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森の声@ Re[3]:「体験格差」(子どもの育ちに必要な体験について)(11/04) めげぞうさんへ >これからどうなって行…

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森の声

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2006.10.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類
人間は、個人としても社会人としても、人間として生きていくために必要な知識、技術、能力の全てを他の人との関わりの中から学ばなくてはなりません。

歩くこと、感じること、考えることも同じです。

自分が生まれ育った環境の中に歩く人がいなければ歩くことを学べません。
感じることが出来る人がいなければ感じることを学べません。
考える人がいなければ考えることを学べません。

また、どのような相手と、どのような関わり方をしたのかということでもその学びの内容、質、量も変わってしまいます。

だからこそ、歩き方、感じ方、考え方に文化の違いがあるのです。
アメリカで育った人は日本人と同じようには歩きません。
そして、日本人と同じようには感じないし、考えません。


科学のような客観的な事実についての話しなら世界中で同じように通じるし、理解することもできます。でも、主観的な要素が強いような出来事に関しては考え方や感覚を共有するのはなかなか難しいのです。

ちなみに、日本では虹の色は7色と数えますが、世界には5色とか3色という国(部族)もあるのです。 (興味のある方はここをクリック)

形も同じでしょう。
私達は正方形と長方形を分けますが、多分算数を知らない人たちはその違いを理解できないと思います。

そのように私達が当たり前と思っているようなことでさえ、実は人との関わりの中から学んでいることなんです。

最近の子どもたちは昔の子どもたちに比べて人との関わりがかなり希薄になってしまっています。

その代わりに、母親との関わり、テレビやおもちゃとの関わりだけは増えています。昔なら外で異年齢の仲間や地域の大人たちと関わっていた時間に、今の子どもは家の中で母親やテレビそしておもちゃとばかり関わっているのです。
(だから子育てが大変なんです。)

その結果、子どもたちが人との関わりを通して学ぶことが出来なくなってしまったのです。

そして、お母さん達はテレビや塾や様々なおもちゃを与えることでその穴を埋めようとしているように見受けられます。
でも、当然のことながら 人間的なことは人との関わりを通してしか学ぶことが出来ないのです。



そんな状況の中で、お母さん達の関心は「知的な発達」ばかりに偏ってきてしまっています。人間的な育ちは学校では価値を持たないからです。

そのせいか、最近はおもちゃやさんに行くと知育おもちゃといわれるものをかなりいっぱい見受けることが出来ます。
お母さん達はそれらを与えると頭が良くなると思っているのでしょう。
中にはセットで10万円を越す高価なものまであります。

でも、はっきり言って無駄ですから止めた方がいいです。


ただ、部分的に偏った能力だけを育てることは可能です。そして、お母さんはその偏りを喜ぶのでしょう。
流行の早期教育も同じです。

でも、それは玉乗りが出来るようになったり、テレビゲームに上達するのと同じようなものです。
玉乗りが上手でも、ゲームでどんなにすごい点数が取れるようになっても、生活の中でも、人間として生きるためにも役に立たないのです。
それはただの見せ物に過ぎません。
(お母さんはその“見せ物”を見せて喜ぶのでしょうけど・・・)

むしろ、その偏りが人間としてのバランスの取れた学びを阻害する可能性の方が大きいのです。

人間は部分から育ててはいけないのです。
特に、思春期以前の子どもの場合は丸ごと育てなければいけないのです。
(そのために、ファンタジーや芸術やからだからの学びが必要なんですがそれはまた後日)

じゃあ、どうしたらいいのかというと、子どもたちが他の人との関わりの中で学ぶことが出来るような状況、環境、場を整えてあげればいいのです。

子どもたちをいっぱい集めても、先生の指示で子どもを動かしているだけなら子どもたちは関わりによって学ぶことが出来ません。
そのような状況の一斉保育も多いと思います。(そちらの方が大部分かも知れません・・・)

だからといって、大人の指示なしに子どもたちを自由にさせたら関わり合いが生まれるかというとそれも無理です。
なんの目的もない状態ではつながりあえないからです。コミニケーションすら必要ではありません。
ただ、猿のようになわばり争いを始めるだけです。

グループがグループとして機能するためには(強制されたものではない)みんなで共有できる目的が必要なんです。
その目的は大人から与えられることもあるでしょうし、また場の状況が目的を創り出す場合もあります。

いずれにしても、教育の場では大人がそこに関わる必要があるのです。
目的において大人が関わるのです。

子どもたちはその目的に応じて他者との関わりを創造しその関わりの中から多くを学ぶのです。
そして、子どもたち自身がまたその目的を求めているのです。

今、私は一つの幼稚園と、一つの保育園で「いたずら描き展覧会」を画策しています。山ほどの紙をもらったので、それをその二つの園に持っていって、自由にいたずら描きをしてもらっています。

そして、その中から一人5枚ずつを自分で選ばせて展覧会をします。
大人が選ぶのではありません。いっぱい描いた中から自分で選んで飾るのです。

点だけでも構いません。グチャグチャでも構いません。
これは作品展ではなく「展覧会遊び」なんです。

飾り方は子どもたちと相談しようと思います。

共有できる目的があって始めて関わりが生まれるのです。





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Last updated  2006.10.17 05:43:40
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