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私のブログにAds by Googleとして、この最新日記の真下や別の個所にも広告が張り付けられている。全く失礼千万なことではあるが、これは、Googleが広告主からもらう広告料の一部を楽天が貰って楽天ブログにかかる費用に充当しているということなので、ブログ利用者が外したくても、ブログ利用者の意志では外せないらしい。まるで、私が推薦しているかのようである。絶対に推薦したくない業者を!!私が推薦できないと常日頃思っている業者も入っていることを、読者の皆さんには是非とも御理解しておいていただきたいものです。
2008年09月04日
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「1億円???」のペルシャ絨毯なるものを見た。見たと言ってもネット上での話なのだが・・・・。サイズは、2x3mか、大きくてもせいぜい2.5x3.5m。日本の家屋に敷けるサイズだ。でもまぁ! 価格をいくらにするかは、勝手と云えば勝手なのだが。。。随分と、人を食った話ではないか。『あなたが1億円で納得すれば、あなたにとって1億円の価値がある』とは、中近東での話ではあるのだが。これは日本での話だ。2005年位まで、織り子さんの給料は、月1万円位であった。しかし、この3年間で、イランの人件費は上がりに上がった。毎年約30%の急騰だ。して、2008年現在2万円強、2倍強になったのだ。この「1億円?」の絨毯、昨日今日織られたものとは思われない。3年以上前に織られたのだろう。まぁ、百歩譲って、2万円としよう。月2万円の織り子さんが、何年掛けて作れば「1億円」になるのだろう。2万円×12ヶ月×208年=約5,000万円もしも、織り子さんの給料に5千万円払えば、1億円でも仕方なしと云うところか?でも208年、誰が生きているのだろう。。。1億円の根拠の計算式を見てみたいものだ。して、儲けは、9千数百万円???『日本の家屋に敷けるサイズのペルシャ絨毯で、一千万円もするペルシャ絨毯はありえない』と私は常々言っているんですがねぇ・・・・。私の言っていることは嘘なんですか???
2008年07月24日
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かつて「ガリサラー」というペルシャ絨毯店があった。もう潰れてないので、この絨毯屋の大きな勘違いを書くこととしよう。この絨毯屋は「絨毯の家」というのをペルシャ語で「ガリサラー」として、その屋号につけたと思われる。大きな絨毯をあらわすペルシャ語に「ガ(ハ)リー」という言葉はあるのだが、ペルシャ語で「ガリ」といえば「手押し車」を意味するので、「ガリサラー」とは、さしずめペルシャ絨毯店「手押し車の家」ということなのだ。ところで、「ガリ」は、「ガ(ハ)リー」のことだったとしよう。「ガ(ハ)リー」は2x3メートル以上の大きな絨毯のサイズをあらわす言葉だ。よって「ガ(ハ)リー・サラー」とは2x3mより大きめの家ということなので、これまた非常に小さな家なのですね。ちなみに絨毯のペルシャ語は「ファルシュ」なので、絨毯の家をあらわすには、「サライ・エ・ファルシュ」なので「ファルシュ・サラー」といってもいいかも知れない。
2006年12月18日
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Ima Iran ni kite imasu.Iran niha "red orenge" to iu noga arimasu.mikakeha futuuno orenge to kawari ga nai noda keredomonakawo muite miruto miga akaku fukurono kawa ga usukutetotemo oisii nodesu.Watasiha kono "red orenge" wo tyuumon simasita.Hotel ni motte kaette tabete miruto 3tuno uti 1tu dakesikared orenge deha arimasen desita.Yokujitu kudamonoya no ojisan ni monku wo iuto,75%ha red orenge nanoda to iunodesu.demo 3tu nouti 1tu sika red deha nakatta no dakara33%sika red denai to iuto kondoha1kagetu sonomama tabezuni oiteokeba red ni narunoda to iunodesu.1kagetumo oiteokeba kusatte taberenaku narimasuyone.This is the Iran.
2006年01月13日
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行ってみないとわからない『イランのおもしろ情報』画面左のフリーページをご覧下さい。是非読んで行って下さい。出来れば感想もよろしく。お返事は書きますから。
2004年10月14日
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イラン南東部を襲った昨年末の大地震で壊滅的な被害を受けた遺跡「アルゲ・バム」(ケルマン州バムの町にある城壁の遺跡)から、ササン朝(227~651年)の時代のものとみられる日干しレンガが多数見つかったらしい。壊滅した為、その下から露出したとのこと。これまでも、文献からササン朝時代に起源を持つとされていたが、現在のものはサファビー朝時代に修復されたものだったとか。イランもいろんな国から侵略を繰り返されてきたが、アケメネス朝は、確かアレキサンダーによって滅ぼされ、ササン朝ペルシャもアフガンの侵攻で滅亡したんだったんじゃなかったかなぁ。。。それはともかく、物証が出てきた為、世界遺産に登録申請するらしい。(イランでは、アケメネス朝の宮殿遺跡ペルセポリスが世界遺産に登録されている。)
2004年03月28日
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ステンドグラスの芸術
2004年03月16日
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焼きタイルの芸術
2004年03月12日
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写真はテヘランのカジャール朝の宮殿です。カジャール朝は1779年から1925年にかけてのペルシア王朝ですが、文献によると1786年に首都をザンド朝時代のシラーズからテヘランに移しているのでその頃に建てられたものだそうな。やはり、焼きタイルとステンドグラスの芸術が殊に素晴らしい。画像の続きはまた今度、お楽しみに!
2004年03月11日
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土漠の国イランでは人為的に水をやらない限り木々は育たない(カスピ海沿岸などは別だが)。これはテヘランだが、車道と歩道の間は必ず溝が作られており、そこに街路樹が植えられている。写真は雨の後なので水が豊富に流れているが、夏にもなると水は無いのだが、定期的に水を流すようだ。広い庭を持つ大きな家などでは、井戸があり、電動ポンプのスイッチを入れると庭中に水が行き渡るようにしてあったりする。かくかようにして、イラン人は木々や草花を育て愛でるのです。顔で判断しないで下さい!彼らはロマンチストなのです。オットッ!!!顔は余計だった!失礼!
2004年03月01日
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イラン人は本当に花が好きだ。レストランでも各テーブルに必ず花が生けてあり、家には花が飾られている。町のあちこちに花屋が店を出し、あふれるほどの花が売られている。「薔薇とホトトギス」などの抒情詩も有名で、ホトトギスが薔薇に恋をして、美しい恋の詩を歌うという話が語り継がれていることからも、イラン人のロマンチシズムと花を愛する国民性がうかがい知れます。
2004年02月24日
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「イランのカラス」のページで「イランのカラスはお洒落なのだ」と紹介したのを覚えておられるでしょうか?今回、証拠写真を撮って来たのでアップします。とくとご覧あれ!!!
2004年02月22日
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帰っていましたが、何かと忙しく帰国のご挨拶遅れてしまいました。ゴメン、ゴメン!今年のイランは本当に暖かでした。1月の6日と13日はなんと雪ではなく、雨でした。でも、一日中降り続いたので、雪で無くて幸いでした。雪が積もると交通が大変なのでね。お陰で、傘をさしているイラン人をみましたゾ!!!まぁ、3割位の人だけですね。傘をさしているのは。ほとんどの人は濡れたまま歩いているんですがね。イランの主流は折り畳み傘だったのです。雨のお陰がもうひとつ、雨の後の山が綺麗かったことこの上なしというところでしょうか。町は雨でも、エルブルス山脈は雪をかぶり、雨でスモッグも洗い流され空気が澄んで、ほら、絶景です。
2004年02月08日
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明けましておめでとう御座います。今日から出勤、初楽天!と言っても、あさって早朝よりイランへ出発です。皆さん地震お見舞い有難う。ケルマンのバムの町は壊滅し、信じれないほどの死者が出ています。今のところ、直接の友人知人の被害はありません。ご心配有難う御座います。テヘランからは南東1000キロ以上の所ゆえ、私は行けませんが、何らかのお見舞いをして来たいと思います。
2004年01月03日
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ユーラシア人さん!難しいことを聞いてくるんだな!でも、解説してみます。間違えていても当方一切の責任を取りません。よろしいかな?正月は、3月の春分の日で日にちがずれていかなのに(時間が6時間位ずれるらしい)、ラマザン月が毎年ずれるのは何故か?という質問を受けてしまいました。イスラム教による断食をアラビア語では「ラマダーン」といい、トルコ語では「ラマザン」と言うようです。ペルシャ語も「ラマザン」かな?ラマザンはイスラム暦の9月に行われます。ラマザンがずれていくのは、イスラム暦を理解しないとわからないのです。イスラム暦の1日の始まりは日没であるらしく、ひと月は奇数月が30日、偶数月は29日、従って一年は364日、うるう年は365日で、12月が30日間となるそうです。また、うるう年は30年に11回あるそうな。イスラム暦の9月が西暦のいつに当たるかの計算は非常に難しい「天文学的計算?」になるらしいのです。従って結論的に言うと詳しくは「解らない」というのが私の回答です。しかし、二ヶ月で61日の西暦と59日のイスラム暦ですので、ラマザンのスタートは毎年(8日位?)ずれることはお分かりいただけると思います。ところで、一年は365日なのが西暦ですが、イスラム暦は364日です。して、うるう年が、4年に一度と言うのと、30年に11回というのですから、正月は微妙にしかずれないというのもお分かりいただけるでしょう。<ケルマンの試行錯誤>イスラムの1月は、西暦の3月の春分の日にスタートします。して、うるう月が12月。西暦では2月が28日しかないが、イスラムは12月にあたるので、29日か30日なのです。え~と、それから9月と11月は、奇数月で、西暦では1日少ない日で、イスラム暦では1日多い。なんだよな。だけれどもっと?そうだ、8月はその逆だ!そうだ、決定的なことを忘れていた?!?春分の日だ!3月20日の年と、21日の年があるだろ~が!!!うん。これを忘れていたな。 あぁ~!頭がこんがらがりそうだ!でもやっぱり、さっき言ったことでだいたい良いよねっ!!!寛容な心で読んでください。
2003年12月21日
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イランの正月についてRemiさんから質問がありました。イランの正月は3月です。「ノールーズ」といわれ、日本の暦の春分の日にあたります。でも、毎年6時間ずつずれるらしく、政府が、今年の正月は何時何分と発表するそうです。イランの正月の時にイランに居たことがないので、詳しくはありませんので、聞いた話と本で調べたことを書いておきます。イランのお正月は、先祖の霊が帰ってきて皆と一緒に祝う日とされています。盆と正月が一緒に来るんですね。ハイ。正月の花はヒヤシンスらしい。どうしてなの?!?それは聞かないでね。門松にしめ飾りと鏡餅のような定番がイランにもあるのです。7つのSの音がつくものらしいのです。「ななかまど(サンジエド)、りんご(スイーブ)、小麦(サマ)、酢(セルケ)、にんにく(スイール)、ソマーグと呼ばれる香料、麦や粟の水栽培で作った青草(サブゼ)の一皿」以上七品がそれにあたるとのことです。その他、コーラン、パン、ローソク、鏡、オレンジ、色をつけた卵、金魚が二匹等もいるらしいですゾ。どういうわけか、卵は宇宙と誕生をを意味するらしく、金魚は不老長寿の霊木を護る二匹の魚なんだそうだ。これはコーランに書かれた古い伝説からきているらしいのだ。なにせ、全ては豊饒、誕生、長寿の願いがあるらしい。日本とは飾るものが違っても願いは同じなんだね。家を綺麗にして、新しい服を着て、おめでとうと言い交わしながら親戚や知人へ年始廻りをするのも同じです。
2003年12月11日
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イラン映画を紹介しているHPを見つけました。興味のある方は覘いて見て下さい。イランの映画http://www.asianfilms.co.jp/iran.htm風の絨毯http://www.kazeju.jp/
2003年11月06日
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皆さん、台風の影響は如何でしたか?あちこちで被害が出ているようですが、神戸のすぐ近くの西宮市に上陸した割には、京阪神はさほど影響はありませんでした。台風一過またまた暑い日が続きますが、時節柄、健康にご注意下さい。8月11日から13日まで出かけます。またのアクセスお待ちしています。
2003年08月10日
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7月31日のテヘランの天気は晴れ、最高気温は38度C、最低湿度は10%だったようです。ゴーム、やカシャンはもっと暑い(40度以上)と思われます。でしょう。だから夏はイランに行きたくないんだよね。んったく、フェーッ!暑い!!!
2003年08月01日
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イランイスラム共和国大使館日本国外務省によるイラン紹介イラン航空ヤフー・トラベル-イランアリさんの「イラン紹介」YUKIKOさんの「イラン情報」イラン旅行記イラン西部旅行記河野朝子さんの「ペルシャでチャランポラン」ペルシア・イラン情報ここへの掲載がご迷惑の場合はお知らせ下さい。速やかに対処させて頂きます。
2003年07月13日
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ある時、ハマダン(ハメダーン)に行くこととなり、車で向かった。その道の途中にアリサドル鍾乳洞があるのです。イランは、娯楽の場が少ないのです。従って、このような観光名所は人々が押し寄せます。ザグロス山脈に程近い高所にあるこの場所は、夏ともなればなおさらです。案の定、3時間待ちの長だの列です。イスファハンのザヤンデ・ルード川のボートもそうでした。手漕ぎボートに乗るために、彼らは2時間も平気で並んで待つのでした。でも待てない人もいるのですね。そのために、入り口が二つあるのです。ひとつは長蛇の列。もうひとつの入り口は10人位しか並んでいません。要するに、倍位の入場料を払えば早く入場させてくれると言うのですねぇ。早い話が袖の下というのでしょうか。でも、半ば公然とやっているのですから「袖の下」ともいえませんかね。ところで、私たちはというと、さりとて急ぐ旅というものでもなく、並んでいたのです。30分が限度でした。結局「金に物を言わす」というやつですか、そちらを選択させて頂きました。束の間の後ろめたさもそこそこに、大きな態度で鍾乳洞探検に赴くのでした。こちらの鍾乳洞はと言えば、「秋吉台」とは違うのですね。やはりイランですから。イヤイヤそうゆうことではなく、歩いて回れないのでした。と言うのも中は水浸し、それも相当深そうです。そこで登場するのが足こぎボートなんですね。ほら、遊園地なんかでアベックがこいでるやつですよ。そう、あれね。そのあれに、ガイドがサーチライトを持ってコギコギ現れるのです。その足こぎボートの後ろには、なんと!10艘程の手漕ぎボートが、カルガモの親子よろしく繋がれているのです。いざ、カルガモになってケーヴ探検へと出発です。「秋吉台」ほどの変化や、見所もないのですが、暗い洞窟の中、「ボートが岩にぶつかるーッ!!」「頭に注意しろーッ!」だの、ワーワー、キャーキャーと、「袖の下組」も「3時間並び組」も入り乱れて楽しむのでした。洞窟のかなり奥まったところに巨大なホールがあり、そこまでが案内スポットなんですね。そこまでは所々に電球が薄らぼんやり照らしているのです。しかしその奥は真の暗闇で、入って行ってはいけない事になっているのです。そこでまたまた、現金がものを言いました。チップです。ガイドにチップを払うから「もっと中まで行け」と一人が言い出したのです。「ベリン、ベリン、レッツゴー」お酒が禁止、西洋音楽が禁止と何もかもが禁止のようで、それでいて、抜け道の多い国?!?おおらかなイラン人が住んでいるのです。
2003年07月11日
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イスラム圏では断食と言う習慣がある。「ラマザン」とか言うのですね。この断食ですが、日本のどこかのお坊さんが1週間断食したとか、ハンガーストライキのようなものではない。太陽が昇っている間は食べ物を口にしないのですね。従ってホテル以外の食堂は昼間はお休みです。何故ホテルの食堂は開いているのかと言うと、ツーリストは断食の義務が無いとのことです。朝早く起きて、お腹いっぱい食べ、夕飯は当然日が暮れてから食べると言うものです。要するに昼食抜きということなんですね。食堂が休みなので、弁当を持って仕事に行く人もいます。ハイ、断食をしない人もいるのです。病気の人もね。断食と言うと過激なようですが、それ程でもないでしょ。出来るならやると言うスタンスでしょうか。日本のそれよりよっぽどソフトです。健康のための教えなんでしょうか。コーランは生活のための教えと言う傾向が強いように思います。
2003年06月19日
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イランは今、建築景気に沸いています。歴史を紐解いても、経済が一気に発展しようとした時、古い社会秩序が手かせ足かせとなるようですね。学生によるデモのニュースが連日のように賑わっています。これまで、ハタミ政権は、イラン改革の旗印のような存在でした。そして、学生運動も、ハタミ政権支持というのがこれまでの通り相場でした。新聞によるならば、どうも学生は、「ハタミの民主化も最早効果なし」と政教分離まで訴えているようです。利権をほしいままにした王政の反動でイスラム政権が樹立されたのでしたが、自らの経済の発展に政権がついていけなくなっているのでしょうか。王政に後戻りする事は考えられませんが、イランには政権を担当する階層も見当たりませんので、今後の行方が心配です。
2003年06月17日
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イランのホテルは、革命以前に建てられたものばかりで、ホーマ・ホテル(昔の名前はシェラトン)といえども、もはや古い。ただ、イスファハンのアッバシー・ホテル(昔の名前はシャー・アッバス・ホテル)だけは、古いが故に良い。実に素晴らしい。 アッバシー・ホテル、ロビーの壁画このホテル、王朝時代の服装をしたドアボーイが迎えてくれ、建物や装飾品も、まさに、王朝時代にタイムスリップしたかのごとくなんですね。 ホテルの中庭中庭には水路が掘られているのですが、その水路が水色に塗られているのです。これはイランでは珍しいことではなく、水に対する思い入れの深さを物語っていると言えます。このホテル16年位前までは、千円で泊まれました。(実は一泊千円の時に泊まったきりです)今は、イラン人価格と外国人価格が出来て、一万数千円になっているはずです。イランに行かれたら是非どうぞ。
2003年06月13日
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カシャンで思い出した。イヤ、カシャンに行っていて思い出したのではなく、カシャンのことで思い出したのだ。イランの冬は、零下は当たり前の如くに寒く、夏は40度オーバーになるほど暑い。冬は寒いので、暖房は行き届いている。日本でも、「北海道の方が家の中は暖かい」と言われますよね。たぶん重油のストーブと思うのですが、それが一日中炊かれています。地下室にボイラーがあってそこでお湯を沸かし、スチームが家中に通っていたりします。床暖もそんなに珍しくもありません。しかし夏ともなれば激変です。暑いってものではありません。カシャンは小さな町ですからなおさらです。「砂漠は昼間は50度、60度にもなるのに夜は冷え込む」と言う事を聞いたことありませんか?イランに行けば実感できます。特に小さな町で顕著にね。町が小さいと言う事は、砂漠が近いということなんですね。当たり前か。でもまぁ、そういう事なんですよ。昼間は砂漠からの熱風が吹き、干からびそうな暑さです。あるいは焦げるような暑さとでも言いましょうか。ね。う~ん、これでは伝わらないんだよなぁ、イランの熱さが!まあいいか。また「イランの夏」でも読み返してみてよ。どんなに「熱い」か解るかもしれないので・・・・。カシャンの家は日干し煉瓦の上から泥を塗り固めています。従って蓄熱するのです。夜になっても冷めません。家の中はサウナ状態といってもいいでしょう。ハイ。そこで、屋上で寝るのです。屋上に布団を敷き、蚊帳を吊ったりしてね。これはいい。蚊帳ですよ。砂漠から涼しい風が吹いてくるのです。ほら、ね!涼しいでしょう。これで熟睡です。おやすみなさい・・・グゥー、グゥーッ・・・・
2003年06月08日
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彫金による絵皿イランの彫金技術は素晴らしいものがあります。イスファハンのモスクの門を始め、水がめなど、その昔から金槌と金杭だけで細かな模様を気の遠くなるような時間を費やして掘り込んできたのです。精緻な模様のものは段々少なくなってきているようです。
2003年05月29日
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テヘランのアンティーク・ショップで買ったトレイ十二角形という形のユニークさとハンド・ペインティングによる薔薇の絵付けの美しさに惹かれ求めました。気に入って、日常使っています。
2003年05月26日
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ハンディー・クラフト品イラン土産と言えば手作り品、なかでもこの象嵌細工の額や宝石箱などは有名。木にキャメルボーンや真鍮を手作業で細かく埋め込んで作られた美しいお土産品。イスファハンのバザールやテヘランのハンディークラフトセンター、またはメヘラバード空港でも売られている。
2003年05月25日
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バザールで見張り番の如く鎮座していた猫。して、この猫は「三毛猫?」それとも「ペルシャ猫?」
2003年05月23日
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確かテヘランの警察署の塀にあったレリーフ王がライオンのタテガミを掴み、剣で突き刺している。「王はライオンより強い」ことを現しているらしい。
2003年05月22日
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クセルクセスの門(万国の門)を守る人頭有翼獣紀元前500年頃 ペルシア・アケメネス王朝の宮殿跡「ペルセポリス」の正門。当時ペルシアはイスラム化されておらず、ゾロアスター教が国教であった。その「ゾロアスター教の神、アフラ・マズダ神」らしい。アケメネス朝の記念碑には王の像と共に常に描かれている。
2003年05月20日
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テヘランのアンティークショップで見つけた絵画ペルシャのムガール王朝時代(1779~1925年)の民族衣装を着て踊っている。店主は当初「これは100年前のものだ」と言っていたが、私が「30年前だろう」と言うと「間違いなく60年前だ」と言い張った。「100年前だと言っていたのに何が間違いなく60年だ」と思ったが、「This is the Iran」と言うイランの友人の言葉を思い出し、言うのを我慢した。欲しかったのでね。今では最近描かれた物ではないかと思っているが、粘ってまけて貰ったのでヨシとしている。イラン商人から安く物を買うのは難しいのだ。(イランで値切るを参照されたし。)
2003年05月18日
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今も多くのイラン人に愛されてやまない詩人サアディー廟(1292年没)イランの代表的な詩人としては、あの「王書」で有名なフェルドウスィーをはじめハイヤーム、サアディー、ハーフィズなどがあげられる。サアディーは、叙事詩「果樹園」、散文詩「薔薇園」を残している。その廟には次のような碑文が刻まれているという。 シラーズの子サアディーの墓からは愛の香りが溢れる その死から千年の後までも
2003年05月17日
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イラン・シラーズのハーフェーズ廟およそ700年前の叙情詩人に会うために、今もイラン各地から人々が訪れる。 ”私の墓のそばに座れ、葡萄酒と音楽をたずさえて” 喜びの春 雨が降り、草花が萌えいずる 雨は草花のワイン 生命を与えるワイン さあ よく見ておけ 美しく咲き誇る草花を おまえの墓の上にどんなに美しく咲こうが お前は知るすべもないのだから
2003年05月13日
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そこそこの町には必ずバザールがある。写真はシラーズのバザール。どこのバザールも何百年も前に建てられた古い建物が未だに使われている。テヘランのバザールは最大で、2キロメートル四方の中に縦横無尽に路地が入り組んでおり、相当慣れていても道に迷ってしまう。その広大なバザールの中には、無数の小さな商店がひしめき合っており、何時も活気付いている。麻薬と拳銃と女以外ならおよそ売っていない物はないと言われるほど何でも売っている。バザール内のレストランは安くて美味だ。材料が新鮮だからだそうな。日本でも、中央市場の中の食堂が美味いのと同じことなんですね。
2003年05月12日
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王の広場のアリカプ宮殿のテラスよりシャーモスクを望む。左の2本の塔(ミナレット)の所がモスクの入り口で右のミナレットの所がドームへの入り口。その間は中庭になっている。写真でも解る様に、広場に対してモスクの入り口、中庭、ドームが真直ぐに作られているのではなく、右に50~60度位ふっている。メッカの方角と関係があるのかも。モスクは兎に角巨大だ。イスラムの権威が圧倒的な迫力で迫ってくる。
2003年05月11日
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カシャンの絨毯と少女7歳ともなればチャドールを身にまとい母親の見よう見まねで絨毯を織り始める。
2003年05月10日
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コーサーホテルよりザヤンデー・ルード川とその川に架かるシオセポールを望むシオセポールはサファビー王朝時代(1600年頃)に建立された屋根付の橋ですアーチが33個あることからシオセポール(33アーチ橋)という冬のイランは零下も珍しくなく、よく雪が降る。 シャーモスク(王のモスク)の正面入口。革命後はイマームモスクと呼ばれている
2003年05月06日
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カシャンの家並み。土の壁。 フィンガーデン
2003年05月05日
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誕生日のホームパーティーこれも間違いなくイランです。
2003年05月04日
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イランの代表的な食事、チェロキャバーブチェロはご飯。キャバーブは焼肉のこと。勿論マトンです。右手にスプーン、左手にフォークをもって食します。口に運ぶのはスプーンのみです。こいつは美味い。
2003年05月03日
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テヘランからクムに向かう高速道路にて地平線の彼方まで見渡す限りの土漠 クムの町とチャドールの女性 羊を放牧していたので写真を撮っていたら、このお兄さんが子羊を抱えてやって来て、写真を撮れとポーズ。写真を撮り終えると、「俺は時々この辺りにいるから写真が出来たら送ってくれ」と粋なことをぬかしやがった。(場所は忘れた)
2003年04月29日
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カシャンのおじさん、おばさんにお礼を言ってイスファハンへと向かいます。只今高速道路の整備中です。あのノロノロとした峠越えがなくなり、嬉しくもあり、寂しくもありと言った所です。わたしは、カシャンとイスファハンのちょうど中間にある、ナタンズという町が大好きです。ここは特に夏がいい。クムやカシャンが40度を超えていても、ここナタンズは30度前後。空気は乾燥し、緑が多く、そよ風になびき・・・。何もないところですが、果物屋があります。ここで、メロンを買います。この果物屋のすぐ横には、雪解けの綺麗で冷たい水が流れる小川があるのです。この小川でメロンを冷やすのです。冷えるまでは靴と靴下を脱いで足をつけ、手と顔を洗います。もう、サイコー!! 気持ちよすぎです!!!しばし休憩。メロンが冷えたら、となりのレストランに移動です。チャイを頼み、ナイフとお皿を借りるのです。冷えたジューシーなメロンがハラワタに染み渡ります。そよ風に乗って小鳥のさえずりと小川のせせらぎが聞こえてくるだけです。あぁ!至福のひと時!!!
2003年04月12日
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友人のおじさんの家に行きました。途中で買い込んだ例の甘い甘いお菓子とオレンジをお土産にね。今晩はここに泊めてもらいます。おじさんおばさんは、大歓迎してくれました。客人があると賑やかで楽しいからなんですね。おじさんおばさんと言っても、私の友人と年はあまり変わらないみたいです。おばさんはというと、私の友人より若そうです。今でこそ子供は3人前後ですが、昔は日本と同様子沢山だったのですね。そういえば、私にもね、どういう訳か年下のおじさんがいるのです。関係ありませんでしたよね。ところで、夕食の後、友人とおじさん、それにおじさんの息子達、20代の青年と10代の学生4人でトランプを始めました。同じ種類のカードを親から順番に出していき、なければパス、一番大きな数字を出した人が親になり、次のカードの種類を決めることが出来ます。そして、手持ちのカードがなくなれば勝ちなんですね。3行の文章でルールを説明できる、極めて単純なゲームと言えるでしょう。彼等はこのゲームに9時から12時まで、何もかけることもなくうち興じるのでした。時折、ワーワー!キャーキャー!と歓声を挙げながら・・・。私はと言うと風邪でダウンし、その歓声を子守唄がわりに傍らで寝ておりました。不覚。かくかように、娯楽の乏しいイランでは、何も賭けなくてもこの様にトランプにうち興じることが出来るのですね。しかも、50代のおっさんと10代の若者が、断絶もなく、一緒に楽しい時間を共有できるのです。楽しいTV番組もなにもないということは、不幸なことではないッのだーッ!さーて、今日はTV何見ようかなぁ。う~んとッ。「グッドラック」は終わっちゃったんだよな~。
2003年04月05日
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カシャンは伝統のある古い町です。カシャーンと言う地名は「カシャンゲ」=美しいと、「カシ」=タイルからきているようで、「美しいタイルの町」と言うところでしょうか。カシャンの古い家並みは、日干し煉瓦で骨組みを作り、その上から粘土状の土を塗り固めているのです。私達が見ると、そこに家があるのやらないのやら、人が住んでいるとは思いもよらない所から、煙が上がっていたりします。見所は、フィンガーデン。その昔、誰か要人が暗殺された所だそうですが、忘れた。綺麗な水が湧き出し、水路が庭に作られその水路には、噴水が1メートルおきごとに並んでおり、水の流れる勢いで水が湧き起こるように工夫されています。ポンプのない時代の噴水です。あまりにも水が綺麗なせいなのか、ここの泉に住むマスはあまり大きくなく、やせ細っています。(ダイエットに苦労しているアナタ!嫉妬しないようにネッ!!!)
2003年03月24日
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というわけで、例の甘いゴームの名産を買い込んだ私達は、カシャンへと向かいました。彼等は、小さな田舎町に寄る度にいろんなものを買い込みます。ビスタッチオに胡瓜やオレンジと・・・。買う量は半端ではありません。どっさり買うのですね。買うと車のトランクに積み込んで持って帰るわけですが、その一部をビニール袋に取り分けて、車内に持ち込みます。当然それを食べながらのドライブです。優雅ですね。まるでピクニックなんですね。クム(ゴーム)とカシャンは、高速道路が完成したので2時間ほどで着いてしまうようになりました。いやーッ、実に快適!私達は直ちにバザールに直行しました。
2003年03月07日
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クム(ゴーム)で所用を済ませた私達は、カシャンへと行くことになりました。カシャンに向かうに当たって、お土産を買い込みました。おじさんの家に寄るのです。クムのお土産といえば当然、前にも書いたあの甘い甘いお菓子です。小麦粉をといて、ビスタッチオと大量の砂糖を入れ、(砂糖は多めに入れるのではなく、大量です。下品なくらい甘くしてください。)鉄板に油を引いて揚げるごとくに焼いていると思われます。仕上げには蜂蜜をかけているらしいのです。イランではお菓子はそう簡単に手に入らない貴重品のようです。各町にひとつづつ位有名なお菓子があるようですが、それも何処ででも手に入るというのではなく、その町へ出掛けないと買えないようなんですね。従って立派なお土産というところでしょうか。ところで、私の友人はどっさりとそれを買い込んだのでした。私が日本に帰る時にも持って帰らそうと思っているらしいのです。(私は、彼のその気持だけ頂いた方があり難いのですが、そうも言えずにいます。断れば断るほど、遠慮していると思うらしいのです。ハイ。。。)とりあえず、それを車に積んで出発です。言い忘れましたが、クムにはホテルらしいホテルはありません。木賃宿という類のものが一軒あります。当然、共同のシャワーだけです。私は昔、一度だけ泊まった事があります。それ以来、クムの友人の家に泊めて貰っています。カシャンの唯一のホテルの方がまだましです。クムのホテルは貧乏旅行用のものという代物でしょう。ということで、無料で快適な友人の家、これには逆らえません。イラン人は、他人を家に招いた時、「この家はあなたの家です。自由に使ってください。」と言って、パジャマのズボンの類のものを持ってきて、履き替えリラックスすることを勧めるのです。心温まる歓迎ですよね!!
2003年02月27日
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この間に見える土漠以外のものは、テヘラン郊外のホメイニ廟です。東側にそびえ立っています。純金で覆われたドームと、ミナレットが数本広大な廟のなかにそびえ立ち、イスラム革命の指導者としての威厳を誇示するかのようです。イラン全土から、礼拝に人々が訪れているようです。もうひとつは、ゴーム近くにある塩湖です。見渡す限り、地平線まで続く塩の砂漠は圧巻です。でも、イランにはこれよりも大きな塩湖がまだまだあるようです。ゴームに着くとテヘランとは様相を一変します。緑がない、茶色の町という印象です。女性もテヘランのおしゃれなコートを着た人は見かけられず、真っ黒なチャドール姿ばかりです。それに、坊さんがやたら目に付きます。ホメイニの出身地、イスラム・シーア派の拠点だからなんでしょうか。このゴームの川には水が一滴もなく、今は駐車場になっているのです。「へーぇ、イランってこうなんだ」と思わせてくれる光景ですね。
2003年02月20日
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イランの朝は早い。8時は当然ラッシュです。混み合った道をノロノロとクム行きの高速道路の入り口目指して走ります。1時間かかってしまいました。高速を走っているとどんどん景色がすさんで行きます。緑が全くなくなり、「荒涼」と呼ぶにふさわしい景色が続きます。 イランの大地は、ヨーロッパのプレートとアジアのプレートがぶつかり合い、海底が隆起して出来たといわれています。見渡す限りの土獏の中に、そのことを示す小高い岩山が点在しています。この岩山の地層です。斜めにうねっているのです。何度見てもすさまじい景色です。死の世界、生命をひたすら拒絶しているかに見える世界です。
2003年02月16日
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建築ラッシュの中、私の友人もマンションを建てています。そこで、石を買いに行く事になりました。マンションの外壁に貼る石を自分で買って、建築職人に貼ってもらうのですね。この石、一平方メートルいくらで買うそうです。石工場は田舎町にあります。ということで、カシャン郊外の小さな町まで買い物の小旅行に出掛けることになりました。朝の8時車で出発です。テヘランからゴム、カシャン、ナタンズを経てイスファハンまで、3泊4日で往復する予定です。
2003年02月14日
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