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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2007.01.14
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カテゴリ: カテゴリ未分類
人類は、不便、危険であることを嫌い、どのようにしたら不便や危険を解消出来るのかということを色々と考え、研究してきました。

その結果、世の中はどんどん便利で安全になりました。
今では、お料理の仕方など知らなくても、包丁など使えなくても、美味しいお料理を食べることが出来ます。

歩くのが苦手でも、乗り物を使えば歩くよりずっと早く移動することが出来ます。

昔は鉛筆はナイフで削りましたが、今では電動鉛筆削機の穴に差し込むだけでアッという間にきれいに削れます。
自分で考えなくても、本やインターネットなどで調べればすぐに答えが得られます。

また、外灯で夜は明るくなり、道は平になり、突然襲ってくる獣はいなくなりました。(今では人間が一番危険です)

“食べ物が腐っているかどうか”、“これは食べられるかどうか”などということを自分で判断しなくても済むようになりました。

子どもが木登りしていて木から落ちてケガをしたら、昔は“木から落ちか子が下手だった”で済まされましたが、今ではその木の管理者が責任を求められ、下手をすると木が切られてしまいます。



便利が増え、危険が少なくなればそれにともなって、人間の機能は低下します。
人間の機能はそのように出来ているのです。

お年を召して機能が低下した人や、障害を抱えている人にとってはそれは意味のある大切なことだとは思いますが、今その機能を育てなければならない年齢の子どもたちにとってはそれはあきらかに子どもの成長を妨げる邪魔者です。

それでも、昔のように大人の社会と子どもの社会が分離していた時代には大人の社会が便利になっても、子どもたちは外で走り回っていました。
でも、今、子どもたちは大人と同じ空間で生活しています。同じ物を使い、同じ環境で生活しているのです。

ですから、当然子どもたちもその“便利”と“安全”を享受しています。
但し、“自分の成長”と引き替えにです。


昔の子どもは平気で何時間も歩き、遊び回りました。
でも、今の子どもはそんなには歩きません。移動する時には自転車を使います。

何時間も子どもを歩かせるイベントもあり、何時間も歩き通す子どもも確かにいますが、でも、イベントとして歩くのと生活の中で歩くのでは心とからだに対する影響の与え方が根本的に異なります。

現代人は不便や苦労を楽しみません。


最近流行の地域通貨でも同じです。
“仕事をさせてくれてありがとう”という発想ではありません。
どこかで元を取ろうという、現代人的な感覚がそこにはあります。

ちなみに、キリスト教にも仏教にも地域通貨的な発想はありません。人のために尽くすのは自分のためだからです。
だから人のために働けることを感謝します。



それが、手仕事や芸術の分野なんです。
それらの分野ではむしろ“便利・簡単”は嫌われます。
不便だからこそ楽しいのです。

そして、自分の心とからだと知性と魂の全てを注ぎ込む必要があります。
つまり、丸ごとで自分を投入しないことには芸術的な活動は出来ないのです。

ですから、悩みのある人も手仕事や芸術に没頭すると、その間だけでもその悩みを忘れることが出来ます。そして、心とからだが楽になります。
フォーカスがチェンジするからです。

でも、だからこそ子どもの育ちには芸術が必要なんです。
さらに、付け加えると7才前の子どもが宗教と出会うことも必要です。

芸術に関しては明日以降話を続けマスが、宗教に関してはここで少し説明しておきます。

日本人は宗教を誤解しています。そして、宗教を信じていないので、その代わりにお金と物を信仰してしまっています。

人は何かを信じていないと生きていけない生き物なんです。それが、全ての生物の中で唯一“心を持った存在”である人間の宿命なんです。

ですから、自分では無信仰だと思っていても、必ず何かを信仰しています。
あなたがどのようなものを信仰しているのかは、あなたのフォーカスを探ればすぐに分かります。どんな人でも、人は必ずフォーカスに偏りがあるのです。
それがあなたの信仰です。

もし、その信仰が不動のものならあなたはしっかりと立って自分の道を歩くことが出来るでしょう。
でも、お金や権力といった不安定なものなら、あなたの生き方もまた不安定なものになるでしょう。

また、愛や慈悲という概念、考え方は宗教から生まれてきたという事実も見逃してはいけません。

ただし、私は“宗教家になりなさい”とか、“洗礼や得度を受けなさい”と言っているわけではありません。

幼い時に、宗教に触れることで宗教的なものの見方を知り、人間を越えた大きな力、働きに気付くことが、子どもが“自分の人生を幸せに生きる大きな助けになってくれるでしょう”ということです。

子どもは純粋に、宗教の良いところを吸収する能力を持っていますからご安心下さい。大人のように宗教で喧嘩などしません。

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“フォーカス”の補足です。

フォーカスを共有していない人達がいくら話し合っても解決策は見つかりません。
話し合いはまず、お互いのフォーカスを共有するところから始めるべきです。

つまり、“何のための話し合いなのか”ということを明確にした上で話し合わないことには余計に亀裂が深まるだけだと言うことです。






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Last updated  2007.01.14 21:25:10
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