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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2007.01.02
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カテゴリ: カテゴリ未分類
さて、去年からの続きです。
去年は“学力って何だろう”ということで書いてみましたが、その言葉の意味がどうもはっきりしないということが分かってきました。(12/30)
どうも人によって言葉の定義が違うようなのです。
つまり、同じ学力という言葉を使ってはいてもお互いに違うものをイメージしているので話しが合わないのです。

そして、本当は話し合いを通して、“本質的な問題は何なのか”という共通の認識をきちんと導き出してからでないと問題解決のための議論はできないはずなのですが、どうもみんな“自分が正しい”というところから動く気がないようなのです。
そして、“相手をやっつけるための言い合い”ばかりしています。

勝つか負けるかの議論は敵を作り、恨みを増すばかりです。そして、結局最後には“数の暴力”で決着が付いてしまいます。
多数派には、“話し合った”という“大義名分”が残りますが少数派には恨みしか残りません。

話し合いは相手を変えるだけでなく、自分が変わることも受けいれることが出来ない人にはできないのです。“有り難うございました、話し合いを通して私も成長出来ました”という言葉が出てくるような話し合いが、問題を解決へと導いてくれるのです。


そして、“それはどのような意味ですか、よく分からないのですが”という単純な質問を攻撃として受け取ります。

そういう人は、“私は間違っていない、あなたが問題の原因なんです”と言います。
そして、自分と同じ意見の仲間をつのって数の力で押し切ろうとします。

どうしてそうなってしまうのかというと、“聞く力”、“考える力”、“表現する力”が弱いからなんです。これは、コンピュータ的には“インプット能力”、“内部処理能力”、“アウトプット能力”と言い換えることもできます。

そして、これらの能力は12/30に学力の定義として書いた、“覚える力”、“学ぶ力”、“使う力”を支える能力でもあります。つまり、“聞く力”、“考える力”、“表現する力”のどれがかけても、学力は伸びないということなんです。

コンピュータでもこの三つの能力のうち、どれか一つでも欠けてしまったらコンピュータとして機能しません。

そして、今の子どもたちはこの能力がかなり貧弱です。
学校教育の中にもこれらを育てるまともなカリキュラムがありません。先生任せです。

また、“聞く力”、“考える力”、“表現する力”が弱い人は、対人関係において常に不安を感じています。
それは目も耳も口も塞ぎ、両手を縛った状態でジャングルを歩いているようなものだからです。
だから、ちょっと居心地のいい場所を見つけると、そこから動きません。動けないのです。

目と耳と口と手を誰かに借りないと動けないからです。

そして、そういう人は自分も守れないし、また国を守ることも出来ません。
個人として自分を守る能力と、国を守る能力は本来別のものではないのです。
言いなりになる兵隊さんばかり増やしても、第二次世界大戦の悲劇を繰り返すばかりで本当の意味で国を守ることは出来ません。

ですから、“教育は個人のためだ”、“いや、国のためだ”という議論は最初からナンセンスなんです。そういう人は、教育というものの本質が分かっていません。



戦前の政治家はもっとまともだったように思うのです。でも、優秀な政治家は軍部によってどんどん殺されたり、失脚させられてしまいました。そして、日本はあのような形で負けました。

戦後、日本は新しい国を創るはずでしたが戦争に批判的な意見を言った人たちが政治の舞台に戻ってくることはありませんでした。そして、戦争中と同じ人たちが政治を継続したのです。

学校でも“鬼畜米英”と言っていた先生がそのまま同じ教壇で、戦後は“自由は素晴らしい”という授業をしたのです。
だから、政治の舞台でも、学校でも戦争への徹底した反省が為されなかったのです。

安倍さんではないですが、たしかに日本の人たちが輝いていた時代もあったのです。素晴らしい政治家もいっぱいいました。だからこそ、(良くも悪くも)日本はこんな短期間で欧米に追いつくことが出来たのです。
でも、それをつぶしたのが軍部の圧力なんです。そしてそれは今の政府のやり方と似ています。
その悲劇を繰り返してはいけません。

じゃあ、どうしたらいいのかというと、自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の意志と責任で行動出来る子どもたちを育てるのです。
そしてそれは聞いて、考え、理解し、表現出来る子どもたちです。
なぜなら、聞いて、考え、理解し、表現出来ない子は他者に依存するしかないからです。

そして、自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の意志と責任で行動出来る子どもたちが増えていくとき、世の中は多様化していくでしょう。色々な生き方、考え方の人が生まれてくるでしょう。

でも、そのように異なっていてもバラバラにはなりません。話し合い、支え合い、補い合うことが出来るからです。
それが“心豊かな社会”です。


私は“美しい国”よりそんな“心豊かな国”の方が好きです。
“美しい国”と言われても何のことだか分かりません。
私は、心豊かな人、心豊かな国こそが美しい人、美しい国なのではないかと思うのです。

安倍さん、今からでも変えませんか。
支持率がアップするかも知れませんよ。





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Last updated  2007.01.02 21:59:57
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