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石川啄木(いしかわ・たくぼく)いつしかに正月しやうぐわつも過ぎて、わが生活くらしがまたもとの道みちにはまり来きたれり。歌集「悲しき玩具」(明治45年・1912)註改行、句読点、ルビは原文のまま。 啄木歌集 枡野浩一 石川くん
2010.01.09
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)さいはての駅えきに下おり立たち雪ゆきあかりさびしき町まちにあゆみ入いりにき歌集「一握の砂」(明治43年・1910)
2010.01.09
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石川啄木(いしかわ・たくぼく)子を負おひて雪ゆきの吹ふき入いる停車場ていしやばにわれ見送みおくりし妻つまの眉まゆかな歌集「一握の砂」(明治43年・1910)註停車場ていしやば:(鉄道の)駅。当時の口語では、こう呼ぶのが一般的だったと思われる。* 改行、ルビは原文のまま。
2010.01.09
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)七草のなづなすずしろたたく音高く起れり七草けふは歌集「黒松」(昭和13年・1938)俎(まないた)に載せた春の七草のナズナや大根を囃(はや)しながら包丁でとんとん刻む音が高く起こって耳に心地よい。はや七草の日だなあ、今日は。註七草をたたく:七種(くさ)の節句の前夜または当日の朝、春の七草を俎に載せ、「七草薺(なずな)唐土(とうど)の鳥が日本の土地に渡らぬ先にトントンバタリトンバタリ」などと唱えながら打ち囃して叩くことを「七草を囃(はや)す/七草囃し」という。七草を打つ。薺打つ。俳句では新年の季語。今日でも「鳥インフルエンザウィルス」が、大陸からの渡り鳥を介して国内に感染するといわれていることなどを考えると、あながち全く非科学的とも言い切れない文句である(?)当日の朝、この叩いた菜を入れて粥を炊き、七種の粥として食べる、日本古来の良俗である。
2010.01.07
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)ゆふされば大根の葉にふる時雨しぐれいたく寂しく降りにけるかも歌集「あらたま」(大正10年・1912)註さる:古語では、おおむね「来る」「訪れる」の意味。時雨しぐれ:晩秋から初冬にかけて、ひとしきりぱらぱらと降ったり、また晴れたりする雨。
2009.12.05
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)アララギはわが雑誌ゆゑ余所行よそいきのこころ要らずと云ひて可かなりや歌集「白き山」(昭和24年・1949)アララギはわが心の雑誌ゆえ、よそ行きに構えた心は要らないと言っていいだろうか?註短歌結社誌「アララギ」
2009.09.27
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)彼かの岸に到りしのちはまどかにて男女ををとこをみなのけぢめも無けむ歌集「暁紅」(昭和15年・1940)彼岸の極楽浄土に到達した後は、もう円満至極で男女のけじめさえも無いのだろう。
2009.09.27
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)街上に轢ひかれし猫はぼろ切きれか何かのごとく平たくなりぬ歌集「白桃」(昭和17年・1942)街路上で車に轢かれた猫の屍骸はぼろ切れか何かのように平べったくなってしまった。註昭和8~9年の作品。残酷なイメージではあるが独特の詩があり、写実(リアリズム)を突き抜けて、何らかの象徴的な表現に達しているような秀歌。・・・死んだ猫には気の毒だが、ある種の放胆でとぼけた諧謔味さえ漂わせている。一見して冷淡な感じを醸している「・・・か何かのごとく」が、近代短歌としての表現上の要諦/ツボであると言える。これが手練(てだれ)のさりげない技法である。cf.斉藤斎藤「雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁」(歌集「渡辺のわたし」平成16年・2004)
2009.09.26
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)もの冷ゆるころとはなりて朝々あさあさの薄明うすあかりより鳥は群れ立つ歌集「ともしび」(昭和25年・1950)いつしか何となく冷える季節となっていて朝ごとの薄明より鳥は群れて飛び立つ。
2009.09.26
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)二時間あまり机つくゑのまへにすわりしが混沌として階かいをくだりぬ歌集「白桃」(昭和17年・1942)二時間あまり机の前に坐っていたが混沌とした思いで階段を下りた。
2009.09.26
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)秋風の遠とほのひびきの聞こゆべき夜ごろとなれど早く寝いねにき歌集「小園」(昭和24年・1949)秋風に乗って遠い豊かな響きが聞こえるであろう夜の刻(とき)になったが疲れていたので早々に寝た。註遠とほの:古語「とをを」(たわわ、豊穣)を掛けているか。
2009.09.26
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)むらさきの葡萄ぶだうのたねはとほき世のアナクレオンの咽のどを塞ふさぎき歌集「寒雲」(昭和15年・1940)暗紫色の葡萄の種は遠き世のうたびとアナクレオンの咽喉(のみど)を塞いだ。註この世の春を謳歌し享楽に生きた詩人の、あっけない死の儚さ。アナクレオン:恋と酒を讃えた古代ギリシアの詩人。ウィキペディア「アナクレオン」アナクレオンの詩
2009.09.25
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)石の上に羽を平ひらめてとまりたる茜蜻蛉あかねあきつも物もふらむか歌集「小園」(昭和24年・1949)石の上に羽を平たくしてとまった赤蜻蛉ももののあわれを思っているのだろうか。
2009.09.25
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)この山のかなたの市へつらなめて馬は越えゆく嘶いななくもあり歌集「白桃」(昭和17年・1942)この山の彼方の馬市へ列(つら)なり並んで馬たちは越え行く。いななくのもいる。註ほんの一筆書き、もしくはスナップショットのようなデッサンが、格調高い名歌になってしまう“茂吉マジック”。その秘訣は、やはり何といっても万葉集への深い敬愛と造詣にあるのだろうと思わずにはいられない。つらなむ:列並む。列ね並ぶ意味の古語。
2009.09.25
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)万国の人来きたり見よ雲はるる蔵王の山のその全またけきを歌集「つきかげ」(昭和29年・1954、遺作)万国の人よ、来て見よ。今、雲が晴れる蔵王の山のその完全を。
2009.09.25
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)たましひを育はぐくみますと聳そびえたつ蔵王のやまの朝雪げむり歌集「小園」(昭和24年・1949)われらの魂を育まれるように聳え立つ蔵王の山の朝の雪煙。註ます:動詞・助動詞の連用形に接続して謙譲・丁寧の意を表わす助動詞。
2009.09.25
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)陸奥みちのくをふたわけざまに聳そびえたまふ蔵王ざわうの山の雲の中に立つ歌集「白桃」(昭和17年・1942)みちのくを二つに分けるさまに聳えていらっしゃる神々しい蔵王の山の雲海の中にわたしは佇(たたず)む。註昭和8~9年頃の作。ふたわけざまに:蔵王連峰は、分水嶺の剣が峰として、まさに奥羽地方を東西二つに分けているようだ。・・・それにしても、「ふたわけざま」なんて言い回し、読めばたちどころに意味は分かるが、こちとら逆立ちしても出てこない、簡潔にして雄渾強靭な表現だ。あるいは、優れた詩歌人にのみ許される造語が、比較的多いといわれる茂吉の造語か。茂吉の凄さに舌を巻くほかなし。聳え:古語動詞「聳ゆ」は、ヤ行の(下二段)活用だから、連用形の送り仮名は「(ヤ行の)え」になる。「見ゆ」に同じ。
2009.09.24
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそほそとして路みち見ゆるかな第一歌集「赤光」(大正2年・1913)銀色の雪降る山に人が歩いてゆく。細々として心細くあの路が見えるなあ。註作者の故郷、山形・上山(かみのやま)にて。
2009.09.24
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)上野かみつけの谷川の瀬にまたたくま青き木この葉は流れて行ける歌集「白桃」(昭和17年・1942)上野の深山の渓流に瞬く間、青い木の葉は流れて行った(と見えた)。註昭和8年詠。上野(かみつけ):現・群馬県。「こうずけ」は、上古語「かみつけ(上つ毛)」(の国)の転訛。る:完了の助動詞「り」の連体形(の準体言用法)。「こと(見ゆ)」、「時(に遇う)」などが省略された形。茂吉短歌に時折散見される文法的破格。西洋詩でいう「詩的許容(ポエティカル・ライセンス)」の概念に近い。木こ(の葉):古くは名詞も活用したといわれる。「木(き)」「木(こ)」の葉(花)、「木(く)」だ物(果物、「木に生るもの」の意味。「だ」は古い格助詞)、「真木柱(まけはしら)」(神聖な柱)など。
2009.09.22
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)くれなゐの林檎りんごがひとつ をりにふれて畳たたみのうへにあるが清しも歌集「石泉」(昭和26年・1951)(子供が置き忘れたのだろうか)紅の林檎が一つ折に触れて畳の上にあるのがすがすがしいなあ。註山形出身の作者にとって、林檎は幼い砌(みぎり)より親しんだ果物であっただろう。ふれて:「折に触れて」と「触れて畳の上にある」が掛けてある。
2009.09.21
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)乳ちちの中になかば沈みし くれなゐの苺を見つつ食はむとぞする歌集「白桃」(昭和17年・1942)牛乳の中に半ば沈んだ紅の苺を見つつ食べようとしているんだ。
2009.09.20
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)つかれつつ汽車の長旅することもわれの一生ひとよのこころとぞおもふよるの汽車名寄なよろをすぎてひむがしの空黄きになるはあはれなりけり歌集「石泉」(昭和26年・1951)註昭和7年(1932)晩夏、北海道の車中にて。
2009.09.20
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)日本国の児童諸君はおしなべて辛抱づよくあれとしぞおもふ歌集「白桃」(昭和17年・1942)註昭和8年(1933)の詠。日本国の児童諸君は須(すべか)らく辛抱強くあるべしとおぢさんは本気で思ふのである。註し:上の語を強く指示してその意味を強め、また語調を整える間投序詞。現代語の「折りしも」「定めし」などに残滓的痕跡。「ぞ・・・おもふ」は係り結びで、この「おもふ」は連体形。「し」と合わせて、強意表現。
2009.09.19
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)とげとげしき心おとろへて わが妻としたしみゆくもあはれなりけり歌集「白桃」(昭和17年・1942)年寄って棘々しい心が衰えて自分の妻と仲良くなってゆくのも哀れなものだなあ。註昭和8年(1933)早春の詠。
2009.09.19
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)塩釜の神の社やしろにまうで来て妻とあらそふことさへもなし歌集「石泉」(昭和26年・1951)塩釜の神社に詣で来て(しょっちゅう喧嘩をしている)妻と争うことさえもなかった。註昭和6年11月、夫婦での東北旅行にて、宮城県塩釜で詠む。
2009.09.19
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)大沢禅寺あかつきの光やうやく見ゆるころ すゑたる甕かめのなかに糞ふんを垂る歌集「石泉」(昭和26年・1951)黎明のほのめきがようやく見える夏の一刻、禅寺の一隅に据えられた大甕の中に糞を垂るる爽快さ。註無人の荒野を行くごとき大胆不敵な秀歌。安居会(短歌結社「アララギ」の夏季合宿勉強会)で訪れた長野県信濃大町・大沢禅寺にて、昭和6年(1931)8月作歌。糞ふん:「ふん」のルビは、原文のまま。
2009.09.19
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)熱海小吟あたみせうぎんあまづたふ日はかくろへば海の色くろぐろとして物ぞ漂ふただひとり海のなぎさの石かげに すわりて居れば罪はふかきか歌集「石泉」(昭和26年・1951)註昭和6年(1931)静岡・熱海温泉にて詠む。あまづたふ:天を伝う。空を通る。また、「日」に掛かる枕詞(まくらことば)。かくろふ:「隠れる」の意味の古語。ここでは「くろぐろ」と掛けている。「石」は「いは(いわ)」と読むか。罪:茂吉の作品にしばしば現われるこうした「罪」の概念については解釈がなかなか難しいが、特定の犯罪などでないことは言うまでもなく、「生きてあることの罪」、いうなればキリスト教で言う「原罪(オリジナル・シン)」のようなものか。もちろん茂吉は基督者(クリスチャン)ではなく、マルクシズムも含めて西洋思想に対して冷笑的ですらあったといわれているが、近代思想の受容を通じて、西洋的な観念も当然知っていただろう。巨人・茂吉が、東洋と西洋、古代と近代の生ける架け橋とまでいわれるゆえんの一端がここにはある。
2009.09.18
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)救世観世音菩薩くぜかんぜおんぼさつとことはにくがねかがよふみ仏ほとけの 御足みあしのもとによみがへるものとこしえに絢爛たる黄金が耀(かがよ)う御仏の御足のもとに蘇って来るものがある。たわやめにいますみ仏ほとけもの恋こほしき心の乱れ救ひたまはね手弱女でいらっしゃる御仏がもの恋しいこの心の乱れをお救い下さい。みほとけの御手にもたせる炎にし わがよのつみももえて消えむぞ御仏の御手にお持ちになっている炎によって我が世の罪も燃えて消え去ってしまうだろう。歌集「石泉」(昭和26年・1951)註奈良斑鳩・法隆寺にて、昭和6年作歌。
2009.09.18
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)救世観世音菩薩くぜかんぜおんぼさつくちびるのあけのみほとけとおもひつつ けふの縁えにしにわれあふぎけり歌集「石泉」(昭和26年・1951)唇が朱の御仏と感じつつ今日一期一会のご縁に私は仰いだ。註奈良斑鳩・法隆寺にて、昭和6年作歌。救世観世音菩薩くぜかんぜおんぼさつ:いわゆる「観音様」。法隆寺の救世観音像(国宝)の唇は、実際には全く赤くなく、そこに永遠の女性・母性を見ている茂吉の感性が投影されたイメージ・幻想である。
2009.09.18
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斎藤茂吉(さいとう・もきち)玉ゆらにほの触れにけれ延はふ蔦つたの別れて遠しかなし子等こらはも第一歌集「赤光しやくくわう(しゃっこう)」(大正2年・1913)束の間にほのかに触れたなあ。這う蔦の茎の先が分かれていくように今は別れて遠い愛しくかなしい少女(おとめ)たちなのだが。註後年には凛として一刻な歌風になる茂吉だが、初期にはこういう若々しい艶種(つやだね)の歌もあったのかと、やや意外な一首。万葉風の擬古的修辞を駆使しており、文法的にはやや難解晦渋。延はふ蔦つたの:「別れ」に掛かる枕詞。かなし:現代語「悲しい、哀しい」の語源だが、古文脈では「いとしい、切ない、かなしい」などの広汎な感情を一語で表わす。接続が、普通の「かなしき子等」ではなく「かなし子等」になっているのは、古事記・万葉集などの上古文に見られる用法(の擬古的援用)で、自ら優れた万葉読みだった茂吉の独壇場。も:不確実だが、何かに執着を持つ感情を表わす上古語終助詞。いわば「粘着性」な感情を示す語尾。短歌表現では、現代でも当たり前に用いられる。
2009.09.17
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斉藤茂吉(さいとう・もきち)をさな妻こころにもちてあり経ふれば赤小蜻蛉あかこあきつの飛ぶもかなしき第一歌集「赤光しやくくわう(しゃっこう)」(大正2年・1913)身も心も幼い妻を心に思って時を過ごしていると赤い小さなとんぼの飛ぶ姿さえいとおしいなあ。註をさな妻:輝子夫人。「陰」と「陽」、「頑固」と「勝気」の軋轢などから、必ずしも円満ではなかったといわれるこの夫婦やその家族については、この夫婦の次男である作家・北杜夫(本名:斉藤宗吉)の自伝的大河小説で、現代日本文学不朽の名作「楡家の人びと」に鮮やかに描かれている。
2009.09.15
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伊藤左千夫(いとう・さちお)夕涼ゆふすずの河岸かしのたたずみ細々しわがおもふ人のただ白く立つ左千夫歌集夕涼の河岸の佇みはほっそりとひめやかにわたしが思う人はただ白くほのめいて立っている。
2009.08.28
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与謝野晶子(よさの・あきこ)誰たれが子かわれにをしへし橋納涼はしすゞみ十九の夏の浪華風流なにはふうりう歌集「恋衣」(明治38年・1905)どの子だったかしら、わたしに教えてくれた橋涼みの愉しみ。十九の夏の大阪・浪花の風流。
2009.08.28
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落合直文(おちあい・なおぶみ)めぐりあひし男星女星をぼしめぼしのむつごとも聞くべく秋の夜は更けにけり「萩之家歌集」(明治39年・1906)* きょうは旧暦の7月7日(七夕)。
2009.08.26
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伊藤左千夫(いとう・さちお)蒼空あをぞらの真洞まほらにかかれる天漢あまのがはあらはに落ちて海に入る見ゆ左千夫歌集深い紺碧の穹窿にかかっている天の川が流れ落ちて海に注ぎ込んでいるのがまざまざと見える。註きょうは太陰暦(旧暦)の7月7日、すなわち七夕。
2009.08.26
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吉野秀雄(よしの・ひでお)古すだれ檐のきに釣り垂れあしびきの山のすずしさを人はたのしむ歌集「苔径集」(昭和11年・1936)古い簾(すだれ)が軒に吊られて垂れ下がり、深山(みやま)から下りてくる涼しさを人は楽しむのだなあ。註「すだれ」と「垂れ」が、ちょっとした言葉遊びになっているのは一目瞭然で、楽しい趣向といえよう。なお、短歌に季語はないものの、「すだれ」や「すずしさ」という言葉が入っているので、夏の歌に間違いない。すずしさそのものが歌になったような秀歌というべきか。あしびきの:語源は「足引き」とされ、足を引いていくほど険しいという意味で「山」に掛かる枕詞(まくらことば)。古い短歌・俳句などでは、しばしば「吊るす」意味で「釣る」の表記を見かける。こういう点については昔の人は無頓着というか、特に区別しなかったようである。なお、「苔径集」という歌集のタイトルもいいなあ~。「たいけいしゅう」と読むのだろう。「苔(こけ)生(む)した径(こみち)」の意味だろう。まさに、風流そのものである
2009.08.25
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吉野秀雄(よしの・ひでお)夕立の地降じぶりとなれるさ夜ふけにつひに衰ふる稲妻を見し歌集「苔径集」(昭和11年・1936)雷を伴った夕立がいつしか土砂降りになって息苦しいほどの夏の夜更けに、ついに衰えはじめた稲妻の閃めきを見ていた。
2009.08.24
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与謝野晶子(よさの・あきこ)夏の風山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり歌集「舞姫」(明治39年・1906)夏の風が山から降りて来て数限りない牧場(まきば)の若馬たちの耳が爽やかに吹かれているなあ。
2009.07.14
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伊藤左千夫(いとう・さちお)蒼空あをぞらの真洞まほらにかかれる天漢あまのがはあらはに落ちて海に入る見ゆ左千夫歌集深い紺碧の穹窿にかかっている天の川が流れ落ちて海に注ぎ込んでいるのがまざまざと見える。
2009.07.14
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与謝野晶子(よさの・あきこ)今宵こそハイネと二人わがぬると友いひしこしぬ星合ほしあひの夜に歌集「みだれ髪・拾遺」今宵こそは詩人ハイネと二人でわたしは寝るのよと友達が言ってきた。星合いの夜に。註ハイネ:ハインリヒ・ハイネ。ドイツの詩人。星合ほしあひの夜:七夕の夜。
2009.07.06
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)五月さつきかぜ朝野をわたる軟やわらかうけむらひ高きけやきの新芽五月の湿り気のある風が朝野を渡る。軟らかく霞がけむるように茫漠と高い欅の梢の新芽。歌集「鶯」(昭和6年・1931)註五月さつき:陰暦五月。ほぼ現在の6月に当たる。梅雨(時)。
2009.06.19
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斎藤史(さいとう・ふみ)暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた歌集「魚歌」(昭和11年・1936)
2009.06.16
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与謝野晶子(よさの・あきこ)こころみにわかき唇ふれて見れば冷やかなるよ しら蓮の露歌集「みだれ髪」(明治34年・1901)
2009.06.12
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若山牧水(わかやま・ぼくすい)春の木は水気すゐきゆたかに鉈なた切れのよしといふなり春の木を伐る歌集「みなかみ」(大正2年・1913)
2009.06.12
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リアル仏像フィギュア 阿修羅会津八一(あいづ・やいち)阿修羅の像にゆくりなきもののおもひにかかげたるうでさへそらにわすれたつらしけふもまたいくたりたちてなげきけむ あじゆらがまゆのあさきひかげに歌集「山光集」(昭和18年・1943)突然の激しい物思いに掲げた腕さえ空に忘れて立っているらしい。今日もまた、幾人が立って溜め息を吐いているのだろう、阿修羅の眉の浅い日蔭を見て。註奈良・興福寺で阿修羅像(現在、国宝)を見て詠んだ。1首目の文意、何やら謎めいていて難しいが、素直に読めばこんなところだろうか。また、「かかげ」「わすれたつ」の主語は、阿修羅像か(・・・もしかすると、そこに感情移入した作者のことでもある?)。2首目によれば、むかしは「アジュラ」と呼んだか。■国宝 阿修羅展オフィシャルウェブサイト■東京国立博物館オフィシャルウェブサイト阿修羅のジュエリー
2009.06.02
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土屋文明(つちや・ぶんめい)この三朝みあさあさなあさなをよそほひし睡蓮の花今朝はひらかず歌集「ふゆくさ」(大正14年・1925)この三日間、朝ごとに装った睡蓮の花がけさは開かない。註一見淡々とした客観写生の中に、深い余情を滲ませた名歌。「三朝みあさあさなあさな」をはじめとする言葉の響き・調べも美しい。なお、初出は明治42年の歌誌「アララギ」。
2009.06.01
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与謝野晶子(よさの・あきこ)鎌倉や御仏みほとけなれど釈迦牟尼しやかむには美男におはす夏木立かな歌集「舞姫」(明治39年・1906)■関連リンク
2009.05.29
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釈迢空(しゃく・ちょうくう / 折口信夫、おりぐち・しのぶ)山の際まの空ひた曇るさびしさよ。四方よもの木こむらは音たえにけり 歌集「海やまのあひだ」(大正14年・1925)
2009.05.29
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坪野哲久(つぼの・てっきゅう)憂うれふれば春の夜ぐもの流らふるたどたどとしてわれきらめかず歌集「桜」(昭和15年・1940)憂いの中にあって月の光に照らし出された春の夜の雲の流れているのを見てもいかにも間抜けで鈍重で私もまた限りなく燻んでゆく。註普通の感覚では、ほのぼのとしたのどかさの象徴である駘蕩たる春の夜の雲のゆったりとした動きを、たどたどしくて憂鬱を倍加させ苛立つようなものとして捉えている。さすがというべきオリジナルな感性だと思う。凛冽尖鋭、秋霜烈日な厳しい歌風で鳴った大歌人の面目躍如たる一首。
2009.05.26
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島木赤彦(しまき・あかひこ)高槻たかつきのこずゑにありて頬白ほほじろのさへずる春となりにけるかも歌集「太虚集 *」(大正13年・1924)高い槻の木の梢にとまってホオジロが朗らかに囀る春になったんだなあ。註タイトルの「虚」の字は、虎構えに丘(「虚」の異体字)。
2009.05.16
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