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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2007.09.04
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カテゴリ: カテゴリ未分類
皆さん、色々励ましやら応援有り難うございます。


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皆さんはご存じでしょうが、1992年6月にブラジル リオ・デ・ジャネイロで行われた、環境と開発に関する国連会議(環境サミット)で、 当時わずか12歳の少女『セヴァン・スズキ』が会議に集まった世界の指導者たちを前に語ったスピーチ が「伝説」として人々の心に残っています。

まだご存じない方は是非お読みになって下さい。

なぜ、このスピーチが人々の心を打つのか。
それは、大人が見ようとしない世界の矛盾を、子どもが子どもの視点で“なぜ?”と突きつけているからです。そして、それを自分の言葉で、自分の視点で、一人称で語っているからです。

子どもは自然とつながって生きています。

それは、自然の中で素朴な生活をしている人たちと同じです。

そして、12才という年齢はその子どもの目の中に、大人の目も目覚め始める時です。両方が混在しているのです。そんな時、大人が子どもの目にも矛盾のない世界を示すことが出来れば子どもは混乱しないでそのまま大人の世界に移行できます。でも、現代の状況は自分が立っている足場を自分で壊しているような矛盾を抱えています。そのことに12才の感性が気付いたのです。

でも、実は大人たちもみんな心の深いところではその矛盾に気付いているのです。だから、12才の少女の言葉を自分の内なる声として聞き、深い感銘を受けたのです。
でも、大人たちはその言葉に素直に応えることが出来ません。子どもの頃と違って大人になると社会的な欲も、また束縛も強くなるからです。“でも、このまま進んでいたら本当に大変なことになるよ”ということを12才の少女セヴァ・スズキは欲のない素直な心で訴えたのです。

子どもだからこそ見える真実もあるのです。
だからこそ、大人は道を誤らないために子どもから学ぶ必要があるのです。
子育てや教育の場を“大人の欲”を教える場にしてはいけないのです。
そんなことをしたら、大人の矛盾を指摘してくれる子どもがいなくなってしまいます。


でも、一昨日ご紹介した 広島の子どもの文章 はあまりに教科書的でその子どもの感性を感じることが出来ません。それと、もう一つ気になったのは“わたしたち”という言葉で語られていることです。

これは日本人の特徴の一つなのかも知れませんが、あまり“わたしは”という形で、自分の考えや感じたことを語りません。
でも、“わたしは”という一人称で語ってくれないことには対話ができないのです。対話は主に一対一の作業だからです。
だから、対話を大切にするならば“わたしは”と一人称で自分の考えを語るべきなんです。







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Last updated  2007.09.04 13:41:01
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