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3.11以来、怒涛の如く色々なことが日本を包み込もうとしている様な気がした1年でした。国会も然り、国民を忘れて重箱の隅のつつきあいに終始している。今、そんなことをしている場合ではないでしょう。未曾有の国難に直面して、紙屑同然になってしまった「マニュフェスト」を今更がたがたもめている場合じゃないですか。与野党団結して、この国難に当たらなければならなければ、政治家としての資質に欠けます。国内の問題に加えて、外圧も重圧として日本に降りかかってます。脳天気なお坊ちゃま総理の軽率な発言で、今の内閣は苦しんでいるではありませんか。60年代の安保の時に見せた、あのパワーはどこへ行ったのでしょうか?安易に、離党した我が選挙区の議員さん・・・もう、あなたとはさよならですよ。ついつい日頃の鬱憤を書いてしまいました。2012年は、よい年にしたいですね。明るい新年をお迎えください。
2011.12.30
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長年愛用してきた、我が愛機・・・昨日、ついにハードディスクがクラッシュしてしまい、大事なデーターがなくなりました。予備のハードディスクに交換して、OSを再インプットして何とか急場をしのいでいますが、これもいつダウンするか予測がつきません。長年撮りためていた写真データーとアドレスの欠損は復旧できそうにありません。業者に依頼すれば何とかなりそうですが、費用がうん十万単位でかかるとのこと。とてもその出費には耐えられません。これから時間をかけて、救出できるデーターを探す作業に入ります。お願い:せめて友達のアドレスだけでも復旧したいので、空メールをお願いします。大変だ~~~~~
2011.10.30
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一昨日の新聞にWHOの勧告として「携帯電話から出る電磁波」の人体に及ぼす影響が掲載されていました。内容は「脳」に与えるものでしたが、私が、乳がんになった原因も携帯電話にあると信じています。医師は即座に否定しましたが、購入してから5年間ず~っと胸のポケットに寝る時以外は入れっぱなし。自分で使用していなくても常に位地確認のため電波は出ています。当時の電波は1GHz、現在は3GHzを使用してます。因みに、電子レンジは2.4GHzです。その後、新型の携帯に交換をしましたがポケットの中で携帯があたる部分が時々、痙攣を起こしているように震えています。使用しない時は、極力体から離しておいた方がよさそうです。
2011.06.03
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「買いだめをしないで」言いながら、ミネラルウオーターを24万本も買い占める東京都。お陰で、我々の周囲の店の店頭からミネラルウオーターが姿を消した。全世帯に3本づつ配るのだそうだ。東京都民で無い我々はどうしたらいいのか?震災で困っている地域の人たちに対してどうするのか?これってどこか狂ってませんか?
2011.03.24
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今までのHNは、私が勝手につけていた生前法名(私の宗派では戒名ではなく法名と言います)で正規の法名ではありませんでした。この度、住職との話し合いが正式に決まりオーソライズされました。秋に、得度式の予定です。
2011.02.09
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20年来の腰痛に悩まされて、安心できる病院を探してた。先日、NHKの放送を見て慶応大学病院の医師の話を聞いて、此処ならばと一縷の期待を胸に飛び込んでみた。もちろん「紹介状」はない。私を担当したH医師はレントゲンとMRIの画像を見て第5腰椎と仙骨の間のついかんばんヘルニアであることが判明。所がおっしゃることが素晴らしい「加齢によるものなので如何ともし難い」TVで喋っていた医師と天と地の差がある。「近所の整骨院でも行かれたら・・・・」「じゃ、このまま死ぬまで痛い思いをするのか?」「止むをえないですね」こんな話って有りかぁ~~~受付を見ろってんだ、高齢者がゾロゾロいる。それでてめーらはメシを食ってるんだろ。もう、あんな病院は二度と行かない。閑話休題乳癌を手術して3年経った。経過は順調とのこと、これは信じるしかないね。
2010.10.01
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3日前のyahooのHP「男性でもなる乳がん」と言うタイトルの記事を見つけました。見ると私のブログの内容そっくり。投稿者のアドレスを分からないように***で誤魔化したのでしょうが頭と最後の部分がそっくりと残ってました。自分では、yahooブログに投稿していないので、これってありなのかなぁ~~?
2010.08.18
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先週、土曜日に術後検診に行ってきた。早いもので術後3年目に入る。前々回に発見されたリンパ節は、エコーで見ると丸いブラックホールのように見える。前回と比較しても大きさはそのままで何の進展もない。腫瘍マーカーの数値も正常値の範囲であると主治医の話。結果、3ヶ月毎のエコー検査が6ヶ月に延びただけ・・・このような状態が、後2年半も続く・・・「その後は1年に1回いらっしゃい」だってさ。乳がんは、転移しやすい癌なので5年生存率ではなく10年生存率で判断するのだそうだ。そんなには待てない、乳がん以外でこの世とおさらばしそうな雰囲気になってきた。
2010.03.08
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早いもので手術から2年経過しました。2年目の検診で取りきれていなかった?「リンパ節」がエコーで発見されました。2度検査して、結果は同じ・・・主治医は「全部取ったのにな~~~」???3ヶ月に一度エコーで経過観察ということに相成りました。
2009.12.02
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バーさんがTVを見ていて急に行きたいと言い出した。結婚してから一度もこんなことはなかったので出かける気になった。天気も良かったのか高速道を降りてから大渋滞・・・・99%の車が日本三大名瀑と言われる「袋田の滝」を目指している。3.3Kmを走るのに50分かかった、我々は、その先の「永源寺」が目標だ。ここもTV中継のお陰で結構な人出・・・よく皆さんあんな辺鄙なお寺を探すね~~~、もっとも我々もその仲間なんだけどね。久しぶりに秋を堪能して来ました。往復10時間車の中(帰りも高速が40Kの大渋滞)これも1000円のお陰かな?その後の猫我が家へ来てから8ヶ月・・・とうとう我が家のクロスと障子が全滅、今年は破れ障子で年越しの気配十分。十人十色と言うけれど十猫十色ですね。
2009.11.09
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倅の、長年の希望を叶えるべく原爆ドームへ1泊2日の大ドライブを年甲斐も無くやってしまった。往復1800Km・・・長かった。殆どがTVで見慣れたものばかりでさほどの感激もなし。2日目は「大和ミュージアム」へ移動。1年ぶりに「犬猫おばさん」と再会。倅の方は、零戦の復元機を見ていたく感動したようだ。こんな小さな飛行機で戦ったのか~~戦艦大和の1/10スケールでは、その巨大さが伝わらない。日曜日の深夜発のため、広島までの高速代なんと2700円・・・恐れ入った。帰りも通常の半額くらい・・・でも、ロングドライブはやめた。体がもたない・・・年寄りの何とかと言われそう。
2009.09.14
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今回の選挙のマスコミの予測・・・すごいな、結果は予測したとおりになってしまった。それにしても、自民党の負けっぷりお見事としか言いようがない。健全な二大政党制が根付くまでまだまだ時間がかかりそう。
2009.08.31
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昨年末に8年間我が家に住みついた猫が突然死・・・一時ペットロス症候群に家族全員落ち込んでいましたが、意を決して3月10日に東京のペットシェルターに里親の申し込みをして推定6ヶ月の女の子を貰ってきました。これがまた大変・・・家族全員で引き取りに行くこと、その際、家族全員の合意がないと決めた猫を貰えない事、完全に家猫として飼う事の誓約書を書かされてやっと引渡し。この猫がまた大変な猫で、未だに誰にもなつかない、食欲旺盛で何でも食べてくれるのはいいけどラップをしておいた小魚の佃煮や流しのゴミあさり・・・目が離せない。カミソリの刃のような鋭い爪を何とか切りたいのが当面の目標・・・その内、我が家はお化け屋敷になるぞ~~~~
2009.05.04
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2月20日に入院して、23日に腹腔鏡による手術で胆嚢を取りました。事前のエコー検査より1個増えて4個のダイヤもどきが入ってました。これが、本物のダイヤモンドならな~~~~残念。手術室に入ってから麻酔が覚めるまで1時間半・・・意外に早かった。ドクター曰く「内臓脂肪が多くて胆嚢を探すのが大変だった」・・・そのお陰で、癒着もなく順調に取れたのではないかなと独り言。退院した翌日に傷口のホッチキスを抜くので外来へ来いとのたもう・・・冗談じゃない、抜いてから追い出せって我が侭・・・これって年寄りの特典かな?前回の、乳がんの入院のときを覚えていてくれたナースが3人もいて入院ライフを楽しんだ次第。お腹に4箇所の傷口をテープでカバー・・・未だ、咳をすると痛む。仕方がないね。ご心配をおかけしました。
2009.03.04
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昨年暮れから外科の医者との小バトル・・・「総胆管に結石がある」から始まって2度目は「無い」と言う。当の本人は12月一杯で転勤となってしまってバトルにならず。後を引き継いだお兄さん医師は「総胆管に造影剤を入れなければ分からない」「じゃやろうじゃないか」と言うわけで3泊4日の入院と相成った。結果は、結石はなかったので良かったのだが、造影剤の影響を見るために撮ったレントゲンフィルムが行方不明・・・寝る間際にやっと看護師が夕食を持ってきた。3泊4日の入院で病院食を食べたのは4食だけ、後は水と点滴のみ・・・・お陰でダイエットは成功、後は月末の胆嚢摘出を残すのみ・・・今度は真面目にやって欲しいな。
2009.02.07
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旧年中は、何かと投稿をいただきありがとうございました。本年もあまり更新はできませんが、何卒よろしくお願い申し上げます。
2008.12.31
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今年も色々ありました。「変」な年だそうです。来年は、よい方向に「変」化して欲しいですね。よいお年をお迎えください。
2008.12.29
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昨夜、21時ころまでいつもと同じように騒いでいた我が家の女王様が、突然倒れてそのままあの世へ旅立ってしまった。動物病院へ駆け込んだが既に心臓が停止しておりなす術がなかった。今日、火葬場で火葬に付したがいつもなら出迎えてくれる猫がいないだけで家の中が空虚な場と化してしまった。8年の短い命だった。いずれはペットとの別れのときがくるとは思っていたが、あまりにも突然のため何をするにしても虚脱感が先にたつ。たった8年間でも猫の存在は大きかった。
2008.12.16
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今まで、あんなに痛かった背中の痛みが消えてしまった。風邪を引いたので咳で苦しむ前にと思い「ボルタレン」を1カプセル飲んでおいた。あれから1週間咳で眠れない夜が続いても背中の痛みがないっ、どこへ行ったんだろう・・・但し、痛みの痕跡は感じる。先日の旅行のときに立ち寄った「お釈迦様の涅槃像」のお陰なんだろうか?何時もなら、あんな急坂を見るだけで登らない私が上れた・・・これも不思議このままだと、私が「狼少年(じじい)」になってしまう。困ったときの「神様仏様」じゃ私の気がすまない。
2008.11.20
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今日、外科に行ってきました。泌尿器科に見放され、外科にも見放されました。肝機能のデーターがよすぎるため、鎮痛剤を激痛時に飲めと鎮痛剤を処方されました。バーさんが胆嚢を取るときに、賛成をしておいて自分だけがそのままではなんとなくバランスが取れないので、来年取ることにしました。「変なところに拘るなぁ~~~」「時限爆弾を抱えてこれから先生きていくのも何だか怖い」来年も多難な年になりそうです。
2008.11.14
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今日、病院へ行ってきた。当然、胆嚢摘出だと思い込んで・・・血液検査の結果は正常、切るほどのことは無いと医者の意見。「確かに、結石はあるしポリープもある。今のところ大人しいので切らなくても」「暴れだしたら苦しむのは私ですよ」「そりゃそうだけど」「でもね、腎臓にも結石がある、これが悪さをしてるのかな?泌尿器科へ行って意見を聞いてきて」これじゃ背中の痛みの解決にはならない。最後のボールを私に投げられたも同然。参ったな~~~~
2008.10.24
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術後1年目の検査の結果を聞きに行ってきました。血液・CT・エコーすべてOK。触診も問題なし。ここでまたいたずら心が起きた・・・「あれっ、先生は患者の体に触れてくれるんだ~~~」「当たり前でしょ」「最近のドクターは、マウスしか触らないよ」これで大笑い・・・・「確かにPCでデーターを見るだけの医者が増えてるね」「将来無形文化財になるかも」「こらっ、俺をからかうなっ」「エヘヘヘ」帰りに、またリハビリ室のお姉さんにごあいさつこんな交流がある病院は何時行っても楽しい。
2008.09.01
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今夜21時ころの雨はすごかった。我が家の前の道路が川になった。雨合羽を着て長靴を履いて外へ出てみた。水深は膝くらい、その下流は完全に膝上を越していた。その中を水しぶきを上げて車が突っ込んでくる、私が制止しても知らん顔・・・10Mも走らないうちにストップ、軽自動車が屋根より高く水しぶきを上げてくる。これもアウト、ドアーをあけた瞬間に車内へドット水が入った。4tトラックですらアウトになっているところだ。我が家周辺だけで7台の車がギブアップしていた。住宅街だから鹿沼のような道路がアンダーパスになっていないから、水没事故にはならないがドライバーの状況判断を疑いたくなる。あれだけ騒がれた事故でも、他人事のように見ている「自分だけは大丈夫」・・・それが命取りにならないよう肝に銘じて欲しい。
2008.08.30
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とうとう内科医に宣告されてしまいました。「糖尿病腎症」尿蛋白が+2・・・これがお気に召さないらしい。今時の医者は、患者を診ないでパソコンを見る。患者の話もろくに聞かないで高圧的にものを言う、それを指摘したら「あんたの担当を降りる」ときた・・・「私が一生懸命あなたのことを心配してるのに聞いてくれない」別に私がそのドクターに特別にお願いしたわけでもない、その病院の看護師が定期健診のとき、そのドクターに是非にと勧められたので今まで付き合ってきただけ。「栄養士の指導を受けろ」・・・若いお姉さんがお座なりのことを言う。言いたいことを言われっぱなしでは悔しいので、来週から一日1200Kcl、蛋白50g食を実行に移す。昨夜は、焼肉とビールを腹いっぱい・・・取りあえずの「最後の晩餐」をしてきた。期待を持って今朝の尿蛋白を測定したが+2をキープ、その代わり体重が増えた。今の時期、ビールが飲めないのはつらいっ・・・要は、体重を落とせばいいのでやるっきゃない。何時まで持つかな~~~~。
2008.08.01
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申請通りの還付金が入金されてから「税務署」から呼び出し・・・「領収書一式もってこい」の内容。一通り全部チェックされた。「これも駄目、これも駄目」と駄目だしをされて「今回は目をつぶっておきます」だってさ・・・・何のための「電子申告」なのやら。
2008.07.03
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早いもので「乳がん」を発見してから1年が経過しました。昨日、術後検診でドクターが「1年ですね~~~」「いや、1周忌ですよ」「医者としてはその言葉は聞きたくないっ」「でも、無くなってしまった物があるんですよ~~~」「元気じゃないですか~~~」「それで何とかもっているようなもので・・・」と掛け合い漫才。「次回までに、CTとエコー・血液検査をやりましょう」「ハイヨッ」このドクターとはいつもこんな調子、どっちが患者なのやら・・・帰りがけに、リハビリ室を覗いてお世話になったお姉さんに「元気か~~~」「ハ~~~イ」なんだかな~~~~
2008.06.17
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4月に入ってから6つの総会を渡り歩き、やっと今日で全ての行事が終わりました。と書くとなんだか総会屋に見えますね。地域福祉団体の長を降りられたのが最大の収穫・・・これで、少しは自分の自由な時間が取れると思いきや、自治会の仕事が増えそう。最も自分で増やしてるんだから、人様には文句を言えませんね。ボチボチと行くしかありません。
2008.06.08
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卒業式シーズンも一段落。中学生の歌う「仰げば尊し」を聴くたびに、涙腺が緩む。ガキの頃を思い出すんだな~~~皆、新しい世界へ旅立っていった。我が家の孫も、早いもので中学生。「オイ、ジャングルになったか?」「まだ林」男同士のたわいもない会話・・・四月にはいると、新しい出会いがはじまる。これは、涙腺は緩まない・・・ほのぼのとした気分でいられる。昔に戻りたい・・・・
2008.03.22
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領収書添付不要に惑わされてe-TAXにチャレンジ。政務所のパンフレットに曰く「簡単ですよ」に騙されて挑戦してみた。先ず、国税庁のHPから入って、どこを突いたらいいか分からず。国税庁へ電話をして、初期設定をコーチしてもらう。「これでOKです」と言われて、またHPを突きまわしてe-TAX用の申告書を探す。やっと探して、数字を記入・・・保存せよとのコメントで(2種類の書類を保存)拡張子がクロスしていたのが躓きの第1歩・・・またもや国税庁に電話をかける。国税庁は親切だね、こっちが申告書を完成させるまで丁寧にコーチしてくれる。ゴール寸前でまたトラブル。市役所から貰ったソフトのバージョンが古くて使えないことが判明、JAVAの削除から、古いソフトの削除、新バージョンのソフトのインストールまで付き合ってくれる。その為、また初期設定まで戻らなきゃならなくなった。再度初期登録をして、また申告書まで戻って再認証・・送信。電話だけで2時間、電話機の電池がなくなる寸前だった。私の相手をしてくれたお兄さん・・・ありがとう。疲れた~~~~
2008.03.03
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バ~さんが電子レンジのスイッチを入れた途端に家中真っ暗に・・・・ブレーカーを戻してもキッチンとダイニングと、二階の照明がダウン。電源の赤ケーブル系統が電圧ゼロ・・・電力会社に電話をしたら受付は午後8時までだと言うメッセージ・・・月曜日まで待たなければならない。不便極まりなし。とりあえず今夜の夕食は私の頭につけたヘッドライトの光で済ませた。明日の朝飯がない・・・シャーナイ、ダイエットでもするか~~~おっと、明日は寒い予報だ、暖房が使用不能だ。困ったぞ~~~~電気が使用不能になると、飯が食えなくなることを改めて知らされた。(当たり前だね)
2008.03.01
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健康保険の関係により術後3ヶ月で強制的に通院でのリハビリは終了となりました。これ以上通院すると、病院の利益が少なくなるようです。通院してもしなくても、これ以上の良化は期待できないので仕方ないのかも・・・唯一、心配なことは左腕のリンパ浮腫・・・一応トレーニングは受けていますが、一人では大変です。しかも、リンパマッサージは生涯続きます。まっ、これを日課としますか・・・・
2008.01.31
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爽やかなよい年を迎えられたことと存じます。今年もよろしくお付き合い下さい。当地は、午前中は穏やかな日でしたが、午後から曇り勝ち「高齢化地区」の所為か外を歩いている人も見かけません。もっとも何時ものことなんですが・・・・さて、今年はどうなることやら、心配が先にたちます。無事、平穏を願っています。
2008.01.01
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携帯電話からは、常に位置情報を送るために電波が発信されています。ペースメーカーを誤作動させると言う理由で電車内での使用を制限されています。私が、携帯電話を購入してから4年間マナーモードにして左胸のポケットに入れてきました。その結果?が「乳がん」・・・主治医に言わせると「そんな馬鹿な」でおしまい。高圧線の送電線の下に、住居を建てることは禁止されています。電磁波の影響だそうです。ラジオ局の送信所のアンテナの下に、電線を輪にしたものをつけた電球を持っていくと、電球は光ります。電波のせいです。現代の私たちは、電波のシャワーを浴びながら生きています。でも、それは微弱な電波だから問題は大きくならないのではないでしょうか?携帯電話から出るエネルギーはスポットで大きなエネルギーを人体に与えます。それでも問題はないのでしょうか?無線通信で、一時期、飯を食ってきた私がこんなことを書くと「気が違ったか」と言われそうですが、自分の発病の原因を考えていくと、どうしてもここに到達してしまいます。最近、男性の乳がん患者が増加しているようです。どうも気になります。
2007.12.04
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明日が、母親の命日なので墓参りに行ってきた。 こんな時期に、車の渋滞・・・ ???と思いつつ霊園の中に、広場の周りが真っ赤な紅葉、皆さん、思い思いにご馳走を食べながら紅葉を楽しんでいる。 カメラを持ってなかったのが悔やまれた。 今週は天候がよくなさそう。晴れる日まで持ってくれるかな? 今まで、全く気にしていなかった場所だったので、思わぬ、目の保養をさせてもらった。
2007.12.02
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リハビリを始めてから一月が経過した。病院でのリハビリはあと二ヶ月で打ち切り。担当の療法士さんの白魚のような指、主治医が「いい子だろ、お茶にでも誘ってあげなよ」「相手が私じゃかわいそうだ」・・・これで今日の診察は終わり。このために一時間待ったのだぞ。左手は、まだ真っ直ぐ伸ばせないけど、かなり上がってきている。肩回しは一寸違和感があるけどほぼOK。浮腫みとりが傑作、指一本一本包帯を巻いて、手首から上をわたの包帯で巻き、弾性包帯で巻き上げる・・・丁度、エジプトのミイラによく似ている。この状態で、棒を両手に持って腕を伸ばす体操をする。このミイラが当分続くのかな?
2007.10.19
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一昨日の診察の結果、リンパ液の出る量も減り本格的な術後ケアーに入ると宣告されました。左手が、真っ直ぐ上まで伸ばせるように強引に?伸ばします。「リハビリってどうするんですか?」「こうするんだ」「いててて」「我慢」こんな訳で・・・あ~ぁ先が思いやられる。術後は、茶碗さえ持てなかったのが、自力で水平にまでできたんだから「我慢」するっきゃないですね。「脇の下の瘤は?」「ほっときゃ凹む」・・・をいをい本当かな?薬物療法は結局女性ホルモンを飲むことにしました。だけど、5年も飲み続けるんだぜ・・・飲み終わる前にあの世いきかも・・・「残ったバストが大きくならない?」「そんなことはないっ」と言うわけで、期待されていた方の期待を裏切りそうです。でも5年は長いな~~~~これから、本当の定年人生をエンジョイしよう。
2007.09.22
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ご心配をおかけしました。術後2週間の制約で、不満ながら追い出されました。(私の個人的な不満です)見かけは、入院患者の中で一番元気そうに見えたからでしょう。左半身浮腫と痛み・・・強引にドレンチューブを引き抜かれました。リンパ節に転移なし、ガンとしてはランク2だったそうで、これから通院で治療方針を決めていきます。左胸をざっくりとシャイロックに持っていかれました。それを見せられて、昼飯にチャーシュー麺を食べた奴がいる・・・大したもんだよわが家族は。調理場へは、一族郎党引き連れて意気揚々と歩いていきました。まな板に乗って家族とのしばしの別れの暇もなくキッチンへ・・・あっという間も無く丸裸にされ下半身に布を掛けられて酸素マスクを掛けられた所まで・・・後は知らない、「終わりましたよ~~~」の声で目が覚めた。「痛み止め」のお陰で、手術による痛みには悩まされませんでした。延期させられたことに対する文句を言う前に、敵のほうが先制攻撃「ごめんごめん」と笑顔で、出るものが引っ込んだ・・・病室のロケーション・・・最高のロケーションだった。寝ながら2市の花火大会の競演が見られる・・・きれいだったね。左を下に寝ることが出来ないので、介護用ベッドをレンタルで借りた。使用第1号は、ネコ我輩はまだ寝ていない。ダイエットの積りで、1600Kcalの糖尿食を選んだ・・・人間の食べるものじゃないな~~~~塩分控えるのはいいが、その分出汁で食わせることが出来ないのかな?食い物の恨みは・・・
2007.08.28
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今まで服用していた薬の関係で、2週間延期されてしまいました。ちゃんと説明しておいたんだけどな~~~高脂血症の治療各でEPAとDPAのため、血液がサラサラになっているために、手術に危険が伴うそうで・・・これって内部の連絡が悪い所為じゃないかぁ~~~~また、スケジュール調整をやり直し・・・こっちの方が痛い。にゃろめっ!!!
2007.07.28
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先程病院から、午前10時までに入院手続きをするようにとの電話がありました。粛々と病院内のコンベアーに乗せられてきます。まな板の上のじじ~~~で大人しく避暑気分を味わってきます
2007.07.27
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お騒がせしました。本日やっと細胞診の結果が出ました。 美男子は「ビンゴ」でした。 明日から、オペに備えての検査の連続になります。 月末に入院となります。 地域での引継ぎがあり、落ち着く暇無しで入院を迎えそうです。代表者不在の「夏祭り」も自治会開闢以来の出来事です。外泊してもいいとは言ってくれていますが、成り行きに任せます。 これで、騒動記はクローズにします。 次は術後の色々なことを書きたいと考えています。 お寄せいただいた激励のお言葉 多謝!!
2007.07.06
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期待していた判決が延期された。その理由は、余りにも画像がきれい過ぎると言うことだった。素人目にも、病巣が美男子に写ってる。放射線科の3人の医師の意見は「ガン」、主治医だけがためらっている。慎重なことはよいことだ。でもね~~~、14時の予約が伸びて2時間も待ったのだぞ~~~~。結局、細胞診をする事になった。ピストルの親戚のような注射器でブスッ・・・痛かった。持ち主が美男子だからかな?最終判決は、7月6日に行われる。
2007.07.02
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皆様のリクエストに応じて体験記を書きます。担当技師は女性でした。しかも可愛い・・・・毎日でも行きたい。〔痛くなければね〕比較のため、異常のないほうを思いっきり引っ張って延ばしてギュット挟まれた。これは痛かった。次は、しこりのある方を「押しても中で、はじけませんので安心して」と言いつつギュッ・・・やや手加減してくれたようだ。次は、横から同じようにギュッっと・・・あっけなかったな~~~。酷かったのは、造影剤を入れながらのCTスキャン、静脈を少しはずしたため造影剤が漏れて痛くて、副作用で体中が熱い。これを書いている今も体が火照ってる。しこりは順調に発育してるようだ。今朝、しみじみと眺めてみた。右は何時もの形、左は乳首の上が凹んで、その分下にたれている。心なしか腫瘍の裾野の方が広がっているように感じた。
2007.06.27
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今日、再度紹介された近所の大学付属病院へ行ってきた。今日のドクターは、慎重派だ。最近医療事故が多く、医師にとって不利な判決が多いからかな?持参したフィルムが1月前のフィルム、それに自分が何時も見慣れていない角度の撮影・・・エコーで見た結果、可能性としては半々だという。矢張り新鮮なデーターが欲しいのだろう。それならば、「あなたの土俵で仕切り直しを」と提案して、今までのことをリセットした。再度、CT,MRI,エコー、マンモを撮り直す事に・・・をいをい、マンモ大丈夫? あなたより小さいのが挟めるから・・・え”~~~っと言うわけで、マンモ初体験と相成った。
2007.06.16
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今日、新橋の慈恵医大へ行ってきた。 担当医師は、気を利かせてくれて一般外来の前に見てくれた。 触診して、画像を見て「っぽいですね」「やっぱりね、そうだろね」「ところで新橋まで通院するのが大変なんだけど柏の分院には乳腺外科の先生はいませんか?」「いるよ、私より優秀なのが」「紹介してください」「いいよ、電話をして見る」 と言うようなわけで、16日に仕切りなおしと相成った。 お陰で、柏分院では一挙に有名人になってしまった。 電話だけで、一気に二人の看護師と仲良くなったもんね~~~。 これで、通院は楽になったが、91歳の男性に行った手術の写真を見せられて「え~~~っ」横一文字に切って縫いあわせただけ。「もう年なんだから色気は関係ないでしょ」そりゃそうだけど、多少はデリカシーが欲しいな。これじゃ逆セクハラだ~~~。1/10000の勲章か。
2007.06.08
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今日、MRIの結果を聞きに行った。「如何ですか?」「MRIの所見では がん です」「紹介状を書きますから、慈恵医大の乳腺外科へ行って細胞診をしてください」と言うわけで1/10000への第1歩を踏み出した。明日、紹介状を持って行ってくる。原因はなんだろう?何時も、携帯を左胸のポケットに入れていたのがいけなかったか?全て、淡々とした話で流れて行った。パート3.5へ続く
2007.06.07
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5月2日にMRIを撮影した。今日がその宣告の日だった。画像には、乳首に繋がった内部にボールのような物が鮮明に写ってる。話は俄然ややこしくなってきた。5月21日に再び造影剤を入れてMRIを撮ると言う。序にエコーも・・・6月7日にデーターを見て慈恵大学付属病院本院の乳腺外科へ行けと言うのだ。最悪のパターンだ。女性患者ばかりの中へ男が1人で・・・・嫌だ~~~~これでもまだ男の形をしてるんだぞ~~~ マンモをはさむほど大きくないぞ・・・・そこで、細胞診をやって結論を出すんだそうだ。(痛そう・・・・)どうせなら、近所の国立がんセンター東病院の方が何かと便利なんだけどな~~~。ラッシュの電車で、昔の勤務先の近くまで通うのは楽じゃない。6月に交渉してみよう。
2007.05.10
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4月の中ごろ、朝起きたら乳首の奥に5cm位のしこり発見・・・場所が場所だけにすぐ反応。オット待てよ俺は男だぞ・・・でも乳首があるってことは、その可能性があるわけだ。まさか婦人科へ行くわけにはいかないな~~~と言うわけで、悩んだ結果「皮膚科」へ・・・医師曰く「1/10000の確率で男もなりますよって」脅かされ、入念に触られて「細菌感染かも」で抗生物質を飲まされた。1/10000の人だったら、今、押し付けられている仕事が全部ほうり出せて楽になる「バンザイ」と言いたいのを我慢して、次の予約日に行った。その日は違う医師だった、「如何ですか?」だけで触りもしない、「大きさは変化ないですね~~」「違う抗生物質を出しておきます」「序にMRI検査をして見ますか」と言うわけで、今日、初めてMRIなるものに入ってきた。40分かかりますからと言われているうちに「終わりましたよ~~~って」起こされた。多分大イビキで寝てたんだろうな。2度目の、抗生物質が効果あったんだろうか?今では小指くらいに小さくなってる。嬉しいような残念のような複雑な心境・・・次の予約日は10日・・・結果は如何に。
2007.05.02
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昨日、小学校の入学式に参列した。長年、入学式に参列しているが、初めての経験をした。一年生の動作が実にきびきびとしている。校長を始め来賓が「入学おめでとう」と言うと、その都度「ありがとうございます」と返事が返ってくる。実に爽やかな入学式だった。式後、教頭に「事前教育をしたのか?」と聞いたら「何もしていない」と言う。では、幼稚園で教えたのだろうか?近隣の幼稚園からだけでなく、市外の幼稚園からの入学生も入っている。????と考えてしまった。6年後の姿が楽しみだ。(それまでには来賓の資格がなくなってるか・・・・残念)今日、中学校の校長との雑談の中で、団塊の世代の校長の退職金は「県債」で支払われるらしいとのこと。それほどわが県の財政は逼迫してたのか?そう言う話は今まで聞こえてこなかったぞ・・・・知事の責任は大きい。
2007.04.11
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馬齢を重ねることはや70年、思いおこすと早かったような遅かったような何とも言えない一日も暮れようとしています。その間、色々なことがありました。まっ、人間の人生ってこんなものでしょう。ドタバタ・アタフタとしながら終わるのかもしれません。今日の我が家は、特別なこともなし・・・何時ものとおりの時間が流れてます。私自身も、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと走り回って、貯まった書類を一つ片付けて一息ついたところでこれを書いてます。今夜くらいのんびりと過ごしたいのですが、まだ片付けなければいけない書類が残ってます。早く背中の荷物を降ろしたいですね~~~。厚生労働省の統計では平均寿命は77歳とのこと、まだやりたいことが一杯残ってるよ~~。
2007.03.10
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明けましておめでとうございます。今年は皆様にとっても私にとっても良い年であるよう願っています。昨年も押し詰まった26日、私のところに訃報が飛び込んできました。なくなられた方は58歳・・・私が、自治会スタッフの後継者として期待していた方でした。3ヶ月前に「すい臓がん」と宣告され、余命、年内持つかどうかと言うことだったそうです。ご主人は自宅での終末を選択しました。奥様には普段通りの行動、近隣のお付き合いをするように、と指示をされたので私たちは全く気づきませんでした。近所の方には時々「私時間がないの」と漏らされていたようです。そのお宅はご主人のお母さんと奥さんと3匹の犬だけのご家庭でした。お婆ちゃんが体調を崩されて以来、ご主人の弟さんが引き取られたようで、ご夫婦だけの残された時間を非常に大切にされたようでした。何時、最後の時がくるかわからない中で残された奥さんの事、子供たちのこと、母親の事、自分が遣り残したことを何度も話し合ったそうです。最後の時、遠のく意識の中から必死に「自分は君とめぐり合って幸せな人生を送れた、ありがとう、死んでも君を愛している」と言って、息を引き取ったそうです。私がお宅に伺った時、奥さんは笑顔でした。そして遺体を安置してある部屋にはモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が流れていました。故人と奥さんの想い出の曲だったそうです。奥さん曰く、「これからの私のすべきことは、お婆ちゃんを主人と同じようにきっちりとお世話をすること、主人との想い出をしっかりと胸に抱き生きていく事・・・だから泣いてはいけないんです。」ご主人と過ごした最後の3ヶ月間で充分なのだそうです。爽やかな葬儀でした。・・・振り返って我が家のことを考えるに、ここまで出来る自信はないっ!!!
2006.12.31
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