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以前から欲しいと思っていた'80年代洋楽についての洋書「Flashback To Hapiness」がやっと手元に届いたのだった。この本ははっきりいって米国版「'80年代洋楽この1曲」のような内容を予想していたけど、私が予想していた以上にこの筆者はマニアックな御方で、すっかり更新を停止している「一発屋100本ノック」を本当に100本打ったような内容だった。内容は実際に筆者がインタビューしたり、Eメールで問い合わせたりWebで取材したりして'80年代に米国でチャートインしたヒット曲のアーティストやソングライターを取上げているのだけど、その数142人。長く取上げている人で5ページ程度で、どれも簡単にまとめている。とにかくチャートの下位で少しヒットしたという程度のアーティストが多くて、これだけでもチャートマニアだった人には嬉しいだろうと思う。'80年代前半に少しだけヒットしたような曲についての情報は本当に少ないので、マニアな人にはおすすめだ。当然邦訳される訳ないので、今のところ辞書片手に読んでいるけどさすがにここまでマイナーな'80年代洋楽の本はこれからも出ないような気がする。とにかくマニアな人だけに薦めれる本だ。日本のアマゾンで買えるので興味のある人はどうぞ。ちなみに表紙の写真の人達は1人除いてアーティスト達なのだが私は誰1人名前が浮かばなかった。真ん中のヒゲおやじが一番有名だろうけど、誰か当ててみて下さい。
2006年04月08日
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この間の衆院選のネットモニターの謝礼が何故か図書カード2500円分だったので、それで西原の新刊漫画を買ってきた。「東京物語」「女の子物語」と続く小学館のこのシリーズ。分量が少ないのであまり期待していなかったのだけど、今回はそうでもなかった。というかあれは反則だ。大体リボンの母さんだの岩井さんだのみみずとあわびだのしょうもない話の合間にあの短編を挟むのは反則以外の何者でもない。完全に虚をつかれてしまったではないか。あれ読むだけでも900円近く払う価値はあるかな。しかし私は「PLUTO」は読んだ事ないのだけどね。そのうち古本屋あたりで探してみよう。
2005年11月17日
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近くの本屋に行ってみたら、たまたま「ボブ・ディラン自伝」(菅野ヘッケル訳 ソフトバンクパブリッシング)が置いてあったのでどうせ高いだろうと思って立ち読みでもしようと思ったら、1800円だったので、迷わず購入したのだった。えらく音楽本にしては安い。さすがソフトバンクなどと思ってパラパラ中身を見ていたら。安い理由が何となくわかった。この本註がないのだ。洋楽を扱った翻訳本の場合。大体訳注が付いている事が多い。中には私の持っている「ミステリー・トレイン」など、訳注やレコード紹介だけでかなりのページ数のある本なども存在するのだけど、この本には見事に何もない。そのうえこの本。驚くほど固有名詞が羅列される。本当に多い。これほど固有名詞の多い自伝なんて読んだことない。(しかし『自伝』というより、本当にこの本は『Chronicles』というタイトルがふさわしい)幻泉館さんの所でかなり詳しく一部の固有名詞について解説してくれているの本当に助かります。という事は、かなりのディランファンか、アメリカ文化に詳しい人ではないと読みこなせないかといえば、決してそうでもない。勿論その固有名詞についての知識がないと意味がよくわからない部分もあるのだけど、内容自体はその時々の記録、エピソード評論、思いつき、夢想、着想、などなどとにかくとりとめのない記述。ただ散漫にならずに、まるでエッセーを読んでいるように頭の中に入ってくる。とにかく面白い。私は'80年代洋楽がメインなので、当然その時期が一番興味深い。「オー・マーシー」('88)の時期について一章書いてある。まだ全部読んでいないけど、このアルバムのギターはメイソンラフナーだったんだね。この本読むまで恥ずかしながら知りませんでした。このアルバムについては発売当時グリール・マーカス(この本にも登場している)が酷評したのが影響したのか2、3曲しかいまだに聴いた事ないのだけど、確かにこのアルバム以降ディランの歌い方は変化がない。大体この本ブルース・リーだとか探偵マイク・ハマーまで登場する。しかし訳注をつけたら本文なみの長さになっただろうな。しかしちゃんと続編も日本で出るのかな。近頃音楽本なんて本当に邦訳が出ない状況なので、これが少し心配だ。
2005年08月26日
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ああ面白い。何が面白いって「言いまつがい」(新潮文庫)の事である。「ほぼ日刊イトイ新聞」を私が知ったのは、前に楽天で相互リンクしていた人のサイトにリンクしてあったのを見てからだけど、こんな面白い事していたとは知らなかった。多分前に私が書いた事ある「ルパン3世」の主題歌の歌詞を「ルパンだパン」だと思い込んでいたのは、実は私だけではなかったのは感動的ですらあった。そういえばまだある個人的な言いまつがいは、本州の最北端にある竜飛岬を「りゅうひみさき」とつい口走ってしまった事があった、これは今でも友人にバカにされる。多分死ぬまでバカにされるだろう。ちょっと読むだけで爆笑してしまうので、まだ全部読んでいないけど、この本の中に、「ジャガー問題」という章があって、これが非常に興味深かった。ここから続編「ジャガー」という言葉を、本国英国風の発音で呼んでいる人についての報告なのだけど、実の所私も実際「ジャグワァ」ないし「ジャグワー」又は「ジャギュワー」だとは知らなかった。大体「ジャガー」なんて言葉を使っている場面に出くわした事がないのであたりまえなのだが。という事はこの度新作アルバムを発売した千葉県の社長ロッカーもとい宇宙人ジャガーさんは実は「ジャグワァ」なのだろうか?でも宇宙人なので実は普通の発音と全く違っている発音なのかもしれない。ジャガーさん是非答えておくれ。ちなみに、ジャガーさんは一応「ジャガー」と発音していたのだが「だまってジャガーについてこい」とかでは少し違う発音のような気がするのは気のせいか?で、ここでまた真面目な話になるけど、実際英語の日本語表記は難しい。メルマガであまり日本では知名度のないアーティストは基本的にそのまま英語表記にして、ある程度知られているアーティストは日本語表記にしているのだけど(気がついた人いるかな?)この日本語表記を実際の発音通りにするか、あるいは日本で使われている表記にするかいつも迷う。例えばピーター・ガブリエルは本来の発音なら「ピーター・ゲイブリエル」だけど、あまり本来の発音の表記は今でも少ないし、チャカ・カーンとかは「シャカ・カーン」が発音通りの表記だけど、これも少ない。そのため通りの良い(というか検索してどういう表記が使われているかちゃんと調べて)表記を一応採用していたりする。これ以外にも私はどうもカタカナ表記が苦手らしく、たまにここの文章とか掲示板の書きこみで間違った表記をしてしまい赤っ恥かいてしまったりする。もう全部アルファベット表記にしようかな?
2005年08月10日
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中島らもさんの本を読むきっかけは、「らもチチ魔界ツアーズ」が文庫本で出ている事をふとしたきっかけで知ったからだ。「らもチチ」というコンビは流浪のコンビで、様々な媒体で突如始まりとりとめのない話題で盛り上がり、すぐに姿を消すという印象が強かった。何が始まりなのか私もよく知らないけど、確か朝日放送の「MTV」の後番組の情報番組(だったと思う)で、コーナーをもっていて、これが何故か常に野外ロケだったのを思い出す。しかし何をしていたか全然思い出せないけど。関係ないけど、「ポッパーズMTV」の後番組にピータ・バラカンが一曲だけミュージック・ビデオを紹介するというコーナーがあったけど、これを知った時は悲しかった。とにかく、中にはNHKの昼の番組にも登場していたという事もあった「らもチチ」が、ちゃんとしたラジオ番組を持っていたのを知るのは私がまだ東京暮らしだったとき、田舎に帰ってきてたまたま寝れないのでラジオをつけっぱなしのまま寝た時だった。聴いて驚いたのは、基本的に「月光通信」の頃と全然変わらんらもさんの話と、訳のわからんコーナー群。まさか「月光通信」のあの雰囲気がもう21世紀になる時代に蘇るとは思わなかった。私の田舎では土曜深夜の3時という殺人的な時間に放送していたけど何故か殆どリアルタイムで聴いていた。今思うと何故録音していなかったのか凄く残念だけど、あの独特の雰囲気はその時に楽しむものなのかもしれない。何を話していたかはここを見てもらえば大体わかるけど、年齢的なものもあるだろけど過去を振り返るという話が結構多い。そこでこの話を本でまとめたのが「らもチチ 私の半生」(青春編、中年編各1冊 講談社文庫)という訳だ。読んでみると結構ラジオで聴いた話多い。中には途中で寝てしまって覚えていない話もあるけど、それもまた楽しい話だ。「魔界ツアーズ」を聴いていた頃は、落ち込みつつも再起を目指すという状況だった私だけど、今思えばそれなりに楽しい時期だった。丁度精神的に厳しい時期にこれを読めたのは本当に一服の清涼剤だった。そしてそこかららもさんの本の乱読が始まるのである。
2005年06月09日
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吾妻ひでお「失踪日記」を読む。いや~面白い。こんなに一気に読んだマンガは久しぶり。いいものを読ませてもらった。吾妻氏が失踪したのは私も何の媒体で知ったか記憶にないが(『噂の真相』かな?)何故か知っていた。そのうえ「再起不能だ」という話だになっていてそれは可哀想だなあと思ったものだ。「がきデカ」全盛時の少年チャンピオンは立ち読みで読んでいて、吾妻氏の「ふたりと5人」も読んでいたけど、実はあまり印象はない。その後マニアックな路線になってSF村の一員となった一連の作品郡も実は読んだ事はない。つまりあまり吾妻氏の漫画に詳しくない私だけどとにかく「失踪日記」は吾妻氏の漫画に詳しくない人でも面白く読める話だ。なにせ失踪してホームレスになる話と、そこから配管工になる話と、アル中の闘病記が1冊の本に詰まっているのだ。こんな本初めてだ。ちなみに暗い話は殆どない。わざと笑えたり明るい話ばかり書いているけど、ダークな部分を書けば作品として成り立たなかっただろう。書くほうもかなりの精神の磨耗となった筈だ。実は私もホームレス試した事あるけど、3日で断念した。当時寒い時期だったのが大きいけど、吾妻氏はわざわざ寒い時期にホームレスになっている。よっぽど精神状態が悪かったのだろう。人と会いたくないという状態と寒いのはつらいという状態でが対峙して、会いたくない方が勝ったわけだ。また配管工の話はよくわかる。まさに今の私がそんな状況。でも吾妻氏がこの会社を逃げ出す状況は、私が20代の時同じような状況である仕事を逃げ出した事を思い出した。あの頃は私も嫌になったらよく逃げ出していた。それが今では周りから嫌がられても仕事にしがみついているのだから私も大人になったものだ。また肉体労働すると芸術したくなるというのは本当にその通りだ。暇な時はそうでもないんだけどねえ。アル中の話は途中までで、この後続編もあるらしい、しかしこれが予想以上のヒット作になっているので、また何か嫌になって逃げ出したりする可能性もあるけど、楽しみに待っていよう。
2005年05月05日
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チャーリー・カウフマンの書いたシナリオを読むために久しぶりに「暗闇のスキャナー」を再読してみた。もう10回ぐらい読んでいる小説だけど、再読するのは3年振り。いざ読んでみると結構忘れていた箇所があって脳が老化しつつあるんだなと再認識する。映画化を前提にして読んでみたけど、この話、ドナ・ホーソン役はかなり重要な役になるだろう。この役が弾けないと単純に暗い話の映画になるかもしれない。しかし原作では黒髪のドナだけど、映画のウェノナは珍しく金髪なんだよね。この人が地毛で映画出るという事はかなり気合入れて演技していると考えていいのかな?映画とは関係ないけど、近頃気が付いたのは、ウィノナ・ライダーとシンニード・オコーナーって結構顔が似ているね。お騒せな所とか髪に対するこだわりもそうかもしれないけど。なお映画の方は何故か米での公開が今年9月の予定が来年2月か3月に延期になってしまった。しかし映画の予告編は様々なサイトで視聴ないしダウンロードできる。私は米MTVのサイトでダウンロードしたよ。(今はもうないけど他にもいくつかあるみたいなのでで探してごらん)延期という事は結局テスト試写の結果が思わしくなかったという事だろうか?どちらにしても再編集などの作業が必要な自体になったと考えていいだろう。予告編を見る限るかなり原作に忠実な映画みたいだけど唯一謎なのが「Seven Years From Now」という文句。近い将来スクランブル・スーツ着た捜査官でも出現するようになるという意味かな?また映画には主人公の妻が登場するらしい。ここのところが原作ではかなり曖昧で、結婚しているのか、子供がいるのかよくわからないのだけど、どういう形で登場させるのだろうか?とにかくもう少し待たされそうなのでじっと我慢という事だね。
2005年04月12日
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本屋に行ってみたら、フィリップ・k・ディックの「ドクター・ブラッドマネー」(創元SF文庫)が置いてあったので、さっそく買ってきた。サンリオ文庫で以前出ていた作品で、出版されてすぐサンリオが出版事業から撤退したため入手困難になっていた作品の新訳版。ただこの本に関しては創元の近刊予定に入っていなかった作品なので素直にうれしい。作者自身もかなり気に入っていた作品で、いわゆるディックの普通のパターンの小説(主人公が窮地に陥ったり、多元的世界の描写など)とは違ったタイプの作品に仕上がっている。「高い城の男」あたりの作風に近い作品。それにしても少し驚いたのは創元から出ていたディックの文庫本の多くがすでに絶版になっているという事。絶版になっている作品は、彼の作品の中でも比較的評価の低い物が多くて、その点では仕方ないかなと思うものの、早川書房がなかなか絶版にしない事もあり、やはり残念。比較的最近に刊行された「アルベマス」や「ティモシーアーチャーの転生」も絶版だ。この2作は私は好きなので惜しい。「タイタンのゲームプレーヤー」や「死の迷路」などの典型的ディック的作品の中では比較的好きな作品も入っている。これからディックのファンになる人はこういういかにもペーパーバックのSF的な作品も読んでもらいたいものだけど、そういう作品の中で残ったのは何故かこのブログのタイトルの作品のみ。でも「去年を待ちながら」が何気に評価高いのではないかと思うと少しうれしかったりして。それにしても創元の近刊予定に入っていたいくつかの作品はもう出版されないのかな?どの作品も極めて評価低いので出す価値がないという事になってしまったのだろうけど「暗闇のスキャナー」も映画化されるしその時期あたりに何か新刊出ないかなあ。しかし「暗闇のスキャナー」予告編見たけど。本当に見たいよう~これは凄い映像だね。大賛成だよ。早く公開しておくれ。(見るにはQuich Time必要)この予告編を調べていたら、何故急速にアクセス伸びていたかやっと分かった。やはりキアヌ・リーブス主演だと注目度が違うという事か。
2005年03月06日
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西原理恵子の「上京ものがたり」を読んだ。しかし西原って凄いよな。あんな絵(人生一年生2号を参照あれ)で絵本作って、これがいい味出しているんだから。煮詰まった時は原点に戻るという訳でもないだろうけどこれは以前から暖めていた話なんだろうな。一番身につまされたのが29話。いや~本当に違う世界って感じなんだよね。しかしNHKの朝ドラの題字とタイトル画担当するまでに出世したんだから本当に大ブレイク間近だったりしてね。とにかく地元新聞の扱いは少しはよくなるだろうと予想してみる。しかし近くの本屋に「ぼくんち」置いていないのは弱った。映画見たのでさて原作はと思いさがしてみたら全然置いていない。西原の本は一般書籍扱いが多いけどコミックのコーナー扱いの本はとにかく見つけずらい。なんとかしてほしいものだ。(散々さがしてやっと見つけたけど。)
2004年12月09日
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ニック・ホーンビーの「ソングブック」(森田義信訳新潮文庫)をやっと読んだのだった。自分がメルマガ始める時に、自分の曲についての感想をだらだら書こうか、それともデータ中心の重箱をほじくり返したような文章にしようか迷い、結局後者にしたんだけどホーンビーは前者のやり方で曲について語っている。そのため極めてパーソナルな曲についての文章なんだけどすごく面白い。本来ならこういった個人的趣向の文章はあまり面白くないのが普通なんだけど、ホーンビーの場合は曲を語りながら自分の人生をも語ろうとしている。たとえていうならダイヤー・ストレイツの「ウォーク・オブ・ライフ」のジョニーみたいなものだ。あくまで音楽が上位にいてそこからその音楽を聴いていた瞬間や、その時代についての自信の感情を語っているといった感じか。実を言えば、私の趣味とホーンビィの趣味はそんなに被っていない。それはホーンビィが近頃のポップ音楽も興味の対象なのに、私はそうではないという違いなのかもしれないけど、結構聴いた事のない曲も多い。という訳で、新潮社はこの作品に収められた曲のオムニバスCDをどこかのレコード会社と共同で出して欲しいものだ。多分無理だろうけど。あと予想外だったのはホーンビィがグリール・マーカスに影響を受けている事。実際パティ・スミスについての記述はそんな感じがしたけど、マーカスって日本の翻訳者がもっと簡単に訳したらもう少し読者が増えると思うけどどうだろう?そんな事よりもう少し邦訳出す勇気ある出版社はないのかな?ディランの本だけでも邦訳出して欲しいものだ。(『デッド・エルヴィス』以降邦訳は出ていないんだっけ?)とにかく「ハイ・フィデリティ」小説版好きな人には必読の書だよ。
2004年10月24日
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近頃仕事が脳味噌の腐る仕事のためかやたら活字を求める。本当をいえば家も狭いので出来るだけ本は買いたくないのだけど、こうなると仕方ない。以前1人暮らしをしていた時期、新しい部屋に引っ越した当初部屋には一冊も本を置いていないかったにもかかわらず、1年たったらカラーボックス4つ分の本の量になっていた。当初部屋がやたら広く感じられたので、自主規制なく本を買っていたらそんなに増えてしまったという訳だ。近くに使える大型の古本屋がいくつかあった事も関係している。という訳で、ここの話題も今後読書関係が増えると思う。以前は映画もよく取り上げていたけど、現在映画は3ヶ月見ていない。ただ今日久々に鑑賞予定。少し余裕が出てきたという事かな?(この映画に関しては2,3日後に書く予定)そんな感じで、いろんな本を読んでいるけど、今回は本についてではなく、私の勘違いと今後買う予定の本についての話。なぜかどちらもいままで殆ど買った事のない光文社の本についての話。近頃ハマっている森達也氏の著作で、一番読みたかった「放送禁止歌」をやっと買ったのだけど、この本は現在文庫版が光文社の「知恵の森文庫」というシリーズから出版されている。これを私はつい今日まで三笠書房の「知的生き方文庫」に収録されていると勘違いしていたのだ。だって地元の本屋には「知恵の森文庫」は全然置いていないのに、「知的生き方文庫」は大体置いているのだ。しかししょうもないハウ・ツウ物ばかりの「知的生き方文庫」になんでこんな硬派なドキュメンタリーが収録されているのかそれは不思議だったのだが、まあたまたまそういう事もあるのかなと勝手に納得していたのだった。今日本屋行ってみると、なかなか品揃えのいい文庫シリーズがあるなあと思って見ていたら、これが「知恵の森文庫」で、音楽本もいくつかある。「これはチェックしとかなければ」と思ってタイトル見ていたら見つけて。「ああ~間違っていた」と気が付いたのだった。しかしこの「知恵の森文庫」。次に読むにはやはりこの本だ。http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=4334783201で、別の本屋で、江戸川乱歩の文庫版の全集を見かけた。これがまたまた光文社だったりする。'80年代後半に春陽堂が文庫版全集を出していた記憶があるけど、それ以外にもいくつか乱歩の作品集が文庫版で出ていた。しかし私はどれもあまり本屋に置いていないという理由で購入しなかった。でも乱歩の作品は大体読んでいる。これは図書館で借りて読んだからだ。しかし5年に一回は乱歩って読みたくなるね。だからたまに古本屋にいって「孤島の鬼」とか買ってきて読んでいたけど、さすがに今回の全集は揃えようかな。なかなか読みやすい感じだったし、作品解説もついている。作品については今回は触れないけど、やはり乱歩の作品はネーミングが最高だ。どちらも20面相物だけど「電人M」だとか「青銅の魔人」とか最高ですよ。「電人M」話はそんなに面白くなかった記憶あるけど。文庫版の全集はちくま文庫の坂口安吾は全て揃えて以来買っていない。その坂口安吾も来年には著作権切れで青空文庫に大量にUPされる予定だけど、もう亡くなって50年経つんだね。そうか坂口安吾も古典になるのかと思うとなんか不思議な感じ。年月の経つのは早いものだなあ。
2004年10月17日
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中島らも氏が亡くなった。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040727-00000513-yom-soci階段で転んだというニュースを見たとき、多分終わったなと思ったけど、不思議と危機状態から抜け出してきた人なので、もしや奇跡がという一抹の期待もあった。でもダメだった。現実とは残酷なものだ。実をいえば、私はらも氏の熱心な読者ではない。持っている本も今は2,3冊しかない。(以前はかなり持っていたのだが、何故か見当たらない。多分捨てられたのだろう。)私は中島らもという名前を知ったのは、FM雑誌に載っていた広告だった。「月光通信」というFM大阪の深夜番組の広告が最初で、変な名前のDJがいるなあという程度の記憶だった。それから少しして大阪に出て、たまたま眠れない時にFMをつけてみれば、やたら先鋭的な洋楽と共に、変なおっさんの全くテンポのない脈略のないしゃべりに「なんちゅうラジオだ」と釘付けになったのであった。それが「中島らもの月光通信」だった訳で、今でもこのFM番組以上の衝撃を与えたラジオ番組はない。それだけ破天候な番組だった。なにせ、DJがしゃべらない。平気で1分ぐらい無言でいる。そのうえ飴なめながら話していたり、ガムかみながら喋っていたり、静かにしているので何事かと思ったら寝ていたり、とにかくむちゃくちゃなDJぶりだった。ゲストも、ラジオ局の守衛さんとか、ジャイアント馬場とか(これはお流れになったかもしれない。)かなり強烈な人達だった。とはいえ基本的には当時のマイナーなミュージシャンが中心だったと思う。漫画家のひさうちみちお氏がゲストに来たときのテープはまだ所持していて、ひさうち氏がまだ上京していなかった時期で、かなりバカな話をしていたりする。音楽は確か大阪の輸入盤屋がすべて面倒を見ていて、当時の英国のインディー系の音楽がよく流れていたたまに特集があって、キュアー特集とか4AD特集とかしていた記憶がある。この番組で気に入ってレコードを買ったアーティストもいくつかいた。これもかなり斬新な選曲だった。このラジオのおかげで、中島らもという人はすっかりDJが一番面白いという先入観が出来てしまい、今でも彼の小説はあまり読んでいない。(それ以前に、私があまり小説を読まなくなったという事が大きいのだが。)丁度田舎に帰った時期に「らもチチ魔界ツアーズ」を放送していた時期で、「またラジオに復活している」という訳で嬉しかった。これはあまり脱線しなかったけどそれでも十分面白いラジオだった。その翌年にNHK教育の番組で、アル中による衰え振りを目にして、「あんなんでラジオ出ていたのか!」と驚いたのだけど、結局あれから3年頑張ったわけだ。そんな訳で、今私も久しぶりに少し飲みながら書いていたりする。思えば大阪時代が一番面白かったなあ。そんな事を思い出しながら呑んでいる。らも氏が亡くなって、そんな時代も去っていくんだなあと。とにかくらもさんさようなら。
2004年07月27日
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珍しく日記風に書いてみよう。私のめい(小学5年)が学校で「感動した本」を個々の生徒が発表するという場で、「はだしのゲン」に感動したと言ったら場内爆笑だったらしい。この話を聴かされた時に思い出した。実は私「はだしのゲン」って読んだことないという事だ。私の田舎は教職員組合が強かった地域のためか、平和教育とやらに熱心な地域だった。そのため教育映画やら戦争の体験者の話やら平和コンサートやらそんなイベントを強制的に参加させられたものだ。少し嫌味な書き方をしたけど、だからといって「洗脳しやがって」と西原理恵子みたいにには別に思わない。かえって嫌な授業の時間が潰れてくれてよかったと今でも思う。(でも全然内容覚えていないけど)そんな地域でありながら何故か学校の図書館に「はだしのゲン」は置いていなかったような記憶がある。私は小学生時代学校の図書館にあった本の7割くらい読んだので、これは多分間違いない。(中学生になってから漫画はあまり読まなくなったので興味の対象外となった。)そんな訳で、今でもちゃんと「はだしのゲン」は読んだ事ない。ただ大体のあらすじについて知っているだけだ。だからもしかして「可笑しい話」なのかもしれないし単純に「古臭い話」なのかもしれない。だから他の子供は「変な奴だ」という訳で可笑しかったのかな?まあ今の小学生は私にはよくわかんないけど。これに関連して、『火垂るの墓』も見たことがない。(読んだ事もない。)ただこれはちゃんと理由があってそれは「見ると鉄板で泣いてしまうから」という理由だ。私は「見ると鉄板で笑う」という物はどうにかして見ようと思うんだけど、泣くのはそういう気にならないのだ。しかし、もし今年日テレが『火垂るの墓』を放送するなら見てみようかと思う。そしてどういう反応をするのかちゃんとここへ書いてみようと思っている。しかし放送するかな?同じように、「はだしのゲン」も読んでみようかな多分ここへ感想は書かないけど、今では電子書籍にすらなっているらしいので、それをダウンロードしてみようかなと思っている。しかしこの「はだしのゲン」フラッシュはかっこいいね。
2004年06月29日
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