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塘健(つつみ けん、1951-)一期いちごはすなはち不会ふゑと緑濃き葉隠れの地に妻と存ながらふ青空へひとすぢ奔はしり去る水のそのかなしみを歌といふべし祭禮まつりとて濃き口髭をたくはへし建たけるの裔すゑを探しにゆかむ木賊とくさ刈る信濃はいづこ還るべき故国持たざるゆゑに男ぞ邂逅は遥かなる過去かきつばた繁みとなりし雨の夕暮歌集「花冠」(昭和58年)註塘健:現代短歌の巨匠、故・塚本邦雄氏の直弟子。楽天ブロガー タケル0127さん のご教示によると、現在、地元紙「佐賀新聞」歌壇の選者を務められているとのこと。・・・佐賀県民は幸せである。*原文に、適宜妥当と思われるルビ(振り仮名)を付けました。
2008.05.20
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枡野浩一(ますの・こういち)気づくとは傷つくことだ 刺青いれずみのごとく言葉を胸に刻んで左翼とか右翼とかいう対立はあなたがたには大事でしょうね脱ぐこともないと思ってババシャツを着てきたきょうにかぎって、そんなエッセイ集「君の鳥は歌を歌える」
2008.05.17
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松平修文(まつだいら・しゅうぶん、おさふみ)水につばき椿にみづのうすあかり死にたくあらばかかるゆふぐれ歌集「水村」
2008.05.16
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石川不二子るりたては瑠璃の紋ある翅ひらくくもりあまねき天より降くだり歌集「野の繭」
2008.05.16
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高野公彦ひとときを君と向ひし今日は暮れてあたたかなれば街に灯の満つ歌集「水木」
2008.04.20
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現代短歌の巨匠で、「ヤママユ」主宰の歌人・前登志夫氏が死去された。享年82歳の大往生だった。僕は熱烈なファンの一人で、日頃から愛読している。僕ごときが言うのも恐れ多いことだが、氏の作品群は、まさに現代短歌の理想を具現化したものだと思う。この場を借りまして、衷心より哀悼の意を表しますとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。奈良・吉野の歌人、前登志夫さんが死去【読売新聞】 奈良・吉野山に住み、土俗的な霊気を現代短歌に詠み込んだ歌人で日本芸術院会員の前登志夫(まえ・としお、本名・登志晃=としあき)さんが5日、肝硬変で亡くなった。82歳。告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男、浩輔(ひろすけ)氏。 林業を営む25代目当主として生まれたが、信州、熊野、四国を放浪し、モダニズム詩人として出発。歌人の前川佐美雄と出会い、転身した。1964年の第1歌集「子午線の繭」は歌壇の枠を超え、高い評価を得た。以後、故郷の吉野山に定住し、アニミズム的な生命観と叙情を奏でた作品は、現代文明への批評となった。80年に歌誌「ヤママユ」を創刊した。代表歌に〈夜となりて雨降る山かくらやみに脚を伸ばせり川となるまで〉など。 78年歌集「縄文紀」で迢空(ちょうくう)賞、98年歌集「青童子」で読売文学賞、2005年歌集「鳥總立(とぶさだて)」で日本芸術院賞・恩賜賞など受賞。80年から96年まで「よみうり歌壇」(大阪本社版)選者。(2008年4月7日 読売新聞)歌人の前登志夫さんが死去【毎日新聞】 奈良・吉野の歌詠みとして知られ、独自の自然観に立ったスケールの大きな歌を作り続けた歌人の前登志夫(まえ・としお)さんが5日午後2時半、肝硬変のため亡くなった。82歳だった。お別れの会を後日開くが日時、場所は未定。自宅は奈良県下市町広橋清水。喪主は長男浩輔(ひろすけ)さん。 1956年、詩集「宇宙駅」を刊行。歌人の前川佐美雄に師事して短歌に転向した。吉野に帰郷し作歌活動を続ける一方、柳田国男や折口信夫の著作に親しんだ。68年から歌と民俗を研究する「山繭(やままゆ)の会」を主宰し、80年に歌誌「ヤママユ」を創刊した。第2歌集「霊異記」で吉野の風土への傾斜を強めた。 代表歌の一つに、「燈(ひ)をつけずこのゆふぐれの匂ふまで坐りゐたれば朴(ほお)の花咲く」がある。 歌集「縄文紀」で迢空(ちょうくう)賞、「樹下集」で詩歌文学館賞、「青童子」で読売文学賞、「鳥總立(とぶさだて)」で毎日芸術賞、05年に日本芸術院賞を受賞した。(2008年4月6日 毎日新聞)土俗的で生命力あふれる短歌、歌人前登志夫さん死去【朝日新聞】 土俗的な生命力にあふれた前衛的な短歌で知られる歌人の前登志夫(まえ・としお、本名前登志晃〈まえ・としあき〉)さんが、5日午後2時30分、肝硬変のため奈良県下市町広橋1971の自宅で死去した。82歳だった。葬儀は家族で行い、後日、前さん主宰の短歌結社「山繭の会」がお別れ会を開く予定。喪主は長男浩輔(ひろすけ)さん。 前川佐美雄に師事し、詩作から転向。山ふかい奈良・吉野の集落に生まれ育ち、父祖伝来の林業に就く傍ら、豊饒(ほうじょう)と神秘に包まれた山と交歓するかのような短歌を詠み続けた。67年に山繭の会を結成し、80年に歌誌「ヤママユ」を創刊。78年から、体調を崩して08年2月に休講するまで、大阪の朝日カルチャーセンターの短歌講座を受け持った。世捨て人を自称し、喧噪(けんそう)に満ちた都市の生活への鋭い批判を込めたエッセーも数多く発表。06年から朝日新聞大阪本社版で「菴(いおり)のけぶり」を連載、08年2月の掲載が最後になった。 78年「縄文紀」で迢空(ちょうくう)賞、93年「鳥獸蟲魚(ちょうじゅうちゅうぎょ)」で斎藤茂吉短歌文学賞、03年「流轉」で現代短歌大賞、05年「鳥總立(とぶさだて)」で日本芸術院賞文芸部門受賞など。同年に日本芸術院会員。 〈歌人で朝日歌壇選者の永田和宏さんの話〉 前さんの歌の一つに、〈山櫻(やまざくら)そのひとつだに伐(き)らざりきいさぎよく山の家棄(す)てざりき〉がある。多くの歌人が東京へ移り住む中で、前さんは故郷の奈良・吉野を捨てず、山住みの暮らしや現代の文明、社会を詠み続けた。いま言っておくべきことはどうしても言っておくという強い気迫を感じる短歌だった。塚本邦雄さんらに続き、関西にとって、全国にとって大きな存在の歌人を失ったことは大変残念だ。桜が最も美しいころに亡くなったのは、まさに西行のようで、いかにも前さんらしい。 (2008年4月6日 朝日新聞)歌人の前登志夫氏死去 土俗的な独自世界詠む【産経新聞】 奈良・吉野山中で晴耕雨読の生活を送りながら土俗的な独自の世界の歌を詠んだ、歌人で日本芸術院会員の前登志夫(まえ・としお、本名・登志晃=としあき)氏が、5日午後2時半、肝硬変のため同県下市町広橋清水1971の自宅で死去した。82歳。奈良県出身。家族による密葬が7日午前10時から、自宅で営まれる。喪主は長男、浩輔(ひろすけ)氏。後日、お別れの会を行う予定。 林業のかたわら作歌を始め、「山の歌人」という独特の地歩を築いた。歌と民俗を研究する「ヤママユの会」を主宰し、歌誌「ヤママユ」を刊行。昭和53年に「縄文紀」で迢空(ちょうくう)賞、平成5年に「鳥獣蟲魚(ちゅうぎょ)」で斎藤茂吉短歌文学賞、同17年に日本芸術院賞文芸部門を受賞。 毎年秋に大神(おおみわ)神社(同県桜井市)で行われる「三輪山まほろば短歌賞」(産経新聞社など共催)では、選者を務めた。昨年11月3日の表彰式では「三輪は日本の歌の発祥地」と話していた。(2008年4月6日 産経新聞)
2008.04.07
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前登志夫(大正15年-)山の樹に白き花咲きをみなごの生まれ来につる、ほとぞかなしきすみれ色の夜明けのひうちほのぼのと掌てににぎりしめ少年眠る単純に生きたかりけり花野行く女童めわらはひくく遅遅と歩みてひたすらにいま在る時をあがなへと歌ひ出づ夜の森から三人子みたりごはときのま黙もだし山畑に地蔵となりて並びゐるかも国栖くにす・井光ゐひか滅びしのちもときじくの雪降りやまず耳我嶺みみがに響とよもして若葉のなだり吹く風に問はずや過ぎむわが常処女とこをとめ歌集「縄文紀」(昭和52年)註前登志夫氏:結社「山繭の会」主宰。「当代随一のしらべ」と評される(僕もそう思う)巨匠。
2008.02.08
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俵万智男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命おこす歌集「チョコレート革命」(1997年)「特殊歌人」枡野浩一による俵万智への「添削指導!?」チョコレート革命おこすふんべつのスーツを脱いでくれない君に枡野浩一「君の鳥は歌を歌える」(1999年)くまんパパ行司軍配:確かに、小結・枡野龍の「身の程知らずの添削指導」によって、本歌の破調(字余り)は直されてすっきりし、意味的にも分かりやすくなったが、やはり言葉本来のプリミティヴなエロスや衝撃力、ひいてはオリジナリティのもたらすある種のぎごちないみずみずしさやリアルさみたいなものが落ちてると思われるので、横綱相撲で俵山の勝ち~っ!!!
2008.01.28
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斉藤斎藤氏は「短歌人」所属らしいのだが、僕は少なくとも「短歌人」誌上で氏の歌を読んだことはない現在も籍だけは置いているようだが、自由奔放に他誌で活躍しておられるので、僕にとって幻の歌人である。例えば、こちら(「短歌人」2003年4月号、「短歌WAVE」2003年冬号、「原人の海図」歌会発表作品)とか、こちら(「短歌人」2003年3月号)とかを一瞥しても、並々ならぬ才能の持ち主であることは一目瞭然の斉藤斎藤氏である。斉藤斎藤 第一歌集「渡辺のわたし」同書内容一部閲覧(PDFファイル)そのラディカルで「脱臼した」表現は、たぶん現在、一般的には「短歌と、そうでないもの」との分水嶺(「ボーダーライン」といってもよい)をなしていると見なされているが、僕の感じでは、悠々(・・・でもないか、ギリギリ)ストライクゾーンの中、というか塀の中というか、だと思う。「ワケ分からない、難解晦渋」と言われる面も無きにしもあらずだが、そう覚悟して読むと、案外それほどでもない。けっこう分かるし、胸に迫ってくるものがある。・・・確かに、短歌になっている。彼の歌は、短歌とは何か、という問いも惹起させる。思うに、短歌の歴史は、「和歌」からの表現の拡張の歴史であったと言ってもいいだろう。明治期の正岡子規による、それまでの「月並み和歌」からリアリズム(写実)への飛翔に始まり、あらゆる西洋文学思潮の疾風怒涛の波も受けてきた。前川佐美雄によるモダニズム、シュルレアリスムの導入と、その弟子であった塚本邦雄らによる展開も記憶に残る。面倒くさいので、途中のたわわなる実りを全部すっ飛ばして続けると、その後、プリンセス俵万智によるさらなる甘美なる爆破がなされ、いよよ豊穣なる日本語表現の可能性が開かれた。その後はもう、ボーダーラインは広がる一方である。何でもあり、である。現在、短歌を定義するとすれば、「おおむね五七五七七の音節(韻律)に従う現代詩である」としか言えないであろう。むろん、「詩とは何か」ということがまた難題であり、本気で論ずるとしたら、世界最古の詩であり文学の淵源である「ギルガメシュ叙事詩」から筆を起こし、優に一冊の分厚い本が編めるほどの一大テーマであるが、ま、そう堅いことを言わずに、ごくごく雑駁にひと言でこれを覆えば、「研ぎ澄まされた言葉」と言って、当たらずといえども遠からずではないだろうか。・・・「選び抜かれた言葉」とかでもいいけどこれを纏めると、短歌とは「だいたい五七五七七の調子で詠まれた、研ぎ澄まされた言葉」である。ものすごく大雑把な定義(?)だが、とりあえず実作者としては、これぐらいのところを押さえておけばいいんじゃないかと思っている。ちなみに、大きく分けて、「詩は魂の叫びである」系の主張と、「厳粛な言葉遊びである」系の主張があると思うが、おそらくどっちも間違いではないのであり、しかもこれは詩の属性(プロパティ)というか、個々の詩人・歌人の「努力目標」みたいな話であって、本質論とは違うように思う。むしろ、若いうちは(いや、年を取っても)自分であんまり方向性を狭めない方がいいんじゃないかと、個人的には思う。なんでもありの全方位外交でいいんじゃないかな~さらに歌壇では、「客観写生(写実、リアリズム)」の主張も根強く、特にアマチュアに対する指導理念としては現在も消え去ったわけではないが、これは時代的使命を終えつつあり、もっと広大な表現論の中に吸収される運命になるような気がしている。・・・なお、この文章には、とりたてて結論はありません
2008.01.18
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河野裕子たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか第一歌集「森のやうに獣のやうに」(1972年)
2007.12.20
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永田和宏ゆりかもめの尻一列に吹かれおり欄干を雪は横ざまに越ゆ歌集「荒神」(2001年)
2007.12.20
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寺山修司売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき歌集「田園に死す」(1965年)
2007.12.19
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岡部桂一郎(1915・大正4-)しゅるしゅると雨戸を閉める向こう側十一月はもう戻らない卓上に地震ないのしずかによぎりしが途方に暮れし眼鏡ありたりさびしさの極みにあれば夜をこめて雪ふる音をきみは聞いたか間道にこぼれし米の白ぞ沁むすでに東北に冬が来たひと息に行人坂を吹き抜けて途方にくれる昼の木枯葡萄酒にパン浸すとき黒々とドイツの樅は直立をせり岡部桂一郎全歌集
2007.12.16
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水原紫苑(みずはら・しおん、1959-)ひさかたの月を抱いだきしをのこらの滅びののちにわが恋あらむいつはらぬわたくしといふけだものの黄金わうごんの尾に病やまひひそけし魚のごと醜しといはれひたねむる歳月みづのきららかさにてひと恋ふる三日月ならむひそやけく繊ほそき四肢見ゆあくがれつるに星の刃にこころを研ぎしうたびとのひさしき恋をわが恋とせむ降りいでて雨は失ふいのちなれ花野にとほく礼楽ありぬ「くるしみは汝なが面上に在るものを何をか伝ふ 時こそ妾わらは」秋の日のひたかがやくにラブレーの糞尿語りなつかしきかな木の実食はみゐし前さきの世のこと抱擁のさなかに思ひいでてすずしも血流のしづかなる夜のかなしみを神は知らずも観音は知るはつかりのはつかに見えしくれなゐは汝ながうつしみのいづこともなし註現在トップランナーの、自他ともに認める驚異の天才女流歌人。紫式部といい勝負じゃないかとすら思う。・・・密かにお慕い申し上げている僕などが何らかの論評を加えるのも恐れ多いという気さえするが、ラブレーやロートレアモンなど広汎なフランス文学の素養の上に、日本古典文学の渉猟から得られる詩を、説明的な語句を排して呈出するため、きわめて難解晦渋ではあるが、前人未踏にして現代的でもある最尖端の言語世界が現出している。また、これらのことから、いわば正気と狂気の交錯、幻想性、およびエロティシズムは当然の要素である。平安女流文学はもとより、中世の能楽・謡曲(観阿弥・世阿弥)などの幽玄微妙な境地を、近現代世界文学の潮流の中で再照射している、というような感じ。彼女の短歌作品は、あまり論理的に理解しようとせず、高度な言葉とイメージの遊びとして、そのまま受け容れるのが早道であろうと愚考する。歌壇的にも、あまりの天才ゆえに孤高の存在であり、また気が強く、短歌雑誌の対談などでは大御所歌人に対して平然と突っかかったりする猛女でもあり(?)、けっこう美人でもあるのに、男たちも憧れて遠巻きに眺めながらも二の足を踏んで、もらい手がいないのは、お気の毒だよ~ん。・・・かわいそう。才女の悲劇。誰か、死んだ気になって、彼女に女の幸せをもたらしてやってくれい!!!歌集「くわんおん(観音)」(1999)
2007.09.17
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宮柊二(みや・しゅうじ、大正元年-昭和61年)一本の蝋燃しつつ妻も吾あも暗き泉を聴くごとくゐる悲しみを窺ふごとも青銅色せいどうのかなぶん、、、、一つ夜半に来てをり瑠璃色の珠実たまみをつけし木の枝の小現実を歌にせむかな告白と芸術と所詮ちがふこと苦しみてロダンは「面めん」を発見せりいろ黒き蟻あつまりて落蝉おちぜみを晩夏の庭に努力して運ぶ徐々徐々にこころになりしおもひ一つ自然在なる平和はあらずさ庭べに夏の西日のさしきつつ「忘却」のごと鞦韆しうせんは垂る昭和23年-26年註宮柊二:戦後正統派短歌の総帥。北原白秋に師事。結社「コスモス」創刊・主宰者。戦後短歌、ひいては文学全般に、計り知れぬ影響を与えた。鞦韆(しゅうせん):ぶらんこ。
2007.09.04
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俵万智残り時間我より多き若者はボチボチという語をよく使う芽キャベツのような夢だね未完熟の言葉に宿る芯のまぶしさ不良債権のような男もおりまして時々過去からかかる呼び出しむしろ死に近きおさなご這いゆけばダメダメダメが口癖となる黄昏のイルミネーション見せやれば子は指させり青きイルカをあんぱんまんの顔がなくなるページありおびえつつ子はしっかりと見る歌集「プーさんの鼻」(2005年11月)註「芽キャベツ」は、「キャベツの芽」ではなく別の品種であり、「未完熟」という俵万智さんの表現には誤解があると思うが、ま、いいか歌としては、名歌と思う。ちなみに、私は芽キャベツのバター炒めが大好物である
2007.08.14
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小池光どくだみの花白うあるくさむらにあるかなきかに雨は入りゆく耳もちてぶら下げしとき家兎あはれあはれ葱のごときしづかさ蓮根を穴もろともに太らしめ泥田にふかく突き刺さる雨食卓に沈黙すれば、オ父サンもう少しわかりやすく居てくれと娘が言ふ
2007.07.03
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塚本邦雄赤い旗のひるがへる野に根をおろし下から上へ咲くジギタリス水葬物語(昭和26年)ジギタリス
2007.07.03
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俵万智咲きおえし花のごとしもゆく春の乳房はすでに張らなくなりぬ何度でもぴょんぴょん跳ねる膝の上ここからここから始まってゆくみどりごは野から来たれりつゆ草の青ほのぼのと体に残しツユクサ(自宅にてけさ写す)初恋の人に似ているミュージシャンかさぶたをまだ残したままのびっくりとブロッコリーは似ていると子の発音を聞きつつ思う歌集「プーさんの鼻」(2005年)
2007.06.11
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穂村弘春雷よ「自分で脱ぐ」とふりかぶるシャツの内なる腕の十字ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり雨は降るおまえにおまえが春の野に草を結んでつくったわなに歌集「シンジケート」(平成2年)
2007.04.27
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寒川猫持亀ならば助けたことがあるけれど乙姫様にまだ会わぬなり中年に寄るな触るな思うべし光秀にして本能寺あり記憶力あてにしてたら泣きをみる歌ができたら紙に書くべし花の水替えるときには息止めよきれいなだけのものなどはなしライオンのオスは立派だ見てごらん日がな一日ただ寝てるだけ「猫抱いて寝てる男が人間の女にどだいモテまっか」「そやな」 歌集「猫とみれんと」(平成8年)
2007.04.21
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寒川猫持〈青年は荒野をめざす〉あわれかな中年もまた荒野をめざす大人にはなりたくなかったあの頃の気持ち今でもまるで変わらぬ「猫持さんあの子グーだよなぜ行かぬ」いいんだどうせパーになるからああ女自分中心得手勝手天上天下 恋しき者よ「日本はナ……土木やど……ボケ」ヘベレケのおっさんが言う俺の背中に「もういちど若かった日に戻りたい」あんたも好きねないものねだり君が代は千代に八千代と念ずれど俺たちだってもう若くない 歌集「猫とみれんと」(平成8年)
2007.04.21
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寒川猫持何のため生きているかと問われいて遠き花火を吾は思いぬ女にはふられっ放し友達はわれ関せずという奴ばかり僕ですかただ何となく生きているそんじょそこらのオッサンですよ今日こそは下着替えむと思いつつまあよかろうと思いまた穿くかぐや姫無理難題を言うばかりこのテの女実際にいる 歌集「猫とみれんと」(平成8年)
2007.04.21
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寒川猫持(昭和28年・1953-)尻舐めた舌でわが口舐める猫好意謝するに余りあれども「ハンサムでおとなしくっていい猫ね」動物はみな飼い主に似る妻去りしあの日は妻に会わざりき今日は金魚の死に目に会わず〈妻をめとらば才たけて顔みめうるわしくなさけある〉鉄幹のばか屁もすれば歯ぎしりもする朝寝するあんな女に未練はないがバツイチがブームになった感あれどとんでもないとバツイチ思う 歌集「猫とみれんと」(平成8年)
2007.04.21
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枡野浩一(昭和43年・1968-)もう愛や夢を茶化して笑うほど弱くはないし子供でもない前向きになれといわれて前向きになれるのならば悩みはしない結果より過程が大事「カルピス」と「冷めてしまったホットカルピス」「たとえば」とたとえたものが本筋をいっそうわかりにくくしている毎日のようにメールは来るけれどあなた以外の人からである歌集「ハッピーロンリーウォーリーソング」(平成13年)註五・七・五・七・七の韻律をキッチリ守っているのは、やはり好感が持てる。通読してみて分かるのは、季節とか花鳥風月を全く詠まないニューウェイヴ歌人である、ということである。・・・とはいえ、どことなく全篇に「春」の匂いが漂っている。「青春」の青臭さが、オヂサンにはまぶしい。
2007.04.10
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岡井隆(昭和3年・1928-)玄海の春の潮(うしお)のはぐくみしいろくづを売る声はさすらふホメロスを読まばや春の潮騒のとどろく窓ゆ光あつめてひねもすを乾かざる枝さしかはし組みかはしつつ春の木われは歌集「蒼穹おほぞらの蜜」(平成2年)註いろくず:鱗。魚。岡井隆:結社「未来」主宰。筆者くまんパパが勝手に師と仰ぐ、現代短歌の総帥。ここにご紹介した三首はかなりおとなし目だが(?)、岡井氏の歌風は、魂の深奥に到達する重厚にして根源的なリアリティと、盟友・塚本邦雄ほどではないが絢爛たるけれん味と、時にあられもない茶目っ気さえ伴って魅了される。今なお、作歌意欲は旺盛であらせられる。
2007.04.05
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塚本邦雄(大正11年・1922-平成17年・2005)暗渠詰まりしかば春暁を奉仕せり噴 泉ラ・フォンテーヌ・La Fontaine歌集「日本人霊歌」(昭和33年)註現代短歌の巨人だった塚本氏の生年や経歴については、明確でない部分があり、論議になったことがある。今なお、資料によってまちまちなことが少なくない。
2007.04.03
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藤原龍一郎シャボン玉ホリデーのごと牛が鳴きハラホロヒレハレと来る終末かついに近江を見ざる歌人として果てんこの夕暮れのメガロポリスに歌集「夢見る頃を過ぎても」(平成元年)註近江:この短歌では、桜の名所として古来数々の和歌に詠まれてきた琵琶湖畔の含意。
2007.03.31
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