ネオリアヤの言葉

ネオリアヤの言葉

矛盾




「世界中の知恵を集めても、戦争という結論しかでなかったのでしょうか」

新聞のコラムに眼を通しながら、ため息をついた。
隣では、
今回のイベントチームの一人である田邉さんが
プレスリリースの最終チェックをしている。
部屋の奥の、壁沿いに並んだ十個のテレビからは、
空爆の映像が絶え間なく流れていた。

「こんなときにリリースもなにもないよな、なぁコンノ」
「本当ですよ」

勢いで明るく返しながら、またこぼすともなく、
心の中でため息をついた。
田邉さんは相変わらずリリースの確認に余念がない。
土曜で、人の少ない社内を見渡しながら、
彼の眼のうえで私の視線は止まった。
そして自然な流れで、手元へと移る。

「手が気になるって、動物的感覚として当然なんだよ」

田邉さんの言葉が蘇える。
部署の仲間で飲みに行き、
酔っ払って調子に乗った数人でフェチの話をした時のことだった。
それぞれ、お尻や筋肉といった部位をあげ、

「そうだな~、○○さんみたいな」
「マッチョとは違うよ、云っとくけど」

などと、かなり具体的な例えを用いていたのを覚えている。

「コンノは?」
「手、かな」

躊躇いもせずに、笑って自分の手を拡げた。

「どんな手が好きなの?」
「そうだなあ」
「綺麗な指とか?」

向かいに坐っていた近藤さんが訊く。
綺麗な手じゃなくて、乾いて、使い込まれた手…
そう云おうとして間をおいたとき、

「俺の指どう?」

隣で飲んでいた田邉さんが、
突然私の視界に自分の手を差し出した。
ビールグラスを唇にあてたまま、私は驚いて眼を見開く。
まっすぐに伸びた、爪の短い、綺麗な指をしている。
まじまじと見たのは初めてだった。

「…綺麗な指ですね」

素直な感想を述べたけれど、
それが私の質問への答えになってしまったのがわかる。

「手って、躰の先端じゃん? 人間の感覚やセンサー、いろんな機能が先端に集約されてるから、顔や手ってその人間を顕著に示してるんだ。先端が綺麗なのってそのレベルが高いってことなんだよ。だから、そこに眼がいくってのは、動物的に自然なことらしいよ」

私は返答に困った。
まるで私が田邉さんの手を、そして彼を好きなような流れになってしまった。
違うんだけど、彼の熱弁を訊いていると、それを否定してまで
「でも私は無骨な手のほうが好き」
と云う意味は失われた。

周囲も言葉につまり、感心したような複雑な視線で、
自分たちのグラスを手にした。

田邉さんの手は、物書きの指だった。
白くはないけれど、指先まで均等な細さを保ちながら、
まっすぐに伸びている。
艶のある、少し日に焼けた指だった。
嫌いじゃないけど、違うよな…やっぱり。
赤ペンを回しながらせわしなく動く手元。

「ため息なんかついて」
「え? 私、ため息ついた?」
「大丈夫か?」

彼は原稿から視線を上げない。
あの晩から、私は妙に田邉さんの行動や視線の先が気になっている。
時々眼が合うと、変な気分になる。
どんな顔をしていいのかわからず、
曖昧に視線を逸らしたり、時間をおいて笑ってみたり、
自分でもよくわからない、根拠のない態度に出てしまうのだ。

「戦争が起きても、世の中は動いていくんですよね」
「仕方ないだろおなぁ…俺たちも食ってかなきゃなんないしな」

ようやっと眼が合う。
片方の眉がゆっくりと上がり、鼻から先に笑う彼の笑顔が広がった。
つられて私も笑う。
その微笑の意味がイマイチわからないままに。

「ようしオッケー。これファックスしといて。営業に行ってくるからさ、俺」
「は~い」

あんなことで自分の好みを振り返るくらいなら、
たいして手に拘りも持ってなかったんだろうか。
そんなことを思いながら、ファックスの準備を始める。

「週明けの中ごろには各局の戦争ネタも落ち着いてくるだろうから、その時のために情報は流しておかないと」

昨日の、上司と田邉さんの会話が蘇える。

人の心理操作で起きる戦争は、
本当の意味では、人の心理が及ばない現実。
なのに、何の根拠もなく物事が進行していく社会。
例外なく、私もその流れのなかで生活し、
他愛のないことに翻弄されている。

テレビでは明け方の空に光る、ミサイルを映し出していた。




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