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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2007.11.17
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カテゴリ: カテゴリ未分類
昨日も書いたように、私は全く普通の育ちをした普通の子どもでした。


ただ、小さい時から生命に感応する力は強かったように思います。
それは、生きているものに対してだけでなく、山や、海や、風のようなものに対してでもです。

また、視点を移動することも得意でした。
例えば、空を飛んでいる鳥を見ながらその鳥が見ている風景をイメージするというようなことです。
月を見ながら月から見える地球をイメージするというようなことです。
原始人になって世界を見てみたり、木になったり、風になったりというようなことです。
自然の中で一人で遊ぶことが多かったのでそういう遊び癖が付いたのかも知れません。


同じ仲間の匂いがするのです。
中学生の頃に賢治の写真を見て、“あ、おんなじだ”と感じたことを覚えています。
もちろん、あんな天才ではなく、もっともっとスケールは小さいですけどね。
ちなみに、R.シュタイナーにも同じ匂いを感じます。

もし、その通りだとすると、シュタイナーの言葉は頭で理解しても無駄だということになります。
つまり、彼は理論を書いているのではなく、自分自身が自分の感覚を通して実際に体験したことを書いていることになるからです。それはつまり、科学で彼の言葉を解釈することは見当違いだということです。

科学は世界を観察する方法ですが、シュタイナーが説いたのは“世界の体験の仕方”なんです。そして、実際に人間が生きているのも、子どもが成長するのもその体験の世界の方なんです。
だから彼の本を何十冊も読んで、全部暗記したとしても何の役にも立ちません。
(これは私の個人的なシュタイナー理解です。異論、反論あるかもしれませんが、私にはそう思えるということです。)

これも全く私の個人的な理解ですけど、モンテッソーリは“子どもを観察する方法”によって子どもの育て方を考え、シュタイナーは“子どもを体験する方法”で子どもの育て方を考えたように思うのです。だから、“共感”ということを非常に大切にするのです。

そして、その体験を通して考えるということが私の考え方の基本でもあります。

ワークをする時も相手の感覚を感じながら進めます。
そして、だから気質の事を考えるのが非常に面白いのです。
胆汁になったり、憂鬱になったりして世界を見てみるのです。

ちなみに、この方法は特別不思議な方法ではありません。
古代ではみんな普通にこの方法で世界のことを知ろうとしていたのです。


だから、私が特別な才能を持っていると言うことではありません。
本来、誰にでも出来ることなんです。
ただ、学校で学んだ科学的な意識がその古代の知恵が働き出すのを抑えているだけなんです。

そして、子どもはその科学的な意識がないので、古代人の知恵を使うことが出来るのです。

但し、シュタイナーのようなことまで出来る人は多くはないと思います。彼が古代に生まれていたらシャーマンか預言者になっていたでしょうね。

ワークをしていると、本当に苦しい、壮絶な子ども時代を送ってきた人とも出会いますが、自分が体験したことのないことでも、素直に受けいれることが出来ます。
自分というものにこだわりがないからでしょう。

だから、私にはすごい仕事は出来ないでしょうが、苦しんでいる人を支える助けはできそうです。
それが私の役割なんでしょうね。





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Last updated  2007.11.17 22:34:39
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