mikken☆のあしあと

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ミィの仔猫

ミィの仔猫



 宙(そら)はただひたすら歩いていました。
そのひと足ごとが、今の悲しみから遠ざけてくれるのを願うように。
でも、夕暮れが薄闇に入れ替わり、にぎやかな町の灯りが遥か後ろへ遠ざかっても、濡れた毛玉のような仔猫の躰と、動かないその躰を鼻面でつついているミィの姿が、宙の心から消えて無くなることはありませんでした。

 宙の大切なミィは、もうすぐ元気な仔猫を産むはずでした。それなのに偶々買ってきたキャットフードを食べた途端に転げ回ってひどく吐き戻したあげく、仔猫を死産してしまったのです。獣医さんの話では、ミィが食べたキャットフードの中に、生き物の体に良くないものが入っていたということでした。材料費を安くして儲けようとした会社が、本来使うはずの材料の代わりにそんなものを使ったのです。

誰かの欲のせいでミィの仔猫が死んでしまったのだと思うと、宙は悔しくて悲しくて、心臓を掴まれたような痛みから逃げるように家を飛び出してしまったのでした。


 いつまで、どこまで歩いてきたものか、すっかり暗くなった足もとの草の上で星のように輝く夜露に気がつき、宙はふと顔をあげました。

そこは見覚えのない広い野原でした。微かな風にそよいで、露を含んだ草波がはるかに流れていく景色の中には巨きな木が一本。その上には、見たこともないほどの大きな月がかかっていました。

 月の光のプラチナ色が音に聞こえそうな景色の中、宙は耳をすませていました。
夜風に吹かれた枝が奏でる葉ずれの音の内に、何かが流れる音が微かに聞こえてきます。
音を探して足下を見た宙は息を呑みました。

天の川の星の数ほどもある丸く明るい光が、草の緑も土も透かして地面の遙か下を流れていたのです。
あまりの光景に驚きながらも、宙はその美しさにうっとりと見とれてしまいました。


 肌に触れる風の気配が変わったのに気がついて、宙は目の前の大樹を見上げました。いつの間にか太い幹も頭上に広がる葉群も、淡い光を放っていました。その葉群の中に、仄明るくぼんやりした影が見えた・・・

その時です。

か細い仔猫の鳴き声を聞いた気がしてハッとした宙は、足下の流れを覗き込みました。
流れていく光の玉の一つ一つには朧気な影が見えました。
朧気な花や、鳥や、人や・・・猫の姿。
それらの光は大樹の根元へと流れていき、やがて樹の枝という枝から金色ともプラチナ色とも見える無数の光の粒が溢れに溢れて、空へと散っていくのでした。


 宙の頭の中に、重みのある、とても古い楽器の音にも似た声が響いてきました。

「この樹は、あなたが足下に見た光の流れを汲みあげて、葉先から宇宙へと放っているのだよ。」

宙は葉群の中に佇む影を見上げました。

「光の玉ひとつは、この世界に生まれることのできなかった命ひとつ。定められた宇宙の意志もあるけれど、自分のことしか考えられない人間の、欲や憎しみや悲しみが作り出すものによって摘み取られる命の方が、この頃はあまりにも多くなり過ぎたようだ。」

声と一緒に、深い悲しみが宙の心に流れ込んできました。

「生まれることもできない命が増えすぎて、もう地球という星が抱きとめておけない。こうして何年かに一度、近づく月の引力によって宇宙へと放たれてしまう数多の命を留めることもできない。この星が長い時間をかけて生み育んできた命なのに、こんな風にも奪われていくのだ。」

微かに体を動かしたらしい影の衣ずれの音が、そっと聞こえてきました。


 宙はミィの仔猫を想いながら
「僕はどうしたらいいの?」と聞きました。
影は、遠くを見ていた視線を優しく宙の瞳に移したようでした。


「人間が心に強く願い、信じることは、必ず現実となってこの世界の有り様を変えていく。自分ひとりの欲や憎悪に囚われた一握りの人間が、こんなにも多くの生命を摘み取ってしまうように。
ならばあなたは、どんな世界を創りたいと思うか?
どんな現実を望むだろうか?
あなたが心から信じるならば、心から願うならば、それがあなたの生きる未来になるだろう。」

そう言うと、影は羽を広げ枝を軽く踏み切って、夜の風の中に溶けるように消えていきました。
あれほどの光の奔流は夢のように跡形もなく消え去り、いつの間にか月は遙か上空へ遠のいて、夜空を仄明るく照らすばかりとなっていました。



 ふと気がつけば、宙の心はすっきりと透き通っていました。胸の痛みも悲しみも光の奔流がきれいに洗い流してくれたかのように、その名残りがちらちらと心に揺れているのが感じられるほどでした。
たった十歳の自分に何ができるのかは判らないけれど、
「ミィの仔猫のような悲しみを繰り返しちゃいけないんだ。」と強く想ったとき、
遠くの方から微かに、宙を呼ぶお父さんの声が聞こえてきました。


(了)


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