第百二十二段
【本文】
むかし、男、契れることあやまれる人に、
山城の 井手の玉水 手にむすび 頼みしかひも なき世なりけり
と言ひやれど、いらへもせず。
【注】
〇契れること=約束したこと。
〇あやまる=(約束などを)わざと破る。
〇山城=畿内五か国の一。現在の京都府南部。古くは名rから見て山の背の意で「山背」と表記し、また「山代」とも表記したが、桓武天皇の平安遷都(七九四年)以降、「山城」と表記するようになった。
〇井手=京都府綴喜郡井手町。奈良街道の途中、木津川に流れ込む玉川の扇状地。橘諸兄の別荘があった。ヤマブキ・カエルの多かった所として知られる歌枕。
〇玉水=玉のように清らかな水。
〇むすぶ=左右の手のひらを合わせて水をすくう意と、約束を交わす意を掛ける。
〇たのむ=手で飲む意と、あてにする意を掛ける。『蒙求』許由一瓢の注「盃器無し。手を以て水を捧げて之を飲む」。『徒然草』十八段「唐土に許由といひつる人は、さらに身にしたがへる貯へもなくて、水をも手して捧げて飲みける」。
【訳】むかし、男が、約束をわざと破った人に対し、「山城の国の井手の玉のように清らかな水を手で掬って誓った恋もむなしくなるこの世なのだなあ。」と歌を作って贈ったが、返事も寄越さない。