森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

Profile

森の声

森の声

2007.05.18
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
しんしんままさんから



甘く、あま~く味つけされてしまっていて、ちょっと残虐な部分が、カットされていたりもします。私は一般的な昔話をしているつもりなのですが点、昔話にも諸説あるとは思いますが、
子供は混乱してしまっているようです。
どっちが正しいのか?と。
幼稚園が話してくれる昔話の中には、漫画ちっくにパロディー化されているものもあって、
がっかりしてしまいます。
子供が怖がらないよう配慮してるのか、退屈しないように面白く味付けしているのかもしれません。
子供にどう説明すれば良いかとっても困っています。
幼稚園は、幼稚園の話。家は家の話。と、区別してもらおうと思ってますがうまくいきません。
せっかく幼稚園でお話をしてくださっているのに、なんだかもったいないです。幸い、家で絵本はたくさん買ってあげたり借りたりできると思うので、なんとかそれを読んであげていきたいと思ってます。

というコメントをいただきました。
実は、このようなことはよくあるのです。

その背景には子どもがどのようにして優しさを、そして思いやりの気持ちを育てているのかということに対する無理解と、大人たちが表面的な優しさ、思いやり、幸せで満足するようになってしまったという変化があるからでしょう。
そしてまたその背景には子どものありのままの姿を受け入れることができない大人の姿も見えてきます。
そして、さらにその背景には自分を肯定できない現代人の不安があるのでしょう。

それは、子どもがケンカしているとそのケンカが子どもにとってどのような意味があるのかではなく、それを見ている自分が苦しくなるから止めてしまう、そういうことです。

また、最後にオオカミが殺されてしまうと単純に子どもが悪い影響を受けてしまうと思い「仲直り」させた結末に変えてしまう人もいっぱいいます。

また、「子どもが怖がるから」と言って残酷な場面を仲良し的に変えてしまう人もいますが、「怖がる」ということは優しさとは違います。教室の子でも、蜘蛛や蛾に対して非常に怖がり、「殺して 殺して」と騒ぐ子がいます。


ということは、残酷なお話を怖がらせないように子どもから遠ざけても、優しい子どもに育つわけではないということです。

また、戦いの多いテレビを見せないように、鉄砲や弓矢など武器おもちゃを与えないように育てている人もいっぱいいますが、そのように育てられた子が優しい子であるかどうかは全く不明です。

私の印象ではそんなこと全く関係がないようです。
簡単に言うと欲求不満がたまっている子は武器おもちゃなど知らなくても、テレビなど見ていなくても攻撃的になるのです。それは「攻撃性」は他者から学習するものではなく生理的なものだからです。

ちなみに、優しさは学習するものです。
だから、残酷なこと、悲しいことから遠ざけるだけでは学習できません。
それは、残虐性は人間の中の動物性に由来し、優しさは人間性に由来するものだからです。
ですから、優しい人でも追いつめられたら残虐になるのです。


当たり前のことですが子どもは体験によって色々なことを学んでいます。さらに、体験によらないと学ぶことができません。
それは優しさでも、勇気でも、思いやりでも同じです。

子どもは言葉では学べないのです。だって、体験を通して言葉を学んでいる時代なんですから。言葉より体験の方が先に存在していないと言葉は理解できないのです。


じゃあ、子どもはどのようにして優しさを学んでいると思いますか。
蟻や虫を平気で殺していた子どもが、そのような行為をかわいそうと感じるようになるためには何が必要だと思います。

<ごめんなさい、中途半端ですが明日に続きます>





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.05.18 20:48:46
コメント(7) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: