ああ目新しいと、遠くから見たことですよ。【本文】かくて兵衛の尉、山吹につけておこせたりける、もろともに ゐでの里こそ こひしけれ ひとりをりうき 山ぶきの花となむ、かへしは知らず。【注】・ゐで=京都府綴喜郡井出町。木津川に流入する玉川の扇状地で、京都から奈良へ向かう交通の要所であった。『古今和歌集』に「かはず鳴くゐでの山吹散りにけり花の盛りにあはましものを」と詠まれており、蛙と山吹の名所。【訳】こういうことがあって、兵衛の尉が、山吹の枝に結びつけてよこした手紙の歌、二人でいっしょにいた井出の里が恋しいですよ。一人でいるのがつらい、折るのが惜しい山吹きの花。と作ってあったとさ。この歌への返歌は不明。【本文】かくてこれは女、かよひける時に、おほぞらもただならぬかな十月(かみなづき)我のみしたにしぐるとおもへばこれもおなじ人、あふことの なのみしたくさ 水(み)隠(がく)れて しづ心なく ねこそなかるれ【注】・なのみしたくさ=「なのみす」(名目だけが立つ)と(下草)の掛詞。「なみのしたくさ」とする異文もある。その場合は「逢ふことの無み」(逢うことが無いので)と(波の下草)で、「なみ」が掛詞。・水隠れて=水の下に隠れて。「身隠れて」との掛詞であろう。「下草」の縁語。・ねこそなかるれ=「音こそ泣かるれ」と「根こそ流るれ」の掛詞。【訳】こうして、これは女が、兵衛の尉がまだ夫として通ってきていた時に、大空の空模様も尋常ではないなあ、十月は。私だけが空の下で時雨が降るように涙の雨を流していると思うから。これも、同じ女が作った歌、あなたとお逢いすることが名目上ばかりで、深い仲になることもなく、丈の低い下草が水中に隠れるようにして、落ちつきなくゆらめいて根っこのほうから流れるのと同様に、私は浮かばれずにあなたに翻弄されるばかりで思わず声をあげて泣いてしまうことだ。
February 27, 2011
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【本文】同じ女、のちに兵衞の尉(ぜう)庶正(もろただ)にあひて、よせてをこせける日のことになむ、こちかぜは けふひくらしに 吹くめれど 雨もよにはた よにもあらじなとよみたりける。【注】・同じ女=橘公平(公彦?)のむすめ。・兵衞の尉庶正=蔵人、左兵衛の尉をつとめた藤原庶正。堤中納言兼輔の子。(生年不祥……947年没)。【訳】同じ女が、のちに兵衛の尉藤原庶正と結婚して、翌朝に、手紙をよこして送ってきた日の言葉に、雨をもたらすという東風は、今日は日暮れまで吹くように見えるが、今夜はまさか雨は降らないでしょうねえ。雨ならぬ私の涙雨も降らないですみように、今夜もきっとお訪ねくださいね。と歌に作ってあったとさ。
February 26, 2011
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【本文】大膳(だいぜん)の大夫(かみ)公平(きむひら)のむすめども、県(あがた)の井戸といふ所に住みけり。【注】・大膳の大夫=宮中の食事のことを司る大膳職の長官。・公平=「きむひら」は、きむひこ」の誤写で、従五位上、大膳の大夫をつとめた橘公彦のことかという。文章博士、広相(ひろみ)の子。・県の井戸=一条の北東、洞院の西角の地。【訳】大膳の大夫公平(橘公彦?)のむすめ達が、県の井戸という所に住んでいたとさ。【本文】おほいごは、后の宮に、少將の御といひてさぶらひけり。【注】・おほいご=長女。・后の宮=醍醐天皇の皇后で、藤原基経の娘。(885……954年)。【訳】長女は、穏子皇后に、少将の御という名でお仕えしていたとさ。【本文】三にあたりけるは、備後守さねあきら、まだ若男なりける時になむ、初の男にしたりける。すまざりければ、よみてやりける、この世には かくてもやみぬ 別れ路の 淵瀬に誰を とひてわたらむとなむありける。【注】・備後守さねあきら=源信明。公忠の子。(947……970年)まで備後の守をつとめた。【訳】三女に当たっていた娘は、備後守さねあきらが、まだ若者であった時に、初めての夫としていたとさ。その夫が、通って来なくなったので、作って贈った歌、はなないこの世においては、こんなふうに一方的に相手が来なくなっても、夫婦関係が終わってしまうものなのですねえ。女は死後、最初に関係した男に手を引いてもらって三途の川を渡ると俗に言いますが、わたしは川の淵や浅瀬を誰にたずねて渡ればいいのかしら。
February 26, 2011
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【本文】同じ女、巨城が牛を借りて、又のちに借りたりければ、「たてまつりたりし牛は死ににき」といひたりける返事に、わがのりし ことをうしとや きえにけむ 草にかかれる 露の命は【注】・同じ女=南院のいま君。右京の大夫、源宗于のむすめ。・巨城=源巨城。宇多天皇の王孫。『後撰和歌集』に「わすらるる身をうつせみのから衣かへすはつらき心なりけり」の歌を収める。・「のり」には「乗り」と「告り」、「こと」には「事」と「言」、「うし」には「憂し」と「牛」、「かかれる」には「降りかかる」と「たよる」意を掛ける。「乗る」と「牛」、「牛」と「草」、「草」と「露」、「消え」と「露」「命」、「かかる」と「露」は縁が深い。【訳】同じ女、すなわち南院のいま君が、源巨城の牛を借りて、再び後に借りたところ、「先日そちらにお貸ししておいた牛は死んでしまった」と言ってきた返事として、私が牛車に乗ったことを、つらいと感じて、この世から消えてしまったのだろうか、草にかかっていた露のように、食べる草で命をつないでいた、はかない牛の命は(私がまた牛を貸せと告げたことを、いやだなとあなたは思っているのでしょうか、牛が死んじゃったなどというのは)
February 23, 2011
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【本文】南院のいま君といふは、右京の大夫(かみ)宗于(むねゆき)のきみのむすめなり。【注】・南院=南側の御殿。・右京の大夫宗于=光孝天皇の孫で、是忠親王の子にあたる。官は従四位下、右京大夫に至った。三十六歌仙の一人。《百人一首》の「山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば」の歌で知られる。(生年不祥……939年没)【訳】南院のいま君というのは、右京の大夫源宗于さまの娘である。【本文】それ太政大臣内侍の君の御方にさぶらひけり。それを兵衛の督(かみ)の君、あや君と聞えける時、曹司にしばしばおはしけり。【注】・太政大臣内侍の君=太政大臣藤原忠平のむすめ貴子。・兵衛の督の君=宮中警護や行幸の際のお供をする武官の役所である兵衛府の長官。・曹司=女房に与えられた個室。【訳】その女性が太政大臣の娘で内侍の君というおかたの所にお仕えしていたとさ。それを兵衛の督の君が、まだ、あや君と申しあげていた時分に、南院のいま君に割り当てられた個室に、頻繁にいらっしゃっていたとさ。【本文】おはし絶えにければ、常夏の枯れたるにつけてかくなむ、かりそめに君がふしみしとこなつのねもかれにしをいかでさきけむとなむありける。【注】・常夏=ナデシコの別名。山野に自生する草花で、高さ約五十センチ。葉は線形でやや白っぽく、対生。夏から秋にかけて花びらの先が細く裂けた紅色の花をつける。秋の七草の一。・ふしみしとこなつ=「寝転がって見た庭のナデシコ」と「臥して契りを結んだ寝床」を言い掛ける。「ふし(臥し)」に対して「み(見る)」「とこ(床)」「ね(寝)」は縁語。・ねもかれ=「根も枯れ」と「寝も離れ」「音も嗄れ」を言い掛ける。【訳】そののち、南院のいま君の部屋へのご来訪が絶えてしまったので、常夏(ナデシコ)で枯れている花に手紙を結びつけて、こんなふうに歌を作った、ほんのちょっと貴方が私と臥してみた寝床ではありませんが、共寝することもほとんど無くなってしまい、私の泣き声もすっかりかれてしまい、常夏の根も枯れてしまったのに、どうして咲いたのでしょうか。と書いてあったとさ。
February 20, 2011
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【本文】おなじ宮に、こと女、あふことの 願ふばかりに なりぬれば ただにかへしし ときぞこひしき【注】・おなじ宮=陽成天皇の皇子、元良親王。官位が三品、兵部卿の宮に至った。《百人一首》の「わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしも逢はむとぞ思ふ」の歌で知られる。(890……943年)【訳】同じ兵部卿の宮に、別の女が、お逢いする機会が、ひたすらこちらが一方的に願うばかりで、いっこうに逢えなくなってしまいましたので、何事もなく貴方さまをお帰ししてしまった時のことが、恋しく、悔やまれます。
February 19, 2011
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【本文】故兵部卿の宮、この女のかかることまだしかりける時、よばひたまひけり。みこ、荻のはの そよぐごとにぞ うらみつる 風にうつりて つらき心を【注】・故兵部卿の宮=陽成天皇の皇子、元良親王。(890……943年)。第九十話に既出。・この女=平中興のむすめ。・うらみ=「恨み」「裏見」の掛詞。【訳】故兵部卿の宮が、この女すなわち平中興のむすめが、浄蔵大徳との一件がなかった時分に、求婚なさっていたとさ。そこで兵部卿の宮が作って贈った歌、荻の葉がそよぐたびに裏を見るように貴女を恨んだことです、風が吹くたびになびく方向が変わるように、色々な男の誘いを受けるたびに気が変わる貴女の冷たい心を。【本文】これも、おなじ宮、あさくこそ人はみるらめ関川の絶ゆる心はあらじとぞ思ふ女かへし、関川の いはまをくぐる 水浅み 絶えぬべくのみ 見ゆる心を【注】・関川=近江の国、逢坂の関のそばを流れる清流。歌枕。この歌では「水がせき止められるように岩が複雑に点在している」という意を連想させようとしているのであろう。【訳】これも、同じ故兵部卿の宮が作って贈った歌、私の思いが浅いと貴女はみているのでしょうが、関川の流れのように、私の貴女への愛はとぎれさせるつもりは無いと思っていますよ。それに対する女の返歌、関川の岩と岩の間をくぐりぬけて流れる水のように、あなたのお顔を見ずに過ごす日が多いことにあきれて、あなたの思いが浅いことがわかっているから、わたしの目にはあなたの愛は今にも途絶えそうだとだけ見えますよ。【本文】かくて、この女いでて物きこえなどはすれど、あはでのみありければ、みこおはしましたりけるに、月いとあかかりければ、よみたまひける、よなよなに出づとみしかどはかなくて入りにし月といひてやみなむとのたまひけり。【訳】こうして、この女は、部屋から出て兵部卿の宮に言葉を申し上げなどはするけれども、まったく契りを結ぶことなく過ごしていたので、ある夜、兵部卿の宮がいらっしゃったときに、月が非常に明るかったので、お作りになった歌、毎晩毎晩出るのは見ていたが、じゅうぶん観賞しないうちに沈んでしまった月のように、貴女は毎晩部屋から出るものの、直接近くで会って契りを結ぶこともなく、また、むなしく部屋に入ってしまうので、もう手の届かない女性だと思ってあきらめてしまおう。とおっしゃったとさ。【本文】かくて扇おとしたまへりけるをとりてみれば、しらぬ女の手にてかく書けり。わすらるる 身は我からの あやまちに なしてだにこそ 君をうらみめと書けりけるをみて、傍にかきつけてたてまつりける、ゆゆしくも おもほゆるかな人ごとにうとまれにけるよにこそありけれとなむ。【訳】こうして、兵部卿の宮が扇を落とされたのを平中興のむすめが拾いあげて見てみると、みたこともない女の筆跡で次のように書いてあったとさ。この身が忘れ去られるのは、せめてみずから犯した過ちのせいだと見なしてから、あなたを恨みましょう。と書いてあったのを見て、その脇に平中興のむすめが書いて差し上げた歌、不吉にも思われますねえ、それぞれの女性から嫌われてしまった男と女の世界ですねえ。と作ったとさ。【本文】また、この女、わすらるる ときはの山も ねをぞなく 秋野の虫の 声にみだれてかへし、なくなれど おぼつかなくぞ おもほゆる 声聞くことの 今はなければ【注】・ときはの山=京都市右京区にある山。また、常緑樹で青々している山。「ときは」は、「常盤」と「時は」の掛詞。「秋」は「飽き」の掛詞。【訳】また、この女が、忘れ去られる時には、女だけではなく、ときわの山でさえも声をあげて泣くのです、男性の心に女性に対する飽きがくるように「秋がきた」と鳴く野原の虫の悲しげな声にいっそう心乱れて。と歌を作った。それに対する兵部卿宮の返歌、なくという話ですが、声を聞くのが待ち遠しく思われますよ、あなたは私と会話もしてくださらないから現在はあなたの声さえ聞く機会が私には無いのですから。【本文】又おなじ宮、雲井にて よをふるころは 五月雨の あめのしたにぞ 生けるかなしき返し、ふればこそ 声も雲居にきこえけめ いとどはるけき 心ちのみして【注】・雲井=宮中。「雲」に対し、「雨」は縁語。・「ふる」は、「経る」と「降る」の掛詞。「降る」に対し「五月雨」は縁語。【訳】また、同じ兵部卿宮の作った歌宮中で夜を過ごすころには、五月雨のように乱れ降る空の下にいるように、あなたに逢えずに涙が沢山流れるので、この世に生きているのがつらくなります。それに対する平中興のむすめの返歌、あなたが宮中で夜を過ごしたからこそ、私の声も宮中まで聞こえたのでしょう。あなたとの距離がいっそう遠い気持ちばかりがして、いつもより大声で泣きましたから。
February 17, 2011
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【本文】中興の近江の介がむすめ、物のけにわづらひて、上ざうだいとくを験者にしけるほどに、人とかくいひけり。【注】・中興の近江の介=右大弁平季長の子、平中興。平安中期の人。近江の国の国府の次官を務めた。(生年不祥……930年没)。・上ざうだいとく=浄蔵大徳。諌議太夫殿中監、三善清行(きよつら)の子。比叡山で密教を学び、不動明王の眷族である護法童子を自在にあやつったり、死の直後の父を祈祷で蘇生させたり、平将門の乱を調伏したりして、霊験あらたかだったという伝説が残っている。・験者=祈祷師。【訳】近江の介、中興の娘が、モノノケに苦しんで、浄蔵大徳を験者にしとところ、人々があれこれとうわさしたとさ。【本文】猶しもはたあらざりけり。しのびてあり経て、人の物いひなどもうたてあり、なほ世に経じとおもひ言ひて失せにけり。鞍馬といふところにこもりていみじう行ひをり。【注】・鞍馬=京都市左京区。毘沙門天を本尊として祭る天台宗の鞍馬寺があり、修験道の霊地としても知られる。【訳】やはり、また、二人の関係は普通ではなかった。人目をしのんだまま関係を続けて、人のうわさなども、不快であった。やはり、俗世間では過ごすまいと考えを告げて姿を消してしまったとさ。それから浄蔵大徳は鞍馬というところにこもって修行していたとさ。【本文】さすがにいとこひしうおぼえけり。京を思ひやりつつ、よろづのこといとあはれにおぼえて行ひけり。なくなくうちふして、かたはらをみければ文なむみえける。なぞの文ぞとおもひてとりてみれば、このわが思ふ人の文なり。書けることは、すみぞめのくらまのやまにいる人はたどるたどるもかへり来(き)ななむと書けり。【訳】それでもやはり、中興の娘のことが恋しく思われたとさ。京にいる娘のことを想像しながら、さまざまなことを非常にしみじみと感じながら修行していたとさ。泣く泣く臥して、わきを見ると、手紙が目にはいった。なんの手紙だろうと思って、手にとって見てみたところ、この、いつも自分が思っている娘の手紙であった。その手紙に書いてあったことは、墨染めのように暗い鞍馬の山に入っていった人は、足元も暗くてよく見えないでしょうが、それでも入っていった道をたどって引き返しながら京の私の所へやって来てほしい。と書いてあったとさ。【本文】いとあやしく誰してをこせつらんとおもひをり。もて来(く)べきたよりもおぼえず、いとあやしかりければ、またひとりまどひ来にけり。かくて又山にいりにけり。さてをこせたりける。からくして おもひわするる 恋しさを うたてなきつる 鴬の声【訳】非常に不思議で、中興の娘は誰を使いにして手紙をよこしたのだろうか、と浄蔵は考えていた。こんな山奥に持ってくることができる手段も考えつかず、非常に不思議だったので、再び独りで心を乱して京に来てしまったとさ。こうして、また山に入ってしまったとさ。そうして、中興の娘の所に手紙をよこしたとさ。やっとのことで、忘れた恋しい思いを、いやなことに、また鳴いて恋しさを思い出させるウグイスの声だよ。【本文】かへし、さても君 わすれけりかし 鴬の なく折のみや おもひいづべきとなむいへりける。【訳】それに対する娘の返歌、それにしてもあなたは、忘れてしまっていたのですねえ、ウグイスが鳴く時にだけ、思い出すものでしょうか。【本文】又、上ざうだいとく、わがために つらき人をば おきながら 何の罪なき 世をやうらみむともいひけり。この女はになくかしづきて、皇子達上達部よばひたまへど、帝にたてまつらむとてあはせざりけれど、このこといできにければ親も見ずなりにけり。【注】・「おき」(沖)に対して「うら」(浦)は縁語。【訳】再び浄蔵大徳が、わたくしにとって、冷たい人を、海の沖のように遠くはなれた京に置きながら、沖から浦を見るように、どうして罪のない世間を恨んだりできましょうか。とも作って贈ったとさ。この女は、親がこのうえなく大事に養育して、皇子や上達部たちが求婚なさったが、天皇に妃として差し上げようと親が考えて、結婚させなかったけれども、この浄蔵大徳との一件が起きてから、親も面倒を見なくなってしまったとさ。
February 16, 2011
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【本文】しげもとの少将に、女、こひしさに 死ぬる命を おもひいでて とふ人あらば なしとこたへよ少将かへしからにだに 我きたりてへ 露の身の 消えばともにと ちぎりおきてき【注】・しげもとの少将=大納言藤原国経の子で、左近衛少将となった藤原滋幹。・「露」に対し「消え」「おき」は縁語。・きたりてへ=「来たりといへ」の縮約。【訳】藤原滋幹少将に対して、ある女が、恋しさゆえに私はもう死んでしまう命ですのに、もし、そんな私を思い出して、訪ねる人がいたら、もうすでに此の世には生きていないと答えよ。という歌を作って贈ったとさ。それに対する少将の返答の歌、亡き骸にさえ恋しくて私は逢いにやってきたと告げよ。露のようにはかない我が身が、もし消えるのなら一緒にと約束して置いた通りに。
February 16, 2011
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