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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2007.12.05
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日、学級崩壊をしているクラスを見学に行ってきました。

私は、その現場を見たのは初めてですが、子どもも可哀想、先生も可哀想という状況でした。

確かに、非常に退屈な授業です。
でも、先生がいい加減にやっているのかというとそうでもありません。
先生は今にも倒れそうなくらいピリピリして真剣そのものです。

でも、子どもは退屈そうにのんびりしているばかりで、全くそんな先生のことなど気にしていません。みんなマイペースで、自分がやりたいことをやっています。

まだ、新任の若い先生なんですが、今先生を目指して頑張っているうちの長男と何となく似ていて見ていて悲しくなってしまいました。

そこで感じたのは、先生が先生として子どもたちの前に立つことが出来るほどの学びをしていないのではないかということなんです。



このようなことは、学校では学ぶことが出来ないし、学校の成績には現れない要素です。また、教員養成の場でも学ぶことが出来ないでしょう。
こういうことはむしろ、大勢の仲間との遊びの場で学ぶことなんです。

ところが、校長先生がこの先生に子どもの頃のことを色々と聞いても、子どもの頃のことを想い出せないというのです。

これは、私もお母さん達とのワークで驚いたことなんですが、まだ30代の若いお母さん達に“子どもの頃どんな遊びをしていたのか教えて下さい”と聞くと、“そんな昔のことは良く覚えていない”と答えるお母さんが結構いるのです。

覚えていたとしても、ただの記憶として覚えているだけで“こんなことをやっていましたよ”というだけのことです。

でも、これが40代、50代、いやもっと年齢の高い人なら、まるで昨日の出来事のように自分の子どもの頃の遊びを語ることが出来るのです。

だいたい、ボケてしまってついさっきのことすら忘れるようになってしまっても、子どもの頃のことだけは覚えているものなのです。
それを覚えていないという若い人が増えているようなのです。

つまり、この先生は子どもの頃に子ども時代に学ぶべき事を学ぶことが出来ないまま大人になってしまっているのです。
本当にお腹がすいている時に食べたものは覚えているものです。遊びに餓えていた頃に遊んだことは覚えているものです。活字に飢えていた時に読んだ本のことは覚えているものです。
ですから、何にも覚えていなかったということはその餓えもなかったし、その餓えがみたされることもなかったと言うことなんです。


その想い出がないということは、子ども時代に学ぶべき事を学ぶことが出来なかったということを意味します。そして、子どもの時のことを生き生きと想い出すことが出来ない人が子どもに共感を感じるのはかなり困難なのです。

校長先生も“授業の中でもっと遊んでもいいんだけどな”とおっしゃていたのですがひたすら真面目なんです。

でも、まだこの状況は父兄には知らされていません。トラブルが予想されるからです。
そのトラブルとは先生へのバッシングです。
とにかく、授業になっていませんからね。


大体、そのように先生や学校を非難ばかりする親は、子どもを管理したい親です。
勉強ばかりさせようとする親です。
これはつまり、わが子をこの先生のように育ててしまう親だということです。

つまり、先生をバッシングし非難しているのに、わが子をその先生のように育てようとしているということです。これは悪循環です。
これは別の先生が入って、子どもたちが勉強に専念できるようになったからといって解決する問題ではないのです。

親たちも一緒になって先生を育て、自分たちも育とうと覚悟する時に子どもたちも学びたいと思うようになるのです。
成長したいという想いが学びへの餓えを育てるのです。そのためには手本が必要なんです。

この悪循環から抜け出さないことには子どもは自分の人生を自分の力で生きることなど出来ないでしょうし、日本の教育も良くならないでしょう。
これが、今朝の朝日新聞に出ていた子どもたちの応用力のなさともつながっているのです。

幼稚園の園長先生達もただ真面目で融通が利かない若い先生が増えていると悩んでいました。

これと同じ状況が子育ての場でも起きています。
学級崩壊ではなく、家庭崩壊です。特に、真面目なお母さんが真面目に子育てをしようとする時、子どもを束縛し子どもを管理しようとしてしまいます。子どもというものは本質的に“不真面目な存在”だからです。

でも、そのような方法では子どもを育てることが出来ないのです。
家族の間に人間らしいコミニケーションが生まれないからです。

ただし、真面目が悪いということではありません。ただ、もっともっと心にゆとりが必要なのではないかということです。

ちなみに、ドイツのシュタイナー学校でも学級崩壊状態になってしまうこともあるようです。これは、世界規模で起きている子どもたちの変化なんです。
ですから、この問題には個人の能力を超えた要素も働いているということをしっかりと認識していたほうが良いと思います。

個人を非難するだけで解決できる問題ではないのです。
みんなで考え、みんなで解決すべき問題なのです。





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Last updated  2007.12.05 15:35:19
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