趣味の漢詩と日本文学

趣味の漢詩と日本文学

January 2, 2010
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カテゴリ: 国漢文
【本文】五日、けふ辛くして和泉の灘より小津のとまりをおふ。松原めもはるばるなり。
【訳】二月五日。今日ようやく和泉灘から小津港に向かう。新芽がふくらみはじめた松原の松も遥か遠くに見えた。

【本文】かれこれ苦しければ詠めるうた、

「ゆけどなほ行きやられぬはいもがうむをつの浦なるきしの松原」。

かくいひつづくる程に「船疾くこげ、日のよきに」と催せば、楫取、船子どもにいはく「御船より仰せたぶなり。あさぎたの出で来ぬさきに綱手はやひけ」といふ。

【訳】あれやこれや苦痛なことばかりなので、作った歌。
「進んでもそれでもなお通過できないのは愛する女性がつむぐ糸のように長々とつづく小津の浦にある岸辺の松原だなあ」
こんなふうに言いつづけるうちに、「船をはやく漕げ、天気がいいのだから」とせき立てたところ、船頭が手下たちに向かって言うには「御船からご命令をいただいたぞ。朝吹く北風が吹き起こらないうちに船の引き綱を引っ張れ」と言った。

【本文】この詞の歌のやうなるは楫取のおのづからの詞なり。楫取はうつたへに、われ歌のやうなる事いふとにもあらず。聞く人の「あやしく歌めきてもいひつるかな」とて書き出せれば、げに三十文字あまりなりけり。


【本文】今日浪なたちそと、人々ひねもすに祈るしるしありて風浪たたず。今し鴎むれ居てあそぶ所あり。京のちかづくよろこびのあまりにある童のよめる歌、

「いのりくる風間と思ふをあやなくに鴎さへだになみと見ゆらむ」

といひて行く間に、石津といふ所の松原おもしろくて濱邊遠し。
【訳】今日は「波よ立つな」と人々が終日祈った効験があって風波が立たない。今ちょうどカモメが群がり集まって遊泳している場所がある。京が近づく喜びのあまりに、ある少年が作った歌。
「祈りつづけてきた風の止んだ短い合間だと思うけれども、いままで波が立ってばかりいたので理屈に合わないことにカモメの群れあそぶ白い列を波だと思ってしまうのだろうか」。

【本文】又住吉のわたりを漕ぎ行く。ある人の詠める歌、

「今見てぞ身をば知りぬる住のえの松よりさきにわれは經にけり」。
【訳】また住吉の浦あたりを漕ぎ進む。その時にある人が作った歌、
「いま目の前にしてはじめてわかった。住之江の松よも私は年を経てしまったよ。(松の前方を通り過ぎたよ)」。

【本文】ここにむかしつ人の母、一日片時も忘れねばよめる、

「住の江に船さしよせよわすれ草しるしありやとつみて行くべく」


【訳】この時に、昔ひとの母親だった人が、死んだ子を一日片時も忘れることがないので、作った歌、
「住之江の浦に船を漕ぎ寄せておくれ、身に帯びると恋しい人を忘れることができるという忘れ草の効き目がほんとうにあるかどうかを実際に摘んで行って確かめることができるように」と作った。ことさらに忘れようというのではなくて、恋しい思いをしばらくやすめて、さらに恋うる助力にしようというつもりであろう。

【本文】かくいひて眺めつづくるあひだに、ゆくりなく風吹きて、こげどもこげども、しりへしぞきにしぞきてほとほとしくうちはめつべし。
【訳】こんなふうに言って眺め続けるうちに、急に風が吹き起こって、漕いでも漕いでも、後方へ後退し、あやうく転覆しそうだった。

【本文】楫取のいはく「この住吉の明神は例の神ぞかし。ほしきものぞおはすらむ」とは今めくものか。


【本文】さて「幣をたてまつり給へ」といふにしたがひてぬさたいまつる。かくたいまつれども、もはら風やまで、いや吹きにいや立ちに風浪の危ふければ、楫取又いはく「幣には御心のいかねば御船も行かぬなり。猶うれしと思ひたぶべき物たいまつりたべ」といふ。
【訳】そして「ぬさをさしあげなさい」というのでその言葉にしたがってぬさをさしあげた。こうして、さしあげたけれども、いっこうに風が吹き止まないで、ますます風吹きますます波だって危険だったので、船頭が、また言うには、「ぬさではご満足いかないので、お船も進まないのである。もっと嬉しいとお思いなさる適当なものを差し上げなさいませ。」と言った。

【本文】又いふに従ひて「いかがはせむ」とて「眼もこそ二つあれ、ただ一つある鏡をたいまつる」とて海にうちはめつれば、いとくちをし。されば、うちつけに海は鏡のごとなりぬれば、或人のよめるうた、

「ちはやぶる神のこころのあるる海に鏡を入れてかつ見つるかな」。
【訳】また、言葉通りに「どうしようか、何を差し上げようか」と言い、「眼玉だって二つきりだが、たった一つしかない鏡を差し上げよう。」と言って、海に投げ入れたので、ひじょうに残念だ。すると、急に海は鏡の面のように平らかになってしまったので、ある人が作った歌、
「荒々しい神様の心のように、荒れる海に鏡を投入してちょっと神様の心のうちを垣間見たことだなあ。」

【本文】いたく住の江の忘草、岸の姫松などいふ神にはあらずかし。目もうつらうつら鏡に神の心をこそは見つれ。楫取の心は神の御心なりけり。
【訳】それほど住之江の忘れ草、岸の姫松などという神様ではないようだ。はっきりと目の当たりに神様の心を確認した。船頭の心は、そのまま神の御心なのだなあ。





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Last updated  January 2, 2010 04:44:17 PM
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