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ほとんど更新ができなくなりましたが皆さん元気ですか?そのことは来年・・少しずつ書いて行こうとおもいますが今年はほんとにいろんな出来事があり人生の中で最も辛い 一年間でした・・でも こうやって今年も乗越えれたこと・・少し成長できたと思ってます。皆さんもどうか体には気をつけてください。今年も一年本当にお世話になりました。よいお年を
2006年12月31日
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ほんま 段々と寒くなってきましたね・・夏男としましては もはや冬眠体制に入ろうと思ってます・・昨日は 姪(弟の子供)の6回目の誕生日で パーティーに呼ばれたので行ってきました。あれからまだ6年か~っていうのが正直なとこで近所に住んでるので頻繁に遊びに来るのでやはり情という部分では たった6年・・って感じです・・ところで先日、友達からなかなかおもろいサイトを教えてもらったので早速やってみました・・かなり高評価のような気もしますが・・(笑)よければ皆さんも遊び感覚でやってみてください・・「あなたのお値段鑑定します」ちなみに自分の鑑定は こんなんでましたぁ↓↓↓「きよすけさんのお値段は 」では・・皆さん、お元気で!
2006年11月10日
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またまた 久しぶりの更新になりました・・皆さん 元気ですか?きょうは 家のボウズの12回目の誕生日です詳しくは 以前の日記・・「出産・・前編 」を読んでみてください12年前のあの日のことを 鮮明に想い出します・・今夜は ささやかなパーティーをしてあげようと思ってます親バカな話ですが・・まずは きょうまで元気に無事に大きく育ってくれてありがとう!時間がなくて日記にかけなかったですが先日、10月19日は娘の10回目の誕生日でした・・娘の誕生日は ここの常連さんの renさんと同じ日で偶然にビックリしてます・・いずれにしても 年月が経つのって早いと思います・・親父を亡くしてから 代を受け継ぎ 無我夢中で今日まで頑張ってきて5年が経ちました・・ほんま早いな~~って思います・・今、過去にない大きな壁に ブチあたってますが乗越えなきゃいけない壁なので 必死な毎日です・・でも必ず勝って 男として成長して親父に報告しょうと思ってます。話は変わりますが 今、ドラマで「Drコトー診療所2006」やってますよね・・皆さんは観てはりますか?「北の国から」ファンの俺としては これも見逃せないドラマです(笑 物語といえども、もしあんなドクターが居たら今の医療機関も もっともっと違うんやろな~って思いながら観てます・・それより なんかよくわかりませんが癒されるんです・・あのドラマ・・心が温かくなれるような気がして・・ とりとめない日記になりましたが皆さん、ますます寒くなってきたので 体調を崩さんように気をつけてください・・ではでは・・
2006年11月01日
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最近、ほんま寒くなってきましたね・・皆さんは元気ですか?先日、朝・・弟の現場(道路工事)を見に行った時のこと・・純白のベンツが通行止にもかかわらず突っ込んできて・・何やら怒鳴ってきて、「うわぁ~最悪~~」と思って仕方なしにそこへ行ったら、どっからみても「そんな感じ風」で・・・案の定、ビンゴで「コラっ!ワレ~~誰に断って道潰しとんじゃ~~!」って・・(汗)「もう、終わったなっ!」・・と思い・・「すんませ~ん、えらい迷惑かけてます」・・そしたらその男、車から降りるなり・・「あっ・・こんちはっす!」・・・???誰??昔の後輩やった・・・(笑)その後、逆ギレしたんは、言うまでもない・・(笑)ベンツをバックさせる快感!!!(笑)一度お試しあれ・・・と、まぁ~こんな感じの毎日を送っております・・あまり更新ができませんが これからもよろしくです!
2006年10月10日
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この前、朝一で現場打ち合わせがあって終了時の出来事・・・なんやら背後から俺を呼ぶ声がして振り返ると、なんとそこに・・綺麗なお姉ちゃんが手を振ってるではないか!誰や?!!こんな綺麗なお姉ちゃん知り合いにおったか???少し聞こえないふりしたら、再度俺の名前を呼ぶ声・・これは間違いないと思い、近くに行って「どなたさん?」って聞いたら・・なんと!!!高校の時の同級生で・・・ニュ-ハ-フになってやがった!(爆)(超驚)うっそ~~~~~!「なんやお前・・それどうしたんや!」って言ったらきしょく悪い声で、「今名古屋のお店で働いてるのぉ~~」おぇ~~!(吐)もう、最悪っす!(笑)あまり親しい友達ではなかったが、まさか俺の連れにニュ-ハ-フがおったとは~~(悲)(汗)それにしても、結構きれいやった!(笑)今夜は悪夢をみそうな予感のきょうこの頃・・・。
2006年09月20日
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とうとう夏も終わってしまいましたね・・夏が大好きな俺にとっては コオロギや鈴虫が鳴く秋の夜は 何故かめちゃ寂しさを感じるので嫌いです・・はぁぁ・・・ってなことで夏も終わり涼しくなってきましたが皆さん、そろそろ夏の疲れが今頃でてきてる頃ではないでしょうか?友達から教えてもらった小ネタ集送ります。 疲れた体にどーぞ追い打ちをかけて下さい!(笑)●家族揃って夕食をとっているとき、何かの拍子に怒った父が、 「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ」と言おうとして 「誰のためにメシ食ってんだ!」と怒鳴った。 私と姉は「自分のためだよ」と答えた。 ●夫婦ゲンカのとき、父が母に「バカモノ!」と言うのを、間違って、 「バケモノ!」と怒鳴ってしまった。ケンカはさらにひどくなった。 ●うちの母は、頭が痛くなると氷でおでこを冷やします。 先日も夜中にかなり痛みがひどくなり、暗闇の中をフラフラし ながら台所へ。 冷凍庫から、あらかじめビニール袋に入れてある氷を取り出して おでこにのせて眠りました・・・。 翌朝、目が覚めてみると 、 母の枕元には解凍されたイカが転がっていました。 ●甘味屋さんで、母は田舎汁粉を、私は御膳汁粉を頼みました。 店員さんが、田舎はどちらですか?」と聞いたら、母はとっさに 「はい、新潟です」と答えてしまいました。 ●先日、父は、男にフラれて落ち込んでいた姉をなぐさめようとして、 「おまえ、人間は顔じゃないぞ」と言うところを、 「おまえの顔は人間じゃないぞ」と言ってしまった。 ●妹が夕食にスパゲティを作ってくれることになりました。妹は 「今日はカルボナーラを作るね」と母に言っていました。 夕方、私が外から帰ると母が、「もうすぐボラギノールができるってよ」 と言いました。ソレって痔の薬じゃ‥‥‥? ●弟は、誰に似たのかとても勉強ができる。 それで、高校1年生のとき、アメリカに留学することになった。 そのとき、母は親戚や近所の人に、「うちの息子をアメリカに ホームレスにやるんですよ」と言って自慢して歩いていた。 ホームステイとホームレスを間違えていたのである。 ●うちの父は、沖縄に向かう飛行機の中でエラソーに、 「沖縄は島全体が『さんしょううお』なんだぞ!」と言った。 それを言うなら、サンゴ礁だろ!! ●夕食後、テーブルの横でうたた寝をしていた父がうなされていたので、 私は母と、「悪い夢でも見ているのかな?」と話していると、突然、 「ライダー、助けてっ!」と父が叫んだ。ちなみに父は56歳です。 ●うちの母がテレビを見ていると、美人のアナウンサーが出てきた。 母は、「こんな人が嫁に来てくれるといいわ」と言って ニコニコしていたが、ウチの家族で男はお父さんしかいない。 母は、いったい誰の嫁がほしいのだろうか・・・・・。 ●お風呂に入っていた父が、突然、大声でわめきだしました。 「大変、大変! どっかから鼻血が出てる!」 いったい、父のどこから「鼻血」が出たのでしょうか・・・・? ●私の友達は仮免中に教官に 「はい、この先の赤信号の交差点を右折して」といわれ、 何の疑いも無く、信号が赤信号のままの交差点を右折した。 ■酔っ払って帰宅した夫は、そのまま居間に?甓てしまった。 重くてとても寝床まで運べない。「這(は)って行ってよ」と 何度も声をかけたが、そのたびに夫は「ハッ! ハッ!ハッ!」と答えた。 ■ 阪急電車の中、3歳位の男の子がおしっこをしたがっている様子。 子供「ママおしっこ」 ママ「どうしてもっと早く言わへんのっ!」 すると子供は何を考えたのか、 早口で「ママッおしっこ」。 ■大幅に遅れたバスにおじさんが乗り込みながら、 「バスってえのは遅れた時は待たにゃならんが、 客が遅れた時は1分だって待ってくれずに、ハイ、サヨナラだからな」 と言った時、あとに続く乗客全員がうなずいた。 ■某工場内の「おれがやらなきゃだれがやる」という看板が、 「だれが」の 「が」の点が削られ、 「おれがやらなきゃだれかやる」になっていた。この会社の将来は…。 ■友人は入社試験の面接で、あまりに緊張してしまい、 「家業は何ですか」との質問に「かきくけこ!」と答えてしまい 、 家に帰るまで、何で「カ行」を尋ねられたか分からなかったそうだ。 ■一人息子がちゃんと留守番できているかどうか、 公衆電話から他人のふりをして家に電話してみた。 「もしもし、お母さんいる?」息子「いらない」。 ■電話で書店に本を注文した時のこと。住所と氏名を聞かれたので、 名前の「和英」を和は「ヘイワのワ」、英を「エイゴのエイ」 と答えた。 後日送られて来た本の宛先には「和A様」となっていた。 ■「水戸黄門外伝・かげろう忍法帖」の最終回で、事件がすべて解決し 故郷へ戻ることになった由美かおるたちは、喜びのあまり 「ヤッホー」を連発していた。 でもそれってもしかしてドイツ語じゃ…。 (ちなみにあの「水戸黄門」には、格さんが「おいハチ、ファイ ト!」 と言ってしまった前科があるらしい。) ■ 国語のテスト前に問題を出し合っていた中学生の長男と次男。 長男の「擬音語にはどんなものがあるか」との問いに、 次男は「そうどすえ」と答えていた。 ■新鮮なお魚を「死にたてピチピチ」と言う私を、母はとても嫌がる。 だって本当のことじゃないの。 ■理髪店で中学生が「少し長めにして下さい」と頼むと、 ご主人が「耳はどうしますか」と聞き返した。 中学生は少し考えていわく「切らないで下さい」B ■おはようからおやすみまで暮らしを見つめる 〓 ストーカ―。 ■父が入院することになって、病院に予約を入れて自宅で待機していたら、 思わぬ早さで連絡が来て、「明日から入院して下さい」。 突然のことで、心の準備が出来ていなかった父は、思わず「今 、ちょっと 体の具合が悪いので、少し延ばしてもらえませんか」と言ってしまった。 病院も何の疑問を持たず父の要望を受け入れた。 ■「JUNKO」というデザイナーのネーム入りトイレマットを敷いた日、 夫は「J」の文字を踏んでいたらしく、トイレをでるなり、 「あのマットはなんだ」とのたもうた。 ■結婚した教え子から年賀状が来た。 「性が変わりました」と書いてあった。ごくろうさまでしたぁ~~~(笑)
2006年09月07日
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少しづつ 涼しくなってきましたね!皆さん、お元気ですか?きょうは、少し時間があったので 更新してみましたかと言って ネタがないので「バトン」をやってみたいと思います別口で廻ってきたラブバトンです。ラブバトンはやった事がないのでやってみます!:*:LoveBaton:*:1.あなたの理想の恋人像を教えて下さい!・温かい人・一緒に居て心地いい人2.あなたの恋人選びの見た目と性格の割合は?見た目のいい人に越したことはないけどやっぱ性格重視です3.今日は初めてのデート。あなたの考えるデートプランを教えて下さい。初めてのデート場所は きっと二人にとって想い出の場所となるのでチャラチャラしたところは行きたくないですね・・4.今日は初めてカラオケに。あなたは何を歌う?最近の曲は知らないので鳥羽一郎の「兄弟船」(笑)5.夜、閉店間際の遊園地。好きな人と2人で観覧車に乗ってドキドキクライマックス!あなたはどうする?うぅ~~難しいっすね・・雰囲気を見て 迫るかも?(笑)7.あなたは相手をかなり気に入りました。自分から告白する?それとも相手からの告白を待つ?自分から告白します。8.ずばり!今好きな人はいる?あはは・・・居ます!9.このLove Batonを回す人!ここの常連さん・・すべての方・・できるだけお願いします。バトンがまだあるので 次回もやってみっか?!
2006年08月30日
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残暑お見舞い申し上げます社会人であればある種、大抵の人が楽しみにしてる大型連休のひとつである「お盆休み」 皆さんは楽しく過ごせましたか?家は、11~15日までの連休でした。11日・・家族でまたまた京都へ行ってきました。目的は、別にあったのですが 子供達を楽しませてあげたかったので・・レジャーを兼ねて行ってきました。京都の、東山七条にある 「ホテル・東山閣」に泊まりました。外見は古いのですが 館内は まぁまぁで なんと言っても魅力なのが一泊二食付で なんと 大人¥8400-ナリ!これ・・めちゃ安いとおもいませんか? 徒歩で行けるほどの近さに 「三十三間堂」などがありここは かなりオススメです!夜は修学旅行の定番?の 「新京極」で 土産を買ったりして楽しみました。翌朝、目的の友人宅へ訪問し歓談をした後、「太秦映画村」へ・・ここも約10年ぶりでした。10年前とはかなり変わってて、一日遊べる施設になっており初めての映画村に子供達も大喜びでした。 京都は一泊二日だったので あっという間に時間が経ち帰宅の途につきました。翌日は、一日ゆっくりして 14日に今度は「ナガシマスパーランド」に行ってきました。関西方面の人は よく知ってるスポットやと思いますが関東方面の人は知ってはりますか?朝8時前に園に到着・・早くも チケット購入の客で 長蛇の列・・・ようやくチケットを買い、いざ・・ジャンポ海水プールへ!!居るは居るは・・水着ギャル!!(笑)お父さん・・目の保養・・滞りなくして参りました!昼すぎまで プールで遊び その後 遊園地へ移動して有り余る子供の体力に お父さん・・ヘロヘロでした・・日没を待って 皆で観覧車へ・・・夜景は絶景です!園の代表的な乗り物で 「ホワイト・サイクロン」っていうのがあるんですが スポットライトを浴びて・・それは綺麗でした! そして夜8時・・・ナガシマスパーランド・・夏の風物詩の「大花火競演」!30分という短い時間ですが 迫力満点の打ち上げ花火・・ほんまに綺麗でした!!そんなこんなで お父さん・・お疲れの一日でした・・そして翌日・・まだまだ有り余る体力に振り回されいざ、ゲーセンへ・・お父さん・・体力もなくなり・・休みもなくなり・・もっと可愛そうなのが 財布の中は隙間風・・・(泣)ってな感じの休みでした・・
2006年08月17日
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きょうは 3×回目の誕生日です・・でも ここんとこいろんな事があって今までの誕生日の中で もっとも最低な誕生日となりました・・でも この一年 努力で勝って最高の一年にしたいと思ってます。何言ってるかわかりませんよね・・(笑)ひとり言なので聞き流してください・・昨日は 気晴らしに 久々に京都へドライブに行ってきました。やっぱ夏の京都は暑かったです・・でも やっぱ京都はいいところやし 何度行っても心が癒されました・・まず初めに 二条城!ここも 大好きな場所のひとつです二条城 続いて、京都の街が一望できる将軍塚!180度のプノラマで 右は 大文字山から左は 五重の塔まで絶景です将軍塚 続いて金閣寺!ここは定番ですね(笑)金閣寺 続いて 桃山城!今は 整備工事のため 入館ができず残念でしたが外から撮ってきました。伏見桃山城 続いて 本能寺!憧れの武将・・織田信長の最後の地本能寺続いて 嵐山の渡月橋・・ここも定番ですね(笑)嵐山 渡月橋 そして 五木ひろしの店・・五木茶屋・・あまりに暑く・・ここで休憩のため入りカキ氷をたべました・・700円なり・・たかっ!五木茶屋 こんなドライブでした・・また なにかあったら更新します・・皆さんも 暑いので 体にはくれぐれも気をつけてください!
2006年07月31日
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またまた 更新が遅くなりました・・特別に忙しかった訳ではないのですが 咲のことを書き出してから もう削除をしましたが数名のゲストさんによるメールや書き込みで かなりの中傷等をいただき 凹むというより書く気がなくなる・・って感じの気持ちになったからです・・中傷の内容は書けませんが 不倫をXとする意見でした。第三者の人からしてみたらこういうとらえ方をされても仕方のないことやとも思ってます。だからこそ、認めてほしいとか 売名行為的な発想ではなくして誤解のないように 咲との事は 素直にありのまま・・二人の出逢いから二人が経験したことを 記憶のかぎり詳細に書いて行こうって思ってました。それを まだ話してる途中での 中傷はしてほしくなかったし残念だし不愉快だし 腹が立ちます!中傷するぐらい ムカつくのなら ここへ来なければいいと思う!それより 意見を言うなら 名無しではなく堂々と 名を名乗ってから意見を言ってください!その上で 話を土俵の上に乗せて 意見交換なり意見を 真摯に聞きます。俺は誰がなんて言おうと 咲のことを不倫と思ってません。人にはそれぞれの価値観があり 人を自分のものさしで計ってはいけないと思う・・もちろん常識の中での範囲の話だけど、自分達の事で 他人に直接的な迷惑や被害等をあたえてしまうことのないかぎりそれは中傷されるに値しないことだと思ってます。俺も咲も 二人が逢う時、一度だって 家庭や仕事を犠牲にしたり疎かにして逢ったことはありません・・今の日記の話は 約5年前の話で、前回の日記にも若干書きましたが旦那のことで咲は それはそれはたくさんの辛い思いや悔しい思いをしました・・前回までのは ほんの一部です。そして 咲は今から3年前に決断して離婚をしました。正式に離婚するまで 俺と咲は 一切男女関係の一線を超えることはしてません。これらのことを書いて行こうと思ってましたが心無い人の中傷や 酒の肴に 俺達のことをしてほしくないので今日で、二人のことを書くのはやめることにしました。ここの常連さんの 温かいコメントには 本当に感謝してます。ありがとうございました。kiyosuke
2006年07月20日
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車を止めて 今回の成り行きを聞いてみた。咲は 家族4人で同室で寝るみたいで その日、咲が寝ようとして自分の布団に入ったら いきなり旦那が求めてきたので拒否をしたら無理やりレイプしようとして逃げたら殴ってきて騒動に子供達も起きて・・・って感じやったそうだ。。旦那は狂ったように子供達の前で 咲の髪の毛を掴み「このクソババァが 言うことを聞かんからや!」といい殴ったそうだ・・子供達も驚きと恐怖で泣き叫んでいたところに咲が俺に電話をしてきた・・ということだった。前回の日記に 言葉足らずで書かなかったがこれまでも 今回とよく似た出来事があり 子供の前で・・というのは今回が初めてだが 過去にもあるので 咲には「今度もし何かあったら俺にすぐ連絡してくるように・・子供達にも ○○ちゃん(咲の友達)が迎えに来てもらって お母さんの実家で待ち合わせしよう だから、お母さんが出て行っても安心しててね・・」と承知させていたので今回のことで 咲が出て行く時 子供達と咲と 目配せの会話で通じたそうだ。話を戻すが 打合せ通り 咲の家に友達が子供を迎えに行き旦那には偶然を装って連れ出したので一人になった旦那は 咲の携帯に 何度も何度も電話をしてきて終いにはメールで「ごめん・・愛してる・・帰ってきてください・・」「もうあんなこと絶対しないから・・お前の好きなもの買ってあげるから・・」と入ってきた・・咲はまったく無感情に「また始まった・・・」とボヤいた・・こんな感じのことがあった直後や次の日は 決まってオベンチャラをしてくるらしい・・これが何度目かわからないぐらい同じ事の繰り返しらしい・・その晩は 咲を実家へ送り届けた。その後、ますますエスカレートをすることになるのだがそれは次回から ボチボチ書いて行こうと思う・・つづく
2006年07月11日
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ここんとこ 仕事が天気に左右されて現場が思ったように進まず参ってます・・いきなり愚痴らせてもらいました。。さて、続きです・・電話のむこうで 咲の悲鳴が聞こえてきた。。ただならぬことを察して 「どうした?!」と問いかけるも返事がない・・そのうち、子供の泣き叫ぶ声まで聞こえてきた・・どうやら、旦那が暴れだして 咲がどうすることもできず気転を利かし、まず俺に電話をして 旦那にバレないように受話器を置いて、事の一部始終のことを知らせようとしたようだ・・電話から聞こえてくる声は 咲の・・「やめてーー!」という声と子供の泣きながら 「お父さん・・さいてー お母さんに なんてことするのー!」という声であった・・俺は 咲の家に向かい 前に着いてクラクションを一回鳴らした・・咲は俺の車のクラクションの音を知っていたため気付いたらしく 家を飛び出してきた・・その咲の 身なりは 服をビリビリに破かれ髪の毛はフリ乱れた状態で 裸足で靴も履かずに飛び出してきて俺の車に乗り込んだ・・まずは車を出し 少し離れたところへ車を止め事の成り行きを聞いてあげた・・つづく
2006年07月07日
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またまた更新が遅くなりました・・では早速、続きです。俺と咲は 当初、週に2回のペースで逢っていたのだが咲の家庭がそんな状態であったので咲は 子供達のことを ちゃんとした後、メールで「今夜逢えない?」を頻繁に言うようになった・・俺も逢いたいので 4回ぐらいのペースになり逢って行くうちに 咲への俺の想いが日増しに強くなっていくのがよくわかった。。メールでは 「私の彼になってほしい・・」と言ってくれたもののまだ正式に面と向かった状態で そういう会話をしてなかったので日増しに強くなる想いを 咲に伝えられないままでいた・・そんなある11月の中旬・・たまたま用事で出かけてて夜11時前のことであった・・いつもは一度メールで 「今、電話いい?」って聞いてくる咲が直接、携帯に電話をかけてきた・・おかしい・・と思いながらでてみると・・咲の悲鳴が 電話から聞こえてきた・・・つづく
2006年07月03日
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しばらく更新をサボッてました・・すいません。。では早速続きです。きょうから しばらく 咲の旦那・・最低人間のことを書いていこうと思うが この5年間の間だけでも たくさんの出来事がありそれらを全部書くのは難しいと思うので 印象深かった出来事のみを書いていこうと思う咲の旦那は 自営業で結婚当初は 金回りもよく遊びもハンパやなかったそうです・・たとえば、外での飲みは 日常茶飯事で予告なしでクルーザーを買ってきて 咲には事後報告であったり書けばキリがないので 一言で・・浪費がすごく贅沢三昧ということである・・と言っても 咲にも贅沢をさせてあげるかと言えばそうでなく質素な生活をさせて自分だけなのである・・ここからは 旦那の数々の 咲への失礼極まりない言動を書いて行こうと思う。冒頭にも書いたが 旦那は会社の社長で 結婚当初毎月、150万の給料をとっていたそうだ。そして生活費として 咲に20万を渡し 後は自分の小遣いなのである・・少し話が前後するがこの給料面のことを若干書くと結婚当初は20万・・咲は結婚して子供が二人出来、これでは足らないからと言ってようやく25万にしてもらったそうだ・・この25万の内訳は 家のローン・生活費(食費・光熱費・雑費等)・生命保険等でギリギリのラインで子供の行事や冠婚葬祭があったり 咲が美容院に行きたい時でも余裕がなく足らないから なんとかしてというと セックスをさせてくれたら小遣いをやる・・という最低な奴である・・咲もそれには応じず当初、嫁入りの持参金を少しずつ切り崩して行ったそうだ・・しかしそれは長くは続かず・・・・・。このほかにも、セックスにまつわる話は たとえば、毎日のように外に飲みに行きベロベロになって帰ってきては いきなりレイプもどきのようなことをしたり咲が拒むと 金をやらんぞ・・みたいなかんじであったそうだ・・その金も生活費のことで 咲の遊びの金を言ってるのではない・・咲も何度も何度も離婚を考えたそうだが 子供のことを考えると一歩踏み切ることができなかったそうだ・・また酔って帰ってきては 寝てる子供をわざわざ起こし「小遣いや・・とっておけ!」って感じで 若干まだ小さい子供に金銭感覚をなくさすようなことを平気でしたり・・これには さすがに咲も旦那に激怒して 酔いのさめた翌朝・・二度とあんなことしないで!と言うものの 本人は酔ってて昨夜の事はなんも憶えてない・・の一点張りであったそうだ・・この話にも付け加えて言うと 翌朝、起きるのならまだマシで会社の社長のクセに 翌朝は二日酔いで起きれず 会社へは昼出勤というのも しょっちゅうだったそうだ・・酔いがさめると 一度に気の弱い男になり 酔うと鬼のような醜態・・最低最悪な男である・・また、旦那は ルーズ極まりない性格でいろんな約束事を破ることは 平気で・・この後の日記に それをいろいろ書くつもりだが 当初で言えばたとえば朝、咲が「今夜は7時から町内会の寄り合いがあるから早く帰ってきて子供達を見ててほしい」と言い旦那も承諾したのはいいが待てど暮らせど帰って来ず 深夜に なんの連絡もなしに帰宅・・それまでに咲も携帯に何度も何度も連絡しても出ずに帰宅後、「あんなに言っておいたのになんで、帰れなくなった・・の連絡すらできないの?」って言っても本人は 酔いチキチキで会話にならない・・翌朝は しおらしく・・「ごめん・・」の一言。。連絡できなかった理由を言って!と言っても「ごめん・・」のみ。。こんなんが、しょっちゅうやったそうだ・・当時、聞いてて 同姓として許せなかった・・まだまだ書くことはたくさんあるのですが つづきは次回・・
2006年06月24日
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さっ、日記の続きです。。2001.10のある日 子供の運動会で ソウル・メイトを実感させてくれた咲。。くわしくは ソウル・メイト・・完結編 その後、初めて二人で逢うことになり・・PIECE OF MY WISH その時の日記には書かなかったが、咲は 自分の家族の話になると顔を曇らせた。。。当時、気になったが 触れられたくないことなのかも・・と思い俺は、あえて 突っ込んだ話を避けたその後も 自叙伝には書かなかったが 週一のペースランチをしたりして咲と逢っていた。咲は当時、ママさんバレーをしていて 週に二回、近所の学校の体育館で夜の7時半から9時過ぎまで練習をしていたためその練習が終わってから 俺も仕事帰りに 適当な場所で待ち合わせをして逢うようになった。。逢う回数を重ねる事に 咲は旦那の不満を少しずつ溢すようになった・・その愚痴の内容とは・・愚痴の範囲を超えた内容のものが多く聞いてる俺自身も 最初は同姓としての見解を言ってある意味 旦那さんを保護するような意見だったが段々と 旦那に対して 怒りの気持ちに変わっていった・・次回から しばらく その旦那の許せない言動を書いて行こうと思う・・ つづく
2006年06月17日
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きょうは 日記をちと休んで ここの常連さんのあいさんから バトンをいただいたので いっちょうやってみます!1.朝起きて始めにする事は?しっこ。。(笑)or タバコかな (この一服が 旨い!)2.これだけは欠かせない、日常的な事ひとりエッチ・・(ウソです)(笑)ん・・なんだろ・・?一応、会社へは一番に出社して 社員を迎えることかな・・これはこの立場になってからずっと続けてます3.好きな食べ物3つハンバーグ (笑)オムライス (笑)漬物 (笑)4.嫌いな食べ物3つ好き嫌いがあまりないので難しいな~~パイナップルパイナップルパイナップル (笑)とにかく大嫌いです!5.踏まれたくない地雷は?えぇ~?なんやろ。。。???これもむずかしいな~~特にないかもぉ6.最近一週間で嬉しかったことは?一週間じゃなきゃダメですか??もちっと前になりますが、この日記を辞めようと思ってた時にみんなに 嬉しい言葉をいただいたことかな・・これは ほんまです!7.最近一週間で悲しかった事は?これも一週間ではないですねぇ・・最近一は・・やっぱ、Rの辞表表明かな・・8.今使ってるシャンプー&リンスシャンプーっすか?!髪の毛洗わないしなぁ~~(ウソです)(笑)ラックスを使ってます9.お風呂で初めに洗うのは?チ○コ・・(ウソ)改めて聞かれると・・どこだろ・・?左腕からかな。。10.恋愛とは?うぅ・・これはむずかしいぞぉ!う~~~ん・・・?ときめき・・リラックス・・安心感・・かな11.恋愛は手のひらで転がすタイプ??それはないかな・・もしあるとするならば お互い??ケースバイケースで そのときによって転ばしたり転ばされたり・・でしょうか。。12.あなたの長所自分では割と 答えにくいですね~(笑)しいて言えば 情が厚い。。かも。13.あなたの短所単細胞・・(笑)14.動物にたとえると羊の皮をかぶった羊・・(笑)15.弱点は???弱点だらけかも・・(笑)16.寝る前にする事は?ひとりエッ・・(もうええっちゅうねん!)(笑)マンガを読みますね~けど、寝つきが割りといい方なのと疲れとでほぼ毎日 一ページか二ページ読んだら マンガを持ちながら落ちてます(笑)そんな調子なので だったら読まんと寝たらいいやん・・って思いますがでも とりあえず 儀式のように マンガを手にしないといけない・・みたいな(笑)18.大好きな映画3つ映画は大好きやからたくさんありますね~3つですか。。。みな、それぞれにいいからな~~最近では 「海猿」を観て ひとり感動してました(笑)19.大好きな季節夏!!!!!理由・・女の人が薄着になるから!(爆)ってマジで、夏ってなんか開放感ありません?20.次に回したい人ayoriさん Pikaねェさん neko zukiさん よろしくお願いします!!ふぅ~~ やってみるとなかなかむずかしいっすね。。でも たのしかったです(笑)
2006年06月16日
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ここんとこ仕事が忙しくて日記更新できませんでした。では、つづきです・・自分ではわかっていなかったが 当時、俺も咲のことを支えることができていた。自叙伝では咲のことは ほとんどと言っていいほど書いてないので少し書くと、実は。。咲も結婚をしており・・所謂、「人妻」ということになる。。勘のいい人は これからの絵図が 大体読めると思うのですが咲も旦那には愛情がまったくなかった。俺と咲が知り合う前の 旦那の素行を次回 若干書いて 知り合ってからのさらにエスカレートした 卑劣な言動も 追々書いて行こうと思う。きょうは 時間があまりないので ここまでです・・つづく・・
2006年06月14日
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2001.9.12・・親父が他界してたら10日経った日のことである・・まだ、喪に服してる時に不謹慎なのはわかっていたが彼女・・「今後、咲(当時のHNでした)と呼ばせてもらいます」と携帯のメールの会話でやり場のない寂しさを 紛らわせていた・・現在は機種変をして換わったが当時の携帯は残してあるので当時のメールのやりとりが まんま残っている・・咲・・「きよすけ・・どお?・・寂しいのも辛いのも当たり前だから聞きません・・時間があるなら少しメールで お話したいな・・」俺・・「ありがとう・・話し相手になってください・・」咲・・「今のやり場のない気持ち・・話せる人・・いる?」俺・・「・・・いない。。」咲・・「私にその役目・・させてもらえないかな・・?」俺・・「いいの?」咲・・「こっちから言っておいてあつかましいけど・・2つ条件を聞いてくれたら・・」俺・・「条件・・? なに? 俺にできることなら。。」咲・・「じゃ・・言うね。。ひとつは・・きよすけの喜怒哀楽・・全部受けさせてください・・」 「怒りも哀しさも全部私に当ってくれていいから・・」 「喜びや楽しさを一緒に笑いたいな・・」 「ダメ?」俺・・「喜・楽は、ともかく・・怒・哀は・・そんなことできない・・」咲・・「なんで? 喜・楽がいいのなら 怒・哀もしてよ・・」 「私では やっぱり役不足?」俺・・「そんなん とんでもない! 逆に申し訳ないから・・」咲・・「じゃ・・2つめを聞くね・・?」俺・・「うん・・」咲・・「わたしの大切な彼になってください。。」俺・・「・・・・・・」咲・・「ダメですか?」俺・・「いや・・あまりに突然で 驚いてます・・」咲・・「迷惑かな・・?」俺・・「もったいない言葉ありがとう・・その言葉・・ずっと言えないままでいました・・」 「どうか助けてください・・支えてほしい・・」咲・・「じゃ・・ひとつめの条件も 聞いてもらえるでしょ・・」 「わたしね・・今・・こんな時にこんな話をするのは非常識ってこともわかってる・・」 「でもね・・実は・・きよすけにはずっと前から 私が支えられてるの・・」 「だから・・お返しをさせてもらえるのは今しかない・・そう思ったから・・」俺・・「ありがとう・・これからもよろしく・・」こんなメールのやりとりであったが うまく言えないが当時、咲にしかできない 労わりであった・・その後 「ソウル・メイト」を感じた話をしたら咲も ことのほか驚いていた・・これが 咲とのはじまりです。これから 自分ではわかっていなかったが 俺が咲を支えていた訳を書いて行こうと思います・・つづく・・
2006年06月09日
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おはようございます・・!ほんとに温かいコメントをいただきましてありがとうございました・・皆さんの言葉に胸がいっぱいになりました。。こんな俺なんかに もったいない言葉・・ほんとにありがとう!!ayoriさん・・「自分もほんまに辛い気持ちのときでもいつも励ましてくれてありがとう!ベビー誕生の時は何かプレゼントしなくては!」nekozukiさん ・・「楽天から別な場所へ引越しされても仲良くしてくれてありがとう!あのブログは いつも何故か ホッとする場所です・・」あいさん ・・「いつも温かい言葉・・ありがとう! 何故か一言一言が響きます・・出逢えてほんとに感謝してます!」Pikaねェさん ・・「勇気に感謝!! リンクをしていただいた日・・5月17日・・実は日記にでてるRの誕生日なんです・・何か必然を感じます・・」自叙伝最後の日記にカキコしてくださった方々へ感謝の想いを込めて・・・ kiyosuke明日から、話を遡ること・・2000.9に戻ります・・どうか宜しくお願いします。きょうは感謝の想いを込めて 半日限定で 画像を貼りたいと思います・・見たくない方は 飛ばしてください(笑)ぶさいくは法に触れるので外しました・・(笑)
2006年06月07日
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現在でも・・人間不信という4文字が消えたわけじゃない・・けど・・あの時の 温かい労わりにふれ 立ち上がる事ができたのは事実である・・先日も ある人から 最高のプレゼントをいただきました。。。それは 俺が一番ほしかったもの・・「言葉の真心」です。。。どんな高価なものよりも 今の俺にとっては 何よりも嬉しかった。。人間不信・・これが今の俺の 最大の敵なのかもしれない。。。家族をはじめ・・従業員・・その家族。。。下請け・・俺が背負ってる 肩の荷は こんなことで 負けていいほど軽くない。。。当時の自分にいい聞かせ 心を蘇えらせた・・俺の表情で 俺が帰ってきたことを 誰よりも早く察した弟とRの嬉しそうな表情は ほんまに記憶に新しい・・・たとえ短い時間でも 前に進むことなく立ち止まり・・むしろ・・後退してしまい 会社の社長としては失格でありYの事も含め・・自分の停滞中に会社に与えた損害も かなりの金額になり 自分が 今まで蓄えた貯蓄を吐き出し生活費に当て 半年間・・会社から給料をとらなかった・・そして 仕事に没頭するために 夏にある国家試験の取得を決意して勉強を開始した・・その試験も 合格率が 前年度・・30%という難易度高いものであったがやりきる決意をした。仕事と勉強の両立は 正直 キツカッタが 俺なりのケジメであった・・そして・・夏。。。合格・・という 自分にケジメをつけれる結果をだせた・・最近の出来事は 書かなかった事の方が 多いかもしれない。。。あれも書けばよかった・・これも書けばよかった・・と思った事。。。これは書かなければ よかった・・など。。。いろいろありますが。。 自叙伝なので 日記を消すと 人生・・消してしまうみたいで(笑)なんだかな・・なので このまま残しますが 昨日も言いましたが自叙伝はきょうで終わりです・・これからは 昨日の日記に書いたことを少し書き後は日常的な事を書いて行こうと思いますこれからも相手になってやってください・・・(笑)きょうまで、こんな日記に 付き合ってくれて ありがとう!開設から 388日。。。皆と いろんな話が できて ほんとに 嬉しかったです!皆と出逢えて ほんとに よかった!「ありがとう・・」の言葉の他に この想いを伝える言葉はないのかな?って思えるくらい・・ありがとう! kiyosuke
2006年06月06日
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CDと一緒に添えられていた手紙。。。そこには。。。「表現が ヘタやから・・この曲の ワンフレーズも一緒に贈るね・・」 「悲しみこらえて ほほえむよりも涙かれるまで 泣くほうがいい人は悲しみが 多いほど人には優しく できるのだから信じられぬと 嘆くよりも人を信じて 傷つくほうがいい」 by 贈る言葉 海援隊「街中が裏切りにあふれてると スネるだけのヤツもいるけど君はかなり重い恋のダメージも 腹におさめ明日を見つめてるOH MY 裸足の女神よ キズをかくさないでいいよ痛みを知るまなざしは 深く澄んでもう萎れることはないDON’T YOU CRYMY 裸足の女神よ ひとりで泣かないでもいいよ心から他人[だれか]にほほえむ 君の肩をひき寄せたいよ 」 by 裸足の女神 B’Zちなみにこのことを機に 二人の携帯の着信音は 今もB’Zの「裸足の女神」です。 何を言いたいのか。。。どんな言葉を贈りたいのか。。。俺にどうなってほしいのか。。。充分過ぎる程・・よくわかった。。。そして・・その手紙の最後には。。「一日も早く きよすけが帰ってきますように。。」と 書いてあった。。。こんな事で・・こんな小さい事で 負けたらあかん。。。目の覚める想いであった・・先日、日記を終りにしようと思うと言いましたが自叙伝は ここで終りにしようと思ってました・・でも皆さんの温かい言葉をいただいて もう少しここで居させてもらうことにしました・・これからも 宜しくお願いします・・次回からは 少し時期が遡るのですが彼女の事を書いて行こうと思います・・ただ、おかげさまでここんとこ仕事が少し忙しいので毎日の更新は難しいと思いますが どうか皆さん・・宜しくお願いします・・つづく (続きは次回)
2006年06月05日
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公私共に 声をかけてくれる人達に 感謝しながらもどこかで 疑ってしまっている自分がいた。。。ひょっとしたら こうやって言ってくれてることも嘘なんではないか。。?これは・・身近な者に・・しかも 信じていた人から 裏切られた者にしかわからない気持ちなんだと思う・・・今に思えば 申し訳ないの一言である。。。 そんな時に 彼女が こんな歌を贈ってくれた・・詩と併せて 曲を聴いた時 弱りきっていた俺の気持ちに想いが伝わり 涙がとまらなかった・・機会があれば 皆さんも 是非 聴いてみてください・・*注・・辛く凹んだ時に聴くと 泣けます・・(笑)gift生きる力を 無くした君はベットの上の 抜け殻みたい早く 起きてよ・・・目を覚ましなよ死んじゃだめだよ・・・あきらめないでよ・・・がんばれ がんばれ がんばれ 何度でも呼ぶよがんばれ がんばれ 君の命 呼び戻すよ何で 逃げるの・・・何で誰にも親にも言えず 独り苦しみ友達なのに・・・ 友達だよね・・・情けなくって 悔しくて泣いたがんばれ がんばれ がんばれ 何度でも呼ぶよがんばれ がんばれ 君の命 呼び戻すよもしも目覚めて もう一度君が「死にたい」なんて 言ったりしたら本気で 君を殴りそうだよだけど 本気で抱きしめて言うよがんばれ がんばれ がんばれ 愛を信じてよがんばれ がんばれ もっと 愛を信じようよ生きていれば 夢も変わる 出逢いも 巡りめぐるからたった一つ 一つでいい 生きる力を 探そうがんばれ がんばれ がんばれ 朝を迎えてよがんばれ がんばれ せめて朝を 迎えようよがんばれ がんばれ がんばれ 大切な命がんばれ がんばれ 君の朝を 迎えようよby 沢田知可子 この曲。。。真心の 贈り物であった・・ 労わりの想いに触れてがんばる決意ができた・・このCDと一緒に手紙も添えてくれた・・次回・・内容を 少しだけ書こうと思う。。つづく (続きは次回)
2006年06月03日
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このことがあって以来。。弱いかもしれないが・・しばらくの間・・仕事が 手につかず 何もする気になれなくなってしまった・・・必要最低限のことだけをするのが精一杯であった・・まさに抜け殻・・状態であった。。。そんな感じやったので 何をやっても 結果は裏目裏目にでた・・当然といえば当然の結果である。。仕事では ミスをして かなりの損害を受けたこともあった。。これではあかん。。。自分でわかっていても どうにもならない。。自分に苛立つ・・深夜・・仕事が終わり帰宅し 一人、風呂に入ると情けなくて泣ける・・そんな悪循環で・・終いには、汚い話やが・・食事を食べてももどす・・こんな状態となった。。。極力・・皆にはわからないようにしたのだが・・Rと弟・・には 通じなかった・・お見通しであった・・俺に 負担をかけまい・・と、クレームも 一切通さず全部 あいつ達で 処理をしてくれたり・・言葉にならないくらい・・申し訳ない気持ちで一杯であった。。そんな状態が 約一ヶ月くらい続き・・なんとかしなくては。。自分なりに 軌道修正を心がけた。。。そんな時に 彼女が大きく支えてくれた・・「がんばれ・・」 何気ない言葉やが 温かい。。。この言葉の温かさを教えてくれた曲がある・・・その曲は 当時・・抜け殻になった俺に 彼女が贈ってくれた曲である・・次回・・その曲を紹介しょうと思う・・つづく (続きは次回)
2006年06月02日
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会社設立を知った時は 正直。。呆然とした・・・あの時の気持ちを 一言で言い表すのは難しい。。いろんな思いが こみ上げて 葛藤をしたのをよく憶えている。。。市の指定店の取得。。これは前回の日記でも言ったが申請が三ヶ月前にしなくてはならない。。その三ヶ月の間にいろんな審査があるのだが。。。事務所としての機能を果たす建物は存在するのか?個人資格は保有してるのか?工具・機材等は、整備されているのか?もっといろいろあるのだが・・一番 役所に対して不信感を抱いたのは・・・その三ヶ月間は Yは紛れもなく家の従業員であるわけで新しい会社の代表を 当然、Yとして。。ダブってる期間があるのにそのへんの事をまったく調べずに書類審査を通したことである・・いわば・・架空の会社を 市の指定店として認めたことになる・・市に対して 抗議をすることは簡単であるし・・Yの会社の指定店・・取り消しもできることであったが虚しさしか残らない・・と思いやめた。。。Yが退社をして 2.3日経ったある日・・Rと弟が ダンプに乗ったYを偶然みたので 後をつけてみたらYは 自分の会社を しっかり持っていて そこに辿りついたそうだ・・ダンプの荷台には 材料・工具が たくさん載っていてよく見ると。。。。。その工具は・・全部、家の物だったそうだ。。会社名を消してあったそうだが・・工具の特徴だけは 消せない。。Yは、すぐにどこかへ出て行ったので 泥棒みたいなマネであったが倉庫を見てみると・・金額にすると相当な 材料が置いてあったそうだ。。Rが先日に言っていた Yが昼休みになるとどこかへ行く。。この言葉が 脳裏をよぎった。。。昼にどこかへ行っていたのは・・毎日、少しづつ・・家の会社から工具と材料を 自分の倉庫に運んでいたのであった・・Rと弟は 声を震わせて怒りの声を 俺にぶつけてきた。。しかし・・俺は。。「そうか・・わかった。。ありがとう・・」これだけを言って 弟達を部屋から出した。。また しばらく経ったある日・・現場打合せのために 車を走らせていた時・・Yのダンプが 止まっているのに気付き・・近づいてみると・・仕事をしていた・・その仕事をしている現場をよく見ると・・以前、家の会社が契約手前まで行って流れた物件である・・・ここで、一気に謎が解けた。。。契約は流れたのではなく Yが 個人ですべて契約を交していたのである・・俺は、従業員を 絶対的に信用しているので ゼネコン・役所以外の顧客はすべて社員に任せ・・給料とは別に 一件の物件に対してすべてに営業手当てをつけていた・・それを 丸ごと全部・・Yが横領したのである・・在籍当時も 日曜になると ダンプ・重機を 畑で使いたいから貸してほしい・・と言っては私用に使っていたのは 会社設立の資金作りを 横領した金で 埋めていたのである・・使用材料は 在籍当時から 当面をしのぐために 少しづつバレない程度に現場から自分の倉庫にストックし・・工具も同じように 少しづつ パクリ・・現場で紛失した・・と会社へは報告。。。ダンプ購入資金は 顧客横領で 直接契約で 材料は当然、家の伝票で労力のみで 稼いだ金で 購入。。その金額は・・相当な物であった。。愕然とした。。。背任罪で 訴えよう・・そうも思ったが 悲しすぎて出来なかった・・在籍当時のYの懇親的な会社への貢献の姿だけが思い出された・・ここまで 悪人になれるものなのか・・人間不信・・恩を仇で返す・・まさしく それであった。。弱いかもしれないが・・俺は事実を知り しばらくの間・・仕事が 手につかず 何もする気になれなくなってしまった・・つづく (続きは次回)
2006年05月31日
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急の退職の意味を 知ったのは 2.3日経ったある日のことであった。。。詳しくは書けないが ある筋から Yが会社を興した事を知った・・しかも 市の指定店。。家と同じ業種であった。。この、市の指定店と言うのは 最低三ヶ月前に許可申請が必要でいろいろな審査がある。。例えば・・当然、会社事務所を設立は 最低必要条件であり電話・FAX設置。。そして この業界は 機材・工具・作業車・建設機械・・等。。決して安価なものではない・・最低必要源でも 3.4百万は 必要なのである・・その設備投資は 必要不可欠なのに 資金繰りを どうやってしたのか?会社設立の情報が入った時に 真っ先に思ったことであった・・と言うのも・・Yは、1年前に 中古の家を購入したばかりでそんな設備投資をする資金などあるハズがない・・何故なら、以前・・Yは、離婚経験があり 慰謝料・養育費を払いながら女・・酒・・ギャンブルで・・カードローンに 手をつけ 深みにハマリ どうにも ならないところを当時、親父が助けて 家の会社に入社させた・・という経緯がある・・中古の家の購入も親父がかなり面倒をみていた・・したがって 金融機関のブラックリストに載ってるため家の購入資金調達も やっと探した 唯一の銀行のみの融資で なんとか実現したからである・・毎月の家のローン返済・・マイカーローン返済・・養育費・・生活費・・等。。そんな状態のYに 会社設立の資金繰りは 当然、無理であった。しかし・・現実に会社が興きている・・ 何故??一瞬にして嫌な事が脳裏をよぎった・・ というより・・それしかなかった。。。 横領であった。。思えば不審な点が 何度もあった。。詳細は思い出したくない過去なので・・書くのを考えたが・・現実にあった俺の1ページなので 書く決意をした・・次回、そのことを書こうと思う・・つづく (続きは次回)
2006年05月30日
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人間不信・・まさにこの言葉を 嫌っちゅうほど味わった 出来事を書こうと思う。。それは 1月の中頃・・Rが 俺に「社長・・Yさん(現場親方)が 最近・・と言うか、去年の11月頃から昼休みになると 頻繁に 作業車に乗って どこかに行くねんけど・・聞いても・・ヤボ用・・としか答えへんし・・休み時間内には帰ってくるし・・どないなもんやろ?」この事をRから聞いたものの その時は 深くは考えなかったし・・Rにも 「誰にでも用事はあるから 気にせんとけ・・」そう言っていた・・ところが。。1月の終わり・・社員が 一日の作業を終え会社に帰ってきていつものように 全員で ミーティングをし 終わった時。。。現場親方のYが 俺に「話があります・・」と言ってきたので自分の部屋に呼んだ。。。Yは ソファーに座らず 立ったまま・・「今日かぎり 辞めさせてください・・」そう言ってきた・・俺も一瞬・・耳を疑った・・聞きなおすと 同じ事を言った・・理由を聞くと 体力に自信がなくなった・・体力・・って ほとんど歳も変わらないのに・・と思ったが・・本人が 言うんやし 何も返せなかった・・「明日から・・それは受理できないから・・今やってる現場だけ納めるように・・」そう説得したが 聞き入れなかった・・翌日・・出社せず Yは退職していった。。。ここまでは よくあることなのかも知れないが・・2.3日後・・急の退職の意味を知る事になる・・つづく (続きは次回)
2006年05月29日
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2003.1.1・・年明け・・自分なりに目標を立て 出発した。。「目標とは・・達成するためにあるのではなく 通過するためにある・・」これは、尊敬する人から贈ってもらった言葉である。。2003.1.6・・新年初出社。。朝から 毎年恒例の得意先へ 新年の挨拶。。。仕事を戴く元請の建設会社・・同業者へ 心を込めて感謝の挨拶・・この気持ちも 100%であったが。。。しかし・・俺の心の中では 正直な気持ちは・・すべてに宣戦布告の意味もあった。。前年は 心無い 嫉みによって 屈辱的な仕打ちを受けた事は 絶対に忘れない。。。男として やられたら やり返す・・この気持ちだけは 捨てたくなかった。。何も 暴力をしようと言うのではない・・努力で 実力を掴み 必ず見返してやる!という決意を持っていた・・午前中に 元請に挨拶に行き 昼・・一度帰社し、社員と 初顔合わせ・・皆に 心を込めて 「今年も会社をよろしく頼む・・」その言葉を言い皆・・応えてくれた・・そして・・毎年恒例の 皆、揃って昼食を兼ねて 一席もうけてある場所で和やかに新年を祝った・・このあと・・人間不信になるくらいの出来事が間近に起こる事なんてこのときは 知る由もなかった・・・つづく (続きは次回)
2006年05月27日
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見事な潔さを見せたR・・その後、Rの仕事に対する うちこみ方は 同じ社会人として見習うべき所が たくさんあるくらいで 難関の国家試験も合格しすごい!の一言でした。。現在も 現場親方として 皆の模範になってます・・そのRが先日も言いましたが 辞表やなんて。。まだ悪い夢でも見てるようですが 皆さんにも励ましていただいてほんま感謝をしております・・この場を借りてお礼を言わせていただきます・・ほんとうにありがとうございました・・では続きです・・その年・・親父抜きの 初めての年を 若輩の俺がなんとか一年を無事・・乗越える事ができたこと・・言葉では表せないくらいの 嬉しさがあった・・仕事を納めた次の日・・墓前に報告に行った。。公私共々に・・日記に書かなかった事も たくさんあって それらも含め いろんなことを 経験した一年であった。。2003.1.1・・年明け・・自分なりに目標を立て 出発したのを よく憶えている・・2003年と言えば・・とうとう日記も 現在にだいぶ近づいてきました・・(笑)先日・・時間をかけて 過去の日記を読んでみました・・当然・・ここに書かなかった出来事の方が 多いわけで・・最近の恋愛経験・・書かなかったことをふくめるといろんな出来事が あったんやな~~と 自分で読んでて 懐かしく思いました。それらのこともふくめ・・現在までの大きな出来事を 書いて 自叙伝は 終わりにしょう思ってます・・そういった意味では・・ここの常連さんは 近くの友達よりも 俺の過去を知ってくれてるかも・・(笑)デス。皆さんに出会えた事・・ほんま感謝していますいい出会いをありがとう!では・・この三年間の事を書いていきますので よろしくお願いします・・つづく (続きは次回)
2006年05月24日
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部屋のチャイムが鳴り Rが出てみると 玄関に立っていたのはなんとAであった。。。Aも 俺がRの部屋にいるのがわかり 一瞬驚いた表情をしたのが印象深かった。。玄関先で Aを部屋にあげようとしないR。。暫く沈黙が続いていたが Aから話を切り出した・・「わたしの事・・嫌いになったん? わたしのどこがあかんかったか言って!あかんとこがあれば全部直すから・・・・」今にも泣きそうな表情でRに 語りかける・・俺も内心・・「おいおい・・よくそんな事・・俺の前で言えるな・・」と思ったが黙って聞いていた・・(笑)ちなみに日記をずっと読んでいただいてる人は分かってると思いますがAは 俺の元彼女です・・なんで?なんで?を連発していたが Rは黙ったまま何も答えない・・そんなやり取りをしていたので 俺は気を利かすつもりで 部屋を出て行こうとしたとき・・Rが・・「きよすけ・・出てかんでいいから・・ここにおってくれや・・」Rが引き止めた・・玄関で 三人が囲むような形となった・・再びAは 「どうして?考え直してくれへんの?お願い。。。」そしてRは・・「考え直すもなにも 最初から遊びやったんや・・本気になるなよ・・」「お互い子供やないねんから それぐらいわかるやろ・・」「まっ、ほんでも・・ややこしい言動をした俺にも原因があるから 気が済むようにしてくれや・・」「殴りたければ殴ってもかまへんで・・」と、頬を突き出した・・次の瞬間・・・「バシッ!!」かなりいい音がした・・Aは 「なんやのん?それ・・もういいっ!」と言い その場に 座り込み泣き出した・・最初から遊び。。。Rがそんな事をするハズはなかった・・俺にはRの 精一杯のケジメの付け方・・が、よくわかった・・きっとAもわかっていたと思う・・自分が最低の言葉を言うことで Aに未練を残させないようにしたのだと思う・・Rはそういう奴である・・Rは追い討ちをかけるように話を続ける・・・「なに・・そんなとこに座りこんでんねん? なんもでえへんで・・」「気持ちも 変わらへんしな・・そういうことやから もう帰ってや・・」「もうお遊びは終いにしよや・・」「俺はこういう奴やねん・・そんなんも読めへんかった お前もあかんねんで・・」めちゃめちゃ重たい空気が流れた・・・俺は Rの気持ちが分かるから 何も言えなかった・・よく見ると・・Rの目に涙が。。。Aは・・「酷いよ・・酷すぎる・・」そう言って泣きながら部屋を出て行った・・俺は・・「あれでほんまよかったんか?」その言葉を言うのが精一杯やった・・Rは 一言・・「いいハズないやん・・けど・・これしかできひんかった・・」と。。俺は精一杯・・気を利かすつもりで Rを一人にするために 理由をつけて帰った・・その晩は いろんな事を考えて寝れなかった。。。数日後・・Aから俺の携帯にメールが。。。「この前は 取り乱してごめんね・・きよすけ達の絆には 勝てないよ・・Rくん・・嘘・・ヘタやね。。。Rくん・・いつも言ってたよ・・俺は命をかけて きよすけを守りたいんや・・って。。きっと・・そうさすのも・・きよすけの魅力なんやろね・・それは私も知ってるつもりだよ・・あんたら二人・・やっぱり最強やわ。。。私も負けないようにがんばるから!Rくんに がんばってね・・って伝えてね・・」こんなメールがきた・・このメールだけは 削除せず 保存しておいた・・それからの Rは 仕事一本で すごい気迫であった・・「きよすけ・・遅れた分・・取り戻すさかい・・待っててや!」本来のRが 帰ってきた・・そんな想いであった・・つづく (続きは次回)
2006年05月23日
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首を縦にふったR・・・あの目つきは 本来のRであった・・Rが 戻って来た気がした。。。翌日。。日記に書いた「IN 北海道」の旅行では Aの事は 一言も口にしなかった・・バスの中で 携帯にメールが入ってきてたのも 知っていたが そのメールすら見ようともしていなかった。。その時は きっと俺の前やから そういう フリをしてるんやろな・・って思っていた・・しかし・・それは違った。。旅行から帰って 2.3日したある日の夜。。。俺は 仕事の段取りの打ち合わせを しょうと思い Rの部屋へ行った・・部屋に着き 打ち合わせをしていたら・・Rの携帯が鳴った。。携帯を手に取り 徐に電話にでた・・「うん・・うん・・ もう気持ちは 変わらんから・・」そんな会話の返答を言い 電話を切るR・・俺は相手が 誰なのかすぐに分かった・・・内心・・・「あのいつもの目は ほんまやったのか?」と思っていた矢先・・電話を切って 10分~15分程したら 部屋のチャイムが鳴った。。つづく (続きは次回)
2006年05月22日
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だいぶ 日にちが経ってしまいましたが 「後悔の再会」の続きを書こうと思います内容を 忘れた方が ほとんどやと思うので(笑) 前回のを見てください(笑)俺の 目の前で男泣きをする R。。。その姿を見て 俺自身も過去に・・いや。。現在も・・労わり・・と言う意味では・・嫁に対してよく似た感情をもっている事を思い出した。。Rの嫁・・Bは・・お世辞にも 人間として 温かさを感じれるタイプの子ではないのは事実である・・本当は ここに書いては いけないのだろうけど少しだけ その労わりの無さを書くと・・Rは ここへ単身で来てる訳で 家の仕事は 体が資本の土木工事。。。隔週で 神戸へ帰る Rは 帰省のない週の 日曜は あまり出歩かず体を休めるようにしている・・しかし・・普段・・なんの連絡もせず ほかっていたら 何週間でも 自分から連絡などしない 嫁のBが 町内会の草引きの時期になるとその時だけ Rに一方的にメールで・・「今度の日曜日・・草引きがあるから 帰ってきてよ・・」俺から言わせれば・・「なめとんのかっ!?」の一言である・・一緒に住んでいるのなら ともかく・・わざわざ 呼びつけて 草引きをさせ 自分は寝てる・・・(怒)Rは 「ほっておくと ほんまに草引きにでない嫁やし」 怒っても聞かない嫁・・ それでは 町内の人と 調和でとれない・・って事で 仕方なしに帰ってる始末・・Rが 単身する時・・衣類・・食器類・・諸々。。。一切 ノータッチで 全部 Rが自分で 揃えたり・・Bの母親は 既に他界しており その法事を 最近も Rに連絡せず 勝手にやってしまったり・・書けば いくらでもあるくらいの ・・マイペースである・・亭主関白の域の話をしているのではなく・・労わり・・である。。俺の考えは 間違っているのだろうか。。?そんな嫁やから・・・今のRの生活は 仕方ない・・とは認めては いけない事ではあるが頷けるのも事実であった・・ただ、本来のRは 仕事は仕事・・私用は私用・・と、きちんと 区別のできる奴なのに・・・それが 残念で仕方がなかった・・だいぶ 余談を書いてしまったが Rは きっと 長い間・・労わりという言葉を忘れさせられていたのを Aに 思い出させてもらい・・それで 自分を見失っていたんやと思う・・なんのための夫婦・・・この言葉を聞いた後・・俺は 言葉を詰まらせてしまった・・しばらく沈黙が 続き・・俺が Rに 一言だけ言ってあげた・・「R・・信じてるから・・帰ってこい・・」Rは いつもの 目つきに戻り 首を縦にふった・・この話は、会社の慰安旅行で 北海道へ行く前日のことであった。。つづく (続きは次回)
2006年05月20日
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あらためて Rと話すきっかけがなくタイミングを探していた矢先・・数日後・・Rが、朝・・遅刻をしてきた・・今や! そう思い・・朝、朝礼の後・・従業員を現場に送り出した後・・Rを事務所に残し現場に行かさなかった。。。自分の部屋に Rを呼び まず、なんで遅刻をしたかを問いただした・・Rは・・「すいませんでした・・」それだけを言うと黙っていたので「ゆうべ、何時に寝たんや?」 そう聞いてみると 何も答えない・・・しばらく沈黙が続いたが 次の言葉を俺から切り出した・・「R・・・お前には失望したわ・・ 明日から会社に出てこんでもいいから・・」すると・・Rは 「すいません!・・そんな事・・言わんとってください・・」顔色を変えて言ってきた。。「そんな事・・言わすのはお前やないか!!」 そう言うと Rは 下を向いて 泣き出した。。。自分に悔しかったんやと思う・・Rの性格を知っている俺には よくわかる・・俺は Rの目を覚まさすために 敢えてキツイ言葉を続けた・・「お前は 男としても 社会人としても カスや!!」「そんな カスに 用はない・・だから出てこんでもいい!」Rは 「カス・・か。。俺は、カスなんや。。。」「言われて当然や・・・自分でも情けないんや・・・」「あかん事は わかってる・・・よーーく わかってるんや・・」「けど・・女と一緒にいる事がこんなに暖かくて いいもんなんや・・って思えたのは初めてなんや・・こっちへ単身で来て 五ヶ月・・嫁から連絡があったんは1回だけ・・」「いままで一緒に住んでる時も ずぅっと そんな感じやった・・」「何のための夫婦なんやろ? そう思えた時に Aが現れたんや・・」もっといろいろな事を言っていたが R夫婦のことなので 詳しくは書かないがようは、嫁がマイペースで 言葉すら 労わりがないと言う事であった・・この話を聞き ある程度、知っていたものの この時、俺自身・・自分の嫁にも同じ感情を持っていた時の事を思い出していた・・つづく (続きは次回)
2006年05月19日
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仕事を終え 帰ろうとした時・・Rが声をかけてきた・・「今夜、時間ある? あれば飯でも食べながら話がしたいねんけど・・」そう言ってきたR・・・俺は すかさず断った。。。何故なら 今のRと 話をする気になれないのと 夜勤明けで 一睡もしていないのを知ってるハズやのに 自分の事しか考えられない Rに 少しムッときたからだ・・その日は そんな感じで 何もなく別れたが たしか翌日やったと思う・・夕方、会社で図面を書いていた時・・Rが「図面、書いてるんや・・? 俺も手伝うわ・・」と、隣のPCのスイッチを入れだした・・「手伝わんでいいから もう帰れ・・」俺は強い口調で言ってしまった・・うまく言えないが、R自身・・おそらく かなり引け目を感じててそれで 少しでも仕事で返したい・・そう思い言ってきてくれたんやと思うがRの気持ちは嬉しかったが・・・断った理由は、おべんちゃらを 遣ってくるRが嫌やった・・仕事も なんか中途半端で、女と逢うために 全員がでた夜間にもでれない・・完全に Aに骨抜きにされてる・・それを誰よりも一番 R自身がわかってるハズ・・その引け目を おべんちゃら・・が嫌やった。。。極端な話・・ケジメをつける! 男と男の約束をしたのに破った。。。その約束を破る程 惚れたのなら 貫き通すぐらいの信念をもってほしかった・・偏屈かもしれないが・・中途半端なRを 見るのが嫌だった・・それから数日後・・こんなままではいけないと思いRと話をすることにした・・つづく (続きは次回)
2006年05月18日
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俺も一度 食事をしに帰宅し 従業員には「現場に10時に行くから 9時半には会社に出てくるように・・」そう指示していたため 9時前に 会社に着いた・・皆で10時に現場に行き 夜間工事が始まった。。。Rの居ない現場。。。複雑な心境であった。。。そして現場も 思ったより早く終わり 会社に帰ってこれた・・皆、腹が減ってると思い 深夜、営業している 馴染みの焼肉やへ連れて行き解散して 皆を帰宅させた・・俺は 残務を しなければならないので自宅に シャワーだけ浴びに帰り すぐに出社するつもりで帰宅することにした。その帰り道・・Rの アパート前を通ると・・・・Aの車が止まっていた・・分かっていたことだが 実際に見てしまうと 怒りがこみ上げてきた・・そして会社に行き仕事をしていると 夕方に Rが会社へ来た・・公私混同をしない・・・そう決めていたのだが 俺もまだまだ人間ができていない・・ゆうべの ムカつきが ムラムラと甦る・・・・いつもなら 「ごくろうさま!」 そう声をかけるのだが その言葉がでなかった。。しばらくして仕事も片付いたので 帰る仕度をし 車に乗ろうとした時・・Rが 声をかけてきた。。。つづく (続きは次回)
2006年05月17日
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先週の土曜日に 強烈に凹むことがあってブログやめようかな・・っていうか もう書けない。。って思ってどうしたら立ち直れるか。。ってぐらい落ち込んでいました。実は、Rがいきなり辞表をだしてきました・・理由は。。Rには今、中学2年の娘がいます。その娘がこれから段々と成長していく過程を離れて見るのが辛くなってきた・・早ければ、後10年もすれば結婚・・そうなると、一緒に暮らしたくても暮らせない。。一生後悔するような気がしてきた・・こんな理由でした・・同じ親として何よりの殺し文句です。。絶体絶命・・完結 ↑でも書いてある通り 今回の辞表の理由など こっちへ来る前からわかっていた事・・だから断ったのに。。。新たな誓い ↑で言ってくれたのは何だったのか。。。怒りを通り越して何も言えなかった。。Rも「申し訳ない・・言葉がないです・・」と言うだけ・・日曜・月曜と何をする気にもなれず ずっといろんなことを考えてました・・正直・・信じたくない事実だけど でも・・同じ親として痛いほど気持ちがわかるが故に このまま申し出を受け入れる事にしました・・皮肉にも日記に Rの事を書いてる最中なのに。。。だから、このまま書けない・・って一時は思ってしまいましたがこのことも含んで 俺のすべてだから このまま書き続けよう・・って決め今日から再会させていただきます。では前回の続きです。。。最初の一言だけ言った後は 終始無言のR。。。きっと葛藤していたんやと思う・・俺も ごちゃごちゃ言うのは嫌いなので その後は 「後は自分で考えや・・」とだけ言ってRを部屋から出した・・それから 2.3日経ったある日・・現場引継ぎで 現場親方とRを連れて 現場に行った時・・Rの携帯が鳴った・・チラっと携帯を見て 電話に出ようとしないR。。。俺は ピン!っときたが黙っていた・・・一通り引き継ぎを終え 車に乗り込み事務所に帰る道中・・また携帯が・・・相手が誰なのか 分かるが故に 段々 ムカついてきた・・平日の昼間・・仕事中に 平気で電話をしてくる A。。。まったく ケジメがついていない・・・その場は 何も言わず 俺も気付かない フリをしていた・・そして たしか、その週の土曜やったと思う・・その日は 急に夜間工事になり 従業員を集め現場親方を初め、全員に夜間工事が入ったから 頼む・・と言ったところ Rが・・「今夜は ちょっと用事があるので夜間に出れません・・」そう言ってきた・・一瞬にして 皆の士気が下がるのが分かった・・・俺は皆の前で 出れない理由を聞くのはやめた。少し時間を置き 皆が一度 食事をしに帰宅してから Rを呼んだ・・「どうしても 出られへん用事なんか?」そう聞くと「うん・・ヤボ用やねん・・」とだけ 返ってきた・・その ヤボ用が 何なのか 聞くまでもなくわかった・・俺は Rに 「ほんなら 今夜は もう出んでも いいから・・」それだけ言って Rを帰した・・Rの背中を見て まるで別人を見てるような気がした・・つづく (続きは次回)
2006年05月16日
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仕事中に 私用、私情は出せないので その後は普通に振舞った・・そして 夕方になり、従業員全員を送り出し、残務を終え、仕事が終わった時 会社の俺の部屋へRを呼んだ。。。Rは、何故俺に呼ばれたか わかっていたので 自分から口を開いた・・「ほんまに すまんかった・・ダマすつもりなかってん・・」「どうしても 言いだされへんかってん・・・」それだけを言い、Rは 口を閉ざした。。。暫く沈黙が続き 次に俺が言葉をだした・・「約束を守れなかった事を とやかく言うつもりはない・・」「お前・・ここへ何しに来たん?」「嫁と 離れて暮らして 女遊びしたくて来たんちゃうやろ?!」「仕事で半人前の お前が 会社や先輩の足を引っ張るな!」「なんや?今の お前は・・」「出社は、誰よりも 遅く来るし 掘り方させれば すぐに ヘタレるし・・」「俺の電話にも でえへんと・・もし、それが仕事の電話やったらどないするつもりなんや!?」Rは 黙っていた。。。間髪入れずに 話を続けた・・・「女と逢うな・・とは、言わへん・・ケジメをつけろ!言うてるんや!」「お前・・もう Aとは、逢わへん・・そう言ったよな。。。」「その意味・・自分でも わかってるハズやろ!」Rは おそらく この時・・葛藤していたんやと思う・・・つづく (続きは次回)
2006年05月12日
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Aの車を 見た瞬間・・ピンっ!ときた・・と、同時に 情けないやら ムカつくやらで 気持ちが重くなったのをよく憶えている。。。結果は、火を見るより明らかであったし どうするか迷ったが意を帰して Rの部屋の前に行ってみた・・すると・・案の定。。Aの声が 外に聞こえてきた。。。あのRが。。。信じられない気持ちでいっぱいになった・・自分でも 嫌な性格やな・・と思ったが 部屋の前からRの携帯に電話をしてみた・・着信音が部屋の中から聞こえる・・・しかし・・でない。。。ドタキャンは仕方ないにしても 約束を破った事のないRが 破り、その理由がこれやったんか。。。Rを 買被り過ぎていたのか。。。その日は、何も言わず 悶々とした一日を過ごし 翌日、出勤。。。朝、顔を合わすなり Rは ちと後ろめたい顔で「昨日は すまんかった。。。どうしても 外せない用事が出来たんや。。」そう 言い訳をするRに、 俺は 「あとで、話があるから まっとけや!」一瞬にして Rの表情が 強張った。。。つづく (続きは次回)
2006年05月11日
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負けず嫌いの性格が R の体を酷使していた・・ある晩、栄養剤を持って行ってあげよう・・と Rの家に行った。すると 家のチャイムを 鳴らそうとした時 家の中から 女の喘ぎ声が。。。ん?? 「えっちビデオでも見てるんやろか?」そう思い 玄関の ノブに栄養剤を 置いて その晩は 気を効かせ帰ってきた・・翌朝、会社に来たRは ぎこちなく 「あの栄養剤・・社長が持ってきてくれはったん?」そう聞いてきたので 「そうやで・・ちゃんと飲んだか? 奮発したんやからきっと効くで!」そう笑って言ったのだが Rの反応はイマイチであった・・そのときは それで終わったのだが 数日後 仕事の用事で またRの家に行くとまた家の中から 女の笑い声がした・・・これは TVの 声とは違う。。。でも プライベートな事やから・・・そう思い 帰ろうと車に乗り 駐車場をでて 少し離れたところに・・どっかで見た事のある車が一台止まっていた・・A の 車であった・・この時、すべてが理解できた。。。が、俺は敢えて 知らないフリをしていた・・そしてまた数日経ったある日・・・その日は Rと久々に 釣りへ行く約束をしていた。待ち合わせは 某コンビニの駐車場・・しかし集合時間になっても来ない・・・40分待ったが来ないので 電話をした・・しかし・・でない。。。10分後・・メールが来た・・Rからである・・「すまん・・ちょっと用事ができてしもて行かれへんねん・・ごめんやで・・」今まで 約束を破った事のない Rが ドタキャン・・・・おかしい・・と思い、R の家へ行ってみた・・すると 以前 止まっていた場所に A の車が・・・つづく (続きは次回)
2006年05月10日
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家の会社は 定時は本来 朝8時からであるが建設業界は 朝が早い!なので、自然と皆が7時前には会社へ来る・・・従業員を 出迎えたい俺は 日課として6時前後には出社をするのだがR も、当初は 「自分は新米やから・・」という理由でほぼ 俺と同じ時間に出社してきていた。そして少しでも早く仕事を覚えたい・・そう言って、前日した仕事でわからなかったところなどを 俺に質問し とても前向きであったため見る見る内に、仕事を理解していったのであるが・・・Aと知り合ってからというもの・・遅刻はしないまでも 7時半頃の出社が多くなってきた・・・しかも・・目を充血させて 寝不足候・・・と言った感じの状態である・・俺は、遅刻はしてないし 特に注意する要素がなかったのでこの時は 特に何も言わなかった・・しかし・・・日が経つにつれ 寝坊をしたり 仕事でミスをしたり 現場から会社に帰ってきて 日報等・・事務仕事をしている時居眠りをするようになってきた・・目の下には クマをつくり 活気が全然感じられなくなった・・俺は、Aと、俺に内緒で逢っていることなど知らなかったのでRの 体を心配し、「R・・仕事がキツイんか?」と聞くと「大丈夫やから・・」と返してきたので 様子をみることにしたのだが内心、負けず嫌いの Rの性格から言って 弱音を吐きたくないんや・・と思っていたがある日、原因は これやったんか・・と確信した出来事にあうことになる・・つづく (続きは次回)
2006年05月09日
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楽しいGWをすごせましたか?俺は ちょいと 遠出の旅行に行ってきました・・かなり リフレッシュできたので明日からの仕事に また励みたいと思います。では、続きです・・目を覚ますと 裸の二人・・居づらい俺は 二人が寝ている内に帰った。次の日、幸い?にも、休日なので Rと顔を合わす事はなかった・・しかし・・R から 再三に 電話やメールが入ったが 一切応じなかった。そして、月曜を向かえ 会社に出社をしたが Rは 俺に何かを言いたそうであったが 周りに人がいるので プライベートな話ができない・・そんな感じで あった・・そしてその夜・・Rが 「話があるから 時間を作ってくれへんか・・」と言ってきた。夜、Rの家に行き R は、謝ってきた・・「きよすけ・・すまんかった。。。つい・・」俺は、「俺に謝る事 あらへん・・」Aがどんな女なのかは、少なくとも知ってるハズやし その上でのことやからそんなんは別にお前の勝手やから・・・」「けどな・・心配なんは、一度、体の関係をもったAが きっとお前を頼って次も必ず来ると思うから 絶対にあいつだけは 深入りすんなよ・・」Rは・・「わかった・・もう逢わへんから・・」そんなことを R に言って約束をした・・案の定・・しっかりAから コンタクトをとってきたらしい・・Rも・・やっぱり男である・・・Aの誘いに 断れなく次第に 俺にナイショで 頻繁に Aと逢うようになっていった。。。Aは 水商売をしているので 仕事帰りは 当然、酒が入ってるし時間も遅い・・夜中の 1時頃に Rの家に・・って事も珍しくはなかった。。。初めのうちは よかったが 次第に Rの仕事に 影響がでてきた・・そしてますます、ドロドロになる・・つづく (続きは次回)
2006年05月07日
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久しぶりに会ったAは 着物のせいもあり、蒸し暑い夏の夜やったのでハンカチで額の汗を拭う仕草など、綺麗さを増してるように見えた。 いろんな話の中でAは、現在「小さな一家の柱を細々と支えている・・」この言葉がとても印象的であった。以前勤めていた病院を辞め、少し給料のいい水商売をしていた。Aもあれからいろいろあったが 現在は懸命に生きてるんやな・・そう思い親父が亡くなった事や その事でRが来てくれた事などを話した。余談やが、AはRと何回か会っていてRのことをよく知っているため 話した。「また、ゆっくり飲みながらでも話をしよや・・」そう言って次回の具体的なアポイントはとらずに別れた。そして、7月31日・・俺の誕生日・・今の俺を支えてくれてる彼女と一緒に過ごした。彼女の家庭も、当時・・旦那が無茶苦茶な状態であった。その旦那のことは具体的に 今後、日記に書いて行こうと思う。同姓の俺が聞いても そんなことってあるんやろか??って思うぐらいやからもしこの日記に詳しく書いたら きっと女性陣から 強烈なブーイングが来るのは確実やと思う・・(笑)それぐらいの最低な旦那で、当時・・傷のなめ合いやったのかもしれないがお互いの心を大きく支え合っていたのは事実であった。 俺は ハンバーグとオムライスが好物なので(笑)彼女は手作りで両方作ってくれた。あまりの嬉しさに、このとき写真を撮り今も時折見てはニヤけている・・そしてそろそろ帰る時間が来たので送って行く・・と言うと彼女は泣き出した。あんな旦那のいるところに帰りたくない・・と言い出した。彼女を説得して送り届けたが すぐにメールが入り 「あと10分だけでいいから一緒にいたい」そう言って また元の場所に引き返し 短時間であったが いっぱい甘えてきた。そしてまた送って行き 別れてそれぞれ家に着き 約束してあった同じ時間に風呂に入った事も 今では想い出深い・・俺にとっても幸せな誕生日を過ごす事ができ そろそろ寝よう・・そう思ってベットに入った時、一通のメール(ショートメール)が入ってきた。。Aからである・・「誕生日、おめでとう! 今年がきよすけにとって素敵な年でありますように・・」驚いた・・・憶えてたんや!即返しようと思ったが 俺の気持ちの上で きょうは彼女とだけのきょうにしたい・・また、Aは元彼女なわけで、ケジメだけはつけたかったので・・そう思い0時を回り 日付が8月1日になった時に 一言だけ「ありがとう」を返信した。そして8月13日・・親父の初盆。。親戚、知人がたくさん来てくれ、盛大に一周忌法要をすることができた。親父の墓前にRの入社を報告し これから会社を 精一杯守る事も併せて報告した。そして、盆休みが過ぎた ある日の夜・・またコンビニで偶然にAと会った。ちょうど仕事が休みで買い物に来たと言っていた。翌日が休みと言う事もあり、俺が「今からRのとこへ行くけど よかったら一緒に行く?」と誘ったら 「行く!行く!」と着いてきた。これが 今に思えば マズかった。。。。コンビニで、つまみと酒を しこたま購入しRの家に行った。初めは昔話に花が咲き 楽しく飲んでいたが2時間くらい飲んだ頃 Rは酒が弱いので 先に潰れてしまい俺とAも かなり酔いがまわっていた。俺もそのまま寝てしまった。そして、フっと目を覚ますと AとRが居ない・・・「ん??」と思い ベットの方を見ると。。。。。なんと、ふたりが 裸で寝ているではないか?!「うそやろっ!?」そう思ったが 夢ではなかった。その場は 俺も居づらかったので帰った。この晩の事が またまた事件の始まりでもあった。この事は また後に書こうと思う。つづく (続きは次回)
2006年05月02日
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GW明け・・Rが初出社した。家の会社のユニホーム(作業着)を着て 朝礼に立つR。。。なんとも不思議な感じがしたが ほんまに嬉しかった!「きょうから皆さんと一緒に働かせてもらう事になりましたRといいます・・まったくの素人ですので皆さんには迷惑をかけたり足手まといになったりすると思いますが一日も早く仕事を覚えれるように 自分なりに全力で頑張りますのでよろしくおねがいします!」元気一杯の挨拶であった・・棒芯を始め、従業員全員から 「よろしく!」の返事が返ってきた。そして・・・Rは、「あともうひとつ・・・皆さんにお願いがあります・・」「ご承知のとおり、僕は社長と長年 よい友達関係で 今日までお付き合いをさせてもらってきました・・しかし、今日よりは 一従業員として ここで頑張らせていただきますのでどうか、社長の友人としての僕ではなくて 新米として皆さんと 共に働きたいのでそのへんの事を、組とってくださった上で どうか皆さんの下で勉強させてください・・よろしくお願いします」堂々とした発表であった。。他の従業員達は 「ん??」っていうような顔をしていたがRの気持ちは 皆に伝わったようにみえた・・Rの初日の仕事・・・初めての土木作業・・慣れない スコップを持ち 一生懸命の姿は 今も鮮明に憶えている・・・それから 約一ヶ月経ったある日・・夜中・・近所の サーク○Kに買い物に行った時の事である・・着物を着た一人の女性が俺に声をかけてきた・・「きよすけ・・・元気~~?!」よく見ると・・日記「亀裂の章」に登場した Aであった・・一段と綺麗になり 色っぽくなっていて着物・・って事もあり 俺は気がつかなかったが向こうが気づいて声をかけてきた・・「お~!久しぶりやな~! 元気してたか? 今日は、着物着てどないしたん?」するとAは・・「今、この店にいてるから また来て!」店と源氏名を書いた名刺を渡してきた。この再会が またひとつの事件を起こす事とは このとき・・思いもよらずしばらく立ち話をした・・つづく (続きは次回)
2006年05月01日
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そして5月のGW明けから Rは正社員として初出社してきた。GWに入る前に Rは俺に 「これだけは守ってほしいって事がひとつだけあんねん・・」そう、俺に言ってきた。それは・・「今日で親友って言う関係を終わりにしてほしいんや・・公私混同したないねん・・」「俺は、明日から きよすけ・・お前の社員やねん・・部下やねん・・」「せやから、俺はお前の事を 明日からは 社長・・って呼ぶから そのつもりでおってほしい・・」「お前も 俺を絶対に特別扱いだけは せんとってくれよ・・」俺は 言葉がでなかった・・「そしてな・・きよすけ。。。何十年後かに もうこれで俺達・・人生・・勝ち組になれたな・・そう二人が思えた時、二人で一緒に仕事・・引退しよや!」「そしてその時に、また親友の関係に戻らせてほしいねん・・」俺は そっと、頷いた。。。カッコつけるわけやないが言葉は いらんかった。。忘れもしない平成14年5月2日 木曜日・・親父が亡くなってちょうど、8ヶ月目の夕方であった。。。つづく (続きは次回)
2006年04月29日
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またまた 久々の日記になってしまいましたが更新します・・当時、人の気持ちをあれほど温かく感じた事はないくらいRの言葉が 温かく嬉しく・・生涯忘れる事はないと思う・・しかし、どうしても その気持ちを受ける事は出来なかった・・それは・・Rには家庭があるからである。。特に、子供がいるからであった・・大人の事情に子供は関係ない・・そう思ったからである・・一ヶ月や半年・・一年の期限付きの単身赴任とは訳が違う・・R達家族が 再び一緒に暮らせるとなれば それは、家族全員が関西の家を引き払い ここへ移転以外にないのである・・子供の学校・・友達・・塾・・etc・・嫁さんの職場・・友達・・親・・etc・・すべての生活環境が変わるわけで。。。それらを 考えると どうしてもRの気持ちを受ける事ができなかった・・Rには それらの事を全部話した上で断った。。そして、一方・・仕事の状況は・・と言うと。。益々、最悪の状況であった・・現場は、俺が入り・・下請けの応援等で なんとか廻るのだが俺が現場に入ってる間は事務関係がストップするわけで営業活動・・書類・・入札・・見積り・・デマの信用回復・・すべてが ノーガードになってしまい、悪循環のまま時間が経った・・経営の経常利益にも まともに影響し このままだと行き詰まる・・なす素でなしなのか・・倒産やむなしか。。絶体絶命を名実共に感じた時である。。それは、4月の終わりであった・・・Rが、退職届を提出し、家族をきちんと説得し すべてをクリアーして再び俺の所へ来た。。。しかも、着替え以外は何も持たず裸ひとつで来たのである。。「きよすけ。。。部屋探しくらいは付き合えよな!(笑)」涙が止まらなかった・・・この瞬間・・絶対絶命の言葉は消え・・勝てる! そんな確信に変わった・・Rは現在も 俺の右腕として俺を支えてくれているがきょうまでにも、いろいろな事が この後にも起こり、その事は・・ここに書ける限り書いて行こうと思う。。つづく (続きは次回)
2006年04月28日
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年が明けたが 状況が変わる訳でもなく 従業員も数名が退職していき辛い毎日が続いていた・・そして忘れもしない 2月・・・一日の仕事を終え疲れきって 会社のソファーに座っていると一本の電話が鳴った・・「きよすけ・・俺や。。明日、そっちに行こう思ってんねんけど予定はどないや?」・・Rからであった・・「おぉ!Rか・・うん・・かまへんよ・・いつでも来てくれや!」そう答えた。。。心身共に疲れきっていた俺に Rの声は なんとも温かかった・・そして、翌日。。。Rが夕方に来た。。開口一番・・Rは、「きよすけ・・何をショボい顔してんねん!お前らしくないで・・・あんな。。。きょうここへ来たんはお前に、俺のすべてを託そう・・そう思って腹決めて来てん・・今の事情は ○○(俺の弟)から聞いてる・・お前を助けたい! きよすけの下で働かせてくれや!」いつになく真剣な顔でRは言った。。。Rは、スーパーゼネコンに勤務していて 管理職をしていて転職する必要などまったくない境遇であった・・なのに、家族を関西の自宅に残し 単身で俺を助けてくれると言うのだ。。。嬉しさと驚きと当時の辛さの気持ちとすべてが込み上げ 泣けてきた・・Rと俺の関係は 揺るぎ無いものではあるが、そこまで俺のことを・・・Rと一緒に働ける。。。そう思うだけで 嬉しさと安心感で震えが止まらなかった・・・そう・・Rの気持ちが 何よりうれしかった・・しかし・・俺はRの気持ちだけ受け取り・・断った・・つづく (続きは次回)
2006年04月27日
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仕事の激減・・まさに死活問題であった・・どうする事もできず ただ必死の毎日やった・・あの時の俺を ずっと支えてくれたのが 彼女であった・・愚痴を黙って聞いてくれ・・「何があったって私はきよすけの傍にいるし全部が敵になっても 私は変わらずきよすけの味方・・」普段の彼女の行動からも読み取れる 心底からの言葉である事がわかり当時・・あまりにも温かい言葉に甘えきった・・しかし・・現実が変わるわけでもなく 暗い気持ちで親父抜きの初めての正月を迎えた・・忘れもしない1月3日・・・おふくろの用事の足をしていた時・・携帯が鳴った・・Rからであった・・「どや?少しは落ち着いたか?」Rに現況を打ち明けた・・・R・・「わかった・・きよすけ。。もう少しがんばりや!お前、一人には させへんから!」意味がわからなかったが 何もかも 分かり合ってるRとの会話は何故か 温かかった・・・そして年始めの仕事がはじまった・・今年は 無我夢中で がんばり・・一歩前進の年にしょう!そう決め・・自分なりに 新たなスタートをした・・一ヶ月後・・・最高に温かい経験をする事になるとは この時・・思いもしなかった・・つづく (続きは次回)
2006年04月25日
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更なる苦難・・それは、土木業には その道の人がいて嫌が上にも付き合いをしなくてはならない・・ある日 この辺では かなり力を持っている人から連絡があった・・俺の携帯番号なんて教えた事もないのに何故?と思ったがそんな事を調べるくらい朝飯前なのであろう・・その人の用件とは・・詳しくは書けないが 簡単に言うと今後、まともに仕事をしたかったら 下につけ・・というものであった・・俺は迷った・・しかし・・解答を出すには充分な時間を与えてもらえなかったのも事実である・・話し方は ほんまに やんわりと言ってきたがとてつもない威圧が陰を見せていたのも事実である・・「ゆっくり話し合おうや・・今から事務所に来てくれへんか・・」仕方なしに出向いた・・映画の舞台セットを思わせるような まんまの事務所。。。聞きたくもない相手の話しに同調しながら苦痛な時間が過ぎた・・・親父やったら どう言うやろ・・聞きたい思いでいっぱいであった・・誰にも相談できないのが ほんまに辛かった。。そして自分なりにひとつの答えをだした・・・「誠実」・・・これは親父のトレードマークでもあった・・俺は キッパリ断った・・・これでもし 会社をダメにすることがあっても本望や・・そう思い・・断った。。しかし、相手の反応は意外にも 「お前・・肝すわっとるやないか・・気に入ったで」であった・・これが縁で その後この人とはいい付き合いをさせてもらっている・・ しかし・・・問題はここからである・・俺がこの人の事務所に入るところを 偶然ある人に見られ「あいつは ああいうところと親密な関係がある・・」デマの追打ちをかけられる事になった・・・仕事の激減に 拍車がかかった・・つづく (続きは次回)
2006年04月21日
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仕事も落ち着いて来た頃の12月。。。会社で事務仕事をしていた時の事である・・一本の電話が鳴った・・事務員が電話を取り 俺に繋いできた・・相手は家の大切な得意先からで あった。「いつもお世話になってます。」いつもと変わらない応対をしたのだが 違うのは相手の方であった。。なにか様子がおかしい・・用件を聞いてみると すべて段取りを取ってあった仕事をなかった事にしてほしい・・との事であった。。意味がよくわからず もう一度 聞き返しても回答は同じ・・「なかった事にしてほしい・・」何がなんだか訳がわからない状態のまま電話を切った。数日後、また違う会社からの電話・・用件は 前回と同じである・・・次から次へと仕事がなくなった・・取り引き先の会社へ訪問し 事情の説明を要求したが回答は 「いろいろ事情があって・・」と 話しを濁される・・どうすることも出来ず 途方に暮れていると以前から親しくしてる同業者から 貴重な情報を入手できた・・親父、亡き後・・俺の若輩と、当時の家の会社の不体勢さを狙ってあの同業者が 家のまったく事実無根のデマをウワサしてウワサを流した後に すかさず 営業に廻り 金額を家より安くするから仕事を回してほしい・・と言った営業をして担当者に 裏金を握らせたと言うことであった・・・これ以上 詳しくは書けないが えげつない やり方である・・仕事が激減した・・この不況の時では、死活問題である従業員も 不安を隠せず、退社表明をして来た・・・絶対絶命であった・・・情報入手をしたものの 動かぬ証拠がなく なす素でなし・・であった。。あまりの悔しさに 涙もでなかった・・親父に 合わす顔がない・・・当時の自分の力のなさに 無性に腹がたった・・この後・・無情にも苦難が 続く事になる・・つづく (続きは次回)
2006年04月16日
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そして11月・・9回目の結婚記念日が来た・・しかし・・結婚して初めて 毎年恒例のプレゼントはもちろんの事・・二人で食事・・「おめでとう」の言葉すら一切言わなかった・・心・・ここへあらず・・であった。。。そして11月の下旬・・親父が、予てから生前・・「仕事を引退したら 自分の田舎に帰ってのんびりしたい・・」と言ってたのを 遺言として 親父を 祖父母の墓に分骨してあげる事にした・・生前、親父は 中学の同窓会を毎年 楽しみにしていたので地元の同窓生に分骨する事を伝えたところ 当日・・20人を越える同級生が集まってくれて 盛大にする事ができた・・中には他県に嫁いだ同級生の方もいてて めちゃめちゃ遠方よりわざわざ駆けつけてくれ親父の生前の交友の深さに 改めて驚かされた・・分骨式後、一席設け料亭で 親戚・・友人(同級生)と団欒をした・・初めて聞く、親父の幼い頃の やんちゃな話しや中学の時・・川で溺れていた子供を 高さ7.8mある 橋の上から飛び込んで救命した話しや 上級生5.6人に脅かされてる友達を一人で向かって行って助けた話しなどなど・・いろんな話しを聞かせてくれた。。懐かしそうに話す同級生が次第に 大粒の涙を流して泣かれた時は俺も耐え難いものがあった・・そんな感じで 無事に分骨も終える事が出来、帰途についた・・そして12月に入り、少し仕事も落ち着いて来た頃・・新たな試練が待ちうけていた・・つづく (続きは次回)
2006年04月13日
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初めて二人で逢ったが ほとんど緊張感もなくめちゃリラックスして話しができた・・いろんな話題がでた・・メールをやり始めた頃の事・・あの時の会話は楽しかった・・・とか、親父が亡くなった時のメールはほんまに不思議やった・・とか・・・そんな話しをしてたら 彼女から 「仕事はどお?」と切り出してくれた。。自然と 甘えられて 愚痴が言えた。。。何も言わず そっと肯きながら話しを聞いてくれた・・とても安心できて 久しぶりに 穏やかな気持ちにさせてくれた・・彼女には感謝の気持ちでいっぱいであった・・その晩・・PCを開いて見ると 彼女からメールが届いていた・・そこには、彼女から こんな歌をプレゼントされた・・今井美樹の「PIECE OF MY WISH」であった。。。歌詞を書いてみた・・当時の大きな支えとなった歌である・・「朝が来るまで泣き続けた夜も歩き出せる力にきっと出来る太陽は昇り心を包むでしょうやがて闇はかならず明けてゆくからどうしてもっと自分に素直に生きれないのそんな思い 問いかけながらあきらめないで すべてが崩れそうになっても信じていて あなたのことを本当は誰もが願いを叶えたいのだけどうまくゆかない時もあるわ希望のかけらを手のひらにあつめて大きな喜びへと変えてゆこう愛する人や友達が勇気づけてくれるよそんな言葉 抱きしめながらだけど最後の答えは一人で見つけるのねめぐり 続く 明日のために雨に負けない気持ちを炎もくぐりぬける そんな強さ 持ち続けたいそれでもいつか すべてが崩れそうになっても信じていて あなたのことを信じていて欲しい あなたのことを」今でも 二人でドライブに行く時・・この曲を よく聴いている・・他にも たくさんの想い出の曲があるがそれは 後で書こうと思う・・つづく (続きは次回)
2006年04月11日
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