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21日日曜日に,鳴門市の大麻比古神社のある大麻山に登りました。Facebookで「大麻山登山部」なる組織が作られて,その中心メンバーである同級生2名からの誘いがあり,「そういえば今まで登ったことがないなぁ」ということと、バレーの試合もなかったので,かみさんと一緒に行きました。 約束の10時ぎりぎりに行くと,10人あまりの人がすでに集まっていました。さっそく登りはじめましたが,登山口からしばらくは平気だったものの,行けども行けども階段ばっかりで,すぐに息が上がり,みんなについて行けなくなり,どんどん遅れはじめました。それでも,もう結構登ったな・・・と思った頃,どのくらいと聞くと「まだ2合目くらいやなぁ」というので,目の前が真っ暗になりました。途中,すごい元気な70才くらいのおっちゃんが降りてきて,「このくらい走ってあがらんかい!」と言っていました。私は「この上走ったら即死するわ!」とぶつぶつ・・。 そのうちに,他のメンバーはずっと上に行ってしまい,かみさんがちょっと行っては待ってくれながら,それでも少しずつ上がり続けました。途中3分の2くらい上がったところに「真名井の水」という神水が湧くところがあるので,そちらへ行きましたが,道を間違えて遠回りをしたりしました。それでも水を2本のペットボトルに入れて,かみさんと交互にのどを潤しました。 それからまた上がりはじめて,1時間半程度でつくところ2時間半近くかかって頂上のお宮へ到着。みんなは,すでにご飯を食べて下山の準備をしていたらしく,私たち夫婦が上がっていくと,途中であきらめたと思っていたらしく,大喜びしてくれました。弁当を食べて,休みました。毎晩山上で輝いているライトのあるやぐらも初めて見ることができました。 下りがこれまた予想以上のつらさで,これでもかというぐらい階段が続き,膝が笑ってがくがくして,やがてそれがすごい痛みにかわっていきました。下へ降りる頃には,激痛が走るほどで,明後日に管理主事訪問があるのに,各教室を案内できるだろうか・・・と心配になりました。結局,無事下に降りて,大麻比古神社に参拝して帰りました。 帰ってから,月曜日の朝まで,左の膝が半端でない痛みで,ついに年休をもらって,ドイツ館の前にある津保整形外科へ行きました。院長の津保先生は中学校の同窓生なので,気安く話せるので良いと思います。行くと,MRIまで撮られたのでただ事ではないな・・・と思っていると「左膝外側半月板損傷」ということで,最悪手術も必要かも・・・という事でした。痛み止めの塗り薬と飲み薬をもらって帰りました。
2012年10月23日
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前田敦子さん。私が初めて彼女をテレビで観たとき,正直「なんでこんなふつうの子がセンター?」と思いました。これは,多くの人がAKB48が話題になって世の中に出始めたときに同じような感想を述べていますし,中国の人まで言っています。 実は,私はデビュー前というか,まだインディーズで1曲しか出してなかった駆け出しのAKB48を2006年の3月に東京のお台場フジテレビ前で見ているのですが,その頃にはまだセンターではなかったし,歌は歌っていましたが,ぜんぜん垢抜けてなく,ただの中高生の寄せ集めっていう感じでした。テレビ局の前の広場でライブをやっていたのですが,ライブを目的に来ていた人は20人ぐらいで,残りの人は,たまたま通りかかったり,なんだか騒がしいから見てみた・・的な人ばかりでした。 ご覧の通り,右から2人目の前田敦子さんは,まだ後列で全然目立っていません。というか,当時のグループ全体の印象としては,正直「モー娘。の足下にも及ばんな・・・」と思いました。きれいな子はひとりもおらんし・・・なんて思って観ていました。 ところが,テレビによく出るようになって,うちの娘と1字違いという事もあって,AKB48の中の前田敦子さんを何度か見るうち,「この娘って見るたびに印象が違う!」とおもいはじめ,いつの間にか「歌も踊りも素晴らしい!」と思うようになりました。まさに不動のセンターだと思います。とにかく,1人でいるときの顔と,舞台でいるときの顔が全然違う!正に,舞台映えのする人です。 卒業の時に,篠田麻里子様が言ってましたが,センターや総選挙1位で,さんざん悪口を言われても,本当にがんばってきたんだろうな・・・と思うと,彼女が卒業したいと思う気持ちも分かるような気がします。 とにかく,生来の美形,美人やイケメンと言われる奴ばかりがもてはやされているこの時代に,とっても「普通」な前田敦子さんがセンターを張っていたということが素晴らしいと思うのです。個性がいかに大事かを表していると思います。足が長くて背の高い,ほとんど同じような人ばかりを並べているどこかの国の没個性なグループとは違うのです。
2012年08月31日
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ついに我が家も夫婦共に半世紀を生きて,結果「夫婦五〇割引」なる素晴らしい制度のおかげで格安で映画を見られるようになったので,月に一回ぐらいの頻度で夫婦で映画を観に行くようになりました。 つい先日の日曜日にも,高松のワーナーマイカルシネマズへ行き,「BRAVE HEARTS 海猿」という映画を見てきました。席をネットで予約して観られるので,いつも安心で観られるのと,県内の某映画館より客のマナーが良いのと,館が広くて傾斜がしっかりついているので見やすいのとで,感動する様な映画はほとんどここへ行きます。 今回の作品も,パニック救出物の宿命というか,常に命のやり取りのようなわくわくする設定と,画面を次々と切り替えていくカメラワークで臨場感を出しているので,後半はずっと涙を目にためていたような感じでした。 なにより私がうれしいと思ったのは,私がずっと関わってきている日本赤十字が,ずっと画面の中で人命救助の役割を担っている様子が映っていたことです。ネタバレになってはいけないので,これ以上映画のことは書きませんが,おおよそこうなるだろうと思った通りのストーリーになっていくのに,何故か感動してしまう・・・。 多分防災演習か何かの時に撮った映像を巧みに利用しているんだろうと思いますが,主役である海上保安庁に加えて,警察,消防,自衛隊,赤十字,国交省,空港当局,それから民間のボランティアで集まってきた漁師等が連携して人々の救命に当たる姿は,ぜひ子ども達に見せてやりたいと思う映画です。
2012年07月17日
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通知表の電子化が,私の町の3小学校で一斉に始まりました。といっても旗振り役は私なのですが・・・。中学校や高校ではとっくに当たり前になっている通知表の電子化を,なぜか小学校では忌避する意見が強く,わざわざ汚い字で老眼にむち打って震える手で書くのがありがたいような,変な「温かみ」を尊重するようなトップが多いのです。 問題は,手で書こうがプリンターで印字しようが,どこまでその子どものことを丁寧に観て,その子の育ちに役立つような情報を所見欄に書くかという事です。実際に町内の1校が校長の英断で昨年度試験的に実施しましたが,否定的な意見はほとんどなかったそうです。むしろ,教員が成績一覧表作成などの無駄で機械的な作業から解放されることと,電子化することで所見欄に書く字数が増えたことで,ずっと子どもたち個々の学習の姿を書くことができるようになったということです。 実際には,特にパソコンが苦手とおっしゃる先生方には,ものすごい脅威だったみたいですし,私のやっていることを心から迷惑がる方が多かったのも事実です。そのために,町当局に高い金を使って,「絶対に情報漏洩を起こせないシステム」を整備していただきました。パソコンがヘタでも何でも,絶対に失敗ができないシステムです。 で,実際に作業が始まってみると,みんな口をそろえてこのシステムの素晴らしさを言い,作業が楽になった上に,より具体的に,客観的にできるようになったと喜んでくれています。でも,システムの導入がなんと6月末だったので,システムの導入を主導した私自身は,本当に大変でした・・。 でも,どうやら1学期の通知表を無事3校とも出せるようで,安心しています。あと,郡内の小学校で共用する個人情報保護のガイドラインの作成も,各校で校長に意見をもらうなど,佳境に入ってきました。この実践を11月の四国教頭会で実践報告することになっているので,自然と力が入ります。
2012年07月14日
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連日報道されている大津市のいじめ自殺に関連する報道で,標記のような表現があったそうで,同じ教育者の発言とは思えず,大変驚いています。いじめで自殺に追いやった子どもたちの人権を最優先するなら,死んだ子の人権はどうなるのでしょう?言わば,殺人者(または殺人教唆)の人権を優先して,殺された生徒さんは,死人に口なしという妙な言い分です。 友達をいじめて殴る蹴るの暴行を加え,自殺の練習までさせたそいつらに与えられる権利と言えば,「弁護士を呼ぶ権利」と「自分に不利益なことは話さなくて良い権利」だけだと思うのですが・・・。私の認識では,いじめは立派な暴行罪で,刑法犯なので,むしろ学校側は進んで犯人を突き出すべきだと思っているのですが・・。まあ,いじめの現場を笑ってみていたという素晴らしい先生のおられるその学校では,やられる側が悪いのでしょう。 最近の風潮として,日頃から,教職員の中に,感情的に怒鳴りつけるような指導を忌避するような雰囲気があり,何でもアサーティブな,猫なで声で指導しなければ力量がないような,勘違いがまかり通っています。子どもたちが教員を呼び捨てにするような環境で,そもそも授業や指導が成立するはずはないのですが・・・。 まあ,そんな地元の町で,長年ボランティアで小学生女子バレーの指導をしているのですが,今日の練習中に,いじめにつながりかねない「いやがらせ」的な態度を取る子がいたので,思いっきり怒鳴りつけてやりました。大人が,これだけ真剣に,心から怒っているようなことをあなたは今したんだよ!ってことを心から分かってもらうためにです。 いじめる側に言い分などないし,それを少しでも認めた瞬間に教師もいじめに荷担したことになる。時には感情もむき出しにして,悪いことは悪いとはっきり指導する。それは教師としての力量がないのでしょうか・・・。
2012年07月09日
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私の勤務している小学校では,この極寒の時期に業間マラソンとマラソン大会を行っています。前任校も同じでしたが,町内の他校ではやらなくなっている学校もあります。 2週間前から2校時と3校時の間の休み時間(徳島では業間といいます)に,15分程度の「業間マラソン」が始まっています。となりの学校等はインフルエンザで学級閉鎖がバンバン出ているのに,うちの学校は元気そのもので,毎日みんながんばっています。が,私はというと,何かと理由をつけては,1周でも楽をしようと企んでいます。 で,今日は3年生がマラソン大会のコースを試走するというので,見回りと伴走を兼ねて超から借りている電動チャリンコでついて行きました。最高気温4℃は伊達ではなく,耳と鼻がもげて無くなったのではないかと思うくらい痛かったです。 また,田んぼの真ん中を周回するコースなので,風を遮る物が何もありません。風速15mはあると思われる北西の季節風がまともに当たるので,東向きに進むときには後押ししてくれて,スイスイ走るのですが,西向きに走るとこれがすごい逆風で,よく子ども達がはしれるなぁ・・・と思うほどでした。 明日でとうとう私も50才。体力的にきついことは逃げよう逃げようとしてしまいます。
2012年02月02日
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FaceBookを通じて連絡が取れた大学時代の友達と,今日の14時に藍住茶房で待ち合わせて,本当に27年ぶりに会うことが出来ました。とても仲が良かった友達だったので,本当に懐かしい思い出話や友達の近況報告などであっという間に1時間以上が経ってしまいました。お互い髪が薄くなったこと以外は,何年経っても友情はそのままだなぁとつくづく思いました。 あと,家族が久しぶりにそろったので,この機会にと成人式を8日に迎える娘に着物を着させて,全員盛装して(もちろん息子その2は着物に羽織り)写真を撮りました。結構バタバタしましたが,お互いに写真を撮り合って,おもったより楽しい時間を過ごしました。 以前,親父が生きていた頃には,毎年必ず撮影していたのですが,なかなか思い切った機会が無いと面倒くさがって撮らなくなってしまっていました。それを久しぶりに復活させたわけです。これから息子や娘が結婚して,家族の様子も変化していくでしょう。 で,息子その1と娘は夕方になって同窓会へ出て行きました。22と20才で同窓会かぁ・・・50才で同窓会をやろうと先日言われたのを思い出して,幹事長を仰せつかっている身としてはちょっと気が重くなっています。 全然関係ないのですが,東芝のLED電球のCM 今ちょっとした話題になっています。私は見ている内に我が家と重なってしまって,目が水でいっぱいになってしまいました。
2012年01月03日
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2個ぐらい前の日記にFacebookでの不思議な出会いから,コンサートに行ったという話を書きましたが,昨日もおもしろいことが起こりました。大学時代,それこそ会わない日はないぐらい仲良くしていた友達で,ずっと消息が分からない友達がいたのですが,彼の名前を何となく打って見たら,Facebookに登録はしていないいけど,その友達のホームページのリンクが分かり,メールを出してみたらなんと連絡がついたのです。 他にも,香川県にいる以前から親しくしていた先生が,Facebookに初めて登録したら,「ひょっとした友達では?」と友達候補を勝手に推薦する欄があるのですが,なんとそこに私の名前があって,驚いて友達申請をくれたりしたこともあります。 それから,少女バレーの教え子たちのFacebookが次々と出てきて,「元気か?」なんてメッセージを送ったりしています。 ネット関係のこういうソーシャルネットワークサービスに珍しく,ほとんどの社会人は自分の姓名と顔写真を公開しているのもおもしろいところです。実名と写真があるので,本当に信頼してメッセージのやり取りが出来ます。
2011年12月29日
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4日から土曜の夜まで,息子その1がカンボジアへ一人旅に行っていました。渡航情報を見ても,非常に悲観的なことをいっぱい書いているので,「木の箱に入って帰ってくるのが落ちだからやめろ」と何度も止めたのですが,タイ経由で行くのを逆に中国経由でカンボジアへ直に行くということで,親の心配もよそにさっさと出かけてしまいました。 それで土曜の夜10時に関空へ帰るというので,ちゃんと足が2本生えて帰ってくるかどうか見届けに,土曜の昼から息子その2を連れて出かけました。はじめに関空へ行って到着口などを確認して昼飯を食べて,関空の対岸にあるりんくうプレミアムアウトレットというのに行って,リーガルの靴を買って,それからもう一度関空へもどって買い物をして,それからりんくうの湯という銭湯に入って時間をつぶしました。 風が強くて,本当に飛行機が着くんだろうか・・なんて言いながら関空の橋を渡ると上を変な見慣れないマークのついた飛行機が通過。どうやらそれが「中国南方航空」という,息子その1が広州から帰ってくる飛行機だったのです。 空港の到着ゲートで待つこと10分あまり,息子その1が酔って気持ちが悪いと言いながらも無事帰ってきました。カンボジアでとても楽しい経験をしたとかで,いっぱい土産話があるようでした。俳優の向井理がやっている小学校を現地に建てようというボランティアの人と現地で仲良くなって,実際に2日ぐらい小学校の建設のボランティアを手伝った来たんだそうです。現地の子どもたちの笑顔が最高だった・・・などと,私が小学校教員になろうと決意した時のようなことを言っていました。 で,京都の下宿まで送っていこうかと車へ向かう途中,「やっぱり家に帰るわ」と言い出したので,心配しているうちのかみさんや2人の祖母さんたち,娘も喜ぶだろうと結局板野まで連れて帰ってきました。本当に久しぶりに子どもたち3人がそろって,夜遅くまで,わいわいと楽しい夜になりました。 いろいろ聞くと,なんと息子その1は藍住にゆめタウンが出来たのを知ったのはカンボジアだそうで,最近四国遍路に来た人が偶然カンボジアで同宿していて,その中で徳島にでっかい商業施設が出来たよ・・・なんていう話で知ったという事でした。 というわけで,翌日は午後になって「ゆめタウン徳島」へ息子12をつれて出かけて,いろいろと買い物をさせました。8時過ぎになって京都へ帰るというので車で京都の下宿まで送ってやることになりました。2時間足らずで着いて,息子その1を下宿に降ろして,また2時間たらずで帰ってきました。さすがに350kmを1人で一気に走ると疲れました。
2011年12月11日
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土曜日は恒例の町内人権発表会でした。さくらホールへ集まって,各小学校の出し物を演じ合いましたが,どの学校もそれぞれによく頑張っていました。ちょっと気になる部分はありましたが,それぞれの演じ方で個性もあって,よかったと思いました。中学校が以前のような劇をやらないかなぁ・・・なんて思ったりもしました。やっていたときには,内容がないだの台詞をマイクで言うなだのと文句を言っていたのですが・・・。 日曜日は,少女バレー部の卒団旅行でした。姫路セントラルパークへ行きました。行くなりジェットコースター3連発を卒業する3人と一緒に乗せられました。懸垂型のディアブロという日本で5本の指に入るというこわい奴に乗りましたが,エキスポランドで以前に乗ったことがあったので,思ったよりは平気でした。結局あれこれ乗って,アイススケートもして,ヘトヘトになってサファリへ行く頃には眠い眠い。せっかくのサファリは,はじめの猛獣コーナーしか覚えていません。帰りのバスの中もほとんど寝てばかりでした。
2011年12月04日
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土曜日は朝から夕方まで少女バレーの試合でした。5年生チームのデビュー戦だったのですが,今ひとつの出来で,反省点が一杯でした。どっと疲れて帰り,そのまま寝てしまいました。 日曜日(今日)は,PTAの四国ブロック会議があり,早朝から丸亀へ行きました。かみさんと息子も連れて行ったのですが,2人は5kmほど手前のイオン綾川へ降ろして,映画とショッピングをして待っていてもらいまして,私はPTAの会場で会議に出席というわけです。 PTAの講演は,決めた日に,子どもに自分で弁当を作らせ,それを持ってこさせることで,台所に子どもを立たせるという事と,親子のつながりが再確認できるという趣旨の話でした。冒頭の,末期がんで余命5ヵ月のお母さんが5才の子どもにご飯の炊き方や出汁の取り方味噌汁の作り方などを教えて亡くなった話は,つかみには十分で,聴衆は全員涙を流していました。 その先生の「(離婚して母親がいなくて)弁当を作らせることが出来ない家庭の子には,どうするんですか?」という質問に対する回答が,私と全く同じ考え方で,担任に実際にそう言わせたというのが感動しました。その回答は「子どもがいるのにあなたたち夫婦は別れることを選んだ。当然その子の成育に関しては責任を持つつもりで引き取ったのだから,その子が自立する一歩となる弁当づくりぐらい,しっかり教えなさい。」というもの。2人の父親が例に出され,1人は母親(子どもの祖母)に習って台所に立つようになり,もう一人は別れた妻に理由を話して,月に1回の弁当の日だけ来てもらうようにしたというもの。どちらも結果としては感動する様なハッピーエンドでした。 「遅刻する子にはその子なりの理由がある」なんて,訳の分からない逃げを言っては指導もしない先生方もいますが,何であっても「平気で遅刻する子」にしてはだめなんだという覚悟が足りない。親にちゃんと来させる様に言ってそれでも来なければ,親を当てにせず本人に絶対来いという。そのために電話もかければ家へ迎えに行ってたたき起こしたこともある・・・。そんなことを思いながら聞いていました。
2011年11月27日
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いつものように職員室で事務をしていて,一仕事終えたのでインターネットのニュースを無読もうとブラウザを立ち上げ,ニュースサイトのリンクをクリックしたと思ったら,マウスが滑ったのか?FaceBookが開いてしまいました。 FaceBookは,登録してそのまま放置している状態でしたが,たまたま開いた私のページに「友達になろう」という依頼がなんと2名も入っていて,その内1人が徳島市議の斎藤智彦氏でした。中学・高校時代からの友達です。友達承認してしばらくすると斎藤君から電話が入り,12月末に同窓会を企画していることや,その他同窓生の動向などをはなしました。 その中で,城東高校時代の同窓生で「井上京子」さんっていう人を覚えてる?と言う話になり,「うーんと,たしか理系のクラスにいたストレートヘアーのしっかりした印象の子ではない?」と言うと「そうそう。」という。 聞くと,その方は歌手になっていて,今夜籠屋町のJUNっていうジャズ喫茶でライブをするらしい。行ってみないか?というので,ちょうど夜10時前に息子その2の塾の迎えが入っているのでドンピシャリでOKということになり,職場からプレ開店中のゆめタウン徳島に寄って食事を済ませてから,ライブに出かけました。 ライブは,とても良い雰囲気で井上京子さんの味わいのあるボーカルと生のピアノとウッドベースは,素晴らしく,あっという間に1時間たってしまいました。同窓生も何人か来ていて,斎藤氏以外は高校卒業以来32年ぶりに会った人ばかりでした。名刺交換などをして,9時半過ぎに私は失礼させていただきましたが,思えば誤ってFaceBookを開いてしまったことから始まったライブや多くの人との出会い,とても不思議なでもすてきな夜になりました。 自宅に帰ると飲み会に行っていたかみさんから,すぐ近くの小料理屋へ帰るから合流しないかというので,合流し,2時まで飲みました。
2011年11月22日
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今日は,松茂小学校で開催される文部科学省指定・県小学校・板野郡の合同の人権教育研究大会の日でした。私は2年生部会の司会者を仰せつかっていたので,ちょっと早めに行きました。2年生の授業は,「私はサッカーは下手だけど野球は得意だと思う」というような自分を見つめる詩を書くというものでしたが,なかなかどの子もよく考えて素晴らしい詩ができていました。何より,大勢の参観者がいる前でも臆さず元気に詩を読んだり発表できたりしたのがよかったです。分科会の司会も,堤亀吉先生ほか,友人が何人かいて,助けてくれたこともあって無事つとめることができました。 帰って夕飯を食べて一息つくと,健康の館で開催される「議長杯バレーボール大会」に審判に行きました。家庭婦人の9人制の大会ですが,出場チームが,東小中心のチームと南小中心のチームの2チームしかなくて,いくといきなり決勝戦という寂しい状態です。どちらのチームにも子どもを担任したお母さんや少女バレーで教えた子がいて,贔屓のしようが無いほどです。今夜は副審をさせてもらいましたが,主審もやりにくいだろうなぁ・・・と言うのが正直なところです。 行くとすぐに,かつて少女バレーでエースアタッカーだった子が,社会人になりましたと言って挨拶に来てくれました。立派な企業に就職できたそうで,私がどこの企業の社長でも彼女だったら無条件に採ると思います。まじめ一筋だった,この間まで制服を着て高校に通っていた子が,ちょっと茶髪になって化粧気が出て,なんだか色っぽくなって見違えました。久しぶりだったけどうれしい再会でした。 バレーの試合は,東小中心のチームがはじめ押していましたが,最後で逆転されて1セット目を落とし,2セット目はミスが続いて自滅という感じでした。南小のお母さん方が私がPTAで監督をした頃に比べてすごくうまくなっているのに驚きました。
2011年11月10日
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土曜日は朝から石井町の藤花大会という少女バレーの大会でした。1試合目は楽勝と思いきや,2セット目にミスが続き,最後はキャプテンのサーブミスで14-15で結局勝てず。2試合目はもう無残な負け方で良いところなし。疲れ切って3時に職場へ。 私の学校はPTAの地区対抗バレーボール大会というのがあって,夕方5時から開催されるので,その準備で走り回りました。で,5時から9時過ぎまでずっとその行事の準備と進行,審判でヘトヘトになりました。頭に来るのは,PTA行事なのに職員の一部が平気で来ないこと。PTAのTは,たしか「先生」という意味なんですけどねー。子どもみたいにいちいち「今度の球技大会いかなければいけませんかー?」なんて聞いてくる人はまだしも,はじめから知らん振り,当日も現れもしない・・・なんていう人が結構いるんです。保護者の皆さんだって,土曜の夕方,ゆっくりしたい人も多いだろうに,地域のコミュニティのため,PTAの親睦のためにと集まってくれているのに・・・。勤務時間云々の問題ではないと思うのは,考え方の古い私だけなのでしょうか・・・。 日曜日は,朝から地元の公会堂祭りのイベントで子ども相撲大会を観に行きました。示範をしてくれた高校生の相撲部員の中にかつての担任した子が2人いて,久しぶりに話をして懐かしかったです。子ども相撲の方は,現任校の子が早々に負けてしまったので,私も校長先生と共に会場を出て,吉野川の第十堰の近くへ徳島マラソンの応援に行きました。 もう行くと半分近く通り過ぎた後でした。それでも,ランナーの何名か知り合いに会いました。みんな元気だなぁと感心しました。途中救護車が来て,AEDをもった医者と看護士さんらしき人が車から降りてコースを「ここ何Km地点?」と言いながら走っていきました。文字通り大変やなぁ・・・と感心しました。たいしたことが無ければ良いのですが・・・。 マラソンの人の列がかなり減ってきたので学校へ行って,溜まっている事務を1時間ぐらい片付けました。結局土日とも行事でほとんどつぶれてしまいました。
2011年11月06日
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土曜日に,久しぶりにかみさんと2人で坂出のちょっとくつろげる「さらい」というスパ(要するに銭湯)へ行きました。昨年から1~2ヶ月置きに行っています。昨日はちょっとリッチにマッサージも20分だけやってもらいました。きれいな女性がやってくれたので「だめだこりゃ」と思っていたら,結構効きました。 その後近くのガストへ行って,おそい昼飯を食べて,ガソリンスタンドでガソリンを入れたのですが,その時にポケットに入っていたスマートフォン(アクオスフォン)が突っ張るのでポケットから出して,ちょっとの間だから・・・とドアの窓枠のくぼみに置いたのです。しばらく走ってかみさんが「暑い暑い・・」というので窓を全開に。その時に「カシャッ」という音が車の右後輪のあたりから聞こえたのですが,「空き缶でも踏んだかな」と気にしていませんでした。 で,しばらく走って目的地についたら,置いたはずの窓枠に何もない!そうです。さっきの「カシャッ」って言う音は,私のスマホが落ちた音だったのです。慌てて元に戻って探してみましたが,結局どこにもなし。勝手に使われてもいやなので,早速近くのドコモシヨップへ行って停止と代替え機の手配を。その後警察で紛失届を出して帰りました。何とも情けないことになりました。 日曜日は,朝から高校ラクビーを観に行きました。となりの球場で四国大会の決勝をやっていたので大いに盛り上がっていましたが,高校ラクビーの方は観客も少なく,寂しい感じでした。小学校の時に教えた子が阿波高で出ているので,観に行ったのですが,その内の1人とは話をしましたが他の2人には会いませんでした。 その後午後から,バレーボールの指導にもとオリンヒック選手の藤本さんが指導に来てくれるので,4時過ぎまでずっと東小の体育館でいました。結構忙しい土日でした。
2011年10月30日
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金曜日に息子その1から突然の電話で,「入院したから」と言う。いろいろ聞いてみるとバイトや授業や遊びで毎日1食で睡眠時間も3時間程度,炭酸飲料やコーヒーと酒を飲むという生活を続けていたせいで胃潰瘍になり,腹が痛くなって医者に行ったら内視鏡を飲まされ,即入院となったようです。入院といっても,薬物治療だけで3日だけという軽い症状ですむらしいのですが,とりあえず日曜日に金を持って夫婦で京都まで行ってきました。 病院に行くと,本人は暇をもてあましていて,海外旅行の計画が遅くなっただの,就職先の内定式に茶髪を黒に染めなければならないだの,すでに快復しているような口調で,思ったより元気だったので安心して帰途につきました。 帰りに,三田のアウトレット&イオンモール神戸北へ寄りました。私は格安スーツを手に入れるためにイオンへ。かみさんはブランドショップのならぶアウトレットへ。1万5千円でストレッチ素材のスーツ2着(私にぴったり合うサイズはなかなか無いが,さすがに大きい店だとサイズのそろいが違う。感動・・・)を手に入れたはよいが,すそ上げが2時間30分も待たねばならないという・・。 で,両手にいっぱい買い物した紙袋を下げたかみさんと待ち合わせて,歩き疲れたのでとりあえずコーヒーショップで座ろうということになりました。でイオンモール1階のコーヒーシヨップへ。そこは,このごろのスタバやタリーズと同じように,レジで注文&お金を払ってちよっとさきのテーブルで商品を受け取るという形式のところです。そこで,私の2組前にさっき電気屋で何度もすれ違った,やたら態度のでかいおっさんがいました。そのおっさんは,電気屋の狭い通路でも決して横へ寄ったりすることなく,傍若無人の歩き方をしていたので印象的だったのです。 しばらくするとおっさんは革ジャンを着た20才ぐらいの男性と交替して,席へ行きました。みると,7人ぐらいで客席の一角を占拠している模様。どこでも大声で話す様は,尖閣諸島問題で対立したあの国の方々です。で,しばらく待ってようやく彼らのコーヒーができたようで,お姉さんが愛想よくコーヒーカップ3個をお盆に載せて出しました。すると革ジャンの男が,1つのカップを指さしてしきりに「4」を示すのです。お姉さんは,はじめ何を言っているのか分からないようでしたが,しばらく身振り手振りで意思疎通を図った後わかったのは,なんと一つのコーヒーカップのコーヒーを四ッに分けてくれと言っているのです。後ろは大混雑しているのに・・・。でも,ショップのお姉さんはいやな顔一つせず4つのカップを出し直しました。それを持って行くのかと思うと,また返して,今度はそのカップにお湯を足せと言っているのです。私は1人の女性をはさんでその後ろで待っていましたが,思わず「いい加減にしろ!」と言ってしまいました。私と革ジャンの間にいた女性は凍り付いていましたが,彼らに私の高貴な日本語の諭しが通じる訳もなく,その上に灰皿も2個出せと言ってもぎ取るように湯で4倍に希釈されたコーヒーが入ったカップがいっぱい乗っているお盆を運んでいきました。灰皿2個持って行った先は,もちろん禁煙席です。(いくら簡体字しか使わないからと言ってももともと彼らの国から出た字なのでそのくらい読めるはずです。) 私たち夫婦は,そのとなりに座ったのですが,またまた驚いたのは,半分飲んだコーヒーカップをまたまた大混雑している受け渡し場所へ人をかき分けて持って行き,お姉さんにまたお湯を足せと言っているのです。こうなると,8倍希釈のスーハーアメリカンですね。彼らに恥とか遠慮とか,他者への配慮とか言う言葉は無いのでしょうか。恥知らずで他者の迷惑を顧みない態度には,ただただ,あきれるばかりでした。 反対に,何より素晴らしいと感じたのは,そんな無茶苦茶な要求にも笑顔を絶やすことなく,熱心に相手の意をくみ,それに誠実に応えて笑顔を絶やすことなく対応していたコーヒーショップのお姉さんの態度です。これこそプロ。日本のサービスは世界一だといわれる所以が垣間見られた感じがして,思わず感動。本当に可愛い美人のお姉さんでしたが,息子の嫁に迎えたいと思うぐらい性格も良い方なんだろうなぁ・・・私がもう20才若かったら・・なんて思いながら帰ってきました。
2011年10月03日
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台風15号が通り過ぎました。今年はどういうわけかよく台風が来ますね。ちょっとだけならまだしも,毎度毎度直撃にも等しいくらい「これでもか」ってやってくる感じ。 で,今回は前回のように宿直当番ではなかったので,家でのんびり台風情報を見ていると,校長から「体育館が避難所になったので来てくれ」という電話。学校のとなりに立派な集会のできる町の施設があるので,体育館は第2避難所だから・・と聞いていたのですが・・・。どうやら近くの川の堤防が工事中で水かさが急に上がり,破堤するかもしれないということで,土台から1m以上上がって建てられている体育館が安全だということらしいです。 駆けつけてみると川には土手の上で消防車が赤色灯を回して物々しい感じ。街宣車が「小学校の体育館に避難してください」と広報しながら走り回っている・・。学校へ着いてみると,もうすでに30人以上の人が体育館に来ている。みんなほとんど着の身着のままのようで,荷物はわずか。テレビでは何度も観たけど,この目でまさか避難所の光景を見るとは・・・と正直本当に驚きながら学校の職員室へ入りました。 その後,体育館へ行って毛布を配っている町役場の人たちへ,手伝えることはないか,学校の設備が必要だったら言ってくれるようにと告げに行き,放送設備と殺虫剤を貸してあげました。その間にもどんどん避難の方が来られて,みんな一様に「なんでこんなことに?」と,ちょっとなっとくできない様子。そのうちに避難勧告から避難指示に変わって,どんどん人が増えていきました。途中何度が防災無線のサイレンが鳴り響いて放送も何か言っているのですが風雨が強すぎて聞き取れず,「どうやら堤が切れるらしい」などと,みんな不安な表情でいてもたってもいられない様子。 避難所ということで,人々の不安を少しでも和らげるようにと,教室の電気をすべて点けて運動場のナイター照明も照らしっぱなしにして学校全体を明るくしておきました。深夜3時頃まではすごい雨で,これはただ事ではすまないかも知れない・・・と心配になったりしました。3時前にすごい雨の中,消防署の方が足の悪いおばあちゃんをおぶって避難させて来たり,「絶対に避難せん」と言い張って動かないおじいちゃんを説得して連れてきたりと,消防署の方の懸命な活動も目の当たりにしました。 結局,必死の作業と雨が小康状態になったのとで,結局破堤せず,避難所は幸い本当の被災者を迎えることなく,朝9時過ぎにはほとんどの方が帰宅されました。被害はなかったとは言え,町当局の住民の命を守る迅速な判断と用意周到な準備,職員のみなさんの一睡もしない献身的な対応に,「この町に生まれてよかった」と,ちょっとだけ誇らしい気持ちになりました。
2011年09月22日
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今年は台風の当たり年ですね。2日金曜日には,今回も早々に暴風警報発令ということで,1時に集団下校で児童放課となったのですが,驚く事にほとんどの子が車でお迎え。集団下校なんて成立しないので,方面別に教員が送っていく始末。私たちの頃には考えられない過保護ぶりにはちょっと驚かされます。ある保護者の話では,友達の家へ遊びに行くのもほとんどが保護者の送り迎えなんだそうで,これでは子どもたちの依存心がやたらに強いのも納得・・というところか。 で,2日~3日は。暴風警報が継続発令だったので私はもう一名の教員とともに宿泊当直でした。退屈だったので夜通しテレビを観ていました。結構仕事ははかどりましたが,職員室のいすを4個ぐらい横に並べて,その上で仮眠したので,結局ほとんど寝られず,朝まで起きていたに等しい状態でした。まあ,学校の被害はほとんど無いのですが,風がけっこうすごかったので自宅のソーラーパネルがとばされないかと,そればかり心配していました。結局固定がキチンとされているようで,被害はありませんでした。でも3日はそれだけで寝てばかりいたので,せっかくの土曜日が終わってしまいました。9時からの「ほんとにあった怖い話」を家族で観たのが唯一でした。 4日は,かみさんの誕生日で,息子その2の詩吟の大会でもありました。朝早くからたたき起こされて詩吟の会場へ。息子の詩吟は思ったよりはしっかりとしていて,ちよっと驚きました。賞が決まるまでの間,石井のフジグランへ行って買い物をしました。かみさんにプレゼント代わりに一万円の商品券をやったら,それでメガネを買ったようです。で,息子を迎えに行くと,何とかの部で優勝だったみたいで,賞状とトロフィーをもらってきました。帰りに石井のフジグラン前のココスで昼飯を食べて帰りました。 家へ一旦帰って,2時過ぎに文化の館へ行きました。子ども向けの大きなイベントで,人がいっぱいでした。ぐるっと見て回って,ご招待といっていただいたお茶席の券をもってお茶をいただきに行きました。小学生が,放課後子どもなんとか・・・という活動で,覚えたお茶の作法で上手にお茶を入れていました。なかなかのけっこうなお手前でしたが,緊張してぎこちないところがまた初々しくてよかったです。帰るとかみさんが髪をショートにカットしてきていました。娘も切りたいと行ったのですが,私が反対してやめさせました。成人式の着物姿が今から楽しみでしょうがない親父です。
2011年09月04日
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今年の夏は,息子その2が阿波踊りの有名連「娯茶平」に入ったので,その練習の迎え等で忙しい夏になりました。特に阿波踊り期間中は,行き帰り送迎したのでけっこうきつかったです。 阿波踊りの当日に生まれただけあって,息子その2の阿波踊りへの心酔は半端でないので,親としては応援してやるしかないという・・。なんと奴は毎晩浴衣で寝ているほか,阿波踊りや居合で和装の時には下着は褌(ふんどし)を締めています。浴衣や着物,袴の着付けをはじめ,帯の結びも後ろ手で器用にきちんと締めることができるという時代錯誤な奴です。 阿波踊りは,私も昔から関わってきたし,息子その1も「娯茶平」で締太鼓を叩かせてもらっていたりしたので,息子その2がやるのは大賛成なのですが,息子の練習を観に行くと,私もやりたくなって正直困りました。 お盆が終わって,日常生活に戻ると,子どもたちはそれぞれ忙しくし始めて,われわれ夫婦だけが「夏休」で取り残された感じ・・・。で夫婦仲良く県立図書館に・・・。雑誌コーナーで雑誌をあれこれ読みあさるためだけに行きましたが,けっこうリラックスできて,それぞれに楽しい時間でした。帰りに,手塚治虫展にも行きました。私が大好きな「ブラック・ジャック」をはじめ,多くの漫画の手書き原稿などが展示されていましたが,原画の発色のすばらしさと,彼の生い立ちなどを見て,やはり天才と言われる人は違うな・・・と思ったのと,アニメができるまでにはものすごい手間暇がかかるんだなと改めて感心させられました。 次の日には,またまた夫婦で高松のワーナーマイカルシネマへ「コクリコ坂」を観に行きました。さすがジブリ。素晴らしい絵とストーリー。特に50才オーバーの人にとっては,知らない間に涙が目にいっぱい溜まっているような映画です。で,またまた感心したのは,映画の始まりから終わりまで,映画の音声以外の雑音がほとんど聞こえなかったことと,エンドロールが終わって明かりが点くまで誰1人席を立たなかったことです。いわゆる「民度」の差というわけではありませんが,約1ヶ月前に行った地元の映画鑑賞でとなりの客の最悪なマナーとは対極にあります。高速代余分に払っても,ずっと気持ちよく観られるので・・・。
2011年08月18日
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16日朝に出て,1泊で息子その2がかねてから希望していた伊勢神宮参拝へ行きました。朝バタバタして,結局8時過ぎに出発。途中中国道で事故があり一般道へ降りて迂回したため,予定より30分ほど遅れて伊勢神宮の外宮着。 早速参拝して,お札も頂いて,内宮へ。ところが内宮への駐車場が満杯で待ち時間60分という表示。で,Uターンして伊勢市内で一度昼食を食べることに。結果,最寄りの駅近くにイオンモールを発見。そこのフードコートでご飯を食べて,そこからタクシーで内宮へ向かうことに。なかなかタクシーが見つからず,結局駅まで歩きましたが,1000円で内宮の入り口まで行けました。 で,かみさんと約25年前に来たことのある内宮は,やはりすごい雰囲気。でも,すごい人。荘厳な雰囲気に浸りつつも,人の多さには田舎者はやはり疲れる・・・。で,お札をいただいて,おかげ横丁という門前の土産物店が列ぶ一角も入り口でかき氷を食べただけですぐにグロッキー。 またタクシーで元まで帰り,いよいよ宿泊先の「檜扇荘」へ。1時間ほどで到着し,部屋でくつろいだ後,宿の浮き桟橋で釣りを楽しみました。小さなサバやアジがほとんど入れ食いで釣れました。かみさんは,なんとちいさなフグも釣りました。結構楽しかったです。釣った魚は,フグ以外は開いて唐揚げにして夕食の時に出してくれました。夕食は,豪華な舟盛りで,もう口の中がにちゃにちゃするほど食べました。おいしかったです。そのあと檜の一枚板で作った卓球台で卓球をして遊びました。 で,なんと言ってもお楽しみは風呂です。温泉ではないものの,総檜造りの風呂が売りの宿ですので,入りに行きましたが,これが露天風呂が絶景で,英虞湾の水面に出たばかりの満月が映って,何ともいえぬ風情。息子その2とちょっと絶句してしまうほどの感動てした。 「檜扇荘」は,周辺の大きなホテルなどとはちがい,和室の畳敷きの旅館形式の宿ですが,リーズナブルな価格と,行き届いたサービスで,いわゆるコストパフォーマンスが高いというか,顧客満足度とリピーター率の高いお宿です。ご家族連れでお出かけになる方には,本当におすすめです。 翌日は,鳥羽水族館と二見の夫婦岩へ行きました。夫婦岩も昔,およそ25年前,東小でかみさんと一緒につとめていた頃に,スキーの帰りに立ち寄ったことがあります。当時女2人と男は私1人だったのですが,単に「行ったことがない」から一緒に行っただけで,行った当時はつきあうどころか,ほとんど口も聞いたことがないくらいで,お互い好意も持っていなかったのに,伊勢神宮と夫婦岩へ参拝してから急に話が進んで,1年後には結婚していたのですから,霊験あらたかというか,本当に不思議なものです。で,2人の間にできた3人目を証拠に連れて,お礼参りに・・といったところです。夫婦岩近くの大きな土産物館で土産を買って車に乗りました。 その後,京都へとって返し,祇園祭が観たいというので京都駅に車をおいて地下鉄で八坂神社まで行き,御輿が境内を練り歩く様を観て,また京都駅に帰りました。息子その1がバイトしているお好み焼き屋へ寄りましたが,息子その1は迷惑そうに「満席だ」と言うので,駅近くの別のところで夕食を食べて帰りました。せっかく行ったのに残念だったです。7時過ぎに京都を出て,10時前には家に着いていました。途中淡路島で花火をやっていました。淡路SAはすごい人でした。 あっという間の2日間でしたが,今話題のパワースポットへ行き,楽しい旅行でした。
2011年07月17日
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昨日,息子その2と久しぶりに映画に行きました。いつもは,マナーの悪い地元はやめて,高松か綾川へ行くのですが,今回の観たい映画はなんとマイカル系ではやっていない・・・。で,やむなくシネサン北島へ行きました。 通路のすぐ上の席,中央付近に陣取って観ていると,70前後の夫婦が私たちの右隣へ来て座りました。で,本編が始まってしばらくすると,女性(おばはん)の方が,「あれ,兄妹かえ?」などとかなり大きな声でとなりの男性に話しかけ始めました。すると,男性(おっさん)の方も答え始めて,2人でずっと掛け合い状態。こういうマナー違反が大嫌いな息子その2は,もう,完全に頭に来ている模様。映画のストーリーどころではありません。持ち込み禁止のはずの菓子もガサゴソと音をさせて食べるし,「なかなか見つからんなぁ」などと,ストーリーの感想もずっと弁士よろしくしゃべり続ける・・。 極めつけは,クライマックスの斬り合いの決着が着くシーンで,なんとおばはんが「やった!」と大きな声で言う始末。さすがに私も頭に来て,真横のおっさんの方をにらんで「静かにしてもらえませんか!」と注意しました。以後は静かにしていましたが,注意されて不愉快なのか,映画が終わらない内から,おばはんの方は周囲の迷惑も顧みず,がさごそと菓子やら荷物の片付けをはじめ,予想通りエンドロールの一人目の文字が出るともうそそくさと席を立って出て行ってしまいました。ほぼ100%の確率でマナーの悪い奴はエンドロールを最後まで観ることができません。作者や演者,関係者への感謝の意を表することすらできない奴に映画を観る資格なし。家でテレビで再放送を観ていくらでも騒げばいいのです。 せっかく楽しみにしていった映画ですが,とてもいやなものが残りました。2人分の映画代を返してもらいたいものです。次から,映画館の係の人を呼ぼうと思います。
2011年07月11日
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また今年も町内の学校対抗のPTAバレーボール大会が近づいてきました。前任校では,小学生バレーの監督として指導をしていることなど知っているのはバレー部の保護者だけだったし,毎週練習をしていて,指導者の方もおられたので,手を出すことはなかったのですが,同じ町内なので今の勤務校では勝手が違います。さっそく,1回目の練習からバンバン行ってしまいました。はじめは,「えっ?この教頭何者?」っていう感じだったのですが,そこは運動が好きで集まってこられているみなさんなので,すぐに練習の趣旨を理解して,私の球出しやアタックに対応してくださっています。まあ町内では一番人数が少ない学校なので,余り勝てないかも分かりませんが,やる気だけは他校に負けないなぁと思っています。 で,居合に詩吟の息子その2ですが,ついに念願の阿波踊り有名連に加入しました。兄も入っていた連で,兄は鳴り物(締太鼓)をやっていたのですが,息子その2は踊り子をやりたいらしく,自分で交渉して,1週間前から練習に行き始めました。奴は,誕生日も8月13日と阿波踊り期間中に生まれたこともあって,子どもの頃から阿波踊りが大好きで,近くの役場へ踊り連が来ると法被を着て勝手に踊りの輪の中に入っていくという根っからの阿波踊り好きです。もっと早くからやらせてやってもいいかなと思っていたのですが,肝心の学業の方が今ひとつ芳しくないのでなかなか親としてはGOサインを出せなかったのです。「網打ち」で有名なおそらく県内最大の連ですが,練習は無茶苦茶厳しそうで,汗びっしょりになっていました。まぁ,私も子どもの頃から踊ってきたので見る目はありますが,まだまだ固い踊りで足の送りだけでも修行が足りません。 あと,ベンツが廃車になって,急遽購入した中古車ですが,これが古い割には掘り出し物だったようで,喜んでいます。プレサージュ・アクシスという車なんですが,元のプレサージュはフルサイズのステーションワゴンで,落ち着いたデザインのいわゆる「おっさんモデル」なのですが,アクシスというのはその限定バージョンで,エアロをはじめ装備類が若向きに改造されているメーカー純正改造版です。エンジンは2400のDOHCで,大人しめの味付けながら吹かすとよく回ります。ヘッドライトもキセノンランプがついていたり,後付けですが,ゴリラというカーナビが着いていたりします。内装も大人しい感じなのですが,これがほとんど汚れていなくて,えっ?新車買ったの?と思うくらい。まぁ,全体のデザインや何かは10年前の車なので古くささは否めませんが,一部LED化をしたりして,古い車らしさと新しさを楽しんでいます。
2011年06月21日
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春の運動会が台風で延びて,その振休開けの5月31日,午後から海陽町での講演依頼があり,10時過ぎに職場を出ました。行きは絶好調で,天気もよくルンルンで海陽町までちよっと長いドライブと言った感じでした。 着くと,さっそく教育長さんにご挨拶をして,お弁当をいただいて,講演。1時間半があっという間に過ぎたという感じでした。思ったより多く謝礼を頂いて,ちょっとうれしい気持ちで,3時に出れば5時ちょっと過ぎには帰れるだろうと愛車ベンツV230を発進。 途中,上り坂やアクセルを踏みこんだ時にググッとトルクが逃げるような,半クラッチのような感じの変な違和感が・・・。それでも追い越し加速などでは思ったよりパワフルないつものVのエンジン。吹け上がりもよく,羽ノ浦までは快適でした。阿南共栄病院を超えたぐらいで,見たこともない警告灯が点灯。取扱説明書を見てみるとミッション関係の故障の疑いがあるとのこと。その後,赤石トンネル前で一度エンスト。「えっ?エンスト?オートマ車で?」と驚きましたが,エンジンをかけると普通に走り始めました。が,このあたりが限界でした。トンネルを出たらエンジンばかり吹き上がって,トルクがタイヤに伝わっていない・・・。 で,なんとか200mほど走って,サンクスがあったので,そこへ車を入れてUターンしたところで完全ダウン。前にも後ろにも進まなくなってしまいました。やむなく,ドアを開けてケンケンでバックさせて駐車スペースまで移動。そこで徳島ヤナセさんへ電話するも,JAFを呼んで連れてきてもらってくれ・・と言うので,JAFに連絡。JAFさんは,いつ呼んでも100点満点の顧客対応です。愛想のいい兄ちゃんのテキバキとした仕事ぶりにいつもながら感動。で,ヤナセに修理依頼して預けたら代車はないというので汽車で帰る羽目に・・。 結局5時過ぎどころか9時前に帰宅。 翌日夜7時過ぎにヤナセさんから電話。「ミッションが壊れているので,100万円以上かかりますし,あちこち調子悪いのでミッションだけ直してもだめでしょうね。(要旨)」という・・。思わず絶句!!「うちで買い換えていただけるなら廃車手続きもさせていただきますが,そうでないなら1週間以内に取りに来てください。ただし,今は動きませんが・・。」とおっしゃるので,泣く泣く廃車となりました。 土曜日に,ヤナセへ行って,ベンツV230から荷物を引き取りました。本当に買ってから故障ばかりで,ドイツから輸入された部品でエアサスをバネサスに替えたり,エアコンのブロアモーターが壊れたので,自分でばらしてブラシを付け替えたり・・・1個10万円もするエアマスセンサーが毎年壊れたり・・・どれも国産車では滅多にお目にかからないような故障ばかりでしたが,なんと言ってもあのデザインが大好きでした。最後に「バイバイ!」と,ボンネットを叩いてヤナセを出ましたが,残念で残念で涙が止まりませんでした。 実は,もう一度V230を中古で買おうかとも思ったのですが,大学生2人の親として,そして小学校の管理職としては,いつ止まるか分からない車をまた買って,大事な会議や行事に穴を開けたり,故障に大枚をはたいたりするわけにはいきません。国産車の古い中古でしばらくがまんすることにしました。
2011年06月07日
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もう子どもたちが相手をしてくれないので,夫婦で軽い気持ちで淡路島へ出かけましたが,これが見込み違い。行く途中からいやに本州方面から来る車の多いこと・・悪い予感・・。 で,北淡で降りてパルシェ香りの館というハーブ園のようなところへ行きついでに野島断層の震災記念館へ行きました。体験コーナーでは震度7も体験しましたが,当時の淡路・神戸の惨状が蘇ってきて,また東北の被害と重なって,思わず夫婦で涙ぐみました。 昼近くなって,どこへ行っても車の列が目につき始め,どこへも入れず,結局淡路ICから一度高速へ上がる・・・ところがどのICも降り口の1キロ手前から大渋滞。ゆっくりと飯でも食って風呂に入って・・と考えていたのですが,田舎者は列ぶの大嫌い。で,結局徳島板野ICまで帰ってきてしまいました。で,かみさんの学校の水やり当番に行って,愛犬柴犬のクロベエを車に乗せて,吉野川の河川敷へ行って,のんびり散歩しました。 四国の中も結構車が多く,混雑しているようです。GWってすごいなぁと改めて思いました。
2011年05月04日
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実は,前任校で市の教育会の事務局を仰せつかっていて,その仕事がまだ終わっていません。3月末に事務局費をいただいたので,どうしても14日の総会までは3月31日付で退職された校長先生と一緒に,きちんとやり遂げなければなりません。 で,前日には,会場準備と総会の資料づくりに,こちらの教頭会を中座して前任校へ。もちろん,勤務ではないので年休です。前任校の先生方も総動員して,資料ができあがったのがなんと19時30分過ぎ。帰ったのは20時を過ぎていました。 今日は,勤務校のある郡市でも小教研と言って先生方の教科ごとの研究組織の立ち上げがあるのですが,それも欠席させていただいて,前任校のある市へ行き,そこで教育会総会の準備と,前半の司会進行をしました。来賓や,会場校への挨拶,引き継ぎの話やいろいろな手配など気ばかり遣う仕事で,けっこうヘトヘトになりました。いくつか連絡ミスや段取りのミスがありましたが,そこは急場を凌いで,なんとか,無事やり終えることができました。 それから,今度は一路勤務校のある郡市の小教研総会へ。なんとか,担当の教科の会議が終わるまでには到着し,無事任を果たすことができました。 2つの学校の間を走り回って,本当にヘトヘトになる2日間でした。自宅へ帰ると,京都から息子その1が帰ってきていて,一緒にビールを飲みました。彼の就活の話ももっと聞いてやらなければならないのですが,父も母も今は忙しすぎて,ろくに話も聞いてやらないのですが,それでも何をしてやっても「ありがとう」と感謝で答える姿には,本当にわが息子ながら頭が下がります。仕送りもしてやらず,バイトばかりさせて,苦学させているのに何の苦言も言わず・・・。
2011年04月14日
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親父のすぐ下の妹で,私が子どもの頃にはまだ独身だった叔母さんが亡くなりました。若いときには本当に美人で,気立てがよく,私もよく可愛がってもらいました。また,となり町に嫁いで,PTAの役員などもしていたので,私が教師になってからも,いろいろな方面での評判を聞いて喜んだり心配したりしてくれていました。 その叔母さんが,膵臓がんで1年近い闘病の後,金曜日に亡くなり,会いに行きましたが,亡骸はもう見る影もないほどやせ細って,「えっ?これが本当に○○さん!?」という感じでした。64才ということで,10人兄姉のうち下から3番目なのに,うちの親父に続いての若い死でした。年長の伯母さんたちが本当に嘆き悲しんでいました。それから,何より故人の娘さんが,もうすごい悲しみようで取り乱しそうになって,またそれが涙を誘いました。 いつも告別式の最後の別れのときに思うのですが,本当に悲しいときには,人は「うぉぉぉーん」と言うような何ともいえない声が出ますね。これは「泣く」というよりは「慟哭」という言葉がぴったり来るような気がします。 それから,もう一つ私たちの地方では,通夜のときに「末期の水」と言って,樒の葉に水をつけて故人の口につけてあげる儀式があるのですが,その様子を見ていると,いやにあっさりと,さっさとやる人と,親類縁者でもないのに本当に故人の死を悼んでいるなぁと思うような美しい所作の人もいます。それが,作業服をきた茶髪の兄ちゃんだったりするのが,とても意外で,横で見ていて感心しました。身内の者としては,さっさと儀礼的にやられるよりは,話しかけながら,礼をつくした美しい所作には心から頭が下がりました。 本当につらくて長い週末になりました。
2011年04月10日
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遅くなりましたが,22年度末の教職員人事異動で異動しました。地元の3小学校の中では一番小さな小学校です。児童数は120名足らずで,規模的には児童数・職員数ともに前任校と変わらないし,地域の実情もいろいろちがいはありますが,あまり人の移動の少ない地域で地域のまとまりが強いところなど,似たところが多いので,有り難いです。 まだ子どもたちとは始業式で対面しただけなので,これからが本番だと思っています。がんばりまーす。
2011年04月09日
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娘が,大学の授業の一環ということで,3週間オーストラリアに短期留学することになり,5日に発ちました。行くまでに,ニュージーランドのクライストチャーチ市の地震事件があったので,ちょっと心配もしましたが,まぁ行き先がアデレードという南部の治安もいい街だという事と,大学の同じ課程の子たちも先生も行くというのと,自分でバイトで稼いだ金で行くというので,行かせました。 そうそう,鳴門教育大学は最近現役合格率日本一になったということで,やたらに競争率が上がっています。娘の授業の話を聞いていると,本当に即戦力を作ろうとしているのがよく分かり,逆に自分の学生時代のことが恥ずかしくなったりもするくらいです。 で,オーストラリアの方は,話してることが半分ぐらいしか分からんと言いながらも,けっこう快適にやっているみたいで,何度も電話がありましたが,楽しそうでうらやましいです。で,昨夜には,「日本は大丈夫?」と電話しろとホストファミリーの人に言われたと言って電話してきました。 オーストラリアでもテレビでバンバン報道しているんだそうで,あまりの大災害に向こうの人たちも驚いているんだそうです。娘の方は,「大丈夫,東北だから」などと,全然気にもしていないので,逆にホストファミリーに電話しろと命令されたんだそうです。 それにしても東日本太平洋岸の街はどこもすごい甚大な被害で,映像を見るたびに,とにかく言葉を失いますね。近ければボランティアにでも行きたいところですが・・。
2011年03月12日
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最近観た映画2作,どちらもおすすめの作品です。一つ目は,「最後の忠臣蔵」 息子その2と一緒に観に行きましたが,2人とも周囲の目も気にせず大泣きに泣きました。ラストの方は,もうやめてくれ!と思うほどの感動の連続。周囲の観客の嗚咽が聞こえて,エンドロールの間中,涙を拭き続けていました。親子の間でさえ殺し合うこの時代に,命をかけて一人の女の子を育て上げるその責任感。また,その女の子の凛とした美しさ。二人の間に流れている愛情と,それを超える使命感。 私が大好きな「忠臣蔵」のサイドストーリーのひとつとしては,本当によくできすぎているような話で,その映像美とともに久しぶりに感動しまくった映画です。2つめは,「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」 こちらは,かみさんと封切り日にレイトショーで観に行きました。こちらの方は,忠臣蔵のように大泣きというのではなく,感動はしますが,何となく日本人であることがうれしくなるような映画でした。「硫黄島・・・」が玉砕の悲劇なら,こちらは「根性主義に陥らない」合理的な生き方というのか,ずっとリーズナブルな最後の選択方法だったような気がして,あの死ぬことだけが美化されるような狂気の世相の中にあって,本当に人命を重んじた勇気のある人だと,感銘を受けました。管理職として,窮地に立ったときにどうすればよいかという,参考になる映画でした。
2011年02月18日
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私も含めて教職員というのは,とかく「教師」という立場の中で,えらく勘違いをしている輩が多いと思っていますが,ここ最近特に「いかんなぁ」と感じるようになってきました。 その最も端的な出来事が,昨日ありました。昨日は,午後から総合教育センターで防災関係の大きな会議というか講演会がありました。その帰りのことです。総合教育センターの駐車場は,入り口から続く正面のメインの通路からいくつもに枝分かれしてそれぞれ何本かのレーンに入って,横並びに駐める構造なのです。私は,遠くから来る人のために,近い者は奥に入れるのがいいだろうと奥の方に駐めることにしています。 昨日も奥の方に駐めたのですが,ゆっくり出たにも関わらず,比較的早くからメインの直線通路に出ることができました。そこからが問題でした。 初めての合流点。直線を行っている私たちに対して,手前のレーンの人たちは横から割り込む形になって入ってくるのですが,私は一時停止をして,「どうぞ」と道を譲り,合流を促しました。ところが,入ってくる車に乗った女性は,全く私の方を向くでもなく挨拶をするでもなく,「当然だろう」のようにふんぞり返って無視。その上,その後の合流点でも1台も入れてあげることなく自分だけよかったらいいという自己中な態度で出て行きました。「こいつ,教室で子どもたちに何を教えているのだろう・・・」と憤慨。いっそ直線優先だからぶつかってやればよかったかな・・・と思うほどでした。 ところが,次の合流点でも,またまた同じような女性が無視,無確認で割り込んできます。むしろ「アタシが先よっ!失礼ねぇ」と言わんばかりにアクセルを吹かして割り込んできました。この日は特に運が悪いのか,それとも全体の道徳性レベル自体が低いのか,また,次の合流点でも全く同じ目に遭いました。せっかく一時停止して「どうぞ」と手で合図しているのに,無視でこちらを見ることもない・・・。ちょっと手を挙げたり,軽く会釈するだけで十分なのに・・。計4つの合流点で,全部女性。ぜんぶはずれのフォアボール。結構いい車に乗っていて,一見上品そうなのに,こんな簡単なマナーすらできないのか・・と正直あきれました。 学生からいきなり「先生」と呼ばれる立場になって,どんな阿呆でも「先生面」していられる幸せ。子どもたちに何を教えるかの前に「子どもたちの前に立つ資格があるのか」を問いたい。「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」という川柳を振り返りながら・・・。
2011年02月08日
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朝7時過ぎに起きて,職員旅行へ行きました。行き先は,大阪。梅田の駅前にある劇団四季劇場で「ウィキッド」というミュージカルを観に行くのが主目的の旅行でした。 我々男性陣は,もうバスに乗った直後からビールを飲んでつまみを食いまくり,しゃべっているか食っているか飲んでいるか・・・という有様。 で,梅田に着いたとたん,環状線に乗って新今宮で降りて通天閣下まで行き,名物の「串カツ」を目当てに有名店の「だるま」本店へ。ところが,店のキャパが非常に少なく,30分待っても1人もはいれないという状態で,支店のじゃんじゃん店に移動。そこへ入りました。 旨い串カツ,どて焼き,ビールを飲んで,時間が来たのでお愛想。3千円弱でけっこうしっかり食べました。で,再び環状線で大阪まで帰り,劇団四季の劇場へ。 7階にある劇場は,いつも「もうちょっと大きく作ればいいのに」と思う程度の作り。ミュージカルの生声が聞こえるのにはある程度限界があるという事か・・・と思いながら,「ウイキッド」の世界にのめり込んでいきました。 ネタばらしはしませんが,とにかく歌声とダンス,衣装や舞台装置のすばらしさに圧倒されて,カーテンコールまで感動!でも,キヤッツやオペラ座の怪人等のように強烈に耳に残るようなメロディーが無かったのが残念でした。 そのまままたバスに乗って今度は淡路島へ移動。帰りのバスの中でも飲むは食うわでいつの間にか寝てしまい,気がついたら野路菊さんという割烹というか寿司屋へ到着。 そこで豪華に夕食会。夕食がまたすごい量の寿司懐石フルコース。もう下も向けないほど食べてみんなのけぞらないと座っていられないような有様に・・・。帰ったらすぐに寝てしまった,とても能天気な1日でした。
2010年12月23日
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突然ですが,自転車を買いました。もう10年くらい前に,ダホンというアメリカの折りたたみ自転車の老舗メーカーのおしゃれな自転車を買っていたのですが,それが娘が徳島駅から学校へ乗っていくというので貸してやっていたら盗られてそれっきりです。 自宅にはそれ以来自転車は,息子その2の通学用が1台あったのですが,それも佐古駅へ持って行っていますので,自転車がない状態のままになっていました。自転車がないというのは,意外に不便で,どこへ行くのも歩きか車かバイクということになるのですが,歩いて行くのはちょっと・・・と思う距離だと,もう車になってしまい,今度は行き先での置き場所に困るということも少なくありません。 で,いろいろ検討して,クロスバイクという車輪の大きな大ぶりな自転車にしようかと思ったのですが,結局愛犬クロの散歩も考えると,あまり大きいのはめんどうだし・・・ということで,シャーシは大きい自転車で,タイヤは小さい「ミニべロ」というカテゴリの自転車にしました。泥よけやキャリア,いろいろなものを考えて行くと,けっこう選択の余地が無くなってきて,お値段もけっこうする物がおおいので,結局コールマンというブランドのツーリング206という車種にしました。 けっこうお気に入りで,ライトとテールランプを着けて,ご機嫌で乗っています。
2010年12月04日
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28日は勤務校のある校区の地区人権教育推進大会で,いわゆる人権学習発表会でした。で,過去2年間も,何かやろうかという声があったのですが,今年はついに全員合唱の「まけないで」の伴奏を教員でやる「てぃーちゃーズバンド」でやろうということになりました。で,エレキギターを私が,アコースティックギターを2人の男性教員が,ドラムスは音楽主任が,ベース代わりのオルガンはヨーコ先生が,メインボーカルは美声の人権教育主任が担当することになり,ほかにも何名か協力してくださって,忙しい中何度か放課後に練習して,見事に当日デビューしました。 高学年の歌の「オワリはじまり」(かりゆし58)も,間奏のギターでメロディをやるところを手伝ったりして,毎年ほとんど裏方ばかりで終わっていた人権発表会で活躍の場が出来て,練習が意外に大変だったり,当日アンプの不調があったりといろいろありましたが,やっぱり教職員もいっしょに盛り上げているというのは,保護者が見てもとてもよかったらしく,アンケートなどに「てぃーちゃーズバンドよかったです」なんて書いていただいているのを見ると,無理してでもやってよかったなぁ・・と思います。
2010年11月30日
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朝早く起きて,最近就活の準備でバイトができないとこぼしている息子その一のところへ行きました。 京都へ行くのは,これまで,名神高速が定番でしたが,今年の5月の修学旅行ぐらいから第二京阪という道路ができていて,おすすめです。大阪市内阿波座から法円坂方面に行き,そのまま奈良方面に東進して,鶴見で第二京阪道へ分岐します。何がよいかというと,枚方方面から京都市内へそのまま高速道路で入っていけるので,十条近くまで一般道を通らずに行けるので,天王山トンネルの渋滞や京都南ICから長々と渋滞する名神高速経由よりはずっとおすすめです。 で,9時過ぎに御所の北,今出川着。寝ていた息子をたたき起こして,部屋に入り,最近の様子を聞く。けっこう忙しく頑張っているようで,ひとまず安心。大家さんに挨拶して,土産を渡し,ソフトバンクの店へiフォンを買うというので,行きました。結局時間が早く,閉まっていたので,最近京都駅の西側にできたイオンモールへ行き,その中のショップで買うことにしました。ナンバーポータビリティの予約をしてあったので,スムーズに移行できましたが,それでも手続きに2時間かかり,結局息子といた時間は携帯電話を買う時間だけに使ってしまいました。 いつも息子を下宿に送り届けて分かれる瞬間,何ともいえない気持ちになります。仕送りの金を満足に送ってやらずに,苦労をさせているのに,何一つ文句を言わず,「ありがとう」と,満面の笑みを返して見送る息子の姿に「すまん・・」と謝る気持ちと,「がんばれ」と励ます気持ちが交錯して,毎回泣きそうになります。 とはいえ,ここ1年が勝負の年。就活でぜひ自己実現できるように願うのみです。
2010年11月23日
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10月31日に自校で人権の講演をしたことは書きましたが,その後もずっとバタバタしていまして,11月2日には学校で私が企画したフィールドワークをやる傍ら,午後からは東光小学校で人権(ネットと携帯電話)の参観授業をやりました。 3日はバイクで,陸上競技の応援に行きました。で,一応の競技が終わったので,鳴門から藍住へ移動中,ちょうど勝瑞城趾の西側の交差点で信号待ちをしていたら,いきなり後ろからすごい衝撃で1mくらいバイクが勝手に前へ吹き飛びました。コケはしなかったものの,後ろを見れば軽トラックがなおもバックしてくる模様・・・。「なにしよんな!」と必死の大声でやっと止まりました。 70歳前後と見られる老夫婦が降りてきて,「ごめんな・・」と詫びてくれるが,腰をバイクのシートの段差で強打して,息もできない激痛。警察を呼び,現場検証となりました。結局バイクのテール部分の破損と,私の腰は全治7日間の打撲。人間どこでけがをさせられるか分かったものではありません。で,相手の老夫婦はなんと私の勤務校の校区の人。誠実に謝るので,警察への供述書には「相手の処罰は望みません」と書いてもらいました。 4日は,そんなこんなで午前中整形外科で,警察署に診断書を提出して,学校へ行ったと思ったら2時間連続で理科の授業。昼食もそこそこに板野郡人研の運営委員ということで,南小へ出張。3年生の授業参観と分科会の運営委員を。「30年もやってきて,もう部落差別なんか無いのにいつまでやってんだ!」と言うようなけっこう勇気ある発言も飛び出す中,やんわりと否定しておきました。まぁ,差別に関わりなく暮らせる方にとってはどうでも良いことなのでしょうが,この県でこの職にあって,結婚や就職等で今なお矢面に立たされる立場があることを見過ごしていられる脳天気さにはむしろ羨ましさすら感じます。一瞬頭に来ましたが,冷静に受け答えできたのは自分で自分をほめたいと思います。(苦笑) まぁ,3年生の授業は,まみこさんも登場し,けっこう重たい話題にも関わらず,子どもたちはよく考えていたと思います。担任の先生の真摯な態度が子どもたちにも伝わって,良い意味の緊張感がありました。 帰るとまたまた腰痛が痛み始め,湿布を貼って寝ていました。 5日は,本来なら31日の代休でした。が,吉野川市内で,大きな人権の大会。私の学校は駐車場に使うというので,駐車場整理に行きました。駐車場整理が終わると,1年生の分科会に参加して,南小の1年生の先生が発表するというので,サクラというか応援に行きました。どうにか,サクラの役割を果たして,今度はまた駐車場の看板づくりに行き,結局そのまま夕方まで作業をしていました。 一週間,ほとんど人権がらみの出張やら行事に振り回されていましたが,久しぶりに会う人も多く,楽しい時間でもありました・・・。
2010年11月05日
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昨日,自分の学校でついにPTA向けの講演会をやりました。得意のネタですが,やはりというか,予想通りというか,毎年のように人が集まりませんでした。結局保護者は20名ぐらいだったでしょうか・・。まあ,自分の学校の教頭の講演では,聞く方もモチベーションが下がるのは致し方ありません。 こういうのって,意外に知らないところへ行くほど,経歴などを気にして,有り難がってくれたりするんですよね。職員は,毎月何回もあちこちに呼ばれて行っているのを知っているので,多少は聞くつもりで聞いてくれたようですが・・。 でも,聞いてくれた方は,それなりにネットや携帯電話を安易に持たせることへの危機感が高まったようで,所期の目的を達成することがある程度できました。たとえ1人でも,伝わればいいと思っているので・・。
2010年11月01日
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もうたいぶ前になりましたが,10月11日に松山市で四国ブロックのPTA研究大会が開かれ,市PTAの一員として参加してきました。 実は,本来は早朝に出て夕方帰るという市合同で行く強行軍に参加しようと思ったのですが,せっかく行くのだから,大学時代に仲の良かった連中と飲みたいと思い,連絡を取りました。そして,事前に,あれこれと行く方法を確かめたのですが,JRだと8,000円近くかかるのに,高速バスだと3,800円で行けるようなので,さっそくローソンで予約をして,宿も取りました。 当日は,上板SAからバスに乗りましたが,私の体格を知ってか知らずか,隣の席に誰も乗らないようだったので,ラッキーでした。あと,バスの中で快適に過ごすのにすごく役に立ったのが,ノイズキャンセル機能付きのイヤホンです。これは,もうバスに乗っていることすら忘れるくらい自分の世界に浸れるので,DVDを見ている間に気がついたら松山に着いていました。おすすめです。 で,宿に入って,すぐに道後へ行って,神の湯2階席というのに入って,また松山駅まで路電で帰りました。松山駅では,仲の良かったK君が待ってくれていました。彼は,昨年教頭になって,愛媛県南部の小学校に勤めているそうです。もう20年あまり会っていないので,懐かしさもひとしおでした。市内の繁華街へ行って,もう2人を待ちながら飲みました。 もう2人も30分ほどで来ましたが,聞けばなんと管理職登用審査の帰りだったというではありませんか。そんな大変な日だったのに,私に会いにわざわざ来てくれたのか・・・と思わず絶句してしまいました。4人でやく卓を囲んだことや,下宿屋であったいろいろなこと,30年近くたつのに昨日のことのように話が出て,あっという間の時間でした。残り2人が早く管理職に登用されることを願いつつ,愛媛県も厳しいんだなぁ・・・と思い知った時間でもありました。 帰りにわざわざK君が宿まで送ってきてくれました。本当に,彼とは特に親しかっただけに,その厚情には心が熱くなりました。 宿は,例によって枕が変わると,なかなか寝られず,それほど酔わなかったのが逆に悔やまれました。夜中に近くの風呂に行ったり,コンビニに寄ったりして,テレビを見て,結局寝たのは朝方でした。おかげで,翌日の研修会では,もっぱら睡魔との戦いでした。内容も断片的に覚えているだけで,けっこういい話だっただけに,残念です。 帰りは,市のPTA連合会に合流して,バスで帰ってきました。車中は,大イビキをかいて,大ひんしゅくだったと思います。
2010年10月25日
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夏休みも終わり頃になって,祖父の遺産の相続手続きを司法書士さんにお願いに行ったら,なんと税とは別に9万円もかかるというので,自分でやろうと決めて,法務局に通いながら,1ヶ月前に9月がスタートしました。 夏休み明けの書類の整理と運動会の案内状,運動会の準備のための会議の手配,来賓の確認やら何やら・・・その間にも講演会や出張が入り,本当にバタバタした毎日に。 結局相続の手続きは,初めに登記相談という窓口へ行って,方法や必要書類を教えてもらい,それらの書類をそろえてもう一度相談窓口へ行き,不備がないことを確認してもらってから登記の窓口へ提出するだけでした。税金数万円を払ったのと,役場で書類をもらうときの手数料だけで無事終わりました。自分で作った資料はワープロ原稿3枚。あと必要な作業はというと,妹と祖母に署名と判をもらっただけでした。 26日にさわやかな天候に恵まれて無事に運動会が終了。寄付金をいただいた企業や来賓に挨拶回りをして,9月が終わってしまいました。
2010年10月01日
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知っている人も多いと思いますが,私はずっと視聴覚や放送の担当だったので,毎年この時期に来ると,運動会に使えそうな曲探しをしてしまいます。今年の候補曲とこれまでに使ってきたおすすめの曲をどうぞ。 「じょいふる」いきものがかり ちょっと古いですが,ポッキーのCMでおなじみの曲です。 タマシイレボリューション Superfly/スーパーフライ 今年の初夏,日本全国を不眠に陥れたワールドカップ岡田ジャパンのテーマソング 踊る大捜査線 THE MOVIE ちょっとややこしい競技などの時には盛り上がります。 ルパン三世のテーマ 何度も使ってきた誰でも知っている運動会ように使える名曲のひとつ。いくつもバージョンがある。 TRUTH T-SQUARE 言わすと知れたF1のテーマ。徒競走やリレーの時などに。 太陽にほえろ!メインテーマ 中年以降の方々の走る競技に。45才以上の人ならこの曲を聴くと自然に走り出す。 名探偵コナン メイン・テーマ 「太陽にほえろ」とそっくり。同じ人が作ったんだからからしょうがないか・・。 「Sunshine Girl」 moumoon かわいい感じ。低学年の子たちが走り回るような競技にどうでしょう。 「Monster(モンスター)」嵐 うちのかみさんが勤務校の中学年のダンスに使うと言ってこの夏死ぬほど聞かされた曲。けっこういけると思うが使い方は趣味が分かれる。今もこの曲をかけると私の後ろで踊っている。うーむ・・・(苦笑) みなさんも,いい曲があったら教えてね。待ってます。
2010年09月01日
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先日,藍住のキョーエイ横の100均に行くと,昔南小でとなりのクラスにいた子が声をかけてきました。私はその子の姉を担任しました。どうやら高校生らしく,バイトをしているようでした。「あっ,○○ちゃんやな。姉ちゃん元気にしてる?」というと,「何で覚えとん,覚えんといてよ!」と言われ,ちょっとむっとしました。 今日,ちょっとした用があってもう一度その100均に行きました。すると,レジでまたその子がいました。また不愉快な思いをするのはいやなので,黙ってレジで支払いを済ませ立ち去ろうとすると,店中に響くような大きな声で,それも刑事が犯人を呼び捨てにするように,「○○先生やな!」と言うので,頭に来ましたが,無視して出てきました。もう少し機嫌が悪ければ一喝どころかぼろくそに言って泣かしてしてやるのですが,まぁ,相手にすることもないか・・と思い黙って店を出てきました。 人間,コミュニケーション力は本当に必要だなぁと今回のようなことがあるとつくづく思います。「先生,その節はお世話になりました。」なんて思っていなくても言ってニッコリしていれば,こちらも腹を立てずにすむものを・・。いらんことを言って人を怒らせてしまう。バイトでありながら,どんどん客を遠ざけてしまう。本当に困ったものです。
2010年08月31日
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大学時代の同窓会をするというので,高知まで1人でドライブでした。途中,勤務校の校長宅へよって,落雷で不調となったパソコンの調子を見ましたが,どうやらマザーボードの一部がやられているみたいで,マザーボードのみ買い換えることにしました。 高知へ行き,時間があったので,久しぶりに大学にもよりました。挨拶に寄った学内の散髪屋さんは名前が変わっていました。校舎が配置はそのままでしたが,耐震化されていて,けっこうきれいな感じでした。 集合時刻になって,会場の居酒屋へ行きました。初めにいたのは,高知出身のT君でした。彼は,広末涼子の元担任&顧問で,一時NHKにも出ていました。今でも広末涼子と交流があるそうで,よく飲みに来る店も知っているそうでした。その後いろいろなメンバーが集まりましたが,結局高知4,香川1,徳島2,恩師1で,思ったより少人数でした。大学卒業以来会ってなかった人も多く,とても懐かしい時間でした。 でも,私は14日に少女バレーの試合があるので,日帰りしなければならず,酒を一滴も飲めませんでした。本当に残念でした。9時前までウーロン茶を飲んで,みんなと別れて帰途につきました。でも,久しぶりに会った友達は,やはりおもしろい話が多く,行ってよかったと思いました。
2010年08月13日
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4日の午前中は,久しぶりに中央病院へ行き,検査を受けました。余り節制したわけでもないのですが,血糖関係の数値はとてもよくなっていました。毎日のウォーキングのおかげかな?なんて思っています。 4日午後から6日午前まで,2泊3日で青少年赤十字のトレーニング・センターがありました。私は県の指導者協議会の幹事長をさせていただいているので,開会式の司会などをしました。今年は参加者がとても少なく,6校11名と,これまでで最少でした。15年ぐらい前には120名近い参加もあったのですから,ちよっとすごい減少です。でも,今回の11名は,その分すごく内容の濃い研修ができたようで,全員「来てよかった」「すばらしい思い出ができた」と,感想文に書いていました。年に1回ですが,トレーニングセンターに集まってくる先生方というのは,本当にボランティア精神にあふれた,素晴らしい先生方ばかりです。その中で,参加者の子どもたちの態度や取り組みの姿が劇的に変わっていく様子は,毎年感動ものです。来年56年生のお子さんをお持ちの保護者の皆さんは,ぜひ参加させてみてください。 トレセンから帰ると,さすがに疲れていて,バレーの指導に行くまで寝てしまっていました。バレーの指導をして,帰って夕飯を食べたら,11時過ぎまで寝てしまっていました。ボランティアとはいえ,2泊3日の指導は,指導者にとってはとてもきついのです。
2010年08月06日
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27日に松茂で携帯とインターネットについての講演をしてきました。PTA向けだということで,ちっょと過激目にプレゼンを構成し直して,ちょっとショックを与える?ように話をしました。ただ買い与えるだけではいけないという危機感をある程度持っていただくには,これしかないと思っています。終わった後,担当の社会教育主事の先生が,「みんなすごく感想を書いてくれている!」と驚いていました。昨年も同じ場所で企業の人向けに話をしたのですが,それもけっこう評判がよかったそうです。 それから,今勤務校では,個人懇談中なのですが,あるお母さんから相談を受けました。中学生になる兄が,最近家のパソコンでいわゆるエロ画像のあるサイトを見ていたということの相談でした。フィルタリングをするように助言しましたが,でも,ある程度そういうものも見せてあげるのも必要かもと言っておきました。男がそういう部分を無くしてしまったら,いよいよオネエの方向に行くか,命が絶えるか・・ですよって。まぁ,母親が「親」という絶対的な自分の故郷的身内的存在から,ある部分では「1人の女性」に見えたりする時期でもあるので,基本的に異性の親は「知っていても知らんふり」を決め込むぐらいでいいのでは? まぁ,結果,そのお母さんの余裕たっぷりな対応には感心させられましたが,担任を外れて管理職になると,身近に相談に来る人が少なくなるだけに,実はとてもうれしかったです。
2010年07月29日
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19日は,小松島港まつりのイベントで,なんとブルーインパルスが飛来するというので,息子その2とかみさんと3人で出かけました。道路が混雑していて,予定の場所には時間までに行き着けず,国道脇の田んぼの中に車を駐めて展示飛行の様子を見ました。もうずいぶん前に松茂に来たのを2度ほど見たのですが,今回のが一番すごかったです。とにかく,スピードとスケールの大きさにただ目を見張るばかりでした。特に,空中に1kmはあろうかという大きなハートをスモークで描いたのは見事でした。 Youtubeブルーインパルス 2010.7.19 in 小松島 その後,一度ご飯を食べに行って,それから赤石埠頭へ行き,護衛艦「はるゆき」の中を実際に見学させてくれるというので,混雑を覚悟で行きました。実際行くと,すごい混雑でしたが,「はるゆき」と「いそゆき」の2艦が並んで停泊していて,簡単な荷物検査だけで乗船させてくれました。船上は魚雷発射管やミサイルランチャ-,ハープーンミサイル(対艦ミサイル)のランチャーや主砲など,もうはっきり言って「亡国のイージス」で見たような装備がずらり。海上自衛官の服装も凛々しくまさに日本を防衛しているんだなぁという感じでした。埠頭には,陸自の善通寺師団からも装甲車やミサイルランチャーや機銃台のような装備も展示していました。 帰りもすごい混雑で,4時半に小松島を出て,帰り着いたのは6時半を過ぎていました。帰りの車の中で,こんな事を考えていました。ひよっとしたら「元寇」で日本が負けていたらわれわれは中国語を話していたかも知れないし,先の大戦でマッカーサーがソ連をはねつけてくれなければ,津軽海峡が国境になっていたかも知れない・・・。いつまたどこの国がどんな侵略をしてくるか分からないだけに,本当に日本の防衛は大事です。 それなのに,日本の国旗を揚げるのはいやで,君が代も歌いたくないという教育を推し進めている団体出身の人が国政の中枢にいるのはいかがなものか・・・どう考えても理解に苦しむ今の日本の現状です。
2010年07月19日
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ここ最近,偶然昔の教え子に会うことが多くて,何となく昔の思い出に浸ることが多いです。数日前,家の前で網戸を張り替えるために網戸のアルミの枠を洗っていると,鳴門からちょうど板野へ帰ってきたときのたぶん15~6年前に担任した女の子がたまたま通りかかって,仕事のことや私の子どもの話など15分ぐらい話しました。小学5年生の時には,休み時間になると私の膝の上に座って,よくいろいろな話をした子です。25才を超えた,もう立派な大人なんですが,何となく子どもの頃のままのような接し方をしてしまいます。 それから,今夜息子の塾の迎えに行って,久しぶりに南小出身のこっちゃんにあいました。小学生の頃はいつもショートだったのに長い髪になって,メガネをかけていて,チェックのスカートで,「先生」と声をかけられてもあまりに印象が違うので急に誰だか思い出せませんでした。いつも同じ塾へ通っているのに,会ったのは本当に何年ぶりでした。 まぁ,2人とも私を見ると「先生!」と挨拶してくれるから本当にうれしいのですが,中には会っても知らん顔をする子も少なくありません。相手に知らん顔をされてまで声をかけるのも面倒くさいし,いやがられても困るので,相手が声をかけない限り,私の方から「○○さん」などと声をかけるのはやめることにしています。 もっとも興ざめするのは,中学高校と面と向かって会っても知らん顔をしていたのに,どこかのスナック等で客として会うと今までの無視はまるでなかったかのように「先生!」と懐かしげにオーバーアクションで親しげにする子です。最近は,どこへ行っても知っている子がいるような感じです。おかげで近辺や市内のスナックに行くのが大きらいになってしまいました。まぁ,もともと女の子が横に着くような場所は,何をしゃべっていいのか困り、気を遣うばかりなので,好きではありませんが・・。
2010年07月17日
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日曜日は,親父の13回忌と祖父の7回忌の法要でした。前日の土曜日には娘の車がついに納車になりました。買ったのは日産のオッティという日産が売っているけど実は三菱のekワゴンのOEM版です。中古とは言え,日産の会社が登録していて,どうやら試乗車かなんかだったらしく,登録8ヶ月目という車でしたが,内装も機関もほとんど新品でした。 で,娘に運転させてオートバックスへ行き,ETCをつけました。ちょうど何かイベントをやっていて,ビンゴゲームに参加すると,なんと10人にしか当たらないというTシャツとタオルのセットが当たりました。それからまたまた娘の運転で自宅まで帰り,今度は息子その2も乗せて大麻比古神社へ行き,車のお祓いをしてもらいました。 それから,夜になって,京都から帰ってくる息子その1を尼崎まで迎えに行くことになって,やっぱり娘に運転させて,高速を室津まで走りました。そこからは私が運転を代わって,尼崎をめざしましたが,途中で息子その1が飲み会からの帰りということで,電車の中で寝過ごしてかなり乗り越したという事が分かり,結局三宮で落ち合いました。帰ると2時近くなっていました。 いよいよ法事の日です。親戚がたくさん来るので,朝から大忙しでした。朝忘れずに参議院選挙の選挙投票に行きましたが,息子その1は成人後初めての投票でした。 妹夫婦とその子どもたちが来たのを皮切りに,どっと来て,総勢25名近く。実は私の教え子でもあるお寺の住職も来て,賑やかにわいわい言いながらも読経が始まりました。前の法事には,息子その2がまだ小さいのに,仏壇の前で般若心経を毎日諳んじていたので,代替わりしたばかりの若い住職のお経より先に大きな声で読んで,住職が甚く感心していた話なども出て,笑いの中無事終わりました。その後,板野南校区の「天満」さんのマイクロバスが来て,お墓へ行き,「天満」さんでおいしい料理を食べました。「天満」さんの料理は口の肥えたうちの親戚のおばさん方にも大好評でした。 親戚を送り出して,家族だけになって,今度はまず娘が寮へ帰ることになりました。私が娘の車の助手席に乗り,かみさんが車で追いかけてくると言う形で鳴門まで行きました。いつもの買い物のコースも走らせてみましたが,心配はつきません。でも,徳島で生きて行くには,車は必須アイテムなので,とりあえずはしっかり乗って,慣れてもらうしかありません。でも,娘が帰った自宅は,火が消えたように静かになっていました。 帰ると選挙の開票が始まっていました。息子その1が真剣に見ていました。何故か教えたわけでもないのに,政治に関する考え方というか,支持政党などは私も息子たちも同じなのは驚きです。結局徳島選挙区の大接戦のけりがつくまで見てしまいました。
2010年07月12日
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今日は,3年生について近くの公園に芋掘りに行きました。ジャガイモを掘って収穫し,隣の畑にサツマイモを植えるという作業でした。一昨年に行ったときにはとても固い畑で,子どもの力ではほとんど掘れないような感じでしたが,今回はやわらかくて,掘りやすくしてくれていました。上の葉や草などもほとんど取り払ってくれていたので,子どもたちはほとんど掘るだけでした。まあ,ありがたくはあるのですが,本来の芋畑がどんな感じで,芋を掘るまでにどれだけの作業が必要か・・なんていう肝心のところは,体験しないままでした。 それでも,とてもよく世話をしていただいた畑で,ジャガイモがけっこうたくさん採れました。学校へ持って帰って,先生方や子どもたちに見せると驚いていました。家庭科主任の1年生の担任に見せると,思惑通り,さっそく「湯がいて食べよう」ということになりました。塩味だけでしたが,採れたての新じゃがは素晴らしくおいしかったです。 ところで,大学へ行っている娘は,ついに自動車の免許を取りました。バイトするためにも,やたら送れとか迎えに来いという手間を省くためにも,公共交通機関のほとんど機能しない田舎で今後も暮らすであろう彼女のためにも,自動車を買ってやらねばなりません。この日曜日にまず最初の中古車屋巡りをやってみるつもりです。もちろん,買うのは軽自動車にする予定ですが・・。
2010年06月25日
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今年も携帯電話がらみの事件が起こったので,今回も四国放送から連絡が入り,テレビの取材がありました。いつも,教育委員会や警察の方の取材と併せて,現場代表みたいな感じでコメントを取材したり,出演依頼があったりします。今回もわりと踏みこんだことをしゃべってしまったので,さてさてどういうふうに扱ってもらえるのかちょっと不安もあります。 そうそう,肝心の放送日は火曜日だそうで,7時過ぎだそうです。コーナー自体が短いので,出るのは多分ちっょとだけでしょう。
2010年06月19日
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南小3年生の研究授業に行きました。人権の授業の指導助言者として呼ばれたのです。久しぶりに行く南小は,3年前とはずいぶん先生方も入れ替わっていて,3年生から下の子どもたちも「だれ?」といった感じでしたが,4年生以上の子どもたちは,「たくや先生来とるなぁ」などと言っているのを耳にしましたので,まだ覚えてくれているんだ・・・とちょっと安心したりもしました。 何名かは昔からの同僚や後輩が居て,校長先生も私が居たときそのままなので,正直言ってその中で指導助言と言ってもちょっと気恥ずかしい感じです。でも,さすがに3年生の授業は,担任の先生の力量も素晴らしく,子どもたちもしっかりした意見が言えていて,11月に控えた研究大会も楽しみだなぁと思いました。 授業研究会が終わったあと,さっそくあんぱんまんにホームページがアップロードできないというトラブルの修正をさせられましたが,まぁ,おまけという事にしておきましょう。でも,一応来賓待遇で,帰りにはお土産までいただきました。学校を出るときにも,かつての同僚たちが集まってきて,わいわいと見送ってくれました。 そうそう,先日のゲームサイトで呼び出された小学生がわいせつ行為をされた事件にからんで,またまたおはようとくしまのプロデューサーからメールが来て,インタビューの依頼がありました。で,明日取材を受けることになりました。
2010年06月17日
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またまた,徳島県内でゲームサイトがらみで小学生が被害に遭う事件が起こりました。夕方のニュースで報道していましたが,犯人はなんと私が住んでいる町内の男性でした。ゲームサイトで知り合った小学生の女児を深夜に言葉巧みに誘い出して,無理矢理身体を触ったというものでした。 まぁ,呼び出されたとはいえ,深夜3時にひょこひょこと出てくる女の子もどうかとは思うのですが,それだけ今ネットや携帯電話のサイトに関する闇の部分は深くなってしまっているということです。保護者が知らない間に,子どもたちはいろいろな問題を起こしたり,被害にあったりしています。 私があちこちの小中学校や自治体に呼ばれて,インターネットや携帯電話の闇の部分から身を守る方法を講演しているにもかかわらず,こういう事件が跡を絶たないのは,なんとも残念で仕方がありません。昨年9月にも同様の事件が起こり,それ以降急激に声がかかり,お座敷が増えました。また今年もそうなるような予感が・・。
2010年06月13日
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