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落ちている・・・完璧に。恐ろしい・・・。云いたいことは、準備さえすれば伝えることができる。たとえそんなにしょっちゅう話してなくってもだ。しかし、リスニングはそうはいかない。がたおちである。さっき、ロンドンと電話で話していたのだが、相手はフランス人であろう女性で、彼女の英語を訊ききながら感じたことは、「私、単語の拾い訊きで、想像力をフルに活用してる」。リスニングができないと、コミュニケーションにならんやないけー!!と叱咤激励するも、現在、環境を整えていないので難しい。明日、とあるデザインオフィスのイギリス人デザイナーから残暑パーティーに誘われている。いきなことを考えるもんです♪「仕事が終われたら行くよ」と返事していたが(英語でね)、これは「参加することに意味がある=仕事に必須」かと痛感。アレックス、明日、ワイン持って行くよ。私に英語シャワーを浴びせてください(笑)。はあ・・・・・・・・・・・・。
2005/09/01
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朝、目が覚めて、まだ半分眠ったままの意識のなかで考える。「今日は何をしようと思っていたっけ」そういう休日。原稿を書いて、メールをチェックして返答して、食事を作って、外を見て洗濯をして、本屋に行ってCD屋に行って、気が向いたら映画を観て。そうしてみて、夕方ころ気づく。「今日は見たい写真展があったんだった」。「そうだ、この前会った人にメールしようと思ってたんだ」。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::銀座のウインドウデザインはやっぱりいい。どこもかなわないくらいにいっぱい揃ってる。新しいもの、歴史のあるもの、どうってことないものもあるけど、そこには確かにいいものがある。人を惹きつける一瞬の出逢い。愛情と情熱とイメージと、私はときどき、それらに触れにいく。
2005/08/28
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渋谷の朝、すっかり酔いも醒めた頃。終電を逃して友人たちと別れ、すでに1時半から、「TITLe」や「marie claire」の雑誌を完読し、吉田ルイ子さんの「ハーレムの熱い日々」を読み終え、すっかり思考回路はクリエイティヴ刺激うけまくり。始発の時間より早めにジョ●サンを出て、デジカメ片手に渋谷駅までの道程をゆっくりと観察した。まず驚いたのは、この若人↓↓↓ 車道を横切り、私の視界に現れたと思いきや、そうすることがすごく当たり前のようにして、ビルの入り口の階段下で寝た。「おやすみなさい」って感じで。あのさー、あと30分もしないで始発なんだしさ・・・もうちょっと頑張ろうぜ。若人よ。ついで、ちょっと空模様↓ あかりのついてない広告看板のうえに、空が白み始めてる。私は空を見上げるのが好きだ。瞬間、毎秒、毎時間、毎日、一生、世界が続く限り、同じ空は二度とない。見えない。空気が違えば、空の印象はそれだけで全く異なる。幸せそうだったり、淋しそうだったり、高かったり低かったり。よく空を見ながら歩くので、ときたま看板にぶつかる。そして、東京の不思議↓ 東京には「東京タクシー近代化センター」があるんだってさ。知ってた?22時から6時まで専用の乗り場・・・。どこに並んでいいのかわかんなかったのですが、でもとりあえず、朝5時の段階では一台も止まってませんでした。「お気づきの点」だったので、連絡したほうがいいっすかね。ここ数日、アタマも感覚も、すっきりしてきて色々なことを素直に感じることができるような気がしてきた。今を大切にしよう。
2005/08/27
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呼吸が今朝は 少しだけ浅いキミに電話をしたらいいのかメールしたらいいのかちょっとだけ心が迷っている同じ場所に戻るなんてことはないそれはわかっていてでも浅い期待で 私はキミと笑いあえる日をめざすよキミが想ったことをメールで返信してくれること迷わずに言葉を発してくれることでもきっと そこには記憶は残ってしまうんだろうかすべて消せたらいいのに消してもう一度出逢えたらいいのにそしたら 私はもう間違わない二度と同じことは繰り返さない大切な友達のまま笑っていたいよ
2005/08/20
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泣かなかった「私はあの頃よりもキミを好きになっているからもしキミが同じでないならもう好きじゃないと云って欲しい友達のままでいようと云って欲しいこのままじゃ私が苦しいから」キミは「じゃあそうしよう」と云った「私はキミを大好きだけれど人間としてもとても好きだし魅力的だから友達としてキミを失うのも苦しいでも恋愛じゃなく友達でいることを選択するならそれを受け入れる受け入れる努力をしよう」キミは云う「俺のこと好きじゃなくなればいいじゃんて云ってできるものなの」私はキミの眼を見つめるああなんてキミは正直でひどい人なんだろうこんなときだけキミは言葉を濁さないでもそうね苦しいけれどキミとつながっていたいという私の心があるかぎりそれを努力するんだろう「俺も連絡しないし あなたも連絡しない」そのほうがいいんじゃないかとキミは云うキミはそれでいいと想うのかもしれなけど私にはそれができないキミと全てを失うなんてことできない「それは苦しい」「友達ではありたい」「俺は・・・できるかもしれないけどあなたにそれはできるの」反論の余地も強がる余裕も私の心には残っていないただ 少し疲れた楽しかったけれど ひどく疲れた「もうこれ以上続けられなくなったらキミに云うよ友達としてこれ以上苦しくなることがあったら」「わかった・・・」「・・・ありがとね」私は助手席のドアに手をかけるこの先 今以上にキミを想う心が苦しむことなんてないこの先 どんどん想いはなだらかな坂を下り 優しくなる「何がありがとうかわかんないけど」キミは冷たいとも優しいともつかない表情で私をみた「俺は云ったことは変えないよ」そうね それでいい私は声にせず想う私のことを好きだったかなんて 訊かないキミの想いを確かめたり 引き止めようなんてしないそんなことしたら泣いてしまうぎりぎり 自分の心を傷つくことから守っている苦笑私はキミを好きだった車を降りて まっすぐ布団に入ってタオルケットを頭まで被って 声を出して泣いてみたすぐに涙が止まる笑顔のままでキミにおやすみできたことキミが最後の最後 この関係の最後に初めてちゃんと笑顔でおやすみを云って去っていったことそうして心があるべき場所におさまった戦友になんかなるつもりないけど私はキミが好きだった そして大切に想ってるその勝手なところも私たちは最後の最後まで勝手で わがままで 自虐的なまでに振る舞ったキミがその人を大切に想う気持ちがずっと変わらないように私がその人を大切に想う気持ちがこの先も変わらないようにキミと私は何かを共有したキミと私は何かを無くしたキミと私は何かを・・・笑顔のままで
2005/08/17
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この春から、コンスタントに聴いてきた彼らの曲を、今夜またエンドレスで聴いている。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::「海のバラッド」手をつないだら はずかしくなってそっと波の際を歩いてみる風の音なら 空の呼吸だねきっと世界の事 繋いでる何だか不思議だよねこの時を分け合うって君といれると 僕は誰でもなく本当の自分に近づける気がするよ二つの影 砂浜に寄り添って僕らの前には 海が広がるよ目と目が合って 照れくさくなってそっと波の数を数えてみる風の音なら 命の鼓動だねきっと世界の事 伝えてる何だか嬉しいよねこの時を分け合うって君といれると 僕は誰でもなく本当の自分になれる気がするよ何かしゃべろうか 静か過ぎるから波打ち際には 光が差し込むよ君といれると 僕は誰でもなく本当に自分に近づける気がするよ長い影も 波の輪郭の中水平線上 空と出会ったよ抱きしめていいかい 星が出るまで運命線上 君と出会ったよ僕らの前には 海が広がるよby レミオロメン::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ああ、なんていい言葉たちなんだろう。「南風」をちゃんと聴きたくて買ったアルバムで、私はこの曲に出逢った。出逢ってしまった。ちょうど、私が一番苦しくて、今も続く幸せの始まりのころに。出逢うべくして出逢った一曲。この言葉と音がつむぎだす全てのメッセージと想いを、キミに贈ろう。
2005/08/13
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明日は仕事で、石坂団十郎氏のコンサートへ行く。横浜の青葉台、15時から。 http://www.philiahall.com/ お時間のある方は、是が非でも聴いて欲しい。 現在、ヨーヨー・マ「Cantabile」とロストロポーヴィチ「ドヴォルザーク&サン=サーンス/ロンドン・フィル」を交互に聴きながら 明日のイメージトレーニング中。 ああ至福のとき・・・。 しかし、仕事しなくっちゃなあ・・・。今日、実は彼の取材をさせてもらったのだけれど、やっぱりとても頭がよくて、チャーミングで、素晴らしい人でした。写真撮影中に、バッハの無伴奏チェロ組曲(メヌエット)を弾いてくれて、もーーーーーーーーーう感涙です。ストラディバリですし。詳細は「弦楽ファン」9月号に掲載予定ですので、どうぞお楽しみに♪
2005/08/12
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本日は、映像国際コンペのお知らせをさせて下さい。 中野裕之さんが審査員をして下さってマース♪グランプリは200万円デース♪↑中野監督。仕事で北海道へもいらっしゃることが多いようでふ。「札幌」「CM」「30秒」「無音声」という条件のなかで、新しい札幌のイメージを募集するコンペです。 アートや映像に留まらず、イメージや、札幌PRのあり方そのものを「デザイン」する視点でもあると考えています。 多数のご応募、心からお待ちしています。よろしくお願いします。 以下は、プレスリリースとなり、募集要項の詳細(提出条件、提出方法などなど)はhttp://www.designtope.net/に掲載中ー。 どしどし参加して下さい。待っております(←私が事務局ってますので・・・):::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 北海道の玄関口でもある札幌は、都市と自然が調和する美しい街であり、 毎年1,300万人の来客を迎える観光都市として知られております。 モエレ沼公園のオープンなど芸術文化(アート)による新しい都市イメージが生まれつつあり、世界に向けた発信が求められています。 今回、札幌市が新たに提案する「サイレントCM」というジャンルにおいて、アーティストの斬新な映像で「札幌」を表現して戴くことを期待し、「札幌(SAPPORO)」を主題にした、30秒間の無音による映像によるコンペティションを開催致します。 ▽課題:「JRトレインチャンネルのための札幌をPRするサイレントCM」 *30秒、無音声 ▽審査員:中野裕之(映像作家) http://www.peacedelic.co.jp/ ▽賞:グランプリ:1点/賞状と副賞として賞金200万円 準グランプリ:2点/賞状と副賞として賞金50万円ずつ ▽スケジュール: 2005年 7月11日(月)~ 8月31日(水):募集申込期間 7月15日(金)~ 9月30日(金):作品提出期間 *期日までに、事務局必着 10月1日(土)~ 10月21日(金)(予定):審査期間 10月下旬~11月上旬(予定):審査結果発表 11月14日(月)~11月27日(日)(予定):JRトレインチャンネル放映 *www.designtope.netでも映像同時配信 *携帯電話(機種限定)にもダウンロード可能▽応募登録:デザイントープwebサイトより必要事項記入 ▽主催:札幌市 ▽共催:(社)札幌観光協会、札幌商工会議所 ▽詳細:http://compe.designtope.net/ :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 情報掲載、リンクに関する問合せ→compe@designtope.net ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2005/08/11
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4時10分。 カーテンを開けてみましたが、 さすがに立秋を迎えたので、まだ暗いです。 またもや、徹夜でございます。最近、多いです・・・・・・・。ここ2週間のうち1週間分は徹夜ですよダンナ。昼間、眠いんスけど(笑)。さて。ずっと気になっていた画像を載せます。 西●布住宅街のとあるゴミステーション。 初見の際、しばらくそれがナンなのか、 理解するまでに、かなり時間を要しました。 凝視したはずなのに・・・。これが全国津々浦々に存在する、同じゴミステーションなのかと。あらあら。こんなに。・・・・・・・・・・・・ゴミも、綺麗に、塀に積まれて・・・。 1、ゴミは余裕を持って袋詰めしましょう。 パンパンに詰め込んでは、積めません。 2、結び目は手前に揃えましょう。 3、コンビニやスーパーのビニール袋は使用しないで下さい。 4、配列はキレイに、乱さないようにしましょう。 5、見苦しいゴミは捨てるなゴルァッ!!!! 失礼。 と、トーゼンそんなこと書いてはありませんが、 暗黙の了解が、妙にステキなゴミ捨て場、 「デザインゴミステーション」。 素晴らしいことだし、キレイに積んであるのに、 笑ってしまうのは何故なんでしょう。この画像、載せちゃっていいもんかねーとは思ったのです。が、悪意はまったくないのよね。 ここまできちっとやりたくても、普通できないわけよね。 できなくて、でもやりたくて、難しくて・・・ そこを「あたりまえじゃない」とササーっと やって抜けちゃってくれてるところがすごいよね。 ふつーできんもの。
2005/08/08
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最近、逃避行と日常を分単位で繰り替えしており、やたら寝てばかりいる私。とはいえ、やらなくちゃいけねえことが山積みで、机の上も山積みで・・・ああん、もうイヤン。私は札幌出身で、ありえないくらいに札幌を愛しており、札幌の文化・情報・アートを発信するのが私の夢で、どうやったらそれができるのか、それを実現するためのネットワークづくり、のために東京でおバカな生活を送っている。私のそんな想いの前から、いろーーーーんなことをやっている人間が、東京にはいて、たぶん札幌情報発信基地の東京本部くらいの勢いで、本当にいろいろな人が集まってるサイトを今日はご紹介しませう。ギリ大丈部そう。「ギリ大丈部」。略して「ギリ部」。いや・・・「ギリ大丈部」自体が「ギリギリ大丈夫」の略だと思うので・・・ねーねー、これはどーやって説明したらいいん?4人で運営してるサイトで、ユルいツッコミ加減とは裏腹の、札幌を語るうえでのキーパーソンたちです。ここに関わってる、登場する、掲載されてる、書き込みする人たちは、札幌のアート・文化シーンを支えてる現役の若者たち。支えてるというのは裏方だけじゃなくて、創り手のことね。札幌のアートシーン、音楽、文化はアングラなイメージがあるけれど、だからこそ面白くて、ジワジワと拡がっていく。その根っこは深くて楽しくて・・・。もちろん、その根っこは東京でも芽吹きつつあって、それがこのギリ部。でも云っときますが、彼らも私も、目指すのは「ジワジワ」を越えて、「どかーん」です。夜露死苦。「札幌でアートしたい」「札幌で展覧会したい」「札幌ではじけたい」「札幌でおもしれーことしたい」とき、「じゃーどうしたらいいの?」と思うでしょう。「キーパーソン、キーワード、きっかけはどこにあるの?」と。そーゆーとき、ここの扉をたたくべし。札幌にこだわる必要は全然ないし、ギリ部の人間もここに関わってる人間も、ダイレクトに世界につながってる。つながろうとしてる。実際につながってる。毎月、特集を組んでいるギリ大丈部サイトがこの8月にリニューアルして、特集第1弾は「アーティストのオリジナルTシャツ23」。既出のとおり、様々なアーティストが自分でデザインしたTシャツを自らが着用した画像とともにメッセージを発信。いやー真剣でユルくて熱くていいね(笑)。去年も8月はTシャツ特集でした。ちなみに、去年に引き続き、私も二度目の参加してまーす♪♪♪見てねー。見てねー。見てねー。ギリ大丈部よろピコーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。ここを見ずして、札幌もアートも語るべからず。(あ、云い過ぎ?! いや、不足はあっても過ぎはせず)
2005/08/07
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サラサラ 日々ハ流レ ポタポタ キミヲ想フ ゴウゴウ 日々ハ流レ ソヨソヨ キミヲ過ス バタバタ 日々ハ移リ トツトツ キミト語ル カタカタ 日々ハ移リ ソロソロ キミト歩ク ガサガサ 日々ハ捲レ タトタト キミヲ呼ブ バラバラ 日々ハ捲レ シトシト キミヲ抱ク ガタガタ 日々ハ崩レ サヤサヤ キミト渉ル バサバサ 日々ハ崩レ ユラユラ キミト眠ル
2005/08/01
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キミが私の存在を、選ぼうとして選びきれない想いを、私は感じることができる。キミが時々堅く瞼を閉じて、私を抱きしめながら「あー」と云うとき、私はキミのなかで動かし難いところにいることを知る。そして幸せで、少しだけ苦しくなる。私はもう、キミだけがいればいい。キミだけを想っていられたらいい。そしてキミも私を想ってくれたらいい。キミが、私のことを見ていてくれたこと、キミが私を好きになってくれていること、それだけで嬉しかった時間を、私はとうに通り越してしまった。私たちは、気持ちが優しいのに、欲張りで、それでもお互いに大事に想っているのに、こうしてつながっていると大切に想ってる気持ちと反対の行為をしているようで苦しくなる。気持ちいいということが、罪に近い感覚になる。どうして、好きな想いだけではいけないんだろう。キミは、いつも別れ際、難しい表情をする。私の笑顔に、困った顔をする。笑ってくれたらいいのに。でも、それがキミの本音なんだろう。それが、嬉しい。そして苦しい。自分たちの関係が、近いことをキミのその表情が語っている。私はもう、キミだけがいればいい。キミだけを想っていられたらいい。そしてキミも私を想ってくれたらいい。
2005/07/31
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辰巳芳子さんの本のタイトル、「いのちをいつくしむ 新家庭料理」より拝借しましたタイトル。もともと料理は好きで、よく作るのですが、最近の忙しさにかまけて時間や内容を怠っていたら、マンマと発熱しちゃいました(水曜、木曜とね)。発汗作業(布団のなかで汗を出す~)先日買ってあった今月号の「クロワッサン」では、櫻井美子さんと辰巳芳子さんの対談があり、久々にきちんと食生活について考える機会を得ました。朦朧としてはいたのですが・・・。引っ張り出してきた上記料理本。季節の食材とそれぞれの料理方法について、写真とともに丁寧に書かれた、まるでエッセーのような料理本。「あなたのために -いのちを支えるスープ」も母が持っていたので知っていますが、ここで書くまでもなく、「母乳に一番近い食べ物」としてスープを食生活の基本におくことを前提に書かれています。全ての栄養がとれるスープ。赤ちゃんからお年寄りまで、みんながとれる。辰巳さんが書いてらっしゃる言葉を引用します。「海、山、畑の旬の恵みを渾然一体化し、もっとも吸収しやすい状態に仕上げた食物。それが「スープを含む汁もの」です。一言で言うなら、「おつゆ」。この言葉の表現には「天の露」のイメージがありありと見える。露を受け含んで、生き返る地上のものたちと、人々が汁をいただき、息づいた瞬間を重ね、思わずつゆ、敬語にして「おつゆ」。日本人ならではの魂の発露ではないか。作り食す、根源的深義がすべて包含されている。汁ものの待つ家庭の食卓は、愛のとりで、です。」優しく、そして丁寧生きることを大切いしたいと思う毎日で、なかなかそうはいかない現実も・・・。癌さえも治る・・・(全員には云えないかもしれませんが)、それほどのものを日々、少しずつ体内にとりこむことは、それがいつしか表面に現れて、生きる私たちそのものになっていくのでしょうね。
2005/07/30
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今日は、ちょとだけ振り返ることで、今を伝えたい。あの頃の私たちと、今の私たちへ。セリーヌ・ディオン。彼女の曲は、タイタニックというより、「美女と野獣」のテーマ曲。それが本音。高校生のとき、英語劇で「美女と野獣」を上演し、私は美女の父親役。かえでさんが美女、色々な友達が主要キャストを演じ・・・・。あの頃は、まだみんな未来に夢を抱き、両親もみんな元気だった。将来のことや親のこと、人生のことよりも、毎日を楽しく充実して、そして時に喧嘩もしながら過ごしていた。過去を追想して懐かしむのではないけれど、あの頃は確かに、自分たちが主役だった。その甘酸っぱい記憶が蘇る。あれから10年が経ったなんて、とても信じられない。信じるとか信じないとか、そんなことは本当にどうでもよくて、楽しかった。ほかにもいっぱいの世界があるのに、まるでとりつかれたように英語劇に没頭し、そして友達とさらに仲良くなり。ちょっとした難しいことや辛いことも、勉強も、どれもみんな、楽しい思い出のなかにすっかり紛れこんでしまっている。仲間割れも。10年。私たちそれぞれにとって、長くて短い時間が過ぎて、そして少しずつ生きる世界が変わってきて、互いに進む道も生きている場所も異なり、共有する時間も話題も、部分的にしか交わらない状況になっている。顔を合わせることもほとんどない友人のほうが多い。両親が亡くなったり、事故や病気、結婚や出産、たくさんの恋愛、お酒の話や失敗、仕事、育児。先生の病気。出逢いと別れ。私たちはそれぞれに、一生懸命生きている。それだけは変わらない。どこにいても、一生懸命に、自分に正直に生きようと懸命に過ごしている。それが間違っているとか、あっているとか誰にも評価はできない。自分の人生が自分のものだと、みんながわかっているから。黙って、応援しあい、ときどき思い出して勇気づけあえる関係。それが、10年前の生活で得た宝。あのとき、舞台のうえから観た観客席の拍手と喝采と、達成感と高揚は忘れることはないと思う。キラキラ輝いて、何度も何度も笑って泣いて、飛んで、抱きあって。鳥肌が立つほどに、今もキラキラと思い出すことができる。音楽とは、そういう思い出をしっかりと、私たちのなかに記憶させてくれる。匂いも空気も気持ちも、そして仲間たちを。ありがとう。
2005/07/29
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この夏は大きな意味を持つだろうと想う。2005年が私にとって、分岐点であるのと同じく。1年の真ん中の真夏に、私が新しく始まる。今年になって大きな動きがいくつかあった。それも6年前の時間とリンクするように、シンクロするように。3月末に一度、自分で「6年ぶりだなあ」と感じるくらい、食事が喉を通らなくなり、ダメージを受けながらも、それでも自分に正直に行動することがだんだんとできるようになってきた。そして7月になって、「6年前」そのものが私に近づいた。あのとき、私は苦しくて仕事に没頭していた。でも今はそんなことはしない。仕事もするけれど、没頭して「心の外においやる」ことは、しない。迎え、向かい、そして訣別する。今のために。自分のために。愛する人のために。自分のために。
2005/07/28
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今日は、hpgrpでの作曲家、畑中正人さんの音楽と12脚の小椅子たちの 華麗なる共演が、行われました! (ここまで書いてみて、文章が、軽くデジャヴ) ボスも初めてここを訪れまして、 素晴らしいショットが撮れたので、 ホヤホヤをこっそりご披露したいと思います。 うふふふふ。 ▼画像1:エントランスのガラス越しに、 演奏をなさっている畑中さんの背中。 そしてボスの小椅子と、ガラスに映る小椅子。 ▼画像中央:5階でAnteの作品と一緒に並ぶ小椅子たち。 赤と白と灯りに照らされて、ポップな印象。 ボスとマルニのスタッフたちが・・・。 ▼画像右:アンコールに応えて下さった畑中さんの演奏を、 自身の椅子にかけて、ご満悦の表情で聴き入る、 究極のショット! ボス、幸せそうでした。 札幌にいたころ、PARCOにH.P.franceができて すぐにファンになり、頑張った後にご褒美として 自分に与えてきたジュエリー。 あまりジュエリーやアクセサリーを買いませんが、 ここのは別で、いつも魅せられてきました。 そして東京に来てから、職場のある銀座にhpgrpがオープン! もう、単なる客として(見るだけでも)足しげく通い(笑)、 ショップの方々とも談笑できるくらいにまでなりました。 そして気づいたら、 一緒にお仕事をさせてもらえるようになっていたなんて、 私にとって、本当に涙が出るくらい幸せな繋がりです。 勝手に、運命を感じていて、 本当にありがたいことだなあと。 幸せななかを漂うとき、 「あー幸せだなあ」と感じることができるのは、 本当に恵まれた、幸せな人間なんだと実感します。 最近、打ち合わせでhpgrpに行くことが増えているのですが、 いやー「アヤさん、来るたびに買ってますよ!」 と突っ込まれるくらいに。 そ、そこまではいってないと思いますが、 ・・・・2回に1度くらい、ですかね。 ヤバイです。 あーあー、早くいっぱい稼げるようにならなくっちゃ。 近々、www.designtope.net/でもご報告いたしますので、 お楽しみに♪::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::重たく、衝撃的な事実から、精神状態はだいぶ回復しつつある。たぶん、私はこの夏、過去と訣別するんだろう。ずっとずっと、知っていながら、気づかないふりをし続けてきたことに、向かい合っていく。その決心がついた。そうしたら、キミをもっとちゃんと大切にできると想う。サヨナラから始まる、私の人生を。そうしたら、キミにすぐに逢いにいこう。過去と訣別した足で、そのまま駆けていく。
2005/07/25
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昨日、友人がDJをつとめるパーティーが西麻布であり、22時頃から参加した。一緒に連れまわした(笑)のは、建築の勉強をしている学生の女の子。めちゃめちゃかわいいです。色白で眼がぱっちりして、きょとんとした時の眼なんてもーっ!!って、なんの話だ?彼女は、専門として建築を勉強しているのだが、デザイン関連のつきあいもあって、一緒に行動すると色々と教えてもらえて、私の現在の選任教師。その彼女から、昨夜は衝撃的なことを教えられた。デザインについてである。絶句。「これアヤさんのですか?」と云って彼女が手にとったのは、クラブのテーブルの上の、Marlboro。「うん」私は、楽しくなるとタバコを吸いたくなる。これは ↑↑↑ 意味があって、さかさまに写したボックスです。見た目、ただ単に「さかさま」にしただけのタバコ。マルボロ。ちょっと指をかざしてみましょう。2本ずつの黒い線が計4本見えます。「M」と「lb」のテッペンがそうなっているのだが・・・、「アヤさん知ってますか? これって、白人の足と黒人の足なんですよ」「え?」いい具合に酔っ払って、踊り疲れて坐った私の脳裏に、4本の線は映るけれど、白人と黒人がなんで出てくるのか理解できない。「左の足が白人、右は黒人で、”吊るされて”いるという意味らしいです」「吊るされてって・・・これは・・・白人がデザインしたと解釈していい?」「はい」「それを知りつつ、そのままデザインとして今も残してるってことよね?」「そうですね・・・タバコのパッケージデザインに詳しい友人がいて教えてくれました」「アメリカの人はいざ知らず、日本人はほとんど知らないよね」「そうだと思います」思わず、瞼を閉じる。なんていうこと。怒りと哀しみと、恥ずかしさが一気にこみ上げてくる。そんなメッセージの込められたデザインは、この世にいったいどれほど存在するのだろうか。事実は事実としても、そのデザインを残すことは、「イメージが定着したから」だけで片付けることのできる問題なのだろうか。日本に伝わってこないだけなのか、このパッケージデザインに対するどんな運動も知らない私。そうした運動があるのか、ないのかもわからない。それとも、その「説」は悪意のこもった後付解釈なのか。今の私の手中には、それを確認する術がないけれど、そのあまりに衝撃的な、彼女の告白に、私は、焦点の定まらない眼で、さかさまになったマルボロを見つめるしかなかった。で、帰宅した本日、ちょっと調べてみました。このデザインのモデルとなったのは、どうやら有色人種排斥団体、白人至上主義として有名な「KKK団」が、黒人を吊るしている状況というものらしい。そのことを、偏った視点を持たず考えてみると、二つの意味合いが考慮できる。「差別している」のか、「歴史として忘れてはいけない」というメッセージか。後者であって欲しい。しかし、このマルボロのパッケージをよく見ると、3つのKがデザインされているのがわかる。どこまで、掘り下げて考えたらいいだろうか。
2005/07/24
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You were my precious.You were my all.You changed me completely.And now, still you make me waver.You can do easily, in a moment.I have to recognize my heart is still yours.6 years has passed, I have to see you and let me myself be free.From you.Say goodbye to you.Because, there's my treasure I love,More than I did love you.I think I loved you from the bottom of my heart.Please put my heart back to me.....Thank you.You taught me how to love and how lonely to love.今日は衝撃的な21時を迎えました。あまりに苦しくて、展開が予想通りで、思考が停止。今年2005年は、私にとってとても大きな意味を持つのでしょう。私の全てを、私の全ての思考を、愛することも、泣くことも、そして家族を想う気持ちも仕事も。本当に全てをかえて去って行った人と、6年ぶりに近くなった。以前、同僚だった友人が、なんと彼が社長を務める会社で、社員として働き始めた。彼女の出勤初日、彼は「ネオリアヤって知ってる?」と訊いたそうだ。ああ・・・笑っちゃうくらい、そういう人。だからこそ、私はここまで翻弄され、影響を受けてきた。そしてこんなに時間が経っているというのに、未だに心が動揺するほど。彼と出会ったとき、私は社会人一年生の春。それからの2年間があったからこそ、今の私がいる。そして、恋に臆病で、「失う」ことが怖くて仕方がない。「終りの見えている恋」しかできなくなったのは、彼のおかげ(笑)。ようやく、その呪縛から解かれ始めたのは2002年後半。でも、それも「もう彼には会わないことを前提に忘れる」という暗示を自分にかけていただけだった。そろそろ、彼に会わなくてはならない。私が自分を大切にし、いま大切な人を素直に愛するために。
2005/07/22
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明け方、ようやく眠りについた。眠れなくて眠れなくて、何度も寝返りを静かに打っていた。キミを起こさないように。私は、そのちょっとのあいだに、夢を見たよ。キミがいた。すぐ近くにキミがいて、顔も表情も声も、全部そのままで、はっきりとわかった。なんだか焦って瞼を開けたら、ちゃんと、夢じゃなく、キミが隣にいて、私はホっとしたんだ。夢に、キミを奪われてしまったらどうしようかと想っていた。だって、あんなに鮮やかな夢だったから。キミの寝顔を、薄暗闇のなかで確認してから、私は微笑んで肩を並べた。キミは、その眼をあけることなく、私の気配だけを感じて、頭をなでてくれた。なんて幸せなんだろう。ありがとう。許されるならばずっと、ずっとこうしていたい。ちゃんと、夢じゃなく、キミが隣にいる朝を迎えていたい。
2005/07/19
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小田和正の音楽ばかり聴いている。 「キラキラ」 「愛を止めないで」 「言葉にできない」 「たしかなこと」 「緑の日々」 「風の坂道」 そして、今ヘビーローテの3曲は、 「緑の街」 「風のように」 「woh woh」 はい、そうです。いまさら「自己ベスト」中(笑)。 もう飽きるまで、私はひとつのことを続ける。 寂しくなることも、悲しくなることも。 食べ物も、音楽も。 そうやって、私は偏りながら、自分を知ろうとする。 ちょうどよく、いつまでも、バランスよく。 それができない。 彼の音楽を聴いてばかりいる理由が、 心が弱っているのではないだろうとわかっている。 自分が「こうして欲しい」「こう云って欲しい」と そんな願いを求めてばかりいて、 私はちっとも優しくない。 人のせいにして、自分だけが悲しくなってばかり。 そのことに気づいたから。 心が求めることを、自分で手にしていかなくては、 景色も何もかわってかない。 そんなふうにして、ここのところ、 気持ちは足取りばかり気にしてる。 空を見たい。空を仰ぎたい。 心を放して、風に乗って吹かれるままに。 信じるままに、求めるままに。 こうして、いつものように、 繰り返して繰り返して、自分を見つめていたら、 近づけるだろうか。 心が求めるものに素直に向かって生きていける人生に。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ありふれた日々が かがやいてゆく ありふれた今が 思い出に変わる 誰れのものでも 誰れの為でもない かけがえのないこの僕の人生 ~「風の坂道」 そして僕は 君のために 何ができるかと考える そして僕は 強くなるより やさしくなりたいと思う やさしくなりたいと思う そこから逃げれば 夢はないだろう 振り返るのは 最後だけでいい その時 Uh はじめて すべてを 語ればいいから 誇りある道を歩いてく どんな時も やがていつか ひとりだけになってしまうとしても ~「風のように」 確かな ことなど 今 何も ないけど ほんとうに 大切なことは 君が 教えてくれた 僕は 君に 何も 誓えない でも 僕は 君のために せいいっぱいの 人生を 生きる ~「woh woh」 今はただ目の前の 君を抱きしめていたい 明日の涙は 明日流せばいい 今だから出来ること それを決して 忘れないで ~「キラキラ」:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: キミを抱きしめるときのように、キミのおでこにおでこを重ねるように。キミを見つめるように、キミの頬を指でそっとなぞるように。その行為の続きの何気ない、愛しい、そのままの優しさで、キミを大切にしたい。キミが時折みせる寂しそうな眼の奥には、何が宿っているんだろう。そのキミの眼を見つめる私の眼は、どんな色をして、何を映しているんだろう。それがわかったら、そこに気づけたら、もっと自然にキミを抱きしめることができる。そう感じてる。もっと優しく微笑むことができる。
2005/07/18
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男と女の関係になると、失うことが多いと誰かがいつだったか云った。 私は、キミとの距離をうまくとれなくなることが怖かった。 同じように接することはできないくせに、何かが変わることも、何も変わらないことも厭でたまらない。こんなふうになって、私たちは一体どうなっていくんだろう。 愛しさが嫉妬に変わったりするんだろうか。 優しさが窮屈に感じられたりするんだろうか。 ちょっとした視線が、 わずかな言葉遊びが、 心に影を落とすこともあるのだろうか。 好きになってよかったと想うよ。 出逢えてよかったと。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::「テツジ」という自分の作品からの抜粋ですが、言葉を一部さしかえました。最近、甘っちょろいくらいの言葉ばかりを並べて、いつまでたっても「大切なものを守るための強さや責任」について、自覚を持てないまま、あーだこーだと生きてる気がしてもいるのです。恋がいいとか悪いとか、そんなことを云うつもりはありません。けれど、私はこうやって生きていて、どこへ向かっているんだろうかと。ときどき、仲間のなかにいる自分を想像して、そっと振り返って、周囲を見回してしまうことがあります。それは例えば、ここ数年特に、若い人たちとの接点や、子どものいないDINKS夫婦とのつきあいが増えたことも一因してるのかもしれません。あの頃想像していた「30歳」に近づきながら、私はいっこうに想像には近づいていない。歌を聴いて泣いたり、小説を読んで涙を流したり、その人のことを想って苦しくなったり、自分の仕事にだけ没頭したり。なんて自分中心なんだろうと・・・。でもあの頃の想像のなかには、確かに、「自分がどんなことを感じて生きてるか」というイメージはなかった。「好きな仕事をして、楽しく生きている」という漠然としたものだけで。ま・・・好きな仕事して、楽しいのかもしれない。でも、大切なことはなんだろうか。そんなふうに、考える時間を持ってること自体が、幸せでまだまだ青くて、甘っちょろいとこで生きてる証なんだろう。でもね、それでもいいんだ。そうやって、優しくなっていけたら、いつか気づいたら、自分の足で立って、生きて、そして大切な人たちを守り抜く強さになっていけるから。そう信じている。自分を。
2005/07/17
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「姑獲鳥の夏」を観ました。京極夏彦氏の作品は読んだことがありません。 堤真一氏観たさに、です。 http://www.ubume.net/ 最後のほうで、梗子、涼子、京子がわからなくなり、 「こりゃ本を読まねばならんな」 と途中で思考回路をあきらめました。 (詳細は書きません) 私は、スクリーンを離れたときにカッコ悪い俳優さんが好き。 ・・・反対にしましょう(笑)、ごめんなさい。 スクリーンの中でこそ輝く、役を自分の色にできて、 それでいてその役にはまりこむことのできる、 そういう俳優さんが好きです。 カッコ悪さとか、趣味がいまいちだったり、 ぶっきらぼうさや暗さとか・・・ 映画やドラマのインタビューを受けていたり、 トーク番組に出てるのに、 やたらサービス精神に欠ける人が好きです。 バラエティーやトーク番組なんか出なきゃいいのに、 ってくらいの無愛想さとカッコ悪さと。 何の話だ? あ、そうそう、映画の話でしたね。 あの「クサさ」がなんとも云えず面白かったのですが、 堤氏の奥様が清水美砂で、その関係に、 「あんな夫婦になりたいなー」 と結婚もしてないのに想ってしまいました(笑)。 自然体で、信頼しあっている感じが出ていて、かっこいい。この人がいるから、堤氏は、いや、京極堂は京極堂たるのだろうなと。と感じのですが、実は清水美砂は、最後の最後にちょろっと出演するだけです。でも、そこまで感じさせてくれる彼女の存在感と、堤氏のそれまでの役どころがよかった。
2005/07/17
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先日、仕事で銀座へ行った帰り、急に緑色の服が欲しくなって、前職場の近くにある店へ半年ぶりに行ってみた。ハイネックで5分袖くらいの服が欲しかったのだけれど、4部袖か長袖しかない・・・ので、長袖を買って自分で裁縫することに決定。色は、まさしく私が欲していたキレイなグリーンでご満悦なわけです。で、会計。3000円以上で福引といわれて、ガラガラを回してみると、「4等です!!」「え、ナンですか?」と期待してみると、「こちらから好きなものを選らんで下さい」えー、つまるところ、ビリだったわけだな(笑)。はずれなしの福引♪で、お菓子の山から選んだのがタイトルにある「アタックnO.1コレクション」というカバヤの、フィギュア入りガム。アタック・・・は見てないんだけど、歌は知ってるし、キャラは好きです。帰宅して中をあけてみたら、そこには「みんなに優しい一ノ瀬努」が!!!!学ランに茶色のスクール鞄を左手に持ち、右手は頭のうしろに持っていって「参ってる」表情。いやーにくいねーーーー。ってか、そんなキャラがいたことを初めて知りました。
2005/07/17
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擬態語使いまくりでごめんなさい。 先日の予告どおり、15日に中野裕之さんにお会いしました。 渋谷の気温、そのとき33度前後ですよ。 体感気温もっとあったはず・・・。 みんな汗かきながら集まりました(笑)。 なんと書いていいのかわかりませんが、 嬉しかったし、素晴らしい方とお仕事ができるんだ! とあらためて実感しました。 「こんなことしたいな。お願いできるかな」と 私が勝手に想像して、イメージしていたことと 同じことを考えて下さっていて、本当に心底嬉しかった。 「北海道はいいですよねー」と仰ってくださったことも、 ものすごく心強い言葉で。 楽しいことになるよー、みんな!! (何を今さらって感じですが、あらためて、ね) 「賞金200万はすごい。あと100万で有限会社できますね」と云われ、 「それだけ注力してます!」と(笑)。 今週、私はとてつもなく素晴らしい時間を過ごしてきました。 いえ、たぶんずっとずっと、生まれてからずっと、 素晴らしい出逢いばかりだったのだと感じます。 だからこそ、今の私はここに立っているのだと。 痛ましい事件、紛争や戦争、一向に終焉に向かわないこと、 傷つけあってしまうこと。 たくさんのことが私たち人間によって起こっているけれど、 人間って素晴らしい生き物だと想うんです。 正善説を説くつもりはありません。 でも、出逢った瞬間に、 世代という長い時間を経ずに、他の存在(自然も含み)から 瞬時にこれほどの影響を受け、感じ、取り込める生命は、 人間が持つ素晴らしい能力だと感じています。 あー酔っ払っているのかしら(笑)、 ちょっとばかり饒舌になっています。 こんなことを感じて、書くことのできる自分自身を、 本当に幸せだと想います。 ただの独り言になってますよね。 すみません。 こうしてつながって下さっているみんなに感謝してます。 ありがとう。 ああもう本当に幸せです♪
2005/07/15
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今週は、かなりキテる。それは・・・と、その前に。おおおおーーーーフォントが選べるようになっておる。すげーすげー(笑)。まだ使い方知らないけど、なんだかすげー。進化した。で、どうキテるのか。火曜に「往年の美少年」にお会いし、水曜にナガオカケンメイ氏にお会いし、木曜には氏よりメールを頂戴し(きゃ♪)、金曜は中野裕之氏と会う。そう、今日!はい、どれもお仕事でヤンす。いやー完徹にもなるさなー(笑)。しかしながら、真面目に話をします。誰もが素晴らしい人たち(中野氏にはこれから会うのですが)で、吸収したいことがそこらじゅうに放出されています。こう、虫取りの網で空中をかきあつめたいくらいに。私が、絶対に近い将来、一緒に仕事をすると決めている、大好きな岡康道氏とお話しをしたときもそうでしたが、「自分のイメージを具体的に持ち、行動してる人」にお会いすると、「私がどうしたいのか」「いま、どうしたらいいのか」が見えてくるのです。もちろん、「今はまだ一緒に仕事をするタイミングではないな」ということもガツーンとわかっちゃいます。会いたい人に会いに行くこと、ステキな人たちに会えるアンテナを常に拡げておくこと、そしていつでも飛び立てる準備をしておくこと。これがたぶん私のモットーで、そういう瞬間、自分の眼も心も輝いているのがわかります。自分でも云うのもナンですが。疲れも倦怠感も全て一瞬でふっとび、嬉しくて幸せなエネルギーが、全身に流れていく。とても気持ちがいいです。この瞬間のために生きてるんだと感じるくらいに。ちょいと仮眠して、仕事に行ってきます。今日もみんなが幸せでありますように。
2005/07/14
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今日は、往年の美少年であり、 現在も舞台を中心にカリスマ性を発揮し続ける方に お会いしました。 約12時間近く、同じスタジオにこもっての仕事。 芝居、演出もさることながら、 おおらかで寛容で、毅然として、なお威厳を保ち、 プロフェッショナルとして自らを「見られてナンボ」と 云い切るそのしゃんと伸びた姿勢に圧倒されっぱなしでした。 最後のインタビューが終了したのは23時半。 その人がにこやかに控え室へ戻るのを見届けたら、 一気に腰から力が抜けました。 50人前後のスタッフがいたとはいえ、 スタジオ内が30度以上あったとはいえ・・・。 その人のエネルギーとパワーに少しでも感化されたいと、 想って臨んだ今日。 さすがに疲れました。 快い疲れですが。 いつ覆されるとも知れない常識に囚われることなく、 物事の本質、真実を見極める眼と心を持つことは、 いい刺激を受け、感化されつつも、 日々積み重ねていかないといけないなあと感じました。 持ち歩けないほどの余計な荷物を持って、 どこかで安心しくさっている日々のなかでは、 本質や真実を見極める研ぎ澄まされた心は持てんないなと。 高校生のころ、何かの本で 「フランスのエスプリは本を所有しない。 必要な情報や知識はこのなか(=頭と心)にある」 という内容の一節がありました。 エスプリでなくともいい。 でも、頭と心に本当に大切なものを記憶しておけるよう、 そしてそこが常に通気性のいい場所であるよう、 願っています。 私の、失礼なまでに興味津々な眼を、 優しい表情で何度も受け止めてくれていたその方に、 心から感謝しています。 あー、また明日から頑張ろう。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ともだちであれば簡単なことが、突然に難しくなる。ともだちであれば愛しいことが、突然に重荷になる。そういうことが、恋には時々つきまとう。想いのカタチも重さも、あの時と何もかわっていないのに、言葉だけが独り歩きして、心のなかをかき回していく。どうして、いつから、こんなことになってしまったんだろう。どうして、いつから、こんな恋ばかりしてるんだろう。心が近づいて、もっとただ、優しくなりたいだけなのに。一緒にいる時間が真実なのは、一緒に過ごす時間が優しいのは、幸せだと想う。でも、私は欲張りで、離れている時間にも、出逢ったころと変わらず、つながっていたい。どうして、そういかなくなってしまったのか。それとも、それは私の想いこみだろうか・・・。どっちでもいい。ただ、私はキミのことを大切にしたい。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::キミをそんなふうにしてるのは、私なのかもしれない。私の気持ちが読めなくて、私の気持ちを掴めなくて、キミのほうが、実は私よりも苦しんでいるのかもしれない。「どんな関係でいたらいいのかわからなくて・・・」と私が呟いたとき、キミは助手席の私に向かって、自分もそう想っていると応えた。そうね。そうなのかもしれない。いつもキミにばかり求めてしまってごめん。自分の行動や気持ちを曖昧にしたまま、何も変えずに、キミにだけ求めているのかもしれない。キミが先に、私を選んで欲しいと。私たちは、同じようにズルい。そしてそのズルさも愛しいと想う。キミも私も、嘘をついてはいないから。
2005/07/12
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人の気持ちは、言葉にして別の人のなかに入った途端、その「別の人」の想いになる。当人同士の言葉や想いも、僕だけの想いも。僕が、恋とか愛を語るのが苦手なのはそこのところだったりする。共感してくれること。一緒に苦しくなってくれること。幸せが倍以上になること。そういう幸せなことがいっぱいあるのに、それでも、僕は言葉にできない。知って欲しいけど、それは「感じてくれる」くらいでちょうどいい。うまく、共有ができない。キミのことを想って言葉にしても、別の人のなかで、全く違う、キミじゃない人になっていたりするから不思議。今、僕が言葉にして語る想いはキミのこと。僕にとって、いま生きてる僕にとって、キミがこの世で一番、リアルな存在。本当は、こんなとこで独り言書いてないで、キミに伝えたらいいんだ。でも、キミが困った顔をするのが怖い。キミを困らせてしまうと、なんだか僕が苦しくなる。キミは、その人と同じで、多くの仲間に愛されている。その愛されているキミを、汚してしまうようで苦しいんだ。出逢ったときから、キミは何もかわってはいない。それでも僕との関係のなかで、キミがさらに、みんなから愛される存在になれないのであれば、それは本望ではない。キミを抱きしめていたい。けれど、僕らがふたりだけの世界で生きてはいないように、ふたりだけではない生き方を、見つめることをしなくちゃならない。キミのために。僕自身のために。そのどちらをも叶えるために、僕らはどうしていったらいいんだろうと考えるよ。そういうことを、キミは僕に教えてくれる。
2005/07/11
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長い長いエスカレーター。キミの後ろに立って、その肩におでこをくっつける。キミの頭が少しだけ傾いて、わたしの体温を受け止めてくれる。おなかいっぱいだねと笑いながら、大雨のなか、ひとつの傘を分け合って、半分ずつ濡れながら走る沿岸線。キミはそのくせ、アイスは別腹だと云う。いつまでたってもニュースの流れない深夜番組が放つ、青白い光のなか、投げ出したふたりの足がわずかに触れる。まるで兄弟のように、陣地を決める。「この枕からこっちはわたしの場所ね」「ずるいな。じゃあテレビのリモコンは俺のー」「それ全然ちがうじゃん」CNNのキャスターの声だけが響くなか、キミの寝息が静かにまぎれこむ。その手から奪ったリモコンで、わたしはその夜を閉じる。キミの頬に残る傷跡に、キスをする。キミの指が、わたしの耳たぶに触れる。おやすみの言葉のかわり。わたしはきっと眠れないんだろうと想いながら。ねえ知ってる?キミとわたしは、ここのところ、毎週のように逢ってるんだよ。「そっちであってこっちであって、不思議だねー」キミから送られてきたメールが眠りの淵で蘇った。
2005/07/10
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お仕事、頑張ったと思います。ひとつ、物凄い単純作業があったのだけれど、それが一番辛かった・・・8時間もかかってデータ記入。「なんで私、朝の8時から事務所でデータ入れてんの?晴れてるのにーーーーーー」とまでは思わないよう、努めて冷静に。思考を仕事の外に出さず、集中して。しかし。金曜から今朝にかけて、めまぐるしく過ぎ去った時間は、その時々でとても幸せで、けれどとても苦しくもあり、仕事が手につくのかどうかさえもアヤシイ週末だった。でも、頑張ったね。エライエライ。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::切ない想いなど、心に宿したくないのに。ずっとずっと心から笑って、一緒にいたいだけなのに。一緒にいることを普通に生きていたいだけなんだ。すごく簡単なことなのに、そうならない。「きっと、自分がそれを望んでいるから」なんだと云い訊かせてみるけど、心がとても臆病で。一緒にいるのに、その手や腕に触れることさえ、躊躇ってしまう。その人のなかで、自分がどんな場所にいるのか時々わからなくて、その決壊を自分から壊せない。どんな場所にだって入っていけることを知っているのに。それを、その人が許してくれることを。私のことを大切にしてくれるその人の、手が私の首に触れて、そっと背中をさすってくれるとき、どうしてこんなに素直じゃないんだろうと自分を責める。一緒にいられた二人の時間のことを、何度も何度も、楽しかったね、楽しかったからそれでいいよと珍しく言葉にしてくれたその人の気持ちに、私は涙が出た。こんなに強くつながっているのに、私は何を怖れているんだろうか。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::外灯の光を隠すほどに生い茂った木々。その真下の歩道橋を、ゆっくりと歩く。こぼれる光のなかで、あなたの髪が揺れる。人ごみのなかで見つけた時のあなたの表情とは違って、今はその背中がしゃんとしてる。あなたのお気に入りのその靴も、誇らしげに一歩一歩、前へ進んでる。「タイミングをみて、キミを連れ帰る」とあなたは云った。「去年の末から、神様はぼくに試練ばかり与える」と本音をポツリとこぼしたのは、たった数時間まえのこと。いつも、周囲の人たちの言葉を引き出してばかりのあなたが、初めて自分からそんなことを云った。あなたの、そのひと言で、私はまた少し、強くなれた。私を強くしてくれるのは、やっぱりあなたの存在なのだと知る。だから、私はいまここで、いま立っているこの場所で、やっていける。いつでもあなたのもとへ行けるよう、いまを生きる。
2005/07/10
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昨日は、5月に電話でお話をしたことのある、映画「YUMENO-ユメノ-」の監督と会った。彼との出会いはものすごい偶然で、(↑「偶然は必然」だとも想っているのだけれど)5月にたまたま札幌の知り合いに、映画関連の情報をお願いしたところ、仕事でその二人が一緒にいる日だったらしく、夜に電話がきたのだ。それも、監督から(笑)。札幌での上映を終え、現在は名古屋で上映中らしいのだが、今東京に戻ってきているので、仕事の話も含めて会いましょうとなった。人と人のつながりは偶然ではなく、シンクロしているのだと思う。会いたいと思っている人にも会えるし、会いたかったのはこの人なんだという人にも出会えていける。そう願って、行動しているうちに。全然話は変わるけれど、同じく昨日は、私にとって大きな意味を持った一日だった。予想だにせず、ものすごい勢いでそれはやってきた。たぶん、これまで「その機会」のなかったことのほうが不思議だったのだと想う。しかもそれが札幌ではなく、東京だということにおいて、決定的な意味も持っている。昨夜、私の心は「どちらか」を選ばなくてはならない状況に置かれた。痛い。でも、どちらかを選んだのではなく、心の求める生き方を見つめたのだろうと想う。選ぶなんて、そんな大それた、上からみるようなものじゃない。もうこれ以上は下がないというくらいの、底のほうに立って、心の声を訊く。上を見上げる。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ずっとブランコに乗っていたのだけど、昨日はその揺れをとめて、空の月を見上げた。月が前のほうに傾いていたから、私は前に下りた。もしかしたら、またブランコに乗るのかもしれない。前に下りたり、後ろに下りたりするのかもしれない。強くて弱くて。自信にあふれて小さくて。包みこんで包まれて。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::心から心から思う君が大切なものは何ですか?その笑顔 その涙ずっと守ってくと決めた 恋におちて I love you心から心から思う君が信じてるものは何ですか?この街も友達もみんないつでも君の味方でいるよalways love~Crystal Kay「恋におちたら」より
2005/07/09
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今日は、急な坂の勾配をようやっとひとつ通過した。いまはちょうど、小さな木のベンチで空を見てる感じ。プシュっと、発砲ミネラルウォーターの蓋を開いたら、レモンの香りが風に溶け込み、梅雨の晴れ間をのぼっていくような。仕事のことです。また明日、週末と、山谷がいくつか待っているのだけれど、この勾配をちゃんと歩き通せたことで心も足も軽くなった。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::声、言葉、トーン、雰囲気。空気、笑顔、口もと、背中。私たちはいろんな感覚で、人の心を感じる。感じとってしまう。これから、その人が何を云おうとしているのかも、一緒にいるのに別のことを考えてることも、ビックリさせようとして、あるひとつの言葉を云わずにいることも。すっかり心を許して眠りについていることも。それと、同じ感覚で、私はこのあいだ、「あれ?」と想ったことがあった。ひとつの大役を終えて疲れているだろうとは想っていた。イベント後の懇親会で、その人が挨拶に立ったとき、私はすぐそばのテーブルに坐って、お偉いさんたちとお喋りしていた。誰もがすぐに、彼の言葉に耳を傾け、私は彼のほうを見ずに(あまりに近くて見上げるのもナンだったし)、前を見て、声と言葉だけを訊いていた。いつものように、高揚感のある人をひきつける語り口で・・・。でも途中で、突然「この場所を提供してくれた○○○に感謝を・・・」と云い始めたのだ。もちろん、イベントのために場所を提供してくれたことに感謝するのは当然かもしれない。けれど、声のトーンが微妙に高過ぎた。私のなかで「?」とハテナマークが点灯しはじめ、そのあとの言葉が訊こえなくなった。気づいたら、会場の大きな拍手。誰も気づかなかったかもしれないし、もしかしたらみんな「あれ?」と感じたのかもしれない。ふだん、あまりそういう発言をしないから・・・という理由じゃない。気を遣いすぎて、神経が擦り減っている。それは彼にとって、一般の人たちよりもはるかにストレスになる。作品をつくる人間である彼が、作品をつくれないということだ。臆病になりかけている・・・大袈裟に云うとそういうことだった。それがわかったとき、とても苦しくなったし哀しかった。彼には作品をつくること、創出することに、全身全霊を傾けていて欲しい。そのために時間を遣って欲しい。きっと、彼を慕っている人たちや仲間も、そう想っているはずなんだ。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ロンドンのテロ。なぜ。憎しみが憎しみを生むことが、これほど地球上に蔓延しているのに。戦うことでしか平和を手にできないと、そう信じて生きてきた人々と、どうやって同じテーブルにつくのか。そのことを、わからないはずがない。たくさんの人が真剣に考えているのに、それが表面に出てこない世界の回り方をしてる。でも、テロは許さない。
2005/07/07
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▽「MY FATHER」 監督:エジディオ・エローニコ コピー:父よ、あなたは本当に罪人だったのか・・・。 ▽「ふたりの5つの分かれ路」 監督:フランソワ・オゾン コピー:出会わなければ よかったの? ▽「Dearフランキー」 監督:ショーナ・オーバック コピー:パパからの手紙だけが、ぼくの心の支えだった。 ▽「ダンシング・ハバナ」 監督:ガイ・ファーランド コピー:私を解き放つ、灼熱のリズム 以上4作品。 チラシのコメントを抜粋しながら・・・。 札幌で予告TV-CMを観て、「MY FATHER」観なくっちゃと思った。 ヒトラー政権のもと、“死の天使”と恐れられた医師。彼を父にもった息子の苦悩と葛藤をドラマティックに描き上げた、実話に基づく衝撃作。チャールストン・ヘストンなんだよ、父が。幾千もの命を奪ったことが父の罪であるとき、その人を父に持ったことは、息子の罪になるのか・・・。 そして大好きなフランソワ・オゾンの、ある夫婦の愛についての5つの季節を描いた「ふたりの5つの分かれ路」。結婚が永遠の誓いではなくなった現代に、恋愛は終わるものなのだという結論から出発し、「だから愛は輝く」ことに気づかせてくれるらしい・・・愛のミステリー。 いやーオゾンはねーすごいよねー。ジムジャー・ムッシュもすごいし、ボブ・ジラルディ(←映画監督じゃないが)も、ベルナルド・ベルトルッチもすごいけど、オゾンの視点は暖かい。そして厳しくて、辛くて、穏やかでありながらもミステリー。「Dearフランキー」。これは、映画館で予告編観て、私は泣いた。ズルいよそれ!!! 「ダンシング・ハバナ」は・・・私がサルサ好きだという理由から。「天国の口、終りの楽園」に出演したディエゴ・ルナ主演。札幌の狸小路のとある店で、サルサを習ったことがあり、今もたまに踊りに行きます・・・。村上龍氏が主催するクラブイベントにも行ったなー(笑)。
2005/07/05
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:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::私たちは心で愛することもできるけれど、 心だけで愛することができるだろうか。 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::タイトルだけ読むと、衝撃的でごめんなさい。 ご存知の方が多いでしょう。 グレアム・グリーンの代表小説であり、 冒頭の言葉はその抜粋です。 5月の通勤時間の、愛読書でした。 この部分を読んだとき、私は素直に「心だけで愛することができるんだろうか」と感じた。当然、心と頭に浮かぶ人はいるわけで。この小説は結婚している女性と独身男性の関係をベースにしているけれど、テーマはカトリック教の信仰について描かれている。神を愛するようにして人を愛することができるのか・・・そういう視点。でも、神を愛することだって容易ではないだろうと感じる。人はやはり愛した分だけの見返り、同じだけの愛を求めるから。それは神に対してだってそうで、だからこそ祈るのだ。その愛が届くように、そして祈りが届くことで愛されていると感じる。人を愛するとき、はじめは、自分が好きになったことだけで十分で、その人も自分を好きでいてくれたらいいのに、と願う。そのうち好意を持ってもらっているだけで幸せになる。でも段々と、その心も肉体も欲するようになり、精神的な愛を維持するには、そこに固執することから解放されないと難しい。勝手に想像して苦しくなったり。穏やかに愛していることが、相手にとっては愛情不足に感じられたり。でも、心だけで愛せないことが、「本当に愛してない」ことだとは想いたくない私もいる。自分勝手だけれど、それはわかっているけれど、今の私にはそういうふうにしか愛せない。「心だけで愛する」のじゃなく、「心で愛することができる」愛がいい。心だけで愛せる関係もあるかもしれない。愛について、穏やかに生きたいと望むとき、それは心だけの愛になるのだろうか。************* 私の考えてることが 全部空気に沁みて キミに届けばいい そうしたら 私がどんなふうにキミを想っているかが キミに伝わるだろうから こんなふうに好きでいることを知ったら キミはきっと 私をもっともっと好きになるはずなのに もっともっと愛しく 大切に感じるにきまってる
2005/07/05
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6月30日の24時半に札幌の実家に辿り着き、7月3日の24時半過ぎに東京の自宅へ帰宅。ほとんど寝てません!でも楽しかったです。ダラダラ書きます。7月1日は10時に市役所にて打ち合わせがあり、顔合わせのあとで初めてICCへ行ってきました。友人の多くが、ここのイベントにも参加し、S-AIRというアーティスト・イン・レジデンスのボランティアに携っていたのだけど、私はここまで無関係で来てしまった・・・ことにすごく反省。でもこれからどんどん関わっていきます♪モエレ沼のグランドオープンは楽しかったです。私は個人的にアートプログラム[GRAND]を観たかったので、かなり期待していたのですが、さすが、面白かった。メインダンサーのひとり、力也くんとは去年の夏以来だったけれど、覚えていてくれたし、3月末の舞台以来だったHIROTSUGUくんも「おー!!」と記憶してくれてた。ありがとう。嬉しい。ガラスのピラミッドを背に、ミニマムなスペースへの映像投射はかっこよかったですよ。そこにダンサー達による「記憶からの誕生」を表現するダンス。多くの人たちが、あの不思議な空間に浸ったように思います。端さんをはじめ、多くの人たちが創り上げてきたものをこれまた多くの人たちが共有できたことが、とても嬉しかったな。中学時代の友人に10数年ぶりに会場で再会したり、社会人最初の職場で一緒に仕事をした代理店の人に会えたり、新しい出会いがいっぱいで幸せな帰札になりました。7月1日、2日と30人以上の人たちと名刺交換し、今日はメール攻撃(笑)。札幌市立大学の学長予定の原田氏とも、レセプションでは隣席になり、お喋りしました。2日はショートショートフィルムフェスティバルのオープニングパーティーがあり、そこにも顔を出すと、1日にもモエレでお会いした札幌市長が・・・。というか、2日間とも似た顔ぶれだったというほうが正しい。ショートショートはフレンチ映画も楽しかったけれど、注目の作家はロイストン・タン!素晴らしい才能の持ち主なんだなーと作品を拝見しながら感じました。ほかの作品も観てみたい。今回、金曜・土曜、日曜と3日間ともスケジュールがびっしりで、忙しい流れではあったのですが、とても有意義で幸せでした。これまでの帰札では、なかなかこれほどまでに気持ちよく過ごすことが少なかった。こういう機会を与えてくれたボスや全ての人たちに感謝してます。ありがとうございます。*****そうそう、1日はイベント終了後に友人と飲みに行ったのだけれど、ススキノのシャレたかっこいいバーを任されることになり、すごく張り切っていた。先に飲んでいた彼が、メイン通りまで私を迎えに出てきてくれたとき、「なんかすげーかっこいい」と感じたのだけれど、そのときはまだ、そんな仕事が決まったのを知る前で。初めてスーツを着た姿をみて、それもかっこよかったし。「一張羅なんだよな」と、酔って照れくさそうに笑った表情がすごく充実してた。私まですごく嬉しくなって、感動しちゃったもの。彼と私は、出会ってから似たようなスピードで、仕事も生活も大きく変わってきて、変わり始める頃から色々な話をしてきたから、「同志」のような感覚がある。「あのころはまだ、本当はたいして頑張ってなかった」とか「実はすごく苦しい時期だった」とか、お互いに笑顔と励ましで通り過ぎてきた時間を、今回、本音で語り合えて、「そうだったんだー」と再び笑いあえたこと。やっぱり彼は、大事な友人だなと感じた。会ってる回数も時間も、短いけれど、人には、時間だけじゃない、もっと強いつながりがあると思える。そして、知らない時間があって、会わない時間が多いからこそ、本音を云えるという関係だってあるのだと。たぶん、私たちは今回のたった3時間程度のなかで、友人から親友になれた気がする。いや、やっぱり「同志」かな(笑)。先のことはわからないけど、今、やりたいことがある。感覚を言葉にして伝え合えるのは、なんて幸せなんだろうと思う。私は札幌に帰るたびに、彼からそういうパワーをもらっている。ありがとう。*****じゃあ今日は一緒にいようかと云ってくれたキミの静かな微笑みの言葉は、私をとても穏やかにしてくれる。一緒にいることは、必ずしも自然なことではないのかもしれない。けれど、一緒にいることはたぶん自然なんだろうとも想う。キミは、全ての答えを私にまかせたりしない。私も、全ての答えをキミにまかせたりしない。何かを観て感じるポイントが似ているように、互いに「自分が答えを出す」ときを知っている。キミといて、私が幸せに穏やかになれるのは、互いに同じ気持ちで一緒にいるのがわかるからだと想う。それ以上でもそれ以下でもなく。「どういう関係でいたらいいかわからないけど」、一緒にいることを望んでいるから一緒にいるのだと、感じることができるから。今はまだ、平行線のままでいこう。今はただ、こうして一緒にいよう。
2005/07/04
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ということで、明日30日から3日まで札幌へ出張行ってきます。仕事で色々な人たちとお会いする予定が立ち、これでモエレ沼公園のグランドオープンも見られることになりました。ヤッター♪♪♪つうーことで、30日はバタバタっと最終便で札幌に入ります。どうやら札幌は寒いらしいので、風邪ひかないで帰ってきたい。ショートショートフィルムフェスも札幌で始まるし、その事務局の人たちともお話ししてきますです、はい♪これまでメールばっかりだったので・・・。別所氏にも会えるかなーって、おっとソレは仕事じゃないな(笑)。それでは行ってきまーす。
2005/06/29
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久しぶりに、今日の帰り道はいい顔をしていたと想う。気持ちが前向きになって、深呼吸も足取りも軽やかに。今朝、午前中に取材をして、そこから事務所へ帰るとき、広尾プラザでさくらんぼとミネラルウォーターを購入。事務所となりの公園でブランコに乗った。ずっとずっと、音楽を聴きながら、静かに静かにこいでいた。子どもたちがまだいない場所で、空を見上げながら、風と雲を感じながらブランコをこいだ。すごく気持ちがよかった。空が近い。風が近い。木が緑で。それだけでこんなにも幸せになれるなんて。あのブランコをこいだこと、私のなかで空気みたいになったよ。キミは元気だろうかと想ったけど、もうそれは悲しみではない。未来へと続く、優しい時間になった。きっとしばらくは大丈夫。私の気持ちも、このままキープできるはず。ねえ、キミは今頃、仕事から解放されて楽しく東京の夜を過ごしてる? それを望む。私はね、今こうして同じ空のしたで、すごく気持ちがいいよ。心が優しくなって、自由になって、今にも飛び立てるくらいに。空を見上げるだけで、人はこんなに幸せになれるのね。ありがとう。私は、悲しみや苦しみよりも、ずっとずっとその何倍も、比べ物にならないくらい、キミからたくさんの、両手に余るくらいの幸せをもらっているよね。ありがとう。キミがどんな想いで、私の涙を受け止め、抱きしめてくれて、そして笑ってくれるのか。逢おうと云ってくれること、そして共に過ごす時間があることに、私はありがとうと伝えたい。それがもし、もう、ちょっとだけ遅かったとして、それでも伝えなくてはならない。私のために。キミのためじゃない。今なら、私は涙なしで、笑顔でキミを友達として認められるような気がする。あのとき、私はキミのことを暖かい場所と云った。今になって、それがようやくわかったように想うよ。ありがとう。まっさきに、それだけ伝えたい。ありがとう。*****雨上がりの空を見ていたら 通り過ぎてゆく人の中で哀しみは絶えないから 小さな幸せに 気づかないんだろう時を越えて君を愛せるか ほんとうに君を守れるか空を見て考えてた 君のために 今何ができるか忘れないで どんな時も きっとそばにいるからそのために僕らは この場所で同じ風に吹かれて 同じ時を生きてるんだ自分のこと大切にして 誰かのこと そっと想うみたいに切ないとき ひとりでいないで 遠く 遠く離れていかないで疑うより信じていたい たとえ心の傷は消えなくてもなくしたもの探しにいこう いつか いつの日か見つかるはずいちばん大切なことは 特別なことではなくありふれた日々の中で 君を今の気持ちのままで 見つめていること君にまだ 言葉にして 伝えてないことがあるんだそれは ずっと出会った日から 君を愛しているということ君は空を見てるか 風の音を聞いてるかもう二度とここへは戻れないでもそれを哀しいと 決して思わないでいちばん大切なことは 特別なことではなくありふれた日々の中で 君を今の気持ちのままで 見つめていること忘れないで どんな時も きっとそばにいるからそのために僕らは この場所で同じ風に吹かれて 同じ時を生きてるんだどんな時も きっとそばにいるから~小田和正「たしかなこと」より~
2005/06/27
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12人のデザイナーが参加したNEXTMARUNI PROJECTの 【nextmaruni 12Chairs】展が、6月28日(火)から東京でスタートです。 しかも、エスプレッソカフェを特設し、 12脚、好きな椅子に坐ってエスプレッソを飲みながら、触れながら 椅子を眺めることができる展覧会の趣向!! ぜひ、お近くの方、 または東京にいらっしゃる予定のある方はお立ち寄り下さい。 たぶん、参加デザイナーの日本在住者はオープニングにいらっしゃるものと思われます。あの椅子見たら、感動しますよ。しかも坐れる。12脚それぞれ、全く異なるデザイン。椅子ってここまで違うっけ? と感じるはずです。自分の好きな一脚を探して、どうぞ♪【nextmaruni 12Chairs@cafe】 ▽期 間:2005年6月28日(火)~7月8日(金) ▽時 間:午前11時~午後7時 *最終日のみ午後5時まで ▽場 所:ギャラリー ル・ベイン www.le-bain.com 東京都港区西麻布3-16-28 ▽オープニングパーティー: 6月28日(火)午後7時~午後9時 ▽参加デザイナー12名: Alberto Meda Harri Koskinen Jasper Morrison Michele De Lucchi Sean Yoo 安積伸 植木莞爾 内田 繁 黒川雅之 妹島和世+西沢立衛/SANAA 深澤直人 八木 保 *敬省略
2005/06/26
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今週7月1日、いよいよ札幌のモエレ沼公園が グランドオープンっす。 私が札幌時代に通い、自分への自信や様々な体験をもらい、 今の私に大きな影響を与えているCAIからのお知らせです。何度も、この楽天でも紹介させてもらってきた、アーティストの端ぴょんが芸術監督などを務めております。ほかにも以下のスタッフ、出演者の多くが、私にとって大切な人々ばかり。しかし、宏次くんと力也くんの共演てスゲー。二人の実力は素晴らしいのですが、カッコいいので、踊ると、見てる女性はもううっとりですよ(笑)。「●●さーーーーん」「△△くーーーーん」と黄色い声が飛びまくります。わかる。うん。もちろん、西崎さんの舞も素晴らしい、感動的でさえある演舞です。現実と幻想が入り混じった表現空間を創造なさいます。唯一、バスラフ・クネス氏のダンスだけ見たことがありません。不覚。私はその日、札幌へ行けるのか不明ですが、お近くの方はぜひぜひ行って、体感して欲しいです。水が、炎のように感じられる、轟音のなかの空間、そしてイサム・ノグチ氏が描いた人類の希望を。 *以下、CAIよりのお知らせをそのまま転載。 ================================================ CAIよりイサムノグチ、メモリアル「モエレ沼公園」グランドオープンのお知らせです。 イサムノグチが最後に手がけた大地の彫刻「モエレ沼公園」が 竣工から17年の歳月を経てついに、7月1日(金)全ての作品が完成しグランドオープンを迎えます。 オープニングには様々なイベントが企画されており、19:30より公園内での最後の完成作「海の噴水」の通水式が行われる他、20:10よりCAIのアーティスト端 聡が芸術監督を務めるアートパフォーマンス「GRAND」が開催されます。 ____________________________ 「GRAND」 コンセプト:『記憶からの誕生~未来への提言』 イサムノグチ氏が創造した大地の彫刻を舞台に、異なるジャンルの芸術表現が融合するライブパフォーマンス「GRAND」は、最新のデジタル映像とコンピューターを駆使した音楽と音響効果、さらに昨年までNDT(ネザーランドダンスシアター)のプリンシパルとして活動し、現在フリーダンサーとして世界で活躍するバスラフ・クネス氏など、国内外から招聘された様々なジャンルのダンサー達のパフォーマンスが展開される。 イサムノグチ氏が芸術を通じ世界に訴えかけた人類の希望をテーマに繰り広げられる現代の呼吸。 舞台「GRAND」を体験され、時代の証言者となって頂きたい。 日時 2005年7月1日(金)20:10~ 場所 モエレ沼公園 入場 無料 出演: バスラフ・クネス (オランダ) 三枝宏次 今井力也 西崎鼓美 刈田順也 北岡樹利 伊藤隆行 主催:モエレ沼公園プロモーション実行委員会 (札幌市、(社)札幌観光協会、札幌商工会議所) 企画、制作: CAI現代芸術研究所 株式会社WESS 協力 株式会社プリズム 佐藤幹子(ドイツ在住アートキュレーター) ____________________________
2005/06/26
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この6月に創刊されました弦楽器専門雑誌、「弦楽ジャーナル」。3ヶ月ごとに発売となるので次号は9月です。次号より、内容がさらに充実することになっております!!!「どう充実するのか」という詳細は追って・・・。と、こんな日記を書いているのは、実は私も参加したから宣伝。先日久々の来日をなさったジャズヴァイオリニスト、定村史朗さんの国内初発売のCDのご紹介です(六本木でのライヴも聴きましたよ)。私はまだ現物を見ていないのでどのページにあるのかは知りません。以上、PR日記でした!!!
2005/06/26
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今日はライトな話題で。19時から新宿歌舞伎町あたりの、コマ劇場前の某イベントスペースで、面白いイベントに参加してきました。題して「なぞなぞ宇宙講座」。ゲストには、ノダアツシ氏。聞き手が、作家/女優のフジタニ文子さんと、メディアアーティストのハチヤ和彦さん。ハチヤさんとは、5月に名古屋のイベント会議で偶然お会いしてから、仕事で取材させてもらったりしてます。直接的には2回しか会ってないのに、2回とも何故か酒飲んでいる(笑)。初対面の時点で、私は疲れるくらいに飲んでいたのですが・・・。この日記を読んでくださってる方には、ご存知の方も多いと思うけれど、彼はポストペットのももちゃんの生みの親ですね。現在は、愛・地球博のマンモスの向かいに、「OPENSKY」というものを展示してます。「風のタニのナウシカ」でナウシカが乗る、”メーヴェ”です。あれを作っちゃってます!!! 今年、テスト飛行あります!!!この ↑↑↑ 画像は、今日のイベントの雰囲気(開始早々)。上のモニターに映っているのが、左からハチヤさん、ノダさん、フジタニさん。イベントの内容は、「空想科学読本」的に、科学の視点から宇宙映画を語る・・・んですが、メチャクチャ面白かった。「北京原人」「アルマゲドン」「妖星ゴラス」。・・・・・・すみません、私、どれも観てません。ゲストがノダ氏なので、話の中心は彼なわけですが、私は、ハチヤさんてすごいと思うのよぅ。「できるかな、できないかな」よりも、「あったら楽しいな」「こういうのを作る大人がいたっていいよな」という視点で作品を作る。先日、取材のために色々と資料をさらっていて、「ほぼ日サイト」に特集が組まれていたのを発見。もう少し、細かい内容については、週明け中ごろには取材記事を掲載する予定なので、こちら ↓↓↓ から見ておくんなまし♪http://www.designtope.net/today/index.html本当に今日は楽しかったです。また明日から・・・・・・・・・・・・・・・・・・頑張れ私!!みなさんも「楽しい」のためにがんばりませう。ちなみに、7月には大阪のサントリー美術館にて、ガンダム展があり、[ニュータイプテクノロジー ラボ]というチーム名でなーんと「サイコミュ」を作っちゃってます。近くの人、行ったら感想を教えて下さい!!!サイコミュを装着して”テレパシー”を使える?!らしいから、どうぞESPカードによる1次審査を通過してトライしてみてねん。おやすみなさい。
2005/06/25
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弱さは、時々ひっぱり出して、そこにあることを確認するくらいの小ささでいいのだと思うのです。大切な誰かを守り 共に涙するための、そのくらいの。どうですか。**********私には弟がひとりいる。2つ下の、なかなかいい男で、いいヤツです。親バカならぬ、姉バカです。けれど、とても脆いところがあって、私は高校から大学にかけて、そんな弟のことがいつも心配だった。それはもう「自殺なんてしてしまったらどうしよう」というくらいに。彼の弱さの矛先が自らに向けられていたその時期、私は、弟の存在によって、「家族とは何か」と考えることができた。泣いている彼をみて、どうして一緒に泣くことができなかったのか。どうしてひとりで部屋に戻ってから涙が出てきたのか。姉としてではなく、ひとりの人間として、接してきただろうかと。そして、「もっと周りをみて、友人を探しなさい」と。私たち姉弟には共通の友人がいる。小学校時代から互いの家を行き来して、一緒にファミコンや、鬼ごっこをして、彼の幼い弟も含めて4人で陽が暮れるまで遊んだ。同い年でありながら、彼は、私の弟を兄のように慕い、いつも後ろにくっついて笑っていた。そして弟も、彼を大切な友人として、時に守った。その彼は数年前、自らの手である人をあやめた。新聞の社会面で大きく取り上げられ、テレビも雑誌も、メディアは飛びついた。神戸殺傷事件以後、青少年の事件が取り沙汰されるなかで、彼についての報道は、異色であったろうと思う。「あやめることは、どんな理由があっても許されることではない。しかし、彼をそこまで追い詰め、誰も気づかず、救いの手をさしのべることさえできなかったこの社会の問題」、つまり、情報は氾濫するだけで本当に必要としている人々のもとに届かず、社会も情報も機能していないということを匂わせる内容だった。家族とは、なんだろうか。秩序やきまりごとなどがあり、小さな社会でありながら、“選べない”という関係ゆえに、すごく閉塞的になりがちだ。家族の問題は、その家族のなかで解決するものと、なんとなく思い込み、“よくあるため”にどうしたらいいのかという視点が、いつのまにかディレイトされる。もちろん、これに当てはまらないことのほうが多いだろう。家族という枠を出て行くとき、別の家族の枠から出てきた人たちとコミュニケーションをするために、経験をつむ場所。そういうふうに少し気楽に考えることも、時には大切なように思う。外国の文化と触れることで、自国の文化が守られ、受け継がれて、発展していくように。家族にも同じことが云えるのではないかと。
2005/06/23
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こうして、キミを想いながら、苦しくて動悸があがって過ごした時間の間中、ずっとずっと聴いたきた音楽や、いま新たに幸せのなかで聴いている音楽は、これから先ずっと、聴くたびにこの時間を私に想い出させてくれる。いつか辛いときも、苦しいときも、私はそうだった、音楽でいつも立ち直り、暖かい気持ちになり、どんなこともいい想い出にかえたきたのだと思い返すことができるから。泣いたことも、苦しんだことも、音楽がいつもそばにいてくれた。私はそれぞれの音楽のなかに、本当に苦しいことを閉じ込めて、共有して、分かち合ってきた。だから、私はどんなことも越えてくることができた。音楽だけは変わらず、いつもありのままの私を包み込み、聴き、受け入れ、そして私のなかに沁みこんでいく。静かに。苦しいときには苦しいことを、嬉しいときには嬉しいことを、とことんまで味わわせてくれる。どんなときも同じ重さで。同じ優しさで。音のない世界で、私は生きていくことが難しいだろう。それは、生まれて今までずっと音と音楽があったから。けれどもしこの先、私の五感から聴覚が、実質上消えたとしても、私のなかに蓄積されてきた、幾多の数え切れないほどの音楽や音、声は、ずっと私のなかに溜まり続けて、流れ続けるだろう。たとえ、最初のうちは悲しみと絶望に打ちひしがれたとしても。音楽を感じたという記憶が。そして、私にはいま、言葉がある。あふれ出す言葉がある。伝えたい言葉あり、伝えたい人たちがいる。それがある限り、私は生きていくことができると信じている。キミを想うとき、私のなかには、いつも音楽が流れるんだろう。このさきもずっと。そして、その音楽を聴くたびに、キミを想う。いま、この瞬間さえもままならなくて。未来などどっちを向いているのかさえわからない。でもこれだけは云える。音楽という記憶のなかに、キミは永遠に刻まれる。そしていま私は、その音楽が、死ぬまでヘビーローテーションで流れることを願っている。 ********数日、「詩」を載せている。実はこれ、「詩」ではなく私の日記。毎日書くことにすると続かないので、書きたいときに気が済むまでがーーっと書く。もっと云うなら「日記」でもなく、「遺言」。その遺言は、私にとってとても不思議なところになっている。机上の世界では済まされないくらいに。遺言は人に読まれることが大前提なわけで、それでも伝えたいことを書くんだから、どんなに支離滅裂になっても、全部書いてる。昨日と今日とでは、まして数分前とも刻一刻とかわっていく気持ちを、書き換えることなく書き流す。ただし、本当の遺言と異なるのは、死んでからのことを考えて書いてんじゃないってこと。生きてるうちに、伝えることができるときに、自分の想いを直接に伝えたいから。そのための自分探しの場所。机上の世界ではすまされないくらい、不思議なところ。その意味は、書いたことがそのまま現実になるということ。きっと、書いているうちに自分がその気になって、具体的な思考になり、結果、そうなるように自然と行動するからだろう。面白くて、ちょっとだけ怖い。でもだからこそ。私はその遺言を書くとき、できるだけ頭も心も真っ白にして、想いつく言葉を、なるべくそのまま書き綴るようにしている。意味なんかつながらなくていい。何が書きたいのかを、後で読みかえしてみて「わかる」必要もない。だって、答えはすでに自分のなかにあるのだから。
2005/06/22
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近づきつつある未来。手にしつつある夢。素晴らしいたくさんの関係。そういうものを全て投げ捨てても、今すぐに逢いたい人がいる。実行なんかしなくてもいい。ただ、本気でそう想える人がいるのは、とても幸せで、心がそれだけで強くなれる。実行しないのは、そうすることが自然ではないから。それだけの理由。そんなふうに生きていたいと想う。未来よりいまを。未来に続くいまを。そんな流れのなかで、仕事をして、人を愛して、労わり、共に生きていけたらいい。これまでもきっとそうだったのかもしれないけど、「未来へ続くいま」だったのが「いまが未来へ続く」という想いに、自然にシフトしていた。キミに出逢って知ったこと。
2005/06/21
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さっき、友人から珍しく深夜のメールが届きました。「わたしから夜中に送るほどの内容ではありませんが・・・」という前置きつきで。19日に知人のライブハウスオープン18周年記念に行ったら、ライヴがすごくよくて、なかでも50歳を越えた人たちの演奏がステキで、あんなふうな大人に、あんなふうな年齢の重ね方をしたいなと。明日からパワフルに頑張っていく勇気をもらえたよ、という内容でした。勝手に伝えて寝る私をお許し下さい、というアトガキも(笑)。彼は美術教師もやってるアーティストで、私の大切な友人のひとり。感性も素晴らしい。彼の教え子の1人が、リトルモアから作品集を出してるので、探してみて下さい♪(←無謀なまでに中途半端な説明と依頼)「先生が“好きなことやれ”って仰って下さったので、今のあの子がいるんです。ありがとうございました」とお母様から感謝されたらしく、「いや、僕なにもしてませんよ!」と焦ったみたいで、彼らしいエピソード♪でも、NADIFFで彼女の本を見つけたときの彼の幸せそうな顔と、「アヤさん見て見て!」と云った嬉しそうな声は忘れられない。友人たちのグループ展のオープニングで彼と出会った瞬間、「似てる」と直感し、初対面だったけど一緒に歩いて帰って色々な話をしました。あとで訊いたら育った環境も似ていたのですごく納得。私が札幌に帰るときは必ず会うし、彼も東京に来ると連絡をくれる。たまに「こういうことがあった」というメールをくれるのだけど、夜中に来ることは滅多にない。というか、一度もない!本当にものすごくパワーをもらって感激したんだね。よかったね。なんだか私まで幸せになったよ、ありがとう。でも、おかげで仕事モードの頭に戻らなくなったじゃん、どうしてくれる(笑)。今日もまた最後に、一編の詩をどーぞ。 *****私ね、誰の存在も気にせずに、ぼんやりとキミの手に触れて横たわっていたい。それだけでいいの。何も考えずに、苦しむことも切なくなることもなしに、ただ、なんとなく温かくて優しい気持ちになれればいい。そういうふうに一緒にいられたらいいのに・・・。きっとキミも同じことを想っているんだ。だから余計に苦しい。 *****
2005/06/19
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行ってきましたCLASKAへ♪ずっとずっと行きたくて、でも行けなかった運命のCLASKA。とうとうです。 思ったよりも全然、オープンな感じで、あそこまでフリーなんだとビックリしました。もっと「レストラン」、「ギャラリー」、「ホテル」とコンパクトに区切られているのかと思っていました。目黒のファニチャー通りにあるリノベーションホテルで、「どう暮らすのか」→「暮らすか」→「クラスカ」→「CLASKA」・・・(↑わかってるっちゅーねんと云われそう)私には「東京にいるうちに泊まってみたいホテル」があって、東京ステーションホテル、山の上ホテル、そしてこのCLASKA。都内にいるのに、わざわざホテルに泊まる。別に仕事で忙しくて帰れないわけでもない。特別にゆっくりするために泊まる。なんて贅沢な・・・。だからこそ、泊まってみたいホテルたちですね。ちなみに1階のレストラン「The Lobby」では、きちんとした素敵なサービスが受けられて感動です。私の好きな赤色がところどころ使用されていて嬉しい。ちなみにこちら ↓↓ は1階にある書籍コーナー。タイトルと前後しますが、最近の私のお気に入りはこちらでございます。なんだかわかる人!!!!!文字が羅列されていて、「すすすすす」「コココ」「ンーーーーーー」場所によっては眼の錯覚で、「手羽先」「味噌煮込み」という文字さえ見てくる(笑)。これ実は、ご存知の方も多いでしょう、青山SPIRALビルのパンフレット。「新しいアート?」と思いつつもわからず、“ミクロ”ではわからなくてあきらめて“マクロ”でひいて見ると、なんとそこに現れたのは!!!!!岡本太郎さんです。私が名づけたのは「とある岡本太郎氏」。デスクに貼っているのですが、インパクト強い。仕事しないでいたら、視線を感じそうなので、一生懸命働いています。今日も明日も、事務所でお仕事です。太郎さん、仲良くしてね。
2005/06/18
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今日は高円寺にて、PARISからやってきたピアニストと会いました!ええ・・・去年の7月ぶりだよね?!あのね・・・これはもう「公開日記」じゃなくてただの「日記」になるけど、純粋にいいなーと想ったのよ。友人として。私もなー・・・なんだなー、なんだかなー。だから、いま、色々な意味ですごく札幌に行きたい。でも行っちゃいけないような気もしてるの。見ちゃいけないものが見えそうで・・・。見ちゃいけないものを見てしまうということは、「見るべき」ものなんだろうけど・・・。==========================================I wanna see you soon, tonight.But you are not here now.I wanna tell you what I saw and felt.What I laugh at for.What I cry for.What I think.And how I love you.Tonight, it's warm and gentle to me.Still now, I can't take eyes of you.Still tonight, I can't take eyes of you.Still I can't....==========================================
2005/06/15
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髪を切ることはとても不思議な行為だと思う。私は、高校以来ほとんどベリーショートにしてきた。きっかけは、芝居の役どころがおじいさんの役だったこと。そのために切ったのだが、案外気に入ったので、それからずーーーーと短い。が、この1年。ちょっとした理由で伸ばしていたのね。でも今年に入って「あーあー」と切りたい想いが湧いてきて、だましだまし、前髪を切って遊んできた。その”前髪を切る”ことから、実は自分でやっている。2月にオンザにしたとき、それから前髪をそろえるとき、後ろ髪を切ったとき。そして今回のベリーショート。さすがにね、右のもみあげはちょっと切りすぎた(笑)。失恋しても髪を切ったことがないので、切って想いを断ち切るとか、新しい自分になるというそれほどの意識はない。それでも、髪を切ると背筋がしゃんとする。新しい洋服にチャレンジしてみたり。この春にオンザにしていたとき、面白かったのが、どんなにダサい格好で外出しても、「前髪がおしゃれっぽい」という理由だけで全てが許される!!これは新たな発見であった。ひざの抜けたようなズボン(パンツっていうの?)に、さくっとジャケットを羽織っただけでも。いつものスーツでも。ありえない色の組み合わせでも。なんとなく「それっぽく見える!」どれっぽく見えるのかは想像におまかせ。とにかく、けっこう自分でも気に入っていたのだが、なにせ飽きてきたので、ぱっつり行きました。そのヘアスタイル(のばしたところも含め)を見て欲しかった人にも、見てもらえたし、「おしゃれっぽい!」と云ってもらえたから、それで満足。別の友人に云わせると、「やーいカッパ! カッパ様!」だったようだが・・・ふん。いいんだもーん。たまに「頭のお皿は乾いていませんか」と、「それだけかよっ!」とツッコミを入れたくなるようなメールがきた。そうだな。私にとって、きっと髪を切るということは「周囲への裏切り」であり「自分の住む世界を楽しむ」ためのきっかけ、のように思う。映画を観たり、たまに豪勢な料理を作ってみたり。早めに仕事を終えた日に、ちょっとだけ寄り道をしたり、一目惚れで衝動買いしちゃうカバンや靴のように。そういうのと同じレベルのイベントとして、私は髪を切る。
2005/06/14
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今日は、帰宅してから仕事がのらず、しばらくネットサーフィンを・・・。そうしたら、某ドラマの初話エキストラ募集を発見。「やってみたいかもーーーー」しかも、高橋○典もいるんでしょー♪ってなミーハーと化し、途中まで、一日分だけ申込をしてみた。が、しかし。生年月日が「入力ミスです」(書いてないけど、一桁数字には十の位の"0"が必要)が出たり、携帯以外に自宅の電話番号まで必要だったりと、途中でめんどくなって、止めました。めんどくささのまえには、高橋○典もあえなく撃沈。所詮、その程度の女です。しかし。個人情報保護条例が実施され、それでもどんなところからでも情報が流出し、企業の信頼度が低くなり、その信頼回復および向上の兆しは「踊り場」から脱却するよりも遅いかも・・・な、昨今。エキストラになれるかどうかもわからず、非通知設定から電話がかかってくるかもしれないらしく、ムダに自分の情報だけが、誰とも知れない人に知れるのは怖い。と感じて申し込まない人も多いのじゃないかなーと思った。「それなら申し込んでくれなくてケッコウ」と云われそうですが・・・。いや、あくまでも、個人的な意見と感想でして・・・。すみません。
2005/06/13
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はいはーい。仕事が進まなくて、眠れない~♪全くもって思考がどっか違う方を見ているようです。以前にお知らせしていた【雑誌】が予定をくりあげて、この6月29日(予定)に発売されることとなりました!ズバリ、映画の本です。「ハリウッド超大作」というテーマで、今回は2作の映画をピックアップ。DVDも2枚ついている、角○書店から発売される創刊号。さーて、私の名前はどれでしょう(笑)。========================================================キミは私の頬に手で触れた。笑えない私の泣きそうな顔をみて、私の右手をそっととると、愛しいものを見つめるように私の手の甲を見つめて、またこれ以上ないくらいに優しく唇を寄せた。鼻の先と、その柔らかな唇を押し当てられている、ほんの数秒のあいだ、私はまるで自分とキミしかそこにいないような気がしていた。どうしてもそこが、公園の入り口で、花見客がひっきりなしに出たり入ったりするところとは信じられないくらいに。キミは、私がキミの唇の感触をしっかりとこの甲に感じて記憶するだけの時間をかけて、キスをしてくれた。少なくとも、私にはそれだけの時間だった。「ありがとう」と私は、もう何度目かの言葉を口にして、キミの躰に腕を回して顔を寄せる。キミの頭の温度が私の右頬に伝わってきた。キミの躰に、自分の躰をくっつけて「またね」の挨拶をする。そして私は想う。キミはあのとき、何を感じていたのだろうと。どんな想いで手をとったのかと。========================================================
2005/06/12
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今日は息抜きに映画を観に行ったのね。『FORGOTTEN』。全然息抜きにならなかった!予告編も観ていたし、半分はわかっていたつもりなんだけど、まさか「事件の背後がソレか!」とは思わずに行ったのもあり、何度椅子のうえで「ビクンっ!!!!!!!」と飛び上がったことか。あまりにわかり易い反応なので、自分でおかしかった。ネタバレはしませんが、最初の冒頭ロールの映像も『パニック・ルーム』ばりにいいカメラワーク(『パ~』の感想は、カメラワーク以外、あえて触れん・・・)。心臓弱い人、行かないほうがいいかも、です。これが私の感想。おもしろかった。やっぱ愛だね。で、タイトルにある「never FORGET」でかけたのは、6月3日に行った銀座某所でのイベント。白い6階建ての雑居ビルには、1~6階まであるセレクトショップ系アパレル&ジュエリーショップが、入っています。私の、札幌時代からのお気に入りだったこのショップは、当然仕事で関わる以前からお店にはちょくちょく行ってました。こちら ↓↓↓ は、銀座6ヶ所から集めた音をリミックスした、「音」によるライヴ会場で、3日に同ビル6階で。ものすごく、ゆったりと心地よい音のなかで、まるでぬるい水にたゆたっているような気分になりました。そんでもって、2つめの画像は、同5階にあるANTEという作家の新作。なんでしょうか・・・?!赤く塗った、スチールキャビネット。そう、ロッカー。真新しいロッカーに、様々な装飾をして「新しい照明器具」として一点ものの作品が全部で9つ。販売してます!!!これが欲しくてさー、白くて天井の高い部屋に引越したいと本気で考えた私でした。====================================================「逢いたい」と云ったら、キミはきっと逢ってくれる。ちゃんと笑顔で、飄々と風を切って。「少しだけこうさせてて」と肩にもたれたら、キミはきっと背中を抱いてくれる。ちゃんと、掌で体温を包み込むように。それでも、その先が見えない。神様は知ってるんだろうか、この先のことを。キミの優しさにつけあがってしまうまえに、キミの愛情を履き違えてしまうまえに、どうぞ、私をそばにおいて下さい。====================================================
2005/06/12
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